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第二十一話
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「おやおや……これは久しいな。マクドゥガル大佐」
小馬鹿に仕切った口調で、ゼノンはそう声をかけた。
同時に、さりげなく立ち位置を変えてアンジェリーナの姿を背後に隠した。その更に後では、ウェイジアスが足の爪先からゆっくりと光となって消えていっているところだった。
文字通りに音もなく、姿を消す。
「……それが、上官に対する口の利き方か?」
「んー、もうやめたからなぁ。とっくに一般人の一員だよ、俺は」
「だったら……」
「そっちこそ、神の御使いたる装星機によって任じられた聖騎士に対する口の利き方か?」
飄々とした口調を一転させた鋭い追求に、マクドゥガルは押し黙った。
「あいにくだが、平時の今はお前たちに俺に対する指揮権は存在しない」
「だからといって、我が部隊のマギアフレームを破壊してもいいと言うことにはならん!! 貴重な機体を、それも四機も!! 三機はまだ修復可能だが、この一機は完全に大破しておるではないか!!」
「試験飛行中にいらんことちょっかい掛けてくるからだろ……単機の相手に四機がかりで無警告射撃とか、問答無用でブッ殺されても文句は言えんぞ。プロトゼロの試験飛行に関してはフローレンス王女殿下を通じて通達していたはずだが?」
「そ、それは……」
「弁明があるなら聞こう。事と次第では貴様のクビだけでは済まんぞ」
「…………」
鋭い追及を受けて、マクドゥガルは押し黙る。その目は泳いでいるが、何かを押し隠しているような光があった。
「……先ほどから何を言ってるのかわからんな」
口を開いたかと思えば、そんなことを言い出した。
「私はこの基地にて保有する資産を守るという、己の任務を遂行したに過ぎん」
「何?」
「あなたのあれはともかく、プロトゼロは我が基地にて保有・管理する王国の資産だ。それが無断で使用されたならば、奪還、不可能ならば破壊の策を練るのは当然であろう?」
「……通達を聞いていないのか?」
怪訝な口調でのゼノンの問いを、マクドゥガルはあざ笑う。
「聞いてはいたが、平民が乗るなどとは聞いておらん。たかだか平民の男がそのような大役を任されるなど、普通ならばあり得んことだ。私は貴族の常識に則って裁可を下したに過ぎんよ」
「…………」
さすがのゼノンも、あきれるあまりに言葉が出なかった。要は、目の前の男は平民がパイロットを務めるなどあり得ないと断じているのだ。
ゆがんだプライドを抱えた、典型的な貴族……目の前の男には、そんな感想しか抱けなかった。
「さあ、誰が私を責められるかね? 平民が乗り込んで動かすなど、本来ならばあり得んことだぞ?」
「…………」
あまりの言い草に、さすがに何か返そうと思った、その時だった。
「では、わたくしが乗っていたならばどうされましたか? マクドゥガル男爵」
その声に、その場にいた一同はそろって凍り付いた。
それを尻目に、ゼノンの背後から声の主……アンジェリーナが姿を見せる。
「な……ベ、ベルリエンデ公爵令嬢!?」
アンジェリーナの姿を認めたマクドゥガルが、驚愕に息を飲んだ。その出で立ちに、今までどこにいたのかも悟ったのだろう。その顔は青ざめていた。
「な、なぜ、あなたが……」
「マクシミリアン卿の御厚意によるものです。将来、王妃としてこの国を背負うならば、国を守る防人達の使命を少しでも知っておいた方が良い、とおっしゃりまして、方々に話を付けて今回の試験飛行を手配してくださいました」
「……そんな話だったの、これ?」
「初耳だな」
すらすらと淀みなく紡がれるアンジェリーナの言葉に、イングリッドがひそひそとゼノンに問いかける。それに答えるゼノンの顔には、楽しそうな苦笑が浮かんでいた。
「それに関して、フローレンス殿下への確認も済んでおります。軍上層部への通達が確かになされたことも。その時点で、今回の試験飛行は広義の王命と捉えることもできますが……さて、男爵家が王室の意向に逆らうというのは……謀反の意思、と言うことでなければ良いのですが」
「あ、あなたに関係が……」
「当然ありますわ。わたくしはアーノルド王太子殿下の婚約者です。すでに王室の一員としてその籍を置く身……国に嫁ぐものとして、そこに牙を剥く存在を座視することはできません」
そこまで言われて、マクドゥガルは憤怒で顔を染め上げた。
「……あまり出しゃばった真似をされない方が良いのでは?」
「出しゃばった?」
「アンジェリーナ嬢、あなたは王太子殿下の婚約者ではありますが、いまだ成人もしていない子供だ。大人同士の話にくちばしを挟むような真似は慎んだ方がよろしいのでは?」
慇懃無礼という言葉そのものなマクドゥガルの態度に、アンジェリーナは。
「あらまぁ、失礼いたしましたぁ」
パッと顔を綻ばせた。先ほどまでの厳粛な空気はなりを潜め、年相応……どころか、それよりも幼い少女のような天真爛漫な、間延びした口調でそう言った。
「確かに、おっしゃる通りですわぁ。わたくしはまだまだ若輩の身、大人の話に首を突っ込むのは出過ぎていましたわぁ。申し訳ありませぇん」
変わらない、子供のような、間の抜けた口調。打って変わっての変貌と言っていい雰囲気の変化に、その場の一同……相対しているマクドゥガルさえも、戸惑いを隠せなかった。それでも何とか、マクドゥガルは頷いて口を開く。
「うむ、わかれば」
鷹揚に頷く……ことができたのは、この時だけだった。
「では、このことは本日、可及的速やかに公爵家へと持ち帰り、当主に報告するといたしましょう。その上で、我がベルリエンデ公爵家とあなた方マクドゥガル男爵家の間で、正式に会談の場を設けるといたしましょうか。お望み通りの、大人同士の会談を、ね」
笑顔を絶やさぬまま言うアンジェリーナに、マクドゥガルは絶句硬直した。
この世界では、身分制度は絶対……最低爵位である男爵家が、最高爵位である公爵家を敵に回せばどうなるか……目の前の娘は、その力関係を完璧に理解した上で、無知な子供を装ってそんな提案をしている……こちらが、平伏するしかないとわかった上で。
これが次代の王妃……その地位、役割の重み、そしてそれにふさわしいと王室に望まれた女の資質が、マクドゥガルの鳩尾のあたりにのしかかった。
にこやかな雰囲気そのままなアンジェリーナの弁舌に、傍らのイングリッド達も戦慄する。
「こ、こえぇぇ……」
「この人、一瞬でことを公爵家と男爵家の対立にすり替えちゃった……」
「敵に回しちゃいけない人って、いるんですねぇ……」
「さて、話はまとまりました!!」
三者三様に慄く三人をよそに、華やかな笑顔でアンジェリーナはそう言った。
「参りましょう、ゼノン様。コーヒーをごちそうしてくださるのですよね? 軍の食堂は初めてですので、楽しみです!!」
マクドゥガルの存在を華麗の黙殺したアンジェリーナの言葉に、ゼノンはブホッと、耐えきれないと言わんばかりに盛大に吹き出した。
「く、ははははは!! そうだった!! そうだった!! 忘れるところだったよ!! 行こう、アンジェリーナ嬢!!」
「…………」
アンジェリーナの笑顔にそう答えて、ゼノンは踵を返した。その時だった。
「……あまり図に乗るなよ、『棺背負い』」
マクドゥガルの搾り出すような言葉に、その場の空気が凍り付いた。ピタリと、ゼノンの足が止まり、その場にいるアンジェリーナをのぞいた全員の顔から、表情がスッと消えた。
心臓をつかまれたかと思うような、強烈な寒気。それをもたらした彼ら彼女らの変化に、アンジェリーナは戸惑った。
(一体……)
「お前は汚名をかぶった平民だ。この栄光ある王国において、貴族に盾突くなど考えぬことだ。『棺背負い』」
「……その呼び名は嫌いだ。取り消せ」
「命令するか? 平民」
「三度は言わん。取り消せ」
有無を言わせぬゼノンの口調。明らかに怒りが浮かんだその口調は、アンジェリーナは初めて聞くものだった。
「フン、取り消さなければどうするというのだ? 貴様ごとき、いつでも……つぶ……せ……」
暴言を続けようとしたマクドゥガルの言葉が、途切れるように消え、その表情に苦痛が浮かび上がる。その直後、グエッと、踏み潰されたカエルのようなうめき声を上げた。
マクドゥガルの顔中に脂汗が浮かび、クビを押さえてあえぎながら、苦しげに膝を付いた。
「か……は……」
「……三度は言わんと言ったぞ、俗物」
まるで冷気がそのまま音となったかのような、冷たい声。思わず彼の顔を見上げると、表情の消えた顔の中で、苛烈な怒りをたたえた瞳だけが、爛々と輝いていた。その右手が、何かを握ってるような形を作っていた。
まるで、クビを掴んでいるような形を……
これまでの交流で見てきた、知的な顔はなりを潜め、怒りを燃え上がらせる武人の顔が、その面に浮かんでいた。度々見てきた『陰り』とはまた違う影が、その顔に差していた。
「ぐ、あ、……ぎぃあ……」
顔を青ざめさせ、口の端から泡を吹き始めたマクドゥガルを、ゼノンは……その場にいるイングリッド、シンシア、ラウラも、表情の消えた顔で見下していた。
このままじゃいけない……強い焦燥に駆られて、ゼノンを制止しようとした、その時だった。
バンッと、大きな音を立てて、ゼノンの肩を誰かが掴んでいた。その主を、ゼノンは振り向いた。
アンジェリーナもその手の持ち主に目をやると、見知った顔だった。
「やめんか」
「……ロズウェル侯爵閣下!?」
簡潔な、一言。短く刈り込まれた栗色の髪に、同じ色の口ひげを蓄えた壮年の紳士の姿に、アンジェリーナは声を上げていた。
声の主は、オーランド・ロズウェル侯爵。メルディアの父親だった。
「…………」
「こんな小物で手を汚すな」
言い聞かせるような、言葉。それに対して、しばらくロズウェルを見返したゼノンだったが、フンと鼻を鳴らすと右手を開いた。
「ぐはぁ」
するとそんな声を上げて、マクドゥガルがうずくまって激しく咳き込んだ。
「気は済んだか?」
「……すまん」
「謝る相手が違うぞ?」
ニヤニヤ笑いながらの言葉。それに不貞腐れたようにそっぽを向いた。
苦笑を返して、ロズウェルはアンジェリーナに向き直った。
「久しぶりだね、アンジェリーナちゃん。娘がいつも世話になっておるな」
貴族らしからぬ、豪放磊落な口調でロズウェルは言った。
東の国境での守護を一手に引き受けるロズウェル侯爵家……その気質は豪快で知られており、その気さくな雰囲気はアンジェリーナの心を軽くした。
「いえ……わたしの方こそ、ご息女には屈託のないお付き合いをして頂いて、感謝しておりますわ」
「ここから先は、俺たちが引き受けよう、ここから離れなさい。お前もだぞ、ゼノン」
「ここから先?」
「あなたは関わるべきではないことです。ベルリエンデ公爵令嬢殿」
そこに割り込んだのは、高い女性の声だった。その方に視線をやると、軍服に身を包んだ金髪碧眼の美女が歩み寄ってくるところだった。
「……あなたは?」
「失礼……私は、ヴァレリア・リーランドと申します」
「リーランド?」
その家名は……
「愚弟が、ご迷惑をおかけしたとのこと……平に、謝罪いたします」
そう言って、軍帽を脱いで頭を下げてくる。彼女は、アレクサンダーの姉だ。
「あ、顔をお上げください!! あなたに謝られることでは……」
「わかっております。本人に頭を下げさせるべきだとも……ですが、捨て置くこともできませんでした」
「……だとしても、あなたの過ちではありません。その気持ちだけで、十分です」
「そう言って頂けると、救われます」
そう答えたヴァレリアは顔を上げると、ゼノンに向き直る。
どうするのか……そう思った瞬間、ヴァレリアはかかとを合わせて直立し、力強い敬礼をゼノンに送った。
「お久しぶりであります。少佐殿」
「……階級はそっちがとっくに上だろ? 准将殿」
苦笑しながらも、ゼノンは答礼した。
その二人の間に、アンジェリーナには推し量れない信頼関係を感じ取って……
(……え?)
ズキリと、胸が痛んだ。
感じたことのない、痛み……それに戸惑っていると、両腕を誰かに引かれた。
「さっ、着替えてきましょう!!」
「脱ぐのも大変ですからね!! またお手伝いしますよ!!」
右手をイングリッドが、左手をシンシアが引っ張っていた。
ここから連れ出そうとしている……胸の痛みに戸惑っていたアンジェリーナは、その意図を拒む余裕はなく、連れ出されるままその場を後にした。
「げほ……ど、どういうことです!? 准将!!」
ようやく回復したらしいマクドゥガルが悲鳴じみた異を唱えた。
階級が下のものへの敬礼など、軍の常識ではあり得ない……そう口にしようとしたマクドゥガルの目を、ヴァレリアのゴミを見るような視線が射貫いた。
「じゅ、准将?」
「拘束しろ」
簡潔な命令に従って、同行してきていた数人の兵士がマクドゥガルを拘束し、手錠をかけた。
「な……こ、これはどういうことです!?」
「騒ぐな、愚物。貴様はすでにエイルスワース基地司令を更迭された」
「な……」
「私がドラグベルムに出向している間に、随分と好き勝手やってくれたようだな……王国資産の私的流用に、横領、ついたった今、不適切な作戦行動も容疑に加わった。一生、檻からは出られないと思え」
「な、何を言うのです!! こ、これには……」
「言い訳は法廷で聞こう。連行しろ」
有無を言わせぬ一言に、マクドゥガルは完全にとどめを刺されていた。うなだれたまま兵士達に連行されていく。
「……これが目的か」
「はい。ここ最近随分と肥え太っていたようですので、刈り取ることにしました」
涼しげな顔で、ヴァレリアは答えた。
「これが足がかり、ってわけか」
「そうなりますね。どこまで根っこを引きずり出せるか……勝負はここからです」
ゼノンの言葉に、ヴァレリアは柔らかい微笑みを返した。
「ところで、ここで何が起こったのですか? 装星機を出すとは……よほどの事態だと考えますが……」
「……正直、お前さんにはあまり言いたくないんだがな……」
「私には?」
「そっちが言うところの愚弟が絡んでいる」
そう言って、大破したイクスレイブⅡを親指で指し示した。
丁度その時、装甲ごとハッチが剥ぎ取られたコックピットから、気を失ったアレクサンダーが引きずり出されているところだった。
それで、大体の事情を察した。
「……少佐。後はお任せください。ロズウェルとともに、適切に対応いたします」
「ひよっこ共へのお仕置きは任せろ。お前はアンジェリーナちゃんをフォローしてやれ」
ニヤニヤ笑いながら、ロズウェルがゼノンにそう言った。
「……なんだよ?」
「いやいや……お前も遅れた年頃を取り返してるんだと思ってな」
「……ほざいてろ、ひげ親父」
吐き捨てるように返して、大股でその場を歩き去っていった。
その頬に差していた朱を見逃さなかったヴァレリアとロズウェルは、そろって苦笑した。
着替えと簡単な湯浴みを終えたアンジェリーナは、女性兵士の案内に従って基地内を進んでいく。その胸中は、穏やかとは言いがたかった。
(……何だったんだろう?)
さっき、胸に挿した、痛み。その正体がわからなくて、心の中で疑問が渦巻いていた。
小さな、ちょっとした、それなのに、とても強く響く、痛み。ここまでの人生で、経験したことのない、知らない痛み。
「…………」
痛みを感じるときはいつでもあった。両親や教育係からの厳しい躾、王妃教育の課題をこなせなかったときの教師の叱咤、アーノルドの暴言……そのどれとも、違った痛みだった。
渦巻く疑問に答えを出せないまま、先導に従っていくと……開けたテラスに出た。
「ここは……」
「驚かれましたか?」
「ええ……軍事基地内にこんな場所があるなんて……」
「元々は騎士団の駐屯地だった名残です。今では高級士官用のスペースとして活用されています」
女性兵士の解説を聞きながら、テラスの中央へと足を進めると、そこに用意されたテーブルセットに二人の先客がいた。
ゼノンとイングリッドだ。
「ありがとう。後はこっちでやる」
「了解しました」
ゼノンの言葉に敬礼を返した女性兵士は、静かに立ち去った。
立ち上がったゼノンは、椅子を引いてアンジェリーナをエスコートした。
「あ、ありがとうございます」
少し顔を赤くしながら、勧められた椅子に腰を下ろす。それを見たイングリッドが、ニヤけ顔で口を開いた。
「およよ、あたしにゃしてくれなかったねぇ?」
「イング姐に? やらなきゃいけないか?」
「あたしも一応、年頃の女なんだけど?」
「……鏡見ろよ」
「ふむ、死にたいというわけだね?」
ズキリ。
軽快にやりとりするふたりの姿に、またあの痛みが差す。戸惑いが起こる前に、にこやかな声がその場にかけられた。
「あらあら、楽しそうね。私も混ぜてくれないかしら?」
その聞き覚えのある声に、アンジェリーナは弾かれたように立ち上がった。
視線の先に、左目に眼帯を着けたメイドが押す車椅子に座った上品な老女が、柔らかい微笑みを浮かべていた。
その老女が誰なのか、アンジェリーナは知っている。いや、この国の国民ならば、ほとんどは知っている女性だ。
「お、王太后陛下!?」
そこにいたのは、現国王アルハザード・リーズバルトの母親――当代王太后であるテレーゼ・リーズバルトであった。
「久しぶりねぇ、アンジェリーナ。少し見ないうちに立派になって……」
「ご無沙汰しております、陛下。ご挨拶にも伺えず、誠に……」
「いいわ、いいわ。あなたとはそんな仲になりたくないの。イングリッドも、元気そうね」
「おかげさまで……母がよろしくと言っておりました」
水を向けられたイングリッドは、そつなく返答した。
彼女の実家であるイルバーン伯爵家は、代々王室仕えの家令や侍女を輩出してきた家柄だ。イングリッドの母は元々は王太后付きの女官だったと聞いている。その縁で、面識があると言うことなのだろう。
「そう、あの娘も元気なようね」
そう言って、今度はゼノンに目を向ける。見つめられたゼノンは、ケッと、下品に舌打ちした。
「まーだ生きてやがったか、妖怪ババア」
「なっ……」
さらりと飛び出した暴言に、さすがのアンジェリーナも二の句が継げなかった。傍らでは、イングリッドもあきれたように頭を抱えている。
そんな暴言を吐かれても、テレーゼの方は涼しい顔だった。
「そうよー? 妖怪はしぶといの!!」
「クソ……今度は何の用で顔出した?」
「あらあら」
あからさまに不機嫌な様子のゼノンに、おもしろそうに微笑みながらテレーゼは口を開いた。
「血が繋がらないとは言え……かわいい息子とお茶をしたいっていうのは、わがままかしら?」
「かわいい息子?」
「陛下、アンジェリーナさんは……」
テレーゼの言葉に疑問を口にしたアンジェリーナを見て、イングリッドが咎めるような言葉を出した。
「知らない……と言うより、この子が言ってないのでしょう? お役目を考えたら今後のお付き合いもあるのだから、言っておくべきだと思うけれど?」
「……俺の勝手だろ」
「それでは済まされない立場だって、何度も説明したでしょう?」
「……では、やはりそうなのですね?」
得心したようなアンジェリーナの言葉に、全員が注目した。
その視線を受けながら、アンジェリーナは立ち上がり、ゼノンに正面から向き直って……美しいカーテシーで一礼した。
「知らぬこととは言え……ここまで積み重ねてきた数々のご無礼、平にご容赦ください……アレスマイヤー大公閣下」
その言葉に、ゼノンとイングリッドは目を剥いた。テレーゼだけが、一人ニコニコしている。
「……気付いていたのか」
「はい……わたくしをエスコートしてくださったときの見事な手管、美しい作法、何より……王族の皆様との関係を突き合わせれば、答えは一つでございました」
頭を下げたまま、アンジェリーナは答えた。
「……とりあえず、頭上げて楽にしてくれ」
言われたとおりに顔を上げて立った。
「ゼノン、ちゃんと名乗ってあげなさい」
「はぁ……」
テレーゼから促されて、ゼノンは渋面を作って立ち上がり、アンジェリーナに向かって右手を胸に当てて頭を下げる、紳士の礼をした。
「改めて……私の名は、ゼノブライト=マクシミリアン・クレスフォード・エルズ・リーズバルト・アレスマイヤー……当代アレスマイヤー大公家当主でございます。以後、お見知りおきを」
「こちらこそ……わたくしはアンジェリーナ=フィリオーネ・グウェンドリン・レギス・ベルリエンデ……当代ベルリエンデ公爵デュラスの娘でございます。よろしくお願いします」
お互いに礼をして、顔を上げて……目を合わせて、苦笑し合った。
柔らかい日差しの元で、この時ようやく、相手の真名を知ることになったのだった。
小馬鹿に仕切った口調で、ゼノンはそう声をかけた。
同時に、さりげなく立ち位置を変えてアンジェリーナの姿を背後に隠した。その更に後では、ウェイジアスが足の爪先からゆっくりと光となって消えていっているところだった。
文字通りに音もなく、姿を消す。
「……それが、上官に対する口の利き方か?」
「んー、もうやめたからなぁ。とっくに一般人の一員だよ、俺は」
「だったら……」
「そっちこそ、神の御使いたる装星機によって任じられた聖騎士に対する口の利き方か?」
飄々とした口調を一転させた鋭い追求に、マクドゥガルは押し黙った。
「あいにくだが、平時の今はお前たちに俺に対する指揮権は存在しない」
「だからといって、我が部隊のマギアフレームを破壊してもいいと言うことにはならん!! 貴重な機体を、それも四機も!! 三機はまだ修復可能だが、この一機は完全に大破しておるではないか!!」
「試験飛行中にいらんことちょっかい掛けてくるからだろ……単機の相手に四機がかりで無警告射撃とか、問答無用でブッ殺されても文句は言えんぞ。プロトゼロの試験飛行に関してはフローレンス王女殿下を通じて通達していたはずだが?」
「そ、それは……」
「弁明があるなら聞こう。事と次第では貴様のクビだけでは済まんぞ」
「…………」
鋭い追及を受けて、マクドゥガルは押し黙る。その目は泳いでいるが、何かを押し隠しているような光があった。
「……先ほどから何を言ってるのかわからんな」
口を開いたかと思えば、そんなことを言い出した。
「私はこの基地にて保有する資産を守るという、己の任務を遂行したに過ぎん」
「何?」
「あなたのあれはともかく、プロトゼロは我が基地にて保有・管理する王国の資産だ。それが無断で使用されたならば、奪還、不可能ならば破壊の策を練るのは当然であろう?」
「……通達を聞いていないのか?」
怪訝な口調でのゼノンの問いを、マクドゥガルはあざ笑う。
「聞いてはいたが、平民が乗るなどとは聞いておらん。たかだか平民の男がそのような大役を任されるなど、普通ならばあり得んことだ。私は貴族の常識に則って裁可を下したに過ぎんよ」
「…………」
さすがのゼノンも、あきれるあまりに言葉が出なかった。要は、目の前の男は平民がパイロットを務めるなどあり得ないと断じているのだ。
ゆがんだプライドを抱えた、典型的な貴族……目の前の男には、そんな感想しか抱けなかった。
「さあ、誰が私を責められるかね? 平民が乗り込んで動かすなど、本来ならばあり得んことだぞ?」
「…………」
あまりの言い草に、さすがに何か返そうと思った、その時だった。
「では、わたくしが乗っていたならばどうされましたか? マクドゥガル男爵」
その声に、その場にいた一同はそろって凍り付いた。
それを尻目に、ゼノンの背後から声の主……アンジェリーナが姿を見せる。
「な……ベ、ベルリエンデ公爵令嬢!?」
アンジェリーナの姿を認めたマクドゥガルが、驚愕に息を飲んだ。その出で立ちに、今までどこにいたのかも悟ったのだろう。その顔は青ざめていた。
「な、なぜ、あなたが……」
「マクシミリアン卿の御厚意によるものです。将来、王妃としてこの国を背負うならば、国を守る防人達の使命を少しでも知っておいた方が良い、とおっしゃりまして、方々に話を付けて今回の試験飛行を手配してくださいました」
「……そんな話だったの、これ?」
「初耳だな」
すらすらと淀みなく紡がれるアンジェリーナの言葉に、イングリッドがひそひそとゼノンに問いかける。それに答えるゼノンの顔には、楽しそうな苦笑が浮かんでいた。
「それに関して、フローレンス殿下への確認も済んでおります。軍上層部への通達が確かになされたことも。その時点で、今回の試験飛行は広義の王命と捉えることもできますが……さて、男爵家が王室の意向に逆らうというのは……謀反の意思、と言うことでなければ良いのですが」
「あ、あなたに関係が……」
「当然ありますわ。わたくしはアーノルド王太子殿下の婚約者です。すでに王室の一員としてその籍を置く身……国に嫁ぐものとして、そこに牙を剥く存在を座視することはできません」
そこまで言われて、マクドゥガルは憤怒で顔を染め上げた。
「……あまり出しゃばった真似をされない方が良いのでは?」
「出しゃばった?」
「アンジェリーナ嬢、あなたは王太子殿下の婚約者ではありますが、いまだ成人もしていない子供だ。大人同士の話にくちばしを挟むような真似は慎んだ方がよろしいのでは?」
慇懃無礼という言葉そのものなマクドゥガルの態度に、アンジェリーナは。
「あらまぁ、失礼いたしましたぁ」
パッと顔を綻ばせた。先ほどまでの厳粛な空気はなりを潜め、年相応……どころか、それよりも幼い少女のような天真爛漫な、間延びした口調でそう言った。
「確かに、おっしゃる通りですわぁ。わたくしはまだまだ若輩の身、大人の話に首を突っ込むのは出過ぎていましたわぁ。申し訳ありませぇん」
変わらない、子供のような、間の抜けた口調。打って変わっての変貌と言っていい雰囲気の変化に、その場の一同……相対しているマクドゥガルさえも、戸惑いを隠せなかった。それでも何とか、マクドゥガルは頷いて口を開く。
「うむ、わかれば」
鷹揚に頷く……ことができたのは、この時だけだった。
「では、このことは本日、可及的速やかに公爵家へと持ち帰り、当主に報告するといたしましょう。その上で、我がベルリエンデ公爵家とあなた方マクドゥガル男爵家の間で、正式に会談の場を設けるといたしましょうか。お望み通りの、大人同士の会談を、ね」
笑顔を絶やさぬまま言うアンジェリーナに、マクドゥガルは絶句硬直した。
この世界では、身分制度は絶対……最低爵位である男爵家が、最高爵位である公爵家を敵に回せばどうなるか……目の前の娘は、その力関係を完璧に理解した上で、無知な子供を装ってそんな提案をしている……こちらが、平伏するしかないとわかった上で。
これが次代の王妃……その地位、役割の重み、そしてそれにふさわしいと王室に望まれた女の資質が、マクドゥガルの鳩尾のあたりにのしかかった。
にこやかな雰囲気そのままなアンジェリーナの弁舌に、傍らのイングリッド達も戦慄する。
「こ、こえぇぇ……」
「この人、一瞬でことを公爵家と男爵家の対立にすり替えちゃった……」
「敵に回しちゃいけない人って、いるんですねぇ……」
「さて、話はまとまりました!!」
三者三様に慄く三人をよそに、華やかな笑顔でアンジェリーナはそう言った。
「参りましょう、ゼノン様。コーヒーをごちそうしてくださるのですよね? 軍の食堂は初めてですので、楽しみです!!」
マクドゥガルの存在を華麗の黙殺したアンジェリーナの言葉に、ゼノンはブホッと、耐えきれないと言わんばかりに盛大に吹き出した。
「く、ははははは!! そうだった!! そうだった!! 忘れるところだったよ!! 行こう、アンジェリーナ嬢!!」
「…………」
アンジェリーナの笑顔にそう答えて、ゼノンは踵を返した。その時だった。
「……あまり図に乗るなよ、『棺背負い』」
マクドゥガルの搾り出すような言葉に、その場の空気が凍り付いた。ピタリと、ゼノンの足が止まり、その場にいるアンジェリーナをのぞいた全員の顔から、表情がスッと消えた。
心臓をつかまれたかと思うような、強烈な寒気。それをもたらした彼ら彼女らの変化に、アンジェリーナは戸惑った。
(一体……)
「お前は汚名をかぶった平民だ。この栄光ある王国において、貴族に盾突くなど考えぬことだ。『棺背負い』」
「……その呼び名は嫌いだ。取り消せ」
「命令するか? 平民」
「三度は言わん。取り消せ」
有無を言わせぬゼノンの口調。明らかに怒りが浮かんだその口調は、アンジェリーナは初めて聞くものだった。
「フン、取り消さなければどうするというのだ? 貴様ごとき、いつでも……つぶ……せ……」
暴言を続けようとしたマクドゥガルの言葉が、途切れるように消え、その表情に苦痛が浮かび上がる。その直後、グエッと、踏み潰されたカエルのようなうめき声を上げた。
マクドゥガルの顔中に脂汗が浮かび、クビを押さえてあえぎながら、苦しげに膝を付いた。
「か……は……」
「……三度は言わんと言ったぞ、俗物」
まるで冷気がそのまま音となったかのような、冷たい声。思わず彼の顔を見上げると、表情の消えた顔の中で、苛烈な怒りをたたえた瞳だけが、爛々と輝いていた。その右手が、何かを握ってるような形を作っていた。
まるで、クビを掴んでいるような形を……
これまでの交流で見てきた、知的な顔はなりを潜め、怒りを燃え上がらせる武人の顔が、その面に浮かんでいた。度々見てきた『陰り』とはまた違う影が、その顔に差していた。
「ぐ、あ、……ぎぃあ……」
顔を青ざめさせ、口の端から泡を吹き始めたマクドゥガルを、ゼノンは……その場にいるイングリッド、シンシア、ラウラも、表情の消えた顔で見下していた。
このままじゃいけない……強い焦燥に駆られて、ゼノンを制止しようとした、その時だった。
バンッと、大きな音を立てて、ゼノンの肩を誰かが掴んでいた。その主を、ゼノンは振り向いた。
アンジェリーナもその手の持ち主に目をやると、見知った顔だった。
「やめんか」
「……ロズウェル侯爵閣下!?」
簡潔な、一言。短く刈り込まれた栗色の髪に、同じ色の口ひげを蓄えた壮年の紳士の姿に、アンジェリーナは声を上げていた。
声の主は、オーランド・ロズウェル侯爵。メルディアの父親だった。
「…………」
「こんな小物で手を汚すな」
言い聞かせるような、言葉。それに対して、しばらくロズウェルを見返したゼノンだったが、フンと鼻を鳴らすと右手を開いた。
「ぐはぁ」
するとそんな声を上げて、マクドゥガルがうずくまって激しく咳き込んだ。
「気は済んだか?」
「……すまん」
「謝る相手が違うぞ?」
ニヤニヤ笑いながらの言葉。それに不貞腐れたようにそっぽを向いた。
苦笑を返して、ロズウェルはアンジェリーナに向き直った。
「久しぶりだね、アンジェリーナちゃん。娘がいつも世話になっておるな」
貴族らしからぬ、豪放磊落な口調でロズウェルは言った。
東の国境での守護を一手に引き受けるロズウェル侯爵家……その気質は豪快で知られており、その気さくな雰囲気はアンジェリーナの心を軽くした。
「いえ……わたしの方こそ、ご息女には屈託のないお付き合いをして頂いて、感謝しておりますわ」
「ここから先は、俺たちが引き受けよう、ここから離れなさい。お前もだぞ、ゼノン」
「ここから先?」
「あなたは関わるべきではないことです。ベルリエンデ公爵令嬢殿」
そこに割り込んだのは、高い女性の声だった。その方に視線をやると、軍服に身を包んだ金髪碧眼の美女が歩み寄ってくるところだった。
「……あなたは?」
「失礼……私は、ヴァレリア・リーランドと申します」
「リーランド?」
その家名は……
「愚弟が、ご迷惑をおかけしたとのこと……平に、謝罪いたします」
そう言って、軍帽を脱いで頭を下げてくる。彼女は、アレクサンダーの姉だ。
「あ、顔をお上げください!! あなたに謝られることでは……」
「わかっております。本人に頭を下げさせるべきだとも……ですが、捨て置くこともできませんでした」
「……だとしても、あなたの過ちではありません。その気持ちだけで、十分です」
「そう言って頂けると、救われます」
そう答えたヴァレリアは顔を上げると、ゼノンに向き直る。
どうするのか……そう思った瞬間、ヴァレリアはかかとを合わせて直立し、力強い敬礼をゼノンに送った。
「お久しぶりであります。少佐殿」
「……階級はそっちがとっくに上だろ? 准将殿」
苦笑しながらも、ゼノンは答礼した。
その二人の間に、アンジェリーナには推し量れない信頼関係を感じ取って……
(……え?)
ズキリと、胸が痛んだ。
感じたことのない、痛み……それに戸惑っていると、両腕を誰かに引かれた。
「さっ、着替えてきましょう!!」
「脱ぐのも大変ですからね!! またお手伝いしますよ!!」
右手をイングリッドが、左手をシンシアが引っ張っていた。
ここから連れ出そうとしている……胸の痛みに戸惑っていたアンジェリーナは、その意図を拒む余裕はなく、連れ出されるままその場を後にした。
「げほ……ど、どういうことです!? 准将!!」
ようやく回復したらしいマクドゥガルが悲鳴じみた異を唱えた。
階級が下のものへの敬礼など、軍の常識ではあり得ない……そう口にしようとしたマクドゥガルの目を、ヴァレリアのゴミを見るような視線が射貫いた。
「じゅ、准将?」
「拘束しろ」
簡潔な命令に従って、同行してきていた数人の兵士がマクドゥガルを拘束し、手錠をかけた。
「な……こ、これはどういうことです!?」
「騒ぐな、愚物。貴様はすでにエイルスワース基地司令を更迭された」
「な……」
「私がドラグベルムに出向している間に、随分と好き勝手やってくれたようだな……王国資産の私的流用に、横領、ついたった今、不適切な作戦行動も容疑に加わった。一生、檻からは出られないと思え」
「な、何を言うのです!! こ、これには……」
「言い訳は法廷で聞こう。連行しろ」
有無を言わせぬ一言に、マクドゥガルは完全にとどめを刺されていた。うなだれたまま兵士達に連行されていく。
「……これが目的か」
「はい。ここ最近随分と肥え太っていたようですので、刈り取ることにしました」
涼しげな顔で、ヴァレリアは答えた。
「これが足がかり、ってわけか」
「そうなりますね。どこまで根っこを引きずり出せるか……勝負はここからです」
ゼノンの言葉に、ヴァレリアは柔らかい微笑みを返した。
「ところで、ここで何が起こったのですか? 装星機を出すとは……よほどの事態だと考えますが……」
「……正直、お前さんにはあまり言いたくないんだがな……」
「私には?」
「そっちが言うところの愚弟が絡んでいる」
そう言って、大破したイクスレイブⅡを親指で指し示した。
丁度その時、装甲ごとハッチが剥ぎ取られたコックピットから、気を失ったアレクサンダーが引きずり出されているところだった。
それで、大体の事情を察した。
「……少佐。後はお任せください。ロズウェルとともに、適切に対応いたします」
「ひよっこ共へのお仕置きは任せろ。お前はアンジェリーナちゃんをフォローしてやれ」
ニヤニヤ笑いながら、ロズウェルがゼノンにそう言った。
「……なんだよ?」
「いやいや……お前も遅れた年頃を取り返してるんだと思ってな」
「……ほざいてろ、ひげ親父」
吐き捨てるように返して、大股でその場を歩き去っていった。
その頬に差していた朱を見逃さなかったヴァレリアとロズウェルは、そろって苦笑した。
着替えと簡単な湯浴みを終えたアンジェリーナは、女性兵士の案内に従って基地内を進んでいく。その胸中は、穏やかとは言いがたかった。
(……何だったんだろう?)
さっき、胸に挿した、痛み。その正体がわからなくて、心の中で疑問が渦巻いていた。
小さな、ちょっとした、それなのに、とても強く響く、痛み。ここまでの人生で、経験したことのない、知らない痛み。
「…………」
痛みを感じるときはいつでもあった。両親や教育係からの厳しい躾、王妃教育の課題をこなせなかったときの教師の叱咤、アーノルドの暴言……そのどれとも、違った痛みだった。
渦巻く疑問に答えを出せないまま、先導に従っていくと……開けたテラスに出た。
「ここは……」
「驚かれましたか?」
「ええ……軍事基地内にこんな場所があるなんて……」
「元々は騎士団の駐屯地だった名残です。今では高級士官用のスペースとして活用されています」
女性兵士の解説を聞きながら、テラスの中央へと足を進めると、そこに用意されたテーブルセットに二人の先客がいた。
ゼノンとイングリッドだ。
「ありがとう。後はこっちでやる」
「了解しました」
ゼノンの言葉に敬礼を返した女性兵士は、静かに立ち去った。
立ち上がったゼノンは、椅子を引いてアンジェリーナをエスコートした。
「あ、ありがとうございます」
少し顔を赤くしながら、勧められた椅子に腰を下ろす。それを見たイングリッドが、ニヤけ顔で口を開いた。
「およよ、あたしにゃしてくれなかったねぇ?」
「イング姐に? やらなきゃいけないか?」
「あたしも一応、年頃の女なんだけど?」
「……鏡見ろよ」
「ふむ、死にたいというわけだね?」
ズキリ。
軽快にやりとりするふたりの姿に、またあの痛みが差す。戸惑いが起こる前に、にこやかな声がその場にかけられた。
「あらあら、楽しそうね。私も混ぜてくれないかしら?」
その聞き覚えのある声に、アンジェリーナは弾かれたように立ち上がった。
視線の先に、左目に眼帯を着けたメイドが押す車椅子に座った上品な老女が、柔らかい微笑みを浮かべていた。
その老女が誰なのか、アンジェリーナは知っている。いや、この国の国民ならば、ほとんどは知っている女性だ。
「お、王太后陛下!?」
そこにいたのは、現国王アルハザード・リーズバルトの母親――当代王太后であるテレーゼ・リーズバルトであった。
「久しぶりねぇ、アンジェリーナ。少し見ないうちに立派になって……」
「ご無沙汰しております、陛下。ご挨拶にも伺えず、誠に……」
「いいわ、いいわ。あなたとはそんな仲になりたくないの。イングリッドも、元気そうね」
「おかげさまで……母がよろしくと言っておりました」
水を向けられたイングリッドは、そつなく返答した。
彼女の実家であるイルバーン伯爵家は、代々王室仕えの家令や侍女を輩出してきた家柄だ。イングリッドの母は元々は王太后付きの女官だったと聞いている。その縁で、面識があると言うことなのだろう。
「そう、あの娘も元気なようね」
そう言って、今度はゼノンに目を向ける。見つめられたゼノンは、ケッと、下品に舌打ちした。
「まーだ生きてやがったか、妖怪ババア」
「なっ……」
さらりと飛び出した暴言に、さすがのアンジェリーナも二の句が継げなかった。傍らでは、イングリッドもあきれたように頭を抱えている。
そんな暴言を吐かれても、テレーゼの方は涼しい顔だった。
「そうよー? 妖怪はしぶといの!!」
「クソ……今度は何の用で顔出した?」
「あらあら」
あからさまに不機嫌な様子のゼノンに、おもしろそうに微笑みながらテレーゼは口を開いた。
「血が繋がらないとは言え……かわいい息子とお茶をしたいっていうのは、わがままかしら?」
「かわいい息子?」
「陛下、アンジェリーナさんは……」
テレーゼの言葉に疑問を口にしたアンジェリーナを見て、イングリッドが咎めるような言葉を出した。
「知らない……と言うより、この子が言ってないのでしょう? お役目を考えたら今後のお付き合いもあるのだから、言っておくべきだと思うけれど?」
「……俺の勝手だろ」
「それでは済まされない立場だって、何度も説明したでしょう?」
「……では、やはりそうなのですね?」
得心したようなアンジェリーナの言葉に、全員が注目した。
その視線を受けながら、アンジェリーナは立ち上がり、ゼノンに正面から向き直って……美しいカーテシーで一礼した。
「知らぬこととは言え……ここまで積み重ねてきた数々のご無礼、平にご容赦ください……アレスマイヤー大公閣下」
その言葉に、ゼノンとイングリッドは目を剥いた。テレーゼだけが、一人ニコニコしている。
「……気付いていたのか」
「はい……わたくしをエスコートしてくださったときの見事な手管、美しい作法、何より……王族の皆様との関係を突き合わせれば、答えは一つでございました」
頭を下げたまま、アンジェリーナは答えた。
「……とりあえず、頭上げて楽にしてくれ」
言われたとおりに顔を上げて立った。
「ゼノン、ちゃんと名乗ってあげなさい」
「はぁ……」
テレーゼから促されて、ゼノンは渋面を作って立ち上がり、アンジェリーナに向かって右手を胸に当てて頭を下げる、紳士の礼をした。
「改めて……私の名は、ゼノブライト=マクシミリアン・クレスフォード・エルズ・リーズバルト・アレスマイヤー……当代アレスマイヤー大公家当主でございます。以後、お見知りおきを」
「こちらこそ……わたくしはアンジェリーナ=フィリオーネ・グウェンドリン・レギス・ベルリエンデ……当代ベルリエンデ公爵デュラスの娘でございます。よろしくお願いします」
お互いに礼をして、顔を上げて……目を合わせて、苦笑し合った。
柔らかい日差しの元で、この時ようやく、相手の真名を知ることになったのだった。
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