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第二十話
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アレクサンダーは、目の前に突如として出現した異形の機体に言葉を失っていた。
全身が闇のごとき漆黒に染め上げられた、一角の機体……こんな機体は見たことも聞いたこともない。いや、そもそも全くの虚空から突然現れるマギアフレームなど、全く聞いたことがなかった。
「な、何だよ、こいつは……」
「久々に心の底からムカついたぞ。破落戸」
吐き捨てるような言葉。あの赤毛の男の声だった。
そのまま、黒い機体がアレクサンダー機の左腕をひねり上げる。ギギギギと金属が変形する独特の異音を発しながら、左腕があらぬ方向へとねじ曲げられていく。黒い機体がその体勢で一歩踏み出し、それに押されてアレクサンダー機は後退する。
最新型のイクスレイヴⅡの性能は、第二世代機と比べて一線を画している。それは単純なパワーも例外ではない。そのイクスレイヴⅡが、完全にパワー負けしていた。掴まれた左腕を振り払おうとしても、びくともしなかった。
「自分のしたことの意味を理解させてやる」
そう言った瞬間、左腕がまるで紙細工のように握りつぶされた。
搭乗者の魔力を用いて装甲表面に防御フィールドを形成する魔力転換装甲に包まれた腕を、相手は軽々と圧壊させていた。どれほどの握力をしているのか、想像もつかなかった。
「ち、畜生!!」
叫んで、頭部スペルマシンガンを至近距離で斉射した。ほとんどゼロ距離で撃ち放たれた弾幕は、そのほぼ全てが黒い機体に着弾する。
スペルライフルに比べれば脆弱ではあるが、それでもマギアフレームを正面から蜂の巣にできる程度には強力な兵器だ。それをこの距離でブチ込まれて、無事で済むはずがない。
だが、その必殺であるはずの弾幕は、黒い装甲の表面でむなしく火花を散らして終わった。魔力弾が装甲を叩く音が、むなしく響き渡る。
「あ、ああああああああ!!!!」
恐慌状態に陥ったアレクサンダーは、引き金を引き続ける。結果は変わらない。着弾の火花を散らしながら、黒い機体が悠然と迫ってくる。左手を挙げて、弾幕を手のひらで受け止める。
そのまま、歩み迫って、アレクサンダー機の頭部をわしづかみにした。銃口を塞がれたスペルマシンガンが爆炎を散らして弾け飛び、それだけに止まらず、黒い機体がその強靱な握力で以て頭部を握りつぶした。
モニターの表示がサブカメラの映像に切り替わると、黒い機体がイクスレイヴⅡの頭部があった場所に手のひらを押しつけて、無理矢理座らせるかのように力を込める。
上からのすさまじい圧力に、両脚の膝関節が破断、いや、圧壊した。破壊された関節の隙間から青い流体人工筋肉が血液のようにこぼれだし、支えを失った機体が背中から大地に叩きつけられる。
「あ、ああ、ああ……」
全身のカメラのほぼ全てが破損し、機体が大破したと判断したシステムが耳障りなアラームをがなり立て、警告の赤でコックピット内を染め上げた。
そんな状態に陥って、脱出するという発想さえ起きなかった。そんなことを考える余裕がないほど、追い詰められていたのだ。
機体が転倒してから、そう時間は経っていなかったが、アレクサンダーにはその間が永遠にも感じられた。その時、機体に異様な金属音が響き渡り、コックピットが鳴動する。
何が……その疑問は、瞬時に解消された。
機体の前面ハッチが、装甲ごと力任せに引きちぎられたからだ。
アレクサンダーの目に映るのは、外の光景。
傲然とこちらを見下す、黒き巨人の赤い双眸。
巨人がこちらにかがみ込み、右手をコックピットに向かって差し入れてきた。
「あ、ああ、あああ!!!! た、たすけて!!!! たすけてくれぇ!!!!」
そんな命乞いが、相手に通じるはずもなく……ゆっくりと右手がこちらに降りてくる。
「……!!」
差し込まれた右手の人差し指、その指先が胸に触れた瞬間、アレクサンダーは泡を吹いて意識を手放した。
それを、黒い巨人がつまらなそうに見下ろしていた。
コンバーターが停止し、エンジンが沈黙したコックピット内は闇に包まれていた。意識を取り戻したときには、その状況だった。
モニターが完全に死んで、光源は機体のコンディションを伝えるコンソールのみだ。精霊から放たれたスペルバレットを食らい、バランサーを破壊されて制御不能に陥った機体は、集合住宅の一つに頭から突っ込んでそのまま沈黙した。
パイロットの少女は、膝を抱えてすすり泣いていた。父の戦死を知らされたあの日、たまらず王宮に駆け込んで志願を伝えた。人手が不足しきっていた王国軍は、それに飛びついた。
強力な魔力を持った十代の少女……それが、父の敵を討つために志願する……彼らにとっては、これ以上ない広告塔になったことだろう。
それでも良かった。この手で父の敵を討てるなら……奴らに一矢報いることができるなら……。
彼女に誤算があったとすれば、精霊の戦力が想像以上に大きかったことだ。
むなしかった。悔しかった。
この手で敵を討つどころか、敵の一体さえも落とすことができなかった。こちらの攻撃はことごとく空を切り、相手の攻撃はゆっくりと、けれども確実に機体の装甲を削り取っていった。
遊ばれている。そのことに気付くまで時間はかからなかった。やがてこちらに飽きたのか、必中弾を撃ち込まれたのだった。
死ぬ……それが、気を失う前の最後の思考……だというのに、少女はまだ生きていた。
このまま、誰にも気付かれないまま朽ち果てていくのだろうか……そう思った瞬間だった。
機体に、すさまじい振動が起こり始めた。機体の表面を何かが降り注いだり、転がり落ちていくような音が後に続く。
一体……そう思ったとき、金属がひしゃげる音がして、前面ハッチが何かに剥ぎ取られた。太陽の光が一気にコックピット内を満たして、それまでの闇を振り払った。
見上げた先には黒い機体。
それがすぐ視界の外に引っ込んで、何かの作動音……おそらく、コックピットハッチの可動音が鳴り響いて、しばし、コックピットを誰かがのぞき込んできた。
「生きてるかー?」
のんきにそう声をかけてきたのは、赤毛の少年だった。明らかに、少女よりも年下……どう多めに見積もっても、十二・三歳程度の幼い少年だった。
見覚えのある顔だ……確か、父の遺品を邸宅まで持ってきた……。
「瓦礫に埋もれたから興味をなくしたらしいな。運が良かったね、君」
そう言って、少年は少女に手を差し伸べてきた。そののんきな口調に、なぜだか少女は逆上してしまった。
「失せろ!! 平民の手助けなどいらん!!」
むざむざ父を死なせた、平民の少年。そんなやつに、助けられたくはない……追い詰められた思考は、愚かにもそんなことを考えてしまっていた。
「いらんって……そんなこと言われても、生存者の救出も俺の任務なんだけど?」
「だったら私は戦死したと伝えろ!! 無様に敗北して生き恥をさらすくらいなら、リーズバルト貴族として、誇り高き死を選ぶ!!」
それを聞いた相手の顔から、スッと表情が消えた。
それからの行動は、実に迅速かつシンプルだった。腰の拳銃を引き抜いて初弾を装填し、弾倉を引き抜いて少女に投げ渡したのだ。
反射的に、それを受け止める。
「一発っきりだ」
そう言って、搭乗口から離れる。
「しくじるなよ」
それだけ言い残して、少年は視界から消えた。
後には、拳銃を抱えた少女だけが残される。
「……!!」
しくじるなよ、その意味を理解し、震える指で引き金に親指をかける。
そのまま、銃口を咥える。
後は、右手を握りしめるだけだ。簡単だ。一瞬だ。
それが、できない。カタカタと震える右手は、全く力が入らなかった。
「う……」
右手に力を込めるだけ。それがどうしてもできない……。父や母、二人の弟……愛する家族の顔が浮かんできて、どうしても最後の力を込めることができなかった。
「う、うう……」
拳銃が、力を無くした手から落ちた。そのまま、膝を抱える。
「う、うう、ああ、あああ……」
流れ出した涙は、止まらなかった。
泣きに泣いて五分ばかり、ノロノロとコックピットから這い出した。
横たわった機体の傍らに、先ほどの赤毛の少年が機体に背を預けて待っていた。物憂げな仕草で紫煙をくゆらせている。その姿を見ていて、意外なことに気がついた。
襟元に衝いた階級章が、少佐のものだったのだ。自分から見れば、雲の上とでも表現すべきほどの、上官だ。
と、こちらに気付いて視線を向けてきた。
「気ぃ、すんだかい?」
「はい……お手数をおかけいたしました」
力なくそう答えて、機体を滑り降りて少年に歩み寄る。
「これ、お返しいたします」
両手で拳銃を差し出した。それを苦笑混じりに少年は受け取ると、スライドを引いて薬室内の銃弾を排出、回転しながら宙に弾き飛ばされた金色の銃弾を、空中でキャッチした。
「ほい」
そして、そのまま銃弾を少女に向かって投げ渡した。
「え?」
「君の頭を吹っ飛ばしていたかも知れない弾丸だ。教訓として取っとけ」
そう言ってフィルターを焦がしはじめたタバコを足下に投げ捨て、踏み潰してから自分の機体の方へと足を向ける。
「ま、待って……」
「ゼノン・マクシミリアン。しがない平民だ」
名前を聞かれたのかと思ったのだろう。呼び止める声にそれだけ答えて、少年は自機に乗り込んで、その場を後にした。
「ゼノン・マクシミリアン……」
受け取った銃弾を握りしめて、少女は次はどの部隊に志願するか、心に決めていた。
「…………」
細い鎖で首に下げた銃弾を指先で弄びながら、ヴァレリア・リーランドは過去に思いをはせる。
目的地に向かう車の中、道中の暇な時間に過去を回想する。
自分が命を預けると決断するきっかけとなった出来事……気がつけば、もう七年も経っていた。
父の遺品を届けに来たあの少年……ゼノン・マクシミリアン。後にも先にも、上官として真の意味で慕ったのは彼だけだ。
「……懐かしいな」
弟が通う王立魔導学院に王太子殿下のお目付役として転校してきたと聞いたときは、さすがに驚いたが、彼の爵位を知る数少ない一人である彼女は納得したものだった。確かに、彼なら王太子殿下の矯正には適任だろう。
奇しくも末の弟のアレクサンダーが同級となったが、弟の荒々しい気質をヴァレリアはよく知っていた。問題を起こさなければいいが……
「准将!! ご覧ください!!」
「んー? なんか問題おこっとるようですな」
運転席からの切迫した声と、助手席からののんきな声……それに釣られて窓外を見ると、目的地である基地内に、何やら黒い巨人が屹立しているのが見えた。
「あれは……」
「マクシミリアンのやつ、なんぞ問題でも起こしたか?」
「どうなさいますか?」
運転手を務める少尉の言葉に、ヴァレリアは口を開く。
「このまま基地へと進入する」
「し、しかし……」
「構わん。やつ絡みの問題なら、むしろ都合がいい」
「ふふふ、准将もひよっこの頃に比べて大分毒されておりますな」
「誰のせいだ、誰の」
おもしろげな助手席の男にそう返して、窓越しに再び黒い巨人を見上げた。
「……相変わらず、美しいな」
ポツリと、つぶやいた。
「ま、こんなもんだろ」
そうつぶやいて、ゼノンは自機を直立させてその場を離れる。返した爪先は、先ほど守ったプロトゼロに向けられていた。
歩み寄ると、いつの間にやらかコックピットから降りていたらしいアンジェリーナが、シンシアの手を借りてヘルメットを脱いだところだった。そのそばにはイングリットとラウラもいた。
その目には、一抹の戸惑いと、強烈な興奮で輝いていた。
これは説明が必要だ……そう思いながら、ハッチを開放して機外へ。機体を立たせたまま浮遊魔術を使って地上へと降り立った。
「あ、あの、ゼノン様……あれは、一体……」
「装星機、聞いたことはないか?」
「装星機……」
ゼノンの簡潔な問いに、頤に手を当てたアンジェリーナはしばし考える。
装星機。王族に嫁ぐ女として、それに関する教育も受けていた。確か……
「世界が始まったその時、すでにそこにあったとされている、いにしえの守護機械のことですわね。現在、一五機の現存が確認されており、そのうちの二機は我がリーズバルトにあると聞いております」
「そう、そして、あれは黒の装星機『ウェイジアス』。リーズバルトが保有する片割れだ」
何とかわかりやすく説明出来ないか……考えてみたが、思い浮かばなかった。なので、直球に告白する。
「あれが、俺の本当の愛機なんだ」
「本当の、愛機……」
そうつぶやいて、アンジェリーナは黒い機体……ウェイジアスを見上げる。
改めて正面から見ると、一見して美術品のような美しさを持ちながら、その美しさは研ぎ澄まされた刀剣のそれだと理解出来る。すさまじいまでの力を持つが故の、恐怖を伴った美しさ……それを、アンジェリーナはなぜか愛おしいとまで思ってしまった。
「あら?」
気のせいだろうか、立っているウェイジアスが、その視線がこちらを捉えたような気がした。次の瞬間、それが気のせいではないと思い知らされた。
「え、ええ、えええ!?」
なぜなら、突然無人であるはずのウェイジアスが、こちらに向かって一歩歩み寄って。
跪き、右の拳を大地について頭を垂れたからだった。
「……相変わらず、こればっかりは慣れませんねぇ」
「あれ見てたら、エンジニアとしての限界を感じてしまいます」
「動くときゃ勝手に動くんだからね……よく平気で乗れるモンよね」
あきれたようなシンシアとラウラ、イングリッドのやりとりを背景に、やはりゼノンがあきれたようにため息をついた。
「……君のことが気に入ったらしい」
「え、ええと、どうすれば……」
「触れてやってくれ」
「触れる?」
「ああ。右手に、少し触れてやるだけでいい」
ゼノンのその言葉に、アンジェリーナは恐る恐るという足取りで、ウェイジアスに近づいていく。
歩み寄って、触れようとして、手袋のままは失礼だとなぜか思った。
(ええと、確か……)
見よう見まねでスーツの肘部のジョイントを解除して前腕装甲を取り外し、右腕をはだけて、素手の右手でウェイジアスの右手の甲にそっと触れた。
想像していたよりもひんやりとしてる装甲は、ざらざらとした感触で、戦乱を戦い抜いてきた戦士であると実感出来る雄々しさだった。
「あの……よろしくお願いしますね?」
そう、つぶやくように言った瞬間だった。
(選ばれたのは、あなたね)
「え!?」
そんな言葉が脳裏を走り抜けて、思わず飛び退いた。
涼やかな、少女の声……周りを見回しても、その主になりそうな人物はいなかった。
一体……その疑問は、
「これは一体何の騒ぎだ!!」
横柄な中年男の声が遮られた。
そちらに視線を向けると、口ひげを蓄えた中年男が大股にこちらに向かってくるところだった。
全身が闇のごとき漆黒に染め上げられた、一角の機体……こんな機体は見たことも聞いたこともない。いや、そもそも全くの虚空から突然現れるマギアフレームなど、全く聞いたことがなかった。
「な、何だよ、こいつは……」
「久々に心の底からムカついたぞ。破落戸」
吐き捨てるような言葉。あの赤毛の男の声だった。
そのまま、黒い機体がアレクサンダー機の左腕をひねり上げる。ギギギギと金属が変形する独特の異音を発しながら、左腕があらぬ方向へとねじ曲げられていく。黒い機体がその体勢で一歩踏み出し、それに押されてアレクサンダー機は後退する。
最新型のイクスレイヴⅡの性能は、第二世代機と比べて一線を画している。それは単純なパワーも例外ではない。そのイクスレイヴⅡが、完全にパワー負けしていた。掴まれた左腕を振り払おうとしても、びくともしなかった。
「自分のしたことの意味を理解させてやる」
そう言った瞬間、左腕がまるで紙細工のように握りつぶされた。
搭乗者の魔力を用いて装甲表面に防御フィールドを形成する魔力転換装甲に包まれた腕を、相手は軽々と圧壊させていた。どれほどの握力をしているのか、想像もつかなかった。
「ち、畜生!!」
叫んで、頭部スペルマシンガンを至近距離で斉射した。ほとんどゼロ距離で撃ち放たれた弾幕は、そのほぼ全てが黒い機体に着弾する。
スペルライフルに比べれば脆弱ではあるが、それでもマギアフレームを正面から蜂の巣にできる程度には強力な兵器だ。それをこの距離でブチ込まれて、無事で済むはずがない。
だが、その必殺であるはずの弾幕は、黒い装甲の表面でむなしく火花を散らして終わった。魔力弾が装甲を叩く音が、むなしく響き渡る。
「あ、ああああああああ!!!!」
恐慌状態に陥ったアレクサンダーは、引き金を引き続ける。結果は変わらない。着弾の火花を散らしながら、黒い機体が悠然と迫ってくる。左手を挙げて、弾幕を手のひらで受け止める。
そのまま、歩み迫って、アレクサンダー機の頭部をわしづかみにした。銃口を塞がれたスペルマシンガンが爆炎を散らして弾け飛び、それだけに止まらず、黒い機体がその強靱な握力で以て頭部を握りつぶした。
モニターの表示がサブカメラの映像に切り替わると、黒い機体がイクスレイヴⅡの頭部があった場所に手のひらを押しつけて、無理矢理座らせるかのように力を込める。
上からのすさまじい圧力に、両脚の膝関節が破断、いや、圧壊した。破壊された関節の隙間から青い流体人工筋肉が血液のようにこぼれだし、支えを失った機体が背中から大地に叩きつけられる。
「あ、ああ、ああ……」
全身のカメラのほぼ全てが破損し、機体が大破したと判断したシステムが耳障りなアラームをがなり立て、警告の赤でコックピット内を染め上げた。
そんな状態に陥って、脱出するという発想さえ起きなかった。そんなことを考える余裕がないほど、追い詰められていたのだ。
機体が転倒してから、そう時間は経っていなかったが、アレクサンダーにはその間が永遠にも感じられた。その時、機体に異様な金属音が響き渡り、コックピットが鳴動する。
何が……その疑問は、瞬時に解消された。
機体の前面ハッチが、装甲ごと力任せに引きちぎられたからだ。
アレクサンダーの目に映るのは、外の光景。
傲然とこちらを見下す、黒き巨人の赤い双眸。
巨人がこちらにかがみ込み、右手をコックピットに向かって差し入れてきた。
「あ、ああ、あああ!!!! た、たすけて!!!! たすけてくれぇ!!!!」
そんな命乞いが、相手に通じるはずもなく……ゆっくりと右手がこちらに降りてくる。
「……!!」
差し込まれた右手の人差し指、その指先が胸に触れた瞬間、アレクサンダーは泡を吹いて意識を手放した。
それを、黒い巨人がつまらなそうに見下ろしていた。
コンバーターが停止し、エンジンが沈黙したコックピット内は闇に包まれていた。意識を取り戻したときには、その状況だった。
モニターが完全に死んで、光源は機体のコンディションを伝えるコンソールのみだ。精霊から放たれたスペルバレットを食らい、バランサーを破壊されて制御不能に陥った機体は、集合住宅の一つに頭から突っ込んでそのまま沈黙した。
パイロットの少女は、膝を抱えてすすり泣いていた。父の戦死を知らされたあの日、たまらず王宮に駆け込んで志願を伝えた。人手が不足しきっていた王国軍は、それに飛びついた。
強力な魔力を持った十代の少女……それが、父の敵を討つために志願する……彼らにとっては、これ以上ない広告塔になったことだろう。
それでも良かった。この手で父の敵を討てるなら……奴らに一矢報いることができるなら……。
彼女に誤算があったとすれば、精霊の戦力が想像以上に大きかったことだ。
むなしかった。悔しかった。
この手で敵を討つどころか、敵の一体さえも落とすことができなかった。こちらの攻撃はことごとく空を切り、相手の攻撃はゆっくりと、けれども確実に機体の装甲を削り取っていった。
遊ばれている。そのことに気付くまで時間はかからなかった。やがてこちらに飽きたのか、必中弾を撃ち込まれたのだった。
死ぬ……それが、気を失う前の最後の思考……だというのに、少女はまだ生きていた。
このまま、誰にも気付かれないまま朽ち果てていくのだろうか……そう思った瞬間だった。
機体に、すさまじい振動が起こり始めた。機体の表面を何かが降り注いだり、転がり落ちていくような音が後に続く。
一体……そう思ったとき、金属がひしゃげる音がして、前面ハッチが何かに剥ぎ取られた。太陽の光が一気にコックピット内を満たして、それまでの闇を振り払った。
見上げた先には黒い機体。
それがすぐ視界の外に引っ込んで、何かの作動音……おそらく、コックピットハッチの可動音が鳴り響いて、しばし、コックピットを誰かがのぞき込んできた。
「生きてるかー?」
のんきにそう声をかけてきたのは、赤毛の少年だった。明らかに、少女よりも年下……どう多めに見積もっても、十二・三歳程度の幼い少年だった。
見覚えのある顔だ……確か、父の遺品を邸宅まで持ってきた……。
「瓦礫に埋もれたから興味をなくしたらしいな。運が良かったね、君」
そう言って、少年は少女に手を差し伸べてきた。そののんきな口調に、なぜだか少女は逆上してしまった。
「失せろ!! 平民の手助けなどいらん!!」
むざむざ父を死なせた、平民の少年。そんなやつに、助けられたくはない……追い詰められた思考は、愚かにもそんなことを考えてしまっていた。
「いらんって……そんなこと言われても、生存者の救出も俺の任務なんだけど?」
「だったら私は戦死したと伝えろ!! 無様に敗北して生き恥をさらすくらいなら、リーズバルト貴族として、誇り高き死を選ぶ!!」
それを聞いた相手の顔から、スッと表情が消えた。
それからの行動は、実に迅速かつシンプルだった。腰の拳銃を引き抜いて初弾を装填し、弾倉を引き抜いて少女に投げ渡したのだ。
反射的に、それを受け止める。
「一発っきりだ」
そう言って、搭乗口から離れる。
「しくじるなよ」
それだけ言い残して、少年は視界から消えた。
後には、拳銃を抱えた少女だけが残される。
「……!!」
しくじるなよ、その意味を理解し、震える指で引き金に親指をかける。
そのまま、銃口を咥える。
後は、右手を握りしめるだけだ。簡単だ。一瞬だ。
それが、できない。カタカタと震える右手は、全く力が入らなかった。
「う……」
右手に力を込めるだけ。それがどうしてもできない……。父や母、二人の弟……愛する家族の顔が浮かんできて、どうしても最後の力を込めることができなかった。
「う、うう……」
拳銃が、力を無くした手から落ちた。そのまま、膝を抱える。
「う、うう、ああ、あああ……」
流れ出した涙は、止まらなかった。
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横たわった機体の傍らに、先ほどの赤毛の少年が機体に背を預けて待っていた。物憂げな仕草で紫煙をくゆらせている。その姿を見ていて、意外なことに気がついた。
襟元に衝いた階級章が、少佐のものだったのだ。自分から見れば、雲の上とでも表現すべきほどの、上官だ。
と、こちらに気付いて視線を向けてきた。
「気ぃ、すんだかい?」
「はい……お手数をおかけいたしました」
力なくそう答えて、機体を滑り降りて少年に歩み寄る。
「これ、お返しいたします」
両手で拳銃を差し出した。それを苦笑混じりに少年は受け取ると、スライドを引いて薬室内の銃弾を排出、回転しながら宙に弾き飛ばされた金色の銃弾を、空中でキャッチした。
「ほい」
そして、そのまま銃弾を少女に向かって投げ渡した。
「え?」
「君の頭を吹っ飛ばしていたかも知れない弾丸だ。教訓として取っとけ」
そう言ってフィルターを焦がしはじめたタバコを足下に投げ捨て、踏み潰してから自分の機体の方へと足を向ける。
「ま、待って……」
「ゼノン・マクシミリアン。しがない平民だ」
名前を聞かれたのかと思ったのだろう。呼び止める声にそれだけ答えて、少年は自機に乗り込んで、その場を後にした。
「ゼノン・マクシミリアン……」
受け取った銃弾を握りしめて、少女は次はどの部隊に志願するか、心に決めていた。
「…………」
細い鎖で首に下げた銃弾を指先で弄びながら、ヴァレリア・リーランドは過去に思いをはせる。
目的地に向かう車の中、道中の暇な時間に過去を回想する。
自分が命を預けると決断するきっかけとなった出来事……気がつけば、もう七年も経っていた。
父の遺品を届けに来たあの少年……ゼノン・マクシミリアン。後にも先にも、上官として真の意味で慕ったのは彼だけだ。
「……懐かしいな」
弟が通う王立魔導学院に王太子殿下のお目付役として転校してきたと聞いたときは、さすがに驚いたが、彼の爵位を知る数少ない一人である彼女は納得したものだった。確かに、彼なら王太子殿下の矯正には適任だろう。
奇しくも末の弟のアレクサンダーが同級となったが、弟の荒々しい気質をヴァレリアはよく知っていた。問題を起こさなければいいが……
「准将!! ご覧ください!!」
「んー? なんか問題おこっとるようですな」
運転席からの切迫した声と、助手席からののんきな声……それに釣られて窓外を見ると、目的地である基地内に、何やら黒い巨人が屹立しているのが見えた。
「あれは……」
「マクシミリアンのやつ、なんぞ問題でも起こしたか?」
「どうなさいますか?」
運転手を務める少尉の言葉に、ヴァレリアは口を開く。
「このまま基地へと進入する」
「し、しかし……」
「構わん。やつ絡みの問題なら、むしろ都合がいい」
「ふふふ、准将もひよっこの頃に比べて大分毒されておりますな」
「誰のせいだ、誰の」
おもしろげな助手席の男にそう返して、窓越しに再び黒い巨人を見上げた。
「……相変わらず、美しいな」
ポツリと、つぶやいた。
「ま、こんなもんだろ」
そうつぶやいて、ゼノンは自機を直立させてその場を離れる。返した爪先は、先ほど守ったプロトゼロに向けられていた。
歩み寄ると、いつの間にやらかコックピットから降りていたらしいアンジェリーナが、シンシアの手を借りてヘルメットを脱いだところだった。そのそばにはイングリットとラウラもいた。
その目には、一抹の戸惑いと、強烈な興奮で輝いていた。
これは説明が必要だ……そう思いながら、ハッチを開放して機外へ。機体を立たせたまま浮遊魔術を使って地上へと降り立った。
「あ、あの、ゼノン様……あれは、一体……」
「装星機、聞いたことはないか?」
「装星機……」
ゼノンの簡潔な問いに、頤に手を当てたアンジェリーナはしばし考える。
装星機。王族に嫁ぐ女として、それに関する教育も受けていた。確か……
「世界が始まったその時、すでにそこにあったとされている、いにしえの守護機械のことですわね。現在、一五機の現存が確認されており、そのうちの二機は我がリーズバルトにあると聞いております」
「そう、そして、あれは黒の装星機『ウェイジアス』。リーズバルトが保有する片割れだ」
何とかわかりやすく説明出来ないか……考えてみたが、思い浮かばなかった。なので、直球に告白する。
「あれが、俺の本当の愛機なんだ」
「本当の、愛機……」
そうつぶやいて、アンジェリーナは黒い機体……ウェイジアスを見上げる。
改めて正面から見ると、一見して美術品のような美しさを持ちながら、その美しさは研ぎ澄まされた刀剣のそれだと理解出来る。すさまじいまでの力を持つが故の、恐怖を伴った美しさ……それを、アンジェリーナはなぜか愛おしいとまで思ってしまった。
「あら?」
気のせいだろうか、立っているウェイジアスが、その視線がこちらを捉えたような気がした。次の瞬間、それが気のせいではないと思い知らされた。
「え、ええ、えええ!?」
なぜなら、突然無人であるはずのウェイジアスが、こちらに向かって一歩歩み寄って。
跪き、右の拳を大地について頭を垂れたからだった。
「……相変わらず、こればっかりは慣れませんねぇ」
「あれ見てたら、エンジニアとしての限界を感じてしまいます」
「動くときゃ勝手に動くんだからね……よく平気で乗れるモンよね」
あきれたようなシンシアとラウラ、イングリッドのやりとりを背景に、やはりゼノンがあきれたようにため息をついた。
「……君のことが気に入ったらしい」
「え、ええと、どうすれば……」
「触れてやってくれ」
「触れる?」
「ああ。右手に、少し触れてやるだけでいい」
ゼノンのその言葉に、アンジェリーナは恐る恐るという足取りで、ウェイジアスに近づいていく。
歩み寄って、触れようとして、手袋のままは失礼だとなぜか思った。
(ええと、確か……)
見よう見まねでスーツの肘部のジョイントを解除して前腕装甲を取り外し、右腕をはだけて、素手の右手でウェイジアスの右手の甲にそっと触れた。
想像していたよりもひんやりとしてる装甲は、ざらざらとした感触で、戦乱を戦い抜いてきた戦士であると実感出来る雄々しさだった。
「あの……よろしくお願いしますね?」
そう、つぶやくように言った瞬間だった。
(選ばれたのは、あなたね)
「え!?」
そんな言葉が脳裏を走り抜けて、思わず飛び退いた。
涼やかな、少女の声……周りを見回しても、その主になりそうな人物はいなかった。
一体……その疑問は、
「これは一体何の騒ぎだ!!」
横柄な中年男の声が遮られた。
そちらに視線を向けると、口ひげを蓄えた中年男が大股にこちらに向かってくるところだった。
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エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
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