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第十九話

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「それは当主としてのご命令でしょうか?」

 ある夜、眠れなくて気晴らしに屋敷の中を歩き回っていたとき、その声がアレクサンダーの耳朶を打った。
 声が聞こえてきたほうに向かうと、そこは母の書斎だった。閉めそこなったのか、ドアの空いた隙間から光が漏れている。
 室内の、口論も。

「そうは言っていないわ……ただ、そういう選択肢もあると言ってるだけよ」

 そろりと近づいて、聞き耳を立てる。言い争っているのは母と姉だ。

「あの子の能力は稀有だわ。このまま、外に出すのはどうしても惜しいの」
「だったら、ジョッシュではなく、アレックに継がせれば済む話でしょう?」

 そこで言葉を切り、ため息が挟まる。

「あの子は当主には向かないわ。ジョッシュのサポートに回ってくれるのが一番いい」
「それがどうして……私とアレックの婚姻などというバカげた話になるのですか?」

 姉の口から飛び出した言葉に、アレクサンダーの心臓が跳ね上がる。あまりのことに、硬直してしまう。
 近親婚はリーズバルトでもとっくに廃れた風習だ。だが、法的には廃止されておらず、今でも近親婚それ自体は可能であり、それぞれの氏族特有の魔力を受け継がせるために敢えて実行する貴族家もある。
 それを自分たちが……アレクサンダーの胸に歓喜の念が湧いた。なぜなら、いつのころからか、実の姉であるはずのヴァレリアに特別な感情を抱いていたからだった。うまくいけば、それが……固唾をのんで聞き入った。

「仕方がないでしょう? クリストフが亡くなって、何とか家を持たせているけれど、このままでは衰退の一途よ。少しでも強い魔力を血脈に残して、氏族を強くしなければ……」
「今度は叔父上に何を吹き込まれたのですか?」

 もっともらしい口上を述べる母の口を、姉はそう言って遮った。

「お父様が亡くなられてから、あの男の増長ぶりは目に余ります。まるで自分がリーランド侯爵家の当主とでも言いたげでいつも不愉快です」
「あの男って……自分の叔父に」
「敬意を払うような相手ではありません。あのような破落戸、血が繋がっていることそれ自体がおぞましい!!」

 それが姉にとっては潮だったのだろう。立ち上がる音が聞こえた。

「例えこれがあの男からの提案でなくとも、実の弟との婚姻、ましてや契りなど御免蒙ります!! 母上も、当主らしく現実を見てください!!」
「あなたこそ現実を見なさい!!」

 思わず、と言う調子の母の叫び。

「一体いつまで……届かない夢を追いかけるつもりなの!?」
「何の話ですか?」
「とぼけないで。あの赤毛の男を想ってること、私が知らないとでも想ったの?」
「……!?」

 予想外だったのか、姉が息を飲む気配がした。

「一体何を血迷ったのかしら……あんな、転がり込んできた地位にあぐらをかく成り上がりの道楽者などに思慕を抱くなんて……信じられないわ」
「……どこでそんな無責任な噂を聞いたのですか?」
「あなたには関係ないわ。いけしゃあしゃあとクリストフの遺品をここに持ってきて……あなたが一緒じゃなかったら、その場でくびり殺してやっていたわ!!」

 吐き捨てる母の口は止まらない。

「クリストフじゃなくて……あの男が死ねば良かったのよ!!」

 次の瞬間、パンッと何かを打つ音が、母の弁舌を遮った。

「ヴァレ……」
「正気に戻ってください」

 呼びかけようとした言葉を、姉は容赦なく切り捨てた。その声は、震えている。

「今の一言は……お父様をも侮辱していますよ」

 姉の、噛んで含めるような言葉……それから聞こえてきたのは、母のすすり泣きだった。
 あまりの状況に、先ほどまでの歓喜は幻のように消え去っていた。むしろ、あわよくばなどと考えてしまった自分を恥じて、いたたまれなくなって、その場を後にした。


「……う、ぐう……」

 目を覚まして、真っ先に周りを見回した。混乱していた頭を振って、状況を思い返す。
 今は、マクドゥガル大佐の命令で、強奪されたプロトゼロを追撃している真っ最中だった。
 追跡中に、姑息な手に引っかかってしまい、基地の結界に突っ込む羽目になったのだった。

「……もう、あんな手は食わねぇ!!」

 決意も新たに、空を見上げた。
 そこには、漆黒のマギアフレーム……プロトゼロがこちらを睥睨するかのように滞空していた。

「さー、残りはお前だけだぞ? どうする雑兵その一」
「破落戸だの雑兵だの、この間から好き勝手言ってくれるじゃねぇか!!」

 機体の体勢を立て直す。メインコンソールに目を走らせて、コンディションを確認。各部問題なし。十分、戦える。

「陛下やら姉貴やらの戦友だか何だか知らねぇが、俺になめた口きいたこと後悔させてやるぜ!!」

 そう啖呵を切りながら機体を上昇させ、スペルライフルの銃口を正面から向けた。相手は何も答えない。沈黙している……と、得心したような口調の言葉が、スピーカーから流れだした。

「……なんか雰囲気に覚えがあると思ったら、先日のミスター破落戸か」

 その言葉の意味を、一瞬アレクサンダーは理解できなかった。

「大勢の前で恥をかいて、少しは改心したかと思いきや……性根はそうそう変わらんか」
「……殺す!! 殺してやる!!」

 絶叫を挙げて、引き金を引いた。


「さー、残るは一人、解説のシンシアさん。この戦いはどう動くと思いますか?」
「そうですねぇ、実況のイングリッドさん。ゼノン選手の勝利は動かないでしょう。アレクサンダー選手は先ほどの通りの猪突猛進なので、さっくり倒されて終わりではないでしょうか?」

 二人して指令所に並んで座り、コーヒーカップを傾けながらのほほんと語り合う。戦闘が始まってから、二人はこの調子だった。ゼノンが負けるなどということは万が一にもあり得ないことだったので、リラックスして指令所のモニターの光景を見物していたのだった。

「……だ、だめだ。アレクサンダーには誰も勝てない」

 そんな雰囲気を破るような、弱弱しい声。ジョシュアの声だ。

「アレクサンダーには、弟には特殊な能力があるんです……たとえ、マクシミリアン少佐でも、それを破ることは……」

 そんな風に言うジョシュアに怪訝な視線を向けた時、それを裏付けるような事象がモニター内で発生した。

「あら、避けた」

 ゼノンの射撃を、アレクサンダーが回避したのだ。それだけではない。

「およ、およ、およよよ?」
「これは意外な展開です。ゼノン選手の攻撃をすべて回避しています」
「だから言ったでしょう!! あいつには……」
「シンシアさん。アレクサンダー選手の能力をどうみますか?」
「そうですねぇ……」

 焦燥にかられたジョシュアを遮るように、シンシアに水を向けたイングリッドの言葉に、彼女は頤に指をあて、

「ありふれた、安い小技ですね。ゼノン選手には通じません」

 と断言した。ジョシュアは自身の耳を疑った。

「こ、小技って……」
「ちょっと目と勘がいいってだけでしょ?」

 キョトンとしたシンシアの答えに、ジョシュアは完全に絶句した。
 彼女の見立てを裏付けるかのように、状況が動き始めていた。


「……!?」

 コ・パイロットシートに座ったアンジェリーナは、目の前の状況に驚いていた。
 今までゼノンに手も足も出なかった敵機が、はじめて彼の攻撃を問題なく躱していたからだ。後ろに座って間近で見ている彼女にも、相手とゼノンの力の差は理解できる。それなのに……

(ゼノン様の攻撃が当たらない……どういうこと!?)

 素人目だが、今相対している敵はそう実力は変わらないように思えた。それなのに当たらない。なぜか……

(目の前の状況が異常だと思えるなら、周りを見渡しなさい。きっと何かがあるはずよ)

 在りし日の、セレスティアラの言葉が脳裏によみがえった。

(周りを……)

 深呼吸一つして、集中する。
 そうして、プロトゼロ周辺の魔力を感じ取っていく。

(何か……異常な魔力放射があるわ)

 その発生源は……目の前の、敵機。はっとしたアンジェリーナは、思わず口を開いた。

「ゼノン様!! 相手は何か特殊な魔術を……」
「わかっている」

 言い終わる前に、返答。

「ありがとう」

 続いた言葉に、胸が熱くなってしまった。


「へ、コックピットで焦ってるかぁ?」

 アレクサンダーは嘲笑交じりに撃ち込まれてくるスペルバレットを回避していた。
 最初、頭に血が上ってしまったが、何とか抑え込んで冷静さを取り戻していた。そうだ。いつも通りにすれば勝てる。俺にはこの力があるのだから……アレクサンダーと互角に戦えるのは、同期の中では短距離転移を得意とするセシリアぐらいだ。それでも、戦績はこちらのほうが上なぐらいである。
 こちらの攻撃も今のところ当たっていないが、それも時間の問題だ。自分にはある力が、相手にはない……その差が、アレクサンダーに勝利をもたらすのだ。

「じわじわなぶり殺してやる」

 楽々と相手の攻撃をかわしながら、アレクサンダーはほくそ笑んだ。


「ふーむ」

 つぶやいて、引き金を絞る。やっぱり当たらない。まぁ、それも当然だろう。こっちにもあまり当てる気はないのだから。

(……これだと?)

 頭部のスペルマシンガンを斉射。スペルバレットの弾幕を相手に向かって注ぎ込む。
 これもやっぱり外れ。だが、おかげで確信が持てた。

(……なるほどな。となれば、時間は……)

 見た目は……見た目だけはランダムに斉射を繰り返す。そうして、相手の力の効果時間を判断する。

「なるほどね」

 不敵な笑みでつぶやいた。


「チクチクチクチクと……うざってぇなぁ」

 一方のアレクサンダーはそんな風に相手を嘲笑などしていた。それもそうだろう。こちらの攻撃は当たらないが、相手もそうなのだ。しかも、こちらには相手にない余裕がある。
 今は何やら小手調べか悪あがきか、頭部スペルマシンガンの斉射を繰り返してきていた。何度か装甲をかすめはしたが、それだけだ。

「無駄だっていうのがわからねぇかなぁ?」

 相手に判断材料を与えないために、もう通信は切っていた。このままなぶり殺してやろう……そう思った瞬間だった。

「おお?」

 敵が、じれたのか真正面から突っ込んでくる。スペルブレイドモードのV=GSを構えて。
 能力を使うまでもない、単純明快な突撃。堂々と最期を迎えようというプライドは、敵ながらあっぱれだった。

「へ、終わりだ。死ね」

 つぶやいて、相手の切っ先を楽々躱し、スペルブレイドでコックピットを貫いた。
 勝った。そう歓喜できたのは、一瞬だった。
 次の瞬間、貫いた敵がガラスのように砕け散り、その向こう側にあった光源……太陽を直視することになった。

「なっ……」

 何が……疑問に思う間に、視界の外、背後からぬっとあらわれた黒い左手が、頭部のメインカメラを抑えて視界を遮ってしまった。

「な、なんだ、どうなって!?」

 先ほどの余裕はどこへやら。焦りに焦った様子でモニターをサブカメラに切り替えていき、硬直した。
 待機状態のV=GSが、コックピットをまっすぐ貫く位置にぴたりと据えられていたからだった。
 それを見て初めて……相手に背後を取られたのだと理解した。

「どれだけ優れた力も、使うやつが愚図なら宝の持ち腐れだな」
「な、なんだと!? てめぇ、力ってのは何の」
「任意発動可能な未来予知。最大効果半径はおおよそ一〇メートル。予知可能な最大時間は約四〇秒、とまあ、こんなところか? お前の能力は」

 話だ。そう続けようとした言葉を遮りながらの相手の言に、アレクサンダーは絶望へと突き落とされることになった。何故なら……

(な、こいつ……どこで、それを……)

 ゼノンが、完全にアレクサンダーの能力を看破していたからだった。戦慄するアレクサンダーの耳朶を、ゼノンのため息が打った。

「……あのなぁ、始めた途端に魔力を駄々漏れさせながら攻撃前に回避行動に移ってりゃ、だれでも疑問に思うさ。それこそ、今このコックピットに同乗している貴族令嬢でもな。なんでこいつは事前に俺の意図を知ってるんだ? ってな」
「…………」
「疑問を持ってからは割と露骨に探りを入れてたんだが……それすらお前は気づきゃしねぇ。おかげで割合簡単に確証が持てたよ。スペルマシンガンの斉射、五秒刻みで二五秒から四五秒の間に納めていたの、最後まで気づかなかったろ?」

 そう言われて、初めて理解した。
 悪あがきとばっかり思っていたスペルマシンガン斉射……あれは、能力の効果時間を探るためのものだったのだ。

「確証が持てたらあとは簡単だ。四〇秒後に確実に勝利する未来を見せてやればいい。幻術を正面から突っ込ませて、急降下して下からお前の背後に回り込んだんだが……まさか、こんな簡単に引っかかってくれるとは思わなかったよ。自分の能力を極限まで過大評価し、相手の能力を極限まで過小評価する……そんな性根だからこんな稚拙なペテンに引っかかるのさ」

 最後の言葉とともに、ゴン、という重い金属音とともに、コックピットが鳴動した。V=GSの先端でコックピットハッチを小突いたのだ。
 その衝撃と振動に、アレクサンダーのはらわたが煮えくり返っていた。

「さぁ、お遊びはここまでだ。このままおとなしく降下すれば、下らん思惑に巻き込まれた不運な訓練生でいられるぞ。多少のお仕置きはあるだろうが、コックピットから降ろされることはなかろうさ。理解したなら武装を解除して……」
「ざっけんなああぁぁぁぁぁ!!!!」

 ここまで積み重ねた屈辱が爆発した。スラスターをふかして、衝撃波で相手の機体を吹き飛ばし、振り向きざまにスペルライフルの銃口を向ける。

「馬鹿が」

 吐き捨てるような、言葉。その瞬間、
 アレクサンダーの機体、その右腕が……ひじから先の前腕が握りしめたスペルライフルごと宙を舞った。
 V=GSで切り飛ばされた、切断面から火花を鮮血のように散らしながら。
 それとほぼ同時に、主翼も斬りおとされていた。異常を検知した機体のシステムがスラスターを制御し、不時着体勢に自動的に移行した……その瞬間に、コックピットハッチに蹴りが叩き込まれていた。

「がっ……」
「頭を冷やせ」

 衝撃で意識が途切れかけたアレクサンダーの意識に、そんなあきれたような声が響く。

(畜生……)

 それを最後に、アレクサンダーは意識を手放した。


「終わったようですね、陛下」
「結果はどうなりまして?」

 面白そうな口調の涼やかな声に、上品な老女の応えが重なる。

「予想通り、我がバカ弟子の圧勝です」

 そう答えてから、ふんと荒い鼻息が聞こえる。

「私の弟子ならば、あれぐらいは軽く乗り越えてくれなければ困ります」

 言ってる内容とは裏腹に、その声音にはどこか誇らしげな響きがある。

「あらまぁ……相変わらず、素直じゃないわね」

 昔から変わらぬ相手の気質に、老女は面白げに答えた。


 着陸させたプロトゼロを飛行中に用意してくれていたらしい仮設のキャットウォークに近づける。

「やれやれ……すまない、アンジェリーナ嬢。余計なトラブルに巻き込んでしまったな」
「いえ、謝らないでください……とっても、刺激的な一時でした」

 いたずらっぽく舌を出して笑う姿に、ゼノンも苦笑する。

「さあ、降りよう。食堂でコーヒーでもおごるよ」
「あの、それはありがたいのですが……」

 ゼノンの言葉に、少し目をそらしながら、ためらいがちに言う。

「……どうした?」
「ちょっと……腰が抜けてしまいまして……落ち着くまで、お待ちいただけたら……」
「あー……すまん」

 ほほを赤らめながらのアンジェリーナの告白に、ゼノンは微妙な表情でほほをかいた。

「シンシアに来てもらうよ。少し待っててくれ」
「はい」
「モニターは点けておく。気晴らしに外でも見ててくれ」

 そういって、ゼノンは踵を返した。
 宣言通りにモニターはそのままにハッチを開放して、コックピットを出ると、外にはイングリッドとシンシアが待っていた。

「錆びてないじゃない」
「黒き一角獣、健在なり、ってところですね!!」

 そういって、三人で惜しみない称賛を送ってくる。それが培われた理由を考えると素直には喜べないゼノンだったが、素直に受け取っておくことにした。
 微笑みながら、久しぶりに乗った最初の愛機を見上げる。
 降着姿勢で前面ハッチを開放した今は、装甲のそこかしこに赤いラインが浮かび上がっている。訓練中モード時に、コックピットハッチを開放したときに浮かび上がる、セーフティマーカーだった。これが出ている間は攻撃しないのが、フレームドライバーの間では暗黙の了解だ。
 そんな状態のプロトゼロを親指で指しながら、シンシアに声を変える。

「ありがとな。ところでシンシア」
「どうしました?」
「アンジェリーナ嬢に手を貸してやってほしい。ちょっと、疲れてしまってるらしい」
「あー……」
「疲れてるって……素人の貴族令嬢乗ってるのにあんたが機体ぶん回したせいでしょうが」

 ゼノンのしれっとした言葉に、あきれたように返すイングリッド。それにゼノンは苦笑する。

「仕方ないだろ? 美しい女性にブチかませって発破かけられたんだ。男としては答えないわけにいくまい?」

 偉そうなドヤ顔のゼノンに、女性陣はあきれるばかりだった。
 軍事基地らしからぬ、和やかな空気。そのせいか……この後に発生する緊急事態に、みな反応が遅れてしまった。


「はぁ!!」

 再びの気絶から覚醒し、アレクサンダーは周りを見回した。
 警告で赤く染まったコックピットの中、メインコンソールに目をやると、右腕とフライトユニットが破壊されたことを伝えていた。機体のシステムがひっきりなしにアラームを鳴らし、アレクサンダーに脱出を促している。

「……!!」

 屈辱だった。相手を追い詰めていたと思ったのに、遊ばれていたのはこっちの方で……こちらの力を、完全に実力で覆されていた。

「認めねぇ……」

 腹の底から……いや、地獄の底から絞り出すような、声。ギリギリと奥歯を強くかみしめて、ついにはかみ砕いてしまう。

「俺は、認めねぇぞ!!」

 コックピットの中で、叫んだ。


「よーし、ハッチを強制開放。搭乗者を引きずり出すよ」

 ラウラはのんびりと整備員たちに告げて、自分も不時着して大地に横たわるイクスレイヴⅡにゆっくりと近づいた。
 基地で整備兵などやっていると、コックピットで気絶した兵士を引きずり出す機会はそれなりにある。今回もそういう事態に陥っただけだ……そんなことを考えるでもなしに、何気なく機体に目を向ける。

「……?」

 その時、機体の関節部が不気味にきしんで、収縮した。それが何の動作の前兆なのか……マギアフレームを知り尽くしたラウラは一目で看破していた。

「全員離れろ!!」

 とっさの、叫び。それに反応して、機体に近づきかけていた何人かがとっさに飛びのいた、まさにその瞬間だった。
 全高17メートルの巨体が、ドンと、背筋力で跳ね上がるように立ち上がったのだ。
 機体の背骨をそらす反動を利用して直立状態に復帰する……ブロウアップ機動と俗称される操縦テクニックだった。逃げ遅れた何人かの整備兵が、機体が巻き起こす鳴動に巻き込まれて転倒、全身を地面に叩きつけられる。
 機体にとりついた整備兵がいなかったのは、不幸中の幸いだった。

「逃げろ!! 全員逃げろ!!」

 叫びながら、ラウラは自身もその場から駆け出していた。その言葉を裏付けるかのように、イクスレイヴⅡが待機状態のプロトゼロに向かって疾駆した。
 コックピットに、アンジェリーナが残されたプロトゼロに。


「なっ……」
「まずい!!」

 イングリッドとシンシアも、すぐに異変に気付いた。整備兵に限らず、友軍が周囲にいる状況でのブロウアップ機動……マギアフレームの危険性を知るものなら、絶対のタブーだ。
 起き上がったイクスレイヴⅡが、残った左マニピュレーターでスペルブレイドを抜き放ち、プロトゼロに向かって疾駆するのが見えて、イングリッドは血相を変える。
 間に合わない……その思考を、

(……!?)

 強大な魔力の波動と、

『来たれ』

 戦友の口から紡がれる、異界の言葉が遮った。


「え?」

 コックピットの中のアンジェリーナは、目の前の光景にそんな声を出すのがやっとだった。
 自分が乗り込むコックピットに向かって迫り来る、金属の巨人……その左手には、光の剣が携えられている。
 真っ直ぐに走り込んでくるその姿に迷いはない。敵を……自分が乗るこの機体を標的としているのがはっきりとわかった。
 コックピットに座っているだけのアンジェリーナには、どうすることもできない。
 死ぬ……その一念と恐怖がアンジェリーナを支配して、元々動けなかったカラダを更に硬直させてしまって……目をそらすことすらできず、迫り来る死を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
 間近に迫ったイクスレイヴⅡの左腕が、そのマニピュレーターに握りしめたスペルブレイドがコックピットに向かって振り下ろされる、その寸前、
 瑠璃色の光が、モニターを染め上げた。

「……!?」

 あまりに強烈な光に、アンジェリーナはその時になって初めて目をそらしていた。直視出来ないほどの、強い閃光だったのだ。
 何が……理解出来ないまま、腕で光を防いで……ややあって、光が収まった。
 恐る恐る目を開けて……目の前に現れた存在に、声と、先ほどまでの恐怖心を失っていた。
 何かが、イクスレイヴⅡの左腕を掴んでいた。
 優美で滑らかな曲線を主体に構成されたシルエットは、無骨さとは無縁の美しさだった。イクスレイヴⅡよりも頭一つ大型のそれは、人型の見た目だけならマギアフレームの一種かと思えるが、そのシルエットが醸し出す優美な美しさは兵器と言うよりも、甲冑のような美術品のそれを思わせた。やはり古き時代の兜を思わせる頭部、その額には剣のような一角が前方に向かって生えている。
 その背には、均整の取れたシルエットとは裏腹に、巨大な構造物が多数、まるで寄生するかのように取り憑いていた。
 一対の翼のその間には、折りたたまれてなお機体の全高を超える一門の砲が固定されており、機関部らしきところから生えている三対六枚の放熱フィンが背びれを思わせた。さらに、翼の根元、そこから伸びた太いアームに固定された一対二基の巨大な構造物が、目の前の機体の意匠を異形へと変えていた。
 下方の辺が異様に長い、いびつな六角形、そのまま機体を収められそうなほど分厚いそれの第一印象は……

「二つの……棺?」

 つぶやいて、改めて目の前の存在をはっきりと見て、わき上がってきた感情をそのまま声に出していた。

「……綺麗」

 どこか熱に浮かされたような、つぶやき。
 二基の棺を背負った、黒き一角の美しき騎士……それが、目の前に突如現れた存在への、アンジェリーナの印象だった。
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