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第十七話

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 その夜。アンジェリーナとデュラスが言い争っていた当たりの時間、とある機甲軍基地はいつにない喧噪に包まれていた。

「おらぁ、おまえらぁ!! 明朝には少佐がお越しになる!! 最高の状態で引き渡すぞ!!」
「「「「「了解!!!!」」」」」

 基地格納庫内に屹立する巨人の前で、ラウラは声を張り上げた。
 赤褐色のくせっ毛を揺らしながらの檄に、男たちの返答が返る。
 それを耳にしながら、目の前の巨人を感慨深く見上げた。
 これのコックピットに、少佐が……あのゼノン・マクシミリアンが再び座る。そう考えるだけでわくわくする。
 七年前、ゼノンも交えて繰り返した実証試験の日々を思い出すと、今でも胸が熱くなる。主力兵器『マギアフレーム』の戦術と整備ノウハウは、あの七年前にゼノン、それにフローレンスをはじめとした最初のパイロット達とともに、この自分が構築したのだ。
 全高17メートルの有人二足歩行型魔導兵器……前例のない形態のその存在の運用は困難の連続だった。適切な操縦方法の模索や部品の寿命の把握、携行した武装に応じた各部の調整……上げていけばキリがない。だから、文字通りの最初の一歩を踏み出したときの感動は、今でも忘れられなかった。

「これは何の騒ぎだ」

 その時のことを思い出して涙ぐんでいると、そこに水を差す横柄な声。
 振り向くと、この基地の形ばかりの司令官である、マクドゥガル大佐が不愉快そうな顔で立っていた。そんな不快感を押し隠して敬礼する。

「はっ、『ゼロ』の試験飛行を明日執り行うとのことで、メンテナンスしているところです」
「試験飛行? ……そう言えば、フローレンス殿下より通達があったな」

 思い出した、とでも言いたげにあごひげをなでながらそう言うマクドゥガル大佐。その目には、名状しがたい悪意が宿っていた。

「まぁ、何をするきか知らんが、私に恥をかかせるなよ」
「は、最善を尽くします」

 それだけ答えるラウラを不愉快げに一瞥して、マクドゥガル大佐は去って行った。

「…………」
「大尉、一体どうしたんです?」
「……飛べりゃいいと思ってたけど、予定変更だ。フル装備で少佐に渡すぞ」
「フルって……まさか、誘導弾もですか!?」
「そうだ」

 そう答えて、声をかけてきた部下を見据える。

「そのひげ野郎、なんかやらかすつもりだぞ」
「……少佐への悪感情は相変わらず、ですか……」
「ああ。それもあるから、あたしが機体に徹夜で張り付く。そっちは見回りを強化するよう、警備に伝えといてくれ」

 そう相手に伝えながら、自分の思い過ごしで終わるよう、祈らずにはいられなかった。


 翌朝。
 どうにかこうにかというか、いつの間にか眠っていたらしいアンジェリーナは、侍女のクレアが呼びかける前に目を覚ましていた。

「あのアンジェリーナお嬢様が殿方とデートだなんて……クレアはうれしゅうございます!!」
「大げさよ、クレア」

 寝起きの髪を梳かしながら感激したように言うクレアに、アンジェリーナは苦笑を返した。
 クレアは幼少の頃からアンジェリーナのおつきとして働いてくれている侍女だ。母がその働きぶりに惚れ込んで抜擢しただけあって、非常に優秀で良く気の利く女性だった。

「いいえ!! あの王太子と婚約してから、お嬢様は暗い顔ばかりなさっていました!! それが今日のように浮かれているのは久しゅうございます!! ともに暮らしてお世話させていただいてきたからこそ、それをうれしく思うのです!!」
「そ、そうかしら……」

 アンジェリーナに対して、信仰に近い感情を抱いているのは玉に瑕だったが。クレアの剣幕に少し引きながら、アンジェリーナは答えた。
 朝食を軽く済ませて身支度を整え、約束の時間を待った。
 事前に着替えをしやすい服装で、と指定をされていたので、シンプルで動きやすい、装飾の少ないドレスを選ぶ。きっと、乗馬でもするのだろう……その程度の気持ちだった。

「お嬢様、マクシミリアン様がお見えです」
「すぐに伺います」

 そう答えて、アンジェリーナは立ち上がった。

「やぁ、朝早くにすまないな」

 家令の案内で玄関まで向かうと、門前に立ったゼノンが軽く手を上げてそう言った。
 その背後には、一台の車が止まっている。モーターを切っていないのか、小刻みに振動を続けていた。
 今日のゼノンの出で立ちは、革のジャケットに同じく革のパンツと、学校での制服姿や王宮での訪問着とはまた違った活動的なものだった。
 今まで見たことのない活動的でラフな格好のゼノンに、少し頬を熱くしてしまう。

「いえ、構いません。時間通りにきていただけて安心しました」
「それは良かった。しばらく車での移動になるから、とりあえず乗るんだ」

 そう言って、最早慣れてしまった自然な動作でエスコートしてきて、

「あら?」

 助手席の方に案内されて困惑した。運転席が無人なのもそれに拍車をかけた。

「運転手がおりませんが……」
「ああ、俺が運転する」

 さらりと言われて、困惑してしまった。

「え? 運転をご自分で?」
「ああ。人に運転させるのはどうも苦手でね。この間王宮に逃げ込んだ時みたいに学校からとかだったら運転手を使うが、こういう私用の外出の時は自分でハンドルを握るんだ」

 そう言って、助手席のドアを開けて乗るように促された。

「……失礼します」

 同年代の男性の運転……初めての経験に、さすがに緊張気味に助手席に乗り込んだ。失礼かとは思ったが、シートベルトはしっかりと着用した。

「行ってらっしゃいませ、お嬢様!!」
「いってくるわね、クレア」
「マクシミリアン様!! くれぐれもお嬢様のことをよろしくお願いします!!」
「く、クレア!!」
「ああ、わかった。失礼も不愉快もないようにしよう」

 そう言って、ゼノンはゆっくりと車を発進させた。それを見えなくなるまでクレアが見送っているのが、ルームミラー越しに見えた。

「愛されてるな」
「……もうクレアったら……言われるこっちは恥ずかしいです」
「それだけ、使用人を大切にしてる証拠だろう? 誇った方がいいぞ」

 そんな風に答えるゼノンのハンドル捌きは、全く危なげがなかった。
 石畳の道路を進む車は、どんどんと都心から外れて郊外へと向かっていく。

「あの、どちらまで……」
「ついてからのお楽しみだ」

 にやっと、少し意地悪な微笑みを浮かべてそう答えるばかりで、少し不安になってしまうアンジェリーナだった。
 そんな不安をよそに車を走らせることおおよそ二時間。完全に街中から外れて広がったのは見渡す限りの荒野だった。そこで整備されている道路をひた走り、目的地と思わしきゲートが見えた。そのゲートを中心として伸びる広大な防護壁から上空に向かって、強固な魔力結界が張られている。

「ここは……」
「エイルスワース機甲軍基地、それが今日の目的地だ」

 困惑するアンジェリーナに答える楽しげな声は、マギアフレームの飛行音にかき消された。
 そのまま、ゼノンはゲートに車を入れる。ゲートの係員はゼノンの顔を見て、顔を綻ばせた。

「お久しぶりです、少佐」
「しばらくだな、グレン」

 そう言って、ゼノンは窓越しに書類を手渡した。受け取ったグレンは内容を検める。

「エミールは元気かい?」
「ええ、先日四歳になりました。元気盛りで妻もシッターと一緒にてんてこ舞いの毎日ですよ」

 確認を終えたらしい書類を返しながら、グレンは笑顔で答えた。

「また顔を見に来てやってください。ロニーも喜びます」
「そのうち、な」

 書類を受け取って、開放されたゲートの中へとゼノンは車を発進させた。
 ゲートからしばらく走ったところで、アンジェリーナは口を開く。

「あの、今の方は……」
「昔の戦友だ。負傷して前線は引いたがね」
「では、ロニーさんとは……」
「あいつの奥方だ。お察しの通り、エミールはその息子。俺が名付け親になったんだ」
「ゼノン様が?」
「夫婦そろって名付けてほしいって懇願されてね。気は進まなかったが、あいつの頼みじゃ断れん」

 言ってる内容に反して穏やかな顔でそう言うゼノンの姿に、アンジェリーナはゼノンと彼ら軍人との間の絆を実感した。


 来客用の駐車スペースに車を止めて、二人連れだって歩き出す、と。

「わぁ……」

 すぐ間近を、灰色の装甲と一対の翼を持つ巨人が大地を揺るがしながら歩いて行くのを、アンジェリーナは目を丸くして見上げた。

「マギアフレームを近くで見るのは初めてかい?」
「はい……こんなに大きいだなんて……」
「現行制式機、『イクスレイヴセカンド』だ。全高17メートル・本体重量46トン・全備重量55トン。まあ大体、王都の大聖堂と同じぐらい高さだな」
「そんなに大きいものが、あんなに滑らかに……」
「色々とそのための工夫はされている。まぁ、詳しいこと後々だな。今は目的地に行こう」
「目的地?」

 怪訝顔のアンジェリーナに、ゼノンはまたニヤリと笑った。

「格納庫さ」

 その答えに、アンジェリーナは不思議顔を返すばかりだった。


 ゼノンの先導で向かった先は、宣言通り一棟の格納庫だった。
 薄暗い中を進んでいき、目の前の光景にアンジェリーナは足を止めてしまった。

「え、えっと……」

 そこには、王国軍のエンブレムのパッチがついたツナギに身を包んだ男女の集団が、総勢で二〇名ほど整列していたからだった。
 目の前の状況に困惑したのはゼノンも同じらしかった。思わず、と言うように足を止めている。

「全員気をつけ!!」

 その集団の先頭にいる赤褐色のくせっ毛をした女性が、そんな怒声を張り上げた。

「ゼノン・マクシミリアン少佐に、敬礼!!」

 そう言って、全員が一斉に、ゼノンに向かって直立不動の敬礼をした。それをアンジェリーナは戸惑いながら見届ける。

「ラウラ大尉以下、第三整備中隊、参集しております!! 少佐の御座機を再び整備できたことを、光栄に思います!! 本日の試験飛行、本隊一同全力でサポートさせていただきます!! ご命令を!!」

 真っ直ぐな、力強い瞳でそう言う女性の姿と、その後ろでピタリと敬礼し続ける整備兵の面々の姿に、アンジェリーナはゼノンが彼らに強く慕われているのだとわかった。
 目の前の光景に、ゼノンははぁと特大のため息をついた。

「……やめたやつにそんな気を使うな」

 言ってる内容は不愉快げだったが、その声音には苦笑するような雰囲気があった。その雰囲気のまま、ゼノンは答礼し、腕を下げる。それに応じて、ラウラ達も腕を下げた。

「まぁ、集まって腕を振るってくれたことには感謝する。今日は無理を聞いてくれてありがとう。早速見せてくれ」
「はい!! こちらです!!」

 ラウラのその声に従って、整備兵の集団が左右に割れた。

「……!!」

 その先には、一機のマギアフレームが屹立していた。
 外で見た機体とは、細かい部分が微妙に違っていたが、全体的なシルエットは似通っていた。長い手足に貼りだした胸板。背中についた一対の翼……その中で、決定的に形状が違うのは頭部だった。
『イクスレイヴⅡ』の頭部は丸みを帯びていたように見えるが、こちらは人間で言うこめかみのあたりから前方に向かって一対の角が生えているのが特徴的だった。それらは全て、夜闇のような漆黒に塗られていて、その中の左肩部装甲には、盾の前で二振りの剣が交差した意匠のエンブレムが金色に輝いていた。

「『プロトイクスレイヴ試製零号』通称『プロトゼロ』。少佐のかつての愛機、いつでも出せます」
「そう言われるほど長くは使っちゃいないがな」
「あ、あのー……」

 そこでようやく、アンジェリーナは口を挟んだ。

「どうした、アンジェリーナ嬢?」
「結局……こちらで何をなさるのでしょう?」

 その言葉に、ゼノンは三度ニヤリと笑った。

「少しスリリングな空の旅、さ」
「え、と言うことは……」
「そうだ」

 そう言って、晴れやかな笑顔をアンジェリーナに向けた。

「俺の操縦で、一緒に飛ぼう!!」

 予想外すぎる事態に、アンジェリーナは立ち尽くした。


 女性兵士に取り囲まれて半ば連行された先で、とんでもないものを見せられた。

「こ、これは……」
「防護スーツです!! 少佐の後ろに乗るなら、これは必須ですよ!!」
「アンジェリーナ様と乗るのなら、無茶はしないと思いますが、念のためですよ!!」

 そう言って、スーツ片手ににじり寄ってくる女性兵士から後ずさる。
 当たり前の話だ。女性とは言え、初対面の人間に肌を晒すなど、貴族令嬢としてのモラルとプライドが許さなかった。

(こ、こんなの聞いてないわ……)

 予想外の事態に萎縮してしまう。だが、女性兵士の足は止まることがない。
 このままでは……なんて考えてしまったときだった。

「どきな、あんたたち」

 そんな聞き覚えのある声に顔を上げた。そこには、ソバージュのかかった緑色の神に眼鏡をかけた美女がいた。

「い、イルバーン先生?」
「や、ベルリエンデ嬢」
「私もいますよー」
「あなたは……!?」

 そう言って後ろからひょっこりと現れたのは、アレクサンダーの騒動で助けてくれた亜麻色の髪の女性……シンシアだった。

「どうしてここに……」
「あのバカが久々にゼロ飛ばす聞いたからね。まぁ、こんなこったろうとは思った」

 苦笑しながらそう言うイングリッドの言葉に、少しホッとする。

「その様子じゃ、何も聞いてないんでしょ?」
「はい……ただ、『軍での仕事が悪いことばかりじゃなかったと知ってほしい』とだけ……」
「あいつ……説明位しろっての」
「すいません。サプライズは逆効果って教えたつもりだったんですが……」
「あんたは悪くない!! 悪いのは、あの赤毛の遺跡バカよ!!」
「い、遺跡バカ……」

 現役の考古学者を捕まえて、ひどい言いようだった。

「で、どうすんの?」

 そう言って、アンジェリーナに水を向けてくる。

「どうって……」
「断るなら、今のうちですよ?」
「あのバカにはあたしからキツく言っといてやる。悪いようにはしないよ」
「…………」

 そう言われて、アンジェリーナは考える。
 確かに、予想外の内容で驚いたのは確かだ。こんなことをするとは思ってもいなかったから、ただただ驚きだけが今のアンジェリーナにはあった。
 けれども、一方で、空を飛んで何を見せてくれるのか、興味が沸いてきていた。

「……私、空を飛んでみたいです」

 決意を込めて、そう答えていた。

「あの方はきっと、軍での『思い出』を私に見せてくれようとしているのだと思います。私は、それがどういうものなのか……強く、興味がありますし、空の世界がどういうものなのか、この目で見てみたいのです!!」
「……決意、固そうだね」
「あの破落戸への対応の時にも思いましたけど、見かけによらず行動的だよね、あなた」

 そう言って二人は笑った。嫌いじゃない、そんな風に言っているように見えた。

「それじゃあ、あたし達が着替えを手伝うよ」
「手伝うって……自分でそれぐらいは」
「いや、このスーツ、結構着るのめんどくさいんですよ。私たちが手助けします」
「でしたら、お願いします」

 笑顔で、アンジェリーナは答えた。


 一足先にパイロットスーツに着替えたゼノンは、感慨深げにかつての愛機を見上げた。
 漆黒の装甲に、一対の翼、頭部の二本角。張り出した両肩の上部では一対二門の三次元可動砲塔がV字を作り上げている。

「また飛べるぜ、相棒」
「いかがです? エンジンと電子兵装を最新のものに換装してあります。コンバーターの増幅率も当時と比べて上がってますから、稼働時間も格段に延びてますよ」
「そうか。ところで……」
「何でしょう?」

 はぁ、と再びのため息をつくと、やおらラウラに向き直ったゼノンは、

「にゅああ!!」

 突然、その頬を両方引っ張った。

「な・ん・で、飛ばすだけっつったのにしっかり誘導弾まで爆装のフル装備になってるんだ?」
「いふぁいれすいふぁいれすいふぁいれす!! せ、せふへいしふぁすふぁら、はらひへ!!」

 その言葉に、ゼノンは仕方がないと言わんばかりの表情で手を離した。

「いててて……マクドゥガル大佐、覚えてます?」
「マクドゥガル? 終戦してからのこのこやってきてあれやこれや指図だけしてた男爵か」
「はい、実を言うと、今はこの基地の司令に収まってまして……ゼロの整備してるとこ見て、何か企んでるっぽい様子でしたから……」
「だから、フル装備にしたって? また、なんと言やいいのか……」
「私としても不本意ですよ? 今回の目的を考えたら訓練用の弾頭とは言え、誘導弾とか無駄の極みです。でも、何か余計なことしてきそうで……」
「まぁ、お前なりの気遣いか……」

 そう言って、ゼノンはプロトゼロを見上げた。

「今から外すわけにもいかんか……このまま飛ぶわ」
「了解です」
「お待たせしました」

 控えめな声に振り向くと、耐G防護スーツに身を包んだアンジェリーナが立っていた。その傍らには……

「イング姐、シンシア……」
「どうしてここに、とか聞くなよ遺跡バカ」
「少佐がチョンボやらかさないか……それを写真に撮らねばと心配で」
「もうやらかしてるけどね……全く、アンジェリーナ嬢の着替えとかどうするつもりだったんだい?」
「……面目ない」

 何が起こったのか、イングリッドの口ぶりから察したのだろう。小さくなってそう謝った。

「あ、あのゼノン様、私は大丈夫です」

 そう言うアンジェリーナの頬は赤く、胸を隠すように腕を組んでいる。それも当然だろう。着せられたスーツは、体にぴったりと張り付いて、彼女の体型が完全に露わになっていたからだ。女性らしく丸みを帯びた胸や腰がくっきりと浮き出ていて、その要所要所を薄い装甲板が防護していた。
 魔力結界方式の耐G防護スーツ。訓練を受けたゼノン達はともかく、初めて乗るアンジェリーナのような民間人には必須の装備だ。

「この格好はその……少し恥ずかしいですが、あなたの思い出を知れるのなら、苦ではありません!! そ、それでは早速乗りましょう!!」
「あ、ああ、わかった」

 アンジェリーナの意を決したという様子に、さすがに少し戸惑ってしまう。そこに、ドンと、イングリッドがゼノンの肩に腕を絡めてきた。

「い、イング姐?」
「嫁入り前のご令嬢にあそこまで言わせたんだ……きっちり責任とってきな!!」

 そう言って、バシンとゼノンの尻をひっぱたいた。


 機体の前面装甲に向かって渡されたキャットウォークを伝って、ゼノンとアンジェリーナはプロトゼロに近づく。
 アンジェリーナは、このキャットウォークに上がる前に、ヘルメットをかぶせられていた。前面がガラス張りのそれは、制式の装備の一つらしかった。

「足下に気をつけて。最低限の柵しかないから、足滑らせたら真っ逆さまだよ」
「わ、わかりました」

 そんな言葉を交わしているうちに、機体にたどり付いた。
 どうするのかと見ていると、ゼノンが装甲の隙間に手を突っ込んで、何かを引いた。すると、バシュッと言う音を立てて、前面の装甲が跳ね上がるように開いた。
 機体の前面ハッチを開放したのだ。
 先にコックピットに足を踏み入れたゼノンが、手を伸ばしてくる。その手を取って、彼に引かれて、コックピットの中へとアンジェリーナは足を踏み入れた。
 その中はアンジェリーナの想像よりも広かった。ただ、目にした目の前のシートの形には少々面食らってしまった。
 人が座るスペースを中心に、手足を差し込むらしい機械がついているのが見えたからだ。知識のないアンジェリーナには、まるで拷問器具か拘束具のように見えた。

「君は後部のコパイロットシートに座るんだ」
「わかりました」

 ゼノンの案内でコックピットの奥に入っていくと、そこには前部のシートよりも普通の席だった。革張りのシートの周りに何やら電子機器が無数に配置されている。

「君は何もしなくていい。ここに座っててくれ」
「はい」

 ゼノンのエスコートでシートに座る。それを確認したゼノンは、

「ちょいと失礼」

 そう言って、アンジェリーナの座ったシートの両側からベルトを引き出して、アンジェリーナの下腹部当たりで接続する。両肩の後ろからも一対のベルトを伸ばして、下腹部のベルトと繋いだ。
 四点支持のシートベルト。流石にここまで大きいと安全措置も厳重になるんだな、と感心した。

「車のものよりも、分厚いのですね」
「戦闘機動すると上下左右どこにでも揺さぶられるからな。これぐらいしないとすっぽ抜けて投げ出される」

 関心したようなアンジェリーナにそう説明したゼノンは、前方に回ってパイロットシートに座ると、両脚を筒状の機械に突っ込んだ。
 それに反応してゼノンの靴底をラッチが固定、開いていた筒が閉じてゼノンの脚を固定する。

「レッグコントローラーロック。前面ハッチ閉鎖。M・Eコンバーター始動。同調開始」

 ゼノンの言葉に答えるかのように、機体前面のハッチが閉じ、きぃんと甲高い音がして、コックピット内のモニター・計器類が一斉に点灯する。驚くべきことに、コックピットの壁や床と思われていた場所は、全て外部の映像を映し出すモニターだった。機体の背後どころか、足下や頭上も全てはっきりと見えて、実際の広さに反してとてつもない開放感をアンジェリーナに与えた。
 シートの背もたれ越しに首を伸ばして前を見ると、計器類を操作するゼノンの両手が見えた。
 その手つきには、全くよどみがない。熟練したもの特有の、迷いない動作だった。

「マナ・エナジウム臨界、魔力同調完了。エンジン出力係数七六〇〇で安定。各部マナ・エナジストに魔力投影、リアクションを確認、思念操作システムオープン。流体人工筋肉反応良好、マスタースレイブ動作再現倍率二・八。FCS接続、メインウェポンにV=GSヴィ・ジスを選択、右マニピュレーターで把持」

 最後の言葉とともに、ガコンと右側で大きな振動が起こった。
 メインウェポンという言葉が何を指すのか、それぐらいはアンジェリーナにも想像がついた。

「あ、あの、メインウェポンって……」
「ああ、使うことはないから安心しなよ。機体の調整の問題で、武装も保持しないとバランス良く飛べないんだ」
『そうですよぉ』

 そのゼノンの言葉を補足するかのように、敬礼で出迎えた女性兵士……ラウラが通信で割り込んできた。

『少佐は盾をお持ちにならないから、バランサーの調整がいつも大変なんです。今回も左右スラスター出力の調整に骨が折れましたよ』
「いつもすまんな」
『いえいえ、私たちはパイロットの命を預かってます。誰が乗ろうと、機体に何かがあったら死ぬのはパイロットです。今日も、無事に帰ってきてくださいね』
「アンジェリーナ嬢も一緒だ。無茶はしないよ」

 そう言って、ゼノンはヘルメットをかぶった。カチリと、スーツの首元に接続される金属音が響く。

『マクシミリアン少佐。そこにアンジェリーナ・ベルリエンデ公爵令嬢が同乗していると聞きましたが、確かでしょうか?』

 その時、突然そんな通信が割り込んできた。

「……人にものを聞くなら名乗れ、若造」
『も、申し訳ありません……わたくし、ジョシュア・リーランド中尉と申します』

 不愉快げな様子を隠しもしないゼノンの言葉に、通信を入れてきた男……ジョシュア・リーランドはそう言った。

「リーランド?」
『アレクサンダーの兄です』
「あの破落戸の兄貴か。発進直前に何用だ?」
『は、はい……ベルリエンデ公爵令嬢、この度は、愚弟がとんでもない失礼を働いたとのこと……平に謝罪いたします、申し訳ありませんでした』

 平身低頭といった体で、ジョシュアはそう言った。
 正直言って、アンジェリーナは不愉快だった。お楽しみが始まるかと思いきや、こんなわけのわからない水を差されて平気な人間はおそらくいない。と言うか、

「謝るというのなら、直接面と向かってお願いしたいところです」
『そ、それは……今日になって、あなたが訪問すると知りまして……急ぎ、駆けつけた次第でございます』
「用がそれだけなら切るぞ。発進シークエンスの途中なんだ」
『申し訳ありません。アンジェリーナ嬢、戻ってきたら正式な謝罪を』

 言い終わる前に、ゼノンは通信を打ち切った。

「全く……実戦だったら指揮所からつまみ出されてるぞ」
「何と言いますか……空気を読んでほしいです」
「……君にそこまで言わすとは、兄弟そろってボンクラだな。いよいよあの世の先代侯爵が泣くぞ」

 その言葉を潮に、ゼノンは気を取り直したかのように両腕を左右の筒に突っ込んで、先端のグリップを握りしめた。
 ガチンと、金属音がして筒……アームコントローラーがロックされたことを周囲に伝えた。

「アームコントローラーロック。システムオールグリーン。プロトゼロ・レディ!!」

 その宣言に反応してか、機体を固定していたアームが一斉に開放されて、機体の戒めが完全に解かれた。
 それを確かめるように一歩を踏み出すと、想像よりも上下運動も振動も少なかった。金属の足が大地を踏みしめる衝撃音だけが、集音装置でコックピット内に響き渡った。
 そのままゆっくりと、一歩一歩足を進めていき、正面の開放された扉から屋外へと踏み出した。

「さぁ、飛び立つぞ、ここから少し揺れるし、体にGもかかる。そのスーツが大部分は緩和してくれるが、それでも全くゼロじゃない。少し、覚悟していてくれ」
「わかりました」

 そう言われて、気を引き締める。

「プロトゼロ、離陸する」

 そう言うと、元々聞こえていたきぃんという音が更に甲高くなっていき、それとともにコックピットに振動が伝わってくる。その数秒後に、機体が浮き上がり始めた。

「本当に……飛んでる……」

 ここまで大きなものが空を飛ぶ……想像もしたことがない現象に、アンジェリーナは文字通り乗り込んでいた。

「垂直上昇は負担が大きい。なるべく時間をかけて、旋回上昇する」

 すると、機体がゆっくりと傾いて、螺旋を描くように飛び始めた。徐々に、高度が上がっていく。

「あの、どこまで上がるのでしょうか?」
「そうだな……目的高度は15000メートルってところだ」
「いち……」

 想定外の返答に、アンジェリーナはそれきり絶句してしまった。
 そして、今になって、高い場所を……飛空魔術では到底到達し得ない高空を飛んでいる、と言うことを実感してしまった。
 途端に、足下含めた全方位に投影された外部映像に、恐怖を感じて足がすくんでしまった。

「こ、こんなの……想像もしませんでしたっ!!」
「はは、なかなかできない体験だろう?」
「で、できれば体験したくありませんでした……ああ、地面がもうあんなに小さい……」

 更衣室でイングリッドに語った言葉はどこへやら、アンジェリーナの声音は恐怖で染まっていた。

「怖いなら、目をつぶっているんだ。目的高度の達したら、声をかけよう」

 それに気を悪くした風もないゼノンの言葉に、アンジェリーナは全力で甘えた。が、

(め、目を閉じたら逆に怖いわ!!)

 目を閉じると、その分、機体の騒音や振動を生々しく感じてしまって、アンジェリーナは目を閉じたことを後悔した。
 早く、この時間が終わってほしい……そんなことまで考えてしまったときだった。

「アンジェリーナ嬢。少しの間でいい。目を開けてごらん」

 そんなゼノンの声を聞いて、どうやら自分で思っている以上に時間が経っていたらしいと理解して、同時にゼノンが見せたい場所に達したのだとも察して、恐る恐る、目を開けて。

「はぁあ……」

 目の前の光景に、そんな、ため息じみた吐息しか出ないほど、アンジェリーナは目を奪われた。
 どこまでも広がる、青。
 雲一つない蒼穹が、果てなくどこまでも続いていて、まるで自分を抱きしめてくれるみたいな柔らかさを感じさせる、澄み切った青。どんな宝石も、この空の美しさには叶わない……自然と、そう思えるほどの、見たこともない綺麗な青空の真っ只中に、アンジェリーナはゼノンと二人っきりだった。
 気がつけば、そこまで感じていた恐怖は消えていた。
 アンジェリーナが見やすいようにか、ゼノンはゆっくりと機体を旋回させる。
 想像よりも柔らかい日差しと、澄み切った青空のコントラストに、アンジェリーナは声も出なかった。

「どうだい?」

 そんなアンジェリーナの様子に、ゼノンが声をかけてくる。
 なぜか、得意げに微笑んでいるんだと、はっきりとわかった。

「地面に立ってるときは、こんな光景想像したこともないだろ?」
「はい……知りませんでした」

 ぼうっと、空に見蕩れてあまりうまく回らない思考の中で、アンジェリーナは答える。

「空って、こんなに広くて、高くて……大きかったのですね……」

 まるで、恋文を読み上げるような熱に浮かされたアンジェリーナの答えが、ゼノンの耳朶を柔らかく打った。
 二人を歓迎するかのように、雲一つない青空があり続けた。
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