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第十六話
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「よお、邪魔するぜ」
ドアが開く音ともにそんな声をかけられて、執務室に顔をそろえていた王族三人……アルハザード・フローレンス・レオナルドは顔を上げる。
「……来るのは構わんが、ノックくらいしたらどうなんだ?」
声の主……ゼノンに向けて、アルハザードは呆れ混じりに返答した。ジトッとした半眼も添えての嫌味だったが、ゼノンはどこ吹く風だった。
「三人そろってたか」
「こんにちは、兄さん」
「ごきげんよう、ゼノン」
「三人ともいるなら都合がいい。ちょっと野暮用なんだがよ」
「野暮用? 一体どうした?」
執務机を囲んでいた三人を代表して、アルハザードが問いかける。
「次の休日までに、エイルスワースに預けてあるゼロを整備しておいてほしいんだ」
「ゼロを? ちょっと待て……」
そのゼノンの言葉に、フローレンスが戸惑い混じりに問いただす声を上げた。
「ん? もしかして解体したか?」
「いや、あれを解体するわけがなかろう……そうじゃなくて、一体何に使うんだ?」
「私も気になります、兄さん」
「私もだよ。あれは特別な機体だ。唐突に引っ張り出して何をするつもりだ?」
「実はちょっとな……」
最後のアルハザードの疑問に、ゼノンは頭をかきながら答える。
「久しぶりに、あいつを飛ばしてやろうって思った、と言うのが一つ、もう一つは……」
そこで、ゼノンの言葉が止まる。その光景は、ここに集まった王族には驚くべきものだった。いつも飄々としていながら実力に裏付けられた自信を隠しもしないその有り様を、三人とも好ましく思っていたからだ。
そのゼノンが、言い淀んでいる……何事かと耳を傾ける。
「もう一つは……あるご令嬢に、空の世界を見せたくてね」
「アンジェリーナ嬢だな」
「アンジェだな」
「アンジェリーナお義姉様ですね」
その言葉を聞いた三人は、矢継ぎ早に口を開いた。
ここのところ噂になっている二人の逢瀬、先ほど耳に入ってきたサロンでの密会……それと合わせて考えれば結論は一つであった。
その相手の様子にゼノンは戸惑った。
「いや、だからあるご令嬢……」
「わかったわかった、アンジェを乗せるならコパイシートのクッションを効かせておくように伝えておこう」
「お義姉様は飛空魔術も嗜んでおられますが、あまり飛ばしすぎないでくださいよ? 戦闘機動の経験はお持ちでないはずですから」
「久々に飛ぶと言うから何かと思えば……気になるアンジェリーナ嬢を喜ばせるためとは……年頃らしい無茶だな、お前にしては珍しい。何か悪いものでも食べたか?」
「……もういい、とにかく頼んだぞ」
憮然とした顔のゼノンに、フローレンスが代表して答える。
「なぁに、元々ゼロの整備は定期的に行われている。いつお前が戻ってきてもいいようにってね。ラウラも喜ぶぞ」
「戦技構築に関しちゃとっくにお役御免の身だ。戻ることはねぇよ」
「できれば、お前には教官になって貰いたいんだがな」
「全力でお断りだ。本業もそれなりに軌道に乗ってきたんだ。踏ん張りどころでよそに行くかよ」
「そうか……残念だ」
「ゼノン、丁度いい」
「どうした? アル」
会話の切れ目を狙って、アルハザードが声をかけてくる。その顔には、一種の諦念が浮かんでいた。
「今年の卒業記念の夜会だがな」
「例年通りで処理してくれ」
「……やはり、欠席か」
ゼノンの返答に、ため息をつく。
「当たり前だ。平民が紛れ込んでいい場所じゃねぇだろう」
「兄さん、いい加減平民を装うのはおやめになった方がいいのでは?」
「よしてくれ、ああいう世界は俺には合わん」
ゼノンもはぁと、ため息をついた。
「……装星機と聖騎士の件がなけりゃ、そもそもあの話自体受けなかったよ」
「受ける受けないと言うより、選択肢などなかったものな」
「そう言うこと。腹黒妖怪ババアに外堀埋められなけりゃとっととトンズラこいてたよ。まっ、この話はまた別の機会にしよう。ゼロの件、頼んだぞ」
あからさまかつ強引に話題を打ち切って、ゼノンは執務室を逃げるように出て行った。
残された三人の空気が弛緩し、なんとも言えない沈黙が降りる。
「やれやれ……社交嫌いは相変わらずか」
「あまりに社交界に現れないからか、未婚のご令嬢の間では兄さんについて無責任な噂が一人歩きしてるそうですよ。醜い顔をしてるから人前に出られないだの、戦争で正気を失ったから幽閉されてるだの、想像力が豊かすぎて逆に関心してしまうほどです」
「それで、その隙を突いてあわよくば、なんて考えてる行き遅れも大勢いるなんて話だな」
「まぁ、正式に叙爵されて初めての夜会で、あやつ自信散々な目に遭っているからな。あれは我々の配慮も足りなかった」
「その時のこと、頑なに話してくれないんです。何があったんですか?」
事情を知らないレオナルドの問いに遠い目で答えるのはフローレンスだ。
「……若年での叙爵と言う物珍しさに加え、婚約者がいなかったことからあっという間にご令嬢方に取り囲まれてな……それはもう上から下まで視線でなめ回されながら質問攻めに遭ったらしい。最後は爆発したみたいな絶叫を上げて会場から逃げ出した。サーカスのサルの方がまだマシだと吐き捨てていたよ」
「そ、それは……」
レオナルドは引きつった顔でそう言うのが精一杯だった。その光景が容易に想像できたからだ。
未婚や婚約者のいない貴族令嬢の夜会での圧は、想像以上に大きく、強い。ここにいる王族のように普段から他人の悪意や好奇心に対する訓練を受けていれば受け流すことができるが、つい先日まで平民だった当時のゼノンには耐えがたいものだったのだろう。血の繋がらない兄に強く同情した。
当時のことはアルハザードとフローレンスにとっても苦い思い出なのか、むずかしい顔のままフローレンスが話題を変える。
「それにしてもよりによって妖怪ババアとは……命の恩人捕まえてひどい言い草だな」
「仕方がなかろう。かの公爵令嬢とともにゼノンを取り押さえたのはその妖怪ババアだからな。同時に、真っ当に生きていける筋道を立てたのも彼女だが」
「それを兄さんに言ったら、多分『頼んでない』って答えますよ」
「だとしても、一応係累に加えられたのだから、少しは敬意を払って貰いたいものだ」
「……いずれにしても、だ」
アルハザードの改まった口調に、フローレンスとレオナルドはそちらに目を引かれた。
「アンジェリーナ嬢とデートとは……また、デュラスが荒れるぞ」
はぁ、とこれからのゴタゴタを想像してのため息は、間違いなく今日、一番重かった。
「どういうつもりだ!? アンジェリーナ!!」
約束の前夜、外遊から帰国するなり私室に押しかけてきた父の――予想通りの――怒声に、アンジェリーナは読んでいた本から顔を上げた。
「お帰りなさいませ、お父様」
「挨拶などいい!! 一体何のつもりなんだ!?」
「何の……とは?」
「とぼけるな!! あの男とのことだ!!」
すっとぼけるアンジェリーナに三度の怒声をかぶせる父の姿に、ため息をつきながらしおりを挟んで本を閉じる。その表紙には『古代への邂逅 メトラ朝の隆盛と滅亡』とあった。帰り際に借りたゼノンの著書だった。
「サロンで人払いしての密会など……一体何を考えておる!!」
「お父様、それはあの方なりの気遣いですわ」
「気遣い!? あらぬ噂を立てることの何が気遣いなのだ!!」
「……先日、学院で侯爵令息に迫られました」
端的に事実を告げる口調に、父は言葉を失った。同時に、心を満たしていた怒りが急速にしぼんでいくのがわかった。思いがけない事実に冷静になったらしい。
「侯爵令息……? 誰だ?」
「アレクサンダー・リーランド侯爵令息です」
「リーランドの不良息子か」
父の言葉に頷く。不良息子。アレクサンダーの素行の悪さから、いつしか囁かれるようになった陰口だった。
「そうです。かなり強引に迫られて……というより、絡まれました。目的は明らかです」
「……お前との婚約か」
「おそらくは。当主亡き後のリーランド侯爵家は確か夫人が取り仕切っていたはずですが、その兄君があれこれ口出ししているとも聞きます。大方、そちらの方からくだらないことを吹き込まれたのでしょう」
「それがどう、やつと繋がる?」
父の問いにその時のことを思い出して、頬が熱くなる。
「実は、追い払えなくて困っていたところを、あの方に……ゼノン様に助けていただいたのです。私が絡まれていたことで、殿下の犯行が漏れていることも含めて、状況を把握されたようでして、わたくしが陛下のご戦友と懇意にしている噂を流して、そう言う手合いが増えないように釘を刺す……あの方はそうおっしゃっていました」
淡く頬を染めるアンジェリーナの言葉に、父は苛立ちを隠しもせずに口を開く。
「……だったら、私の方で次の婚約を見繕う。やつを頼る必要などない」
「あら、あの方の本当の爵位を考えれば、これ以上に頼もしい味方はいないと思いますが?」
アンジェリーナのその返答に、デュラスの顔が凍り付いた。
「ゼノン様は、実際は平民ではないのでしょう?」
「な、何の話だ」
「とぼけないでくださいませ。市井の平民に公爵令嬢をエスコートなどできないでしょう?」
「や、やつから……聞いたのか?」
「いいえ、ご本人は変わらず平民と名乗っておられます。ですが、陛下をはじめとした王族との交友や、見事な作法を見れば、大方の素性は想像できますわ」
アンジェリーナは、父の目を見据える。
「噂の通り、社交嫌いでいらっしゃるようですし」
「……それ以上は言うな。お前の想像が当たっていたとして、それを他の貴族がどう思うか……」
「気に食わないでしょうね。平民からの成り上がりなんて」
「わかるなら、お前も距離を置いてだな……」
「申し訳ありません。手遅れです」
「何?」
そう言ったアンジェリーナは、いよいよ顔を真っ赤にしてしまった。
「実は……明日に、一緒に出かける約束をしまして……明朝、迎えに来てくださることになっています」
「……………………はぁ?」
それっきり、デュラスは絶句してしまった。
「行き先は聞かされておりませんが、軍隊でのお仕事が悪いことばかりじゃなかった、と知ってほしいとおっしゃっていましたので、何を体験させてくださるのか、楽しみにしておりますの」
「……そ、それを……」
「お受けいたしましたわ」
青ざめるデュラスとは対照的な涼しい顔で答えて、テーブルのティーカップを手に取った。
「お前……自分の立場がわかっているのか?」
「王太子殿下の婚約者でございます」
「それならば、なぜ!!」
なぜ。父に問われて初めて、アンジェリーナは真剣にその理由を考え、言葉にする。
「……あの方が、光だからです」
「光?」
「はい。わたくしの行く手に立ち込めていた、暗雲を晴らしてくださった光です。その導きの先に何があるのか……知りたいと思いました」
「…………」
理解できない。絶句しきった父の顔には、そう書いてあった。
「……お前は、どうしてしまったのだ……」
「どうもしていません。ただただ強く、そう思っているだけなのです」
「……あやつが何をして生き延びたのか、知った上で言っているのか?」
何をしたのか。戦争で憑依された戦友を殺したことを言っているのだろう。
「何をしていたとしても、御国に仕える防人であった以上、戦での行動の責は我がリーズバルトが背負うべきでしょう。それとも、あの方個人が責任を取らねばならないような間違いを犯したと言うことでしょうか?」
鋭く父親の目を見据えながら、アンジェリーナは言った。
この問いに、父が答えられるわけがない。答えると言うことは、父の方はまだアンジェリーナが知らないと思っている戦争の真実を明かさなければならないと言うことだ。
その当事者との交流にさえもいい顔をしなかった父が、自分からそれをアンジェリーナに話すはずがなかった。その確信通り、苦虫を噛み潰したような顔をアンジェリーナに向ける。
「……後悔するぞ」
「それにはすっかり慣れました」
そう言って、父に微笑みかける。
「ですので、どうせなら思うように行動してから後悔したいと思います」
にこりと微笑むアンジェリーナに、もう父は何も言わなかった。
その夜、寝室のベッドの上で、アンジェリーナはもう何度目になるのかわからない寝返りを打って、内心渋面を作った。
「…………」
(ね、眠れないわ!!)
考えてみれば、異性とのお出かけなど初めてのことだ。経験したことのない事態への昂揚が、アンジェリーナの目を冴えさせていた。
「な、何か考え事していれば眠れるかしら……」
何か。何を考えるのか……自然と、ゼノンのことを想う。
「……光」
父に向けて言った、ゼノンへの比喩をポツリとつぶやく。
そう、ゼノンは自分にとって光だ。初めて会ったあの朝、アーノルドの拳を止めてくれたあのときから、自分は彼に惹かれていたのだろうと、今になって自覚した。
(本来なら、君もしばらく休むべきだよ)
助けてくれた時の、ゼノンの言葉を思い出す。
考えてみれば、そんな風に正面から自分のことを気遣う言葉をかけられたのは、父や親友達をのぞけばゼノンだけだ。
彼は、自分に一人の人間として接してくれたのだ。
王太子の婚約者。未来の王妃。完璧な淑女。令嬢の模範……自分を褒めそやす言葉を上げていくとキリがない。
だけど、アンジェリーナを一人の女として見てくれたのは、間違いなくゼノンだけだったのだ。
普段は飄々としているが、それが意図した態度と言うことは、とっくにアンジェリーナは理解していた。そんな中で、アーノルドの拳を止めたときや、アレクサンダーを叱責したときの態度に、強い凜々しさを感じて、それを時折面に挿す愁いを帯びた『陰り』が――おそらく本人としては不本意にも引き立てていた。
もの悲しい過去を持った、元軍人の考古学者。
その過去を知ったとき、自分は言った。悲しみを聞き届けられると。共に故人の安らぎを祈ることならできると。
そして……その時に、あなたのことを抱きしめる、と。その時のことを思い出して、更に顔を真っ赤にしてしまった。
(こ、これでは却って眠れないわ……)
悶々とした内心を抱えたまま、アンジェリーナはベッドで寝返りを繰り返した。
ドアが開く音ともにそんな声をかけられて、執務室に顔をそろえていた王族三人……アルハザード・フローレンス・レオナルドは顔を上げる。
「……来るのは構わんが、ノックくらいしたらどうなんだ?」
声の主……ゼノンに向けて、アルハザードは呆れ混じりに返答した。ジトッとした半眼も添えての嫌味だったが、ゼノンはどこ吹く風だった。
「三人そろってたか」
「こんにちは、兄さん」
「ごきげんよう、ゼノン」
「三人ともいるなら都合がいい。ちょっと野暮用なんだがよ」
「野暮用? 一体どうした?」
執務机を囲んでいた三人を代表して、アルハザードが問いかける。
「次の休日までに、エイルスワースに預けてあるゼロを整備しておいてほしいんだ」
「ゼロを? ちょっと待て……」
そのゼノンの言葉に、フローレンスが戸惑い混じりに問いただす声を上げた。
「ん? もしかして解体したか?」
「いや、あれを解体するわけがなかろう……そうじゃなくて、一体何に使うんだ?」
「私も気になります、兄さん」
「私もだよ。あれは特別な機体だ。唐突に引っ張り出して何をするつもりだ?」
「実はちょっとな……」
最後のアルハザードの疑問に、ゼノンは頭をかきながら答える。
「久しぶりに、あいつを飛ばしてやろうって思った、と言うのが一つ、もう一つは……」
そこで、ゼノンの言葉が止まる。その光景は、ここに集まった王族には驚くべきものだった。いつも飄々としていながら実力に裏付けられた自信を隠しもしないその有り様を、三人とも好ましく思っていたからだ。
そのゼノンが、言い淀んでいる……何事かと耳を傾ける。
「もう一つは……あるご令嬢に、空の世界を見せたくてね」
「アンジェリーナ嬢だな」
「アンジェだな」
「アンジェリーナお義姉様ですね」
その言葉を聞いた三人は、矢継ぎ早に口を開いた。
ここのところ噂になっている二人の逢瀬、先ほど耳に入ってきたサロンでの密会……それと合わせて考えれば結論は一つであった。
その相手の様子にゼノンは戸惑った。
「いや、だからあるご令嬢……」
「わかったわかった、アンジェを乗せるならコパイシートのクッションを効かせておくように伝えておこう」
「お義姉様は飛空魔術も嗜んでおられますが、あまり飛ばしすぎないでくださいよ? 戦闘機動の経験はお持ちでないはずですから」
「久々に飛ぶと言うから何かと思えば……気になるアンジェリーナ嬢を喜ばせるためとは……年頃らしい無茶だな、お前にしては珍しい。何か悪いものでも食べたか?」
「……もういい、とにかく頼んだぞ」
憮然とした顔のゼノンに、フローレンスが代表して答える。
「なぁに、元々ゼロの整備は定期的に行われている。いつお前が戻ってきてもいいようにってね。ラウラも喜ぶぞ」
「戦技構築に関しちゃとっくにお役御免の身だ。戻ることはねぇよ」
「できれば、お前には教官になって貰いたいんだがな」
「全力でお断りだ。本業もそれなりに軌道に乗ってきたんだ。踏ん張りどころでよそに行くかよ」
「そうか……残念だ」
「ゼノン、丁度いい」
「どうした? アル」
会話の切れ目を狙って、アルハザードが声をかけてくる。その顔には、一種の諦念が浮かんでいた。
「今年の卒業記念の夜会だがな」
「例年通りで処理してくれ」
「……やはり、欠席か」
ゼノンの返答に、ため息をつく。
「当たり前だ。平民が紛れ込んでいい場所じゃねぇだろう」
「兄さん、いい加減平民を装うのはおやめになった方がいいのでは?」
「よしてくれ、ああいう世界は俺には合わん」
ゼノンもはぁと、ため息をついた。
「……装星機と聖騎士の件がなけりゃ、そもそもあの話自体受けなかったよ」
「受ける受けないと言うより、選択肢などなかったものな」
「そう言うこと。腹黒妖怪ババアに外堀埋められなけりゃとっととトンズラこいてたよ。まっ、この話はまた別の機会にしよう。ゼロの件、頼んだぞ」
あからさまかつ強引に話題を打ち切って、ゼノンは執務室を逃げるように出て行った。
残された三人の空気が弛緩し、なんとも言えない沈黙が降りる。
「やれやれ……社交嫌いは相変わらずか」
「あまりに社交界に現れないからか、未婚のご令嬢の間では兄さんについて無責任な噂が一人歩きしてるそうですよ。醜い顔をしてるから人前に出られないだの、戦争で正気を失ったから幽閉されてるだの、想像力が豊かすぎて逆に関心してしまうほどです」
「それで、その隙を突いてあわよくば、なんて考えてる行き遅れも大勢いるなんて話だな」
「まぁ、正式に叙爵されて初めての夜会で、あやつ自信散々な目に遭っているからな。あれは我々の配慮も足りなかった」
「その時のこと、頑なに話してくれないんです。何があったんですか?」
事情を知らないレオナルドの問いに遠い目で答えるのはフローレンスだ。
「……若年での叙爵と言う物珍しさに加え、婚約者がいなかったことからあっという間にご令嬢方に取り囲まれてな……それはもう上から下まで視線でなめ回されながら質問攻めに遭ったらしい。最後は爆発したみたいな絶叫を上げて会場から逃げ出した。サーカスのサルの方がまだマシだと吐き捨てていたよ」
「そ、それは……」
レオナルドは引きつった顔でそう言うのが精一杯だった。その光景が容易に想像できたからだ。
未婚や婚約者のいない貴族令嬢の夜会での圧は、想像以上に大きく、強い。ここにいる王族のように普段から他人の悪意や好奇心に対する訓練を受けていれば受け流すことができるが、つい先日まで平民だった当時のゼノンには耐えがたいものだったのだろう。血の繋がらない兄に強く同情した。
当時のことはアルハザードとフローレンスにとっても苦い思い出なのか、むずかしい顔のままフローレンスが話題を変える。
「それにしてもよりによって妖怪ババアとは……命の恩人捕まえてひどい言い草だな」
「仕方がなかろう。かの公爵令嬢とともにゼノンを取り押さえたのはその妖怪ババアだからな。同時に、真っ当に生きていける筋道を立てたのも彼女だが」
「それを兄さんに言ったら、多分『頼んでない』って答えますよ」
「だとしても、一応係累に加えられたのだから、少しは敬意を払って貰いたいものだ」
「……いずれにしても、だ」
アルハザードの改まった口調に、フローレンスとレオナルドはそちらに目を引かれた。
「アンジェリーナ嬢とデートとは……また、デュラスが荒れるぞ」
はぁ、とこれからのゴタゴタを想像してのため息は、間違いなく今日、一番重かった。
「どういうつもりだ!? アンジェリーナ!!」
約束の前夜、外遊から帰国するなり私室に押しかけてきた父の――予想通りの――怒声に、アンジェリーナは読んでいた本から顔を上げた。
「お帰りなさいませ、お父様」
「挨拶などいい!! 一体何のつもりなんだ!?」
「何の……とは?」
「とぼけるな!! あの男とのことだ!!」
すっとぼけるアンジェリーナに三度の怒声をかぶせる父の姿に、ため息をつきながらしおりを挟んで本を閉じる。その表紙には『古代への邂逅 メトラ朝の隆盛と滅亡』とあった。帰り際に借りたゼノンの著書だった。
「サロンで人払いしての密会など……一体何を考えておる!!」
「お父様、それはあの方なりの気遣いですわ」
「気遣い!? あらぬ噂を立てることの何が気遣いなのだ!!」
「……先日、学院で侯爵令息に迫られました」
端的に事実を告げる口調に、父は言葉を失った。同時に、心を満たしていた怒りが急速にしぼんでいくのがわかった。思いがけない事実に冷静になったらしい。
「侯爵令息……? 誰だ?」
「アレクサンダー・リーランド侯爵令息です」
「リーランドの不良息子か」
父の言葉に頷く。不良息子。アレクサンダーの素行の悪さから、いつしか囁かれるようになった陰口だった。
「そうです。かなり強引に迫られて……というより、絡まれました。目的は明らかです」
「……お前との婚約か」
「おそらくは。当主亡き後のリーランド侯爵家は確か夫人が取り仕切っていたはずですが、その兄君があれこれ口出ししているとも聞きます。大方、そちらの方からくだらないことを吹き込まれたのでしょう」
「それがどう、やつと繋がる?」
父の問いにその時のことを思い出して、頬が熱くなる。
「実は、追い払えなくて困っていたところを、あの方に……ゼノン様に助けていただいたのです。私が絡まれていたことで、殿下の犯行が漏れていることも含めて、状況を把握されたようでして、わたくしが陛下のご戦友と懇意にしている噂を流して、そう言う手合いが増えないように釘を刺す……あの方はそうおっしゃっていました」
淡く頬を染めるアンジェリーナの言葉に、父は苛立ちを隠しもせずに口を開く。
「……だったら、私の方で次の婚約を見繕う。やつを頼る必要などない」
「あら、あの方の本当の爵位を考えれば、これ以上に頼もしい味方はいないと思いますが?」
アンジェリーナのその返答に、デュラスの顔が凍り付いた。
「ゼノン様は、実際は平民ではないのでしょう?」
「な、何の話だ」
「とぼけないでくださいませ。市井の平民に公爵令嬢をエスコートなどできないでしょう?」
「や、やつから……聞いたのか?」
「いいえ、ご本人は変わらず平民と名乗っておられます。ですが、陛下をはじめとした王族との交友や、見事な作法を見れば、大方の素性は想像できますわ」
アンジェリーナは、父の目を見据える。
「噂の通り、社交嫌いでいらっしゃるようですし」
「……それ以上は言うな。お前の想像が当たっていたとして、それを他の貴族がどう思うか……」
「気に食わないでしょうね。平民からの成り上がりなんて」
「わかるなら、お前も距離を置いてだな……」
「申し訳ありません。手遅れです」
「何?」
そう言ったアンジェリーナは、いよいよ顔を真っ赤にしてしまった。
「実は……明日に、一緒に出かける約束をしまして……明朝、迎えに来てくださることになっています」
「……………………はぁ?」
それっきり、デュラスは絶句してしまった。
「行き先は聞かされておりませんが、軍隊でのお仕事が悪いことばかりじゃなかった、と知ってほしいとおっしゃっていましたので、何を体験させてくださるのか、楽しみにしておりますの」
「……そ、それを……」
「お受けいたしましたわ」
青ざめるデュラスとは対照的な涼しい顔で答えて、テーブルのティーカップを手に取った。
「お前……自分の立場がわかっているのか?」
「王太子殿下の婚約者でございます」
「それならば、なぜ!!」
なぜ。父に問われて初めて、アンジェリーナは真剣にその理由を考え、言葉にする。
「……あの方が、光だからです」
「光?」
「はい。わたくしの行く手に立ち込めていた、暗雲を晴らしてくださった光です。その導きの先に何があるのか……知りたいと思いました」
「…………」
理解できない。絶句しきった父の顔には、そう書いてあった。
「……お前は、どうしてしまったのだ……」
「どうもしていません。ただただ強く、そう思っているだけなのです」
「……あやつが何をして生き延びたのか、知った上で言っているのか?」
何をしたのか。戦争で憑依された戦友を殺したことを言っているのだろう。
「何をしていたとしても、御国に仕える防人であった以上、戦での行動の責は我がリーズバルトが背負うべきでしょう。それとも、あの方個人が責任を取らねばならないような間違いを犯したと言うことでしょうか?」
鋭く父親の目を見据えながら、アンジェリーナは言った。
この問いに、父が答えられるわけがない。答えると言うことは、父の方はまだアンジェリーナが知らないと思っている戦争の真実を明かさなければならないと言うことだ。
その当事者との交流にさえもいい顔をしなかった父が、自分からそれをアンジェリーナに話すはずがなかった。その確信通り、苦虫を噛み潰したような顔をアンジェリーナに向ける。
「……後悔するぞ」
「それにはすっかり慣れました」
そう言って、父に微笑みかける。
「ですので、どうせなら思うように行動してから後悔したいと思います」
にこりと微笑むアンジェリーナに、もう父は何も言わなかった。
その夜、寝室のベッドの上で、アンジェリーナはもう何度目になるのかわからない寝返りを打って、内心渋面を作った。
「…………」
(ね、眠れないわ!!)
考えてみれば、異性とのお出かけなど初めてのことだ。経験したことのない事態への昂揚が、アンジェリーナの目を冴えさせていた。
「な、何か考え事していれば眠れるかしら……」
何か。何を考えるのか……自然と、ゼノンのことを想う。
「……光」
父に向けて言った、ゼノンへの比喩をポツリとつぶやく。
そう、ゼノンは自分にとって光だ。初めて会ったあの朝、アーノルドの拳を止めてくれたあのときから、自分は彼に惹かれていたのだろうと、今になって自覚した。
(本来なら、君もしばらく休むべきだよ)
助けてくれた時の、ゼノンの言葉を思い出す。
考えてみれば、そんな風に正面から自分のことを気遣う言葉をかけられたのは、父や親友達をのぞけばゼノンだけだ。
彼は、自分に一人の人間として接してくれたのだ。
王太子の婚約者。未来の王妃。完璧な淑女。令嬢の模範……自分を褒めそやす言葉を上げていくとキリがない。
だけど、アンジェリーナを一人の女として見てくれたのは、間違いなくゼノンだけだったのだ。
普段は飄々としているが、それが意図した態度と言うことは、とっくにアンジェリーナは理解していた。そんな中で、アーノルドの拳を止めたときや、アレクサンダーを叱責したときの態度に、強い凜々しさを感じて、それを時折面に挿す愁いを帯びた『陰り』が――おそらく本人としては不本意にも引き立てていた。
もの悲しい過去を持った、元軍人の考古学者。
その過去を知ったとき、自分は言った。悲しみを聞き届けられると。共に故人の安らぎを祈ることならできると。
そして……その時に、あなたのことを抱きしめる、と。その時のことを思い出して、更に顔を真っ赤にしてしまった。
(こ、これでは却って眠れないわ……)
悶々とした内心を抱えたまま、アンジェリーナはベッドで寝返りを繰り返した。
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