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第十二話

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 アーノルドはカレンからの報告と、魔石に記録された光景に満足げに頷いた。
 今、アーノルドは貴人牢に幽閉されていた。魔術を使えば三日とかからず塞がるはずの銃創も通常治療しか許されず、いまだに痛みが治まらない。
 そんな苛立ちだらけの生活の中だが、カレンからの報告にアーノルドはほくそ笑んでいた。

「フフフフフ……あの赤毛野郎とアンジェのやつ、いい雰囲気じゃないか」
「おっしゃるとおりでございますわぁ、ここのところ、放課後に書庫でよろしくやっていらっしゃるようですぅ」

 カレンの嘲笑混じりの言葉に、アーノルドはあごに手を当てて考える。

(……こいつで脅すにしても、俺自身がろくに動けんし、あまり意味がないかもな……)

 フローレンスとレオナルドから聞かされたことが本当なら、ゲームとは違って何ら悪影響はないことになる。効果は見込めなかった。

(あの野郎、人のことをサルだなんだと言いたい放題だった割には、鼻の下を伸ばして……ん? サル?)

 そこで、アーノルドはある一計を思いついた。

「ふふふ……そうだ。自分自身もサルだと思い知ってもらおうか」
「アーノルド様ぁ?」
「カレン、俺の部屋のコレクションから、今から言うものを持ってこい」

 そう言ってカレンに、必要としているアイテムを説明する。

「なるほどぉ……それを使って、お二人を罠にはめるのですわねぇ?」
「その通り!! この際だ。自分自身も一皮剥けばただのサルだと思い知ってもらおう」
「承知しましたわぁ……ところでぇ、アーノルド様ぁ」
「ん? どうした?」

 カラダをくねらせながら、カレンが口を開く。

「此度の策略が成功した暁には、わたくしに、あなた様の胤をくださいませんかぁ?」
「胤? 要するに、ヤッてくれってことか?」
「ご明察にございますぅ♡ アーノルド様の高貴な子種、この卑しいカレンにお恵みくださいませぇ♡」

 妖艶な笑みを浮かべながらの言葉に、アーノルドは即決した。

「いいだろう。成功の暁には、俺直々にお前のことを孕ませてやる!!」
「本当ですかぁ?」
「ああ、本当だ!!」
「では……約束の、キスをお願いしますぅ♡」

 そう言って、カレンは唇を突き出してくる。
 妖艶な美貌を持つ侍女からの、キスのおねだり……応えなくては男が廃ると言わんばかりに、アーノルドはカレンを抱き寄せてその唇を奪った。
 クチュ、クチュと、唾液が絡み合う音が貴人牢に響き渡った。


 廊下を行きながら、カレンは口の中の唾液を小瓶に落とした。
 その仕草には、全く何の感慨もない。取得した成果物の確認、それ以上の感情はこもっていなかった。

「ふう、全く。面倒にもほどがあるわぁ。こいつらの魔力を使わないといけないなんてねぇ……」

 嘆息混じりに、小瓶にためた唾液を見つめる。

「これだけで出来るならいいけれど……一瞬でもうまくいけば御の字っぽいわぁ……やっぱり精子がいるかしらねぇ……」

 独りごちる声は、誰の耳にも届かなかった。


「…………」

 目を覚ましてゼノンが最初に感じたのは、柔らかな温もりだった。頭を預けた柔らかい何かが持った温もりは、まるで母の腕の中のように心地よい。感じているだけで、心が穏やかになっていく、優しい温もり。

(……どうなってる?)

 記憶には、現状に至るまでが欠落していた。睡魔を催す温もりにいやいや抗い、ゆっくりと目を開けると……
 シルク地の、仕立てのいいドレスに包まれた、見事に実った果実に視界が遮られた。ハイネックスタイルで素肌を出さないシンプルなデザインのそれは、アンダーコルセットによって強調された彼女のスタイルを美しく彩っていた。
 ゼノンが目を覚ましたことに気付いたのか、果実の向こう側からひょっこりと、その主が顔を出して、優しく微笑みながらのぞき込んできた。

「目を覚まされましたか?」
「……あー」

 シンプルな問いに、返答にもなっていないうめき声を上げて……普段の千分の一ばかりしか稼働していない脳みそが、現状の分析をようやく始めた。
 後頭部に感じる柔らかい感触と温もり、目の前の視界を塞ぐ二房のたわわな果実、その向こうから微笑みかける、最近懇意の公爵令嬢……ここまで理解して、ようやく、状況を理解した。
 今、自分は、アンジェリーナに膝枕されている……

「んなぁ!?」
「きゃあ!!」

 慌てて、ゼノンは飛び起きた。驚いたアンジェリーナが、頭を引く。
 やっちまった……その一念で、目の前のご令嬢に……未婚の、婚約者のいる、純潔の、ご令嬢に頭を下げた。

「す、すまない!! 寝ぼけて、君にとんでもないことをしでかしてしまった!! 許してくれ!!」
「お、落ち着いてくださいませ!! とんでもないことって何を想像しているのか存じませんが、卑しいことは何もございません」

 必死になって頭を下げてくるゼノンに、アンジェリーナは戸惑い混じりにそう返していた。

「その……夢見が悪いようでございましたから、差し出がましいとは思いましたが、膝枕をさせて、いただきました……」

 その頬はほんのりと赤くなっていて、貴族令嬢としては大胆にもほどがある自身の行動に、今更戸惑っているように見えた。

「ほ、本当、なの……か……」

 取り繕ったアンジェリーナの言葉。それを呼び水に、ここに至るまでの記憶が一気に蘇った。
 自分が、何を夢に見たのかも……その中で、かすかに覚えている……彼女に起こされて、そして……

「……俺は、何か変なことを言ってなかったか?」
「…………」

 冷静になった頭で発したその問いに、アンジェリーナは無言で目をそらした。
 それだけで、全て理解した。思わず目を覆った。

「どこまで、聞いた?」
「……仲間を、使われないようにするためには……焼くしかない、と……」
「……ほぼ全部だな、そりゃ」
「教えてください」

 決意の籠もったまなざしでゼノンを見つめながら、アンジェリーナは口を開いた。

「あの戦争の、真実を」
「君が知る必要はない、と言ったらどうする?」
「わたくしは!! リーズバルト王国筆頭公爵家・ベルリエンデの女です!!」

 ゼノンの問いに、アンジェリーナは決然とした口調で答えた。

「いずれは、王家とともにこの国を背負う身……その為には、清濁併せ吞む覚悟もできております!!」
「……わかった」

 アンジェリーナの決意表明に、ゼノンはため息混じりに向き直った。

「まず、これだけは理解してほしい。今から話すことは、何一つ嘘偽りない真実だ。だが、俺の目から見た現実でしかないのも事実だ。他の誰かからも話を聞いた上で、君自身が判断してほしい」

 そう言ったゼノンは、ため息一つ、それから遠い目で、過去に思いを巡らせていく。

「開戦の経緯は知っているな?」
「はい……突然、空に異世界からの扉が開いた、と」
「そうだ。そこからあふれ出した精霊たちは、問答無用で攻撃を仕掛けてきた……その後のことは、君も知っているとおりだ。問題になったのは、ここからだ」

 そこで、ゼノンは言葉に詰まってしまった。ゼノンのうわごとが本当なら、それも無理からぬことだと理解できたアンジェリーナは、根気強く口を開くのを待った。
 ややあって、口を開く。

「兵士が、突然凶暴化して周りの人間を無差別に攻撃する事件が多発した。当初は原因が全くわからなかったが、調査を重ねてある共通点が導き出された」

 そこで言葉を切って、アンジェリーナを見据えた。

「凶暴化したのは、精霊との戦闘から生還した兵士達だったんだ。それがわかるとすぐに調査が重ねられて、彼らが、肉体を精霊に……乗っ取られていることが判明した」

 その声音に、かすかな嗚咽が混じり始めていた。

「その手段はいまだにはっきりとは解明されていない……わかっているのは、何らかの魔術的な手段を用いていること、憑依されたやつは相手に噛みつくことで仲間を増やせること、そして……」

 つっかえつっかえ、ゼノンは語る。

「……憑依された人間の背中に、特有の魔力放射が発生すること……」
「背中に……では……」

――全身くまなく、特に背中をジロジロ見られて毎回やになんだけど
 脳裏に、マレーネの愚痴が蘇る。

「そうだ。月に一度の健康診断……調査している『呪い』の正体は、精霊による憑依だ……現状、手段が判明していない以上は、扉が閉じた今でも警戒を続けていると言うことさ」
「…………」

 ゼノンの言葉に、アンジェリーナは思案し、疑問が浮かんだ。

「『呪い』の経緯は理解しました……ですが、それが子供達とどう関わってくるのでしょう?」

 ゼノンはうわごとで、子供を使っても、と言っていた。それが何を示しているのかが、ここまでの話ではわからなかったのだ。
 はあ、とそこまでで一番のため息をついて、ゼノンは言う。

「……当時の調査で導き出されたもう一つの共通点がある」

 そう言って、アンジェリーナを見つめた。

「それは、憑依された兵士が皆、比較的若い、成人男性だったことだ」
「そ……」

 その言葉を聞いた瞬間、ドロドロとした、深い泥濘に突き落とされたかのような、名状しがたい絶望感が、アンジェリーナの全身を支配した。

「それでは……子供たちを……」

 大人の、身代わりに使った……続くその言葉を、口にすることはできなかった。

「そういうことだ。憑依を回避するために……その建前で、年端もいかない子供たちを前線に投入することが決定された。同時に直接攻撃による憑依を最小限に抑えるために、当時まだ試作段階にあった『マギアフレーム』が制式化され、実戦配備されることになった……結果、魔力を持った子供たちは徴兵され、満足な訓練も受けられないまま前線に投入されることとなった」

 疲れたように、ゼノンはソファに身を沈めた。ギシリと、ソファがきしむ音がする。

「まぁ、それでも結果はあまり変わらなかったがね。大人がいないなら子供を乗っ取る。それだけの話だったのさ」
「……お待ち、ください……」
「どうした?」
「子供たちが徴兵されたというのなら……なぜ、わたくしや、同年代の子供たちはそれを免れたのでしょうか?」

 絞り出すような問い。それに、ゼノンは嘆息した。

「簡単なことだ……貴族の子供たちは徴兵を免除された。それだけのことだよ」
「免除!? で、では……」
「そうだ。徴兵され、前線に投入されたのは平民の子供たちさ。まぁ、フローラや、辺境伯の跡取りのように、志願して従軍した子女もいたがね」
「…………」

 あまりのことに、返す言葉が見つからなかった。

「……そ、それがなぜ、今まで……」
「明るみに出なかったか? 簡単な話だ。生き残った子供たちに緘口令が敷かれたのさ。この事実が明るみになったとき、少年兵への戦後補償の一切を打ち切るという通告とともにな」

 そういって、アンジェリーナから目をそらした。

「徴兵された中には孤児もいたし、食うのもままならないような貧乏人も大勢いた。王室からの命令を、受け入れるしかなかったのさ」
「…………」

 訥々と語られる事実に、もうアンジェリーナは何も言えなかった。

「そんな状況で戦っていれば……やっぱり、あるんだよ。味方を、憑依されたやつを……楽にしてやらなきゃならない瞬間が……」

 ゼノンは、顔を覆った。

「みんな……みんな夢を持っていた……カシューは……」

 嗚咽が、漏れる。
 カシュー。聞いた名前だ。さっきの、懺悔に出てきた、名前。

「……両親の食堂を継ぐのが、夢だった……ミヒャエルは絵をいつも描いていて……ある伯爵家がパトロンになってくれるって、決まった矢先に徴兵された……クリスは親の農場を継いで、みんなに自分が育てたリンゴを食べてほしいって……ジョニーの奴は戦争が終わったら、年金で学校に行くって……学者を目指してたんだ……アリスンは、アルザールのモデルたちに、自分が縫った服をいつか着てほしいって……」

 そこまで言ったゼノンは、ついに泣き崩れた。

「みんな、俺が殺したんだ……みんな、みんな……」

 さめざめと涙を流すゼノンを、アンジェリーナはそっと抱きしめた。
 ほかの誰もいない、二人だけの、書庫。その中で、静かに泣くゼノンを抱きしめる。
 自分の体温が、せめてもの慰めとなることを、アンジェリーナは静かに祈った。
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