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第十話

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 カレンは、アーノルドの命を受けてゼノンの周辺を調査していた。
 これがなかなか骨の折れる作業だった。何せ、『精霊戦争』の生き残りだけあって異様に勘がいい。こちらの存在を隠蔽して尾行しても、五分と経たずに感づかれる。幸い、全て気のせいや思い違いと結論づけているようだったが、やりにくいことは変わらない。調査は思ったように進まなかった。

(少々、じれてきたわぁ……)

 そんなことを考えていたある日、書庫でその光景を目にした。

「我がリーズバルトの七つの御使いとレディンの七本の柱は同じものと考えられそうですわね」
「ああ。まさか、聖典が後世に再編されたものだったとはな……書庫内に再編前の聖典があったからよかったものの、おかげで共通点を見逃す所だった」
「御使いはその躯体で以て、母なる大地を支え、命の芽吹きを促した……何故、こんな重要な記述が削除されたのでしょうか?」
「それはわからないな。何かしら教団側に思惑はあったんだろうが、何せ再編自体が一五〇年ばかり前だ。こいつを確かめるにも相当な時間が必要になるだろうな」
「道筋が見えた他方で、新たな謎に突き当たる……状況が複雑怪奇で、目が回りそうですわ」
「まあ、このことは今は置いておこう。それよりも……」

 書庫の閲覧スペースで、ゼノンとアンジェリーナが熱い議論を交わしていた。ふたりの顔には、充実した時間を過ごしているもの特有の、穏やかな表情が浮かんでいる。
 見るものが見れば、仲睦まじいと表現できるその光景に、カレンはぐにゃりと笑みを浮かべた。

「これは使えるわぁ♡」

 誰にもその存在を察知されない中で、カレンは不気味に微笑んだ。


 その夜、ゼノンはアルハザードの呼び出しを受けて王宮の廊下を食堂に向けて進んでいた。

「…………」

 何気なく、廊下の内装を見回す。一対の柱にアーチ状の梁が掛けられた廊下は、聞く所によると五〇〇年の歴史を重ねる代物だ。その柱と梁の表面は、精緻な彫刻で飾られ、その間間に配置されたシンプルな造形の大窓と見事な調和を見せている。
 ゼノンにとっても見慣れていたはずの、懐かしい内装……そこを、金髪の幼い兄弟が掛けていく。

(兄さん、こっちです!!)
(こら、レオ!! あんまり走ったら危ないぞ!!)

 仲良し兄弟といった体の、在りし日のアーノルドとレオナルドの姿……空に扉が開く前は、こんな風にして一緒に何度も遊んだ。
 二人は流れ者の自分のことを、兄と慕ってくれた。血が繋がっていなくても。
 あの日、自分の運命が決定づけられたあの日から、彼らとの交流が始まった。

「……泥棒にゃ、過ぎた待遇だな」

 苦笑して、目当ての部屋の扉を押し開いた。
 食堂の内装は廊下のそれとは変わって、落ち着いた雰囲気でまとめられていた。食事に集中できるようにとの配慮か、各所の彫刻は最低限に抑えられ、天井もベージュ一色のシンプルなデザインだ。
 その中に配されたマホガニーのダイニングテーブルの上には燭台が配置され、蝋燭に火が点されている。
 魔導具の照明機器が普及したこの時代、本物の蝋燭はある種のステータスとなっている。照明に魔導具ではなくあえて原始的な品を使うことで、邸宅の主の余裕を訪問者に示すのだ。

「おお、来たか」

 その主……ホッとしたようなアルハザードの言葉に、軽く手を上げて答えながら、食器が用意されている席に腰を下ろした。
 その位置は、上座であるアルハザードから見て右手の、一番近い席だった。そこにはすでに、料理が一式用意してある。

「コースなんぞ、お前は食わんだろ?」

 疑問を先回りしての言葉に、ゼノンは苦笑を返しながら席に着いた。

「それだけじゃないだろ? わざわざのご指名だ。話があるんだろ?」

 そう言いながら、卓上に用意されたパンを手に取ってナイフで切れ目を入れる。そこに付け合わせの野菜類をフォークで詰め込んで、そうしてから目の前の子牛のグリルにフォークをズブリと刺して持ち上げて、ぞんざいに切れ目に挟み込んでからかぶりついた。
 作法の完全無視。国王よりも先に食べ始める無礼。食前の祈りどころか、手を組むそぶりすら見せないぞんざいさ……王侯貴族の感覚からすれば品性下劣なその様子にアルハザードは苦笑し、その背後に控えた家令と侍女は信じられないと言いたげに顔をしかめた。

「相変わらず、作法もへったくれもない男だな」
「昔戦場、今遺跡。作法に則る機会なんぞ今も昔もねぇよ」
「そんな態度でばかりいるから敵を増やすのだろうに」
「成り上がりもんなんざ、元から鼻つまみ者だ。あれこれ気を使った所で、端から見下されてるんじゃ話にならん」

 アルハザードの言葉に飄々とした態度を崩さない。それを見て苦笑を重ねたアルハザードは、顔を引きつらせ始めた家令と侍女を手を振って下がらせて、自分もナイフとフォークを手に取った。
 しばし、無言の会食が続く。本題の始まりを、ゼノンは根気強く待った。

「……アーノルドのことだがな」
「クロだったんだろ? 聞いている」
「そうなんだが……どうも妙な事になってきている」
「妙?」

 即席のサンドイッチを咀嚼しながら答えると、カトラリーを置いたアルハザードが口を開く。

「ああ、やつの言い分をまとめるとだ、『違う世界のニホンという国で暮らしていて、そこで病死して目覚めたらこの世界に転生していた』というものだ」
「死んで? 目覚めたら?」
「それだけじゃない。話を聞く限り、我々が生きているこの世界は、あいつの世界で言うところの『ゲーム』と言う絵物語の世界と言うんだ……どう思う?」
「…………」

 わざわざ呼び出したのはこれか……得心しながら思案する。

「輪廻転生の概念自体はそう珍しいものでもない。神州周辺では今でも信じられているし、メトラ朝の王が代々火葬されたのも、冥界での使命を終え次なる命に生まれ変わる時に迷わぬように、と言う理由だった。だが……」

 サンドイッチを平らげた手をナプキンで拭い、ワイングラスを傾けながら言う。

「生前の記憶を持ったままの転生ってのは、ちょっと聞いたことがないな」
「王都の学者達にも照会したが、同じ答えだったよ」
「出まかせじゃないのか?」
「それが、真偽宝玉に反応がなかったそうだ」
「……嘘はついてないと言うことか」

 真偽宝玉はその名の通り、発言の真偽を確かめる魔導具である。発言者の魔力と精神波の変動からその真偽を示すもので、嘘をついているときは宝玉が黒く濁るのだ。
 それに反応がなかった以上、少なくとも本人にとっては真実を言っていると言うことなのだろう。
 ワイングラスを置いて、腕を組む。

「やつが言う『転生』が本当のことだとして、だ……これを精霊からの攻撃だと仮定した場合、目的が見えん。手駒と敵を入れ替える手段があるなら、俺なら優秀なやつを連れてきて面従腹背させるがな」
「そこなんだよ。何故、やつのような男でなければならなかったのか、それがわからんのだ。陽動攪乱にしても稚拙に過ぎる」
「陽動という観点なら確かに成功している……だが、あんな派手な動きをして相手に察知されるんじゃ意味がなかろう。いたずらに警戒させるだけだ」
「……案外、この『転生』という手段は融通がきかんのかも知れんな」
「それは流石に楽観が過ぎるだろう。俺たちが気付いていないだけ、と言う前提でいるべきだ」
「わかっている。言ってみただけだ」
「しっかりしろよ? 国王陛下」
「黙れよ、盗人小僧」

 懐かしい減らず口をたたき合う。少しだけ、昔に戻れた気がする。

「しかしまぁ……『転生』か……何かが起きていることは間違いないと言うことか……」

 懐から取り出したタバコに、卓上の蝋燭で火を点しながら、独りごちるように言うゼノンに、アルハザードは首をかすかにかしげた。

「? どうした?」
「『水晶宮』に異常はないか?」

 表情を引き締めてのその言葉に、アルハザードは目を見開いた。

「……実は、そのことも話そうと思っていた。やつのことで報告できずじまいだったが……」

 居住まいを正して、口を開く。

「ここ数ヶ月、『水晶宮』の魔力放射の一時的な増大が観測されている」
「……やはりか。実は今日、強い魔力放射を感じたんだ」

 アルハザードの言葉に、ゼノンは返す。
 作業中にあまりにも強い魔力放射を感じた彼は、思わず立ち上がって窓の外を……その先にある『水晶宮』を見ていた。
 その時に、書庫にやってきたのは……

「お前が感じたというのなら、何かが起こっているのだろうな」
「魔力放射に法則性は?」
「報告を聞く限りでは、特定の時間帯に偏っているらしい」
「午前か? 午後か?」
「主に午後、夕方以降が多いと聞いているが……心当たりがあるのか?」
「やはり放課後か……魔力増大の資料をくれ。出来れば時間帯でグラフ化されたものがいい」
「わかった、すぐに届けさせよう」
「それからもう一つ」

 タバコを灰皿においてワイングラスの残りを一気に呷り、アルハザードの目を見据えながら言う。

「同じ期間の、王宮への入出記録もくれ。登城と下城の時間を明確に記録したものがほしい」
「入出記録? 待て、放課後だと……」

 ゼノンのつぶやきをしっかり聞いていたらしいアルハザードは、少し思案し……ゼノンと同じ推測に行き着いて目を剥いた。

「……まさか」
「まだ、推測の域を出ない……だが、もしもこれが正しかったら……彼女はさらにむずかしい立場に追い込まれるぞ」

 そう言って、ゼノンはタバコを再び咥えて紫煙をくゆらせた。

「婚約が破綻した今、彼女を狙う貴族は多い。この上さらに俺たちの推測が正しかったら、彼女を巡って他国も巻き込んだ争奪戦が起きるのは目に見えている。王家の方でも、彼女をフォローする方向で動けないか?」
「言われなくともそのつもりだが……」

 そこで腕を組んだアルハザードは、ゼノンに意味深な視線を向けた。

「それならば、一番に動くべきはお前だと思うがな」
「俺が? なんで?」
「なんでもへったくれもあるか。自分の所属を忘れたのか? 『聖騎士』殿」
「……背中がかゆくなるからやめてくれ……」
「真面目な話だ」

 半ばおどけた口調の返答に、アルハザードは一喝した。

「『聖女』の苦悩と労苦を理解できるのはお前だけだ。彼女がそうだったとき、最後まで味方であり続けられるのもお前だけだ。このようなときに、国の思惑が絡まぬように……」
「俺を冒険者ギルドに預けた、だろ? 耳にたこができるほど聞いたよ」

 渋面を作って、ゼノンは答えた。
 その名の通り冒険者達を一つの組織としてまとめ上げて、その活動を統括する冒険者ギルドは、純粋に人類への貢献を目指す組織であり、国家権力の介入を今日に至るまで拒絶し続けている。
 国家のためではなく、人類のために……お決まりのお題目と言えばそれまでだが、古代より存在し、時に人里へと甚大な被害をもたらす『魔獣』や、それこそ『精霊』が実在するこの世界では、即断即応を旨とする冒険者ギルドはなくてはならない存在だった。
 タバコを吹かす。チリチリと手巻きが燃える音が食堂に響く。

「正直に言うとだな、こうなるといっそのことお前と彼女の縁談を調えるのも手だと思っているぞ?」
「レオだけじゃなくておまえもかよ……馬鹿も休み休み言え、それに……」
「それに?」
「あの公爵がそんなことは許さんだろう」

 深く、紫煙を吐き出しながら、ゼノンは答えた。その様子に、アルハザードはため息をつく。

「……まだ、根に持っているのか?」
「俺じゃない、あっちが勝手に目の敵にしてんだよ」

 吸い殻を灰皿に押しつける。

「今更恨み言言ったって、あのときに戻れるわけじゃない……それぐらいはわかってるさ」
「……お前とデュラスの確執は知っている。それが、『聖女』に……イリスに多大な負担を掛けたこともな。あのとき以来、夫人とも別居しているそうだ」
「別居? まぁ、不思議はないか……少年兵が戦っていることにブチ切れてたからな、あのご婦人は」
「それからだったか……軍医として彼女が入隊志願してきたのは」
「『本日付で配属されました!!』とか言って敬礼してきたときは部隊総出で凍り付いたよ。ニコニコお出迎えしたのはそれこそイリスぐらいだったからな……」

 しみじみと、過去を懐かしみながら、言った。

「まぁ、話を戻すとだ……縁談云々はさておいて、まずは確証が必要だ。魔力増大のデータと突き合わせて、本当に彼女なのか、そいつを確かめる。『転生』に関しても、類似する伝承口伝がないか、調べてみるよ」
「ああ、頼む」

 その結論を潮に、ゼノンは立ち上がって食堂の扉に向かう。

「ゼノン」

 その背中に、アルハザードの声が掛けられる。
 振り向くと、それまで見せなかった、思い詰めたような表情のアルハザードと目が合った。その顔には、これまでなんとか押さえ込んできた、と言った風情の、昏い感情が浮かんでいる。

「なんだ?」
「……いや、何でもない。遅くまですまなかった。ゆっくり休め」
「……あまり、根詰めるなよ? おやすみ」
「ああ、おやすみ」

 簡潔に挨拶を交わし合い、食堂を後にした。


 あてがわれた客室はゼノン自身の希望で、もっともグレードの低い、使用人用の部屋が選ばれていた。ベッドが一つに事務机が一揃い、窓辺のテーブルとシングルソファ……一人で過ごすには十分すぎる部屋だった。
 ソファに倒れ込むように座り込んで、タバコを取り出して火を点す。タバコ葉の調合レシピは長年愛用している少し甘い風味と香りを利かせたものだが、それが今はやけに苦い。
 最後の、アルハザードの呼びかけ……彼が、何を言おうとしたのか、ゼノンは見当がついていた。

(今、アーノルドの体に宿っているのは、別人の魂……それならば)
「元の、アーノルドの魂は……」

 言葉にしてしまって、深い絶望がゼノンの胸に去来した。
 そう、今のアーノルドの肉体に全く無関係な別人の魂が宿っているというのなら、大元の、本来のアーノルドの魂はどこに消えたのか……考えずにはいられなかった。
 やつは元の世界で病死したと言っていた。彼らの世界で死者がどのように弔われるかは知らないが、まともな状態で肉体が残っているとも思えない。
 もしも……『転生』が魂の入れ替え、『換魂』とでも表現すべきものであったなら、今、アーノルドの魂は……
 かぶりを振って、その考えを打ち消した。このまま考えていては、間違いなく思考のドツボにはまりそうだった。結論を出せないことを考えても仕方がない……ゼノンは、自分にそう言い聞かせた。
 紫煙をくゆらせながら、事務机に移動し、座り込んで机上の資料を手に取った。
 会食の時に要求した、魔力増大のデータと王宮への入出記録だった。

「…………」

 無言でそれを開き、ざっと中身を確認する。王宮勤めの文官達は優秀だ。非常にわかりやすく、見やすいようにグラフ化してくれていた。
 そのことを確認して、荷物の中から折りたたまれた板状の機械を取り出した。
 開くと、一面にはガラスがはめ込まれ、反対の一面にはタイプライターのようなキーが整然と並んでいた。
 携帯型の魔導演算機。計算や画像処理を行うための魔導具だ(アーノルドに宿った男がこれを見たら、ノートPCと表現したであろう)。
 起動してからグラフ化用の術式を起動し、情報を打ち込んでいく。過去三ヶ月分の魔力放射量の増減を一時間ごとの時間棒グラフに起こし、そこにある人物の登城・滞在・下城・不在のタイミングを折れ線化して重ね合わせる。
 そうしてから現れた結果に、ゼノンは天を仰ぎたくなった。
 舌打ちしてさらにキーを叩き、他の日のデータで同じことを繰り返す。

「……くそったれ」

 三週間分ほどそれを繰り返し、変わらない結果を見て悪罵が漏れる。ギリリを奥歯を噛みしめた拍子に、タバコのフィルターを噛みちぎっていた。
 魔力放射と入出記録……その二つを突き合わせて行き着いた事実に、ゼノンは暗澹たる思いに胸を支配された。
 演算機のディスプレイに表示されたデータを、歯ぎしりしながら眺めた。
 そこのは、『水晶宮』の魔力放射の増大の周期が、ある人物の登城・滞在・下城・不在とぴったり一致していることが、グラフで示されていた。暗い気持ちを抱えたまま、登城記録に記された名前を見る。
 アンジェリーナ・ベルリエンデ。
 それが、魔力放射との相関関係が示された人物の名前だった。
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