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第九話

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「うう、クソ……」

 アーノルドは絶望の淵で身じろぎする。
 あの後、レオナルドとフローレンスが部屋を辞した後、後に残った尋問官達による取り調べが始まった。
 転生のことを感づかれ、自分がアーノルドではないと知れた今、尋問官達は容赦しなかった。カティア・ファルメールを陵辱したことも含めて、知っていることを洗いざらい証言するよう詰問され、それだけではなく暴力も振るわれた。
 腫れた顔面や脚の銃創を乱暴に押さえ込まれて激痛を味わわされ、アーノルドはその苦痛から逃れたい一心で知っていることを全て話した。
 元は日本という国で暮らしていたこと、その世界では病死したこと、目覚めるとこの世界に『アーノルド・リーズバルト』として転生していたこと、この世界は自分が生前プレイしていたエロゲーの世界であること……知っていることを思いつく限り、洗いざらい吐き捨てた。
 それを聞いた尋問官達は半信半疑という様子だったが、アーノルドの証言があまりに真に迫っていたためか、一度尋問を中断して部屋を出た。おそらく、フローレンスに報告しに言ったのだろう。

「畜生……なんで俺がこんな目に……」
「納得がいきませんか?」

 突然、人の気配がなかった室内に女の声が響いた。
 弾かれたように振り向くと、いつ現れたのか、一人の侍女が立っていた。金髪碧眼の平凡な顔立ち。だが何故か、一度目にすると見入ってしまう顔。見覚えのない顔だ。
 だが、王宮内で近づいてくる侍女という存在には、心当たりがあった。

「お、お前は……もしや、カレンか?」
「ご明察にございます。王太子殿下」
「おお、やっぱりか!!」

 予想が的中して、アーノルドは歓喜した。
 その理由は簡単、カレンは『学淫』におけるアーノルドのサポートキャラであり、シナリオ上では奴隷として扱われていたキャラだ。時には陵辱に必要なアイテムを調達したり、その舞台を確保したり、アーノルドの気が向いた時には性奉仕したりという、一種のお助けキャラだった。
 彼女が現れないこともアーノルドを焦燥させる一因だったが、ようやくシナリオが正常に進行を始めたということなのだろうか?

「遅いぞ!! お前が現れないから、シナリオ進行がでたらめじゃないか!!」
「ああ、お労しや……王太子殿下。あなたはこのリーズバルトのみならず、この世界の覇者となるべきお方……このような姿、このカレン、見ておれませぬ」
「おい、話を聞け……って、なにぃ? 覇者ぁ?」

 カレンの言葉、その中の一節をアーノルドは聞き逃さなかった。

「覇者とは、どういうことだ? 俺が転生したことと関係があるのか?」
「転生、と言うのがなんなのかは存じ上げませぬが、わたくしにはわかります……あなたは、いずれこの世界の全てを手中に収める……この程度の困難、乗り越えられぬはずがありますまい!!」

 ズイッと、侍女はアーノルドに詰め寄った。
 その瞬間、アーノルドは何か温かいものにふわりと全身を抱擁されたかのような、心地よい感覚に支配された。
 その感覚が何なのか……疑問に思う前にカレンの言葉が響く。

「わたくしが力をお貸ししましょう……望みをお聞かせくださいませ!!」
「望み……」

 カレンの言葉に、アーノルドは少し考えた。
 そうだ……今の自分の望み、ただ一つではないか。

「あの赤毛の男……ゼノン・マクシミリアンをなんとかして陥れたい……情報を、集めてくれるか?」
「委細承知にございます!! このカレンにお任せください!!」

 アーノルドの言葉にカーテシーを返し、カレンは部屋を出ていった。
 それをアーノルドは満足げに見送った。

「ふ、ふふふふふ……」

 思わず声に出して笑ってしまう。ついにゲーム内のサポートキャラがその姿を現したのだ。シナリオ進行が正常化したと考えていいはずだ。これが所謂、ゲームの強制力というやつなのだろう。

「まだ、まだツキは残ってるぞ!!」

 正気を失った含み笑いが、いつまでも室内に響き続けた。


 コツコツと靴音を鳴らしながら、カレンは王宮の廊下を行く。

「……うふふ、バカって扱いやすくて助かるわぁ」

 ほくそ笑んでつぶやく。邪悪な口調とは裏腹にその微笑みは奇妙に整っていて、まるで彫刻のように無機的で見るものに名状しがたい不安感を与える表情だった。

「引っかき回すどころかガッツリやらかしてくれるとは思わなかったわぁ。ちょっとおだてれば思惑通りに踊ってくれる……こんなに優秀な手駒はありませんわよぉ、王太子で・ん・か」

 王宮の廊下を歩きながらのつぶやき、それを聞きとがめるものは……それどころか、彼女の存在を認識できる人間はいなかった。
 まるで彼女の存在などないかのように、男女問わずどの人間も彼女を認識しなかった。

「さーて……お馬鹿さんの溜飲と、この世界へのダメージ……両立する方策考えないと……忙しいわぁ」

 無機的な微笑みを浮かべたまま、カレンは歩き続けて、その姿は唐突に、フッと消えた。
 そのことにも、気付くものはいなかった。


 レオナルドは、王宮の廊下を書庫に向かって歩いていた。
 その足取りは、重い。
 書庫に向かう理由はただ一つだ。アーノルドがクロだったと言う事実をゼノンに伝えるためだ。
 周りの何人かは代わりに伝えると申し出てくれたが、それをレオナルドは全て固持した。
 これは、自分の役目だ。清も濁ものみ込むだけの覚悟をしたと、彼に向かって啖呵を切ったのだ。これぐらいは、自分で処理しなければならない……
 とはいえ、それで重くのしかかるプレッシャーが軽くなるはずもなく、書庫への足取りを重くさせているのだった。

「こんな重圧の中で、あなたは戦っていたのですね……」

 戦時中のゼノンに課せられた『役割』を思い、思わず独りごちたとき、丁度書庫の扉の前についた。
 ノックをしてから、扉を押し開ける。尊敬するもう一人の兄が、本業に勤しんでいることは朝に聞いていた。
 薄暗い書庫を進んでいき、目的の閲覧スペースへ、と、

「いい着眼点だが、少し問題がある。レディン語にはアストリア語やクラール語で言う所の『波』を現す単語がないんだ」
「う……言われてみればそうでした……」
「俺なら、君の仮説を踏まえた上で、龍の息吹と瘴気を振り払った風に共通点を見出すね」
「神州の浄化の風と、でございますか?」
「ああ。ここにも『七』の数字がある。世界を調えた不死鳥の翼は七対。その翼の羽ばたきで大陸を蝕む瘴気を振り払った……君が訳してくれた描写を見る限り、鳥ってより、天使のような存在だったのかも知れないな」
「申し訳ありません。わたくしの知識では、ここまでの翻訳が限界でございます……アーミッシュ先生から辞書をお借りできれば、もう少し踏み込んだ訳が出来ると思うのですが……」
「なぁに、気にすんな。君が来なかったら、そもそもこの本の内容さえわからなかったんだ。手持ちの辞書はどうにも出来がよくない。俺の拙い知識じゃお手上げだったからな」
「左様でございますか……では、ここまでの共通点をまとめると……」

 喧々諤々、活発な議論が閲覧スペース内で巻き起こっていた。その相手は……

「あ、アンジェリーナお義姉様?」

 幼少期から見知った、未来の義姉だった人だ。一体いかなる巡り合わせか、ゼノンを相手に対等の議論を繰り広げている。
 その顔には、今まで見たことのないような、生き生きとした表情が浮かんでいる。
 感情を顔に出さないのは、令嬢令息を問わず王侯貴族の鉄則である。常に穏やかな微笑みや整った無表情を浮かべてその心を誰に読ませなかったアンジェリーナの振る舞いは、『完璧な淑女』や『貴族令嬢の模範』と呼ばれて尊敬を集めていた。
 だが、レオナルドは個人的には尊敬すると同時に、その有り様を不憫にも思っていた。感情を読ませないと言うことは、生命力を隠匿すると言うことでもある。常々、姉と慕った人がまるで精巧に作られた人形のように見えてしまって、もどかしく感じていたのだ。
 それが、今はどうだろう? 年相応に感情豊かな相貌から力強い生命力を放散しているではないか。それを引き出したのは、これまた自分が尊敬する、もう一人の兄だ。
 時折身振り手振りを交えての議論は、白熱の一途をたどっている。考古学に関してはレオナルド自身はよくわからなかったが、ゼノンが相当な情熱を持って取り組んでいて、アンジェリーナがそれを汲み取って答えていることは、端から見ていても充分に感じられた。
 その様子が微笑ましく思えて、少し頬が緩んで、心が軽くなったような気がした。

(……お世話になるのはここまでですね)

 流石に、ここから先の話は聞かせるわけにはいかない。これは、王族である自分たちがけりをつけなければならないことだ。一時でも、姉と慕った人を巻き込むわけにはいかない。

「アンジェリーナお義姉様」

 意を決して、声をかけながら閲覧スペースに踏み込んだ。
 その声に反応して、二人してこちらを見上げてきた。それに微笑みを返しながら、言葉を続ける。

「水を差すようで申し訳ありませんが、そろそろお帰りにならないと門限に間に合わないのでは?」
「え?」

 レオナルドの言葉に、慌てたように壁の時計を見上げた。

「ああ、い、いけないわ!! もうこんな時間!!」

 午後七時一五分を指す時計を見て、青ざめながら立ち上がった。

「も、申し訳ありません!! お話の途中ですが、失礼させていただきます!!」
「ああ、気にしなくていい。続きは明日に持ち越そう」

 そう言って、改めてアンジェリーナに向き直った。

「放課後は、基本的にはここにいる。いつでも来てくれ」
「はい、ありがとうございます!! では……」
「あ!! ちょっと待った」

 辞去しようとしたアンジェリーナをゼノンは呼び止めた。
 返しかけた踵を止めたアンジェリーナに、ゼノンは一つのタリスマンを差し出した。

「昨日の今日であの騒動だったから、すっかり渡しそびれていた。受け取ってくれ」
「これは……?」
「王族魔力が込められたタリスマンだ」

 そう言って、改めてアンジェリーナの目を見据える。

「これから、君の周りは騒がしくなるだろう。その時にはこいつを見せてやれ。アルとフローラの魔力が込められているから、王族による後ろ盾の証明になる」
「……ありがとう、ございます……」

 少し顔を赤らめながら、アンジェリーナはタリスマンを受け取った。

「そ、それでは今度こそ……ごきげんよう、レオナルド殿下、ゼノン様。また、明日」
「おやすみなさいませ、お義姉様」
「また明日な」

 カーテシーで一礼するアンジェリーナに答えて、心持ち急ぎ足で出て行く彼女を見送った。
 そうして、彼女の気配が完全になくなってから、レオナルドは口を開く。

「随分と議論に熱中しておられたようですね」
「ああ。次代の王妃に望まれるだけはあるな。聡明な人だ」

 議論の相手がいなくなったことで区切りがついたのか、資料を片付けながらゼノンは答えた。

「なるほどなるほど……だから、あのタリスマンを直接手渡したのですね。あなたの髪と瞳の色を持ったタリスマンを、悪い虫が近寄れないように」
「髪と瞳って……おい、こら」
「おや? 私、何か間違ったこと言いました? 髪や瞳の色を持ったアクセサリーを手渡すことの意味、それを受け取ることの意味、ご存じでしょう?」
「……お前、何が言いたいんだ?」

 怪訝顔のゼノンに、レオナルドはにっこりと笑顔を浮かべたまま詰め寄った。

「アンジェリーナお義姉様が気になっていらっしゃるのなら、わたくしは応援しますよ、兄さん」
「……はぁ?」

 この馬鹿は何をぬかしてる。そんな風に言いたげに、ゼノンが半眼になった。

「あまり馬鹿なことを言うな。俺と彼女じゃそもそも釣り合わん」
「爵位のことをおっしゃってるなら、何の問題もありませんでしょうに」
「爵位じゃない。そもそもの育ちが違う。砂埃やら泥やらにまみれた根無し草の盗人と、この国の筆頭公爵令嬢とじゃ、そもそもの価値観が噛み合わねぇよ」
「おやおや、戦前は私たちとこの王宮で育ったのに、その時の経験を生かすだけでは?」
「作法なんざ戦争が始まった朝にクソと一緒に流して捨てたよ。カトラリーをどこから使うか、それすらろくに覚えちゃいねぇ」

 そこで頬杖をついて、心底めんどくさそうな顔でレオナルドを見つめ返した。

「というか、なんでおめぇは俺と彼女をくっ付けたがってるんだ?」
「……お義姉様には、幸せになってほしいからですよ。淑女ではなく、一人の女性として」

 そう言ってレオナルドは、アンジェリーナが出て行ったドアを見つめながら、空いた椅子に腰を下ろした。

「あの方は、兄上と婚約してから、自由のない困難の只中に放り込まれました。兄上との婚約が破綻した以上、もうあの方は自由になるべきです。そのためには、この国にとどまってはいけない」

 レオナルドは、再びゼノンに詰め寄る。

「あの方を、広い世界へと連れ出してくれる誰かと一緒になるべきなのです。例えば、兄さんのような」
「……買いかぶりすぎだ。馬鹿野郎。ところで……」

 そこで……何気ない口調で、爆弾を放り込まれた。

「クロだったんだな?」
「……え?」

 今のゼノンの顔には、深い悲しみと慈愛の表情が浮かんでいた。

「えっと……クロとは……」
「アーノルドのことだ」

 目の逸らしようのない現実を鋭く突き付けられて、レオナルドは唇をわななかせた。

「昔から変わっちゃいないな……悲しいときは、不必要に明るく振る舞う……心情を読まれるから直せと何度も言ってるが、相変わらずだな」

 そこまで言われて、涙が一筋、その目から零れ落ちた。

「う……う、あ……」

 そうなるともう止まらなかった。ポロポロ、ポロポロ、あとからあとから涙が零れ落ちて、止まってほしいのにいうことを聞かなかった。この人の前でこんな無様をさらしたくはなかったのに……
 音もなく立ち上がったゼノンが、ゆっくりとレオナルドに歩み寄って、そっと抱擁した。

「背が伸びても性根はガキのままだ……しょうがない弟だよ、お前は」
「う、うあああああ!! 兄さん!! 兄……上……」

 愛しいもう一人の兄の腹に抱き着いて、レオナルドはすすり泣いた。
 弟が落ち着くまで、兄は抱きしめ続けた。


「…………」

 どっ、どっ、と、心臓が高鳴って止まらない。二人の前を辞するとき、この今の状況に気づかれなかっただろうか? アンジェリーナは気が気でなかった。
 公爵邸への帰路をひた走る車中で、手の中にあるゼノンから手渡されたタリスマンを、無言でアンジェリーナは見つめる。
 ゼノンの容姿を思い出す。燃えるような赤い髪に同じ色の瞳を持った、しなやかな体躯の美丈夫……そんな彼から手渡された、彼の髪と瞳の色を持ったタリスマン……上端に、首にかけるためのチェーンを取り付けるためのクランプがついたタリスマン……。
 それを手渡されて、自分は何も言わずに受け取って……男の人の色を持ったアクセサリーを受け取った……
 それが、意味するものは……
 ボンっと、爆発でも起こしそうな勢いで、頬が熱くなった。鏡を見なくてもわかる。自分は今、赤くなっている。

(だって……だって……こんなものを……直接……殿方から……)

 戸惑うばかりの現実。それとは裏腹に、歓喜している自分もいることに、アンジェリーナは気が付いていた。
 それをはしたないと思いながらも、うれしい気持ちは止まらなくって、緩む頬を抑え込めなかった。

(いつでも来てくれ)

 ゼノンにかけられた言葉……彼と交わす議論はとても楽しくて、自分が公爵家の娘や王族との婚約者ではなく、一人の人間として必要とされている感じが、とてもうれしかった。

(君の考えをもっと聞かせてくれ!!)

 年相応の少年のような、情熱に満ち溢れた言葉……あれを自分との議論が引き出したのなら……それは、とても名誉なことだと、なぜかそう思った。

「よし、決めたわ!!」

 握りこぶしでつぶやく。

「このタリスマンの真意は置いて……あの方との議論は続けましょう!! それが、あの方の手助けになるのなら!!」

 それがきっと、この騒動で自分に与えられた役割なのだ。あのアクセサリーは一切、断じて、これっぽっちも関係ないのだ!!
 ……たぶん……きっと……もしかしたら……
 言い訳に言い訳を重ねているうちに、公爵邸に到着していた。ドアを開けた執事は、一人ぶつぶつを座席でつぶやく令嬢の姿に困惑した。
 こうして、放課後にゼノンとささやかな議論を交わすことが、アンジェリーナの新しい日課となったのだった。
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