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第六話

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 夜、城下町にある酒場。カウンター越しに店主は奥のテーブルへと憂鬱な視線を送っていた。
 その視線の先では、金髪碧眼の少年が店の女を侍らせて、耳障りな高笑いを上げている。
 店主はその少年の正体を知っていた。リーズバルト王国王太子・アーノルド・リーズバルトその人だ。
 彼がこの店に来るようになったのは半年ほど前だ。ふらりと現れた彼は、大金を店主に見せつけて酒と女を要求した。
 こんな金の使い方をする相手は、トラブルの元でしかない。これがただの客なら追い出して出禁にする所だが、相手はこの国の王太子だ。邪険に扱って何が起こるか、知れたモノではない。王家に睨まれでもすれば、こんな場末の酒場は軽く吹き飛ぶ。
 それならせめてと、店で一番高い酒を提供しているが、本人が周りに与える不快感とは明らかに釣り合っていなかった。来店する度に響き渡るけたたましい笑い声に、客足は一つ、また一つと遠のいていった。

「……あれが、『雷帝』の息子か……」

 失望も露わに、店主はため息をつく。
『雷帝』は現国王・アルハザードの戦場での二つ名である。電撃魔術を好んで使用したことと、当時王太子だったことからついたあだ名だった。
 退役軍人である店主は、戦場での国王の噂もよく聞いていた。勇猛果敢な猛将……それが戦場での彼の評価だ。
 そんな国王も、後継者の育成はしくじったと言うことだろう。
 もう潮時かも知れない……いつの頃からか頭の片隅にあったその思いを自覚して再びため息をつきながら、グラスを拭いていると入り口のドアが開く音がした。

「いらっしゃい」

 敷居をまたいだ赤毛の男の姿に、店主は一瞬、絶句した。『雷帝』と並んで勇名を轟かせた男の特徴と、ぴったり一致していたからだ。
 目を見開いた店主の視線を気にした風もなく、男はカウンターのスツールに腰掛けて、口を開いた。

「アッシュクラウド」

 端的に告げられた注文に、店主はボトルとグラスを目の前の男に出した。

「……なぁ、お客さん。あんた、退役軍人か?」
「何故そう思う?」

 興味本位の問いに、男はそう問い返してくる。

「何、些細なことさ。あんたの風貌が噂に聞いたやつによく似てたんでね。それに……」
「それに?」
「そいつを頼むのは、あの戦争を戦い抜いたやつぐらいだ」

 そう言って、ラベルに灰色の雲が描かれたボトルを指さした。
 アッシュクラウド。これ自体は何の変哲もない蒸留酒である。その品質は下等で、アルコールが与える熱に、強烈なコルク臭が混ざって曰く形容しがたい風味を飲むものに与える。ぶっちゃけて言えば、まずい。
 粗悪な原材料と劣悪な環境で作られた、はっきり言えば安酒だ。安酒だが、退役軍人の間では特別な意味を持つ酒だった。
 理由は単純、物資が限られていた戦時下において、前線の兵士にまで行き渡ったのが粗製濫造されていたアッシュクラウドぐらいだったと言うだけの話である。そんなものであっても、一時だけでも逃げ場所をくれるそれを、兵士たちは重宝した。特に、あの『精霊戦争』においては。

「正解だ。ついでに言うと、初めての酒でもあるんだ」
「そいつは運がなかったな。初酒がそんなクソ汁だなんてな」

 赤毛の男の返答に、店主は心の底から同情した。
 赤毛の男は、少年兵だったのだろう。今の相手の年齢はどう見積もっても一〇代後半と言う所だ。
 戦時ならば、おそらくは一二・三歳。酒を飲めるはずのない年齢だが、治療魔術を応用したアルコールの分解法が確立していたため、生きているものは皆、酒に頼った。一時でも死の恐怖から逃れるために。
 目の前の男も、そんな一人だと言うことだろう。

「まぁ、クソだが……俺たちにとっちゃ一時の救いだった」
「酔えるだけ儲けものさ」
「死んじゃいないからな」

 当時の戦場で流行ったブラックジョークを交わし、笑い合った。
 笑いを収めて真顔になった赤毛の男は、店内の一角に厳しい視線を向ける。

「あの金髪のクソガキはいつからいる?」
「夕方からだ。もう三時間居座ってる」
「すまなかった。もう退散するよ」

 そう言って、ボトルを手に立ち上がる赤毛の男。
 その物言いに違和感を覚えて声をかけようとしたとき、相手が口を開いた。

「代金は全て王室につけてくれ。全てだ」

 その背中から、一切の反論を許さない空気が立ち上っていた。


 アーノルドは上機嫌だった。
 ついにと言うべきか、ようやくと言うべきか、女を犯すことに成功した。相手は生前の記憶にはないモブキャラだったが、それでも楽しめたことには変わりない。
 嫌がる女を組み伏せて、欲望のままに精を解き放つ感覚は、他では絶対に味わえない至高の快感だった。

「これが第一歩、ってことかもなぁ」

 高級なウィスキーを飲み干して、アーノルドはつぶやく。
 よくよく考えてみれば、『学淫』の主人公はゲーム開始時点ですでに数名の女子をレイプした後だった。その名前が作中に出てきたことはない。プロローグも名無しのモブキャラをレイプしている場面から始まるのだ。

「フフフフフ……俺の人生はこれからだ!!」

 ゲスそのものの笑みを浮かべたアーノルドがグラスを掲げて叫んだ。それを、周りの女たちは引きつった笑顔で見つめている。
 店の女たちの間で、アーノルドの評判は最悪だった。同席すれば体を無遠慮になで回そうとしてくるし、隙あらば同伴しようと舌なめずりしている。そんな男にサービスしようなどとは、普通は思わない。女にも男を選ぶ権利がある。
 男の傍若無人に、何人の女がやめていったか、もう覚えている人間はいないだろう。辛うじて残っている女たちも、やめるタイミングを計っている状況だった。憂鬱なひとときにため息をつく。
 そのときだった。
 アーノルドの背後に、長身の男が立ちはだかる。それを、女たちは怪訝な顔で見つめた。

「ん? どうした?」

 女たちの怪訝顔に気付いたアーノルドが、そう言って女たちを見回した、その直後。
 ドボドボと、琥珀色の液体がアーノルドの頭にかけられた。赤毛の男が手にした酒瓶の中身をアーノルドの頭にかけたのだ。

「貴様!!」

 激昂したアーノルドが叫んで立ち上がったその瞬間、
 彼の脳天にガラスが砕ける音と激痛とともに、すさまじい衝撃が炸裂した。
 赤毛の男が、空になった酒瓶をアーノルドめがけて振り下ろしたのだ。

「ぎゃあああああ!!」

 頭から血を流しながら、アーノルドが絶叫する。その光景を、赤毛の男――ゼノンは醒めた目で見つめていた。
 周りの女たちは、恐怖のあまり声も出せなかった。

「ああ、すまない。迷惑をかけたな。このバカはすぐに連れて帰るし、二度と来させないと約束する」

 そう言って、ゼノンは悶絶するアーノルドの首を掴み、軽々と片手で持ち上げて宙づりにしてしまった。

「あああ!! は、離せぇ!!」
「言われなくても離すよ」

 そう言って、手を離すと同時に、アーノルドの鳩尾に前蹴りを叩き込んだ。
 空中でモロに喰らったアーノルドはその身をくの字に折って吹っ飛び、ドアを突き破って外に投げ出された。

「騒いですまない。もう二度と来ないよ」

 店内に向かってそう告げて、ゼノンは悠然と突き破られたドアを踏み越えて店外に出た。
 外に、アーノルドの姿はすでにない。

「……逃げ足だけは速い」

 追跡魔術が残した痕跡をたどりながら、ゼノンは吐き捨てた。


「ハッ、ハッ、ハッ、な、何なんだよあいつ!! ターミネーターかよ!!」

 息を荒げながら暗くほこりっぽい路地裏を無我夢中で進んでいく。
 燃え上がるような激痛が頭頂部で響き続け、彼の理性を苛んでいった。
 止まったら殺される……アーノルドは本能でそう理解していた。
 街の路地裏は、すえた臭いが充満していた。だが、命がかかっているアーノルドにはそんなことを気にする余裕はない。
 後ろを見ずに走り続けていたが、彼は確信していた。背後に、あいつが追ってきていると……。

「も、もう少しだ!!」

 もう少し、このまま路地裏を進んでいけば、丁度、ポリスボックスがある。そこに駆け込んで助けを呼ぼう……そう思った瞬間だった。
 路地裏を爆音が反響すると同時に、右脚のふくらはぎに衝撃と激痛が走った。

「あああああ!!」

 その衝撃で、もんどり打って転倒する。
 一体何が……激痛がする右脚を見ると、ふくらはぎからすねまで風穴が開いて、止めどなく血が流れ出していた。
 硬い靴音が、激痛に絶え間ない絶叫を上げるアーノルドの耳朶を打った。
 気力を振り絞って視線を上げると、黒ずくめの出で立ちとなった赤毛の男……ゼノンの姿があった。
 黒いロングコートを羽織り、その下の軽装プロテクターも黒、脚は黒い防弾素材のパンツと軍用ブーツを履き、ご丁寧に黒い革手袋まではめていた。その黒ずくめの右手に、黒い金属の塊が携えられている。
 右手に握ったそれをゆっくりと持ち上げ、人差し指に力がこもる。
 再び、爆音。同時に巨大な炎が右手の先端で閃き、やはり同時に、今度は左脚に激痛が走った。
 一拍して、澄んだ金属音が路地裏に響く。爆音と同時に、金属塊から弾き飛ばされた小さな金色の筒が、地面に落ちた音だった。
 金属塊の正体は、軍用の大型自動拳銃だった。後ろから、アーノルドの右脚を撃ち抜き、近づいてから、さらに左脚を撃ち抜いたのだ。

(……こ、こいつ、撃ちやがった!!)

 絶叫の脳裏で、そんなことを考えた瞬間、左脚の激痛が激しさを増した。

「がああああああ!!」

 同時に、アーノルドの絶叫も一オクターブほど高くなる。
 ゼノンが、今し方撃ち抜いたばかりのアーノルドの左脚、その傷口を踏みつけたのだ。
 その姿勢で、ゼノンは空を見上げる。その瞳は、どこか遠くを見つめているように見える。
 空いた左手で、懐から金属製の小さなケースを取り出した。器用に片手で開くと、中から白くて細い棒状のものを取り出して、口に咥える。
 ケースと入れ代わりで取り出したライターで、咥えた棒の先端に火を点した。タバコだ。
 どこかアンニュイな雰囲気を漂わせるその光景を、アーノルドは痛みに耐えながら呆然と見つめる。
 一口、紫煙を吐き出して、口を開いた。

「……七年前、この空にあの忌々しい扉が開いた」

 訥々と、言い聞かせるでもなく、語るゼノン。

「そこからあふれ出したのは、人類の敵だった……『精霊』だ。奴らは人間とは比べものにならないほどの強大な魔力で以て、電撃的にこの世界へと侵攻した」

 紫煙を吐き出す。

「主要な国土は戦場と化した。兵士たちは死力を尽くして戦ったが、奴らの転移魔術を駆使した奇襲戦術と、石でも投げるような気軽さで放たれる攻撃魔術に戦力が消耗するまで時間はかからなかった……そこに投入されたのが」
「マギアフレームなんだろ!? それがどうしたってんだ!?」

 ゼノンの語り口を遮って、アーノルドは罵声を上げる。人のことを撃っておいて、意味のわからない話を始めるゼノンにどうしようもなく苛立った。

「……正解だ。マギアフレームはその兵器としての特性上、大人が乗る必要はない……消耗した戦力を補うために、子供が前線へと投入された……」
「お前もその一人か?」

 減らず口を叩きつけると、昏い瞳をアーノルドに向けた後、吸い殻を放り捨てた。

「そうして徴兵された子供たちの多くは、帰ってこなかった。当然だ。兵器を動かせるだけの、ろくな訓練もしていない子供を戦わせればそうなるのは火を見るより明らかだ。にもかかわらず、それは実行された……」
「ぐげぇ!!」

 無様な叫びを上げる。ゼノンが銃創を踏みにじったからだ。

「理由は知っておりますな? 王太子殿下。王族を継ぐものとして、あの戦争で何が起こったか、知らないとは言わせませんぞ」
「だ、だからなんだ!! 死んでったのは魔力持ってるだけの平民だろうが!! 貴族の子供はそもそも徴兵を免除されて」

 アーノルドの言葉は、グシャリと言う何かが潰される音に遮られた。
 ゼノンが、アーノルドの顔面を踏み潰したのだ。苦痛のうめきとともに、アーノルドが砕けた前歯を吐き出した。

「彼らは望まぬ戦いと死を強制された……カシュー、ミヒャエル、クリス、ジョニー、アリスン……皆、それぞれが夢を持っていた。それでも、己に降りかかった理不尽を受け入れようとしていた……そうしなければ、世界が滅んでいたからな」

 しゃがみ込んでアーノルドの襟首を掴み上げ、その眉間に銃口を突きつける。

「そうだ、あいつらは世界を守るために死んでいった!! 決して、王族と言うだけの、最低限の理性さえ持ち合わせないサルを守るためじゃない!!」

 ジリジリと、発砲直後で赤熱した銃口に眉間が焼かれる。その感触と、闇よりもなお昏いゼノンの瞳に、彼が何故自分のお目付役を引き受けたのか、本当の理由を理解した。

「高貴なる血筋を継ぐものとして、あの世であいつらに詫びてくるか?」

 股間に生暖かい感触が広がる。恐怖のあまり、失禁したのだ。
 殺される……恐怖が頂点に達したその瞬間だった。
 金属音とともに、何かがゼノンの首筋へと押しつけられた。

「……何のつもりだ? カステヤノス」
「そこまでです。銃を下ろしてください、少佐」

 黒髪の男が、背後からゼノンの首筋にサブマシンガンの銃口を突きつけていた。王家の影、その隊長を務める男、カステヤノスだ。

「我々の任務は王太子の確保……これ以上は、あなたを無力化しなければなりません」
「…………」
「あなたは、戦中でも平民の私を尊重してくれた……そんなあなたを、撃ちたくはありません」
「…………」
「少佐!!」

 焦燥に駆られた、カステヤノスの叫び声。
 それをどこか遠くに感じながら、ゼノンは引き鉄を引き絞った。
 路地裏に、銃声がこだまする。

「……フン」

 鼻を鳴らして、立ち上がる。それにあわせて、カステヤノスも銃口を収めた。

「連れて行け」

 耳元で炸裂した銃声に失神したアーノルドをつまらなそうに見下し、ゼノンは踵を返した。
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