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第五話
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会議室を出たゼノンは、満面の憤りを隠しもせず、大股で王宮の廊下を進んでいた。そこに、背後から声がかけられる。
「ゼノン兄さん!!」
立ち止まって振り向くと、金髪碧眼の少年がこちらに駆け寄ってきた。レオナルドだ。
この国の王家との付き合いは非常に長い。ある事情からこの国に身を寄せたそのときから、王女と王子とは兄弟のような関係を築いていた。
その中でも目の前のレオナルドは、ゼノンのことを今のように兄さんと呼んで慕ってくれている。成長して王族の自覚を持った今も、気の置けない親友のような間柄になっていた。
「何だ? レオ」
「母上の元へ行かれるのでしょう? ご一緒します」
追いついてから、肩を並べて歩き出したレオナルドに、ゼノンは首を振った。
「必要ない。俺の口から話す」
「ですが……」
「実の兄を断罪するなんて言う、汚れ仕事をすることはない」
その一言で、一切の反論を封じ込めた。つもりだった。
「馬鹿にしないでください。私も王族の端くれです。清も濁も、のみ込むだけの覚悟はしてきたつもりです」
「だがな」
「自分だけで背負うなんて考えないでください。私ももう、子供ではありません」
そこまで言われれば、もう何も言えなかった。しばし無言で、肩を並べて王宮の廊下を歩く。ふと横を見ると、少し前までもっと下にあったはずの視線が、自分とほとんど同じ高さになっていることに気がついた。
「どうかしましたか?」
「……いや」
こちらに視線に気付いたのだろう、レオナルドが怪訝そうに聞いてくる。
「いつの間にか、目線が同じ高さになってると思ってな」
非常時にもかかわらず、感慨深さについ、そう言っていた。ゼノンが知っているレオナルドは、今よりも小さくて、兄さんとゼノンのことを呼びながら追いかけてくる子供だったのが、いつの間にか大きくなっていたことがゼノンの胸を打った。
「ああ……ここ三年ほどで急に伸びました。昔は、兄さんのことを見上げていたのに、なんだか不思議な気分です」
「兄さん兄さんと後ろをチョロチョロついて回ってたからな」
「やめてください……流石に恥ずかしいです」
「アーノルドと一緒にフローラに悪戯したからかくまってくれ、とか言って部屋に押しかけてきたこともあったな」
「あのときは、一緒に謝りに行ってくれましたね。まあ、そろって特大の雷を落とされましたが」
「鞄にヒキガエル放り込みゃそうなって当たり前だ」
「違いありません」
そう言って、そろって小さく笑った。そうしてから、ポツリとレオナルドがつぶやく。
「……いつから、こんなことになってしまったのでしょうね」
その言葉には、実の兄が作り出した現状への苦渋が滲み出ていた。
いつから……その問いに答えられる人間はおそらくいない。本当に何の前触れもなく、アーノルドは豹変した。身近でそれを見てきたレオナルドでさえ、原因も何もわからないままだ。
ゼノンが知る限りでも、彼が豹変するようなきっかけはなかったと思う。
「俺の方が知りたいよ。昔のあいつはバカではあるが、愚かじゃなかった。自分の平凡さを理解しているから、いつ誰を頼ればいいか、誰を働かせればいいかを常に考えているやつだった」
「私もそう思います。アンジェリーナお義姉様にも、からかったり悪戯することはあっても、理由もなく罵倒するようなことは決してありませんでした」
そこまで言って、ゼノンのことを見据えるレオナルド。
「……兄さんは、今でも兄上が敵になろうとしていると、そう思っていらっしゃるのですね」
会議室での一幕を思い出していたのだろう、レオナルドはそう問うた。
「ああ。そうとでも考えなければ説明がつかないからな」
「ですが、背中に痕跡はなかったと聞いています……少なくとも、兄上に関しては他に理由があるのでは?」
「確かにそれが濃厚だ……だが、万が一と言うことはある」
ゼノンはそう言って、チラリとレオナルドに目をやった。
「王族の覚悟と口にするなら、常に最悪を考えろ。上に立つなら楽観は許されんぞ」
「……申し訳ありません、考え足らずでした」
「わかりゃ、いい」
そう言って、前を向き直る。
「あの場では」
降りようとした沈黙を、レオナルドが破った。
「収拾がつかなくなりそうだったので黙っていましたが……ファルメール伯爵令嬢から、もう一つ伝言があります」
「……聞こう」
続きを促すゼノンに、眦を決して口を開いた。
「『自分で最後にしてほしい』……だ、そうです」
「……彼女の覚悟に報いるぞ」
「はい!!」
顔を上げて、足を速める。王妃たちが待っているサロンは、もうすぐそこだった。
それより少し前……
しばらくして、アンジェリーナは王妃がいるテラスへと案内される。
王宮のテラスは、王妃が丹精を込めて育てた中庭を望む構造になっている。中庭とは石造りの柵で区切られており、柵の支柱には植木鉢が作り付けられていて咲き誇る花が柔らかい香りを醸し出していた。
春先の陽気が差し込むテラス、そこでは今、あたたかい日差しとは対照的な陰鬱な空気が沈殿していた。
その発生源を目の当たりにして、アンジェリーナは一瞬、足を止めてしまう。丁度そのときに、相手も彼女の存在に気付いたようだった。
「ああ……きていたのね。アンジェ」
「アンジェ、ごきげんよう」
「ご機嫌麗しゅうございます、王妃殿下、フローレンス王女殿下。デュラス・ベルリエンデ公爵が娘、アンジェリーナ。参じましてございます」
美しい金髪碧眼を持つ二人の婦人に、最敬礼のカーテシーで一礼した。
深い緑色のドレスをまとった妙齢の婦人は、リーズバルト王国王妃・クリステッサ・リーズバルトその人である。アルハザードの妻にして、アーノルドの母親だ。
もう一人の礼装軍服姿の美女は、フローレンス・リーズバルト。リーズバルト王国第一王女にして、国防軍機甲部隊の指揮官を務める女傑である。
王太子の婚約者であるという立場上、二人との関係は長い。婚約当初からの交流は十年を数える。その間に、『精霊戦争』勃発による疎開で疎遠になっていた時期もあったが、概ね二人とは良好な関係を築いてきたと思う。
「丁度よかったわ。あなたに話があるの」
「母上、話すのですか?」
「いずれは、知れることよ。それなら、私の口から話しておきたいわ」
アンジェリーナに向かってそう言うクリステッサに、戸惑いながらフローレンスは言った。それに決意がこもった瞳で答えながら、クリステッサは静かに立ち上がる。
「場所を変えましょう」
「かしこまりました」
おそらく、アーノルドのことだろう。これから知らされる事実の重さを予期しながら、アンジェリーナは頷いた。
テラスを出た三人は、マクスウェルの先導でサロンへと移動し、用意されていた席に着く。そこでクリステッサが手を振ると、マクスウェルはじめとした家令・侍女は部屋を出た。
人払いがすんだサロンで告げられたのは、アンジェリーナの予想をはるかに超えた事実だった。
「殿下が……未婚のご令嬢を?」
「ええ。手籠めにしたそうよ。まだ、確定ではないけれどね」
「だが、状況証拠からしてあの愚弟の犯行以外考えられん。今、父上とレオナルド、それにゼノンたちが対応を協議している」
まだ確定ではない。その言葉は気休めにもならなかった。あまりの事態にアンジェリーナは二の句を継げなかった。
「……被害に遭われたのは、どなたでしょうか?」
やっとの思いで、それだけを絞り出す。その声は震えていた。
「ファルメール伯爵のご息女、カティア嬢よ」
「知っての通り、カティア嬢には婚約者がいる。今回のことで、彼女の婚約にも影響があるだろう」
「…………」
想像を超えた事態に、アンジェリーナは完全に絶句した。
未婚の令嬢を強姦……不祥事などという言葉では誤魔化せない、れっきとした犯罪である。
「……わたくしたちは、何をすれば……」
「今回ばかりは、何もしないでいてくれた方が助かるわ」
「事態が事態だ。王家が直接対応するしかない。公爵家としても動かないでもらいたい」
「ですが、それでは他の貴族が納得しないと思いますが?」
「それは私たちでなんとかするわ」
「君はもう十分よくやってくれた。それを裏切ったのは愚弟だ」
そう言ったフローレンスは、疲れたように椅子に身を沈めた。ぎしりとベルベットがきしむ音がした。
「例え他の貴族家が納得しなかったとしても……いいえ、むしろ納得しないからこそあなたには動いてほしくないの」
「……事態を収拾した場合、公爵家の功績と見なされるからでしょうか?」
「それもあるし、君に伯爵家からの憎悪がむかないように、と言う意味もある」
王妃の言葉に向かって発せられた問いに、フローレンスが答えた。
「幸い、と言っていいのかはわからないけれど、あなたとアーノルドの不仲は有名よ。公爵家が行動しなかったとしても、不自然ではないわ」
「今しばらくは、静観する構えを取ってくれ。必ず、我々の手でけじめをつける」
「ですが、それではあまりにも……」
事態の重さに、アンジェリーナはそう言うのがやっとだった。
二人は、悪気なく、親心で言ってくれている。その内容にどこか安心した自分がいた。自分を蚊帳の外に置いてくれた方が、今の状況では正直、ありがたい。
だが、それでも……
「私に、何かできることはないでしょうか?」
「アンジェ?」
顔を上げたアンジェリーナの問いに、王妃は戸惑った顔になった。聞いていなかったのか? と言わんばかりの表情である。
「私を守るために、状況から遠ざけてくださっているのはわかりますし、感謝もしています」
「だったら」
「ですが、このまま手をこまねいていいのでしょうか? どんな状況であれ、わたくしは王太子殿下の婚約者です。その事実がある限り、わたくしも当事者の一人であることには違いないのですから」
「……アンジェ」
「勝手なことを言っている、と言う自覚はあります。ですが……」
そこまで言いかけた所で、ノックの音がした。
「王妃殿下。レオナルド殿下とマクシミリアン卿がお越しです」
「通してちょうだい」
ドアの向こうからのマクスウェルの問いに、王妃が答えた。その内容にアンジェリーナは一瞬戸惑ったが、フローレンスの対応を協議中という言葉を思い出し、結果の報告に来たのだろうと当たりをつけた。
ドアが開かれ、二人の男がサロンに足を踏み入れてくる。金髪の少年と赤毛の美丈夫……レオナルドとゼノンだ。
「ごきげんよう、ゼノン」
「結論はどうだ?」
ゼノンに向かってそう言う二人に、彼は硬い表情のまま口を開いた。
「旧交を温めたい所だが、悪い報せだ……ファルメール伯爵令嬢が、アーノルドの犯行だと証言した」
「……!? そ、そう……」
「確か……何だな?」
「残念ながら、確かだ」
そろって青ざめる王妃とフローレンスに、アンジェリーナはかける言葉が見つからなかった。
「……すまない」
「何を言ってるの……あなたが謝ることじゃないわ」
何かを言わずにはおれなかったであろうゼノンの謝罪を、そう言って王妃は退けた。
「ファルメール伯爵令嬢様は事態が解決できるまで、王家で保護・護衛します。これより、そのための人員を選抜いたします」
「……私の部隊を使え。ことがことだ。女騎士の方がいいだろう」
レオナルドの報告に、フローレンスがそう言った。
フローレンス麾下の部隊である『鉄鋼姫騎士団』はこの国で唯一の女騎士のみで構成された部隊である。今回の任務にはうってつけと言えた。
「感謝します、姉上。それでは、私はこれで」
フローレンスの言葉にそう答えて、レオナルドはサロンを後にする。
「アーノルドの行方は?」
「目下捜査中だ。追跡魔術を仕掛けておいたから、もうそろそろ見つかると思うが……」
そこで言葉を切ったゼノンは、虚空に向けて手を振った。その空間に、淡く光る板のようなモノが現れる。
空間ウインドウ。魔術を使う際に使用される、一般的な術式インターフェイスだ。
「確定した。あのクソザル、城下に降りてやがる」
吐き捨てて、踵を返すゼノン。
「とりあえずとっ捕まえてくる。断っておくが、五体満足で確保するとは思わないでくれ」
「わかっているわ」
「全て、お前に任せる……頼んだぞ」
苦渋をにじませる王妃とフローレンス。
「あの、ゼノン様」
サロンを出ようとしたゼノンの背中に、思わず声をかけていた。
「何か? アンジェリーナ嬢」
「いえ……その、お気をつけて」
「ありがとう」
アンジェリーナの激励に、ゼノンは微笑んでそう答えて、今度こそサロンを後にした。
その背中を見送りながら、アンジェリーナは言い知れぬ無力感に苛まれていた。
「ゼノン兄さん!!」
立ち止まって振り向くと、金髪碧眼の少年がこちらに駆け寄ってきた。レオナルドだ。
この国の王家との付き合いは非常に長い。ある事情からこの国に身を寄せたそのときから、王女と王子とは兄弟のような関係を築いていた。
その中でも目の前のレオナルドは、ゼノンのことを今のように兄さんと呼んで慕ってくれている。成長して王族の自覚を持った今も、気の置けない親友のような間柄になっていた。
「何だ? レオ」
「母上の元へ行かれるのでしょう? ご一緒します」
追いついてから、肩を並べて歩き出したレオナルドに、ゼノンは首を振った。
「必要ない。俺の口から話す」
「ですが……」
「実の兄を断罪するなんて言う、汚れ仕事をすることはない」
その一言で、一切の反論を封じ込めた。つもりだった。
「馬鹿にしないでください。私も王族の端くれです。清も濁も、のみ込むだけの覚悟はしてきたつもりです」
「だがな」
「自分だけで背負うなんて考えないでください。私ももう、子供ではありません」
そこまで言われれば、もう何も言えなかった。しばし無言で、肩を並べて王宮の廊下を歩く。ふと横を見ると、少し前までもっと下にあったはずの視線が、自分とほとんど同じ高さになっていることに気がついた。
「どうかしましたか?」
「……いや」
こちらに視線に気付いたのだろう、レオナルドが怪訝そうに聞いてくる。
「いつの間にか、目線が同じ高さになってると思ってな」
非常時にもかかわらず、感慨深さについ、そう言っていた。ゼノンが知っているレオナルドは、今よりも小さくて、兄さんとゼノンのことを呼びながら追いかけてくる子供だったのが、いつの間にか大きくなっていたことがゼノンの胸を打った。
「ああ……ここ三年ほどで急に伸びました。昔は、兄さんのことを見上げていたのに、なんだか不思議な気分です」
「兄さん兄さんと後ろをチョロチョロついて回ってたからな」
「やめてください……流石に恥ずかしいです」
「アーノルドと一緒にフローラに悪戯したからかくまってくれ、とか言って部屋に押しかけてきたこともあったな」
「あのときは、一緒に謝りに行ってくれましたね。まあ、そろって特大の雷を落とされましたが」
「鞄にヒキガエル放り込みゃそうなって当たり前だ」
「違いありません」
そう言って、そろって小さく笑った。そうしてから、ポツリとレオナルドがつぶやく。
「……いつから、こんなことになってしまったのでしょうね」
その言葉には、実の兄が作り出した現状への苦渋が滲み出ていた。
いつから……その問いに答えられる人間はおそらくいない。本当に何の前触れもなく、アーノルドは豹変した。身近でそれを見てきたレオナルドでさえ、原因も何もわからないままだ。
ゼノンが知る限りでも、彼が豹変するようなきっかけはなかったと思う。
「俺の方が知りたいよ。昔のあいつはバカではあるが、愚かじゃなかった。自分の平凡さを理解しているから、いつ誰を頼ればいいか、誰を働かせればいいかを常に考えているやつだった」
「私もそう思います。アンジェリーナお義姉様にも、からかったり悪戯することはあっても、理由もなく罵倒するようなことは決してありませんでした」
そこまで言って、ゼノンのことを見据えるレオナルド。
「……兄さんは、今でも兄上が敵になろうとしていると、そう思っていらっしゃるのですね」
会議室での一幕を思い出していたのだろう、レオナルドはそう問うた。
「ああ。そうとでも考えなければ説明がつかないからな」
「ですが、背中に痕跡はなかったと聞いています……少なくとも、兄上に関しては他に理由があるのでは?」
「確かにそれが濃厚だ……だが、万が一と言うことはある」
ゼノンはそう言って、チラリとレオナルドに目をやった。
「王族の覚悟と口にするなら、常に最悪を考えろ。上に立つなら楽観は許されんぞ」
「……申し訳ありません、考え足らずでした」
「わかりゃ、いい」
そう言って、前を向き直る。
「あの場では」
降りようとした沈黙を、レオナルドが破った。
「収拾がつかなくなりそうだったので黙っていましたが……ファルメール伯爵令嬢から、もう一つ伝言があります」
「……聞こう」
続きを促すゼノンに、眦を決して口を開いた。
「『自分で最後にしてほしい』……だ、そうです」
「……彼女の覚悟に報いるぞ」
「はい!!」
顔を上げて、足を速める。王妃たちが待っているサロンは、もうすぐそこだった。
それより少し前……
しばらくして、アンジェリーナは王妃がいるテラスへと案内される。
王宮のテラスは、王妃が丹精を込めて育てた中庭を望む構造になっている。中庭とは石造りの柵で区切られており、柵の支柱には植木鉢が作り付けられていて咲き誇る花が柔らかい香りを醸し出していた。
春先の陽気が差し込むテラス、そこでは今、あたたかい日差しとは対照的な陰鬱な空気が沈殿していた。
その発生源を目の当たりにして、アンジェリーナは一瞬、足を止めてしまう。丁度そのときに、相手も彼女の存在に気付いたようだった。
「ああ……きていたのね。アンジェ」
「アンジェ、ごきげんよう」
「ご機嫌麗しゅうございます、王妃殿下、フローレンス王女殿下。デュラス・ベルリエンデ公爵が娘、アンジェリーナ。参じましてございます」
美しい金髪碧眼を持つ二人の婦人に、最敬礼のカーテシーで一礼した。
深い緑色のドレスをまとった妙齢の婦人は、リーズバルト王国王妃・クリステッサ・リーズバルトその人である。アルハザードの妻にして、アーノルドの母親だ。
もう一人の礼装軍服姿の美女は、フローレンス・リーズバルト。リーズバルト王国第一王女にして、国防軍機甲部隊の指揮官を務める女傑である。
王太子の婚約者であるという立場上、二人との関係は長い。婚約当初からの交流は十年を数える。その間に、『精霊戦争』勃発による疎開で疎遠になっていた時期もあったが、概ね二人とは良好な関係を築いてきたと思う。
「丁度よかったわ。あなたに話があるの」
「母上、話すのですか?」
「いずれは、知れることよ。それなら、私の口から話しておきたいわ」
アンジェリーナに向かってそう言うクリステッサに、戸惑いながらフローレンスは言った。それに決意がこもった瞳で答えながら、クリステッサは静かに立ち上がる。
「場所を変えましょう」
「かしこまりました」
おそらく、アーノルドのことだろう。これから知らされる事実の重さを予期しながら、アンジェリーナは頷いた。
テラスを出た三人は、マクスウェルの先導でサロンへと移動し、用意されていた席に着く。そこでクリステッサが手を振ると、マクスウェルはじめとした家令・侍女は部屋を出た。
人払いがすんだサロンで告げられたのは、アンジェリーナの予想をはるかに超えた事実だった。
「殿下が……未婚のご令嬢を?」
「ええ。手籠めにしたそうよ。まだ、確定ではないけれどね」
「だが、状況証拠からしてあの愚弟の犯行以外考えられん。今、父上とレオナルド、それにゼノンたちが対応を協議している」
まだ確定ではない。その言葉は気休めにもならなかった。あまりの事態にアンジェリーナは二の句を継げなかった。
「……被害に遭われたのは、どなたでしょうか?」
やっとの思いで、それだけを絞り出す。その声は震えていた。
「ファルメール伯爵のご息女、カティア嬢よ」
「知っての通り、カティア嬢には婚約者がいる。今回のことで、彼女の婚約にも影響があるだろう」
「…………」
想像を超えた事態に、アンジェリーナは完全に絶句した。
未婚の令嬢を強姦……不祥事などという言葉では誤魔化せない、れっきとした犯罪である。
「……わたくしたちは、何をすれば……」
「今回ばかりは、何もしないでいてくれた方が助かるわ」
「事態が事態だ。王家が直接対応するしかない。公爵家としても動かないでもらいたい」
「ですが、それでは他の貴族が納得しないと思いますが?」
「それは私たちでなんとかするわ」
「君はもう十分よくやってくれた。それを裏切ったのは愚弟だ」
そう言ったフローレンスは、疲れたように椅子に身を沈めた。ぎしりとベルベットがきしむ音がした。
「例え他の貴族家が納得しなかったとしても……いいえ、むしろ納得しないからこそあなたには動いてほしくないの」
「……事態を収拾した場合、公爵家の功績と見なされるからでしょうか?」
「それもあるし、君に伯爵家からの憎悪がむかないように、と言う意味もある」
王妃の言葉に向かって発せられた問いに、フローレンスが答えた。
「幸い、と言っていいのかはわからないけれど、あなたとアーノルドの不仲は有名よ。公爵家が行動しなかったとしても、不自然ではないわ」
「今しばらくは、静観する構えを取ってくれ。必ず、我々の手でけじめをつける」
「ですが、それではあまりにも……」
事態の重さに、アンジェリーナはそう言うのがやっとだった。
二人は、悪気なく、親心で言ってくれている。その内容にどこか安心した自分がいた。自分を蚊帳の外に置いてくれた方が、今の状況では正直、ありがたい。
だが、それでも……
「私に、何かできることはないでしょうか?」
「アンジェ?」
顔を上げたアンジェリーナの問いに、王妃は戸惑った顔になった。聞いていなかったのか? と言わんばかりの表情である。
「私を守るために、状況から遠ざけてくださっているのはわかりますし、感謝もしています」
「だったら」
「ですが、このまま手をこまねいていいのでしょうか? どんな状況であれ、わたくしは王太子殿下の婚約者です。その事実がある限り、わたくしも当事者の一人であることには違いないのですから」
「……アンジェ」
「勝手なことを言っている、と言う自覚はあります。ですが……」
そこまで言いかけた所で、ノックの音がした。
「王妃殿下。レオナルド殿下とマクシミリアン卿がお越しです」
「通してちょうだい」
ドアの向こうからのマクスウェルの問いに、王妃が答えた。その内容にアンジェリーナは一瞬戸惑ったが、フローレンスの対応を協議中という言葉を思い出し、結果の報告に来たのだろうと当たりをつけた。
ドアが開かれ、二人の男がサロンに足を踏み入れてくる。金髪の少年と赤毛の美丈夫……レオナルドとゼノンだ。
「ごきげんよう、ゼノン」
「結論はどうだ?」
ゼノンに向かってそう言う二人に、彼は硬い表情のまま口を開いた。
「旧交を温めたい所だが、悪い報せだ……ファルメール伯爵令嬢が、アーノルドの犯行だと証言した」
「……!? そ、そう……」
「確か……何だな?」
「残念ながら、確かだ」
そろって青ざめる王妃とフローレンスに、アンジェリーナはかける言葉が見つからなかった。
「……すまない」
「何を言ってるの……あなたが謝ることじゃないわ」
何かを言わずにはおれなかったであろうゼノンの謝罪を、そう言って王妃は退けた。
「ファルメール伯爵令嬢様は事態が解決できるまで、王家で保護・護衛します。これより、そのための人員を選抜いたします」
「……私の部隊を使え。ことがことだ。女騎士の方がいいだろう」
レオナルドの報告に、フローレンスがそう言った。
フローレンス麾下の部隊である『鉄鋼姫騎士団』はこの国で唯一の女騎士のみで構成された部隊である。今回の任務にはうってつけと言えた。
「感謝します、姉上。それでは、私はこれで」
フローレンスの言葉にそう答えて、レオナルドはサロンを後にする。
「アーノルドの行方は?」
「目下捜査中だ。追跡魔術を仕掛けておいたから、もうそろそろ見つかると思うが……」
そこで言葉を切ったゼノンは、虚空に向けて手を振った。その空間に、淡く光る板のようなモノが現れる。
空間ウインドウ。魔術を使う際に使用される、一般的な術式インターフェイスだ。
「確定した。あのクソザル、城下に降りてやがる」
吐き捨てて、踵を返すゼノン。
「とりあえずとっ捕まえてくる。断っておくが、五体満足で確保するとは思わないでくれ」
「わかっているわ」
「全て、お前に任せる……頼んだぞ」
苦渋をにじませる王妃とフローレンス。
「あの、ゼノン様」
サロンを出ようとしたゼノンの背中に、思わず声をかけていた。
「何か? アンジェリーナ嬢」
「いえ……その、お気をつけて」
「ありがとう」
アンジェリーナの激励に、ゼノンは微笑んでそう答えて、今度こそサロンを後にした。
その背中を見送りながら、アンジェリーナは言い知れぬ無力感に苛まれていた。
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