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第四話
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その日の午後、アーノルドもゼノンも授業に姿を見せることはなかった。
加えて、化学の授業が急遽自習になるなど、何かいつもとは違う一日となった。
「ゼノン様、何かあったのかしら……」
王妃教育のために城へと向かう車の中で、アンジェリーナは独りごちる。
魔力を動力源とする自動車は、この世界では広く普及した交通手段だ。復興が始まったばかりの今はまだ少ない、石畳の道路をモーター駆動で静かに進んでいく。
窓外には、復興と整備が始まったばかりの都市部の光景がある。半壊した建造物、更地なった土地、いまだに剥き出しの地面……元々は公園だった広場では、炊き出しの列が並んでいる。『精霊戦争』が残した爪痕は、王都には特に色濃く残っていた。
王都は『精霊戦争』の際に最激戦区となった場所だ。魔術転移を駆使して王都へと直接攻撃を仕掛けてきたとき、すでに大勢は決していたと言われている。王都への襲撃そのものが、彼らの最後の抵抗だったと伝えられていた。
当然ながら、その攻撃によって受けた被害は国内でも最大級のものであり、終戦直後は遷都も検討された。
それが実現しなかったのは、このリーズバルトという国の成り立ちが深く関わっている。
この王都・ネティクスは、この世界の神が自らの分身を合計で七つ、遣わした地と言われている。その七つの分身が各々星の頂点を象って、この世界の人類が生まれる扉を開いた……それが国教『七芒星教』の教えである。
つまり、この地は首都であると同時に、聖地でもあるのだ。そのために、王家はここから離れるべきではないと言う意見が権力者の間で大勢を占め、遷都は見送られることになった。
だが、戦災が消えるわけではなく、今もこうして深い爪痕の中で人々は必死に生きている。
(お父様も、戦争のことは何も話したがらないわ)
当時の父は、前線には出ずとも国政に携わる政官の一人として、兵士とは違う場所で戦っていたはずである。その父でさえ、戦争に関しては多くを語らなかった。
他の人々も同様に、自身の体験を語ることはなかった……と、そこで気付く。
「結局あの戦争の詳細って、ほとんど知らされてませんわね……何故でしょう?」
そんな疑問を抱いてしまったのは、ゼノンの顔に走った『陰り』に気付いてしまったからだろうか。
悲しみとも怒りとも違う、曰く形容しがたい『陰り』……未来の王妃としてそれなりに人の心を読む手段は学んできたつもりだが、そんなアンジェリーナでもその正体は判然としなかった。
一つわかっているのは、あの『陰り』が戦争に根ざしていると言うことだけだった。
国民には公表できないような……そう言ったときの彼の眼光は、アンジェリーナの脳裏にこびりついて消えなかった。
熟考しているうちに王宮へと到着する。アプローチへと入った車から、王宮家令のエスコートで車を降り、王宮内に通されて……
(あら?)
普段は案内されることのない、応接室に通された。
どういうことかと困惑していると、家令が困ったように話しかけてきた。
「ベルリエンデ公爵令嬢様、ご足労いただき大変申し訳ないのですが、本日の教育は中止とのことでございます」
「中止? 何かございまして?」
予想外の報せにアンジェリーナは困惑して聞き返した。
「はっ、何でもブラッドリー夫人も含めて、王宮内の教育係を相手に、陛下による緊急の会合が開かれるとのことでございます」
ブラッドリー夫人は、アンジェリーナの王妃教育を担当している女官である。その彼女も含めてと言うことは……
アーノルドが午後の授業に姿を見せなかった事実と結びつき、結論が出るのは一瞬だった。
(……今度は何をしたのかしら)
そこにたどり着いた瞬間、内心げんなりとなったアンジェリーナだった。ここまでの王妃教育のおかげで顔に出すような無様は免れたが、内心の変化を目の前の家令は敏感に感じ取っていた。
「おそらく、予想通りです……アーノルド殿下が、何かしでかしたようでして……」
目の前の家令……マクスウェルは仕えてもう三〇年となる王宮内の重鎮であり、多少のことではその表情を変化させることなどない。その彼をして、眉間にしわを寄せさせるのだから、アーノルドの傍若無人ぶりは天井知らずだった。
内心同情しながら、柔らかく微笑んで答える。
「それでしたら、仕方がありませんわ……王妃殿下も、会合にご出席を?」
「いえ、王妃殿下はテラスにてご休憩なさっております」
「でしたら、殿下にご挨拶だけして、失礼させていただきます」
「かしこまりました。殿下にすぐお知らせします故、しばしお待ちを」
「お願いします」
一礼して去って行くマクスウェルの背中を、アンジェリーナは見送った。見慣れているはずのそれは、なぜだかとても小さく見えた。
「いい加減に現実を見ろ!!」
会合に使われている会議室内に、若い男の鋭い声が響き渡った。それをメリッサ・ブラッドリーはどこか遠くに聞いていた。
声を上げた赤毛の男――ゼノン・マクシミリアンと名乗るその男の態度は、この王国の最高権力者を前にして堂々としていた。
その光景に口を挟むものはいない。ここにいる人間たちは、二人の関係をよく知っていたからだ。
「あのクソガキ王子は校内でもやらかした!! もう教育でどうにかできる段階はとっくに終わってるぞ!!」
面に怒りを隠しもせずに、その男は声を荒げた。
王太子殿下が同級生の少女……それも婚約者がいる伯爵令嬢を陵辱した……にわかには信じがたいその報せを、ここに顔をそろえた王宮教育係は誰も疑わなかった。
皆、諦観とともに、ああ、ついにこの時がきたのか……と、ため息をつくばかりである。
なぜなら、未遂とは言え王宮の女官や侍女を手籠めにしようとした前科があったからだ。
そのたびに近衛騎士団員やフローレンス王女が止めに入っていたのだ。
「……そう、大声を出さずともわかっている」
渋面でそう答えるのは、リーズバルト王国当代国王・アルハザード・リーズバルトである。その面には、公人と父親との二つの立場で板挟みになった苦渋が浮かんでいた。その傍らに硬い表情で立っているのは、第二王子であるレオナルド殿下だ。
「いや、わかっていない。この話を持ちかけられたとき、俺ははっきり言ったよな? 本当に本人のことを思うなら、お目付役なんて中途半端な真似はせずに、一度謹慎させて性根をたたき直せと!!」
「ああ、言った……だが、アーノルドはまだ一七歳だ。更生していく余地はある」
「更生? 笑わせるな。同級のご令嬢を躊躇わず手籠めにしたやつのどこにそんなモンが期待できる? しかも、状況からして認識阻害と結界で助けが来ない状況を作り上げてことに及んでいる……悪質にほどがあるぞ」
「だが、それはまだ、裏は取れていないのだろう?」
「裏が取れてない? ハッ!! それがどうした? ご令嬢が妊娠していれば、裏もへったくれもなくなるぞ」
すがるような国王の言葉を、鼻で笑って一蹴する。
「あの薄らバカは王族の胤が持つ意味さえ理解していない!! 忠義の紳士であるファルメール伯爵のご息女だから、本人には申し訳ないが状況としてはまだマシだ!! これが場末の娼婦だの、敵国の間者だのだったときのことを考えろ!! 国家転覆一直線だぞ!!」
ドンと、国王の眼前のテーブルを殴りつけ、怒声を上げた。
その場にいる誰もが反論できない、ぐうの音も出ない正論に、室内を沈黙が支配した。その中でブラッドリー夫人は思う……何故、もっと早くここに来てくれなかったのか、と。
見当違いの八つ当たりと言うことはわかっている。だが、思わずにはいられない。目の前で憔悴しきっている王は、ここまで側近含めた周囲の進言をことごとく拒否し、王太子の放蕩無頼を半ば放置し、その対応を婚約者であるアンジェリーナに丸投げした。目の前の男を呼ぶことさえ、フローレンス王女の粘り強い説得の元、ようやく同意したというのだから、親馬鹿も過ぎると害悪であると実感するしかない。
今現在、ベルリエンデ公爵は愛娘と王太子の婚約を解消するための多数派工作を密かに進めている。それをマクスウェル以下、王宮に勤めるものたちは皆支持していたし、ブラッドリー夫人もその一人である。
それどころか、この場にいないフローレンス王女や目の前の第二王子……さらには王妃までが、ベルリエンデ公爵の行動を支持していた。知らぬはまさに国王ばかりなりである。
姉も、弟も、母親までもが見限る中、当の国王だけが幻想の中の愛息子の姿にすがっている……現実を見ろ。まさしくそうとしか言えない有様だった。
(……潮時かも知れませんわね……)
目の前の国王は、『精霊戦争』での武功を元に危なげなく玉座に腰を下ろした。その執政も、及第点とは言える。
だが、それだけだ。父親としても、公人としても、今のアルハザードは中途半端の一言だ。
過去には乳母として彼の幼い頃を見ていたブラッドリー夫人の胸に、言い知れない虚無感が去来する。
そのとき、ノックの音が沈黙を破った。目線で許可を求めたレオナルドに、やはり目線で国王が許可を与えた。
「入りなさい」
「失礼いたします」
姿を見せたのは、魔導学院で警備を務める者だった。足早にレオナルドに歩み寄り、耳打ちする。
「……わかった。下がりなさい」
レオナルドの言葉に、黙礼してその場を辞した。
重々しいため息をついて、レオナルドは室内の全員を見渡した。
まるで、いやなことを口にしなければならない、と言うように……
「警備の者より、イルバーン教諭からの伝言です……ファルメール伯爵令嬢が目を覚まされました」
声もない驚きが、室内を支配した。全員が固唾をのんでレオナルドの言葉を待つ。
「憔悴はされているようですが、はっきりと……王太子殿下の犯行と証言されたそうです」
かすかなどよめきがさざ波のように広がった。
「なんと……気丈な」
最初に誰かが口にしたのは、そんな言葉だった。
未婚の姦通は、貴族令嬢にとって最悪の醜聞である。婚姻まで純潔を守れなかったこと……その事実のみが令嬢にとっての瑕疵となってしまう。
今回のように手籠めにされたと言うことならば、本人に責任がない分、まだマシだ。だが、姦通の事実に変わりはなく、婚約者にとっては破棄する十分な理由となってしまう。それを、伯爵令嬢であるカティア嬢は十分理解しているはずだった。
彼女と、その婚約者であるハミル侯爵令息の仲睦まじい関係は、王宮内にも理想の婚約として知られている。その二人に、今回の件が影を落とすことは間違いない。
それでありながら、その場で証言した……それまでに少女を苛んだ苦痛は察してあまりある。
「さすがはファルメール伯爵のご息女……」
「それもあるだろうが、イルバーン教諭がそばにいたこともよかったのだろう」
「マクシミリアン卿の判断は正しかったな……」
口々に、令嬢の覚悟と教諭の対応、ゼノンの判断を賞賛する教育係たち。
「最早、猶予はないな」
その中に、ゼノンの言葉が重々しく響く。
「同感です。陛下、王家の影と近衛兵をお借りします。よろしいですね?」
「……許可する」
有無を言わせぬレオナルドの言葉に、力なく国王は答えた。
「レンフィールド近衛騎士団長とカステヤノス隊長を招集しなさい!! ファルメール伯爵令嬢の護衛者を至急、選抜します!!」
「はっ!!」
レオナルドの命令に、側近の一人が足早に部屋を出た。
「アル、一つだけ答えろ」
「……何か?」
「あのクソ王子……本当に、憑かれていないんだな?」
真に迫ったゼノンの言葉に、気圧されるようにのけぞる国王。
「ああ……それは間違いない。何も、兆候はない」
「……信じるぞ。親友」
そう言ってゼノンは踵を返し、ドアに手をかけた所で、振り返った。
「親友のよしみだ。一つだけ忠告しといてやる……もう、手心は加えるな。次に何かあるときは、この王宮の中だぞ」
国王の返事を待たずに、ゼノンは部屋を出た。
その無礼をとがめる者は、誰もいなかった。
加えて、化学の授業が急遽自習になるなど、何かいつもとは違う一日となった。
「ゼノン様、何かあったのかしら……」
王妃教育のために城へと向かう車の中で、アンジェリーナは独りごちる。
魔力を動力源とする自動車は、この世界では広く普及した交通手段だ。復興が始まったばかりの今はまだ少ない、石畳の道路をモーター駆動で静かに進んでいく。
窓外には、復興と整備が始まったばかりの都市部の光景がある。半壊した建造物、更地なった土地、いまだに剥き出しの地面……元々は公園だった広場では、炊き出しの列が並んでいる。『精霊戦争』が残した爪痕は、王都には特に色濃く残っていた。
王都は『精霊戦争』の際に最激戦区となった場所だ。魔術転移を駆使して王都へと直接攻撃を仕掛けてきたとき、すでに大勢は決していたと言われている。王都への襲撃そのものが、彼らの最後の抵抗だったと伝えられていた。
当然ながら、その攻撃によって受けた被害は国内でも最大級のものであり、終戦直後は遷都も検討された。
それが実現しなかったのは、このリーズバルトという国の成り立ちが深く関わっている。
この王都・ネティクスは、この世界の神が自らの分身を合計で七つ、遣わした地と言われている。その七つの分身が各々星の頂点を象って、この世界の人類が生まれる扉を開いた……それが国教『七芒星教』の教えである。
つまり、この地は首都であると同時に、聖地でもあるのだ。そのために、王家はここから離れるべきではないと言う意見が権力者の間で大勢を占め、遷都は見送られることになった。
だが、戦災が消えるわけではなく、今もこうして深い爪痕の中で人々は必死に生きている。
(お父様も、戦争のことは何も話したがらないわ)
当時の父は、前線には出ずとも国政に携わる政官の一人として、兵士とは違う場所で戦っていたはずである。その父でさえ、戦争に関しては多くを語らなかった。
他の人々も同様に、自身の体験を語ることはなかった……と、そこで気付く。
「結局あの戦争の詳細って、ほとんど知らされてませんわね……何故でしょう?」
そんな疑問を抱いてしまったのは、ゼノンの顔に走った『陰り』に気付いてしまったからだろうか。
悲しみとも怒りとも違う、曰く形容しがたい『陰り』……未来の王妃としてそれなりに人の心を読む手段は学んできたつもりだが、そんなアンジェリーナでもその正体は判然としなかった。
一つわかっているのは、あの『陰り』が戦争に根ざしていると言うことだけだった。
国民には公表できないような……そう言ったときの彼の眼光は、アンジェリーナの脳裏にこびりついて消えなかった。
熟考しているうちに王宮へと到着する。アプローチへと入った車から、王宮家令のエスコートで車を降り、王宮内に通されて……
(あら?)
普段は案内されることのない、応接室に通された。
どういうことかと困惑していると、家令が困ったように話しかけてきた。
「ベルリエンデ公爵令嬢様、ご足労いただき大変申し訳ないのですが、本日の教育は中止とのことでございます」
「中止? 何かございまして?」
予想外の報せにアンジェリーナは困惑して聞き返した。
「はっ、何でもブラッドリー夫人も含めて、王宮内の教育係を相手に、陛下による緊急の会合が開かれるとのことでございます」
ブラッドリー夫人は、アンジェリーナの王妃教育を担当している女官である。その彼女も含めてと言うことは……
アーノルドが午後の授業に姿を見せなかった事実と結びつき、結論が出るのは一瞬だった。
(……今度は何をしたのかしら)
そこにたどり着いた瞬間、内心げんなりとなったアンジェリーナだった。ここまでの王妃教育のおかげで顔に出すような無様は免れたが、内心の変化を目の前の家令は敏感に感じ取っていた。
「おそらく、予想通りです……アーノルド殿下が、何かしでかしたようでして……」
目の前の家令……マクスウェルは仕えてもう三〇年となる王宮内の重鎮であり、多少のことではその表情を変化させることなどない。その彼をして、眉間にしわを寄せさせるのだから、アーノルドの傍若無人ぶりは天井知らずだった。
内心同情しながら、柔らかく微笑んで答える。
「それでしたら、仕方がありませんわ……王妃殿下も、会合にご出席を?」
「いえ、王妃殿下はテラスにてご休憩なさっております」
「でしたら、殿下にご挨拶だけして、失礼させていただきます」
「かしこまりました。殿下にすぐお知らせします故、しばしお待ちを」
「お願いします」
一礼して去って行くマクスウェルの背中を、アンジェリーナは見送った。見慣れているはずのそれは、なぜだかとても小さく見えた。
「いい加減に現実を見ろ!!」
会合に使われている会議室内に、若い男の鋭い声が響き渡った。それをメリッサ・ブラッドリーはどこか遠くに聞いていた。
声を上げた赤毛の男――ゼノン・マクシミリアンと名乗るその男の態度は、この王国の最高権力者を前にして堂々としていた。
その光景に口を挟むものはいない。ここにいる人間たちは、二人の関係をよく知っていたからだ。
「あのクソガキ王子は校内でもやらかした!! もう教育でどうにかできる段階はとっくに終わってるぞ!!」
面に怒りを隠しもせずに、その男は声を荒げた。
王太子殿下が同級生の少女……それも婚約者がいる伯爵令嬢を陵辱した……にわかには信じがたいその報せを、ここに顔をそろえた王宮教育係は誰も疑わなかった。
皆、諦観とともに、ああ、ついにこの時がきたのか……と、ため息をつくばかりである。
なぜなら、未遂とは言え王宮の女官や侍女を手籠めにしようとした前科があったからだ。
そのたびに近衛騎士団員やフローレンス王女が止めに入っていたのだ。
「……そう、大声を出さずともわかっている」
渋面でそう答えるのは、リーズバルト王国当代国王・アルハザード・リーズバルトである。その面には、公人と父親との二つの立場で板挟みになった苦渋が浮かんでいた。その傍らに硬い表情で立っているのは、第二王子であるレオナルド殿下だ。
「いや、わかっていない。この話を持ちかけられたとき、俺ははっきり言ったよな? 本当に本人のことを思うなら、お目付役なんて中途半端な真似はせずに、一度謹慎させて性根をたたき直せと!!」
「ああ、言った……だが、アーノルドはまだ一七歳だ。更生していく余地はある」
「更生? 笑わせるな。同級のご令嬢を躊躇わず手籠めにしたやつのどこにそんなモンが期待できる? しかも、状況からして認識阻害と結界で助けが来ない状況を作り上げてことに及んでいる……悪質にほどがあるぞ」
「だが、それはまだ、裏は取れていないのだろう?」
「裏が取れてない? ハッ!! それがどうした? ご令嬢が妊娠していれば、裏もへったくれもなくなるぞ」
すがるような国王の言葉を、鼻で笑って一蹴する。
「あの薄らバカは王族の胤が持つ意味さえ理解していない!! 忠義の紳士であるファルメール伯爵のご息女だから、本人には申し訳ないが状況としてはまだマシだ!! これが場末の娼婦だの、敵国の間者だのだったときのことを考えろ!! 国家転覆一直線だぞ!!」
ドンと、国王の眼前のテーブルを殴りつけ、怒声を上げた。
その場にいる誰もが反論できない、ぐうの音も出ない正論に、室内を沈黙が支配した。その中でブラッドリー夫人は思う……何故、もっと早くここに来てくれなかったのか、と。
見当違いの八つ当たりと言うことはわかっている。だが、思わずにはいられない。目の前で憔悴しきっている王は、ここまで側近含めた周囲の進言をことごとく拒否し、王太子の放蕩無頼を半ば放置し、その対応を婚約者であるアンジェリーナに丸投げした。目の前の男を呼ぶことさえ、フローレンス王女の粘り強い説得の元、ようやく同意したというのだから、親馬鹿も過ぎると害悪であると実感するしかない。
今現在、ベルリエンデ公爵は愛娘と王太子の婚約を解消するための多数派工作を密かに進めている。それをマクスウェル以下、王宮に勤めるものたちは皆支持していたし、ブラッドリー夫人もその一人である。
それどころか、この場にいないフローレンス王女や目の前の第二王子……さらには王妃までが、ベルリエンデ公爵の行動を支持していた。知らぬはまさに国王ばかりなりである。
姉も、弟も、母親までもが見限る中、当の国王だけが幻想の中の愛息子の姿にすがっている……現実を見ろ。まさしくそうとしか言えない有様だった。
(……潮時かも知れませんわね……)
目の前の国王は、『精霊戦争』での武功を元に危なげなく玉座に腰を下ろした。その執政も、及第点とは言える。
だが、それだけだ。父親としても、公人としても、今のアルハザードは中途半端の一言だ。
過去には乳母として彼の幼い頃を見ていたブラッドリー夫人の胸に、言い知れない虚無感が去来する。
そのとき、ノックの音が沈黙を破った。目線で許可を求めたレオナルドに、やはり目線で国王が許可を与えた。
「入りなさい」
「失礼いたします」
姿を見せたのは、魔導学院で警備を務める者だった。足早にレオナルドに歩み寄り、耳打ちする。
「……わかった。下がりなさい」
レオナルドの言葉に、黙礼してその場を辞した。
重々しいため息をついて、レオナルドは室内の全員を見渡した。
まるで、いやなことを口にしなければならない、と言うように……
「警備の者より、イルバーン教諭からの伝言です……ファルメール伯爵令嬢が目を覚まされました」
声もない驚きが、室内を支配した。全員が固唾をのんでレオナルドの言葉を待つ。
「憔悴はされているようですが、はっきりと……王太子殿下の犯行と証言されたそうです」
かすかなどよめきがさざ波のように広がった。
「なんと……気丈な」
最初に誰かが口にしたのは、そんな言葉だった。
未婚の姦通は、貴族令嬢にとって最悪の醜聞である。婚姻まで純潔を守れなかったこと……その事実のみが令嬢にとっての瑕疵となってしまう。
今回のように手籠めにされたと言うことならば、本人に責任がない分、まだマシだ。だが、姦通の事実に変わりはなく、婚約者にとっては破棄する十分な理由となってしまう。それを、伯爵令嬢であるカティア嬢は十分理解しているはずだった。
彼女と、その婚約者であるハミル侯爵令息の仲睦まじい関係は、王宮内にも理想の婚約として知られている。その二人に、今回の件が影を落とすことは間違いない。
それでありながら、その場で証言した……それまでに少女を苛んだ苦痛は察してあまりある。
「さすがはファルメール伯爵のご息女……」
「それもあるだろうが、イルバーン教諭がそばにいたこともよかったのだろう」
「マクシミリアン卿の判断は正しかったな……」
口々に、令嬢の覚悟と教諭の対応、ゼノンの判断を賞賛する教育係たち。
「最早、猶予はないな」
その中に、ゼノンの言葉が重々しく響く。
「同感です。陛下、王家の影と近衛兵をお借りします。よろしいですね?」
「……許可する」
有無を言わせぬレオナルドの言葉に、力なく国王は答えた。
「レンフィールド近衛騎士団長とカステヤノス隊長を招集しなさい!! ファルメール伯爵令嬢の護衛者を至急、選抜します!!」
「はっ!!」
レオナルドの命令に、側近の一人が足早に部屋を出た。
「アル、一つだけ答えろ」
「……何か?」
「あのクソ王子……本当に、憑かれていないんだな?」
真に迫ったゼノンの言葉に、気圧されるようにのけぞる国王。
「ああ……それは間違いない。何も、兆候はない」
「……信じるぞ。親友」
そう言ってゼノンは踵を返し、ドアに手をかけた所で、振り返った。
「親友のよしみだ。一つだけ忠告しといてやる……もう、手心は加えるな。次に何かあるときは、この王宮の中だぞ」
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