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第二話
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その日、校内は突然の転入生の話題で持ちきりだった。
貴族クラスに転入しながら、身分は平民。それでありながら、強力な魔力を持ち、詠唱その他の実技も優秀だった。
だが、何よりも噂になったのはもちろん、今朝のアーノルドとの一幕だ。
どれだけ傍若無人であろうと、王太子は王太子、いかなる者も敬意を払って対応するのが当然だ。
だが、件の転入生はまるで違った。王族が振り上げた拳を躊躇うことなく掴んで押さえ込み、挨拶もなく睨み付け、容赦なく詰問する……無能な王太子にはゴマをするか、関わらないかに対応が二極化していたが、彼はそのどちらでもなかった。
「今朝の騒動、見た!?」
「もちろん!! 傍若無人の色ボケ王子がいい気味だ!!」
昼休みの食堂、昼食を取る生徒たちでごった返すそこに、姦しいやりとりが響く。
女三人寄れば……などと言うが、その一角を担うアンジェリーナは残る二人の勢いに気圧されて苦笑した。
「拳骨あっさり止められて、顔真っ赤だったわよ!! 止められるだなんて、かけらも考えていなかったんでしょうね!!」
サバサバとした口調でアーノルドを嘲笑する蒼い髪の令嬢は、マレーネ・イクルシア子爵令嬢。下位貴族の出身だが、アンジェリーナとは乳姉妹の間柄であり、物心ついた頃からの付き合いがある、所謂幼馴染みという関係の少女だ。
「朝の一件もすごかったが、それだけじゃないだろう!! 剣術の授業にバカ王子の首根っこを掴んで現れたのは痛快だった!!」
ポニーテールに結い上げた栗色の髪を揺らすのは、メルディア・ロズウェル侯爵令嬢である。
侯爵家という高位貴族に生まれた彼女は、同じ夜会でアンジェリーナとともにデビュタントを果たした仲だった。出身も家の気風も何もかも違うはずの二人は、その時から妙に馬が合い、王都の王立魔導学院にともに入学、乳姉妹のマレーネも交えて、三人で交流するようになっていた。
「そうそう!! あんときのバカ王子、もー、いっそ哀れだったよね!! いっつも威張り散らしてるのに、怒られた子犬みたいになっちゃってさ!!」
「そして、やってくるなり、彼が皆に言い放った一言がまた痛快だったな!!」
二人、にひひと意地悪な笑みを交わし、
「「申し訳ありません。忘れ物を取りに行ってました」」
二人で復唱して、笑った。それを、アンジェリーナは苦笑を浮かべたまま見つめる。
「いやー、アンジェも運がよかったよね。こんな形で救世主が現れるなんてね」
「本当にな。私たちは助けになれていなかったからな」
「そんなことはありませんわ、こうしてお昼を一緒にしてくれるだけでも充分ですもの」
ベーコンエッグのガレットを切り分けながら、心からの本心でアンジェリーナは答えた。
貴族制度が健在なこの世界では、身分は絶対である。彼女らの立場では、曲がりなりにも王太子であるアーノルドには意見すら許されなかった。だから、親友である二人も傍観者に徹するしかなかったのである。
その状況を、時期外れの転入生は一瞬で変えてしまった。平民の身分でありながら、堂々と王太子に対応する光景に心配する者もいたし、アンジェリーナもその一人だった。だが、そんな懸念に対して、
「陛下よりお許しをいただいている。心配してくれてありがとう」
と、笑顔で返されれば納得するしかなかった。
堂々たる立ち振る舞いに好感を持った生徒は多く、目の前の二人もその一部である。
そんな二人を眺めながらガレットを口に運ぶ。おいしい。卵とベーコンの焼き加減も絶妙だ。相変わらず、食堂の料理人は腕がいい。
口の中身を飲み込んで、授業のことを思い出しながら言う。
「話は変わりますが、彼の腕前も驚きでしたわね」
「ああ……」
授業のことを話題に出すと、途端にメルディアの顔が引き締まった。
「打ち込む隙を全く見いだせなかったのは初めてだよ」
ローストビーフを切り分ける手を止めて、メルディアは悔しさを隠しもせずに言った。
先ほど言及した剣術の授業の際、一度メルディアとゼノンが手合わせしたのである。
互いに授業用の模擬剣を手にして向かい合う。メルディアは正眼に構えたものの、ゼノンは切っ先を上げるそぶりすら見せなかった。
舐めている。そんな思考は一瞬で砕け散った。
どう攻めても、打ち込めるビジョンが浮かばない……付け入る隙が見当たらない。どんな一撃も、防がれ、返り討ちに合う……そんな確信がメルディアを支配した。
気が付いた時には、参ったと口にして剣を下ろしていた。
「なんかあきらめたみたいな感じだったよね。もうなんか、やるまでもないって言うか」
クラブハウスサンドをのみ込んだマレーネが、授業風景を思い返しながら言った。
「まさしくマリーの言うとおりだよ……やるまでもなく、私の負けだ」
「メルがそんな風に言うだなんて……そんなに強いの? ゼノン様は」
メルディアの言葉を心底意外に思ったアンジェリーナはそう問うた。
東の国境沿いに領地を構えるロズウェル侯爵家は、西の辺境伯と並んで国防の二本柱と称される武門である。『精霊戦争』の際も、王国を守るために辺境伯家とともに精霊に立ち向かった。
その家の長女として生まれたメルディアは、自身も令嬢よりは騎士としての生き方を望んだ。淑女としての作法と教養を収めつつも、他方で自身の武の力を高めることは忘れない。
終戦からまだ間もないこの時代、貴族の子女は形だけでも武術を収めるのが慣例となっている。武門の出であるメルディアも例に漏れず、あらゆる武術を学んでいた。魔術、乗馬、射撃、体術……その中でも剣の腕は同世代の少年少女の中でも抜きん出ていた。
そんな彼女が、一合も交えず敗北を確信したというのだから、よほどの強者なのだと実感できた。
「強いとか、そんな話じゃないな。字義通り、次元が違う。自分がどれだけ狭い世界で思い上がっていたのか、思い知らされた気分だよ」
「おお、そこまで言っちゃう?」
「あなたほどの人がそこまで言うなんて……」
「誇張でも何でもない。実感だよ」
ナイフとフォークを置いたメルディアは、達観したように天井を見上げた。
「はっきりイメージできたよ。自分の敗北をね。打ち込んだら、その瞬間に返り討ちに遭う……理屈じゃない。はっきりと、感じたんだ……陛下やフローレンス殿下とともに戦ったって言う話、今ならうなずけるよ」
重々しくそう言うメルディアに、アンジェリーナとマレーネはかける言葉が見つからなかった。
彼が自己紹介した当初、その内容に真っ先に異を唱えたのがメルディアだった。自己紹介を終えたときのやりとりを思い返す。
「アンジェを助けてくれたことには礼を言う……だが、戦場帰りなどという戯言は看過できないぞ」
「そうか」
鋭く詰問するメルディアに対して、ゼノンの返答は醒めたものだった。
「あの戦争では大勢が命をかけ、散っていった」
「そうだな。間近で見ていたから、君よりもよく知っているよ」
そう返したとき、何か名状しがたい、仄暗い陰りがゼノンの相貌に差し込んだように見えた。
「そんな戦いに参加した? たった一二歳で? 信じろという方が無理があるぞ」
「別に信じてくれなくていいさ。まぁ、気になるならお父上に聞いてみるといい」
面倒そうに答えた彼は、そこで何かを懐かしむような表情になった。
「彼はまだカイゼルひげを?」
「……父を知っているのか!?」
「オーランド・ロズウェル。第二魔導中隊所属。最終階級・中佐。当時の愛機はブルーストライプの『プロト・イクスレイヴ』。多くのフレームドライバーがライフルやサブマシンガンを使う中、ただ一人ショットガンを愛用していた。ギリギリまで接近しての超近接射撃で確実に仕留める戦い方から、ついたあだ名が『パイルバンカー』だ。覚えてるだけでも三度、命を救われたよ……まだ、ご健勝か?」
「あ、ああ。殺しても死なないくらいに元気だ……じゃなくてだな!!」
「そうか!! 元気か!! あの脳筋突撃バカが父親か!! 生き残ってみるもんだ!!」
それからは、一人哄笑した。その光景にクラスメイトの大半があっけにとられたのだった。
「まー、あのやりとりでおもしろい人ってことはよくわかったよねー」
あっけにとられた大半に入らなかったマレーネが、しみじみとそう言った。
「とにかく、上には上がいる……それを思い知らされた。父上にも話を聞いて、さらに鍛えねば……いつか、あいつから一本取ってみせる!!」
握りこぶしで、メルディアは決意表明した。
その傍らで、アンジェリーナはゼノンの顔をよぎった陰りの意味を、一人考えていた。
「それはそうとさ!! いよいよ来週あれなんだけど!!」
場の空気に耐えかねたのか、マレーネが突然嬌声を上げた。
「あれ?」
「そーあれー。上半身ジロジロ見られるやつ~」
「ああ、月に一度の健康診断ですわね」
ぐだぐだになったマレーネのぼやきに、得心したようにアンジェリーナは答えた。
「全くなんなのさ、あれ~? 未婚の令嬢は肌を見せるべからず!! なんて説教かましといてさ、あれん時だけお医者様に体を見せなさいってなんなのさ~。全身くまなく、特に背中をジロジロ見られて毎回やになんだけど」
「気持ちはわかるが、国が義務づけているのだから仕方がなかろう。精霊がかけた呪いが発現していないか、確認しているらしいからな」
メルディアの答えは事実である。終戦時、この世界から精霊が撤退する際、人類に呪いをかけたのである。
その呪いは、発動の条件が一切わかっておらず、またどのような異常が起こるか定かではないため、常に国民の健康状態を把握しなければならない……それが、月一の定期検診の目的だった。
「アンジェー、メルー、どっちでもいいけど、呪いってなんなのか、聞いたことないの?」
「ありませんわね。お父様は戦争のことはあまり話したがりませんから」
「アンジェに同じだ。父上も戦争のはなしはしたがらない」
ぐでんぐでんな問いに二人してそう答える。
(けれど、いわれてみれば)
呪い。その内容に関しては、全く知られていない。宰相を務める父・デュラスからも聞いたことはなかった。
もしかしたら、彼なら……
「件の転入生くんはなんか知ってたりするんかねー、国王陛下と懇意らしいしー、と」
そこでマレーネが食堂の出入り口に目を向ける。つられて視線を向けると、噂の中心にいる赤毛の男。
「噂をすれば~」
ゼノン・マクシミリアンがこちらに歩いてきていた。
「やあ、ごきげんよう、お三方」
「ごきげんよう、ゼノン様」
「ごきげんよう、マクシミリアン卿」
「こんにちは~、ゼノンくーん」
声をかけてきた相手に、三者三様に返答した。
「バカ王子を探してるんだが、見なかったか?」
その問いに、アンジェリーナは他の二人を見回した。そろって首を振るマレーネとメルディア。
「存じませんわ。わたくしたちはお会いしてません」
「そうか……邪魔して悪かった」
そう言って踵を返しかけ、
「あ、ちょっと待って!!」
それをマレーネが呼び止めた。
「何かな? イクルシア子爵令嬢」
「マレーネでいいですよー。月一の定期検診ってあるでしょ? あれって、精霊に呪われた人を探すためって聞いたんだけどさ、呪いって具体的にどんなんなの?」
その問いを聞いた瞬間、ゼノンの面にあの『陰り』が差した。
そうなったゼノンの顔を見たアンジェリーナの背筋を、強い悪寒が走り抜ける。
(……一体)
「残念だが、国家機密だから俺にも詳細は知らされていない。すまないな」
「い、いえいえ、全然!! そっかー、ゼノンくんも知らないかー」
「まぁ、月に一度検査するぐらいだから、何かしら重篤なものなのは確かだろうな。それこそ、国民には公表できないような」
最後に、一字一句を強調しながらの言葉に、三人の顔色が変わる。
「……下手に公表すれば、国全体が疑心暗鬼に陥る、と?」
「国は少なくともそう考えてんだろ。終戦から六年経つ今でも、奴らの目的さえわかっちゃいないんだ。慎重にもなるさ……と、昼休みもあと一五分か。悪いが、バカ王子に用があるんでな、失礼する」
そう言って、今度こそ踵を返したゼノンは、大股で歩き去った。
「……なーんか、怪しいね」
「同感だ。あれは多分、知ってるぞ」
「…………」
ゼノンの態度を肴に議論を始める二人を尻目に、アンジェリーナはゼノンの顔に差した『陰り』の意味……その目に浮かんだ暗い感情の意味を考える。
(まるで)
知らない方がいい。そう考えているように思えてならなかった。
貴族クラスに転入しながら、身分は平民。それでありながら、強力な魔力を持ち、詠唱その他の実技も優秀だった。
だが、何よりも噂になったのはもちろん、今朝のアーノルドとの一幕だ。
どれだけ傍若無人であろうと、王太子は王太子、いかなる者も敬意を払って対応するのが当然だ。
だが、件の転入生はまるで違った。王族が振り上げた拳を躊躇うことなく掴んで押さえ込み、挨拶もなく睨み付け、容赦なく詰問する……無能な王太子にはゴマをするか、関わらないかに対応が二極化していたが、彼はそのどちらでもなかった。
「今朝の騒動、見た!?」
「もちろん!! 傍若無人の色ボケ王子がいい気味だ!!」
昼休みの食堂、昼食を取る生徒たちでごった返すそこに、姦しいやりとりが響く。
女三人寄れば……などと言うが、その一角を担うアンジェリーナは残る二人の勢いに気圧されて苦笑した。
「拳骨あっさり止められて、顔真っ赤だったわよ!! 止められるだなんて、かけらも考えていなかったんでしょうね!!」
サバサバとした口調でアーノルドを嘲笑する蒼い髪の令嬢は、マレーネ・イクルシア子爵令嬢。下位貴族の出身だが、アンジェリーナとは乳姉妹の間柄であり、物心ついた頃からの付き合いがある、所謂幼馴染みという関係の少女だ。
「朝の一件もすごかったが、それだけじゃないだろう!! 剣術の授業にバカ王子の首根っこを掴んで現れたのは痛快だった!!」
ポニーテールに結い上げた栗色の髪を揺らすのは、メルディア・ロズウェル侯爵令嬢である。
侯爵家という高位貴族に生まれた彼女は、同じ夜会でアンジェリーナとともにデビュタントを果たした仲だった。出身も家の気風も何もかも違うはずの二人は、その時から妙に馬が合い、王都の王立魔導学院にともに入学、乳姉妹のマレーネも交えて、三人で交流するようになっていた。
「そうそう!! あんときのバカ王子、もー、いっそ哀れだったよね!! いっつも威張り散らしてるのに、怒られた子犬みたいになっちゃってさ!!」
「そして、やってくるなり、彼が皆に言い放った一言がまた痛快だったな!!」
二人、にひひと意地悪な笑みを交わし、
「「申し訳ありません。忘れ物を取りに行ってました」」
二人で復唱して、笑った。それを、アンジェリーナは苦笑を浮かべたまま見つめる。
「いやー、アンジェも運がよかったよね。こんな形で救世主が現れるなんてね」
「本当にな。私たちは助けになれていなかったからな」
「そんなことはありませんわ、こうしてお昼を一緒にしてくれるだけでも充分ですもの」
ベーコンエッグのガレットを切り分けながら、心からの本心でアンジェリーナは答えた。
貴族制度が健在なこの世界では、身分は絶対である。彼女らの立場では、曲がりなりにも王太子であるアーノルドには意見すら許されなかった。だから、親友である二人も傍観者に徹するしかなかったのである。
その状況を、時期外れの転入生は一瞬で変えてしまった。平民の身分でありながら、堂々と王太子に対応する光景に心配する者もいたし、アンジェリーナもその一人だった。だが、そんな懸念に対して、
「陛下よりお許しをいただいている。心配してくれてありがとう」
と、笑顔で返されれば納得するしかなかった。
堂々たる立ち振る舞いに好感を持った生徒は多く、目の前の二人もその一部である。
そんな二人を眺めながらガレットを口に運ぶ。おいしい。卵とベーコンの焼き加減も絶妙だ。相変わらず、食堂の料理人は腕がいい。
口の中身を飲み込んで、授業のことを思い出しながら言う。
「話は変わりますが、彼の腕前も驚きでしたわね」
「ああ……」
授業のことを話題に出すと、途端にメルディアの顔が引き締まった。
「打ち込む隙を全く見いだせなかったのは初めてだよ」
ローストビーフを切り分ける手を止めて、メルディアは悔しさを隠しもせずに言った。
先ほど言及した剣術の授業の際、一度メルディアとゼノンが手合わせしたのである。
互いに授業用の模擬剣を手にして向かい合う。メルディアは正眼に構えたものの、ゼノンは切っ先を上げるそぶりすら見せなかった。
舐めている。そんな思考は一瞬で砕け散った。
どう攻めても、打ち込めるビジョンが浮かばない……付け入る隙が見当たらない。どんな一撃も、防がれ、返り討ちに合う……そんな確信がメルディアを支配した。
気が付いた時には、参ったと口にして剣を下ろしていた。
「なんかあきらめたみたいな感じだったよね。もうなんか、やるまでもないって言うか」
クラブハウスサンドをのみ込んだマレーネが、授業風景を思い返しながら言った。
「まさしくマリーの言うとおりだよ……やるまでもなく、私の負けだ」
「メルがそんな風に言うだなんて……そんなに強いの? ゼノン様は」
メルディアの言葉を心底意外に思ったアンジェリーナはそう問うた。
東の国境沿いに領地を構えるロズウェル侯爵家は、西の辺境伯と並んで国防の二本柱と称される武門である。『精霊戦争』の際も、王国を守るために辺境伯家とともに精霊に立ち向かった。
その家の長女として生まれたメルディアは、自身も令嬢よりは騎士としての生き方を望んだ。淑女としての作法と教養を収めつつも、他方で自身の武の力を高めることは忘れない。
終戦からまだ間もないこの時代、貴族の子女は形だけでも武術を収めるのが慣例となっている。武門の出であるメルディアも例に漏れず、あらゆる武術を学んでいた。魔術、乗馬、射撃、体術……その中でも剣の腕は同世代の少年少女の中でも抜きん出ていた。
そんな彼女が、一合も交えず敗北を確信したというのだから、よほどの強者なのだと実感できた。
「強いとか、そんな話じゃないな。字義通り、次元が違う。自分がどれだけ狭い世界で思い上がっていたのか、思い知らされた気分だよ」
「おお、そこまで言っちゃう?」
「あなたほどの人がそこまで言うなんて……」
「誇張でも何でもない。実感だよ」
ナイフとフォークを置いたメルディアは、達観したように天井を見上げた。
「はっきりイメージできたよ。自分の敗北をね。打ち込んだら、その瞬間に返り討ちに遭う……理屈じゃない。はっきりと、感じたんだ……陛下やフローレンス殿下とともに戦ったって言う話、今ならうなずけるよ」
重々しくそう言うメルディアに、アンジェリーナとマレーネはかける言葉が見つからなかった。
彼が自己紹介した当初、その内容に真っ先に異を唱えたのがメルディアだった。自己紹介を終えたときのやりとりを思い返す。
「アンジェを助けてくれたことには礼を言う……だが、戦場帰りなどという戯言は看過できないぞ」
「そうか」
鋭く詰問するメルディアに対して、ゼノンの返答は醒めたものだった。
「あの戦争では大勢が命をかけ、散っていった」
「そうだな。間近で見ていたから、君よりもよく知っているよ」
そう返したとき、何か名状しがたい、仄暗い陰りがゼノンの相貌に差し込んだように見えた。
「そんな戦いに参加した? たった一二歳で? 信じろという方が無理があるぞ」
「別に信じてくれなくていいさ。まぁ、気になるならお父上に聞いてみるといい」
面倒そうに答えた彼は、そこで何かを懐かしむような表情になった。
「彼はまだカイゼルひげを?」
「……父を知っているのか!?」
「オーランド・ロズウェル。第二魔導中隊所属。最終階級・中佐。当時の愛機はブルーストライプの『プロト・イクスレイヴ』。多くのフレームドライバーがライフルやサブマシンガンを使う中、ただ一人ショットガンを愛用していた。ギリギリまで接近しての超近接射撃で確実に仕留める戦い方から、ついたあだ名が『パイルバンカー』だ。覚えてるだけでも三度、命を救われたよ……まだ、ご健勝か?」
「あ、ああ。殺しても死なないくらいに元気だ……じゃなくてだな!!」
「そうか!! 元気か!! あの脳筋突撃バカが父親か!! 生き残ってみるもんだ!!」
それからは、一人哄笑した。その光景にクラスメイトの大半があっけにとられたのだった。
「まー、あのやりとりでおもしろい人ってことはよくわかったよねー」
あっけにとられた大半に入らなかったマレーネが、しみじみとそう言った。
「とにかく、上には上がいる……それを思い知らされた。父上にも話を聞いて、さらに鍛えねば……いつか、あいつから一本取ってみせる!!」
握りこぶしで、メルディアは決意表明した。
その傍らで、アンジェリーナはゼノンの顔をよぎった陰りの意味を、一人考えていた。
「それはそうとさ!! いよいよ来週あれなんだけど!!」
場の空気に耐えかねたのか、マレーネが突然嬌声を上げた。
「あれ?」
「そーあれー。上半身ジロジロ見られるやつ~」
「ああ、月に一度の健康診断ですわね」
ぐだぐだになったマレーネのぼやきに、得心したようにアンジェリーナは答えた。
「全くなんなのさ、あれ~? 未婚の令嬢は肌を見せるべからず!! なんて説教かましといてさ、あれん時だけお医者様に体を見せなさいってなんなのさ~。全身くまなく、特に背中をジロジロ見られて毎回やになんだけど」
「気持ちはわかるが、国が義務づけているのだから仕方がなかろう。精霊がかけた呪いが発現していないか、確認しているらしいからな」
メルディアの答えは事実である。終戦時、この世界から精霊が撤退する際、人類に呪いをかけたのである。
その呪いは、発動の条件が一切わかっておらず、またどのような異常が起こるか定かではないため、常に国民の健康状態を把握しなければならない……それが、月一の定期検診の目的だった。
「アンジェー、メルー、どっちでもいいけど、呪いってなんなのか、聞いたことないの?」
「ありませんわね。お父様は戦争のことはあまり話したがりませんから」
「アンジェに同じだ。父上も戦争のはなしはしたがらない」
ぐでんぐでんな問いに二人してそう答える。
(けれど、いわれてみれば)
呪い。その内容に関しては、全く知られていない。宰相を務める父・デュラスからも聞いたことはなかった。
もしかしたら、彼なら……
「件の転入生くんはなんか知ってたりするんかねー、国王陛下と懇意らしいしー、と」
そこでマレーネが食堂の出入り口に目を向ける。つられて視線を向けると、噂の中心にいる赤毛の男。
「噂をすれば~」
ゼノン・マクシミリアンがこちらに歩いてきていた。
「やあ、ごきげんよう、お三方」
「ごきげんよう、ゼノン様」
「ごきげんよう、マクシミリアン卿」
「こんにちは~、ゼノンくーん」
声をかけてきた相手に、三者三様に返答した。
「バカ王子を探してるんだが、見なかったか?」
その問いに、アンジェリーナは他の二人を見回した。そろって首を振るマレーネとメルディア。
「存じませんわ。わたくしたちはお会いしてません」
「そうか……邪魔して悪かった」
そう言って踵を返しかけ、
「あ、ちょっと待って!!」
それをマレーネが呼び止めた。
「何かな? イクルシア子爵令嬢」
「マレーネでいいですよー。月一の定期検診ってあるでしょ? あれって、精霊に呪われた人を探すためって聞いたんだけどさ、呪いって具体的にどんなんなの?」
その問いを聞いた瞬間、ゼノンの面にあの『陰り』が差した。
そうなったゼノンの顔を見たアンジェリーナの背筋を、強い悪寒が走り抜ける。
(……一体)
「残念だが、国家機密だから俺にも詳細は知らされていない。すまないな」
「い、いえいえ、全然!! そっかー、ゼノンくんも知らないかー」
「まぁ、月に一度検査するぐらいだから、何かしら重篤なものなのは確かだろうな。それこそ、国民には公表できないような」
最後に、一字一句を強調しながらの言葉に、三人の顔色が変わる。
「……下手に公表すれば、国全体が疑心暗鬼に陥る、と?」
「国は少なくともそう考えてんだろ。終戦から六年経つ今でも、奴らの目的さえわかっちゃいないんだ。慎重にもなるさ……と、昼休みもあと一五分か。悪いが、バカ王子に用があるんでな、失礼する」
そう言って、今度こそ踵を返したゼノンは、大股で歩き去った。
「……なーんか、怪しいね」
「同感だ。あれは多分、知ってるぞ」
「…………」
ゼノンの態度を肴に議論を始める二人を尻目に、アンジェリーナはゼノンの顔に差した『陰り』の意味……その目に浮かんだ暗い感情の意味を考える。
(まるで)
知らない方がいい。そう考えているように思えてならなかった。
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