R-18】盾の乙女と棺背負い  ~婚約者の策略で純潔を散らされた令嬢は愛する人と巡り合う~

がめおべら

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第一話

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「転入生……でございますか?」

 夜、王宮より帰宅した父に書斎に呼び出されて告げられたのは、彼女が通う王立魔導学院に転入生が来るという報せだった。

「そうだ。ある事情を抱えた紳士でな。歳はお前たちの二歳上、一九歳になる」
「事情とは、どのようなことでしょう?」
「『精霊戦争』は知っているな?」

 父、デュラス・ベルリエンデ公爵の言葉に、アンジェリーナは頷いた。
『精霊戦争』。今より七年前、異界より侵攻してきた精霊たちと、この世界の人類との間で勃発した大戦のことであり、この世界の主力兵器……有人二足歩行型魔導兵器『マギアフレーム』が始めて本格的に投入された戦争でもある。
 世界のほぼ全土を舞台に繰り広げられた大戦は一年間続き、多くの爪痕を残しながらも、人類の勝利で幕を下ろした。このときの犠牲者は最低でも五〇〇万人、一説には一〇〇〇万に達するとも言われ、終戦より六年を経た今でさえ、完全な復興にはほど遠かった。
 幸か不幸か、当時疎開していたアンジェリーナは、戦争を目の当たりにすることはなかった。

「ええ、もちろんです。それが、どのような関係が?」
「当時、その紳士は弱冠一二歳にして我がリーズバルト王国国防軍にて『マギアフレーム』を操り、先陣を切って戦った。当時まだ王太子だった国王陛下と、一九歳だったフローレンス第一王女殿下とともにな」
「陛下と、フローレンス殿下のご戦友……と言うことですか。僅か、一二歳で?」
「そうだ。疑問はあるだろうが、今は話せん。国家機密も絡んでくる事情がある。必要ならば、陛下からご説明があるだろう」
「なぜ、そんな方が転入を?」

 もっともなアンジェリーナの疑問に、デュラスは深々とため息をついて革張りのチェアに身を沈め、葉巻に火を点した。
 煙を吐き出し、またため息をつく。

「……その方は、戦場暮らしが長くてな。終戦から六年経つ今でも、日常に適応しているとは言いがたい状態なのだそうだ」
「心が、傷ついていらっしゃるのですね」
「ああ。それを少しでも癒やし、社会に適応できるよう、訓練、学習するため……と、言うのが表向きの理由だ」
「表向き?」

 では真の理由は? 問い返す前に、三度のため息とともにデュラスが答えを出した。

「王太子殿下のお目付役だ」
「……ああ」

 今度は、アンジェリーナがため息をつく番だった。
 王太子殿下のお目付役。その響きとはほど遠くなるであろう『実態』を思い、アンジェリーナも深々とため息をついた。
 アーノルド・リーズバルト。それがこのリーズバルト王国の王太子の名である。年齢はアンジェリーナと同じく一七歳。王立魔導学院の貴族クラスに在学……とまで書けばただの王族の少年と思うだろう。だが、現実は……。

「今まで殿下の監視役は婚約者のお前に半ばなし崩しで任されていた。陛下も、現状を憂慮されている、と言うことだろう」
「そうなのですね。正直、遅すぎたと思いますが」

 彼と自分が婚約者であるという業腹な現実を口にする父に、醒めに醒めた無表情で、アンジェリーナはそれだけ返した。
 遅すぎた。彼女からすれば、そう表現する以外できないのが現状だった。

「ともかく、明日よりお前たちと同じく貴族クラスに転入される。殿下のことは陛下の方から全て説明を受けているそうだから、お前の方でも少し気にかけておくように」
「わかりました」
「……これくらいで助けになるとは思っていない。お前に全て押しつけてしまったのは、我々大人の落ち度だ」
「……お父様」
「ようやく、根回しが整いつつある。卒業の時期に婚約解消に持ち込むつもりだ。すまないが、それまでは耐えてくれ」

 そう言って、座ったままとはいえ頭を下げた。
 あの毅然として、多くの貴族が模範とする父は、アンジェリーナの婚約者が絡むとこうだ。普段の父を知っている分、毎回いたたまれなくなってしまう。

「頭を上げてください、お父様」

 微笑みながら、アンジェリーナは父に向かって口を開いた。

「わたくしと殿下の婚約は王命によるもの。お父様にはどうにもできなかったと言うことぐらい、理解しておりますわ」
「アンジェリーナ……」
「明日、転入されるのですね。かしこまりました」
「本当にすまない……頼んだぞ」

 弱々しい声音の父に、アンジェリーナは笑顔を返した。


「おい、アンジェ」

 翌朝、登校するなり横柄な声がかけられる。喉元まで出掛かったため息をのみ込んで、アンジェリーナは振り向いた。そこに、見慣れた金髪碧眼の少年が立っている。
 アンジェリーナの婚約者にして、この国の王太子であるアーノルド・リーズバルトである。

「おはようございます。アーノルド殿下」
「頭が高いぞ。何様のつもりだ?」

 カーテシーをしながらの挨拶に、そんな悪罵がかぶせられた。そのことに驚く……ことはなかった。精々が、今日はひどく機嫌が悪いのだな、と思う程度であった。

「全く以て、お前には毎度毎度イライラさせられる……公爵家風情が王族と婚姻できることへの感謝はないのか?」

 人目はばからず、罵声を浴びせ続けてくる。他の生徒たちはそれを遠巻きにしながらその場を足早に去って行く。
 触らぬ神に祟りなし。生徒たちの眼と足がそう言っていた。時折、同情的な視線が向けられるが、それだけだ。

(……いつから、こうなってしまったのかしら?)

 彼とアンジェリーナが婚約したのは、七歳の時。『精霊戦争』開戦前の話だ。
 その当時は、それなりに良好な関係だったと記憶している。それが、アーノルドがこんな態度を取るようになったのは、五年ほど前、一二歳になった年だ。そのときから、突然『こう』なってしまった。
 婚約し、まともに交流しているときは、恋愛という意味での愛情はなくともお互いに信頼関係を築いていければそれでいい……そう思っていたのだ。
 それが、何故か顔を合わせる度に罵声を浴びせ、こちらに理不尽な要求を突きつけ、断れば逆上する……何かに取り憑かれたか、さもなければ気が狂ったとしか言いようのない有様だった。
 性格の悪さは素行の悪さに直結し、入学した魔導学院では初日から問題児と認定された。
 そして、思春期になると素行の悪さが最悪の方向に転換した。即ち、女癖の悪さである。
 見目麗しい令嬢に王族という身分を利用して片っ端から手を出すようになったのだ。最悪だったのは、身分の区別なく手を出しまくったことだった。当然、その中には婚約者のいる貴族令嬢も含まれている。高位・下位問わず、多くの貴族家から抗議が殺到するまで時間はかからなかった。実際に、ことにまで及んだ令嬢がいなかったことは、不幸中の幸いだと言えるだろう。
 そんなでたらめを繰り返す王太子に、側近候補の貴族令息は早々に愛想を尽かして立ち去り、必然その後始末と尻拭いは全てアンジェリーナにのしかかった。令嬢の家には王室や公爵家から謝罪していたが、学院で本人に頭を下げるのはアンジェリーナの役目となってしまった。

「不埒な婚約者を持つと苦労しますわね」

 心底同情したような口ぶりでそう言われたときの屈辱は、今もアンジェリーナの心に影を落としていた。

「聞いているのか!? あばずれが!!」

 物思いにふけりすぎたか、アーノルドが激昂した。

「……申し訳ありません。もう一度お願いします」
「貴様!!」

 逆上したのか、拳を振り上げた。公衆の面前での暴力……流石に、今まではなかったことだ。今日は、よほど虫の居所が悪いらしい。
 まぁ、殴らせておけば、

(それだけ、容易に解消できるわね)

 冷めた気持ちで自分の顔に向かって振り下ろされてくる拳を見つめ、襲ってくるであろう衝撃に備えた。そのとき、
 バシィ、と言う音とともに、アーノルドの拳が止まった。

「朝っぱらから、胸クソ悪いぞ。ドラ息子」
「んな……」

 振り上げた拳を片手で掴んで押さえ込んだ赤毛の美丈夫が、その美しい顔を不快感で歪めながら、アーノルドに言った。

「きさ……」
「今、このご令嬢に何をしようとした? 答えろ」

 一切の反論を許さない、有無を言わせぬ口調。抑揚の少ないそれが、却って彼が抱えた怒りを実感させた。

「……お前には関係ない!!」
「大ありだ。昨夜、陛下から言われたことをもう忘れたか? お前の醜聞は陛下の醜聞……ひいてはこの国の醜聞となる。あれだけ丁寧に説明されても理解できなかったか? ましてや、女性への暴力など論外だ。事と次第ではただではすまんぞ」
「……!! 離せ!!」

 叫び声とともに、アーノルドは男の腕を強引に振り払った。
 そのまま、その場を立ち去っていく。

「でん……」
「やかましい!! 話しかけるな!!」

 声をかけようとしたアンジェリーナを怒鳴りつけ、赤毛の男に向き直った。

「父上や姉上の覚えがめでたいからと調子に乗るなよ、平民が!!」

 捨て台詞を残して、校舎の方へと歩き去って行った。それをアンジェリーナと赤毛の男はため息交じりに見送った。

「……ありがとうございます。助かりました」 
「朝っぱらから一騒動だな。普段からああなのか?」
「ええ……残念ながら」

 隠しきれない本音をにじませながら、そう答えて……まだ名乗っていないことに気がついた。
 慌てて、カーテシーで一礼する。

「申し遅れました。リーズバルト王国・デュラス・ベルリエンデ公爵が娘、アンジェリーナと申します。以後、お見知りおきを」
「これはご丁寧に。ゼノン・マクシミリアンだ。公爵閣下から俺のお役目は聞いてるな?」
「はい、大筋のところは……殿下のお目付役だと」
「あのバカ王子の監視役だ」

 一応まとわせたオブラートを苦々しげな口調と表情で破り捨てた。

「火急の用件と久しぶりに立ち寄ってみりゃ、このザマだ。戦友からの呼び出しだからって、ホイホイ応じるんじゃなかったぜ」
「そ、それは……」

 微妙な表情を浮かべての愚痴に、アンジェリーナはなんと答えればいいかわからなかった。が、なんだか妙におかしくて、クスリと笑ってしまった。
 そんなアンジェリーナにも気を悪くした様子もなく、あらためて向き直ってくる。

「ま、これから色々あるだろう、一つよろしく頼む」

 貴族令息では見られない、さらりとした仕草で告げられた言葉に、アンジェリーナは好感を抱いた。
 後から、思い返すと、このときにはもう、彼のことが気になっていたのだろう。このときはまだ、自覚はなかった。
 少なくとも、一人ではなくなる……そのことに、想像以上に心が軽くなったアンジェリーナは、午後に登城したら国王陛下にお礼を言おうと心に決めた。
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