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29話(4)どうかあなたの刻が止まりませんように。腕時計の秒針が無慈悲に回り続けるーー。
しおりを挟む「睦月さぁあん!!!!」
階段から落ちる睦月へ咄嗟に腕を伸ばす。あと少し足りない。睦月さんが手を伸ばしたら届いたかもしれない。でもそんな素振りは一切見せず、ただ、落下していく。
急いで階段を降り、床に打ち付けられ、転倒して動かない睦月のそばへ寄る。半開きの目で私を見つめる睦月はどこか微笑んでいた。
「血が……!! 睦月さん!!! 頭から血が!!! えっと救急車!! 誰か救急車を……!!」周囲を見渡し、普段は出さない大きな声をあげる。
「今呼びましたー」
床に広がる赤い血に背筋がゾッとする。
このまま、一生の別れとかになったりしないよね? 睦月さんは大丈夫だよね? 私、まだ一緒に行きたいところも、一緒にやってみたいこともたくさんあるんだよ?
睦月の手首についた腕時計が目に入る。プラネタリウムを観に行った時、買ったお揃いの腕時計。腕時計のガラスは衝撃で割れ、滲んだ惑星軌道の文字盤の上を、嘲笑うように秒針が回り続けていた。
どこにいても、あなたと同じ刻を刻む。これからも、あなたと同じ時間を過ごしたい。そんな願いの込もったお揃いの腕時計。
そのはずなのに、片方の刻が止まってしまうかもしれない。今までそばに居た、愛してる人がいなくなる。そう考えた瞬間、手が震え、大粒の涙が溢れた。
「血が……血が……どうしよう……」震える手でポケットからハンカチを取り出し、傷口に添える。
ぼろぼろと涙が止まらず、泣いてしまう。そんな私の頬に睦月の手が優しく触れた。
「……きさらぎ、だいすき……ありがと……」
私に向ける、睦月の儚げな微笑みが、もう二度と会えなくなるような気がして、不安を心に不煽る。
「こんな時に何言って……やめてよ……いつもみたいに笑ってよ。大丈夫って言ってよ……お願いだから……」
瞼を閉じ、力無く、頬からずり落ちる睦月の手を、手で包み込む。ガラスの割れた腕時計を外し、自分の惑星軌道の腕時計と付け替えた。
そして睦月の親指から指輪を抜き、薬指にはめ直す。
これから先もずっと一緒に居たい。
愛してる。
だから、どうか、どうか、
あなたの刻が、止まりませんように。
涙が溜まった瞳を手で拭い、しっかり見開き、睦月の手を握る。私に出来る、最大限のことをやらねば。
「睦月さん!!! 睦月さん!!!」声をかけ続けるが、ぴくりとも反応しない。鳴り響く救急サイレンが近づき、止まった。
救急車から騒々しく、救急隊員が降りてくる。一通り、説明している間、睦月が車内へ淡々と運ばれていく。私はただ、遠くから見守り、睦月の無事を祈ることしか出来ない。
「ご家族の方ですか?」救急隊員に声をかけられ、首を横に振った。恋人は家族ではない。
「病院まで乗って行かれますか?」
「いえ……彼の家族の方と一緒に病院へ行きます……搬送する病院だけ教えてください」卯月さんのことを考えると、気持ちが更に重くなった。
しゃがみ込み、床に散らばった睦月の荷物を、ひとつずつ丁寧に拾う。どれもこれも雨に濡れ、薄黒く染みになっている。
「……お土産……何か言いかけてたなぁ……」
お土産らしき紙袋から中身を出してみる。少し大きな箱。蓋を開け、中を見た。プリンだ。もう中はぐちゃぐちゃになっている。これじゃあ、食べれないな。
「私、プリン好きって言ったっけ……?」少しだけ頬が緩む。
空を見上げると土砂降りだったはずの雨はいつの間にか止み、星空が広がっていた。プリンの箱を紙袋へ戻していく。
サイレンを鳴らしながら走る救急車に祈りを捧げ、駅構内へ戻った。
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ーーーー
*
ガチャ
「おかえり~~」
お兄ちゃん帰ってくるの無駄に早。今日中に帰ってきたの? 気になって玄関まで出迎えにいくと、そこに立っていたのは兄ではなく、如月だった。
顔が青く、服は汚れ、兄が持っていったはずの荷物を持つ如月は、ただならぬ雰囲気。服に付いた血は誰のもの? なんだか、すごく怖い。嫌な予感がする。
「あ……えっと……睦月さんが……」
「お兄ちゃんがどうしたの?」
震える手を押さえながら、今にも泣きそうな顔で話す如月をみて『自分がしっかりしなきゃ』と、頭が冷静になる。お兄ちゃんに何かあったのは間違いない。
「……か、階段から落ちて……頭から血を流して……救急車に……」靴も脱がず、その場で膝をつき、泣き崩れる如月のそばに寄った。
「私がもう少し早く手を伸ばしていたらこんなことには……」自分を責めて泣く如月の背中をさする。
「階段から落ちたのは如月のせいじゃないんでしょ? 助けられなかったからって自分を責めちゃダメだよ。お兄ちゃんはきっと大丈夫。身体だけは丈夫だからね」
いつもは如月に抱きしめてばかりもらっているが、今だけは私から如月を抱きしめる。腕の中で泣く如月はとても小さく感じた。
「病院、いこ?」優しく如月に声をかける。
「……はい……あ……着替え持っていかないと……」如月は靴を脱ぎ、部屋に上がった。
お兄ちゃんが私を置いて居なくなるはずがない。自分勝手な自信。兄を目の前にしていないせいか、疑いたくなるほど、どこかまだ現実感はない。
「卯月さん、布団敷きっぱなしになってますけど、畳みますか?」和室から顔を出し、如月が訊いてきた。
「あー多分、お兄ちゃん畳み忘れたんだと思う。いいよ、そのままで~~敷き直すのめんどいし」少し落ち着いたのか、如月の表情は先程より柔らかい。
「はーい」
(なんか布団の下がもっこりしている気がする。何かあるのかな?)
布団の上から触る。箱? こんなところに? なんだろう。
如月は布団を捲った。
『初心者でも扱える! 快感アップ! 性感帯全てを制覇!』という文字が書かれている、ピンクなものが入った箱。
「…………へー」如月は箱を手に取り見つめた。まだ未開封。使ってはいない。
「睦月さん、私に内緒で面白そうなもの買ったねぇ? ふぅん?」私が言ったから? 良い子だね。思わず、クスッと笑みが溢れる。
「でも、買ったらちゃんと使わないとね」ピンクなものが入った箱を回収する。これ、病院へ持っていこうかな。
捲った布団を綺麗に戻し、洋室へ向かい病院へ行く準備を始めた。
両手に荷物を持った如月がリビングへ来た。病院へ行く準備が出来たようだ。言葉を交わすことなく、そのまま一緒に玄関へ向かう。
玄関を出ると、タクシーが一台停まっていた。
「呼びました」如月はそれだけ言うと、タクシーに荷物を乗せた。
「タクシーのほうが早いもんね」
後部座席へ乗る。スマホをカバンから取り出し、ロック画面を見つめた。ついこの間、3人で撮った餃子パーティの写真。先日まであった笑顔が、今ここにはない。
「××病院まで……」
未だ実感の湧かない状況が少し怖い。一度は止んだ雨がまた降り出す。ぽつぽつと降り始める雨の音を聴きながら私は窓の外を眺めた。
ーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーー
ーーーー
*
ーー病院
医者から睦月の容体を卯月と一緒に訊く。怪我自体は頭を少し切っただけで、それ以外は異常がなく安堵する。
ただ、意識が戻らない。
あとは本人次第。なんて他人任せな言葉を伝えられ、私にはそばにいてあげることしか、もはや出来ない。
卯月と一緒に病室へ向かった。病院はもう消灯時間を過ぎているせいか、照明が落とされ、薄暗い。病院独特の消毒の匂いが鼻の中を通る。
教えられた病室へ入ると、頭に白い布が貼られた睦月がベッドで眠っていた。静かに近づき、顔を覗き込む。生きている。良かった。
丸い椅子に座り、そっと睦月の手を握る。
「とりあえず生きてはいるね。良かったぁ」卯月のこわばった表情は、安心したように穏やかになった。
「私は病院に泊まりますが、卯月さんはどうしますか?」
「んーー、帰る。何も出来ないし。如月、お兄ちゃんをよろしく」卯月は優しく睦月の頭を撫でた。
「これで帰ってください、危ないので」卯月の手にタクシー代を握らせる。
「ありがとう。如月もちゃんと寝るんだよ」卯月は軽く手を振り、病室を出て行った。
ぎゅ。
強く片手を握る。生きているだけでも良かった。早く笑った顔がみたい。『如月』って呼ぶ声が聞きたい。そして、抱きしめたいよ。睦月さん。
「私、ここに居ます」
反応しない睦月に語りかける。
「ねぇ、睦月さん。私、自分が思ってるより、睦月さんが大好きみたい」
睦月の頬を手の甲で撫でた。
「どうする? 海外で結婚とかしちゃう? ふふ」
時々、ぴくっと動く指先に、睦月が私の声に耳を傾けているような気がして、笑みが溢れる。
「嘘だけど」
「あ、したかった? 睦月さんが結婚したいっていうなら本気で考えるよ? 多分」
人差し指にはめてある指輪を抜き、薬指にはめ直す。私も薬指にはめたよ、睦月さん。
「……ずっと恋人のままは嫌だなって少し思ったり……なんて……」
窓から差し込む月明かりが、ベッドで眠る睦月の顔を照らす。顔を近づけ睦月の口唇に触れた。壊れものにでも触るかのように、優しく唇を重ね合わせる。
「ん……睦月さん……」
キスしたら目が覚めればいいのに。
そんなドラマチックに目が覚めるはずもなく。むしろ、泣き疲れた私の方が逆に眠気が襲いかかる。
手を握ったまま、ベッドに顔を伏せ、睦月を眺める。何も変わらない睦月の表情。目に浮かぶのは『如月大好き』と笑顔で抱きつく睦月さんの姿。
いつもはえっちな睦月さんで埋め尽くされていた私の脳内も今日はそんな姿、何も浮かばない。
早く睦月さんの目が覚めますように。
睦月の手を両手で包み込み、眠りについた。
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