上 下
24 / 33

第8話 (3)

しおりを挟む


 イグニシアスという人間は、思うがままに、酔狂だけで生きてきたようなものだった。いまも、自分のやりたいように動いた結果、フォルッツェリオ国首都エクスエリスから郊外にかけての道を馬車で移動している最中だ。
 馬車は箱型の客席にゆったり四人は乗れるもので、両脇に小型の硝子窓が嵌め込まれた質のよいものだが、ごく庶民的なものだ。室内にはイグニシアスの他に、向かいにフォルッツェリオ国家兵団長であるビルトランが共に乗り込んでいた。彼の片手は足元から斜めに立てている大剣の柄を握ったまま、ときおり目を閉じたり、馬車の周囲を警戒するように集中した目線で窓の外を見たりしている。
 実用的な兵団の馬車を使えば、もっと速度が出せただろう。この行軍が国家兵団長の屋敷に侵入した賊を捕らえるためであるという理由ならば、本来ためらいなくそちらを使っていたはずだが、“かよわき女性術者ニース”のためだけに、ビルトランは座り心地が適度によく安定して走るこの馬車を選んだ。
 賊の居所までを精霊に探らせていたイグニシアスは、いま現在もその感覚を追っている。目を閉じたまま、笑いそうになる口元を動かさぬように努めていた。ビルトランのニースに対する丁寧な姿勢がくすぐったくて、笑えてきて仕方がない。
 イグニシアスはこの国に着いてから、ずっと女性の格好をし、婦人であることを通していた。デットとエルが正体をビルトランに明かしたあとも、自身はニースという女性術者だと偽ったままだった。
 イグニシアスが女装までしている今回の酔狂の理由は、馬車に共に座っているこの男にあった。
“地雷”のビルトラン。
 イグニシアスの祖父の店“穴熊”にやってくる客のほとんどがその名を知っている。いや、戦士と名乗る者たちのすべてが知っていると言ってもいい。
 数多の戦場を馳ける傭兵の中でも歴戦の猛者であり、華麗な魔法戦法ではなく、強固で堅実な接近戦を得意とし、傭兵仲間以外にも、雇われ先の兵士たちの多くからも慕われる“傭兵の鑑”。
 多くの戦士たちから尊敬され、目標とされ、人と距離を置きがちな戦士ともよく付き合い、支え合い、助け合ってきた男は、かつて、一人の傭兵を相棒として、戦場を多く共にした。
 その寡黙な戦士は、ビルトランと同年代で、命を預け合う友だった。
 二人は砂漠の憩いの町ナカタカを拠点として戦場を股にかけ、ナカタカに戻って“穴熊”で酒と食事を共にし、二人揃って色街へと繰り出すこともあった。
 ナカタカの色街は、ただ男に体を売る女がいるのではなく、歌や踊りといった芸を磨いて、客のほとんどを占める戦士たちを癒し慰める花娼が勤める店が多い。
 ビルトランの相棒は、色街で一人の花娼と恋に落ち、その花娼はやがて、一人の男の子を産んだ。
 ビルトランはナカタカに滞在しているときには相棒の子を共に可愛がったし、相棒を戦場で亡くしてからは、単身で母子の様子を相棒の代わりに確認に行った。
 ビルトランの相棒が愛した女性は、子を産む前から病弱で、彼女は愛した男が戦死してしばらくのちに、あとを追いかけていってしまった。
 ナカタカの花娼たちは、仲間の幼子を共同で育てていく。両親がおらずとも美しい花娼たちに囲まれてすくすくと育っていた男の子は、父の相棒だった男の足が遠のいても彼のことが大好きであったし、いつかまた彼が訪ねてきてくれることを願っていた。
 男の子は思春期を迎えると、そのまま色街に暮らし続けるのはよくないと、町に住む祖父の家で暮らすことになった。男の子の祖父は“穴熊”という食事処と斡旋屋を兼ねた店を持っていて、男の子はなに不自由なくその後も悠々自適に暮らしていくことができた。
 両親は愛情を注いでくれたし、彼らがいなくなってもたくさんの親代わりがいて、可愛がってくれた父の親友もいた。祖父はぶっきらぼうな男だが、傭兵を引退したいまも多くの戦士に慕われ、ナカタカの町の顔役の一人を担ってもいる。
 自由に愛情たっぷりに育った男の子は、イグニシアスという酔狂な人間になった。
 イグニシアスは幼き頃、ビルトランに幾度も会ったことがあった。幾度も遊んでもらった。目の前に座るニースを女性であると疑いもしないビルトランに、イグニシアスは何度も笑いそうになるのを堪えながら、精霊を追う感覚を鋭く保っている。
 イグニシアスがこの国にやってきた理由は、ナカタカで出会ったエルが不憫でなにかしてやりたいと思ったからだ。いまはデットという味方がいて、エルの表情はずいぶんと明るくなったが、絶望や悲壮なことには縁がなく、たくさんの愛情を受けてきたイグニシアスは、エルの心に巣食う闇を払ってやりたかった。
 ビルトランのことは別問題で、彼が自分の正体に気がついたときにいったいどんな反応をするのか、大変楽しみに思っているのだった。酔狂以外のなにものでもない。
 ビルトランはなにも知らずにイグニシアスのすぐそばに座っている。ほくそ笑みながら、じれったくもある。化粧もそれほどしていないのだから、そろそろ気がついてもいいのではないか。
 自分の容姿を人から言われて知っているイグニシアスだが、他人の心情まではわからない。色街で暮らしていたときは女たちに着飾られることもよくあり、髪を女性型に結うことも慣れているし、簡単な化粧なら見ずともできるため、こうして正体を知られずに過ごしていられるのだが、女装した自分がどれだけ魅力的であるのかまではさすがに理解しきれていない。
 白皙の顔容に編み込まれた漆黒の髪が映え、目は形よく大きく、睫毛は足さずとも長く、眉は優しげ、小ぶりの鼻は可愛らしく中央にあり、薄めの小さな唇はほのかに彩られている。男では華奢で小柄という体格は女性であれば程よい肉付きに写る。質素だが女性らしい衣服に身を包めば、二人といない美貌の女性の出来上がりだが、目の見えないイグニシアスは自分が振りまく魅力や愛嬌には無頓着だ。
 そろそろ差し迫った賊の居所に近づきつつあった。その任務に集中しながら、イグニシアスはビルトランの様子をうかがっている。
 昔から変わらない、揺るがぬ大地のような確かな気配。
 そんな強い気を放つ戦士であるのに、“ニース”に対するときの舞い上がったような態度がなんともおかしかった。
 そんな彼もいまは任務を前に、引き締まった気配を辺りに漂わせている。
 とにかく賊の居所を突き止めることが最優先事項であり、全盲のため地図を読むことのできないイグニシアスは、こうして精霊の感覚を実際に追うしかなかった。場所を特定したあとは、この馬車のあとを分散しながら離れて追ってきている兵士たちが迅速にことを起こす手筈となっていた。
 馬車内に漂う緊張感と不思議な高揚感、ビルトランの戦士として初めて感じる気配に影響を受けて、イグニシアスは自分も気を昂らせていた。その初めてといっていい感覚に心地よさも感じていたが、ふいに、自分の意識を中断させるほどの強い感覚の衝撃を受けた。
 その方角へ一気に顔を向ける。
 イグニシアスは見えぬ金色の瞳を現すと、その方角を見つめようと瞳に意識を注いだ。
 ビルトランも鋭い目つきで見据えたその方角。
 そこにあるのは、戦士が闘うためではなく、人が争う姿を見届けるために存在した悪趣味なほど巨大な旧国の遺物。
 遠く離れたこちらにさえ届く巨大で烈しい闘気が、イグニシアスがいまだ知らぬ場所から、あふれんばかりに放たれていた。
 未知の感覚のそれに、イグニシアスは畏れ、見えぬ目は眩い光のような精霊の強い力を見取っていた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

月影の盗賊と陽光の商人

みすたぁ・ゆー
ファンタジー
 とある地方都市の盗賊ギルドに所属する少年と商人ギルドに所属する少年。  ふたりの出会いは偶然か必然か――  境遇も立場も対照的だが、誰かを想う心はどちらも強い。だからこそ、彼らは惹かれ合っていくのかもしれない。  そしてひょんなことから命を狙われる事件に巻き込まれ、彼らの運命が大きく動き出す! ◆  幼いころに盗賊ギルドに拾われたバラッタは十七歳となり、ギルド内では若手の有望株として期待されるようになっていた。  そんなある日、彼は幼馴染みのルナと共に食事へ出かけた際、暗殺者に命を狙われている商人・ビッテルを成り行きで助けることとなる。  ビッテルも年齢は十七歳。そしてこの出来事をきっかけに、彼はバラッタに好意的に接するようになる。  だが、バラッタはかつて奴隷として自分が商人に売られた経験から、商人という職業の人間を一律に毛嫌いしている。  そのため、バラッタはビッテルに対しても良い感情を持たず、しかも汚い商売に手を染めているはずだと確信し、その証拠を掴もうと画策する……。  

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

RUBBER LADY 屈辱の性奴隷調教

RUBBER LADY
ファンタジー
RUBBER LADYが活躍するストーリーの続編です

エロ・ファンタジー

フルーツパフェ
大衆娯楽
 物事は上手くいかない。  それは異世界でも同じこと。  夢と好奇心に溢れる異世界の少女達は、恥辱に塗れた現実を味わうことになる。

【完結】ヒトリぼっちの陰キャなEランク冒険者

コル
ファンタジー
 人間、亜人、獣人、魔物といった様々な種族が生きる大陸『リトーレス』。  中央付近には、この大地を統べる国王デイヴィッド・ルノシラ六世が住む大きくて立派な城がたたずんでいる『ルノシラ王国』があり、王国は城を中心に城下町が広がっている。  その城下町の一角には冒険者ギルドの建物が建っていた。  ある者は名をあげようと、ある者は人助けの為、ある者は宝を求め……様々な想いを胸に冒険者達が日々ギルドを行き交っている。  そんなギルドの建物の一番奥、日が全くあたらず明かりは吊るされた蝋燭の火のみでかなり薄暗く人が寄りつかない席に、笑みを浮かべながらナイフを磨いている1人の女冒険者の姿があった。  彼女の名前はヒトリ、ひとりぼっちで陰キャでEランク冒険者。  ヒトリは目立たず、静かに、ひっそりとした暮らしを望んでいるが、その意思とは裏腹に時折ギルドの受付嬢ツバメが上位ランクの依頼の話を持ってくる。意志の弱いヒトリは毎回押し切られ依頼を承諾する羽目になる……。  ひとりぼっちで陰キャでEランク冒険者の彼女の秘密とは――。       ※この作品は「小説家になろう」さん、「カクヨム」さん、「ノベルアップ+」さん、「ノベリズム」さん、「ネオページ」さんとのマルチ投稿です。

Valkyrie of Moonlight~月明りの剣と魔法の杖~

剣世炸
ファンタジー
【不定期更新】 魔法が禁忌とされる世界。 自警団の長を務める村長の息子アコードの村は、コボルトの襲撃を受けてしまう。 圧倒的に不利な状況下の中、幼馴染と共にコボルトの襲撃をどうにか凌いでいた彼の元に突然現れたのは、銀色の鎧に身を包み月明りのようにほのかに輝く不思議な剣を携えた、禁忌とされる魔法を使う金色の髪の乙女アルモだった。 アルモの旅の目的とは?そして、アコードが選択する運命とは? 世界を牛耳るワイギヤ教団と、正史を伝えるという三日月同盟との抗争に巻き込まれながらも、自らの運命と向き合うアコードの旅が、今始まる… 原案:剣世 炸/加賀 那月 著 :剣世 炸 表紙:さくらい莉(Twitter:@sakurai_322) ※旧題:月明りの少女

聖黒の魔王

灰色キャット
ファンタジー
「お嬢様。おはようございます」 知らない部屋でいきなりそんな事を言われたかつて勇者と呼ばれた英雄。 こいつ、何言ってるんだ? と寝ぼけた頭で鏡を見てみると……そこには黒髪の美しい少女がいた。 相当美人になるだろうなー、なんて考えてたら……なんとその少女は勇者が転生した姿だった!? おまけに国はぼろぼろで、その立て直しに追われる始末。 様々な種族と交流し、自分の国を復興し、世界の覇者を目指せ! TS異世界転生型戦記ファンタジー、開幕! なろう・カクヨムで連載中です。

処理中です...