剣と鞘のつくりかた 《宿世の章》

橘都

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第6話 (1)

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 フォルッツェリオは新興の国だ。二年ほど前に、カドル“迅風”のレイグラントを中心とし、傭兵であった人々が、絶対王政国家であったアスリロザ内の自治区フォルツを国家として起ち上げ、その直後、大国アスリロザへ宣戦布告を発した。
 当時のアスリロザの王族や貴族たちは、多くが一般の民衆を省みない者たちだった。民衆の特権階級の者たちへの尊敬は極限まで薄れ、不満が溜まり暴動寸前の事態となっていた。民衆は有名な傭兵たちが中心となったフォルッツェリオと、英雄の一人レイグラントの支配を望んだ。
 フォルッツェリオに加担する民衆は増え続け、最終的には、人々の支持を受け、あらゆる人脈により智を結集し、傭兵の本職である戦技を揃えたフォルッツェリオ側が勝利を収めた。
 この動乱に乗じて周辺国も参戦する意思を見せたが、アスリロザをほぼ手中にしていたフォルッツェリオは手強く、逆に接収された周辺地域もあった。
 アスリロザの自治区であったフォルツは、いまもフォルッツェリオ内に自治区として残されている。その地はちょっとした山岳地帯にあり、温泉も各所に湧き出ている。その地には昔から傭兵組合の本部があり、傭兵や戦士たちの休養地だった。初めから、レイグラントや仲間たちは、アスリロザを獲るために、フォルツを仮国家とし、アスリロザに侵攻したのだ。
 戦さを専門とする傭兵たちは、どこをどう動かせば国が傾き、国が起こるかを知り尽くしていた。人脈も多く抱えている。アスリロザや周辺地域は短期間のうちにフォルッツェリオに吸収された。
 しかし、現在のフォルッツェリオも安泰となったわけではなかった。
 吸収された国や地域の指導者たちは一掃されても、その恩恵を受けていた者たちは国民として多く残されている。旧アスリロザの貴族たちも解体されずに多くが領地を持ったままだ。かつての権勢を取り戻そうとする輩が複数いることも事実だった。また、元国王一家の眷属も遺恨を持ち、国王レイグラントの支配を崩そうと画策している。
 いまのところレイグラントや側近たちに付け入る隙はないが、その隙を狙おうとする者たちがいまだ暗躍していることを、レイグラントも側近たちもよく理解していた。
 フォルッツェリオ国王レイグラントの側近の一人、国家兵団長ビルトランは、人生の大半を戦場で過ごしてきた壮年の戦士だった。地精の使い手でもある。自身はあまり魔法を多用せず、腕力をもって相手を捻じ伏せる戦法を得意としているが、いざとなれば習得した魔法を披露することもあった。
 ビルトランは諸事情による国外旅から国家兵団本部に帰着したばかりだったが、ある人物からの紹介で自分を訪れてきた一人の戦士と面談していた。ビルトランの昔馴染みである、彼の師といっていい人物からの紹介でやってきた青年はデュランと名乗り、ぜひともこの国で働きたいと言ってきた。
「この国は、いま新しく力強く、魅力に満ちあふれている。興味を持っておりましたところ、紹介人と仲良くさせていただきまして、こちらを紹介してくださいました」
 二人はビルトランの兵団長室で面談していた。華美な装飾のない実用的な部屋だが、広さは十分にあり、応接椅子揃えもしっかりとした作りの高級品。
「なるほど」
 ビルトランは熱量はないが実とした声で応じる。
「戦士として各地を転々としておりましたが、妻と一緒になり、息子も大きくなりましたので、そろそろいずこかに腰を落ち着けたいと思っておりました」
 そう言う青年はまだ若く見えるが、確かに経験を重ねてきた戦士のようだった。並外れて高い背丈に、それに見合うだけの肉体を持っている。一見痩身そうに見えるが、見る者が見れば、鍛えられた筋力が衣服の上から感じられた。赤銅色の髪は切り揃えられてはいないが、青年の精悍な顔つきが清潔感を感じさせる。薄い琥珀色の瞳が誠実そうで、信用の置ける人物のようだとビルトランには受け取れた。なにより、紹介者がビルトランと懇意の人物だ。
「彼の紹介ならば、それなりの腕と人格であろう。私に異存はない。ただし、早いうちに国王陛下と謁見してもらおう。我が国王陛下自ら、判断をくださるだろう」
「ありがとうございます」
 青年が笑顔で頭を下げた。
「そなた、滞在する宿は決まっているのか?」
「街の宿に妻と息子を置いて、こちらに参りましたが」
「正式に我が国の一員となるまでは、そなたは私の客人である。よければ、夫人と子息をこちらに呼び寄せられよ。しばらくは揃って私の屋敷にてくつろぐがいい」
「ありがたく、お言葉に甘えさせていただきます。ところで、じつは妻もなにかお役に立ちたいと申しておりまして。どちらかのお屋敷のお世話をさせていただけたらと思っております」
「それならば、ちょうど我が屋敷に人手が必要だ。よければお引き受けするが」
 青年はにこりと笑った。
「そうですか! それはありがたい! どうぞよしなに」
 青年との面談を終えると、ビルトランはすぐに自分の主のもとへと参じた。
 旧アスリロザの首都エクスエリスは、そのままフォルッツェリオの首都となった。王城もあり、レイグラントは表向きはその旧アスリロザ王城に居住していることになっている。
 しかし実際に彼が一日を過ごしているのは、旧アスリロザ宰相の公邸だった。現在はフォルッツェリオ国政務府となったその建物内で国王は細事にわたる職務を行なっていた。
 フォルッツェリオ国王レイグラントは、戦いにおける才能の他に、政治を行う才覚も持ち合わせていた。
 端正な容姿、公正で潔い人格。
 己の手で得た、人望、地位、名誉。
 そして、生まれつき持ち得た力を極限まで鍛え上げた、並外れた魔法力と戦闘力。
 人が羨むものすべてをレイグラントは手中にしている。
 自分の持つ才能を、全力で発揮する。
 公言せずともうかがえるその姿勢は、これまで違えられたことはなく、彼の行いすべてが鮮やかであり、周りの者を巻き込んでいく。レイグラントに人々がついていくゆえんだった。
 レイグラントはまだ若く、側近のほとんどが彼よりも歳が上だ。その個性的な面々を束ねていくレイグラントの統率力は他に類を見ない。
 しかし、支持されるだけでは人の頂点には立てない。レイグラントは寛容な面もあるが、敵対する者には容赦がなく、戦場に立つ際の彼の苛烈さは敵を身震いさせ、眼光だけで逃げ出す者がいるほどだった。
 そんなレイグラントも、自身についてはまるで頓着がなかった。支配欲のために国王となったわけではなく、私欲によって立場を利用することなどない。レイグラントが政務府に居住しているのは、仕事をするために都合がよいというだけのことだった。そのため、レイグラントは公式に賓客と対面する際は王城に赴くが、私的な客と会う場合は政務府で会っていた。部下の報告も当然政務府で受ける。
 政務府の警備は厳しいものだが、国家兵団長であるビルトランの顔を知らない兵は存在しない。待たされることなく建物内部に通されたビルトランは、国王との謁見を願い出た。取り次いだ者からすぐに会うとの返答をもらい、ビルトランは国王の執務室へと入室した。
 執務机に向かっていたレイグラントは、ビルトランに顔を向けると、側に控えていた者たちを退出させた。
 室内は二人きりとなった。
「彼女はどうしている」
 レイグラントは部屋の奥にある豪奢な長椅子へと身を移しながら訊いた。向かいの椅子に腰掛けるようにビルトランに勧める。ビルトランは主の向かいに腰を下ろすと、姿勢を正して報告した。
「こちらへ到着したあと、私の屋敷にて休ませています」
「どんな様子だ」
 レイグラントの表情は変わらないが、その瞳は真剣に人を気遣う色を見せている。
「多少旅の疲れを感じているようですが、彼女も戦士です、体の心配はいりません。ただ……」
 ビルトランは少々言いにくそうに言葉を濁した。
「彼女は身篭っております」
 レイグラントはしばらく言葉を発しなかった。やがてゆっくりと目を閉じると、長椅子の背もたれに背を預けた。
「どのくらいだ」
 そのままの姿勢での言葉に感情はうかがえない。
「もう、いつ出産してもおかしくはないほどに」
「そうか……一番よい方法を取りはからってくれ」
 その言葉にビルトランは正確に主人の心情を察した。
「かしこまりました」
「その態度、いまはよしてくれないか」
 レイグラントの衝撃は、いかばかりだったろう。
「子供ができていたとは。それなのに、なぜこの国を出た」
 レイグラントはビルトランに自嘲するような笑みを見せた。その表情は暗く、瞳にも力がない。
「あいつが出て行ったとき、俺はまだ信じていた。俺の隣にはあいつがいるものだと、思っていた。あいつは……なにを思っていただろう」
 しばらく口をつぐんでいたが、ビルトランはいままで黙っていたことをレイグラントに打ち明けた。
「出ていく少し前、我のところに来て、話をしたことがありました。短い時間でしたが、思っていることはわかった」
 レイグラントはビルトランの瞳を見ていた。
「あなたのためです。すべては、あなたのためだった。自分がここにいてはあなたのためにならないと言っていた。あのときに、止めることができていたら」
 レイグラントの瞳に光が戻る。
 いままで以上に、烈しい光が。
「話を聞いておけ。必ず、聞き出せ」
 声は毅然たるものだった。何者の意思をも遮るような、レイグラントの気質そのものだ。
 自分の信じるものを他人に押しつけるのではなく、信じ込ませる説得力を持つのがレイグラントの言葉。
 ビルトランはその言葉を肝に命じた。
「はっ。あと、もう一つ、お話が」
「なんだ」
「本日、紹介で男が一人、我がもとに参りました。会われますか」
「どんな男だ」
「歳は三十。相当の手練れとみました。魔法も習得しているようです」
「人柄はどうだ」
「彼を、思い出しました」
「……そうか」
 レイグラントは小さく笑った。
「会おう。ただ、しばらくは時間を持てない。おまえが見込んだなら、おまえに任せる」
「承知しました」
 ビルトランは立ち上がるとレイグラントに一礼し、執務室から退出した。兵団本部にて旅の間に溜まっていた仕事を行い、ビルトランが私邸に戻ると、ちょうど面会した青年デュランが妻子を連れてきたところだった。
 紹介された夫人は、淑やかそうな清楚な美人だった。透き通った金の瞳が印象的で、漆黒の髪が両耳の横へ二つに分かれて編み込みで纏められていた。とても女性らしく好ましかった。
 その夫人を不躾にも長く見てしまい、ビルトランは我に返ると非礼を詫びた。
「あまりにお美しいので、つい見惚れてしまった。お詫び申し上げる。こちらがご子息か。これは利発そうな。将来楽しみでしょうな」
「ありがとうございます。こちらが妻のニース、息子のアランにございます」
 デュランの息子は、金に近い薄茶の髪、薄く透き通った翠の瞳の、整った相貌の少年だった。髪の色と瞳、顔つきも両親とは似てはいないが、隔世遺伝はよくあることであるし、血の繋がらぬ子を養子にすることは珍しくはない。ビルトランはその点とくに気にしなかった。
 デュランの息子はビルトランに向かって笑うと、姿勢正しく礼をしてみせた。夫人は女性らしい礼の仕草をし、ビルトランに挨拶した。
「初めてお目にかかります。デュランの妻、ニースにございます。この度は、夫もわたくしもお引き受けくださり、まことにありがとう存じます」
 夫人の声は少し低めだが耳に心地よく届き、ビルトランの心は年甲斐もなく騒めいた。ビルトランはまだ独身で、いまは付き合っている女性もおらず、仕事に追われて最近では女性との接し方を忘れたように思う。常になく浮ついた気持ちをごまかすために、気がついたことを口にした。
「ご夫人は魔法の心得があるようですな」
 夫人がかすかに笑う。
「未熟者にございます。日頃、精神修行に励んではおりますが、なかなか難しいものですのね。一向に上達いたしません」
「そうですか」
 ビルトランも夫人に笑い返す。頰にある傷が少し引きつったが、その傷を負ってから長い年月が経った。もう気にはならない。
「男所帯で行き届かぬ点がありましたら、あらかじめお詫びしておきます。よろしければ、ご夫人にやっていただきたい仕事があるのだが、私もなにかと忙しい身、詳しいことはのちほどお話ししましょう。夕食を用意いたしますので、そのあと、お部屋にうかがいます」
 ビルトランは屋敷の従卒に三人の部屋を案内するように申し渡し、息をつく暇もなく私邸をあとにした。しばらく留守をしていたため、兵士たちの様子を確認するためだ。
 首都防衛の兵士たちが住う兵舎に赴き、部下より報告を受け、いくつかの指示を出した。兵士の前では、デュラン夫人の前で見せたような緩い雰囲気はかけらもなかった。実直で堅いフォルッツェリオ兵団長がそこにいた。
 訓練をしていた兵の様子をしばらく見たあと、ビルトランが私邸に戻ると、デュラン一家が食事を終えたところだった。自身は兵舎にて兵士たちと簡単に食事を済ませていた。
 デュラン一家に与えた部屋は、二つの寝室と適度な広さの応接間が繋がっている。その応接間にてビルトランはデュラン夫妻と対面した。デュランの息子は長旅で少し体調を崩しているらしく、デュランからこの場にいないことの詫びの言葉があった。
「食事は楽しまれたか?」
「はい。久しぶりに、美味しいものをいただきました」
 デュランが人のよい笑顔を見せる。ビルトランは機嫌うかがいの挨拶を早々にすませ、用件を切り出した。
「ご夫人には、ある婦人の世話をお願いしたいのです。その婦人は友人の奥方で、最近その友人が亡くなり、こちらにお引き取りしたのだが、懐妊しておられるのです。じつは、どうお世話したものかと、途方に暮れていたところでした。私も戦さしか能のない男で、ここにおります者たちも我が兵団の関係者であり、なんの心得もありません。どうか、お引き受けいただきたい」
 ビルトランは夫人に頭を下げた。
「はい。わたくしにできうる限りのお世話をさせていただきます」
 ビルトランにとって、デュランの来訪は突発的なものだった。確かに、よき戦士をもう少し確保しておくため、戦士斡旋の依頼を出していたが、こんなに早くよい人材が現れようとは。デュランも夫人も人柄がよく、力になってくれそうだった。
「今日のところは、このままお休みください。明日の朝、婦人に引き会わせましょう」
 ビルトランは用件を無事すませ、デュランと夫人の前から退出した。


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