14 / 33
第5話 (1)
しおりを挟む翌夜明け前、人々の多くがまだ眠りの中にいる時間にデットはエルを伴い“穴熊”の裏戸を訪れた。
迎えてくれたイグニシアスは、エルのほうを見て少々困惑した様子だ。いつもは閉ざされた目を開いた、不思議そうな顔だ。
「えっと、この子が友人で? 目指せカドル?」
イグニシアスが盲目であるのを忘れてしまうほど、彼は“眼”がいい。どういう仕組みなんだろうと思いながらデットは笑ってうなずいた。
「俺は術者のことは簡単な知識しか持ってない。できればこの子に説明してやってくれないか」
「わかった」
エルのほうは目の前にある美貌に感嘆したように見入っていた。イグニシアスはエルを面白がる表情で見ると、家の中に二人を招き入れた。
二人が通されたのは、装飾品などはまったくなく、小さな腰掛け椅子が入り口近くに一つ、部屋の中央にもう一つだけ置かれた、他にはなにもない部屋だった。何ヶ所かに置かれた燭台の蝋燭の灯りが揺らめき、ほのかに部屋を照らしている。
「ここは俺の仕事の関係で使ってる。部屋には人間の認識から外れて精霊が注目しやすい類いの結界を張った。人の注視する気配があると精霊は近寄ってこないから。精霊ってのは好奇心は強いが、人見知りが激しいんだよ」
話しながらイグニシアスは部屋の中央の椅子にエルを促し座らせた。自身はその正面の床に胡座をかく。
「あんたは後ろ」
イグニシアスは前を向いたままデットに対して言った。デットは素直に従い、戸口の近くに置いてある椅子に腰を落ち着けた。
「他のとこにいられると気が散るからさ」
ちょうど部屋の扉口から、デット、イグニシアス、エルという位置取りとなった。
「さて、俺は術者イグニシアス。おまえ、名はなんという?」
「エリシュターナ」
エルは緊張した様子で答えた。
「緊張しなくていいぞ。おまえはなにもしなくてもいいんだ。頑張るのは、俺だから」
「よろしくお願いします」
堅苦しく、それでも少し緊張を解いた様子のエルは、イグニシアスに向かって律儀に頭を下げた。
イグニシアスはデットのほうを振り向き、
「いつもこんななの?」
と楽しげに訊いてくる。デットは笑いを堪えた。
エルのほうに向き直ったイグニシアスは説明を始める。
「いまから、精霊を呼びやすい状況を作る。そして、ここにエリシュターナって人がいますー、誰か守護者になってくれませんかー? って呼びかける。精霊が応えてくれたら契約成立! 簡単に言うとこれだけのことなんだけど、実際はそんな簡単にはいかない。精霊を呼び出すには、魔法の適性が少しでもないとだめ。うちのじじいなんか魔法力のかけらもねえから、ひとっつも来ないに違いねえ」
エルはその瞳を大きく見開いた。イグニシアスの美貌に似合わぬ中身の男らしさに驚いているんだろう。
イグニシアスはエルを見つめ、
「いい感じになってきたな」
と、にやり笑った。エルの硬さが取れてきた。
「おまえは、魔法を扱う者が唱える“言葉”を、聞いたことがあるか?」
イグニシアスの問いにエルはうなずく。
「意味がわかったことがあったか?」
今度は首を振る。
イグニシアスはまだエルに盲目であると告げてはいない。エルはそのことに気づいてもいないだろう。首を振る動作だけで、イグニシアスには通じているのだから。
「精霊使いが精霊に向かって話しかけると、それが魔法の発動となる。だけど、“魔法の言葉”を習う学校があるなんて、聞いたことがないだろう?」
エルは再度うなずいた。
「魔法を使うときの言葉。あれは精霊に向かって話しかけてるだけなんだよ。精霊にしかわからない言葉でな。言葉って言っていいのか、魔法を使えない者にはその言葉を理解することができない。どんな仕組みになってんだか、研究してるとこもあるんだが、いまだにわかっちゃいない。けど、不思議なもんでさ、精霊と契約をすれば無意識に言葉を交わしてんだよ。それが魔法の発動の合図となる」
エルは熱心に耳を傾けていた。
「少しはわかった?」
エルは大きくうなずいた。
「そんじゃ、やりますか」
デットはあっけらかんと告げるイグニシアスに、いい意味で呆れた。デットも魔法を扱える人間だ。精霊と契約をするということは術者にとって大仕事であるとわかっている。であるのに、イグニシアスはとくに準備らしきものをしていない。他の術者であればもっと精霊召喚にふさわしい環境や服装を整え、術者は緊張感をさらに張り詰めるように大仰に取り掛かるものだった。
こいつは確かに大した術者だ。環境も自身も普段通り。
イグニシアスは床に胡座をかいたまま一つ大きな息をつくと、左手をエルにかざすように前に伸ばした。
しばらくそのまま動かない。
「目は閉じてろ」
エルがその言葉に従う。
やがてイグニシアスは言葉を発した。エルにはわからない、精霊の言葉。それは、自分の守護精霊へ話しかけながらイグニシアス自身の力を高めるものだと、デットにはわかる。
一呼吸、言葉が途切れる。
息をついたあとすぐに言葉が紡がれていく。
デットの目には精霊が生み出す“光”が映し出されていた。
エルの目の前に、一つの光が浮かび上がり、床にゆっくりと落ちて吸い込まれるように消えていく。
魔法に携わる者にしか見えぬ光は、イグニシアスが言葉を作り出すたびに次々と現れた。
エルの背後に。
エルの右側に。
エルの左側に。
そして、エルの頭上に。
光は、現れては床に吸い込まれていった。
いつの間にか、意識を集中し続けるイグニシアスの額に薄っすらと汗が浮かんでいた。彼の“気”がエルに向かって凝縮していくのをデットは感じていた。
言葉を終えたイグニシアスが左手を下ろし、彼の放った五つの精霊の力が、一つの術として作動しようとした直後。
それは起こった。
突如、イグニシアスがエルに向けて集中していた力が爆発的に四散し、辺りが閃光に包まれたようになにも見えなくなった。
真っ白になった空間は、次の瞬間には真っ暗に転じた。蝋燭の灯りもない。
イグニシアスの両眼は大きく見開かれていた。茫然と、起こった事態を見えぬ目で見つめていた。
明らかに通常の精霊召喚とは違うとデットにもわかった。ただこの異常事態の原因はなんであるのかデットには掴めていない。うかつに動けぬ中、どのようにも動けるように体の力を調整しながら努めて深く呼吸をする。
デットの目が闇に慣れたころ、思い出したように蝋燭のほのかな明るさが部屋に戻った。
揺らめく灯りで映し出されたエルの体は、意識を失い椅子の背にもたれかかっていた。イグニシアスの術の力が掻き消えてしまった部屋は静まりかえっている。
異変は、異様だった。
デットもイグニシアスもすぐにそれに気づいた。
二人は、エルの頭上に浮かび上がっている存在に目を奪われた。
蝋燭の灯りに照らされているはずの部屋の一部が、濃い暗闇によって覆われている。それは意識を失っているエルの頭上。
黒。
どんな色とも一線を画す、どんな色をも覆ってしまう、闇の色。
その、黒く、深く、濃い暗闇の中に浮かぶ“それ”は、存在そのものが異常だった。蝋燭の灯りはその空間にだけ届いていない。それなのに、その姿をはっきりと見取ることができた。
“それ”は人の姿をしていた。
黒く長い髪はその足元まで届き、長い髪のせいか影で覆われているのか容姿を判別することはできない。体は闇色に覆われ、衣服を纏っていることを確認できない。
エルの頭上で、目に見えぬ椅子にでも腰掛けるように、足を組んで浮かぶその姿。
デットはそれをみた瞬間に立ち上がり、衝撃で椅子が後方へ飛ばされた。そのほんの短いはずの時間が長く感じられ、己の反応がこれほど鈍いものかとデットは頭の片隅で思った。思考力は驚愕に支配されていたが無意識にイグニシアスの片腕を掴んで立ち上がらせると素早く自分の後ろへと隠す。
「闇の、精霊王っ!」
デットの声は知らずかすれていた。その言葉にイグニシアスが茫然とつぶやく。
「まさか、冗談だろ?」
エルの頭上に浮かぶ、人の姿をした“そのもの”の口元が笑む形に歪むのをデットは見た。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
大奥~牡丹の綻び~
翔子
歴史・時代
*この話は、もしも江戸幕府が永久に続き、幕末の流血の争いが起こらず、平和な時代が続いたら……と想定して書かれたフィクションとなっております。
大正時代・昭和時代を省き、元号が「平成」になる前に候補とされてた元号を使用しています。
映像化された数ある大奥関連作品を敬愛し、踏襲して書いております。
リアルな大奥を再現するため、性的描写を用いております。苦手な方はご注意ください。
時は17代将軍の治世。
公家・鷹司家の姫宮、藤子は大奥に入り御台所となった。
京の都から、慣れない江戸での生活は驚き続きだったが、夫となった徳川家正とは仲睦まじく、百鬼繚乱な大奥において幸せな生活を送る。
ところが、時が経つにつれ、藤子に様々な困難が襲い掛かる。
祖母の死
鷹司家の断絶
実父の突然の死
嫁姑争い
姉妹間の軋轢
壮絶で波乱な人生が藤子に待ち構えていたのであった。
2023.01.13
修正加筆のため一括非公開
2023.04.20
修正加筆 完成
2023.04.23
推敲完成 再公開
2023.08.09
「小説家になろう」にも投稿開始。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる