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第2話 (2)
しおりを挟む息を潜めていた。
鼓動は破れそうなほど動いているが、その音すら聞こえないようにしなければならない。
傍らには、意識を研ぎ澄ませながら気配を押し殺す、ただ一人の味方がいる。
その人に掴まれている腕に感じている、汗ばんだ手の平からの体温は、己と周囲を繋ぐ唯一のものだった。
これからなにが起こるのか、わかっている。
いまは重く閉ざされた暗闇。
だがすでに起こってしまった過去は、記憶の奥に濃厚に焼き付いている。
そう、これは夢だ。
過去に見た光景を、夢は再現している。
何度も何度も、何度も。
暗闇のままなのに、そのときの感情は増幅され、夢はその感情に支配される。
そんな感情は、心は、現実にはなんの意味も力も持たない。
この夢で再現されることには、感情も、心も、なにもできない。
夢は勝手に進行していく。
闇の向こうから聞こえてくる激しい剣戟。
一段と強くなる、掴まれた腕に込められる力。
そして、一番大切な人が絶える気配。
さらに大きく鼓動が跳ねる。
やがて、真っ暗だった闇は、紅く染まる。
怒り。
悲しみ。
絶望。
絶望?
いや、望みはある。
いまは、その望みを叶えるために生きている。
激しく鳴り続ける鼓動は、そのために動いている。
この、息が止まるほどの苦しい感情もそのために感じている。
でも、もうこれ以上、この夢を見たくない。
早くこの夢から抜け出したい。
早く---
“目を覚まして”
知らぬ声が聞こえたような気がした。
エルは自分の激しく鳴る鼓動で目を覚ました。
目覚めても夢の感情はなかなか去らず、心臓は激しく鳴り続けて苦しかった。
あれから幾度も見た夢だった。
目を閉じると、あのときの光景はいつでも鮮明に頭の中に浮かんでくるが、夢ではそのときの何倍にも増幅され、とても苦しい。
鼓動は緩やかに治まっていく。熱は下がったようだ。体はまだ怠いが動けないほどではない。これ以上姉に心配をかけるわけにはいかなかった。
エルは古びた寝台から身を起こすと、まず食卓へ向かった。辺りは薄暗いが、いまが朝方か夕方かエルにはわからなかった。
ミーサッハは食事を作っていた。エルは慌てて手伝おうとしたが姉に止められた。
「わたしがするから、座っていなさい」
調理の続きにとりかかった身重の姉はまだ十分に動けるようだ。エルは少し安心する。時刻はまだ戻った日の夕刻だった。
姉に促されるまま食卓の椅子に座り、ふと視界に入った自分の腕を見る。
ある人と、出逢った。
不思議な人だった。なにが不思議であるのか自分でもよくわからないが、掴み所のない人、というのが当てはまる気がする。
彼は、恩人だ。彼にとっては何気ないものであるのかもしれない。ほんの気まぐれに手を貸してくれた、そんな印象だった。それも、見返りを求めない、欺瞞的なもののない好意的な助けだった。
その上、知らず意識を失っている間に、腕の怪我まで治してくれた。腕を確認すれば、怪我をしていたなど全くわからない。痛みも残っていない。
癒しの魔法を扱える魔法士は少ないことをエルは知っていた。樹精を得ることができる確率は、他の精霊を得るよりも低い。樹精を得たとしても、癒しの魔法はとても高度なもので、患者に使う場合は何回かに分けて行われるという。それを彼は短時間で完全に怪我を治癒させてしまった。
魔法だけでも優れているのに、彼は肉体にも恵まれている。いや、そうなるように鍛え上げた結果であるのはわかっている。ただ、それを得られるだけの素地をあらかじめ持っていることが羨ましかった。
彼は、カドルなのだろうか。
優れた魔法と、優れた無駄なく鍛え上げられた肉体。
精霊の守護を受けた戦士、“カドル”。
もし彼がカドルであるなら、なぜ魔法士と名乗ったのだろう。
エルは疑問に思ったが、まずは久しぶりの自宅での食事だった。食卓に料理を並べるのをエルも手伝った。エルが食材を買ってこられなかったために、この日の食事は常備された日持ちのいい食材ばかりで、生ものは少なかった。いまは多く栄養を採らねばならない姉に申しわけなく思う。
料理を前に、二人は目を閉じた。
心の中でエルは無心に願う。
祈りでは、自分の望みは叶わない。願い、その願いを現実のものとするための未来を望む。
姉はなにを願っているだろうか。それとも、祈っているだろうか?
祈っているのなら、それは魂を悼むものだ。
エルは兄の死を悼み、兄に願った。
これから先、姉と、生まれてくる子が幸せに、健やかに過ごせるようにと。
だがエルの本当の願いは叶えられることはない。
祈っても、願っても、死んだ者が生き返ることはない。
エルは、逝ってしまった兄の代わりに、姉と姉の子を守らねばならない。
そのために努力をしなければならない。
奇跡はけっして起こらない。
「ただ、運というものはある。それは人間に与えられた“奇跡”なのかもしれない。でも運というものはあまり好きじゃない」
そう言って兄は笑った。
「人は選択し、己の道を歩む。それでも自分の意思だけで物事は動いていかない。たとえば、同じ場所にいて、同じ目に遭っても、生き延びる者、命を落とす者がいる。また、見えぬものを選び取るとき、当たり外れが生じる。それを運というのだろう」
また、こうも言った。
「過去というものは、未来からすればすでに起こってしまったことだ。だから未来とは、すでに定まっているのかもしれないな。だけど、人は自ら行動を起こして、未来に向かっていくんだ」
兄の言うことは正しいと思った。兄を崇拝しているわけではなく、兄の経験から言うのならばその通りなのだろうと思っているだけだ。
だけど。
「自分では選べぬことが運だ」
そう言った兄が、あんなふうに死んでしまうことが避けられない未来だったとしても、納得なんかできない。できるはずがない。
兄を殺した者に対する怒りは、いまは胸の中に仕舞っている。いつでも鮮明に浮かび上がる感情は、日常を生きていくには押し殺すしかないのだ。
食事を終え、片付けを済ませたエルにミーサッハは話しかけてきた。
「話がある、よいか」
「はい」
ミーサッハはいつもエルを子供扱いをせずに一人前のように扱い、話をしてくれる。エルには嬉しいことだった。
「わたしはじきに出産するだろう。さすがにエルと二人だけでは困難だ。だから人を雇った。数年は人に世話になる生活になるだろう。乳飲み子を抱えて移動するわけにはいかないからな」
エルはうなずいた。
「もう一つ。先ほど、おまえを送ってくれたあの男と少し話をした。あの男はそうは見えないが、優しい男だな。おまえをとても心配してくれていた」
そうだ。彼はなんでもないように振る舞っていたが、とても優しい人だった。
「彼との話の中で、“炎獄”の話題が出た」
エルの背筋は自然と伸びていた。
「あの男は各国を渡り歩いているそうだが、“炎獄”がいた国にも行ったことがあるらしい。いまは確かな手がかりがないが、国を巡ればなにか情報が得られるのではないかと言っていた。彼についていく気はあるか?」
“炎獄”のカドル。探し求めている人だ。自分が優れたカドルになるため、彼に師事することができないかと探し続けていた。
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