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八.俺のやったことは容認されない

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八.俺のやったことは容認されない

「なんなんだこれ」

 俺が拳の国に転移して抱いた感想が、それだった。

 人々が互いにいがみ合い、殴り合い、時には凶器すら持ち出して刃傷沙汰が起こっている。めいめいが口にする言葉があった。

 「次は自分が勇者候補だ」と。

 マーちゃんが認識阻害の呪術を施してくれたおかげで、俺と彼女は住民たちの知覚外にあったが、それでも大きな動作をして殴り合う、あるいは殺し合う最中を歩くのは骨だった。

「この国に蓄えはあまりありません、です。だからこそ、勇者支援制度にすがるしかなかった、です」

 勇者の進撃具合によって国力を示し、物流などの権利を確保する。それが勇者支援制度と名付けられた、システムの概要だった。

 A国もB国も倒し得なかった強い魔物を、C国の勇者が倒したとする。すると、「勇者を支援する」という名目で、C国にA、B両国からの資金物資ほかの援助が送られる。

 しかし、その逆もまた、起こりうる。

「拳の国の勇者が唐突に生命反応を消失させた、です。だから、当然、他国を支援せざるを得ない、です」

「それを回避するためには新たな勇者を選出するしかないってことか」

「とりわけ拳の国と呼ばれるこの地では、実力主義、です。転生も召喚も望めない時期に、勇者を選ぶとなると、こうなる、です」

 眼前で主婦がパン屋の親父を後ろから鉄鍋で殴りつけ、雄叫びを上げるのを見て、俺は思わずドン引きした。

 またあるところでは、少年少女が殴り合い、対魔物戦闘のごとく流血を伴っている。さらにその付近ではナイフでの格闘。遠くにいる聖職者と思しき男だけがその様子を見守っていた。

「こんなことしなくても、もっと穏便にことが進まないもんかね」

「国力が足りない、です。余裕がない。国の外は乾いた大地。作物もろくに育たず、勇者支援制度にすがっていることで、なんとかしていた、です」

「……俺、すごいことしたんだな」

「実力派の勇者をスマホで一撃の下に葬ったとなれば、松浦さん、あなたは実質この国を潰したも同然、です」

 無感情に言いつつ、ずり落ちかけたメガネの位置を両手で直すマーちゃん。

「国潰し、ね」

 穀潰しよりはマシだろうか。いや、どちらも等しくダメな感じがする。

 などと考えていると、血しぶきの中でニタリと笑った肉屋の店主が気になった。どことなく俺の方を見ているような気がする。

「あ」

「あ?」

「認識阻害の呪術が落ちかけている、です」

「あんちゃん、見ねえ顔だな? いっちょやってくかぁ?」

「えっ」

「遠慮は要らねえ、かかってきな! 勇者権は俺がもらう!」

「松浦さん、逃げる、です」

 と言いつつ、マーちゃんはすでに逃走を始めていた。待て待て待て、肉屋のオッサン、思った以上に足が速いぞ。

 っていうかそのヤバイ肉切り包丁を下ろせよ。

「転移強制終了! おい、スマホ! レスポンスの速さでこの機種選んだんだから、早く元の世界に戻せ!」

 スマホの画面を連続タップしながら、転移を望む操作方法を探すが、しかし、それは見つからなかった。

「逃げるない、あんちゃん! 俺のために屍さらしてくれや!」

「松浦さん、スマホでガード、です」

「ひえっ」

 顔の前にスマホを掲げて目を瞑った瞬間、俺は指やら腕やらの欠損を覚悟した。

 あ、いや嘘だ。覚悟なんてできなかった。その度胸のなさが問題なんだよな、と思っていたが、衝撃はいつまで経っても訪れない。

「なんだこりゃあ!?」

 目を開くと、肉屋の親父は、欠けたのでもなく、折れたのでもない、ふわりと煙になって消え去った肉切り包丁の刀身を見つめていた。

「マーちゃん、あとは!?」

「忘却の呪術かけておくので、松浦さんは目を瞑ってください、です」

 閉じたまぶたの向こうに一瞬光を感じると、俺は「もういい?」と四回発した。

「大丈夫、です。これでなんとかなる、です」

 再び肉屋の親父を見た。というか、肉屋の親父の姿をした、アホがそこに立っていた。鼻くそをほじっては口元に運んでアヘアヘと笑っている。

「生まれて10歳までの記憶を除いて全てを忘却させました」

「やりすぎじゃない!?」

「わたしの呪術は加減が難しい、です。だから、人に使うには、ちょっと強力すぎることもある、です」

 そんな肉屋の親父が殴り倒されるところを見届けたところで、転移の時間は終了した。

 自室に一緒に転移してきたマーちゃんと、いつのまにか入り込んでいた櫻井(服装がもはやただの部屋着だがつっこむまい)が、俺の顔色を伺っている。

「拳の国、大変だったんじゃないですか?」

 クーラーをガンガンに効かせた部屋で、櫻井は横になりながらぼんやりとそう言った。

 そして、マーちゃんが頷いてから、思慮深げに口を開く。

「勇者を殺すということの意味、伝わったはず、です」

 俺はつい先ほどまでの緊急事態から精神が回復していなかったのだが、ふたつだけ、わかったことがあった。

 異世界の命運はどうやら俺の手の中のスマホに左右されるようだ、ということ。

 そして、自身がやったことが非常に重たいことであった、ということ。

 感受性鈍麻の呪術を受けても、それらだけははっきりと理解した。

「マーちゃん、報酬、上乗せしてあげたら?」

「それはやぶさかではありませんが、松浦さんが勇者殺しを続けるかどうか、です」

 これにはさすがの俺も参った。異世界に転移したり転生したりした人間を殺すことで、俺は自由を手に入れるはずだったが、それは大きな犠牲が生じる。

 勇者支援制度が破綻すれば、おそらく人間たちは各々の国益を求めて戦争を起こしても不思議ではない。

「俺は、その、これから──」

 言いかけたところで、人を消滅させる恐るべきスマホが、三三七拍子の振動パターンを起こす。

『松浦さん! なんとか仲間が見つかりました!』

 ユウキくんからのメール。巨乳女戦士との画像付き。

「──あ、うん、とりあえずユウキくんだけはシメておきたいから勇者殺すよ」

 我ながら歪んだいい笑顔だったと思う。
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