ものかけ姫

服部ユタカ

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ものかけ姫

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 大昔、人と獣が自然の中で共存する時代……とは関係なく現代日本で奇妙な関係性が生まれていた。
 白く美しい毛並みの、やたら大きな狼が小説を書く青年のもとに居座っていたのである。四畳半の部屋にみっちりと寝そべった狼は、青年の部屋を八割圧迫している。

 その晩設定されている〆切に追われた青年、カケタカが苦しみながらも小説の内容について対話していると、狼があからさまに嘲笑うので真剣に叫んだ。
「書き手を解き放て! 私も人間だぞ!」
 しかし、狼はすぐさま返すのだ。
「黙れ小僧! 書かずに読者が救えるか!」
 狼の言うことももっともである。カケタカが書かなければ作品が終わらないだけではない。読者が少なからずいることは認識しているから、彼らの期待も裏切ることになるのだ。
「書けたか?」
 24時を回った瞬間、カケタカは意識を失ってはいたものの投稿サイトの更新完了ボタンを押下していた。
「では、また明日か」
 狼のスパルタな教え方は日に日にカケタカを追い詰めていくが、精神的な摩耗量に比例していくようにじわじわと読者はついていった。

 カケタカは四六時中狼に付き纏われ、書き続けよ、と言われていた。なにしろ狼はカケタカにしか見えず、触れられず、話しかけないのだ。登校中も授業中も続きの催促が続くのである。しかし、もはや三週間毎日の連続投稿は限界であった。ついに彼は一度筆を置き、ゲーム機を起動していた。一人称視点で戦い、生き残ることを目指す流行のゲームである。
 しかし、しばらく離れていたがために照準が合わないどころかアイテムを拾うボタンすら怪しくなっているところを後ろから狙撃されて倒された。そして、即座にメッセージが飛んでくる。

『クソ雑魚乙』

 差出人は先ほど自分を倒したプレイヤーであった。まだ相手方は戦闘中であろうから、相当な手練れであり、人格に問題があった。即座にカケタカはコントローラーを壁に投げつけ、地団駄を踏む。狼はやれやれと言った風に寝そべったままだ。
「何故人は争う!」
 自分で仮想世界の戦場に踏み込んでおいてよく言ったものである。そして、彼は床を踏み鳴らしたせいで階下の母親に真剣に怒鳴られた。
「さぞ名のある母とお見受けする! 鎮まりたまえ! 鎮まりたまえー!」
「あんたの母親なんだから名はあるに決まってるんだよ、馬鹿息子!」
 さすがに顔面を殴られるのは勘弁願いたかったカケタカは右腕で三連続で繰り出される拳をまともに受け、赤黒いアザが複数できた。これらはもはや呪いの類に見えたので、彼はちょっとだけテンションが上がっていた。相当な厨二病ではあったが、しかし、実の息子に対して的確なジャブ・ジャブ・ストレートを繰り出す母親に不満を抱かない点は評価すべきかもしれない。

 カケタカには目指す小説書きがいた。だからこそ彼はくる日もくる日も狼に従っていたのである。
 その小説書きとは、近隣の女子校に通う、本名はおろかあだ名すら知らぬ女子高校生である。目つきは多少鋭いが、全体的に整った美人顔であり、カケタカはつい目で彼女を追っていた。彼女とは通学路が同じであったので、ある日バスで座っている彼女の太腿を眺めていると不意に、いや本当に不意に、意図的にでなく、下心なく、スマホの画面を覗いてしまった。いや本当に下心はなかったのである。多分。
 そこには彼が頻繁にチェックする小説投稿サイトのアカウント確認画面が表示されており、加えて愛してやまぬ小説「命を大切にしないやつなんか大嫌いだ! 死ね!」の作者、「太陽」の名が出ていた。仰天した。まさかこのような身近、しかもストーキングすれすれの行為をしている相手が作者様であるとは微塵も思わなかったのである。太腿の美しい白さと同じく、信じられない事態に彼は思わずカメラを起動した。しかし、撮影する前に彼女は降りてしまった。

 ちなみに当該作品は流行りの転生モノや悪役令嬢、異世界ファンタジーではないゴリゴリの現代文芸作品だったが、表現力とものの捉え方、視点や言葉使いが秀逸すぎた。第三章二話「外道戦士」など素晴らしい以外の言葉が見つからず、コメントが躊躇われたほどだった。
 作品に魅了されていたカケタカはすぐさま各種SNSで彼女のアカウントを検索した。もしかしたら自撮り画像が見られて、永久保存できるかもしれないという気持ちが四分の一ほどあった。あるいは半分がそれであった。スマホにはデータクラウド管理アプリも入っていたから、死ぬまで眺め続けられると思っていたので、もしかすると八割が下心かもしれなかった。

 しかし、SNS上に彼女のアカウントは存在しなかったのである。何か問題が起きて削除したとしても、痕跡を探ることなどカケタカのレベルの追跡者(犯罪者予備軍)には造作もないことであったが、それでも三日かけて何も見つからなかった。
 彼女は投稿サイト以外のネット世界に存在していないのである。だからこそ謎は深まるばかりであった。あれほどの小説を書きながら、何故自己顕示欲を出さぬのかと。たとえば更新を知らせればヨイショヨイショの大騒ぎであったろうし、朗読や絵によるファンからの気持ちも届きやすかろう。何故甘露を啜らぬのか、凡夫たるカケタカには分からぬ世界であった。

 右腕のアザが広がり、やがて命を奪われる錯覚を起こしたカケタカは包帯をして高校に行くことを決めた。あまりの雑さがかえってわざとらしく、多くの女子生徒に陰口を叩かれた。
 これらを密かに「宿命」として受け入れ、暗い笑みを浮かべながら自身の席で寝たふりをして昼休みを過ごした。そこに狼が「続きを考えよ」と言うのである。これにはたまらずカケタカも声を出した。
「押し通る!」
 それから昼寝のふりを続行しようとしたカケタカであったが、はたから見れば明らかな奇行により彼はさらに学内のヒエラルキーの下部に落ち込んでいくのだった。

 そも、彼が何故小説を書いているかという点に触れねばならない。カケタカには二つ年下の幼なじみの少女がいた。隣に住む少女の名は緋色と美しく、そしてそれに伴うようにヒイロは美麗に育ち、中学二年生の夏に一気に黒ギャル化していた。
「まだあんた妄想ばっかしてんの? キッモ、引きこもって小説でも書けば?」
 よもやあの可愛らしいヒイロがサディスティックに「お兄ちゃん」と呼んでいた相手を蔑むとは誰も思わなかったし、考えたくもなかったが、これが引き金となった。以来、彼は本気で小説を書かねばならぬと思ったのだ。でもなければ本当にキモいだけで終わってしまうからだ。自覚は、彼にも多少なりあったのだ。

 帰路でカケタカはヒイロの後ろ姿を見ると、つい話しかけていた。
「ヒイちゃ──ヒイ様」
「なあ、カケタカ。外で話しかけんなっつったよなあ」
 ヒイロはツンデレからデレ部分を取り払ってあらゆる方向に尖ったナイフのような存在である。歩く凶器そのもの。しかし、彼女には認めてもらわねばならなかった。
「私は行きます。掟に従って見送りは要りません」
「マジなに言ってんのかイミフなんだけど。勝手にどこへでも行けば?」
 これを後押しとして、帰宅したカケタカはピックルを伴って再び外へと駆け出した。ピックルとは彼の愛する雄犬であり、犬種はコーギーである。要は散歩であった。しかし、それは表向きの名目であり、実際はアザがあまりにも痛かったので病院へ行くだけである。
「呪いの原因を取り除かねば」
 厳密にその言葉を実現するなら、母親の気を損ねないか家を出ればいいだけだが、そこに行きつかないほどカケタカは思考が支離滅裂になっていた。小説に脳を冒されていたのである。

 最寄りの整形外科クリニックに到着すると、彼は見覚えのある制服を着た、長い髪を後ろで束ねた美少女を見た。どうも例の小説書きと同じ女子校に通う者である。足首に包帯を巻いた彼女に対してカケタカが発した言葉は以下の通りであった。
「小説を書く少女を捜している」
「……え、私ですか?」
 少女は相当狼狽して見えた。雑に包帯を腕に巻いた厨二病患者が突然話しかけてきたのである。当然の結果であった。
「短い髪の少女だ。白い太腿を伴っている」
「……」
 美少女は俯いてスマホに110を打ち込み始めたので、今度はカケタカが狼狽した。
「人が栄えることで虐げられるものもあるのだ!」
「あの、変な人が話しかけてきて」
 通話が開始されたためにカケタカはクリニックのドアを片腕だけで強く押した。それを見て受付の女性や周囲の老人が驚いた。強く強く掌を押し当てるカケタカが開けようとしていたのは、引かないと開かないドアだったからだ。

 交番に到着したカケタカは凛とした表情を崩さぬままに話を聞いた。通報した美少女は石神という苗字をしていた。カケタカは振り仮名を見て確実に名を覚えた。当然被害届の書面上で、である。
「君ねえ、突然気持ち悪いこと言ったら危ないよ。親御さん来るまでちょっと待っててもらうから、そこから動かないで」
 狼がその様子を眺めつつ、呆れていた。
「人間は愚かだ」
「だが人にも営みがある」
 このやりとりは巡査には独り言にしか聞こえていない。
「君、ちょっと本当に大丈夫? 鞄開けてくれる? クスリやってないよね?」
 彼がピックルを迎えに行けたのは午後九時過ぎで、母親にさらに殴られてからだった。アザがさらに広がっており、カケタカは死の歩み寄るのを感じたが、それよりも気になるところがあった。件の小説書きがピックルのリードを引いて歩いているのである。

「飼い主さんだな。さあ、お前は自由だ。どこへでも行くといい」
 ピックルを解き放つと、小説書きの少女は背を向けた。カケタカはこの機を逃せば次はないとして声を張った。
「我が名はカケタカ! そなたの名前は!」
 一時間後、彼はもう一度交番にいた。アザはさらに増えた。

 小説の更新が滞るほどに絞られた後、カケタカは友人のシコ坊に連絡を取っていた。ポルノ漫画をこよなく愛する老けた未成年であり、見た目のせいで年齢確認されたことのないことを自慢にするゲスである。シコ坊はカケタカに比肩する厨二病であり、方向性は転生系であった。故に口調が老人のそれである。
『落ち着け。そして読め。そなたのオカズだ』
 送りつけられたポルノ漫画の画像を即刻保存した後、カケタカは真剣に言った。
『小説書きを捜している』
『ふむ? 詳しく話してみよ』
 ことの仔細を話すと、シコ坊は思案するような間を空けてからこう言った。
『多々良高に行けばあるいは』
 多々良高とは、件の女子生徒を擁する女子校である。もとよりそのつもりであったカケタカは、そこからは黙ってオカズを使った。狼がいても、もはや関係のないことであった。

 多々良高は名門の女子進学校である。多くの女子が有名大に輩出される学び舎であり、最新鋭の設備を備えていた。しかし、警備には穴がある。それを何故カケタカが知っているかはこの際不問にすべきである。さすがに女子校への不法侵入がバレると死の呪いを待たずして社会的に死ぬ。
「小説の続きはどうした」
 狼の言葉に耳を傾けず、カケタカは人工林の中を進んだ。そして、ついに小説書きがベンチに座って昼食をとっているのを認めた。隣には一回目の通報をした美少女がいる。カケタカは目を凝らし、耳を澄ます。

「ね、由美子もまた書こうよ。大丈夫だよ、次は名前変えてさ。足首の怪我もひどいんでしょ?」
「ダメだよ。もう何してもダメなの。SNSで話してたら馴れ合いだって言われてひどいコメントも増えたし、陸上だってしばらく戻れない。居場所なんてないんだ」
「でも、私の作品も読んでくれてるってことはやっぱり小説書きたいんでしょ。待ってる。ずっと石神由美子の、ううん、『カイタラボッチ』先生の作品待ってるから」
「書いたらぼっちになっちゃった私にはお似合いのペンネームだったよね……。鶴子みたいに、静かにやってればよかった」
「だからもうSNSはやめてさ、じっくり書き続けよ。だってあんなに小説好きだったじゃない」

 ここまで聞いて、カケタカは心臓がざわつくのを感じた。カイタラボッチといえば、無から凄まじい速さで良作傑作を生み出してはきちんと完結させていくWeb小説界の神と謳われた作者ではないか。確か、カイタラボッチはSNSで三十路すぎの男であると名乗っていたはずであったが、かようなことがあり得ようとは誰も思わなかったであろう。
「いや、いい加減書けよ」
 狼の言葉など耳に入らぬ。それよりも彼にはやるべきことがあった。それはスマホでWebサイト上でカイタラボッチに関する情報を収集することである。探せばすぐに炎上した発言の流れがWeb魚拓で見つかった。簡単に目を通すだけでわかる。相当な誹謗中傷の嵐であった。
 ことの発端はカイタラボッチの何気ない発言である。
『最近PV伸びないなあ』
 それだけであった。これに対して、有象無象の作者たちが噛み付いた。しかも直接でなく、匿名掲示板や別名義のアカウントを用いてである。カケタカが目を覆いたくなるほどの流れであった。あまりにも悲惨な状況に、当時文芸界隈の情報に明るくなかったことを幸運に思ったほどだ。

「私、好きだな。由美子の小説……。あったかくて、優しくて、すっごく面白くって」
「……鶴子、私そんな大した人間じゃないよ。人を傷つけたんだもん」
「あれは由美子が悪いんじゃないよ! 周りが勝手に持ち上げて、その後勝手に落としただけじゃない!」
「でも──」

 不意に言葉が途切れた。カケタカがそちらを向くと、小説書きの少女二人が濃厚なキスをしているのである。衝撃とともに、カケタカはシコ坊が百合好きであったことを思い出してしまい、えも言われぬ背徳感と不快さを抱いた。

「ごめん、嘘ついた。由美子の小説じゃなくて由美子が好き。速く走れなくても、ものを書けなくてもいい。笑ってくれてればそれでいい」
「……うん」

 カケタカはそこで諸事情から前のめりの姿勢をとり、何かに目覚めそうになりながらも落涙していた。美しかった。ただひたすらに美しかった。そして、彼は全てを勝手に脳内補完して大団円を迎え、多々良高を後にしようとした。警備員がカケタカを捕まえたのはその二分後であった。

 パトカーで連行される間、彼の頭の中に謎のBGMが流れる。男性のソプラノも乗り出した。歌詞は以下のようであった。

  張り詰めた由美子 震える鶴子
  百合の光にざわめく 俺らの心
  突きつけられた締め切り忙しい
  そのギリギリでよく見た
  そなたの太腿

 なんだかんだで少年鑑別所に送られたカケタカは壁に向かって瞑想していた。あるいは迷走である。これから自分は物書きとしていかに生きるべきか。いかにして物語を創出していくか。百合モノは忌避してきたが、もしかしたらそれも良いものかも知れぬ。あれほど美しいものを目の当たりにしたのだ。今なら書けるかも知れぬ。今まで以上に良いものを。

 そして、決意を固めた表情のカケタカに、狼は静かに言った。

「いや、早く書けよ」

 ちなみにカケタカが連載していた小説はエタった。


  ものかけ姫 了
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