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絶対に笑ってはいけない遭難者
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ある三人の若者が、山登りをしていて、道に迷った。
地図を取り出して、ああでもない こうでもない と三人、自分たちがいま来た道を議論し始めた。
「お前の話は当てにならない。お前の話には根拠がない」
「根拠だって? へえ、その根拠ってやつにしたがって、俺たちは今どうなっている?」
「まあまあ ケンカはよそう。とにかくピンクテープのあった所まで戻ろう」
ぶつくさと文句を言いながら、三人はこのあと三時間も山を歩き続けた。
立ち込めた霧が晴れて、若者たちの眼前に、広大な山々が広がった。
「まだ歩くか?」
「いや、もうわかった。俺たちはまぎれもなく遭難者だ」
「夜を歩くのは危険だ。どこか雨風が防げる場所を見つけて ビバークの準備をしよう」
若者たちは、深い森の中を、枝を分けて進んだ。ブナの密林のすき間から、小さな明かりがチラッと見えた。
「おい、あれを見ろ! 明かりだ。こんな山奥に明かりが見える」
「幻覚だろ」
「いやいや、間違いない。あっちの方角だ。行ってみよう」
そこで三人は ひっそりと山の奥にたたずむ 一軒の山小屋を発見した。
曲がった丸太を組み合わせた、こじんまりした山小屋で、窓から明かりが漏れていた。
ゴンゴンと、頑丈そうなドアをノックする若者。
「夜分遅くにすいません、誰かいますか?」
すぐに髭面の男が顔を出した。
「どうした。何事だ」
若者らが一斉に顔を上げる。
「あの、僕ら、道に迷ってしまって」
髭面の男は、順を追って三人の若者を見てから、
「ほう、それは、それは。さもお困りの事だろう。さあ、中へ入りなさい」
三人は、お互いの顔を見て、安堵の表情を浮かべた。
山小屋の中には、囲炉裏があって、赤々と火が燃えていた。
「そうかね、君たちは東京の学生かね。それは、それは、とんだ登山の旅になったな」
その火の上には、黒い鉄の鍋が吊るしてあって、その中からぐつぐつと鍋の煮えたぎるいい音がしていた。
「さあ、食べなさい、いのしし鍋だ」
汁をすくって、湯気の立った椀を若者へ手渡す、髭面の男。
「おじさんは、この山で、何をして暮しているのですか?」
仲間に椀を渡して、一人の若者が火に顔を照らしながら。
「わしか? わしは猟師だ。ハンターだ」と銃を撃つ格好を見せて、
「あそこの毛皮を見なさい。あそこにあるのはみんなわしのコレクション。ハンティングした獲物たちだ」
壁を見ると、きつねやタヌキ、いのししなどの、フサフサとした毛皮が幾重にも吊るしてあった。中でも目を引いたのは、壁一面に両手を広げた、巨大なツキノワグマの毛皮だった。
「そうでしたか。それでこんな山奥に、お一人で暮らしているのですか」
「ああ、そう、だな」と髭面の男は、急に言葉をにごしたかと思うと、
「実はな、うん、実はわしのほかに、娘もいる。わしらはここで二人きりで生活している」
三人の若者は、部屋のあちこちを見回して、
「娘さん? はて、そんな人はどこにもいないですが。見た所、おじさん一人しか見えないですが」
髭面の男は、ぐいとお酒をあおって、
「出て来なさい。そんなに怖がらなくてもいい」
壁に掛かったたくさんの毛皮、その裏からひょいと顔を出したのが、この男の娘らしかった。
「!」
「娘だ」
飾り気のない服を来た娘は、その場にちょこんと正座して、頭を下げた。
「生まれつき、言葉がうまくしゃべれなくて、ふもとの町では、可哀そうな思いばかりをさせて来た。だから、こうして、わしと二人でのんびり山の暮らしをしている」
囲炉裏の火に照らされた、その娘の顔は、アイドル顔負けの美しい顔立ちをしていた。三人の若者は、箸を止めて、その娘に見惚れた。
「うちの娘と、君たちは、似たような年ではないかな」
その夜、三人の若者らは、囲炉裏の周りに布団を敷いて、そこで寝た。
朝になると、めずらしい野鳥の声がして、目を覚ました。囲炉裏の火は、夜中の内に消えたようだった。
「だいぶ冷えたな。夜中に一回、寒くて起きた」
「あのまま野宿をしていたら、俺たちは凍死をしていたかも知れないな。まさに一宿一飯の恩というやつだ」
「恩か。そうだな、どうだろうみんな、このまま下山するというのも、忍びないじゃないか。少しはこの山小屋の助けにならないか?」
髭面の男が、平かごに やさいを乗せて、朝仕事から帰って来た。
「なに、わしらの力になりたいと?」
「はい。昨晩は、(僕らが)遭難した所を救って頂き、ありがとうございました。その恩返しといっては何ですが、何か一つでもここのお手伝いができればと思いまして」
髭面の男は、流し台にやさいを置いて、麻のエプロンを脱ぎ捨てながら、
「そうか、そうか、見上げた心がけだな。ならば、一つ君らに頼みたい事がある」
「なんでしょう」
髭面の男が斧を指差して、
「薪割りだ。うらの薪を割ってほしい。
わしはなるべく猟がしたい。一日中鉄砲をもって、山の中にいたい。だから、あまり薪を割る時間がなくてな。うらにある原木を薪にしてくれれば、こちらもたいへん助かる」
三人の若者は笑顔になった。
「それならやります。僕ら薪を割ります。一年分の薪を割って見せます」
髭面の男は、猟銃を手に、狩猟の準備に入った。
「そうか。それじゃ、薪割りを頼んだぞ。わしはこれから山に入って、宿敵のイノシシを仕留めなければならない。やつは頭がいいから、一日中林に身を潜めていなければならない。したがってわしは夜まで戻らないだろう」
「わかりました。今日一日、僕らずっと薪を割っています」
若者たちは、山小屋から出て来て、猟師の背中を見送った。と、そのとき髭面の男は、ゆっくりと横顔を見せて、
「ああ そうだ。君たちに一つ、忠告をしておこう」
近くの杉の木からカラスの鳴き声が聞こえた。
「君たちは、見たところ好青年だし、教養もありそうだから、心配はいらないと思うが、一応 忠告はしておく」
三人の若者は、不思議そうな顔をした。
髭面の男は猟銃に手をやって、
「うちの娘に 手を出すな。忠告とは、それだけだ」
四人の間に妙な空気が流れた。
「いいな? 絶対にうちの娘に手を出してはならん。もしも君らが わしの娘に手を出すような事があれば」と、そこで髭面の男は眼光を鋭くし、
「ただでは済まない」
三人の若者は、背筋に冷たいものを感じた。
「忠告はしたからな」といって髭面の男は、さっさと山の中へと入って行った。
三人の若者は、その茂みを分ける音が消えるまで、その場に立っていた。
「さあみんな、薪割りだ」
建物のうらへ回って、さっそく三人は薪割りを始めた。
「おい、さっきの主人の忠告、お前らどう思った?」
若者の一人が、薪を切株に立てる。
「どうもこうも、あれは愛娘に対する強い束縛だろう」
若者の一人が斧を振り下ろす。
「それにしてもあの目は怖かった。脅しではなく、本物の殺意というものを感じた」
山と積まれた玉切りの原木は、若者たちの手によって、すべて薪へと姿を変えた。一年分、こう冗談を言ったつもりだったが、彼らの黙々と作業を続けるその甲斐あって、一年分はあろうかというくらいの薪は出来上がった。
若者たちは、アルプスの空気を吸いながら、怪獣の足跡くらいある切り株の上でいっぷくを始めた。
「なんだか、煙いな」
若者の一人が、くんくんとにおいを嗅いで、屋根の上に立ち昇る黒い煙を見つけた。
「山小屋の煙突から出ていない」
三人の若者は、煙の出どころを見つけるべく、建物と杉の密林の間を通って、柔らかい落ち葉の上を歩いて行った。
その先には、小さな屋根があって、その屋根の下には、五右衛門風呂が据えてあった。パチパチと音を立てる薪炊きの火が、釜の水を温めながら、黒煙を立ち昇らせているのだった。
「おい、あの娘だ」
誰かの小声が聞こえた。
湯の中に、ヒガンバナの花の形に髪を広げ、真っ白な背中をこちらへ向けながら、娘は入浴を楽しんでいた。
「こんな昼日中に、風呂に入るのか?」
「いや、山の暮らしだと、昼間の方が安全なのかもしれない」
若者の一人が、パキッといって枝を踏んだ。
ざばっと湯の音を立てて、娘は振り返る。
その美しい上半身を見て、初めて若者たちは、いま自分たちは女湯をのぞき見しているという事に気が付いた。気まずい空気が漂った。次には悲鳴を発せられると若者たちは覚悟した。
しかし驚いた事に、娘はホッとした表情を見せて、それから何事もなかったかのように、また入浴を楽しみ始めたのだ。
どうやら娘は、近くで枝を踏んだのが、クマか何かの猛獣かと思ったらしかった。
同じ空間に、若い男と、生まれたままの姿の娘があった。誰かの唾を飲む音が聞こえた。自分たちは、この娘から許しを得られた、このような屈折した考えが、三人の間に広がっていった。
鼻歌を歌いながらふり返る娘の顔が、だんだん影になって行く。
髭面の男は、ドアを蹴飛ばして、山小屋の中へ入って来た。そして、猟銃を構えた。
「忠告をしたはずだ。娘に手を出すなと」
囲炉裏の周囲に、布団が散乱していた。そしてその上に、恍惚な表情を浮かべた若者たちが寝そべっていた。あわてた娘がシーツにくるまる。
「なぜだ。なぜ忠告を破った」
若者の一人がおびえながら、
「聞いて下さい。僕らは、誘われたのです。本当です。僕らはあなたの娘さんから」
その若者に銃口が向けられた。
「そんなはずはない」
「でも、本当に、あなたの娘さんは」
猟銃が火を吹いた。と同時に、囲炉裏の灰が爆ぜて、舞い上がり、室内が白く煙った。
「ひっ」
若者の一人が、腰を抜かして頭を抱える。
「イノシシのやつ、今日はどうした事か、平気な顔をしてわしの目の前に現れた。勝負は一瞬だった。わしは一日中林に隠れる必要がなくなった。そうして昼過ぎに家に戻ってみれば、このざまだ」
三人の若者は、いっせいに土下座を見せた。
「すいません、この通りです。命だけは助けて下さい」
部屋のすみで縮こまった娘が、かすかに首を横に振る。
「忠告を破ったのは、貴様らだ」
「薪割りは終わっています。全部です。あるだけ割りました」
若者の一人が、建物のうら手を指差す。
髭面の男は、大きく深呼吸をして、時とともに冷静さを取り戻しながら、
「ゲームを、しようか」
若者たちは、素っ頓狂な声で、
「ゲーム?」
「そうだ。それも命がけのゲームだ。
お前たちが、もしもこのゲームに勝てたら、命だけは助けてやろう。すぐにここから立ち去るがいい。だが、お前たちがこのゲームに敗れたら」と髭面は猟銃を構えて、
「この場で撃ち殺す」
誰も、何も、言葉が出ない。
「どうした? やるか、やらないか。やらなければ、この場で全員撃ち殺す」
「や、やります、やりますとも」と一人の若者が、崖っぷちに立たされたような声で。
「では、始めよう。
まずはくだものを採って来い。わしの敷地から、どれか一つを採って来るのだ。なんでもいい、好きな物を採って来い」
三人の若者は、そっとお互いの顔を見合った。
「わしは高い所に立って、ずっと銃を構えている。逃げだそうとする者は、見つけ次第その場で射殺する。銃口はいつでもお前たちの心臓を狙っている。
さあ、好きなくだものを採って来るのだ。制限時間は三十分。よーく考えて、選ぶ事だな。なるべく大きい方が、いいかも知れないな」
髭面の男は、怒りのこもった低い声を使いながら、このとき妙に薄気味悪い笑みを浮かべていた。
「さあ、制限時間三十分! 自分の好きなくだものを採って来い!」
若者たちは、鷹狩りで放たれた兎のように、三方向に分かれて走り出した。
杉の密林であったり、黒い土の畑であったり、小さな滝の水しぶきであったり、若者たちは、自然あふれる山の中を必死に走り回った。
「何か見つけたか?」
若者は走りながら一緒になった。
「良さそうなくだものは一つもない。あったとしても、どれもこれも形が小さい」
そう言って、手にした赤い実を遠くへ投げる。
「まさか、一番小さいやつをもって来たやつを最初に撃ち殺す気だろうか」
丘からこちらを狙う銃口を見上げて、
「それは一大事だ。もっと大きなものを探さなければ」
若者たちは、目いっぱい時間を使って、山のくだものを探した。
初めの一人が山小屋へ戻って来た。
「どれ、見せてみろ」
髭面の男は、若者の腕をつかみ上げた。
「ほう、大きなビワだな。それも五つか。一つでいいと言ったはずだが、まあ、いい」
髭面の男は、にたりと笑って、そのまま若者を山小屋の中へ入れた。そして銃口を突き付けて、
「さあ、ゲームの始まりだ。わしが勝つか、貴様が勝つか、見ものだな」
二人目の若者が、山小屋へ戻って来た。
「どれ、見せてみろ」
髭面の男は、若者の腕をつかみ上げた。
「ほう、りんごか。よくこんなものを見つけて来たな」
若者は、山小屋の中へ入れられて、そこに漂う異様な空気を察した。先に来た仲間が、涙の表情を浮かべて、部屋のすみに動けなくなっている。
「こいつは、ゲームに勝った。すぐに開放してやる。ま、歩く事が出来ればの話だがな。
さて、貴様はどうかな?」
あいつは、何をされた? ここでは一体、どんなゲームが行われたのだ?
髭面の男は、ゆっくりと猟銃を構えて、
「さあゲームの始まりだ。わしが勝つか、貴様が勝つか、見ものだな」
ビワの若者が、声にならない声をずっと発している。
「おい貴様、そいつを、尻の穴の中へ入れろ」
若者は耳を疑った。
「は?」
「そいつを貴様の尻の穴の中に入れろと言っているのだ。そして、絶対に笑ってはならない。一言でも笑ってみろ、その時は一瞬でお前はあの世行きだ」
若者は、まじまじとりんごを見つめて、信じられない目をしていた。
若者の悲鳴が始まった。死ぬ思いとは、正にこの事を言うのだった。山小屋の中に、耳をふさぎたくなるような男の悶絶が続く。
「ほう、あと、もう少しの所ではないか」
若者は、囲炉裏の周りをのたうち回って、助けを求めるような格好で、窓にへばりついた。涙と鼻水とよだれを垂らして、無様な姿をさらしながらも、彼は命がけのゲームに打ち勝った。
「大したものだ。貴様のようなやつは今まで見た事がない」
これでなんとか、命だけは助かったと、そう彼が安心した次の瞬間、なんと彼は大声を出して笑ってしまった。
「絶対に笑ってはいけないのに」
ビワの若者が、くやしそうに頭を抱えた。
山小屋に、一発の銃声が響いた。
「残念」
はてさて、二人目の若者は、なぜ自分の尻にりんごを入れて笑ってしまったのか。その原因は、窓の外にあった。
髭面の男が、銃を構えて、窓辺に立つ。するとそこから、三人目の若者が、嬉しそうに両手を振って、特大のスイカを転がして来る姿が見えていた。
地図を取り出して、ああでもない こうでもない と三人、自分たちがいま来た道を議論し始めた。
「お前の話は当てにならない。お前の話には根拠がない」
「根拠だって? へえ、その根拠ってやつにしたがって、俺たちは今どうなっている?」
「まあまあ ケンカはよそう。とにかくピンクテープのあった所まで戻ろう」
ぶつくさと文句を言いながら、三人はこのあと三時間も山を歩き続けた。
立ち込めた霧が晴れて、若者たちの眼前に、広大な山々が広がった。
「まだ歩くか?」
「いや、もうわかった。俺たちはまぎれもなく遭難者だ」
「夜を歩くのは危険だ。どこか雨風が防げる場所を見つけて ビバークの準備をしよう」
若者たちは、深い森の中を、枝を分けて進んだ。ブナの密林のすき間から、小さな明かりがチラッと見えた。
「おい、あれを見ろ! 明かりだ。こんな山奥に明かりが見える」
「幻覚だろ」
「いやいや、間違いない。あっちの方角だ。行ってみよう」
そこで三人は ひっそりと山の奥にたたずむ 一軒の山小屋を発見した。
曲がった丸太を組み合わせた、こじんまりした山小屋で、窓から明かりが漏れていた。
ゴンゴンと、頑丈そうなドアをノックする若者。
「夜分遅くにすいません、誰かいますか?」
すぐに髭面の男が顔を出した。
「どうした。何事だ」
若者らが一斉に顔を上げる。
「あの、僕ら、道に迷ってしまって」
髭面の男は、順を追って三人の若者を見てから、
「ほう、それは、それは。さもお困りの事だろう。さあ、中へ入りなさい」
三人は、お互いの顔を見て、安堵の表情を浮かべた。
山小屋の中には、囲炉裏があって、赤々と火が燃えていた。
「そうかね、君たちは東京の学生かね。それは、それは、とんだ登山の旅になったな」
その火の上には、黒い鉄の鍋が吊るしてあって、その中からぐつぐつと鍋の煮えたぎるいい音がしていた。
「さあ、食べなさい、いのしし鍋だ」
汁をすくって、湯気の立った椀を若者へ手渡す、髭面の男。
「おじさんは、この山で、何をして暮しているのですか?」
仲間に椀を渡して、一人の若者が火に顔を照らしながら。
「わしか? わしは猟師だ。ハンターだ」と銃を撃つ格好を見せて、
「あそこの毛皮を見なさい。あそこにあるのはみんなわしのコレクション。ハンティングした獲物たちだ」
壁を見ると、きつねやタヌキ、いのししなどの、フサフサとした毛皮が幾重にも吊るしてあった。中でも目を引いたのは、壁一面に両手を広げた、巨大なツキノワグマの毛皮だった。
「そうでしたか。それでこんな山奥に、お一人で暮らしているのですか」
「ああ、そう、だな」と髭面の男は、急に言葉をにごしたかと思うと、
「実はな、うん、実はわしのほかに、娘もいる。わしらはここで二人きりで生活している」
三人の若者は、部屋のあちこちを見回して、
「娘さん? はて、そんな人はどこにもいないですが。見た所、おじさん一人しか見えないですが」
髭面の男は、ぐいとお酒をあおって、
「出て来なさい。そんなに怖がらなくてもいい」
壁に掛かったたくさんの毛皮、その裏からひょいと顔を出したのが、この男の娘らしかった。
「!」
「娘だ」
飾り気のない服を来た娘は、その場にちょこんと正座して、頭を下げた。
「生まれつき、言葉がうまくしゃべれなくて、ふもとの町では、可哀そうな思いばかりをさせて来た。だから、こうして、わしと二人でのんびり山の暮らしをしている」
囲炉裏の火に照らされた、その娘の顔は、アイドル顔負けの美しい顔立ちをしていた。三人の若者は、箸を止めて、その娘に見惚れた。
「うちの娘と、君たちは、似たような年ではないかな」
その夜、三人の若者らは、囲炉裏の周りに布団を敷いて、そこで寝た。
朝になると、めずらしい野鳥の声がして、目を覚ました。囲炉裏の火は、夜中の内に消えたようだった。
「だいぶ冷えたな。夜中に一回、寒くて起きた」
「あのまま野宿をしていたら、俺たちは凍死をしていたかも知れないな。まさに一宿一飯の恩というやつだ」
「恩か。そうだな、どうだろうみんな、このまま下山するというのも、忍びないじゃないか。少しはこの山小屋の助けにならないか?」
髭面の男が、平かごに やさいを乗せて、朝仕事から帰って来た。
「なに、わしらの力になりたいと?」
「はい。昨晩は、(僕らが)遭難した所を救って頂き、ありがとうございました。その恩返しといっては何ですが、何か一つでもここのお手伝いができればと思いまして」
髭面の男は、流し台にやさいを置いて、麻のエプロンを脱ぎ捨てながら、
「そうか、そうか、見上げた心がけだな。ならば、一つ君らに頼みたい事がある」
「なんでしょう」
髭面の男が斧を指差して、
「薪割りだ。うらの薪を割ってほしい。
わしはなるべく猟がしたい。一日中鉄砲をもって、山の中にいたい。だから、あまり薪を割る時間がなくてな。うらにある原木を薪にしてくれれば、こちらもたいへん助かる」
三人の若者は笑顔になった。
「それならやります。僕ら薪を割ります。一年分の薪を割って見せます」
髭面の男は、猟銃を手に、狩猟の準備に入った。
「そうか。それじゃ、薪割りを頼んだぞ。わしはこれから山に入って、宿敵のイノシシを仕留めなければならない。やつは頭がいいから、一日中林に身を潜めていなければならない。したがってわしは夜まで戻らないだろう」
「わかりました。今日一日、僕らずっと薪を割っています」
若者たちは、山小屋から出て来て、猟師の背中を見送った。と、そのとき髭面の男は、ゆっくりと横顔を見せて、
「ああ そうだ。君たちに一つ、忠告をしておこう」
近くの杉の木からカラスの鳴き声が聞こえた。
「君たちは、見たところ好青年だし、教養もありそうだから、心配はいらないと思うが、一応 忠告はしておく」
三人の若者は、不思議そうな顔をした。
髭面の男は猟銃に手をやって、
「うちの娘に 手を出すな。忠告とは、それだけだ」
四人の間に妙な空気が流れた。
「いいな? 絶対にうちの娘に手を出してはならん。もしも君らが わしの娘に手を出すような事があれば」と、そこで髭面の男は眼光を鋭くし、
「ただでは済まない」
三人の若者は、背筋に冷たいものを感じた。
「忠告はしたからな」といって髭面の男は、さっさと山の中へと入って行った。
三人の若者は、その茂みを分ける音が消えるまで、その場に立っていた。
「さあみんな、薪割りだ」
建物のうらへ回って、さっそく三人は薪割りを始めた。
「おい、さっきの主人の忠告、お前らどう思った?」
若者の一人が、薪を切株に立てる。
「どうもこうも、あれは愛娘に対する強い束縛だろう」
若者の一人が斧を振り下ろす。
「それにしてもあの目は怖かった。脅しではなく、本物の殺意というものを感じた」
山と積まれた玉切りの原木は、若者たちの手によって、すべて薪へと姿を変えた。一年分、こう冗談を言ったつもりだったが、彼らの黙々と作業を続けるその甲斐あって、一年分はあろうかというくらいの薪は出来上がった。
若者たちは、アルプスの空気を吸いながら、怪獣の足跡くらいある切り株の上でいっぷくを始めた。
「なんだか、煙いな」
若者の一人が、くんくんとにおいを嗅いで、屋根の上に立ち昇る黒い煙を見つけた。
「山小屋の煙突から出ていない」
三人の若者は、煙の出どころを見つけるべく、建物と杉の密林の間を通って、柔らかい落ち葉の上を歩いて行った。
その先には、小さな屋根があって、その屋根の下には、五右衛門風呂が据えてあった。パチパチと音を立てる薪炊きの火が、釜の水を温めながら、黒煙を立ち昇らせているのだった。
「おい、あの娘だ」
誰かの小声が聞こえた。
湯の中に、ヒガンバナの花の形に髪を広げ、真っ白な背中をこちらへ向けながら、娘は入浴を楽しんでいた。
「こんな昼日中に、風呂に入るのか?」
「いや、山の暮らしだと、昼間の方が安全なのかもしれない」
若者の一人が、パキッといって枝を踏んだ。
ざばっと湯の音を立てて、娘は振り返る。
その美しい上半身を見て、初めて若者たちは、いま自分たちは女湯をのぞき見しているという事に気が付いた。気まずい空気が漂った。次には悲鳴を発せられると若者たちは覚悟した。
しかし驚いた事に、娘はホッとした表情を見せて、それから何事もなかったかのように、また入浴を楽しみ始めたのだ。
どうやら娘は、近くで枝を踏んだのが、クマか何かの猛獣かと思ったらしかった。
同じ空間に、若い男と、生まれたままの姿の娘があった。誰かの唾を飲む音が聞こえた。自分たちは、この娘から許しを得られた、このような屈折した考えが、三人の間に広がっていった。
鼻歌を歌いながらふり返る娘の顔が、だんだん影になって行く。
髭面の男は、ドアを蹴飛ばして、山小屋の中へ入って来た。そして、猟銃を構えた。
「忠告をしたはずだ。娘に手を出すなと」
囲炉裏の周囲に、布団が散乱していた。そしてその上に、恍惚な表情を浮かべた若者たちが寝そべっていた。あわてた娘がシーツにくるまる。
「なぜだ。なぜ忠告を破った」
若者の一人がおびえながら、
「聞いて下さい。僕らは、誘われたのです。本当です。僕らはあなたの娘さんから」
その若者に銃口が向けられた。
「そんなはずはない」
「でも、本当に、あなたの娘さんは」
猟銃が火を吹いた。と同時に、囲炉裏の灰が爆ぜて、舞い上がり、室内が白く煙った。
「ひっ」
若者の一人が、腰を抜かして頭を抱える。
「イノシシのやつ、今日はどうした事か、平気な顔をしてわしの目の前に現れた。勝負は一瞬だった。わしは一日中林に隠れる必要がなくなった。そうして昼過ぎに家に戻ってみれば、このざまだ」
三人の若者は、いっせいに土下座を見せた。
「すいません、この通りです。命だけは助けて下さい」
部屋のすみで縮こまった娘が、かすかに首を横に振る。
「忠告を破ったのは、貴様らだ」
「薪割りは終わっています。全部です。あるだけ割りました」
若者の一人が、建物のうら手を指差す。
髭面の男は、大きく深呼吸をして、時とともに冷静さを取り戻しながら、
「ゲームを、しようか」
若者たちは、素っ頓狂な声で、
「ゲーム?」
「そうだ。それも命がけのゲームだ。
お前たちが、もしもこのゲームに勝てたら、命だけは助けてやろう。すぐにここから立ち去るがいい。だが、お前たちがこのゲームに敗れたら」と髭面は猟銃を構えて、
「この場で撃ち殺す」
誰も、何も、言葉が出ない。
「どうした? やるか、やらないか。やらなければ、この場で全員撃ち殺す」
「や、やります、やりますとも」と一人の若者が、崖っぷちに立たされたような声で。
「では、始めよう。
まずはくだものを採って来い。わしの敷地から、どれか一つを採って来るのだ。なんでもいい、好きな物を採って来い」
三人の若者は、そっとお互いの顔を見合った。
「わしは高い所に立って、ずっと銃を構えている。逃げだそうとする者は、見つけ次第その場で射殺する。銃口はいつでもお前たちの心臓を狙っている。
さあ、好きなくだものを採って来るのだ。制限時間は三十分。よーく考えて、選ぶ事だな。なるべく大きい方が、いいかも知れないな」
髭面の男は、怒りのこもった低い声を使いながら、このとき妙に薄気味悪い笑みを浮かべていた。
「さあ、制限時間三十分! 自分の好きなくだものを採って来い!」
若者たちは、鷹狩りで放たれた兎のように、三方向に分かれて走り出した。
杉の密林であったり、黒い土の畑であったり、小さな滝の水しぶきであったり、若者たちは、自然あふれる山の中を必死に走り回った。
「何か見つけたか?」
若者は走りながら一緒になった。
「良さそうなくだものは一つもない。あったとしても、どれもこれも形が小さい」
そう言って、手にした赤い実を遠くへ投げる。
「まさか、一番小さいやつをもって来たやつを最初に撃ち殺す気だろうか」
丘からこちらを狙う銃口を見上げて、
「それは一大事だ。もっと大きなものを探さなければ」
若者たちは、目いっぱい時間を使って、山のくだものを探した。
初めの一人が山小屋へ戻って来た。
「どれ、見せてみろ」
髭面の男は、若者の腕をつかみ上げた。
「ほう、大きなビワだな。それも五つか。一つでいいと言ったはずだが、まあ、いい」
髭面の男は、にたりと笑って、そのまま若者を山小屋の中へ入れた。そして銃口を突き付けて、
「さあ、ゲームの始まりだ。わしが勝つか、貴様が勝つか、見ものだな」
二人目の若者が、山小屋へ戻って来た。
「どれ、見せてみろ」
髭面の男は、若者の腕をつかみ上げた。
「ほう、りんごか。よくこんなものを見つけて来たな」
若者は、山小屋の中へ入れられて、そこに漂う異様な空気を察した。先に来た仲間が、涙の表情を浮かべて、部屋のすみに動けなくなっている。
「こいつは、ゲームに勝った。すぐに開放してやる。ま、歩く事が出来ればの話だがな。
さて、貴様はどうかな?」
あいつは、何をされた? ここでは一体、どんなゲームが行われたのだ?
髭面の男は、ゆっくりと猟銃を構えて、
「さあゲームの始まりだ。わしが勝つか、貴様が勝つか、見ものだな」
ビワの若者が、声にならない声をずっと発している。
「おい貴様、そいつを、尻の穴の中へ入れろ」
若者は耳を疑った。
「は?」
「そいつを貴様の尻の穴の中に入れろと言っているのだ。そして、絶対に笑ってはならない。一言でも笑ってみろ、その時は一瞬でお前はあの世行きだ」
若者は、まじまじとりんごを見つめて、信じられない目をしていた。
若者の悲鳴が始まった。死ぬ思いとは、正にこの事を言うのだった。山小屋の中に、耳をふさぎたくなるような男の悶絶が続く。
「ほう、あと、もう少しの所ではないか」
若者は、囲炉裏の周りをのたうち回って、助けを求めるような格好で、窓にへばりついた。涙と鼻水とよだれを垂らして、無様な姿をさらしながらも、彼は命がけのゲームに打ち勝った。
「大したものだ。貴様のようなやつは今まで見た事がない」
これでなんとか、命だけは助かったと、そう彼が安心した次の瞬間、なんと彼は大声を出して笑ってしまった。
「絶対に笑ってはいけないのに」
ビワの若者が、くやしそうに頭を抱えた。
山小屋に、一発の銃声が響いた。
「残念」
はてさて、二人目の若者は、なぜ自分の尻にりんごを入れて笑ってしまったのか。その原因は、窓の外にあった。
髭面の男が、銃を構えて、窓辺に立つ。するとそこから、三人目の若者が、嬉しそうに両手を振って、特大のスイカを転がして来る姿が見えていた。
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今や世界で展開されているアクション番組だ。
そのSASUKEに出場するため、ぼくはオーディションに参加した。
オーディション会場に現れたのは、屈強なライバルたちと、完全制覇者の…
【ショートショート】雨のおはなし
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青春
◆こちらは声劇、朗読用台本になりますが普通に読んで頂ける作品になっています。
声劇用だと1分半ほど、黙読だと1分ほどで読みきれる作品です。
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