アイドルと七人の子羊たち

くぼう無学

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孤独のアメリア③

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『辞める? うちのチームを辞めるって事か?』
 驚いたクリスが飲みかけのコーヒーをこぼしそうになる。
『ああ、辞める、辞めてやる。あんなやつら、信用できない』
 仏頂面でパンケーキを頬張るアメリア、目深にかぶったキャップで目の辺りを隠す。
『おいおい、あのチームはお前が作ったようなものだろう。お前の事を慕って、各国からみんなが集まって来て、一つのチームになった。それをお前が辞めてどうする』
 でん、とこぶしでテーブルを叩くクリス、その様子を見た店員が目を大きくする。
『嫌になったんだ。あんなアクシデントはもう懲り懲り』
 そう言ってアメリアは窓に立て掛けた松葉杖を足で蹴る。その窓の向こうでは朝から雨が降り続いていた。
『あれはアンラッキーな出来事だった。競技上あってはならない出来事だ。いま、主催者側に抗議をしている』
『違う、あれは内部からの工作だ。敵チームから金をもらっている奴がいる』
 コーヒーカップを上げたままクリスの動きが止まる。
『なんの話だ』
『イライジャだ。あいつは敵から金をつかまされ、隙を見て手すりのボルトを緩めた』
 筋肉のついた腕を組み、うーんとクリスが唸る。
『アメリア、それは、正確な情報なのか? カメラの映像とか、証拠はあるのか?』
『証拠なんていらない。あいつの反応を見れば分かる。問い詰めたら、あいつはドギマギして悪事を見抜かれたって顔をしていた』
 ヤギが草を食べるみたいにカリカリベーコンを口の中へ入れるアメリア、その様子をながめながらクリスが大人の表情を見せる。
『もしも、もしもそれが本当だとしたら、その話が仮に真実だとしたら、イライジャは刑務所行きだ。多額の賠償金も発生する。だが、万が一そうじゃなかったとしたら』
『そうに決まっている!』とアメリアはテーブルを叩いて『痛っ』と湿布を巻いた指を見る。
『でなかったら、あいつにあんな大金が渡るはずがない。あれは悪事の対価だ。私をこんなにした報酬だ』
 クリスは店員を呼んで、ひと言ふた言なにかを伝える。
『それでお前は仲間に裏切られたと思っているのか』
『そうだ! もうあんな奴、顔も見たくない』
 クリスは上着を肩にかけ、手を伸ばしてアメリアの頭をポンポンする。
『アメリア、お前は一度日本に戻れ。いいな。どうせパルクール以外にやる事なんてないんだ、日本の温泉にでもつかってその怪我を治して来い』
『なんだと? どうして私が日本に帰らなければならない。これから私は休みをとってロスへ行くのだ』
『いいから』とハットをかぶったクリスがアメリアの顔を指差して、
『これは監督からの命令だ。お前は日本へ帰れ。そして久しぶりに学校に行って美人な校長によろしく伝えてくれ』
『私に命令をするな!』
 クリスはもう背中を見せて、騒がしい店の中を歩きながら、
『アメリア、お前は仲間に裏切られたのではない。お前が仲間を裏切ったんだ』
「おい!」
 ハッとして急いで立ち上がるアメリア、貯水タンクの上に誰の姿もない。
「誰ダ」
「誰だじゃない。何度も呼んでいるのに返事くらいしろ」
 顔を下に向け、ゆっくりとアメリアがタンクの下の方を覗くと、
「九条」
 人目に付かない日陰を選び、九条が赤錆びの浮いたタンクに寄り掛かっていた。
「スマン、考エ事ヲシテイタ」
「フン、まあいい。それより、まさかお前が日本に帰って来るとはな、正直驚いた」
 アメリアはまたあぐらをかいて、頬杖をついて顔を反らせる。
「帰リタクテ、帰ッテ来タワケデハナイ」
 暗がりから明るい日射しに顔を出し、口の端を笑わせる九条、
「帰国早々から、クラスの連中と仲良くやっているじゃないか」
 向かいの屋上から金田たちの楽しそうな声が聞こえて来る。
「アキラメノ悪イ奴ガイテ、少シ困ッテイル」
 九条はコンコンとタンクをこぶしで打ち鳴らして、
「俺との約束、忘れたわけではないだろうな」
 もう一度アメリアは九条の頭を見る。
「忘レテハイナイ。忘レテハイナイガ、オ前ト同ジヨウニ金田ガ私ノ事ヲ捕マエタラ、私ハ金田トノ約束ヲ守ル。コレハ フェアーナ話ダ」
 木枯らしが吹きつけて、九条の顔の前を枯葉が舞う。
「喰えない奴だ。お前も俺と同じ一匹オオカミだな。まあとにかく、パルクールの世界女王ともあろう者が、あんな素人に捕まるんじゃないぞ、いいな」
「誰ニ向カッテ言ッテイル、私ハ世界最速ダ。アンナインチキ野郎ニ捕マッテタマルカ」
 クックックと九条は苦笑いを見せて、
「それを聞いて安心した。俺たちC組は、少なくとも俺とお前はこの学校を卒業する必要がない。あんなクソイベント、俺の代で終わらせてやる」
 そう言って九条は屋上から姿を消した。
 アメリアはゴロンと貯水タンクに寝そべり、そよ風にスカートをなびかせながら、
「アイツハ何ヲソンナニ恐レテイル。何ヲソンナニ怯エテイル。タカガ学校ノイベントゴトキニ」


 北城総合病院、その八階、ナースステーションの方向から金田の大きな声が聞こえて来る。
「八木里子ぉ! この間までそこの病室にいたってー! どこへ行ったのかさっきから聞いてるんですけどー!」
 看護師は両手を前に出して、毅然とした態度で、
「何度もお伝えしている通り、その患者さんは先日転院しました」
「じゃあ、どこの病院に行ったんですか! それをさっきから聞いているんですよ!」
「申し訳ありませんが、個人情報となりますのでお答えできません。どうぞお引き取り下さい」
 看護師は両手を重ねて深く頭を下げる。
 金田はその頭をながめて、ふかく息を入れてから、
「本当に、転院したんですか? 本当は別の病室に移ったんじゃないんですか?」
 もう一人の看護師も同じく頭を下げて、
「申し訳ありませんが、これ以上はお答えできません」
 金田は手にしたビニール袋を見て、それをカウンターの上に乗せて、
「じゃあ、この差し入れだけでも、このコロッケだけでも、里子に届けてくれませんか? お願いです」
 すると奥から看護師長まで顔を出して、
「すいませんがそのような患者様は当院にはおりませんので、そちらもお受けできません」
 金田は気持ちが収まらず、まだ何かを言おうとしたが、看護師たちの変わらぬ態度にあきれ果てた様子で、
「里子は、無事なんですね? そうなんですね? それだけでも教えて下さい」
 里子をよく知る看護師の一人が、右へ左へ視線を飛ばし、しばらく悩んだあげく、
「あの子はこの病院にいないの。でも、他の病院でなんとかがんばっているって聞いているわ。だから、今は治療に専念させてあげて」
 それを聞いた金田、振り上げた拳の行き場に困り、『迷惑行為はお断り』と書かれた張り紙をにらむなどしながらエレベーターの方へと引き返して行った。


 ぼんやり窓の方へ顔を向けていた里子、その視界の隅にトボトボと立ち去って行く金田の姿を見て、あわててベッドから身を乗り出す。
「金田くん!」
 酸素吸引のカニューレが伸びきり、あわてて里子は両手で口を押さえる。そしてまた元の位置に戻ってぽろぽろと大粒の涙を突き落とす。
「ごめんね、金田くん。もう……会えなくなっちゃった」
 そのまま激しくせき込んで、ベッドにうずくまる里子、そこへコンコンとドアにノックがあって、お見舞いの果物カゴを手にした天海が病室に顔を出す。
「こんにちは。八木さん、お元気?」
「校長先生」
 びっくりして里子が顔を上げる。
 高級なコートを身に着けた天海は、果物カゴをテーブルの上に置いて、枕元にある生体情報モニターや下半身に装着したベノストリームなど、たくさんの医療機器を見回す。
「だいぶ、いいみたいね」
「はい。……あ でも、この間少し問題を起こしちゃって、今はこのように個室に移されて 二十四時間監視されています」
 天海はこぢんまりとした病室の、数少ない調度品を見回しながら、
「聞いたわー、だいぶ無茶をしたって話じゃない。この病院で初めての事なんだって?」
 里子はうつむいて、こつんと自分の頭を叩いて見せる。
「親や先生から、大目玉をくらいました。しばらくの間は面会謝絶です」
 天海は窓の前に立って、バスが駐車場から出て行くのを目で追いながら、
「そう。バカな事、したわね」
「はい。バカな事、しました」
 背中を向けたまま、次に天海は冬曇りの空を見上げる。
「後悔している? 軽率で、自分勝手な行動から、みんなに多大な迷惑をかけて」
 里子は注射の痣だらけの、骨と皮だけになった自分の手首を見下ろして、
「後悔、ですか? うーん、よく分かりません。でもまた彼から誘いを受けたら、私はきっと同じ事をします」
 それを聞いた天海の肩が上下に揺れる。
「そう。だったら、良かったんじゃない? あなたは正直に生きている。あなたは自分に素直に生きている。もしね、私があなたの立場だったら、私もきっとあなたと同じ事をしたわ。私は負けるのが嫌いなの。病気にだって負けたくない。私は好きな事をしたい、好きな人とずっと一緒にいたい、それは、なんぴとたりとも邪魔はさせない」
「先生……」
 そこで天海はふり返って、戦友に笑いかけるような笑顔を見せて、
「早く、よくなるのよ」
 髪もなく、痩せこけた里子は、同じく力強い笑顔を返して、
「はい」


 颯爽と病院を後にする天海、その背中へ激しい靴音が迫って来る。
「天海さん!」
「ん? あー なーんだ、あなたも来ていたの」
 息を切らせた八木が門の所で天海に追いつき、
「天海さん、どうしてここへ」
「どうしてって、ただのお見舞いよ。もう三学期に入ったのだし、八木さん元気にしているかなーって、思ってさ」
 八木は一歩前に出て、両のこぶしを握りしめて、
「どうして、なんであんな事を言ったんですか。里子ちゃんは今、とても落ち込んでいるんです。精神的にもケアが必要な時なんです。看護師のみんなも発言には細心の注意を払って、ピリピリと神経をトガらせているんです。それを、なんであんな、無責任な発言を」
 天海は あー と言ってまた歩き出す。
「あれねー、早くよくなれって言ったやつ? いけなかった?」
 八木が天海の背中に向かって、
「ハッキリ言って無神経です! 里子ちゃんはいま」
 小気味よくヒールの音を鳴らして、天海はどんどん坂道を下って行く。
「倉木さん。ねえ聞いて。私たちには負けると分かっていても闘わなければならない時があるの。絶望のどん底に突き落とされて、どう考えても勝ち目がない。命運は尽きて、八方ふさがりの崖っぷち。そんな時って、闘っていればいつか必ずやって来る。私にも、あなたにもね」
 空から白いものが舞い始めた。
 その白い物を手のひらに受けて、天海は空を見上げる。
「あの子にとって、それが今なのよ」
 八木が言葉を失うと、天海は急に気を変えたように、
「ねえ倉木さん、あなたこんな話知っているかしら? 動物の数え方の話」
「ど、動物の数え方?」と八木は拍子抜けした顔を見せる。
「そ。動物の数え方の話。
 鳥は一羽。
 魚は一尾。
 牛は一頭。
 なんで動物はこんな数え方するのか、あなた知っている?」
「…………………」
「これはね、その動物が死んだ後に何が残るかで決まっていると言うの。鳥は羽、魚は尾、牛は頭骨、彼らの死後には確かにその部位が残る。これっておもしろい話じゃない?」
 曇天の底にしずんだ趣のない街が、次第に美しい雪景色へと変わって行く。
「じゃあ、私たち人間は何て数えている?
 私たち人間は、一名。そう、私たちが死んだ後には、名前が残るの。
 アインシュタイン、坂本龍馬、野口英世、その名前は私たちの心にしっかりと残っている。
 私たちがこの世に生を受け、自分の使命をまっとうし、その名を後世へ残す。だからね、私たちはその名に恥じない生き方をしなければならないの。たとえ負けると分かっていても、たとえ全てが無駄に終わると分かっていても、最期まであきらめずに闘ったその勇敢な人の名が、私たちの心に強く残るの、永遠にね」
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