アイドルと七人の子羊たち

くぼう無学

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孤独のアメリア

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「アメリア!」
 退屈なホームルームが終り、イヤホンを付けようとするアメリア、呼ばれてふり返って青い目を上げる。
「アメリア!」
 ニコニコしながらやって来る金田、その手に色紙とマジックペンが見える。
「サインしてくれ」
 アメリアの眉が寄る。
「昨日あれからお前の動画を観たんだ! すげーよお前、どうやればあんなコマみたいに人が動き回れるんだ? 世界大会なのに一人だけ別次元だった」
 鼻歌を歌いながらアメリアが色紙にサインをする。それを見逃さない雛形、すかさずカバンの中にある色紙をつかむ。
「さすが世界女王だよな、お前の家ってさ、きっとトロフィーやメダルでいっぱいだろう?」
 もらったサインを満足気に眺め、近くのイスに座る金田。
「マーネ」
 雛形もやって来て「あたしにもサインして」と色紙を差し出すと、それにもすらすらとサインするアメリア。
「金田、オ前ガ観タ大会ハイツノモノダ」
「え?」と意外な顔を見せてから、
「えーと、確か今年の春の大会、ブルガリアのワールドカップだったかな」
 それを聞いた途端、アメリアはイヤホンをつけて席を離れる。
「残念ダッタナ金田、ソレハ世界女王ノサインデハナイ。ソンナノ、ゴミ箱ニ捨テテオケ」
「は?」
 制服からパーカーを出した背中が教室から出て行く。
 それを見送る金田の頭に本が落ちて来る。
「痛ッ!」
 振り返るとそこには本を手にした久遠の姿が。
「まったく、何をやっているんだお前は。あいつのご機嫌を取ったつもりだろうが、逆効果だ」
「そんなんじゃない。俺はあいつの事を純粋にすげーって思って、尊敬して」
 カバンからタブレットPCを取り出して、それを机のスタンドに置く久遠。
「あいつの事を知りたかったら、再生数の多い動画より最新の動画にしておけ、このどアホ」
「なんだと?」
 タブレットのディスプレイに触れて、久遠がパルクールの大会を映し出す。
「今から一ヶ月前、モンペリエの国際大会で、アメリアは不幸なアクシデントに見舞われた。結構パルクール界では話題になった出来事だ。女子スピードランの決勝リーグで、アメリアが手すりに手をかけた瞬間、その手すりが大きく傾いて、彼女は体勢を崩した。なんとか競技は続行できたが、いつものような高難易度の技がくり出せず、そのままアメリアは準々決勝敗退となった。
 初めてだったそうだ。彼女が大会で表彰台に上がれなかったのは」
「手すりが傾いたって? そんな事、普通あるのか?」
 金田が動画を観ながら首をひねる。
「百聞は一見に如かず、まあ観ていろ」
 いつものメンバーがタブレットの周りに集まって来る。
 アメリアのスピードランが始まると、教室の一角にどよめきが起こった。
「すご! 移動するスピードが半端じゃない。動きに一つも無駄がない」
 雛形が大きな瞳に瞬きを見せると、八木も丸眼鏡に手を添えて、
「ついつい見入っちゃう。並みの身体能力じゃない この子」
 久遠が画面をゆびで指し示し、
「次だ、連続して手すりを越えて行く所」
 太い錬鉄製の手すりが画面の左端から現れて、アメリアがそれに手を突いた瞬間、彼女の体が低く沈み込み、地面すれすれの所でサイドフリップからPKロールで難を逃れる。
「あっぶねー」
 何事もなかったかのように、アメリアは高い壁を登るクライムアップに入る。
「あれ? 大丈夫だった?」
 海老原がきょとんとしてみんなの顔を見る。
「大丈夫じゃない。このアクシデントによりアメリアは右手薬指を脱臼、左足首をねん挫した。並みの選手であればあのまま地面に叩きつけられて、そのまま起き上がれない大惨事になっていた事だろう」
 金田は真剣な表情を見せて、
「これで、世界女王は破れたのか? ツイてないな まったく」
 久遠はタブレットの動画を止めて、ゆっくりと腕を組む。
「ツイてないかどうか、今も論争が続いている」
「どういう意味?」と八木が久遠の顔を覗き込む。
「このグラついた手すりなんだが、ボルトが三本も緩んでいたそうだ。通常パルクールの大会では考えられない事態に、ネットでは陰謀論まで出ている。三本は多すぎだ」
 金田が久遠の肩をつかんで、
「まさか、誰かの仕業なのか⁉」
「分からない。やろうと思えば出来ない事もない状態にあったとは言われている。しかしこんなの過去に例がない。協会からもアクシデントとしてコメントされている。まあ一つ言える事は、このボルト三本のせいでアメリアは世界女王の座を失った」
 早川がドラムスティックを回しながら、
「嫌がらせだな。俺らのライブでも結構あるぜ。演奏中にアンプの電源ケーブルが抜かれたり、ステージにペットボトルが投げ込まれたり」
 マリンが机に腰掛けてスカートの足を組む。
「でもさー、人の命に関わる事じゃない。もしも万が一にもって、そんな恐ろしい事をする人いるー?」
 久遠は神妙な顔をして、アメリアの停止画像を見詰める。
「だから、今も分からないんだよ。実際パルクールって ボクシングと肩を並べるような危険なスポーツだと言われている。自分の力量を見誤り、無謀なチャレンジをして命を落とすような事もある。だからアメリアの場合、大きなアクシデントがあったにもかかわらず、大した怪我もなく最後まで競技をやり切ったと賞賛の声もある」
「賞賛って、負傷しているのに」と八木があきれてため息をつく。
 金田は一人廊下の方を向いて、
「そのアクシデントと、今回アメリアが帰国した事と、何か関係があるのか?」
 久遠はタブレットをカバンの中に入れて、深く息を入れる。
「俺はこの大会をライブで観ていて、嫌な予感はしていた。妙な事にならなければいいが と、彼女のキャリアに影響しなければいいが と。足首の怪我はもう良くなっているはずだ。昨日の様子を見る限り普通に歩けているみたいだし。それなのに、ネットの書き込みによると、アメリアはチームの練習に参加していない」
「なにか、あったでしゅね」
 制服姿の相羽がみんなの下から現れた。
「おーびっくりしたー、突然現れるなって」
 金田が胸を手で押さえる。
「なにかって、なに?」とそろった前髪を揺らしながら八木が相羽の横顔を見る。
「なにかとは、なにかでしゅよ。ひょっとしたら、シャンデリア・ナイトに参加しないと言っているのも、そのなにかに関係があるかもしれないでしゅ。
 委員長、ここはいつもの猪突猛進でそいつを調べるでしゅ」
 みんなの視線が金田に集まる。
「わかってるよ、直接アメリアに聞いてみればいいんだろ?」


 昼休み、旧校舎の屋上に顔を出す金田、ひび割れたコンクリートの上をあちこち見て回って、顔を上に向けた所で足が止まる。
「なんで、あんな高い所に」
 屋上のさらに上、四角い貯水タンクのてっぺんにアメリアがあぐらをかいていた。
 ペンキが剥げてザラつくハシゴに手をかけて、金田が錆びた貯水タンクの下に顔を出す。
「何ノ用ダ、金田」
 冬の青空に向かってサンドイッチを口にするアメリア。
「なんでそんな危ない所でメシ食っているんだ」
 さらに金田は貯水タンクのハシゴに手をかける。
「私ハ高イ所ガ好キダ」
「猫かお前は」
 そこで金田は遥か遠い地面を見て思わず足がすくむ。
「聞いたぞアメリア、お前、前回の大会でケガをしたんだってな」
 モグモグと頬をふくらませながら、フンと言ってアメリアは顔を反らす。
「あんなやべーアクシデントがあって、それでよく軽い怪我で済んだな。俺ならすっ転んで救急搬送だ」
 金田は目をつむって、ハシゴの真ん中まで登る。
「オ前ミタイナ素人ト一緒ニスルナ。私ハ天才ダカラ問題ナイ」
 アメリアの長い髪が風になびく。
「ああそうだ、お前は天才だ。たった一回優勝を逃したって、パルクールの世界女王に変わりはない」
 向かいの屋上から騒がしい学生らの声が聞こえる。
「それなのに、どうして練習を再開しない。どうしてお前はまた世界の頂点に立とうとしない。
 どうしてお前は、日本へ戻って来た」
 サンドイッチを食べ終えて、貯水タンクのてっぺんに立ち上がるアメリア。
「質問ガ多イ。一度ニ答エラレナイ」
 少し間を置いてから、アメリアは遠い目をして、
「アクシデントナンテ、何デモナイ。怪我モ、何デモナイ。私ハソンナ事気ニシナイ」
「じゃあなんで」と彼女のスカートを見上げ、あわてて顔をふせる金田。
 アメリアは遠い空を見詰めて、
「オ前ハ、仲間ニ裏切ラレタ事ガアルカ」
 そう言って突然 空中で体をひねるフルツイストや、ロンダートしながら体を回すカサマツを使い、楽々と屋上の入口に降り立つアメリア。
「すげー! これが世界の技! って、感心している場合じゃない。
 おいアメリア、お前 もしかして仲間に裏切られたのか?」
 急いでハシゴを降りて来る金田、
「お前はチームメイトに裏切られて、仲間の事が信じられなくなって、それで、日本に戻って来たのか? だから俺たちの事も信用できなくて、シャンデリア・ナイトには参加しないと言ったのか?」
 鼻筋の通った横顔を見せて、アメリアは視線を下げる。
「違ウ、ソウデハナイ」
「? どういう事だ、そうじゃなかったら、なんでお前はシャンデリア・ナイトに」
 金田はハシゴを降り切って、改まってアメリアの前に立つ。
「シツコイ奴ダ、ソンナニ私ノ事ガ知リタイカ?」
「知りたい、知りたい、教えてくれ!」
 するとアメリアは金田の鼻先に顔を近づけて、
「ジャー、私ニ指一本デモ触レテミロ、ソウシタラ、教エテヤル」
 アメリアは相手を挑発するような薄目を見せる。
「な、なんだよ いきなり」
「ドウダ、ヤルカ?」
 腕を組んだアメリアが金田とキスするほど顔を近づける。
「や、やるよ! やってやる! 俺がお前に触れば、質問に答えてくれるんだな!」
「ソウダ、簡単 簡単」
「よーし!」とさっそく金田が相手に抱き付こうとするも、それを残像が残るほどの高速バックステップでかわすアメリア。
「遅イ、遅スギル、スローモーションヲ見テイルヨウダ」
「ぐぬー!」
 右手、左手と、がむしゃらに手を前に伸ばす金田、それらをいとも簡単にかわして、バックフリップで体を回しながら アメリアが屋上のフェンスに降り立つ。
「汚ねーぞ! 素人相手にパルクールの技を使いやがって! こんなの誰が捕まえられるんだ!」
 金田が何度も何度も相手を指差して抗議する。
「ワメクナ金田」とアメリアは遊ぶようにフェンスの上を歩いて、
「少シ前ニ、コレト同ジ事ヲシテ、私ヲ捕マエタ素人ガイル」
「な、なんだと⁉」
「ソイツガ私ニ追イツイテ、『シャンデリア・ナイトニ参加スルナ』ト言ッタ。ダカラ私ハソノ命令ニ従ッタ。私ガイベントニ参加シナイノハ、ソレダケノ事ダ」
 じりじりと金田がアメリアに近づく。
「じゃあ、俺もそいつと同じようにお前を捕まえたら、今度は俺の言う事を聞くか?」
「モチロン聞イテヤル、イベントデモ何デモ参加シテヤル。私ヲ捕マエラレタラナ」
 そう言ってアメリアは突然床が抜けたようにスーッと屋上から落ちて行く。
「わ、待て!」
 ガシャンと金田がフェンスに張り付き、下に見える焼却炉や草むらを確認するが、そこにはもうアメリアの姿はなかった。
「よーし、とにかくあいつを捕まえれば全てが解決するって事だな。何だか知らないけどだいぶ話がシンプルになった」
 屋上で一人ガッツポーズを見せる金田、そのすぐ後で大きく首を傾けて、
「それにしても、あんなバケモノを捕まえた素人って、誰だ?」
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