アイドルと七人の子羊たち

くぼう無学

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嵐の朝に奇跡を起こせ②

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 次の日から俺は学校へ行かなくなった。マリンと同じ、登校拒否だ。俺の学校の成績に期待を寄せていた親父が、すさまじい勢いで俺の部屋に入って来た。そしてその勢いのまま俺を壁まで張り飛ばした。でも、なんか、ぜんぜん平気だった。進路なんてクソくらえと思っていたし、医者になる夢だって完全に冷めていた。あんなクソ野郎が将来俺の診察に来たら、俺は医師として最高の医療を提供しなければならない。それはできないと思った。いくらそいつが死にそうな顔をしていたとしても、俺はそいつに医療を提供する事ができないと思った。それは医師を目指す者として、その資格を失ったのも同然だった。
 部屋のカーテンが明るくなって、そのままカーテンが暗くなるのを見続けるだけの、虚無の生活が始まった。
 その頃の俺の唯一の楽しみが、深夜ラジオ『夜アイス☆サンデーズ』だった。絶望のどん底に倒れていた俺に、ゆいいつ希望の光を見せてくれたのが、スーパーアイドルの倉木アイスだった。ホント感謝しかない、そのラジオを聴いている時だけ、俺は少しだけ笑う事が出来た。
 それからしばらくして、俺の事を学校へ誘いに来るやつが現れた。
『一緒に学校へ行こう!』
 そいつは増山と言って、同じクラスの男子生徒だった。普段あまり話した記憶がない、影の薄いやつだったな。なんで今さら俺を迎えに来るのかって、すごく違和感を覚えた。白けた気分になった。
 そいつはそれからも毎朝俺の家まで来た。部屋のカーテンを開けると、そいつは笑顔で手を振ってきた。雨の日も、風の日も、俺はそいつの存在を窓の外に感じた。それでも俺はずっとそいつの事を無視した。学校へ行くつもりなどない。あんなクソ野郎どもと同じ空気を吸うのも嫌だ。俺は毎日増山の背中を見送って過ごした。
 そんなある日の事、数年に一度の大型台風が日本列島を直撃した。ホント今日みたいな大荒れの天気だった。暴風が家の周りを吹き荒れて、車がひっくり返る映像がテレビで流れていた。外の様子でも確認しようと、カーテンに小さな隙間を作ると、電柱の陰に増山の姿が見えた。暴風から必死に身を守りながら、
『おーい金田、一緒に学校へ行こう!』
 その様子を見て 俺、なんだか急にカーッと来て、お前がそこまでするのなら俺だってやってやる、まっこう張り合ってやるって、急に好戦的な気分になって、俺は絶対に学校になんか行かねーからな!って、激しくあいつと張り合った。
 台風が去って、その次の日から、増山は俺の家の前に来なくなった。もうそれっきり、増山は俺の前から姿を消した。よっしゃー俺は根くらべに勝ったぞって、ひとり部屋でガッツボーズを取っていた。けど、なんか妙な虚しさから、すぐにその手を引っ込めた。
 それからしばらくして、部屋にノックがあって、ドアの向こうでお袋が、『増山君が亡くなった』と伝えて来た」
「え!」と八木の顔が上がる。
「増山は近くの公園で遺体となって発見された。遺書は、なかったそうだ。
 俺、ぜんぜん知らなかったんだ。あいつもクラスのやつらにいじめを受けていたって。そんな事って、あると思うか? 思わねーだろ普通。いじめられっ子に手を差し伸べているやつが、実はそいつもいじめを受けていただなんて。
 皮肉なもんさ、増山は俺と同じいじめを受けていた仲間だった。そいつはこの世で最も俺の気持ちが理解できる唯一の仲間だった。戦友だった。それなのに、それなのに俺は、そんな大切な仲間を見捨ててしまったんだ。完全に無視をしてしまった。俺がそいつを一人にさせてしまった」
 マリンはひざの上にあるノートを見下ろしていた。
「いじめられっ子、失格だよな、俺。
 俺が仲間を見捨てたのは後にも先にも増山だけだ。増山の笑顔を思い出すと、俺は今でも胸が苦しくなる。台風の日に、俺が玄関のドアを開けていれば、まさかこんな事にはならなかったかも知れない。それを思うと、今でも俺の胸は張り裂けそうになる。
 それから俺は、絶対に仲間を見捨てないと、天に誓った。どんな事があろうとも」
 八木の鼻をすする音が聞こえた。
 マリンは険のこもった声で、
「それから、どうなった?」
 金田はココアを見下ろして、笑った後のような顔をして、
「俺はすぐに増山の家へ線香をあげに行った。玄関に立って、増山の名前を呼ぶと、家の中から家族が出て来た。そして俺の事を温かく迎えてくれた。増山のお父さんがいて、お母さんがいて。兄貴がいて、妹がいて。それが俺の線香をあげている間中、ずっと泣いているんだぜ? いいわけねーだろー そんなの、なあ。大切な家族の笑顔が、たった一枚の写真になって。そんなの、いいわけねーだろ。
 俺、増山の家からの帰り道で、初めて男泣きというのをやったよ。どーしてもおさまりがつかなくてさ、心の奥底から、なんつーの? マグマが流れ出て来て触れたものすべてに火を付けて行くような、怒りとも悲しみともつかない、もう失うものを無くしたっていう無敵の境地になって、俺は次の日から学校へ行った。教室は当然ざわついていた。クラスの注目を集めながら、俺は堂々と歩いて増山の机に花を置いた。それから胸を張って自分の席についた。さっそく舌打ちをしながら俺の机を囲むやつら、その内の一人が俺の襟をつかんだ瞬間、俺はそいつを思いっきり投げ飛ばしてやった」
「金田くん、暴力はダメ」
 八木が金田の肩をつかむ。
「暴力じゃねー、向かって来たやつを投げ飛ばしただけだ」
「暴力だろ」と久遠が眼鏡を上げる。
「とにかく俺は、その日からいじめに対して真っ向立ち向かった。ケンカして、ケンカして、もう何が何だか分からなくなった。何度教員室に呼び出されたか分からない。でも、もうどうなっても構わなかった。自分でも驚くほど心が落ち着いていて、目の前の事がとてもシンプルに見えた。ただ一つの事に立ち向かえた。
『こんな事してタダで済むと思ってんのかてめー! 証拠はあるのか、俺たちがいじめたという証拠がよー!』
『証拠か? 証拠は、俺だー!』
『やれ! みんなで取り押さえろ!』
 まあ、体のいい事を言っているが、結局俺は増山のかたきを討ちたかったのかも知れないな。とうとう怖い先輩まで出て来て、いい所まで行ったけど、ボッコボコに打ちのめされて、屋上に大の字に倒れて、気が付いたら青空を眺めていた。ゆっくりと白い雲が流れていてさ、涙が傷口にしみるんだ これが。でも、自然に笑いがこみあげて来て、なんで始めからこうしなかったんだろうって。なんでもっと早くにいじめと向き合わなかったんだろうって。なんで、なんで、俺はいじめから逃げたんだろうって」
「ケンカはダメなんだから」と八木がプンプンと頬をふくらます。
 マリンはデスクに向かって、原稿用紙にベタを塗りながら、
「ふーん、そう。金田にもそんな事があったんだ、意外ねー」
 冷めたココアを口にして、金田は自嘲するように下を向いて、
「だからな、マリン。お前は逃げるな、逃げるんじゃない。一回でもいじめから逃げると、ろくな事にならない。この俺のように」
 漫画家の背中は動かない。
 金田は冷めたココアを一気飲みして、ぷはぁとまた顔を戻して、
「マリン、学校へ行こう、学校へ行こう。そして共に戦おう。いじめに真っ向立ち向かおう。大丈夫! お前には俺がついている。お前は俺が守る。必ず守る。だから、な、学校へ行こう。俺はお前の力になる。このさき少しでもお前がいじめを受ける事があれば、俺がすっ飛んで行ってそいつをぶっとばしてやる! なんせ俺は、世界一いじめが嫌いな男だからな!」
 漫画の主人公、赤木アンのKOシーンを描きながら、マリンはあきれた声を出す。
「一年半も放っておいて、よく言うわ、まったく。遅すぎるっつーの」
 その時、漫画家の背中が動いた。
「まー学校に行ってやってもいいけど、シャンデリア・ナイトに参加するかどうかは考えさせてもらうわ」
 後ろで八木と久遠がハイタッチをしている。
「そ れ と、最後に一つだけ、確かめておきたい事があるんだけど」
「? なんだ」
 マリンは肩までの髪を激しく振って、少し興奮したような口調で、
「いじめたやつをぶっ飛ばした時って、どんな気分だった?」
 一瞬驚いた顔を見せる金田、すぐに余裕の笑みを浮かべて、ビシッと親指を立てて、
「そんなの決まってんじゃねーか。
 最高の気分だったぜ」
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