アイドルと七人の子羊たち

くぼう無学

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漫画家の背中は動かない

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「頼む、マリン、この通りだ! あしたから学校に来てくれ、お願いだ!」
 ぱちんと手を合わせて、その向こうで頭を下げる金田。
 カリカリと漫画を描きながら、マリンは背中で、
「一年半も会ってないし、ろくに話した事もないのに、マリンだなんて 馴れ馴れしく下の名前で呼ばないでくれる?」
 金田は片目を開けて、
「名前なんて、どう呼ぼうが勝手だろ? 
 そんな事より、な、マリン、学校に来てくれ、お願いだ。もしもお前がちゃんと学校に来てくれたら、そうだな、焼きそばパンを奢ってやる」
「食い物で釣るな」と久遠が金田の頭にチョップを入れる。
 マリンはデスクの奥のペン立てに手を伸ばして、
「別に焼きそばパンなんて食べたくないし」
「分かった、分かったよ。それじゃ奮発して、リボチ名物『から揚げマヨ丼水曜スペシャル』を奢ってやる。いいかぁ、あしたは木曜だがな、きのう休んだって言うとおばちゃんが内緒で出してくれるんだ。香味唐辛子たれが最高なんだよなー。な、これでどうだ、あしたから学校に来てくれるな?」
 漫画家の背中は動かない。
「やーだ」
 ゆっくりと久遠と八木が顔を合わせる。
「なあ マリーン。陰口や、悪い噂を広められたくらいで、そんなにヘソを曲げるなって。どこにでもある話だろ、そんなの」
「ちょ、ちょっと金田くん」と八木があわてて金田の肩を揺らす。
「俺なんてさ、毎日陰口を言われているんだぜ? 俺の事を良く思わないヤツが結構いてさ、廊下でメンチ切って来るヤツもいる。そんなのいちいち気にしていたら委員長なんて務まらないって。なあ副委員長」
「私は 別に、嫌われてないけど」とそっと八木は顔をそらす。
 金田は二人の肩に両手を置いて、
「とにかく、な、俺たちがこうしてお前のためにここまで足を運んで来たわけだし、そこを踏まえて、ここは一つ、な」
 そこでマリンは三人を振り返って、
「あたしのため? はあ? 見え見えだって。シャンデリア・ナイトが出来ないから、あたしの家に来たんでしょう?」
 ドキッと金田が大きく胸を押さえる。
「ウソでも態度に出すな、バカ」
「尻に火が点いたからって、あわてて人の家に押しかけて来て、何を言うかと思えば自分たちの事ばーっか、あたしの事なにか一つでも聞いた? あんたそれでも委員長? 片腹痛いんだけど」
 ぐわっと金田は足を広げて立ち上がって、
「そ、そうだよ! シャンデリア・ナイトだよ! もう二学期に入っているんだ。あと半年でシャンデリア・ナイトを開催しなくちゃいけない。それには、お前の協力が必要なんだ。一人でも欠けていたら、俺たちC組のシャンデリア・ナイトは成立しない」
 肩までの髪を激しく揺らして、マリンは眉間に縦じわを寄せて、
「一人でも欠けていたらC組のイベントは成立しない? はあ? それマジで言ってんの? 一人でも欠けていても、今まで何事もなかったかのように学園生活を送って来たじゃない、あんたたちC組は。それってちょっと都合よくない?」
 静かに目を閉じて、久遠がポリポリと首すじを指で掻いて、
「ま、そう言われてしまっても仕方がない。何せ俺たちはお前の不登校の問題に対して何もして来なかったのだからな。
 何もしてこなかった、と言うよりかは、正直何も出来なかった。
 当初俺はお前がいじめを受けていたという事実を知らなかった。俺が初めてお前のいじめの実態を知ったのは、青山が学校を休んでから半年が過ぎたあたりだ。たまたま先生方の会話を耳にして、そこでお前がいじめられている事を知った。その後でそれとなく先生にいじめの件を聞いてみたが、満足な回答が得られなかった。さらに学生会でもこの問題を取り上げたが、役員さえこの件について何も知らなかった。どうやら今回のA組によるいじめは、巧妙で、狡猾で、目撃証言や証拠が残っていなかった。とまあ、第三者でしかない俺は、今回のいじめ問題について確たる証拠は何もなく、動こうにも動けなかった。
 だがそれも、言い訳だな。もっと早くに、こんな風に、青山に直接会いに来るべきだった。それについては謝るよ。すまなかった」
 久遠は深々と頭を下げた。
 マリンは顔に掛かった髪を手で押さえ、無言で下書きにペンを入れる。
 そこから久遠は頭を上げて、
「それはそうと、青山、俺たちの話も聞いてくれ。俺たちが卒業式までにシャンデリア・ナイトが開催できなければ、クラス全員学校を卒業できない。全員留年だ。それにはいっさいの救済措置や例外が認められない。容赦なく俺たちは卒業生から三年に逆戻りだ。間違いなくC組は全員退学するだろう。
 そうなると だ。お前だってこの学校を卒業した事にはならない。プロの漫画家として華々しくデビューしながら、そのプロフィールの学歴にリボルチオーネ高校の名前がなくなる。高校中退だ。せっかく俺たちリボルチオーネ高校に入学したんだ、どうせならみんなで笑ってこの学校を卒業しようぜ」
 ガタンと激しくイスを揺らして、勢いよくマリンが立ち上がる。
「ふざけないで! 全部あんたたちの都合でしょう⁉ このままじゃ自分たちが卒業証書を受け取れないからって、困って、仕方なくあたしの前に現れた。あたしが壮絶ないじめを受けていたのを知っていながら、一年も放置しておいて、いざ高校中退になるって危機に直面したら、のこのことあたしの前に顔を出して! 学校に来い⁉ はあ⁉ なんて虫のいい話!」
 はあはあと息を切らして、マリンは順々に三人の顔をにらむ。
 室内が殺伐とした空気に包まれる。
 金田は平気な顔をして右手を上げて、
「なあ マリンー」
「なに!」
 そのままデスクの方を指差して、
「すげーインクこぼれてるけど、大丈夫かー?」
 ハッと後ろを振り返って、「ぎゃーっ!」と言って高速でティッシュを取って原稿へ投げるマリン、
「もー とにかく帰って! 気が散るからもうこれまで! 明日の六時までに原稿を仕上げなくちゃいけないんだからね、仕事の邪魔をしないで!」
 おろおろと八木が立ち上がって、右手で口を覆いながら、
「あのー、青山さん。どーしても学校に来てくれないの?」
 せっせとデスクの周りを拭いていたマリン、その言葉にピタリと動きを止め、やがてゆっくりと不自然な笑顔を見せて、
「そんなに言うなら、いいわよ、学校に行ってあげても」
「ほ、本当かー!」と金田が顔にライトが当たったような笑顔を見せる。
「その代わり、あたしをいじめたやつらを全員退学にして」
 それを聞いて、三人はごくりと生唾を飲み込む。


「そんなこと」
 学校の、昼休みの屋上、そこでいつものメンバーが弁当を広げている。
「できるわけねーだろ、なあ」と金田が乱暴に焼きそばパンをかじる。
 雛形がだし巻き玉子を箸でつかんで、
「できるわけないよねー、そんなの。卒業間近の学生を退学にさせるなんて。しかもそのいじめていた学生の親って、この学校に多額の寄付をしているOBなんでしょう? いじめをやめさせる事さえできなかった弱腰の学校に、そんな、その学生を退学にさせるなんて、ぜったいに無理」
 大盛りのカップ焼きそばを食べながら、海老原がソースの着いた割り箸をみんなに向けて、
「相当な恨みを持っているようだね、その青山って子。いじめをやめさせてくれって話は聞いた事あるけど、いじめたやつを退学にしろだなんて、そんなの普通じゃない」
 タコさんウインナーを顔の前まであげて、八木が隣の金田を見る。
「どうするの? 金田くん」
 金田はひと口でパンを食べきって、包装紙をくしゃくしゃと丸めながら、
「いじめっ子を退学になんてさせられない。あいつらは、あれでも俺たちリボチの同期の仲間だ。それは絶対に出来ない。でも、マリンには学校に来てほしい」
「そんなのズルいってー」と雛形が勢いよく弁当箱にフタをして、
「それが出来れば誰でもそうしたいってー! 金田っていつも子供みたいなわがままを言う!」
 サンドイッチをかじりながら、ガシャンと久遠は緑のフェンスに寄り掛かる。
「なんか、良い考えでもあるのか、金田。青山の要求は通さずに、彼女を説得してまた登校させる、そんな良案が」
 金田はあぐらをかいて、その上に腕を組み、はっきりとした口調で、
「ない! いじめたやつを退学にしないで、マリンを登校させる方法なんて、そんなの俺には思いつかない! そこは、お前らで考えてくれ!」
「また出た勢い任せの他人まかせ」と雛形が手のひらで顔を覆って、
「マリンちゃんはあたしたちにとんちを出しているわけじゃないんだからね、そんな実現不可能な問題に頭を悩ませていないで、少しでもいじめの問題を解決できるよう、現実的な話をって……あれ?」
 八木がコソコソと久遠に耳打ちをしている。
「おお」と久遠が眼鏡を光らせて、次にその事を海老原の耳に入れる。
「なるほどね。それ、いいね」
「なになに」と雛形もみんなに耳を貸して、うんうんと納得の表情を見せる。
「ど、どうしたんだお前ら、さっそく何かいい方法でも思いついたのか?」
 四人はニタニタと意味深な表情を浮かべて、ゆっくりと金田の周りに集まって来る。
「?」


 朝モヤが流れ込む白の大地、そこへ突然朝日が射して、凸凹した街の輪郭が地上へ浮かび上がって来る。朝刊を配達するバイクの音や、ガラガラと商店のシャッターの開く音が、閑静な住宅街に響く。
「んにゃろー、なんで俺がこんなマネをしなきゃならないんだー」
 マリンの家の玄関先で、金田が寒そうに両腕をさする。
 通りの先にある電信柱、その陰に、コソコソと身を隠す八木と雛形。
「いる、ちゃんといる。なんだかんだ文句を言いながら、それでもあいつはちゃんとマリンちゃんの家まで迎えに来た」
 雛形がうんうんと頷きながら、ひょっこりと電柱から顔を出す。その下に八木も顔を出して、
「月並みなやり方だけど、この方法が一番なのよねー」
「そうそう、不登校の子には、毎日その子の家に迎えに行ってあげる」
 そう言って二人はウインクを見せる。
「おーい、マリーン」
 二階の窓に向かって、金田が大声を張り上げる。
 しばらくして、ガラガラと部屋の窓が開いて、パジャマ姿の彼女が顔を出す。
「なにやってんの あんた、そんな所で」
 顔に掛かった髪を耳に掛け、大きく目をむくマリン。
 金田が右手を上げて、それを左右に振って、
「おはよう」
「おはようじゃない、なんであんたがこんな朝早くにあたしの家の前に立っているの!」
 金田は言いづらそうに首のうらを手で掻いて、
「えーとー、俺はー……、お前を迎えに来た! 一緒に学校へ行こう!」
「はあ⁉」
「委員長みずから迎えに来ているんだからな、ありがたく思え!」
 う~、とマリンは怒りに震え、影になった顔に二つの目を光らせて、
「冗談じゃない、誰があんたとなんか学校へ行くか! 帰れ! バカ!」
 ぴしゃりと窓が閉められ、シャッとカーテンが閉じられる。
「あらら、ダメかー」と雛形がガックリと肩を落とす。
 その横でまばたきをくり返す八木、そっと胸の内で、
『金田くん、やけに真剣だなー』
 金田はそのまま道路を渡って、向かいの家の塀に背中をつける。
『金田ぁ、お前の机、廊下に出しておいたからなー。邪魔だったからー』
『おーい、誰か金田の体操着知らないかー? 知らねーよなー』
『かーえーれ、かーえーれ』
「八木さん、行こ、あたしたち遅刻しちゃう」
「う、うん」
 最後に八木が振り返ると、ズボンのポケットに手を入れた金田が 遠い目をしてマリンの部屋の窓を見ていた。
「金田……くん?」
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