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消えた漫画家

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 金田の驚いた顔がゆっくりと横へ動いて行く。
「ど、どうしたんだ お前ら? 急にこんなに集まって」
 ガヤガヤと、放課後の教室にたくさんの学生が残っていた。
「お前が残れって言ったんだろ?」
 バンと背面黒板を叩いて金田を指差す男子、教室に小さな笑いが起こる。
 くるくるとドラムスティックを回しながら、不思議そうな顔でその様子を見守る早川。
「そう、だけどさ、でもなんでこんなに急に、みんな参加するようになったんだ?」
 八木が黒板に向かって字を書きながら、「いい事じゃない、素直に喜べば?」と背中で。
「ま、まあな、でもなんか、いつも静かだった実行委員会が こんなにぎやかになると逆にやりにくい」
 頭の上に雑誌を上げて、それを大きく左右に振って、井岡、
「つべこべ言っとらんと はよせーや。副委員長の遅刻でだいぶ遅れとるんやから」
「そうだったな。それじゃ、さっそく実行委員会を始めるとするか……って、あれ?」
 あちこちで肩を揺らしたり、ひじを突き合ったり、ほとんどの学生が半笑いの表情を浮かべている。
「お、おい。なに笑ってんだ? 俺の顔に何かついているのか?」
 久遠も教室の異変に気付き、本から顔を上げる。
「おい金田、お前、この間 海へ行って来たんだってな」
 後ろの方から誰かの声がする。
 首を伸ばして金田がその声の主を探していると、また別の所から、
「そこでお前、なにしてたんだって?」
 ざわざわし始める教室。
「やるな委員長!」
「キスしたんだってな! 雛形と!」
 慌てた金田が教室の中央まで走って行って、
「なにぃー! 誰だいま変な事を言ったやつは!」
「見ろよ、取り乱しているぞ。こりゃ図星だな!」
 教室にどっと笑いが起きる。
 状況を理解した久遠が、ゆっくりと顔を横へ振る。
「ちょっと誰⁉ いま変なこと言ったのー!」
 真っ赤になって、ガタンと雛形が席を立つ。
 金田が近くの男子の胸ぐらをつかんで、
「くっそー! お前らそれが言いたくてここに残ったなー⁉」
「あったりー!」とお返しに変顔を突き返される。
 黒板の前で八木が石像のように固まっている。
 女子たちに背中を押され、金田の前へと押し出される雛形、
「ちょ、ちょっとー、なによなによー!」
「ねえねえ、いつから付き合っていたの?」
「キスだけだったの? 本当にそれだけだったの?」
 ぐいぐい顔を押し付けて来る近所のおばさんのような二人。
「違うんだからー、もう誰ぇー? 変な噂を広めたのはー!」
「じゃ、キスはしてないって事? 神に誓ってそう言える?」
「そ、それはー」と相手から視線を外す雛形、その様子を見てハツラツとした表情でハイタッチをする女子たち。
「ほらー! やっぱり金田とキスしたんじゃないー!」
 二人の女子を押しのけて、窮屈そうな顔を突き出す金田、
「違うっつーのぉ、俺はなー、いきなりこいつに不意打ちを食らって……」
 とっさに雛形は金田の口をふさぎ、人食い山ん婆のような恐ろしい顔を近づけて、
「女に恥をかかせるんじゃないよー、分かってんだろーな金田ぁ」と 低いしわがれた声で囁く。
「汚ねーぞーてめー! もとはと言えば全部お前が悪いんだろー」
 何度も何度も金田は雛形の方を指差す。
「お、痴話ゲンカが始まったぞ!」
 バタバタと二人から距離を取る学生たち。
「悪いんだー、けしかけといて」
 ワーッといって、蜘蛛の子を散らすように一斉にみんな教室から出て行く。
「完全に、おもちゃにされとるやないか。アホらし」
 両足を机の上に置いて、のんびりと雑誌をめくる井岡、その後ろで高木がギターの弦を張り替えつつ、
「いきなりあれだけの人数が集まるわけないもんな。ただの冷やかしか」
 珍しく制服のままの相羽がタブレットに頬ずりを見せて、
「ホントホント、脇が甘いでしゅよ、委員長」
 ガラガラになった教室で、ひとり大きく首を傾げる金田、
「しっかし なーんで俺たちが海に行った事 あいつらみんな知ってんだー? 俺、まだ誰にもしゃべってねーぞ?」
 教室の入口でガックリと肩を落とす海老原、廊下の先を指をくわえて見詰めながら、
「失敗かぁ。委員長のスキャンダルを利用すれば人が集まると思ったんたけど、そう長くはもたないかあ」
 そのつぶやきを耳にし、ボッと目の中に炎を燃やす金田と雛形、同時に二人は走り出し、強烈なドロップキックを海老原の背中にお見舞いする。
「てめーか!」
「どわっ!」


「第六回、シャンデリア・ナイト実行委員会を始める」
 メガネがズレた海老原を席に座らせ、パンパンと手を叩く金田、ったく、と首の後ろに手を当てて、
「残ったのは結局いつものメンバーじゃねーか!」
 久遠がぺらりと本のページをめくって、
「苦労をしないで人が集まるわけがない、遊んでいる暇なんてどこにもない。おい金田、もう二学期に入っているんだぞ、少しは危機感を持ったらどうだ」
「分かってるよー、俺だって少しは焦りを感じているんだ。雛形の件でだいぶ時間をロスしてしまったからな」
「人をロス扱いするなー!」
 八木が腕を組んでチョークを上げながら、
「久遠くん、次は 誰?」
 ぱたんと本を閉じて、久遠は眼鏡に手を添えて、
「いつも人に聞いてばかりいないで、少しは自分で調べたらどうだ。シャンデリア・ナイトに参加しないと言っているのは、あと三人、次は 青山海(マリン)だ」
 ダンといって、金田が教卓に両手を突く。
「青山マリンだってぇ⁉」
 教室がシーンとなる。高木のギターペグを回すキュッキュという音が聞こえる。
「そんなやつ、いたっけ」
 どはー、と一斉にみんな床に崩れる。
「ちょっとー、紛らわしいリアクション取らないでよねー」と雛形が机をよじ登りながら、
「クラスメートなのに、知らないなんて失礼じゃなーい」
 ビシッと金田が雛形の顔を指差して、
「じゃーお前はそいつの事をどれだけ知っているんだよー」
「え? えーと、マリンちゃんって、どんな子だったっけ」
 八木が黒板にその名を書きながら、
「その様子だと、青山さんって学校に来てないの?」
 井岡が雑誌を読み終わって、それを机の上に投げる。
「もー一年半くらいは学校に来とれへんとちゃうか? もはやあいつがおらへんのが日常になっとるな」
「登校拒否」と八木はチョークの手を止めて教室を振り返る。
「ま、そういう事だ」と久遠、ゆっくりと席を立って、青山のものと思われる机まで歩いて、そこで彼女の机を見下ろす。
「俺が調べた限りでは、青山は一年の終わりにA組の女子からいじめを受けていた。廊下を歩いているだけで陰口を叩かれたり、根も葉もない悪い噂を立てられたり」
「俺じゃねーか」
 八木が金田の背中を叩く。
 久遠はスッと眼鏡を上げて、
「数々のいじめを受けた青山は、その事を先生に相談して、事態が改善するよう学校側へ求めた。けれども学校の対応と言えば、全教職員に対して校内研修を開催したり、スクールカウンセラーを導入したりと、無難で間接的なものばかりだった。肝心の青山のいじめについては、まったくと言っていいほど効果が見られなかった。そんなこんなで 二年に入った辺りから、とうとう青山は学校に来なくなった」
「ひっどーい。先生の研修とか、カウンセラーって、あたり障りのない対応ばかりじゃない。いじめている学生に対して、学校側はちゃんと指導してくれたのー?」
 雛形が大きくスカートの足を組む。
「した事はしたさ、かたち上はな。でも、その青山をいじめていたやつの親ってのが、この学校に多額の寄付をしているOBでな、学校としてはその女子学生に軽く注意をしただけにとどまった」
 教室がしんと静まる。
「ありがちな話だね」と海老原はスナック菓子の袋を開けながら、
「いじめている方も、それが分かった上で、青山をいじめているんだ」
「最悪」と雛形が腕を組んでそっぽを向く。
 金田は順々にみんなの顔を見て行って、
「ところでさ、登校拒否っていうのは、どうなんだろう? 自分の意思で学校に来ていないんだから、シャンデリア・ナイトの対象からは」
「だーめ」と八木は目を閉じて 人差し指を上げて、
「シャンデリア・ナイトはクラス全員で開催すると校則で決まっているの!」
 釘を刺された金田、鋭く口を尖らせて、
「チッ、次に説得するやつは登校拒否中かー、なんか学校にうらみを持っていそうだし、厄介な事になりそうだなー。久遠、そいつは何の専攻だ?」
 その返事をする代わりに、久遠は金田に向かって何かを投げる。
「?」
 手を伸ばしてそれをキャッチし、金田はその本を目の前へ持って来て、
「なんだよ、いきなり。この漫画本がどうした」
「表紙を見てみろ」
「?」
 不思議そうな顔をして、金田は単行本の表紙を眺める。
「えーと、なになに?『クラスのマドンナはワイクルーを舞う』? なんだこの漫画、変なタイトルー、ワイクルーって確かムエタイで踊るやつだろ?」
「その漫画の作者は、誰になっている」
「? えーと、青山マリン。え⁉ マジで⁉ これ、その登校拒否のやつが描いているのか⁉」
 久遠はマリンの机をコンコンと拳で打ちながら、
「そういう事だ。この学校でいじめを受けていた青山は、ただ家に引きこもっていたわけではない。ちゃんとプロの漫画家として今も連載を続けている。たまに休載を挟みながら、今では八巻まで単行本が発売されている。週刊誌での人気も上々で、最近ではアニメ化の話まで出ている」
 パラパラと本をめくって、金田は驚きを隠せない様子。
「マジかー。高校生でもうプロとして活躍しているのかー。すげーなコレ、ちゃんとした漫画だぞ?」
「見せて 見せて」と雛形が金田の手から本をひったくる。
 久遠は後ろ頭を乱暴に搔きながら、
「だから今回は厄介なんだよ。あいつはもう、ある程度の安定した収入を得ているし、この先もプロの漫画家として活躍が期待されている。だから、今さらいじめを受けていた学校になんてこれっぽっちも未練はないだろう。特にシャンデリア・ナイトみたいな、手間と暇の掛かるイベントになんて、誰が参加するかって感じだろうな」
 後ろの方で高木がギターの開放弦を鳴らす。
「俺も、同意見だな。俺だってもしプロのミュージシャンとして全国を飛び回っていれば、今さらこんな学校に用はないだろう。ましてや、そいつはいじめの被害に遭っていたんだろ? だったらなおさらだ。ざまーみろって、俺ならいじめたやつらを見返してやる」
 相羽がタブレットから顔を上げて、
「あたしも一応プロのCGクリエーターでしゅよ」
 金田の明るい顔が上がる。
「おー、いたいた。ここにもプロの高校生が」
 八木がお辞儀をするくらい頭を下げて、相羽に目線を合わせて、
「ねえ相羽さん、あなたはどうして仕事をしながら学校に通っているの? 芸能のプロになるための学校なんだから、プロになったらもう十分だって思わない?」
 相羽は何かを思い出す時のように、人差し指をあごに当てて、
「うーん、そうでしゅね、あたしの場合は……、余裕かな」
「余裕?」と金田が少し拍子抜けする。
「みんなプロになりたくて、必死にがんばっているその横で、もうプロになっているあたしがいるでしゅよ。これは余裕の極みでしゅ」
 金田が何度も相羽の顔を指差して、
「こ、こいつ、案外 性悪女じゃねーか! そんな目で今まで俺たちの事を見ていたのか!」
「と、思っていたけど」とゆっくりと両手を組んでその上にあごを乗せて、
「今では仲間が出来たみたいで毎日が楽しいでしゅよ」
 ホッと胸をなでおろして、八木は黒板の前まで戻りながら、
「良かったぁ。相羽さんは実行委員会に参加する事で、何かしらの心境の変化があったのね」
 相羽はまたタブレットに頬ずりをして見せて、
「ハルキ様の許しも出たことでしゅしね」
 金田は大きく腕を組んで、うんうんと頷いて見せながら、
「そっかー、やっぱ仲間の存在っていうのは偉大だなー。それだったらそのマリンだって俺たちのような仲間が出来れば」
「そう簡単には行かないみたいよ?」と雛形がマリンの漫画を読み進めながら、
「この漫画に出て来る主人公、赤木アンっていうクラスのマドンナは、壮絶ないじめの被害に遭って、登校拒否になって、たまたま見たムエタイの試合に感銘を受けて、そこからジムに入って死ぬほど努力をして、世界チャンピオンになっているし、この作品のいたる所にいじめに対する憎悪が感じられる。この本の作者は、この学校に相当なうらみを持っている」
 久遠は首のうらに手を当てて、
「まあ 作者近影の中で青山は この作品はフィクションである事を強調しているがな」
 教卓にどっしりと両手をついて、決心するような大声を使って、金田、
「よし決めた! 俺はこれからマリンの家へ行く!」
 えーっ! とみんなの驚きの声が上がる。
「そしてそいつに面と向かって実行委員会に参加するよう頼み込んでみる!」
 久遠は気を失いそうになりながら、
「お前 俺の話を聞いていなかったのか? 今回ばかりは今までと問題の質が違う。あまりにナイーブでデリケートな問題だ。お前の体当たり精神ではもうどうにもならない。ひょっとしたら、学校にも何らかの協力を得なければならない」
 それでも金田はゴジラが街を破壊するみたいに暴れて見せて、
「うっせー久遠! 俺はなんと言われようともマリンに会いに行く! 会いに行くったら会いに行くんだー!」
 八木がめまいを感じた人みたいによろめき近くの机に手をつく。


 色んなキャラクターのぬいぐるみが所狭しと置かれた女子の部屋、そのあちこちにバッテンがつけられた漫画の原稿が散らばっている。金田と八木と久遠の三人は、その部屋の中央に身を寄せて、借りて来た猫のように座っていた。
「なによ、あんたたち」
 デスクに向かい、カリカリとGペンを動かすマリン、そのピンク色のメガネに映る原稿が次々に描き上がって行く。
「まさか私に学校へ来いって言うんじゃないでしょうね」
 八木がハンカチで汗を拭きながら、
「案外、すんなり会ってくれたりして」
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