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クロスロード

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「なんだとー⁉ 映画の主演オファーを断るだとー⁉」
 でんとテーブルを打って、怒りをあらわにする田淵、その衝撃でカップからコーヒーがこぼれる。
 変装した倉木があわてて口の前に指を立て、
「ちょっと田淵さんー、しーッ」
 営業職の御用達の喫茶店、『ライト珈琲』、笑顔を交え会話していた客たちが、一斉に田淵たちの方を見る。
「そんなこと、許されるわけがないだろ、おうコラ倉木」
 ピキピキと青筋を立てて、ゆっくりと腕を組んで、ゆっくり足を組んで、必死に怒りをおさえる田淵。
「だーって、私はいま休養宣言中なんだし、学業の合間に映画の撮影なんて、到底できないと思って」
 両手でメガネを掛け直し、平然とそう言ってのける倉木。
「そんな悠長な事を言っている場合か! お前が主演という前提でもう映画制作は動き出している! 戸泉プロとの契約は今日取り交わす予定だし、契約金はなんと前払いで近々振り込まれる予定。そんな 学校なんて、休学でもなんでもすればいいだろう。それこそ、映画の撮影が終わったら、いくらでも復学すればいい」
「ダメだって」と小さくテーブルを叩く倉木、
「今は大事な時なの! いま私が休学したら、金田くんは、実行委員長の金田くんは、一人でC組の面倒を見なければならなくなる。猪突猛進のあの性格だから、すぐにカッとなって、すぐに暴走して、いろんな人とぶつかって C組のみんながバラバラになっちゃう」
 コツコツと田淵の指がテーブルを打ち始める。
「そうなると、卒業式までにシャンデリア・ナイトが開催できなくなって、リボルチオーネ高校創設以来の、前代未聞の不祥事へと発展してしまう。そうならないためにも、まあ今はとにかく大事な時なの。なんたって、まだ半分も学生が集まっていないというのに」
 田淵はこめかみに指を当て、イライラと声を震わせながら、
「学生がどうの、C組がどうのって、そんな話いまは関係ない。今は、ビジネスの話だ」
 しれっと人の目をぬすむようにカップに口を付ける倉木。
「おい倉木、お前の夢はなんだ。お前の夢は、映画の主演を務める事だって、雑誌の取材の中で語っていただろう。違うか?」
 通りかかったウエイトレスが、あ、といってこぼれたコーヒーを拭いて行く。それに軽く頭を下げながら、
「それは、そうだけど。映画の主演なんて、私にとって、この上ない光栄な話だけど。でもちょっと待ってって言っているの。今はできない。今はC組の実行委員の仕事があるから、とにかく、次の主演オファーまで待って」
 やかんのお湯が沸騰してその蒸気が鼻から吹き出すみたいに、田淵は怒髪天を衝く形相に変わって、
「ふざけんな てめー! いちアイドルの分際で、しかも超個人的な事情で、都合よく映画制作会社がお前に合わせて動いてくれると思っているのか!」
「ちょ、ちょっと、田淵さん」
 あわてて顔を伏せる倉木、店内すべての視線が倉木の体に突き刺さる。
 ヒソヒソした声で、
「アイドル?」
「あれ、あそこにいる人って、芸能人?」
 田淵は目を閉じて、またピキピキと青筋を立てて、
「いいか倉木。主演オファーというのはだな、正当な理由がない限り、それを断ったらもう二度と次のオファーは来ないものと思え。オファーを断らないやつだけが、最後まで仕事にありつける。お前より使えるタレントなんてこの業界ごまんといる」
「倉木?」と周囲がざわつき始める。
「あれ、倉木アイスじゃない? 休養宣言中の」
 たまらず倉木はバッグを手にし、そそくさとイスから立ち上がる。
「もーっ! みんなにバレちゃったってー!」
 そう言って倉木はバッグで顔を隠しながら走り出す。
「おいコラ待て! 話の途中だ!」
 目を三角にした田淵が、逃げるねずみでも捕まえるように両手を伸ばす。そこを倉木は弓のように体を反らせて、
「さよならー」
 カランコロンと店のドアが鳴ると、田淵はカツンとヒールの底で地団駄を踏む。
「あんのガキー、あたしがどれだけ苦労して仕事を取って来ていると思ってんだ、クソッ! 今回ばかりは絶対に許さんぞ!」
 店内の注目の的となった田淵、すぐに大勢の視線に気づき、キーッとそれらをにらみ返してその場を収める。


「とは言ってみたものの」
 ひと気のない、学校の屋上。
「実は私、迷っていたりして」
 八木の視線の向こうに、ロンシャンの礼拝堂のような、一風変わった屋根が森から顔を出している。
 はあとため息をついて、そのまま崩れるように手すりに頬をつけて、
「映画の主演かー、憧れるなー。子供の頃 お父さんに連れられて行った映画館、そこで観た主演女優の迫真の演技に、ポロポロと涙を流しながら映画を観ていたのを覚えている。私もいつか、人に感動を与える演技ができたらいいなあって、小さな胸をトキめかせていた。それをまさかこのタイミングで、こんなビッグチャンスが」
 天文台の向こうの屋上から、学生たちの楽しそうな声が聞こえて来る。
「しかもあの、ミリオンセラー作家の西野さんの代表作だっていうんだから、映画は間違いなくヒットする。どんな俳優だって、どんなタレントだって、脇役でもいいからお願いしますって、頭を下げるようなビッグタイトルよ。それを、私が、主演? こんな夢みたいな話、迷わないわけがないじゃない」
 シャンデリア城の高い窓に、巨大なシャンデリアの一部が見えて、そこへ重ねるように空と雲が映っていた。
「今から四年前、私たちの代のシャンデリア・ナイトで、一夜にして誕生したアイドル、倉木アイス。彼女が映画『コスモ・ブリザラス』の主演を演じきって、華々しく一流アイドルの座につくのか、それとも二度と主演オファーのない三流アイドルに成り下がるのか、ここがターニングポイント、か」
『倉木! お前は絶対にアイドルのトップに立て!』
 頭の中に息を切らせた男の声が聞こえて来た。
『いいな、俺に構うな! お前はただ前だけを見て進め! お前は、俺たちC組の、希望の光だ! 俺は、後から行く。こんな事をしてしまって、無事に済むとは思えない。あいつらが、これで引き下がるとは思えない。
 大丈夫だ、安心しろ。俺は後から行く。必ず行く。だから、先にアイドルの頂点に立って俺の事を待っていてくれ』
 両肩をつかまれた感覚がよみがえり、八木は一人肩を抱いてうずくまる。
「涼真……くん」
 苦悶の表情を浮かべる倉木、コツコツと、そこへヒールでコンクリートを打つ音が聞こえて来る。
「うーん、やっと秋らしい空になったわね」
 あわてて涙を拭いて、チラリと後ろを振り返る八木、そこには水色の空に照らされた天海の姿が。
「今年の残暑は厳しかったわー。校長室のエアコンの調子が悪くて、ホント困った」
「校長……先生」
 キラキラとまぶしいアマケースマイルを見せて、天海は長い髪を手で梳く。
「珍しいわね、こんな誰も来ないような所に一人で。どうかした?」
 八木のまゆの位置が下がる。
「ちょっと、考え事を」
 倉木の所まで歩いて来て、ゆっくりと手すりに背中をつける天海。
「ふーん、完全無欠のスーパーアイドルにも、悩みはあるものなのね」
 ゴォォォーッと、飛行機の音が上空を移動して行く。
「校長先生。あの、ひとつ質問してもいいですか?」
「? なに」
 八木はぐっと天海に顔を近づけて、
「校長先生は、仕事とプライベート、どちらを優先させますか?」
 天海の眉が上がる。
「お、難しい質問! そうねー、私の場合はー、まあ仕事だわね」
「仕事」
「そ。女優というのはね、絶対にチャンスをモノにする。どんな小さな仕事でも、どんなヒールな悪役でも、不満一つ口にせず完璧な演技を見せる。たとえ道端を通り掛かるエキストラだったとしても、与えられた役目をきっちりと果たして、その作品の一助を担う。毎日たゆまなく自分磨きをして、チャンスが到来した時には自己最高のパフォーマンスを発揮する」
 八木はハンカチで汗を拭きながら、
「さ、さすがはプロフェッショナル」
 二人の間に妙な空気が漂う。
「どうした? もしかしてやりたくない仕事でも来た?」
 八木は手すりにあごをつけて、しんねりと、
「えーと、そういうわけではないんですけど」
「?」
 視界の端に強い視線を感じて、あさっての方角を向く八木。
「えーとー、『コスモ・ブリザラス』という小説の映画化の話があって、その主演オファーが私の所に来ているんですよねー」
 ふーん そう、と涼しい顔を見せていた天海、急に血相を変えて、
「え」
「やっぱり、数か月は休学して、仕事の方を優先させた方がいいのかな」
 八木の顔に影がつくほど天海は相手に顔を近づけて、
「倉木さん」
「は、はい?」
 さらに天海は顔を接近させて、
「その仕事、お断りしなさい」
「は?」
 八木の頭に大きなハテナマークが浮かぶ。
「いいから、そのオファーは辞退するの」
「え? え? だって、女優は絶対にチャンスをモノにするって」
 天海は八木の肩をがっちりとつかんで、
「いまあなたがやるべき事はなに? いまあなたがやるべき事は、副委員長として、委員長の金田くんを支えながら、C組をシャンデリア・ナイトへと導くこと。その道半ばで、そんな中途半端な気持ちで、主演という大役は務まりません。女優とは、そんな片手間に出来るほど甘いモノではありません」
「は、はあ、」と困惑した上目遣いを見せる八木。
「いい? 分かった? そのオファーはしっかりとお断りして、そして、監督にこう言うのです。私の代役は、ぜひ天海景子でお願いしますと」
「はあ?」
 アホ毛を出して、目が点になる八木。
「そう、『コスモ・ブリザラス』の主演は、天海景子しかいない! 私はずーっと戸泉プロダクションの動向をうかがっていた。そして遂に、このチャンスが巡って来た。私はこの主演を絶対にモノにする!」
 大きくにぎり拳をつくって、背中に炎を上げて見せる天海。
「あ、あのー、この作品って、女子高生が主役なんですけど」
 人の話など耳も貸さず、天海は瞳の中に炎を見せて、
「久しぶりの主演、もらった!」
 八木はがっくりと肩を落とし、ひゅーっと秋の風に吹かれながら、
「もう、相談するんじゃなかった」
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