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休養宣言撤廃⁉
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はむっとコロッケにかぶり付き、幸せそうに口を動かす里子、すぐに何かに気づいて目を見張る。
「どうしたの、その顔」
「え? これ?」と金田は赤い頬を指差す。
「ちがう、日焼け」
「あー、これ。これは……先週 ちょっと海へ行って来た」
日に焼けた顔をニッと笑わせる金田。
「海?」
「そう 海。海水浴に行って来た」
里子は指についた油をキレイに拭き取りながら、
「いいなー、海。あたしも行きたかったな」
金田は相手の顔の前に指を立てて、それを左右に振って、
「ノンノンノン、遊びで行ったわけじゃない。これも委員長のつとめというやつ。くっだらねー理由から実行委員会をボイコットするやつがいてよー、そいつの要求を飲んで俺は一日中そいつの言いなりになっていた」
「なにそれ!」と里子は一つ身を乗り出す。
この病院は空調が完備され、室温を一定に保つよう環境が整備されていた。しかしあまりの残暑の厳しさに、あちこちのテーブルでうちわを扇ぐ人の姿が。
「………というわけ。ったく、大変な一日だったなー」
事のあらましを話し終え、金田がコロッケの山へ手を伸ばす。
「ふーん、そんな事があったんだー。同級生からデートをお願いされるなんて、金田くんやっぱりモテるのね」
のどを詰まらせそうになる金田、
「モテねーって! 雛形みたいな変わり者しか寄って来ねーって。あ、言っちゃった」
ティッシュで口のまわりを拭きながら、里子はからかうような口ぶりで、
「ふーん、それで、その雛形という子とは本当にキスしちゃったの?」
「されたのぉ!」とイスを倒して金田が立ち上がる。
談話室が一瞬静かになって、金田はこほんと咳払いをしてから、
「俺は被害者なんだからな。あのやろー人のことを騙しやがって。倉木アイスのいい写真が撮れたって言うから俺はあいつのケータイを覗き込んだんだぜ? そしたらあいつ、不意打ちしやがって」
里子は横を向いて薄目を見せて、
「へえ。で、その子にキスされちゃった」
「キスったって、口じゃねーぞ! ココだからな、ココ」と金田は頬を指差す。
その時自販機近くの観葉植物がカサカサと揺れた。
「?」
顔を戻し、続きのコロッケを食べる金田。すると里子が不思議そうな顔を見せて、
「そのアザ、どうしたの?」
「え? これ?」と金田が左の頬を指差す。
「そう。赤くなっている。もしかしてケンカでもした?」
金田は妙にそわそわし出し、ガタガタとイスを里子の隣に移動させると、人目をはばかるようにそっと里子に顔を近づける。
「ちょっと、いいか?」
「えっ? なになに?」とうっすら頬を赤らめる里子。
非常に言いづらそうに、金田は言葉を選びながら、
「あのー、女ってさ、君たち女の子ってさ、いきなり機嫌が悪くなって、問答無用で人をぶったりするの?」
「はあ?」
人差し指を立てて、視線を天井へあげて、
「えーと、つまり、昨日まで何事もなく話していたのに、次の日になったら急にこう」と人差し指を使って吊り上がった眉を表現する金田。
両手で口を押さえ、里子が思わず吹き出す。
「なにそれ、どういうこと?」
「だからー、普通に過ごしていたら、次の日になったら急に口も利いてくれなくなって、おかしいなと思って何度もそのワケを聞いていたら、いきなりビンタされた。そういう事って、今までした事ある?」
腫れ物にでも触るように、金田は片目をつむって頬に触れる。
「ふーん、そのアザ、ケンカじゃなかったんだ」
「ケンカじゃないけど、ケンカみたいな殺気を感じた」
里子が残ったコロッケを容器に戻しながら、
「それはきっと、金田くんがその子を傷つけるような事を言ったり、したり、したんじゃない? 気が付かなくても、相手が傷ついている事って、結構ある話だから。特に金田くんは、思った事を平気で口にするタイプだし」
金田は首の後ろに手を置いて、
「俺、なんか言ったかなー、ぜんっぜん 思い当たる節がない」
「もしかして、金田くんをピンタした女の子って、海でデートした子?」
「ちがう」と金田は即答する。
里子は斜め上にある点滴を確認してから、
「ふーん、そう。見た目が不良っぽくて、ちょっと怖い感じの金田くんに、それだけ思いっきりピンタするなんて、その子、ただ者じゃないわね」
観葉植物がまたカサカサと揺れる。
「?」
ジョン・レノン愛用のボストンメガネ、それに大きめのバケットハットをかぶって、颯爽とエレベーターの中へ乗り込む倉木。
「なーんだ。金田くん、あの時キスしていなかったんだー」
本日の倉木の変装は、八木里子のそれではなく、芸能人が大衆にまぎれる程度のもので。
「よく話も聞かないで、いきなりひっぱたいたりして、悪い事しちゃったなー。金田くん、ひどく困っている様子だった」
カレッジロゴスウェットの下に、プリーツミニを穿いて、倉木は鏡の前で一回転して見せる。
「それにしても、事務所に来るのってホント久しぶり。ずっと学校ばかり通っていたから、下手したら半年ぶりになるかも」
チンといってエレベーターがひらくと、彼女の所属事務所、『スマイル・バッファローズ』の曲がった角のロゴと、カフェテラスのようなおしゃれな談話スペースが見えた。
「変わってない。あ でも、物販コーナーが大きくなっている」
コツコツとヒールの音を立てて、そのまま受付の所まで歩いて行く倉木、『野口』とネームプレートを付けた受付嬢が顔を上げた。
「こんにちはー」
「あー、お久しぶりです倉木さん! お元気していました?」
あちこち見回しながら、倉木が受付カウンターに寄り掛かって、
「なんか、妙に懐かしい。みんな、変わりありません?」
「はーい みなさん 相変わらず元気です。変わった事と言えば、この春から私にも後輩ができたんですよー。その子、倉木さんの大ファンだって言ってましたから、残念だったなー、せっかく倉木さんがお見えになった日に休暇を取るなんて」
野口はあっと言って電話に手を置く。
「あの、社長 呼びます?」
あわてて倉木は両手を前に出す。
「いえいえ、ちょっと書類を届けに来ただけですから、終わったらすぐに帰ります」
その時野口が倉木に顔を近づけて、そっと耳元で、
「あの、あそこ、窓際の席にゆんゆさんがいます」
「えっ」と倉木は帽子を上げて後方を確認する。
「なんで、どうして彼女がうちの事務所に?」
ゆっくりと野口は小首を傾げて、
「さぁー、朝からずっとあそこにいるんです。見ての通り変装なさっているから、ちょっと声も掛けづらくて」
スカイツリーが大きく見える都会の窓に、一人ポツンとゆんゆの背中が。
「この間お世話になったから、ちょっと挨拶して来よ」
後ろ手に組んで倉木がテーブルの間を歩いて行くと、ゆんゆが携帯電話のゲームに夢中になっているのが見えた。
「ゆんゆさん?」
ハッとして、あわてて携帯電話の画面を隠すゆんゆ。
「先日はどーも、色々とお世話になりました」
「アハ、アハハハハ、奇遇ね、倉木アイス」
伊達メガネを掛けて、初めて見るような下ろし髪スタイルのゆんゆ。
「奇遇? あの ここ、私の事務所なんだけど」
首を伸ばして、フロアの人数を数えるみたいにしっかりと周囲を確認してから、
「こ、この間は悪かったわね。ダンスの審査員を頼まれていたのに、途中で逃げ、……退席しちゃって。急にお腹が痛くなっちゃって」
倉木は目を大きくして、小さく横へ手を振る。
「あーそのこと、ぜんぜん、私 気にしていないから。こちらこそ、あれからフェスに戻るのが遅くなっちゃって、ごめんなさいね」
「…………………」
倉木は急に真顔になって、パチパチとまばたきをくり返す。
「もしかしてゆんゆさん、その事を謝りにここへ?」
「まさか!」バンとテーブルを叩いて、
「誰があんたに頭を下げにわざわざここまで」
とその時、チンといってこの階にエレベーターが到着する。会社のロゴの角の裏から二色の髪が見えて、間もなくキョロキョロと顔を動かすリクルの姿が。
「あー いたいたー、まさかこんな所にいたとは」
その声を聞いて、とっさに倉木の背中に隠れるゆんゆ。
「ちっ、どうしてここが。ライバル事務所ならぜったいにバレないと思ったのに」
ロゴTシャツにつなぎとラフな格好をしたリクルが、テーブルを避けながら二人の所へやって来る。
「あれー? そこにいるのは休養宣言中の倉木アイスじゃない。事務所に来ているって事は、とうとう復活した?」
「いえ、あの、ちょっと書類を届けに」とやや緊張した面持ちの倉木。
リクルはリラックスした様子で倉木を眺め、それから腰に手を置いて、
「ふーん、どこも体が悪いようには見えないけど。ま、休みたい時は休むのが一番。それよりも、おいゆんゆ、早く事務所に戻って来いよー、社長がカンカンだぞ」
倉木を盾にして、ひょっこり顔を出すゆんゆ、
「だから帰りたくないのー! あの鬼ババアにつかまったら、何時間説教されるか分かんない」
「自分の親を鬼ババア呼ばわりするか 普通。ああ見えて社長はすごいお方なんだぞ? 説教だなんて言ってないで、早くその甘えた頭に芸能界のおきてを叩き込んでもらえ」
「やーだよー」
ゆんゆはべーと舌を出して顔をそむける。
倉木が不思議そうな顔をしていると、
「お、そっか、倉木は何も知らないんだった。ま、倉木も無関係というわけでもないから、教えてあげる。
実はね、この間のフェスでゆんゆが審査員をやっていたんだけど、知っての通りこいつ途中でとんずらこきやがって、それを知ったゆんゆの母親、うちの社長の権堂トーコが大激怒しちゃってさ。アイドルたるもの、どんな仕事でも逃げずにやり遂げる、ていうのが昔気質の社長のモットーでさ、審査員の仕事の途中で逃げるなんて、言語道断だって、娘に芸能界の厳しさを再教育するって、鼻息が荒いのなんのって」
「あー、なるほど そういうこと」
ポンと倉木が手を打つと、その後ろでゆんゆが小さく腕を組んであごに指を当てる。
「だけど、なんでママがあの日の事を知っているんだろう? フェスにはサプライズ出演で、マネージャーにも内緒にしていたのに」
リクルはにへらにへらと笑って、
「あたしがチクった」
突進して来るゆんゆの頭を押さえ、両腕を振り回して来る相手の攻撃を全てかわすリクル。
「あたしは絶対に戻らないから! 徹底的にママから逃げる!」
「んなわけにいかないって。ほら捕まえた」とリクルはゆんゆをヘッドロックして、
「お前が頭を下げないと社長の機嫌が良くならないんだよ。みんなに当たり散らしてホント迷惑しているの あたしら。ほら行くよ」
「えーん」
エレベーターの前までゆんゆが引きずられて行くと、それを追い掛けて行って倉木がさっと帽子を取る。
「あの、春名さん!」
大きな目をして振り返るリクル。
「この間はありがとうございました! 私、自分勝手にフェスを抜け出して、そして、戻るのが遅くなってしまって、本当にご迷惑をおかけしました」
そう言って倉木が大きく頭を下げる。
「え、あ、いーってそういうの。別にあたしそういうの気にしないから。あの時倉木にはフェスを抜け出すほどの大事な用事があったんでしょう?」
「え」
倉木の頭に金田の顔が浮かぶ。
「次にあたしが逢引きする時は、よろしくねー」
ニカッと笑ったリクルの顔がエレベーターの中に消える。
「あ、ちょっと」
エレベーターの扉が閉まると、騒がしかった談話室に静寂が戻る。
「そんなんじゃ、ないのに、もう」
その場に倉木が立ち尽くしていると、奥から田淵が大股で歩いて来る。
「おー、おー、表が騒がしいと思ったら 珍しく倉木が来てるじゃないか。どうした? 休養宣言撤廃に来たのか?」
倉木はハンカチで汗を拭きながら「みんな同じことを」と困ったように笑う。
田淵が次に何か言おうとすると、突然彼女の携帯電話が鳴った。着信画面を見て、お、と驚いた表情を見せる田淵。
「これもまた珍しい、『戸泉プロ』から電話だ。はい もしもし、あー、いつもお世話になっております、スマイル・バッファローズの田淵でございます」
倉木はハアとため息をついて、近くのイスに腰を下ろす。
「いーえ、とんでもない、あんなの、ほんの気持ちですからー、ええ、お気になさらずに。え? いやですよー、そんな事ありませんって、御社のご協力があったからこそ、頂戴した賞なんですからー」
その場から離れようとする倉木の肩をつかみ、怖い顔を見せる田淵。
「はあ、そう、ですけど、え? それって、監督がおっしゃっているんですか? その、はい、はい、あーだって、それはどうとでも。
えーっ⁉」
倉木と野口が顔を合わせてまばたきをくり返す。
田淵は電話をしながら恐縮して何度も頭を下げる。
「本当ですか⁉ それはもちろん、はい、まったく問題ありません、休養宣言なんて、あんなのウソですから。ええ、それはまったく、問題ありません。ぜひとも、ぜひともその話受けさせて頂きます! あー分かっております、正式には全体会議の後で。はい、はい、それでは、一旦失礼しまーす」
電話を切ると、田淵は一瞬縮こまって、そこから飛び上がるように倉木に抱き着く。
「喜べ 倉木! お前がずーっと夢見て来た、映画の主演が決まったぞ! しかも西野圭六のベストセラー小説『コスモ・ブリザラス』の主演だぞ!」
野口がぴょんぴょんと飛び上がって拍手する。
「え?」
眉をひそめて、激しくマネージャーに抱かれる倉木。
「もう学校で遊んでいる場合じゃない! 何が副委員長だ! 何がシャンデリア・ナイトだ! 休養宣言は即時撤廃! 倉木アイスはこれより女優業に専念するのだ!」
「えーっ⁉ ちょ、ちょっと!」
「どうしたの、その顔」
「え? これ?」と金田は赤い頬を指差す。
「ちがう、日焼け」
「あー、これ。これは……先週 ちょっと海へ行って来た」
日に焼けた顔をニッと笑わせる金田。
「海?」
「そう 海。海水浴に行って来た」
里子は指についた油をキレイに拭き取りながら、
「いいなー、海。あたしも行きたかったな」
金田は相手の顔の前に指を立てて、それを左右に振って、
「ノンノンノン、遊びで行ったわけじゃない。これも委員長のつとめというやつ。くっだらねー理由から実行委員会をボイコットするやつがいてよー、そいつの要求を飲んで俺は一日中そいつの言いなりになっていた」
「なにそれ!」と里子は一つ身を乗り出す。
この病院は空調が完備され、室温を一定に保つよう環境が整備されていた。しかしあまりの残暑の厳しさに、あちこちのテーブルでうちわを扇ぐ人の姿が。
「………というわけ。ったく、大変な一日だったなー」
事のあらましを話し終え、金田がコロッケの山へ手を伸ばす。
「ふーん、そんな事があったんだー。同級生からデートをお願いされるなんて、金田くんやっぱりモテるのね」
のどを詰まらせそうになる金田、
「モテねーって! 雛形みたいな変わり者しか寄って来ねーって。あ、言っちゃった」
ティッシュで口のまわりを拭きながら、里子はからかうような口ぶりで、
「ふーん、それで、その雛形という子とは本当にキスしちゃったの?」
「されたのぉ!」とイスを倒して金田が立ち上がる。
談話室が一瞬静かになって、金田はこほんと咳払いをしてから、
「俺は被害者なんだからな。あのやろー人のことを騙しやがって。倉木アイスのいい写真が撮れたって言うから俺はあいつのケータイを覗き込んだんだぜ? そしたらあいつ、不意打ちしやがって」
里子は横を向いて薄目を見せて、
「へえ。で、その子にキスされちゃった」
「キスったって、口じゃねーぞ! ココだからな、ココ」と金田は頬を指差す。
その時自販機近くの観葉植物がカサカサと揺れた。
「?」
顔を戻し、続きのコロッケを食べる金田。すると里子が不思議そうな顔を見せて、
「そのアザ、どうしたの?」
「え? これ?」と金田が左の頬を指差す。
「そう。赤くなっている。もしかしてケンカでもした?」
金田は妙にそわそわし出し、ガタガタとイスを里子の隣に移動させると、人目をはばかるようにそっと里子に顔を近づける。
「ちょっと、いいか?」
「えっ? なになに?」とうっすら頬を赤らめる里子。
非常に言いづらそうに、金田は言葉を選びながら、
「あのー、女ってさ、君たち女の子ってさ、いきなり機嫌が悪くなって、問答無用で人をぶったりするの?」
「はあ?」
人差し指を立てて、視線を天井へあげて、
「えーと、つまり、昨日まで何事もなく話していたのに、次の日になったら急にこう」と人差し指を使って吊り上がった眉を表現する金田。
両手で口を押さえ、里子が思わず吹き出す。
「なにそれ、どういうこと?」
「だからー、普通に過ごしていたら、次の日になったら急に口も利いてくれなくなって、おかしいなと思って何度もそのワケを聞いていたら、いきなりビンタされた。そういう事って、今までした事ある?」
腫れ物にでも触るように、金田は片目をつむって頬に触れる。
「ふーん、そのアザ、ケンカじゃなかったんだ」
「ケンカじゃないけど、ケンカみたいな殺気を感じた」
里子が残ったコロッケを容器に戻しながら、
「それはきっと、金田くんがその子を傷つけるような事を言ったり、したり、したんじゃない? 気が付かなくても、相手が傷ついている事って、結構ある話だから。特に金田くんは、思った事を平気で口にするタイプだし」
金田は首の後ろに手を置いて、
「俺、なんか言ったかなー、ぜんっぜん 思い当たる節がない」
「もしかして、金田くんをピンタした女の子って、海でデートした子?」
「ちがう」と金田は即答する。
里子は斜め上にある点滴を確認してから、
「ふーん、そう。見た目が不良っぽくて、ちょっと怖い感じの金田くんに、それだけ思いっきりピンタするなんて、その子、ただ者じゃないわね」
観葉植物がまたカサカサと揺れる。
「?」
ジョン・レノン愛用のボストンメガネ、それに大きめのバケットハットをかぶって、颯爽とエレベーターの中へ乗り込む倉木。
「なーんだ。金田くん、あの時キスしていなかったんだー」
本日の倉木の変装は、八木里子のそれではなく、芸能人が大衆にまぎれる程度のもので。
「よく話も聞かないで、いきなりひっぱたいたりして、悪い事しちゃったなー。金田くん、ひどく困っている様子だった」
カレッジロゴスウェットの下に、プリーツミニを穿いて、倉木は鏡の前で一回転して見せる。
「それにしても、事務所に来るのってホント久しぶり。ずっと学校ばかり通っていたから、下手したら半年ぶりになるかも」
チンといってエレベーターがひらくと、彼女の所属事務所、『スマイル・バッファローズ』の曲がった角のロゴと、カフェテラスのようなおしゃれな談話スペースが見えた。
「変わってない。あ でも、物販コーナーが大きくなっている」
コツコツとヒールの音を立てて、そのまま受付の所まで歩いて行く倉木、『野口』とネームプレートを付けた受付嬢が顔を上げた。
「こんにちはー」
「あー、お久しぶりです倉木さん! お元気していました?」
あちこち見回しながら、倉木が受付カウンターに寄り掛かって、
「なんか、妙に懐かしい。みんな、変わりありません?」
「はーい みなさん 相変わらず元気です。変わった事と言えば、この春から私にも後輩ができたんですよー。その子、倉木さんの大ファンだって言ってましたから、残念だったなー、せっかく倉木さんがお見えになった日に休暇を取るなんて」
野口はあっと言って電話に手を置く。
「あの、社長 呼びます?」
あわてて倉木は両手を前に出す。
「いえいえ、ちょっと書類を届けに来ただけですから、終わったらすぐに帰ります」
その時野口が倉木に顔を近づけて、そっと耳元で、
「あの、あそこ、窓際の席にゆんゆさんがいます」
「えっ」と倉木は帽子を上げて後方を確認する。
「なんで、どうして彼女がうちの事務所に?」
ゆっくりと野口は小首を傾げて、
「さぁー、朝からずっとあそこにいるんです。見ての通り変装なさっているから、ちょっと声も掛けづらくて」
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「この間お世話になったから、ちょっと挨拶して来よ」
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「ゆんゆさん?」
ハッとして、あわてて携帯電話の画面を隠すゆんゆ。
「先日はどーも、色々とお世話になりました」
「アハ、アハハハハ、奇遇ね、倉木アイス」
伊達メガネを掛けて、初めて見るような下ろし髪スタイルのゆんゆ。
「奇遇? あの ここ、私の事務所なんだけど」
首を伸ばして、フロアの人数を数えるみたいにしっかりと周囲を確認してから、
「こ、この間は悪かったわね。ダンスの審査員を頼まれていたのに、途中で逃げ、……退席しちゃって。急にお腹が痛くなっちゃって」
倉木は目を大きくして、小さく横へ手を振る。
「あーそのこと、ぜんぜん、私 気にしていないから。こちらこそ、あれからフェスに戻るのが遅くなっちゃって、ごめんなさいね」
「…………………」
倉木は急に真顔になって、パチパチとまばたきをくり返す。
「もしかしてゆんゆさん、その事を謝りにここへ?」
「まさか!」バンとテーブルを叩いて、
「誰があんたに頭を下げにわざわざここまで」
とその時、チンといってこの階にエレベーターが到着する。会社のロゴの角の裏から二色の髪が見えて、間もなくキョロキョロと顔を動かすリクルの姿が。
「あー いたいたー、まさかこんな所にいたとは」
その声を聞いて、とっさに倉木の背中に隠れるゆんゆ。
「ちっ、どうしてここが。ライバル事務所ならぜったいにバレないと思ったのに」
ロゴTシャツにつなぎとラフな格好をしたリクルが、テーブルを避けながら二人の所へやって来る。
「あれー? そこにいるのは休養宣言中の倉木アイスじゃない。事務所に来ているって事は、とうとう復活した?」
「いえ、あの、ちょっと書類を届けに」とやや緊張した面持ちの倉木。
リクルはリラックスした様子で倉木を眺め、それから腰に手を置いて、
「ふーん、どこも体が悪いようには見えないけど。ま、休みたい時は休むのが一番。それよりも、おいゆんゆ、早く事務所に戻って来いよー、社長がカンカンだぞ」
倉木を盾にして、ひょっこり顔を出すゆんゆ、
「だから帰りたくないのー! あの鬼ババアにつかまったら、何時間説教されるか分かんない」
「自分の親を鬼ババア呼ばわりするか 普通。ああ見えて社長はすごいお方なんだぞ? 説教だなんて言ってないで、早くその甘えた頭に芸能界のおきてを叩き込んでもらえ」
「やーだよー」
ゆんゆはべーと舌を出して顔をそむける。
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「あー、なるほど そういうこと」
ポンと倉木が手を打つと、その後ろでゆんゆが小さく腕を組んであごに指を当てる。
「だけど、なんでママがあの日の事を知っているんだろう? フェスにはサプライズ出演で、マネージャーにも内緒にしていたのに」
リクルはにへらにへらと笑って、
「あたしがチクった」
突進して来るゆんゆの頭を押さえ、両腕を振り回して来る相手の攻撃を全てかわすリクル。
「あたしは絶対に戻らないから! 徹底的にママから逃げる!」
「んなわけにいかないって。ほら捕まえた」とリクルはゆんゆをヘッドロックして、
「お前が頭を下げないと社長の機嫌が良くならないんだよ。みんなに当たり散らしてホント迷惑しているの あたしら。ほら行くよ」
「えーん」
エレベーターの前までゆんゆが引きずられて行くと、それを追い掛けて行って倉木がさっと帽子を取る。
「あの、春名さん!」
大きな目をして振り返るリクル。
「この間はありがとうございました! 私、自分勝手にフェスを抜け出して、そして、戻るのが遅くなってしまって、本当にご迷惑をおかけしました」
そう言って倉木が大きく頭を下げる。
「え、あ、いーってそういうの。別にあたしそういうの気にしないから。あの時倉木にはフェスを抜け出すほどの大事な用事があったんでしょう?」
「え」
倉木の頭に金田の顔が浮かぶ。
「次にあたしが逢引きする時は、よろしくねー」
ニカッと笑ったリクルの顔がエレベーターの中に消える。
「あ、ちょっと」
エレベーターの扉が閉まると、騒がしかった談話室に静寂が戻る。
「そんなんじゃ、ないのに、もう」
その場に倉木が立ち尽くしていると、奥から田淵が大股で歩いて来る。
「おー、おー、表が騒がしいと思ったら 珍しく倉木が来てるじゃないか。どうした? 休養宣言撤廃に来たのか?」
倉木はハンカチで汗を拭きながら「みんな同じことを」と困ったように笑う。
田淵が次に何か言おうとすると、突然彼女の携帯電話が鳴った。着信画面を見て、お、と驚いた表情を見せる田淵。
「これもまた珍しい、『戸泉プロ』から電話だ。はい もしもし、あー、いつもお世話になっております、スマイル・バッファローズの田淵でございます」
倉木はハアとため息をついて、近くのイスに腰を下ろす。
「いーえ、とんでもない、あんなの、ほんの気持ちですからー、ええ、お気になさらずに。え? いやですよー、そんな事ありませんって、御社のご協力があったからこそ、頂戴した賞なんですからー」
その場から離れようとする倉木の肩をつかみ、怖い顔を見せる田淵。
「はあ、そう、ですけど、え? それって、監督がおっしゃっているんですか? その、はい、はい、あーだって、それはどうとでも。
えーっ⁉」
倉木と野口が顔を合わせてまばたきをくり返す。
田淵は電話をしながら恐縮して何度も頭を下げる。
「本当ですか⁉ それはもちろん、はい、まったく問題ありません、休養宣言なんて、あんなのウソですから。ええ、それはまったく、問題ありません。ぜひとも、ぜひともその話受けさせて頂きます! あー分かっております、正式には全体会議の後で。はい、はい、それでは、一旦失礼しまーす」
電話を切ると、田淵は一瞬縮こまって、そこから飛び上がるように倉木に抱き着く。
「喜べ 倉木! お前がずーっと夢見て来た、映画の主演が決まったぞ! しかも西野圭六のベストセラー小説『コスモ・ブリザラス』の主演だぞ!」
野口がぴょんぴょんと飛び上がって拍手する。
「え?」
眉をひそめて、激しくマネージャーに抱かれる倉木。
「もう学校で遊んでいる場合じゃない! 何が副委員長だ! 何がシャンデリア・ナイトだ! 休養宣言は即時撤廃! 倉木アイスはこれより女優業に専念するのだ!」
「えーっ⁉ ちょ、ちょっと!」
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④掛川くんは今日もいる。
☆優等生の天宮百合は、ある秘密を抱えながら学園生活を送っていた。
放課後はお気に入りの図書室で過ごしていると、学年トップのイケメン不良_掛川理人が現れて──。
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