アイドルと七人の子羊たち

くぼう無学

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絶対にアイドルが口にしちゃダメなやつ

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 ステージ中央へ向かって、同時に三人がムーンサルトを決めると、会場は割れんばかりの歓声に包まれる。
 興奮した司会者が飛んで来て、顔の前で大きな拍手を見せる。
「いやー最高っ! これぞ『ドラゴン・コロッセオ』! また一段と技に磨きが掛かった感じですね!」
 勢いよく帽子を投げ捨て、激しいハイタッチを見せるダンサーたち。
「どれだけ技が繰り出されたか、もう数え切れませんでしたねー! え? なに? おーっと、スタッフの一人が技の数を数えていたようです、繰り出された技の数は驚愕の六十三回だそうです」
 おー、と会場に驚きの声が上がる。
「それではみなさんお待ちかね、採点のお時間です、さっそく見て行きましょうかー、ゆんゆさん、お願いします」
 インカムを付けたスタッフがステージ下を走って行く。
「あれ? ゆんゆさん?」
 背伸びをしたり、屈んだり、しながら 審査員席の方へと司会者が歩いて行く。
「席を外している、みたいですね。体調でも崩されましたかねー」
 会場のあちこちから困惑の声が上がる。その後ろにあるミキシング・コンソールで、同じく席を外していた田淵が ポン太の隣に戻りながら、
「あーあ、逃げ出しちゃった? 無理もない、ダンスの知識ゼロのゆんゆにダンスの審査員をやれだなんて、酷だよねー。可哀そうな事したわー」
「どこへ行っていた?」
 棒つきキャンディーをしゃぶりながら、ポン太が田淵を見上げる。
「おかしいんですよねー、あの子ったら一体どこへ行ったのかしら」
 ポン太は豪快に笑いながら、
「飽きたか」
「いえいえ! うちの子にそんな無責任な子はいません。仕事はきっちりと最後までやらせていただきます。きっと、なにかトラブルでもあったんでしょう」
 その時 左右で髪の色が違う娘が田淵の肩に手を置いて、
「ひゅー、田淵さん間に合ったー?」
 驚いた田淵の顔が上がる。
「びっくりしたー! もう(会場に)着いたの⁉」
 クリッとした目を愛らしく瞬きして、
「緊急事態なんでしょう? すぐに撮影引き上げてきちゃった」
 ド派手で未来的なサングラスにスーパーアイドルの横顔を映して、ポン太、
「こりゃ驚いた。春名リクルじゃねーか。おいありさぁ、どんなきたねー手ぇ使ったんだ?」
「汚いって、失礼しちゃう。ダメ元で連絡したんですよ、神頼みってやつ。そしたらたまたまリクルが近くのスタジオで仕事していて」
 得意そうな顔をしてリクルが腕を組む。
「倉木が行方不明だってー? ふーん 面白いじゃん。今回あたしが手をかすわ」
 田淵が深々と頭を下げて、
「ゆんゆがとんずらしちゃったみたいだから、この通り、お願いね」
「オーケー」と言ってもう背中を見せながら、
「次にあたしが行方不明になった時は頼むわねー」
 スタッフが走って来て低い姿勢でリクルを連れて行く。
 それをいつまでも見送りながら、ポン太がひと言、
「倉木とリクルって、貸し借りするほど仲ぁ良かったか?」
 田淵が加熱式タバコを咥えながら、
「世間的には、仲は良くないです。一回も共演はした事がない。というのもですね、倉木が一方的にリクルに憧れているんです。天才だって、リクルは芸術の才能まで持っているって、いろんな取材で正直にそう答えている。
 だって、春名リクルと言えば シンガーソングライターでありながら、その美貌はモデル顔負け。アメリカでの武者修行もあって、帰国後に発売された『因数文怪恋愛学』のアルバムが日本ゴールドディスク大賞を受賞、同じ年に世界で最も美しい顔ベスト一〇〇人の七位に入るなど、天は二物を与えたと、芸能界から賞賛の嵐、倉木はそんな彼女に憧れるのもうなずけます。そこをリクルは知っていて、わざと倉木と距離を置いている。二人が仲良くなるのが、倉木のためにならないって、倉木の良い所が出なくなるって、あたしにこっそり共演NGを出している。内心とても倉木の事を気に掛けているくせに」
 金のソバージュをかき上げて、わしゃわしゃと後ろへ流すポン太、
「分かんねーな、そういうの。つべこべ言ってねーで、パーッと飲みに行けばいいだろう?」
「そう簡単なものではないんですよ、二人とも、背負っているものが大きいから」
 目の前の会場が歓喜に沸く。ポン太が頭の後ろで手を組んで、
「お、さっそくリクル様のお出ましだ。それにしても歓声が段違いだ。こりゃ倉木も遊んでいる場合じゃねーぞ」
 リクルの登場に司会者もテンションマックスでステージを走り回る。
「な、なーんと、春名リクルさんが飛び入り参加してくれましたー! 聞いてませんよ、ホント! 私、実はリクルさんの大ファンで、アルバムは全部持っているんですよー。あ、握手してもらっていいですか?」
 マイクを持った手であちこちに手を振るリクル。
「みなさん、これぞ正にビッグ・サプライズでーす♪」
 カカカと笑って、ポン太、
「ビッグ・サプライズだってよ、ありさ」


「なーんて、ステキなビーチなんだろう」
 ン~と言って八木が青空に背伸びを見せる。
「こういうのを天然ビーチって言うのよね。人の手が加わっていない、生まれたままの姿の砂浜。こんな美しい景色を一人占めできるなんて、もう最高」
 近くにはSOSの形に木の枝が並べてあった。
「しかもだーれもいなくて、近くを船も通らないから、こんなふうに大声で叫んでも、誰の耳にも届かない。おーい! 誰か助けてー! 私はここにいるー!」
 返って来るのはのどかなさざ波の音ばかり。
 がくんとこうべを垂れて、八木は頭に大きな汗をかく。
「えーん、無人島から出られないよー」
 突然背後に浮き輪が投げられた。
「?」
 足元の浮き輪を見下ろして、そのまま顔を後ろに向けて、
「あれ? 金田くん? どうしてここに?」
 いつの間にか近くに金田が立っていた。腹を凹ませたり、膨らませたり、はあはあとあらい息遣いを見せる。
「なにやってんですか、こんな所で」
 あわてて浮き輪を拾い上げ、照れ笑いを見せる八木。
「なにって、ちょっと海水浴を楽しんでいたら、沖の方まで流されちゃって、こんな無人島まで来ちゃった」
 あきれた金田が薄目を見せて、
「そんな事あるわけないじゃないですか。倉木さん、俺たちのこと心配でここまで見に来たんですか」
 八木が人差し指と人差し指をツンツンさせて、
「だって、若い男女が無人島で二人きりだなんて、何か間違いでも起きたら 私、責任とれないし」
 大きく肩を上下させて、はあ と金田がため息をついて見せる。
「今日のデートは 雛形をシャンデリア・ナイトに参加させるための、デタラメなデートじゃないですか。それに俺は無理やり付き合わされている。そんなの、何も起きるわけがないじゃないですか」
「そうは言っても、一瞬の気の迷いというものもあるし」
 八木がぎゅっと浮き輪を抱いて見せる。
 頭の上に右手を乗せて、金田は遠い海岸へと体を向ける。
「そんな事より、いいんですか? 倉木さんのマネージャーがあなたの事を探していましたよ? 今日はフェスに出演しているんじゃないんですか?」
「あー! いっけなーい!」と八木がバンザイをして見せて、
「ゆんゆさんに審査員をお願いしたままだったー、早く戻ってあげなきゃ」


 眩しい太陽にトンビの影が重なる。
 浮き輪につかまって八木がバタ足を使う中、金田がそれを引っ張るかたちで 二人は海洋を渡っていた。
「倉木さんが全く泳げないって、本当だったんですね。ファンの間ではよく知られていたけど」
 八木が笑顔に汗をかいて、
「泳げるわよ、二十五メートルプールなら」
「どんなスポーツでもすぐにこなしちゃう 運動神経抜群なアイドルなのに、なんか、可愛いですね」
 八木が金田の後ろ頭を見詰める。
「私が泳げないって 知っていたから、助けに来てくれたの?」
 暑いのか、一回海中へもぐって海面から顔を出す金田。
「まあ、ファンの間では有名な話ですからね、倉木さんが泳げないって話」
「そんなに有名なの? 私、どこの取材にもそんなこと言ってないのに」
 ふり返ると無人島が小指くらいに小さく見えた。波が高くて、時に青空と波しか見えない時もあった。
「ねえ金田くん」
 浮き輪と肌がこすれてブブブと鳴る。
「なんですか?」
「金田くんって、いま誰か好きな人いるの?」
 金田の動きが止まった。
「な、何ですか急に」
「だって、隣で見ていて、ぜんぜん分からないから」
 八木の眼鏡に水滴が流れる。
「分からない、ですか? うーん、こんなに分かりやすい男はいないと思いますけど。なんども言いますけどね、俺が好きなのは倉木アイスです」
「だからー、それは」と八木が上体を起こすと、その体が一つ浮き輪の中へ落ちる。
「あれ? あれれれー?」
 みるみる八木の体が海の中へ沈んで行く。
「あーあ、穴が空いていたんだ この浮き輪。ほら、ここからエアーが漏れてる」
 水中でぶくぶくいうビニールの穴を見せる金田。
「どこかの岩に強くこすったかな」
 八木が必死な顔をして金田の肩につかまりながら、
「思い当たるふしがあるー」
 浮き輪の代わりに今度は金田の首につかまる八木、少し赤い顔をして、
「ゴメンね 金田くん、……重たい?」
「はっはっはー、大丈夫ですよ これくらい! こう見えて俺、泳ぎは得意なんです」
 さすがの金田も額に玉の汗を見せる。
 なるべく体と体が触れぬよう小さくなって、八木、
「ねえ金田くん、一つ、聞いてもいい?」
「? なんですか?」
 八木は相手の耳元にささやくように、
「もしも、もしもよ? 金田くんのクラスメートが、危ない目に遭いそうになって、その子が金田くんに助けを求めて電話をして来たら、どうする?」
「突然ですねぇ、なんスかそれ、心理テストですか?」
 目と鼻の先から金田が振り返る。
「いいから。そのクラスメートを襲っている連中は、とても普通じゃない危ない人たちで、助けに行ったら金田くんまで危ない目に遭うかもしれない。大けがをするかも知れない。
 さあどうする金田くん、警察に通報する?」
 金田はまっすぐ前を向いて泳ぎながら、
「そんなの、助けに行くに決まっているじゃないですか。仲間が大変な事になっているんですよね? だったら警察と電話をしているひまはない。もう俺、そいつの事を助けに向かってます。そんなの当たり前じゃないですか」
「当たり前、じゃないと思うけど。警察に通報したり、みんなを呼んで一緒に行った方がより安全でしょう?」
「そいつは警察に通報しないで、俺に電話をかけて来たんです。だったら、緊急の電話じゃないですか。急いで行かないと、間に合わない事になってしまう。そうなったら、絶対に後で後悔する事になる。俺、やっぱ飛んで行きます、そいつの所へ。たとえどんな危険な奴らがいようと、俺はそいつと一緒に戦います。俺はもう、絶対に後悔はしたくないんで」
 その時金田の頭にボロボロになって大の字に倒れている数年前の自分の姿が思い出された。
 八木は大きな目をして、金田の後ろ頭を見る。
「まあ、カッコいい事を言っちゃって」
「ひでー、ウソだと思っているんですか」
 少しふり返って、金田が笑顔を見せる。
「ま、何事にも猪突猛進の金田くんなら、やりかねないか」
 その後で八木はそっと金田の肩に頭を乗せた。


 砂浜に上がって、前かがみになって肩で息をする金田、引きつった笑顔を見せながら、
「やっぱ、一人で泳ぐのとはわけが違いますね。ちょこっとだけ疲れました。これから少しあっちで休みます。倉木さんは早くイベント会場へ行って下さい」
 相手をいたわるように、八木が金田の顔を覗き込む。
「大丈夫? 顔色が悪いみたいだけど。ごめんね、無理をさせちゃって」
「平気です!」
 ビシッと気を付けのポーズをして見せる金田。
「ありがとう。金田くんが助けに来てくれなかったら 私、いまもあの島に取り残されていた」
「その浮き輪が海上を漂っていたから、無人島に倉木さんがいるんじゃないかという俺の疑いが確信に変わったんです。浮き輪がなかったら、俺 無人島まで行かなかったかも知れません。まあとにかく不幸中の幸いと言うやつですね。
 さ、倉木さん、早く行って下さい。あいつらには適当に言ってごまかしておきます」
 そう言って金田がその場から立ち去ると、その背中を呼び止めるように八木が大きな声を出す。
「金田くんは!」
 ゆっくりと足を止めて、金田は不思議そうに振り返る。
「……金田くんは、気にならないの?」
「? なにがです?」
 八木は横を向いて、ぽそっと。
「……私の、好きな人」
 思わず絶句する金田。
「金田くんが好きな倉木アイスは、いったい誰が好きなのか」
 急いで金田は戻って来て、大きく腕を交差させてバッテンを突き出す。
「それはダメです! 絶対にアイドルが口にしちゃダメなやつです。そんなの聞いてしまったら 倉木アイスファンが一人減るかも知れないじゃないですか」
「あ」と八木が手で口を押さえる。
「そ、そうよね、アハハハハ、忘れてた。倉木アイスはいつでもファンのみんなを大切にするのだ」
「後でみんなでイベントを観に行きまーす!」
 金田が大きく腕を振って、元気よく浜茶屋へと走って行く。
 ぽつんとその場に残される八木、しばらくして そっと視線を下げ そのまま渚を歩き出す。
「金田くん」
 眩しい太陽を見上げて、
「私の好きな人はね」
 手をかざして、目元に黒い影を作りながら、
「もう、この世にいないの」
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