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無人島でデートしよ?
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「八木さんと同姓同名ーっ⁉」
驚いた雛形の声が海に響く。
のんびりと浜辺に寝そべった金田が ゆっくりと足を組んで、
「だからさっきからそう言っているだろう? 分かんねーやつだなーお前も。勝手に勘違いして、勝手に突っ走って、勝手に怒ってさ」
「だーってー、普通そんな偶然あると思わないじゃない」
雛形が大きく腕を組んで水着の胸を突き出す。
「俺だって最初は八木とおんなじ名前のやつがいるとは思わなかった。てっきり八木が入院していると思って、案内された病室へ行ったら、ぜんぜん違うやつがベッドに起き上がっていた。しかも これまた偶然なことに、そいつも俺と同じ倉木アイスのファンだって言うんだから、驚いたのなんのって。すぐに仲良くなっちゃった」
ふらふらと雛形はそのまま人魚座りになって、
「なーんだ、そういうこと」
「そーいうこと」
金田は目を閉じて、のんきに波の音を聞き始める。
「じゃあ本当に、八木さんとは何にもないんだね?」
金田の片目が開く。
「お前もしつこいやつだなー。なんでそんなに俺と八木をくっつけたがるんだよ。八木なんて目立たない眼鏡女子で、別に可愛いってわけでもないんだ。お前だって八木とじゃ張り合ったって張り合いがないだろう」
雛形がツンと口をとがらせて、
「だーって、あのスクープ写真、まだどこかで引っかかっているんだもん。夜の学校で、八木さんが金田に身を寄せていたのは事実なんだし」
金田はひじ枕をして雛形に背中を向ける。
「俺は倉木アイスの大ファンで、それ以外の女に興味はなし。八木と同姓同名の里子にしたって、ファンクラブ通信の話くらいで、なんとも思っていない。俺は今お前とデート中。これが現実というやつだ。どうだ、分かったか?」
雛形の反応が無くなった。波の音がくり返すばかりで、どうしたのかと金田が後ろを向くと、雛形はじっと海を見詰めていた。
そしてだしぬけに、
「だったら、あたしと付き合ってよ」
ひじ枕が外れて金田の頭が砂に落ちる。
「なんでそうなるんだよ! だったらで繋がらねーだろ」
「ダメ?」
いつになく真剣な表情を見せる雛形。
金田は寝そべったまま大きく足を組んで、
「ダメに決まってんだろ そんなの。お前、相手から興味がないって言われているのに、よくそんなこと平気で言えるな」
雛形の小さなため息が聞こえる。
「平気じゃないよ、そんなの。あたしずっと悩んでいた。悩んで、この日のために、ずーっと眠れない夜をすごして来た」
海から顔を戻して、雛形は一生懸命に笑顔をつくる。
「そんなこと、俺に言われても」
空のワインボトルが波に遊ばれて、砂にもまれてカチカチと鳴る。
「ねえ金田、お願いだから、あたしと付き合って」
がばっと起き上がって、金田が一言二言雛形に言葉を伝える。
水平線の向こうで、コンテナ船が蜃気楼によって浮かんで見えた。
青空に向かって両手を伸ばし、ん~と雛形が大きな背伸びを見せる。
「分かっていたんだ、こうなることは。前だって 相羽さんのタブレットをあたしに投げて『逃げろ 殺されるぞ』だなんて、普通気になっている子にそんな思いをさせないもんね」
「根に持っているな」
「でもさ、分かっていても、言わなくちゃ気がすまない。答えを出しておかないと、きっちりと決着をつけておかないと」
「…………………」
雛形は立ち上がってお尻の砂を払い、海の方へ二三歩あるいてから「あ、そーだ」と言って足を止めて、
「ねえ金田、教えてよ。もしもここにいるのがあたしじゃなくて、倉木アイスだったとしたら、どうだった?」
「ああ?」
眩しそうに金田が顔を上げる。
「あたしじゃなくてさ、倉木アイスから告白をされていたとしたら」
振り返った雛形の顔が太陽と重なる。
「オーケーしてた?」
雛形の顔が逆光になって、笑っているのか泣いているのか分からなかった。
金田は声のトーンを低くして、
「お前、自分がなにを言っているのか、分かっているのか?」
雨でもないのに、ぽたぽたっと砂に水のあとが残った。
「やっぱいい、なんでもない、聞かなかった事にして」
そう言って雛形は砂を蹴って走り出し、水しぶきを上げて海の中へ飛び込む。
金田は再び砂の上に寝そべって、
「そんな事あるわけねーだろ、バーカ」
ドーンと高波が岩にぶつかって、ぱらぱらと頭の上に水が落ちて来る。
「はあ、はあ、死ぬかと思った」
少し大きめの浮き輪を引きずって、八木が無人島に到着する。
「浮き輪があってもこんなに大変なのに、金田くんたち、よくここまで泳いで来れたな」
浮き輪にバタ足を使って、八木が無人島に近づくと、前方のビーチに人影が見えた。あわてた八木は急旋回して、島を迂回するかたちで反対側の海岸から無人島へ上陸した。
「本当に小さな島ねー。見たところ神社の境内くらいしかない」
岩かげに浮き輪を隠して、そーっと八木は森の中へと入って行く。
「こんな所に二人っきりで、しかも長時間 帰って来ないなんて、金田くんたち何やってんだろ」
森の木はすべてクロマツという、海岸に自生する松の種類で、島の中心に向かって高木に育っていた。地面は砂である事が多く、その砂の上にはコウボウムギの群落が広がっていた。
チクチクする細長い葉を素足に踏んで、八木が松林を進んで行くと、亀甲模様の樹皮のすき間から反対側の海が見えて来た。
「あー、いたいたー」
青い水平線をバックに、金田と雛形が向かい合って立っている。
「? 二人とも、何やっているんだろう?」
ゆっくりと顔を近づける二人、お互いの顔をじっと見つめて。
「ちょっと、やだ、いきなりキスー⁉」
急いで八木が木の裏に身を隠すと、すぐに二人の怒鳴り声が聞こえて来た。
「カレーは全部混ぜるのがいいに決まっているでしょう⁉ ご飯がやわらかくなって触感が良くなるの!」
「バーカ、カレーとご飯がぐちゃぐちゃになって気持ち悪いじゃねーか! 味にも変化がなくなるしよー」
バタンと八木が砂に倒れる。そして必死に木にしがみついて、
「ちょっとー、なんの話よー」
雛形はざりっと砂を踏みつけて、
「本場のインドじゃ、みんなカレーは混ぜて食べているんだからねー」
「ここは日本だ。日本には日本の食文化がある」
フンッと言って同時に顔をそむける二人。すぐに金田はお腹を押さえて、
「あー、食い物の話をしていたら腹が減って来た。もう一時過ぎじゃねーか。そろそろ帰ろーぜ」
そう言って金田は海の方へと歩いて行く。
「おごりだからねー」と雛形は金田を追い越して後ろ向きに歩く。
「何度も言うなって、しつこいな。あ、俺のおごりなんだから、カレーとご飯を混ぜるんなよ」
「食べ方は人の自由でしょ! 趣味嗜好を強制しないでよねー」
言い争いながら、二人はあっと言う間に沖まで泳いで行った。
「あーあ、なにやっているんだろう私、バカみたい」
誰もいなくなったビーチに立って、八木がどっと疲れた表情を見せる。
「心配してここまで来ちゃったけど、損しちゃった。そうよねー、二人はまだ高校生なんだもんね。カレーの食べ方でケンカするくらい、無邪気なのよねー。間違いなんて起きないか」
そう言ってしばらくは海を眺めていた八木、下を向いてふっと自嘲したあと、引き返そうと体を横へ向けたちょうどその時、波間に見覚えのある浮き輪が見えた。
「あれ?」
浮き輪はプカプカと波間をさまよい、ゆっくりと本土へ向かって流されて行く。
「あれってー、もしかして………私の浮き輪?」
一気に青ざめて、八木が急いで森の中へと引き返して行く。
「ヤバい、ヤバい、ちょっと待ってって!」
クロマツの林から飛び出して、岩の上を飛び越えて行くと、さっき置いたはずの浮き輪がどこにも見えなかった。
「えーっ! 私の浮き輪が波にさらわれちゃったー!」
隆起した岩盤の潮だまりに、海面が上がったり下がったり、激しい海流の動きを見せた。
「どうしよー! 私、浮き輪がないと泳げないのにー!」
こうして八木は無人島に一人取り残される事となった。
昼下がりの浜茶屋、まばらな客入りの店内に、金田の勝ち誇った声が響く。
「だーっはっはっはー、みろ雛形、ここにいるみーんながカレーは混ぜない派だと言ってるぜ」
雛形は背筋をぴんと伸ばして、平然とカレーをかき混ぜる。
「みんなカレーの食べ方を知らないだけ。やってみ? 絶対にクセになるから」
ゴザの上に横になって、久遠が扇風機を自分の方へ向ける。
「お前らデート中にそんな下らない言い合いをしていたのか」
金田が雛形の顔に人差し指を突き付けて、
「だってこいつが一歩も引かねーからよー、世界中のみんながカレーを混ぜて食べるみたいに言いやがるし」
「金田だって、あたしの言うこと全否定だもん、あったま来ちゃった」
二人の視線がバチバチとぶつかる。その向こうで海老原がチャーハンにコショウをふりかけて、
「どっちもどっちだね。同レベルでの張り合い。ある意味お似合いだよ」
「そうでしゅよ。ケンカするほど仲が良いと言うじゃないでしゅか」
サメの格好をした相羽が必死に顔をうちわであおぐ。久遠があきれた顔をして、
「いつまでその格好でいるつもりだ。いい加減脱いだらどうだ」
金田と雛形は相当お腹が空いていたらしく、無心でカレーライスを口に運ぶ。と、そのうちに金田が左右を見回して、
「あれ? そう言えば八木は? 今日はあいつも来るって言ってなかった?」
久遠が首筋を指で掻きながら、
「さっき一回、俺たちの前に顔を出したんだけどな、またすぐにどこかへ行ってしまった」
「金田たちの事をすごく心配している様子だったでしゅよ」
スプーンを咥えて、金田は何度も頭を傾げる。
「こんなトコ、ほかに行くあてなんてないんだけどな」
その時 海水浴客とは思えない 上品な身なりをした女性が店に現れて、大きなサングラスを下げて店内を見渡す。そして近くにいた金田たちの所まで歩いて来て、
「ねえ君たち、食事中悪いけど、ちょっといい?」
「? なんスか?」
白のワイドパンツを穿いたその女性は、失くした財布でも探すような早い口調で、
「君たちこの辺で倉木アイスを見なかった?」
みんな一斉に食事の手を止める。
「彼女を見たという情報でもいい、何でもいい、とにかく倉木アイスに関する情報を何か知らない?」
「倉木アイス、ですか? あの?」
海老原がレンゲを置いて水を飲む。
「そう。あの倉木アイスよ。この浜辺に突然アイドルが現れて一時騒然となった、とか、芸能人っぽい人が変装して歩いていた、とか、そんな話聞いてない?」
久遠がゴザから起き上がって、正しい姿勢をとりながら、
「ぜんぜん、そんな話は聞いてないですけど、あの、何かあったんですか?」
女性は腰に手を当てて、あちこち店の様子に目を向ける。
「今日この海水浴場で大きなフェスをやっているの、君たち知っている? そこで彼女が出演していたんだけど、休憩が終わっても戻って来ないのよねー。もしかしたら海水浴場に来ているかもって、思ったんだけど。
あ、あたしは倉木のマネージャーなんだけどさ」
みんなお互いの顔を見て、
「本物? ヤバくない?」
「こ、これはドッキリではないでしゅね?」
田淵がキラキラ光る腕時計を上げて、しきりに時間を気にしながら、
「知らなかったらいいわ、ほかを当たるから。ありがとう」
足早に店を後にする田淵、その背中を見送って、急いでみんな顔を近づける。
「聞いたでしゅか? 倉木アイスがこの海水浴場に来ているでしゅよ」
「聞いた聞いた、サインもらう準備をしておこ。色紙とサインペン、確か常備してあったはず」
海老原がカバンの中の物をかき混ぜていると、久遠が雑誌を開いてそれをテーブルの上へ置く。
「これだ、毎年恒例の『パシフィック・ビーチ・フェス』。これに今回倉木アイスが出演しているんだ」
雑誌には水着姿の倉木がデカデカと掲載されていた。
「どこかへ行ったまま戻って来ていないって言っていたでしゅよ。人気アイドルが失踪したでしゅか」
「マネージャーが必死になって探しているって事は、そういう事だな」
続けて何かを言おうとして、「あれ?」と久遠が金田の方を振り返る。
「おい金田、お前の大好きな倉木アイスがこの辺をうろついているかも知れないんだぞ? なんでそんなにテンション低いんだ」
金田はみんなに顔を見られ、大きく頭を掻いて見せながら、
「え? あー、そう、だな」
そのままゴザの上に立ち上がって、背伸びをして海の様子を確かめる。
「? どうした」
その表情がだんだん曇って行って、
「まさか」
金田はサンダルをつっかけて、バタバタと浜茶屋から飛び出して行く。それを店の外まで追い掛ける久遠、
「おい! めしはどうするんだ、めしは!」
走りながら金田は大きく右手を上げて、
「お前にやる! 全部やる! ちょっと俺、用事を思い出したから!」
脇から雛形が顔を出して、
「食い逃げー!」
波打ち際まで走って行って、ばしゃばしゃと海水を蹴る金田、そのまま無人島に目を向けて、
「まさか八木のやつ」
入道雲が白く映り込んだ海原に、ぽつんと一つだけ浮き輪が流されていた。
驚いた雛形の声が海に響く。
のんびりと浜辺に寝そべった金田が ゆっくりと足を組んで、
「だからさっきからそう言っているだろう? 分かんねーやつだなーお前も。勝手に勘違いして、勝手に突っ走って、勝手に怒ってさ」
「だーってー、普通そんな偶然あると思わないじゃない」
雛形が大きく腕を組んで水着の胸を突き出す。
「俺だって最初は八木とおんなじ名前のやつがいるとは思わなかった。てっきり八木が入院していると思って、案内された病室へ行ったら、ぜんぜん違うやつがベッドに起き上がっていた。しかも これまた偶然なことに、そいつも俺と同じ倉木アイスのファンだって言うんだから、驚いたのなんのって。すぐに仲良くなっちゃった」
ふらふらと雛形はそのまま人魚座りになって、
「なーんだ、そういうこと」
「そーいうこと」
金田は目を閉じて、のんきに波の音を聞き始める。
「じゃあ本当に、八木さんとは何にもないんだね?」
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「お前もしつこいやつだなー。なんでそんなに俺と八木をくっつけたがるんだよ。八木なんて目立たない眼鏡女子で、別に可愛いってわけでもないんだ。お前だって八木とじゃ張り合ったって張り合いがないだろう」
雛形がツンと口をとがらせて、
「だーって、あのスクープ写真、まだどこかで引っかかっているんだもん。夜の学校で、八木さんが金田に身を寄せていたのは事実なんだし」
金田はひじ枕をして雛形に背中を向ける。
「俺は倉木アイスの大ファンで、それ以外の女に興味はなし。八木と同姓同名の里子にしたって、ファンクラブ通信の話くらいで、なんとも思っていない。俺は今お前とデート中。これが現実というやつだ。どうだ、分かったか?」
雛形の反応が無くなった。波の音がくり返すばかりで、どうしたのかと金田が後ろを向くと、雛形はじっと海を見詰めていた。
そしてだしぬけに、
「だったら、あたしと付き合ってよ」
ひじ枕が外れて金田の頭が砂に落ちる。
「なんでそうなるんだよ! だったらで繋がらねーだろ」
「ダメ?」
いつになく真剣な表情を見せる雛形。
金田は寝そべったまま大きく足を組んで、
「ダメに決まってんだろ そんなの。お前、相手から興味がないって言われているのに、よくそんなこと平気で言えるな」
雛形の小さなため息が聞こえる。
「平気じゃないよ、そんなの。あたしずっと悩んでいた。悩んで、この日のために、ずーっと眠れない夜をすごして来た」
海から顔を戻して、雛形は一生懸命に笑顔をつくる。
「そんなこと、俺に言われても」
空のワインボトルが波に遊ばれて、砂にもまれてカチカチと鳴る。
「ねえ金田、お願いだから、あたしと付き合って」
がばっと起き上がって、金田が一言二言雛形に言葉を伝える。
水平線の向こうで、コンテナ船が蜃気楼によって浮かんで見えた。
青空に向かって両手を伸ばし、ん~と雛形が大きな背伸びを見せる。
「分かっていたんだ、こうなることは。前だって 相羽さんのタブレットをあたしに投げて『逃げろ 殺されるぞ』だなんて、普通気になっている子にそんな思いをさせないもんね」
「根に持っているな」
「でもさ、分かっていても、言わなくちゃ気がすまない。答えを出しておかないと、きっちりと決着をつけておかないと」
「…………………」
雛形は立ち上がってお尻の砂を払い、海の方へ二三歩あるいてから「あ、そーだ」と言って足を止めて、
「ねえ金田、教えてよ。もしもここにいるのがあたしじゃなくて、倉木アイスだったとしたら、どうだった?」
「ああ?」
眩しそうに金田が顔を上げる。
「あたしじゃなくてさ、倉木アイスから告白をされていたとしたら」
振り返った雛形の顔が太陽と重なる。
「オーケーしてた?」
雛形の顔が逆光になって、笑っているのか泣いているのか分からなかった。
金田は声のトーンを低くして、
「お前、自分がなにを言っているのか、分かっているのか?」
雨でもないのに、ぽたぽたっと砂に水のあとが残った。
「やっぱいい、なんでもない、聞かなかった事にして」
そう言って雛形は砂を蹴って走り出し、水しぶきを上げて海の中へ飛び込む。
金田は再び砂の上に寝そべって、
「そんな事あるわけねーだろ、バーカ」
ドーンと高波が岩にぶつかって、ぱらぱらと頭の上に水が落ちて来る。
「はあ、はあ、死ぬかと思った」
少し大きめの浮き輪を引きずって、八木が無人島に到着する。
「浮き輪があってもこんなに大変なのに、金田くんたち、よくここまで泳いで来れたな」
浮き輪にバタ足を使って、八木が無人島に近づくと、前方のビーチに人影が見えた。あわてた八木は急旋回して、島を迂回するかたちで反対側の海岸から無人島へ上陸した。
「本当に小さな島ねー。見たところ神社の境内くらいしかない」
岩かげに浮き輪を隠して、そーっと八木は森の中へと入って行く。
「こんな所に二人っきりで、しかも長時間 帰って来ないなんて、金田くんたち何やってんだろ」
森の木はすべてクロマツという、海岸に自生する松の種類で、島の中心に向かって高木に育っていた。地面は砂である事が多く、その砂の上にはコウボウムギの群落が広がっていた。
チクチクする細長い葉を素足に踏んで、八木が松林を進んで行くと、亀甲模様の樹皮のすき間から反対側の海が見えて来た。
「あー、いたいたー」
青い水平線をバックに、金田と雛形が向かい合って立っている。
「? 二人とも、何やっているんだろう?」
ゆっくりと顔を近づける二人、お互いの顔をじっと見つめて。
「ちょっと、やだ、いきなりキスー⁉」
急いで八木が木の裏に身を隠すと、すぐに二人の怒鳴り声が聞こえて来た。
「カレーは全部混ぜるのがいいに決まっているでしょう⁉ ご飯がやわらかくなって触感が良くなるの!」
「バーカ、カレーとご飯がぐちゃぐちゃになって気持ち悪いじゃねーか! 味にも変化がなくなるしよー」
バタンと八木が砂に倒れる。そして必死に木にしがみついて、
「ちょっとー、なんの話よー」
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「ここは日本だ。日本には日本の食文化がある」
フンッと言って同時に顔をそむける二人。すぐに金田はお腹を押さえて、
「あー、食い物の話をしていたら腹が減って来た。もう一時過ぎじゃねーか。そろそろ帰ろーぜ」
そう言って金田は海の方へと歩いて行く。
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「何度も言うなって、しつこいな。あ、俺のおごりなんだから、カレーとご飯を混ぜるんなよ」
「食べ方は人の自由でしょ! 趣味嗜好を強制しないでよねー」
言い争いながら、二人はあっと言う間に沖まで泳いで行った。
「あーあ、なにやっているんだろう私、バカみたい」
誰もいなくなったビーチに立って、八木がどっと疲れた表情を見せる。
「心配してここまで来ちゃったけど、損しちゃった。そうよねー、二人はまだ高校生なんだもんね。カレーの食べ方でケンカするくらい、無邪気なのよねー。間違いなんて起きないか」
そう言ってしばらくは海を眺めていた八木、下を向いてふっと自嘲したあと、引き返そうと体を横へ向けたちょうどその時、波間に見覚えのある浮き輪が見えた。
「あれ?」
浮き輪はプカプカと波間をさまよい、ゆっくりと本土へ向かって流されて行く。
「あれってー、もしかして………私の浮き輪?」
一気に青ざめて、八木が急いで森の中へと引き返して行く。
「ヤバい、ヤバい、ちょっと待ってって!」
クロマツの林から飛び出して、岩の上を飛び越えて行くと、さっき置いたはずの浮き輪がどこにも見えなかった。
「えーっ! 私の浮き輪が波にさらわれちゃったー!」
隆起した岩盤の潮だまりに、海面が上がったり下がったり、激しい海流の動きを見せた。
「どうしよー! 私、浮き輪がないと泳げないのにー!」
こうして八木は無人島に一人取り残される事となった。
昼下がりの浜茶屋、まばらな客入りの店内に、金田の勝ち誇った声が響く。
「だーっはっはっはー、みろ雛形、ここにいるみーんながカレーは混ぜない派だと言ってるぜ」
雛形は背筋をぴんと伸ばして、平然とカレーをかき混ぜる。
「みんなカレーの食べ方を知らないだけ。やってみ? 絶対にクセになるから」
ゴザの上に横になって、久遠が扇風機を自分の方へ向ける。
「お前らデート中にそんな下らない言い合いをしていたのか」
金田が雛形の顔に人差し指を突き付けて、
「だってこいつが一歩も引かねーからよー、世界中のみんながカレーを混ぜて食べるみたいに言いやがるし」
「金田だって、あたしの言うこと全否定だもん、あったま来ちゃった」
二人の視線がバチバチとぶつかる。その向こうで海老原がチャーハンにコショウをふりかけて、
「どっちもどっちだね。同レベルでの張り合い。ある意味お似合いだよ」
「そうでしゅよ。ケンカするほど仲が良いと言うじゃないでしゅか」
サメの格好をした相羽が必死に顔をうちわであおぐ。久遠があきれた顔をして、
「いつまでその格好でいるつもりだ。いい加減脱いだらどうだ」
金田と雛形は相当お腹が空いていたらしく、無心でカレーライスを口に運ぶ。と、そのうちに金田が左右を見回して、
「あれ? そう言えば八木は? 今日はあいつも来るって言ってなかった?」
久遠が首筋を指で掻きながら、
「さっき一回、俺たちの前に顔を出したんだけどな、またすぐにどこかへ行ってしまった」
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スプーンを咥えて、金田は何度も頭を傾げる。
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久遠がゴザから起き上がって、正しい姿勢をとりながら、
「ぜんぜん、そんな話は聞いてないですけど、あの、何かあったんですか?」
女性は腰に手を当てて、あちこち店の様子に目を向ける。
「今日この海水浴場で大きなフェスをやっているの、君たち知っている? そこで彼女が出演していたんだけど、休憩が終わっても戻って来ないのよねー。もしかしたら海水浴場に来ているかもって、思ったんだけど。
あ、あたしは倉木のマネージャーなんだけどさ」
みんなお互いの顔を見て、
「本物? ヤバくない?」
「こ、これはドッキリではないでしゅね?」
田淵がキラキラ光る腕時計を上げて、しきりに時間を気にしながら、
「知らなかったらいいわ、ほかを当たるから。ありがとう」
足早に店を後にする田淵、その背中を見送って、急いでみんな顔を近づける。
「聞いたでしゅか? 倉木アイスがこの海水浴場に来ているでしゅよ」
「聞いた聞いた、サインもらう準備をしておこ。色紙とサインペン、確か常備してあったはず」
海老原がカバンの中の物をかき混ぜていると、久遠が雑誌を開いてそれをテーブルの上へ置く。
「これだ、毎年恒例の『パシフィック・ビーチ・フェス』。これに今回倉木アイスが出演しているんだ」
雑誌には水着姿の倉木がデカデカと掲載されていた。
「どこかへ行ったまま戻って来ていないって言っていたでしゅよ。人気アイドルが失踪したでしゅか」
「マネージャーが必死になって探しているって事は、そういう事だな」
続けて何かを言おうとして、「あれ?」と久遠が金田の方を振り返る。
「おい金田、お前の大好きな倉木アイスがこの辺をうろついているかも知れないんだぞ? なんでそんなにテンション低いんだ」
金田はみんなに顔を見られ、大きく頭を掻いて見せながら、
「え? あー、そう、だな」
そのままゴザの上に立ち上がって、背伸びをして海の様子を確かめる。
「? どうした」
その表情がだんだん曇って行って、
「まさか」
金田はサンダルをつっかけて、バタバタと浜茶屋から飛び出して行く。それを店の外まで追い掛ける久遠、
「おい! めしはどうするんだ、めしは!」
走りながら金田は大きく右手を上げて、
「お前にやる! 全部やる! ちょっと俺、用事を思い出したから!」
脇から雛形が顔を出して、
「食い逃げー!」
波打ち際まで走って行って、ばしゃばしゃと海水を蹴る金田、そのまま無人島に目を向けて、
「まさか八木のやつ」
入道雲が白く映り込んだ海原に、ぽつんと一つだけ浮き輪が流されていた。
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