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金田くん、最低!

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 看護師から教えられた病室まで行くと、入口の名札に『八木里子』という名前があった。
「本当だ。八木だ」
 右手にビニール袋を提げ、金田はこんがらがった頭で中へ入る。
「まさかな、本当に八木が入院しているわけがないよな」
 上部がメッシュになったピンクのカーテン、それにより仕切られた四つの空間。ヒソヒソと、女性の話し声が漏れ聞こえる。
「八木のベッドって、どこなんだろう。んー、まさかカーテンをあけて確認するわけにもいかないし。さっきの人に聞いておけばよかった」
 この病棟は 女性のみが入院しているという事で、金田は まるで ランジェリー売り場に迷い込んだ少年のように ぎこちない足取りで窓辺まで進む。
「八木のベッドがどこか、もう一度 聞いて来よう」
 くるりと踵を返し、入口の方へと体を向けると、右手のカーテンが大きく開いていた。そしてそこには 金田と同年代くらいの少女がベッドから起き上がっていた。
「!」
 目と目が合う二人、ノートパソコンをテーブルの上にひらいていた少女は、反射的にパソコンの画面を閉じる。
「わっ ごめん 人違いだった」
 女性の着替えを目撃してしまった時のような、ひどい慌てぶりでその場を立ち去る金田、それを呼び止める形で、
「金田くんでしょ!」
「………………」
 そろり、そろりと、金田はカーテンから顔を出す。
「金田くん、なんでしょう?」
「そ、そうだけど。あれ? なんで俺の名前を知っているの?」
 肩にある髪を手ぐしで梳いて、無言で金田の腰の辺りを指さす。
「?」
 指が差された所を見て、「これ?」と金田が手にしたのは、制服のベルトループにぶら下げた棒カギのキーホルダーだった。
 少女はこくりとうなずき、ベッド脇にパソコンをどけると、床頭台へ手を伸ばし 引き出しから同じキーホルダーを取り出す。
「わっ! 倉木アイスのファンクラブ!」
 思わず金田が大声を発すると、後ろのカーテンがシャッと開いて、人差し指を口に立てたおばさんが『静かに』とジェスチャーを見せる。
「す、すいません、つい」
 両手で口を覆って、何度も頭を下げる金田、そこから顔を戻して、
「君も、倉木アイスのファンクラブ会員?」
「そう。会員ナンバーは、『0002』」
「うそっ、マジ? 俺、会員ナンバー『0001』、ほえー、こんな事ってある?」
 信じられない、運命の出会いに 二人は、兄妹のような気軽さで二つのキーホルダーを並べる。
「本当だ。俺と一つ違いのナンバー。あ! じゃあ もしかして、この病院の入口に貼ってある 倉木アイスのポスターの『予約済』って」
 少女は自分の顔を指さして、
「あたし」
「わー、そういう事かあ、倉木アイスのファンクラブのナンバー2がこの病院にいたんじゃ、勝ち目はなかったわけだ」
 くすくすと口もとを隠して笑う少女。
 金田は頭を掻く手を止めて、
「でも、どうして俺の名前が分かったんだ? これを見ただけじゃ さすがに俺の名前は分からないと思うけど」
 当然の疑問を抱く金田。
 もじもじと下を向いて、「実はね」と少女、
「実はあたし、金田くんと会うのは、これが二回目」
「え? どういうこと?」
 金田は頭にあった手をゆっくりと下へおろす。
「新宿プラムロードで、倉木さんの握手会があったの、覚えている?」
「新宿? 新宿……、あ、あった あった。確か すげーどしゃ降りの日で、電車が遅れて大変だったのを覚えている。でもあれって、結構 前の話だぞ?」
「うん、今から三年前の話。その握手会の長い列に、あたしも並んでいたの。金田くんの後ろに」
 少女はあごを上げて、目を閉じてほほ笑む。
「え! そうだったの?」
「そう。あの時の金田くんも、今みたいにベルトループにキーホルダーを掛けていて、それを見てあたし、この人が会員ナンバー0001かあって、密かに驚いたのを覚えている。
 だってあたし 倉木さんのファンクラブが開設されて 一番に会員になりたかったの。それなのにあたしよりも先に会員になれた人がいると知って、そんなつわものって、一体どんな人かなって、ずっと気になっていた。そしてその人を目の前にして、なるほどこの人かあって、まじまじと金田くんの事を観察していたの。とってもにぎやかな人で、握手のとき倉木さんにめちゃくちゃ話しかけていて、金田です、金田です、ってずっと言っていたから、それを今でもしっかりと覚えていた」
 金田は鼻の下を人差し指でこすりながら、
「恥ずかしい所、見られていたな」
 少女はベッドの上を移動して、履き物の上へ足をおろす。
「金田くんは どうしてここへ? さっき人違いとか、なんとか言っていたけど」
「あー、えーと、説明するのが面倒だけど、簡単に言えば 学校の帰りにクラスメートの背中を見つけて それを追い掛けていたら この病院の前まで来ていた。病院の人に、その子のお見舞いに来たのだと勘違いされて、ここまで通された。そしてそのクラスメートの子の名前というのが、八木里子っていうんだ」
 金田は少女の体を見下ろしながら言った。入院着の、首もとのすき間から、少女の鎖骨が異様に浮き出て見えた。
「ふーん、そのクラスメートの人も、あたしと同じ八木里子って言うんだ」
「そう。最近こっちへ引っ越して来た子で、いかにも優等生って感じの転校生」
 その時 カーテンのうらから、「お話なら談話室で」と丁寧な物言いの女性の声が聞こえた。


 壁いちめん広がる夜の窓に、明るい室内の様子が映っていた。この時間 談話室を利用する人は少なく、金田と少女の二人だけがテーブルに向かっていた。
「ところでさあ、名前 なんだけど、下の名前で呼んでいい?」
「え?」
 携帯電話をテーブルに置く少女。
「八木って呼ぶとさ、何だかうちの副委員長を思い出しちゃうからさ」
「ああ、うん いいよ。里子で」
 そこで金田は『とんとん拍子』の袋を里子の方へ移動させる。
「悪いね、会ったばかりで なれなれしくて。コレ どうぞお食べ」
 里子はコロッケを頬張って、うーんと両目を閉じる。
「このコロッケ、本当においしい。外はザックザクで中はホックホク。今まで食べた中で一番おいしい」
 金田はまるで自分が褒められたかのように、満足気に足を組んで、
「だろー? 俺は子供の頃からずっとこれを食べて来た。うちの母さんが大好物で、週に二、三度は必ず食卓に出ていた。飽きないんだよな このオーソドックスな味。またその店のおばちゃんがイイ人でさ、俺の顔を見ればいつもコロッケを持たせてくれる。気に入ったんなら、また持って来るよ」
「うれしい、ありがとう」
 そこで少し会話が途切れ、金田は室内の様子を見回す。自販機と観葉植物の間で、ぼそぼそと電話をしている女性の背中が見えた。
「あの」
 と、同時に二人は話し始め、それに気づきお互い苦笑い。
「そっちから」
「ううん、金田くんから」
 廊下をガタガタと大きな配膳車が横切る。
「じゃあ、俺から聞くけど、里子はどうして倉木アイスのファンになったの?」
 まばたきを繰り返して、
「あたしも今、同じ事を聞こうと思っていた」
 そのままかじったコロッケに視線を落として、
「あたしは 倉木さんの、目が好きなの」
「目?」
「目」と自分の目を指差して、
「あたしが初めて倉木さんを見た時、その目に強い『正義』を感じたの。迷いというものがなくて、流されるという弱さもない、深い悲しみを乗り越えた後の、覚悟を決めた目。
 あたしはいつもこう思うの。きっと倉木さんなら、火事場で子供の泣き声を聞いたら 迷うことなく水をかぶって 燃え盛る炎の中へ飛び込んで行くって。倉木さんの目って、そういう目をしている」
 相手の話に夢中になって、無意識に体が前に出る金田。
「す、すごいな。相手の目を見るだけで、そこまで分かっちゃうの」
 相手に感心されて、やや恥ずかしそうに、
「超能力者みたいでしょう? 例えば そうね、バラエティー・アイドルの『ゆんゆ』って、最近よくテレビに出ているんだけど、あの人の目、あたし嫌い。とにかく嫌い。いつも番組の司会者に色目を使っているもの」
「ゆんゆ? 誰だそれ、知らねーや。
 ふーん そっか、里子は人の目だけでそこまで分かってしまうんだ。
 あ、じゃあ 俺は? 俺の目はどんなふうに見える?」
 じーっと相手の目をのぞき込んで、
「そうね、金田くんは、うん、一見 イケイケな男子に見えるけど、実はとても頭が良い人。勉強、できるでしょう」
 驚いて、目をパチクリさせる金田、急に居住まいを正して、
「す、すげー、なんで分かっちゃうの? マジなんなのそのチカラ」
 早足で看護師が談話室に入って来る。
「あー、いたいた。八木さん、もう面会は終わりだよー」
「あ、すいません」
 二人で急いでテーブルの上を片付ける。
「長居しちゃってゴメン」
「ううん、ありがとう、とっても楽しかった。
 ねえ。また、来てくれるでしょう?」
 金田はニッと相手に笑顔を向けて、
「もちろん。さっき言っていた写真集、『倉木☆アイスみるく』を持って来るよ。初版だけ内容が違うんだ。今となってはもう手に入らないから、すげー貴重なんだ。じゃ」
 看護師が見ている前で 右手を上げて走って行く金田。それに応えて手を上げて、相手を見送る里子。
「彼氏もいいけど、ご飯、冷めちゃうよー」
 少し あきれ顔で立ち去る看護師、そしてその場に残された里子、さっきまでの笑顔がウソみたいに悲しい表情を見せて、
「ごめんなさい、倉木さん。約束、守れなかった」


 次の日、数学の授業中、急に何かを思い出したように金田が隣の八木を見て、
「なあ八木」
 黒板をノートに写していた八木が、ふしぎそうに顔を上げる。
「どうしたの」
 金田は人差し指を立てて、
「きのう、学校の帰りに、病院へ行っただろう」
「!」
 赤い丸眼鏡の向こうで、八木はひときわ目を見ひらく。
「北城総合病院。なあ、どこか具合でも悪いのか?」
 八木は当惑しきった様子で、
「なんで? どうして? まさか、私の後をつけたの?」
 金田は横へ手を振って、
「違う、そんなんじゃない。断じてそんなんじゃない。学校の帰りに、偶然八木の姿を見かけて、声をかけようと思ったら、どんどん先へ行っちゃって、そのまま病院まで行っちゃった」
 怖いくらい真剣な表情を見せる八木、
「それで?」
「それで? ああ、それで、たまたま八木里子って、同じ名前の女の子が入院していて」
 八木の目が殺気立つ。
「会ったの? その子と」
「会った」
 ガタッと大きな音を立てて、勢いよく八木が席を立つ。
「ウソでしょ! 何やっているの 金田くん!」
 教室はしーんとなって、クラスみんなが二人の方を見る。
 黒板の前にいた先生が、かちんといって粉受にチョークを置いて、
「八木さん、授業中ですよ。お静かに」
 クスクスと教室に笑い声が起きる。
「す、すいません」
 小さく頭をさげて、おとなしく席に着く八木。
 上下する八木の動きに合わせて、金田も顔を動かす。
「そんなに、怒ること?」
 激しく前髪を振って、プイッとそっぽを向く八木、
「人の後をつけるなんて、金田くん 最低!」
 前を見ると、何か言いたげな雛形の顔が。チッといって、金田が窓の外へ顔を向けると、グラウンドの横にあるプールで、濾過機点検の注水作業が始まっていた。飛び込み台の左右にある、二本の白いパイプから、ばしゃばしゃと水がふき出し、低い底盤へ向かって水は流れて行く。
「ん?」
『そういやあ、(楽屋の)床に水たまりが出来とったな』
 やや赤土色をした水は、プールの最深部で渦を巻いていた。
『楽屋を歩いていたら、ぴちゃぴちゃっいって、床を見たら水びたしだった。部屋のあちこちをいろいろ見て回ったけど、結局よく分からなかった』
 みるみる金田の目が大きくなっていく。
「もしかして!」
 バンと両手を突いて、勢いよく立ち上がる金田。
「俺、分かったかも知れない! 密室の部屋からギターが無くなった理由が!」
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