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みつ子の訳【たすけて】
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かぜ荒れ頻るどよみにまぎれ、地獄に落ちし血の叫びの聞けぬ夜はなし。劒の山、血の池、ほかに熱きは焦熱地獄の焱の谷、寒きは極寒地獄の氷の海に至るまで、呵責もまた、罪人によって、果てしない。
まして、怨む者のかわほりのごとく逆につられ、くろがねの笞に卍に裂きに裂かれる。
百月百年をば、磨錻をふくみ、いっぱいの喉をかき毟りつつ、叫びてのけぞり、はうこともこれ叶わん。
死灰のごとく丈の黒髪、焱のうちになびかせ、白いうなじを骨抜きに垂らしながら、もだえ苦しむ姿、そのうえ、刀樹のこずえに、五体つらぬかれたる累々の亡者らと、変るところこれなし。
骨皮の舎利になろうか、いつか風しずかに草かおり、ほどなく、山剷の長壁を渡る二つの影、雲間から雲間へ、伝わるに、乾竹割りに、さき放す絶壁より、見えては隠れる。
ひと影は、眉間に白毫、青紺色の目をば、ねむりてきたる釋迦如来。
またひと影は、あとを慕って合掌したる、沙金の天衣姿。
まことや、三界六道の教主、十方最勝、光明無礙、億々衆生、平等引導の能化にあられる。
釋迦如来のおもむくところ、獰猛なる獄卒さえ、臣下のごとく礼拝する。
血のあめ降りそそぐ、地獄の奥底にありしも、後光のひかり、金色の地に立てるかと思えし、ふた影の行路、安庠と佇む。
「お釋迦さま? ここはまあいったい、なんと申しましょう」
阿鼻叫喚の地獄のありさまに、たえがたく、声も立ちぬべきに、はじめてひと目あるをさとって、しなしたりと思ったが、所為なく羽衣を目に掩てる。
「ここは六道の最下位、かの有名な地獄の底なのですよ。いくら世間知らずのあなたでも、いちどは耳にしたことがありましょう」
「あの、八熱地獄やら、八寒地獄やらと申す、大和絵に見る恐ろしいやつ………ところにございますか」
「如何にもそうですよ。死者の生前の罪が、審判され、各々に見合った呵責を受ける場所なのです。いま、あなたのお兄さんが、行きちがいから落ちそこなっている奈落というのが、ここの事なのです」
「まあたいへん! いくら気丈夫で強情の兄さまだって、このような際限のない苦しみのなかへ落ちてしまったら、それこそ果てしない話になってしまいます」
「ですから、こうしてわたしは、直々に、閻魔大王への久濶をわびて、罰利生の半生の五戒十善をとくと説いて、あなたがた兄妹が永久に離ればなれにならないようにと………。
まあ、見ていなさい。何にせよ、罰利生の善行の数々といったら、沙金の成仏を境に、おびただしいばかりなのですから。さしもの閻魔大王も、いまに恐れ入ってしまいましょう」
そのゆび纖長にして、爪は赤銅のごとく、たなごころの蓮華に似たるを、恐れるな、として、掩わん。
とそこへ、ある人皮はぎし大板敷、ふた方の通り掛るを、山と積まれた肉塊、はすっかけに崩れたる内より、千曳きの磐石に半ばつぶされて、身をばちりぢりに這うのが一体、危なく天衣をつかまらんとするに、ふみ辷らし、尻居に倒れる。
「まあひどい! いったいどうすればこんな注連縄のような身体になってしまうのかしら。それにあなた、見たところ女性のようでもあるし、私と変わらない歳じゃないの。
あら。あら。苦しいのかしら。何かおっしゃりたいようだけれども、そんなに血を吐き出してしまっては、ごろごろいうばかりで、畜生の………あ、私にはよくわからないわ」
なんたる因果か、這いよりし罪人の、怨むものに違ざれば、ひとこと「たすけて」と、うめきを上げる。
これをひそかに聞いて、哀れさに居たたまれず、惑える。
「さあ。もうその辺で、よしなさい。
罪人の数多はそうなのですよ。業火の苦しみのうちで、自らの生前の罪をつぐなうのです。ですから、ふざけ半分で、罪人の声に耳を貸してはならないのです。
また、冗談にも、愍心を出して、すがり来る罪人をたすけようとしても、万般のためにはなりません。さ、参りましょう」
にべもなく、くらやみに消える影を追い、うしろ髪ひかれる思い、見しも、おめおめ天衣へ顔を掩わんと、葉越のあなたへ踏み入れる。
さすればいずこから、鋼叉がふり来り、声を揚げる喉を、食い裂かんと、人皮はぎし大板敷へ、ずるずると追い返えさんとする。
地獄とは、一三六の責苦があって、劒に臓を貫かれる、焱に顔を焼かれる、舌を拔かれる、生皮をむしられる、鉄のきねに撞かれる、油の鍋に煮られる、毒蛇に脳味噌を吸われる、熊鷹に黒目を啄かれる、などなど、艱苦のいちいち数えては果てしがない。起きながら悪夢の覚めやらぬが地獄とも、途方に昏れる折しも、われを忘れ、つとほとばしる哭き声、噛みしめる歯をさえ漏れつ、いずるを、かいこの糸を吐いて倦まざらんごとくに、限りも知らず、長きに亘る。
ほどなく、かすかな寝息を立てて、うちしおれ、短いゆめを結ぶ。
まして、怨む者のかわほりのごとく逆につられ、くろがねの笞に卍に裂きに裂かれる。
百月百年をば、磨錻をふくみ、いっぱいの喉をかき毟りつつ、叫びてのけぞり、はうこともこれ叶わん。
死灰のごとく丈の黒髪、焱のうちになびかせ、白いうなじを骨抜きに垂らしながら、もだえ苦しむ姿、そのうえ、刀樹のこずえに、五体つらぬかれたる累々の亡者らと、変るところこれなし。
骨皮の舎利になろうか、いつか風しずかに草かおり、ほどなく、山剷の長壁を渡る二つの影、雲間から雲間へ、伝わるに、乾竹割りに、さき放す絶壁より、見えては隠れる。
ひと影は、眉間に白毫、青紺色の目をば、ねむりてきたる釋迦如来。
またひと影は、あとを慕って合掌したる、沙金の天衣姿。
まことや、三界六道の教主、十方最勝、光明無礙、億々衆生、平等引導の能化にあられる。
釋迦如来のおもむくところ、獰猛なる獄卒さえ、臣下のごとく礼拝する。
血のあめ降りそそぐ、地獄の奥底にありしも、後光のひかり、金色の地に立てるかと思えし、ふた影の行路、安庠と佇む。
「お釋迦さま? ここはまあいったい、なんと申しましょう」
阿鼻叫喚の地獄のありさまに、たえがたく、声も立ちぬべきに、はじめてひと目あるをさとって、しなしたりと思ったが、所為なく羽衣を目に掩てる。
「ここは六道の最下位、かの有名な地獄の底なのですよ。いくら世間知らずのあなたでも、いちどは耳にしたことがありましょう」
「あの、八熱地獄やら、八寒地獄やらと申す、大和絵に見る恐ろしいやつ………ところにございますか」
「如何にもそうですよ。死者の生前の罪が、審判され、各々に見合った呵責を受ける場所なのです。いま、あなたのお兄さんが、行きちがいから落ちそこなっている奈落というのが、ここの事なのです」
「まあたいへん! いくら気丈夫で強情の兄さまだって、このような際限のない苦しみのなかへ落ちてしまったら、それこそ果てしない話になってしまいます」
「ですから、こうしてわたしは、直々に、閻魔大王への久濶をわびて、罰利生の半生の五戒十善をとくと説いて、あなたがた兄妹が永久に離ればなれにならないようにと………。
まあ、見ていなさい。何にせよ、罰利生の善行の数々といったら、沙金の成仏を境に、おびただしいばかりなのですから。さしもの閻魔大王も、いまに恐れ入ってしまいましょう」
そのゆび纖長にして、爪は赤銅のごとく、たなごころの蓮華に似たるを、恐れるな、として、掩わん。
とそこへ、ある人皮はぎし大板敷、ふた方の通り掛るを、山と積まれた肉塊、はすっかけに崩れたる内より、千曳きの磐石に半ばつぶされて、身をばちりぢりに這うのが一体、危なく天衣をつかまらんとするに、ふみ辷らし、尻居に倒れる。
「まあひどい! いったいどうすればこんな注連縄のような身体になってしまうのかしら。それにあなた、見たところ女性のようでもあるし、私と変わらない歳じゃないの。
あら。あら。苦しいのかしら。何かおっしゃりたいようだけれども、そんなに血を吐き出してしまっては、ごろごろいうばかりで、畜生の………あ、私にはよくわからないわ」
なんたる因果か、這いよりし罪人の、怨むものに違ざれば、ひとこと「たすけて」と、うめきを上げる。
これをひそかに聞いて、哀れさに居たたまれず、惑える。
「さあ。もうその辺で、よしなさい。
罪人の数多はそうなのですよ。業火の苦しみのうちで、自らの生前の罪をつぐなうのです。ですから、ふざけ半分で、罪人の声に耳を貸してはならないのです。
また、冗談にも、愍心を出して、すがり来る罪人をたすけようとしても、万般のためにはなりません。さ、参りましょう」
にべもなく、くらやみに消える影を追い、うしろ髪ひかれる思い、見しも、おめおめ天衣へ顔を掩わんと、葉越のあなたへ踏み入れる。
さすればいずこから、鋼叉がふり来り、声を揚げる喉を、食い裂かんと、人皮はぎし大板敷へ、ずるずると追い返えさんとする。
地獄とは、一三六の責苦があって、劒に臓を貫かれる、焱に顔を焼かれる、舌を拔かれる、生皮をむしられる、鉄のきねに撞かれる、油の鍋に煮られる、毒蛇に脳味噌を吸われる、熊鷹に黒目を啄かれる、などなど、艱苦のいちいち数えては果てしがない。起きながら悪夢の覚めやらぬが地獄とも、途方に昏れる折しも、われを忘れ、つとほとばしる哭き声、噛みしめる歯をさえ漏れつ、いずるを、かいこの糸を吐いて倦まざらんごとくに、限りも知らず、長きに亘る。
ほどなく、かすかな寝息を立てて、うちしおれ、短いゆめを結ぶ。
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