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ナイトハイカー
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北方の国に、アイヌの伝説がある。その伝説の中には、次のような一節がある。
英雄、アタシントクルが、巨大なアメマスを捕らえ、損ない、破茶滅茶に暴れ、山は崩れ、大地は割れ、地形が一変して、巨大なカルデラ湖が生まれた。
この伝説の湖とは、北方の国の東に位置する、巨大なカルデラ湖であるという説が一般的に知られている。湖底からの湧き水によって、透明度が高く、神々しいまでの自然湖だ。
しかし別の伝承者によると、このカルデラ湖は、未開のものだと伝えている。いわゆる諸説ありというやつだ。その伝承者が言うには、この伝説の湖は、日本の地図には存在しないまぼろしの秘湖として、伝えており、なんでも八つの火山のどこかに、突然青く光る湖面を現わすというのだ。たまたまそこへ通りがかった、ナイトハイカーたちは、その神々しいまでの青い水の光に、照らされて、しばらくは動けなくなるという。にわかには信じがたい、嘘みたいな話だが、実はこの私も、伝説の秘湖に会い、青い水の光に顔を照らされた一人であった。
すさまじい静けさである。明るみと言って、ただ落ちた青の一筋が、きらきらするのみで、夜なのであろう。それにこの輝き。湖岸にひざをついて、手の平に水を掬うと、どの玉も水晶である。また、さらさらした水である。青く灼けた銀河の映り具合も、くるくると星を回している。ちょっと美しい。浅瀬に湖水を吸いあげる、万々の花しょうぶも、桃のうす皮のような花びらをふくいくと咲かせている。赤らんだり、黄ばんだり、もみじの下枝から、と低く舞うあざやかなのさえ、物ありそうな。
ガラガラとした、岩場の足音が響く。その外は、虫の音も無い。白樺のこずえから、若葉の育つ音が聞こえて来そうなほどの、すさまじい静けさ。ハードシェルのポケットに、両手をつっこんで、一人ほとりに立っていると、青い水明かりがひんやりと目の底を覆う。コップ一杯の水に音はない。しかし、それが数億杯ともなれば、サファイアを打ったような、高い響きがこだまする。目を閉じて、水の中に手をひたしていると、心の中に青い一直線が浮かび上がる。それが鋭敏な金属か何かのように、キーンと高い音が鳴っている。ほんのわずかでも、気を抜いてしまえば、その青い水平線は、パルス波の波形ように乱れ、ことごとく壊れてしまう。大抵は感情もあって、雑念があって、むざむざ破壊してしまう。塵と人がごったになって生きる、我々にとって、鏡をみがいたように、はっきりと心が研かれるということが、どうも無理らしい。そうであったら、そう思い、生きながらも、あちこちで影人形を使う残念な人たちが、我われを自由にしない。内証がわるい。そりが合わない。身の振りが不安だ。とうてい冷たく澄みきった水の音になぞ、耳は向かない。
こと私の場合に至っては、それが怨みによるものでないとも言い切れない。有髪の尼の念仏に耳を澄ましても、日曜のキリストに十字をきっても、薬餌、呪、加持祈祷、等々、屋根瓦にへばりついた猫の糞とみょうばんを煎じて飲んでも、心の上澄にこそ白けた感謝の念が生まれても、モヤモヤと胸にわだかまる怨みの情を払いきれるものではない。つつしんでいるつもりでも、何かのはずみで、感情は高まる。自分を捨てた者たちへ、自分を追いやった者たちへ、報復の狼煙を焚き始める。それはどこにもいて、ちょっと朱塗の碗から小豆のいい匂いを嗅ぐだけで、一腔の怨毒を方々へ吐き散らす。
このような経験は誰にでもあるかも分からない。誰もがきっと人を怨むかも分からない。愛しい人に左右の暇なく捨てられて、怨むかも分からない。親しい人に媳姉妹をあさられて、怨むかも分からない。人情にそむいて、義理を欠いて、親兄弟とケンカの末に、捨小舟になろうとも、このさき分からないものだ。怨まないまでも、怨めしい思いが心を大きくかき乱すかも分からない。
その時、私たちはあけらかんと澄ましていられるだろうか。おほほと笑ってやかんの白湯を汲取っていられようか。脈打ち血にぬれた心が、さくりと裂けて、声にならぬ悲鳴を上げるのではなかろうか。まや薬を塗った傷口のように、いつまでも膿み、じくじくした傷跡と残ってしまわないか。
いま、一冊の古書がある。
百年まえの硯を研いで、半紙に筆書きにした、民話である。保存の状態はすこぶる悪い。真宗の古刹に見るのとわけが違う。おおかた火鉢の炭がはねた部分もあれば、鼠が失敬した痕もある。この古書が、どの手を渡って、我が家の屋根裏部屋に眠っていたかは、皆目見当もつかない。ずいぶん永いこと、紙表具の軸との間に埋まっていたようで、うっかり書棚を崩した際に、上になって落ちて来た。ひょいとつまんで、目の高さまで上げて見ると、武骨な筆跡は、ああなるほど骨董品のようだった。鑑定という鑑定ではないが、筆の使いがちょっと美しい。が、破れている。なんとも扱いが扱いであったから、霜枯れしたような、油色に染ついている。これでは、博識な文学者が欠硯に腕をふるったにせよ、哀れにほかならない。
夜、虫の音を聞きながら、一人茶の間に座った。そして、黴くさい中身をはぐって、手ごわい擬古文と格闘。古い扇にある能筆が、柳の縮れ葉のように、混んで書かれて、未熟な小生はウンウン唸って、解読に迫られた。古文辞書をめくって、文脈が明らかになりかけると、虫が喰う。虫が喰わない所は、シミがある。から、たいへん骨が折れた。ところが、調べれば調べるほど、古書に記されるものは闇が深い。その闇の部分に、私の興味は削がれる事がなかった。
怨みである。
古書にあるは、深い怨み。人を怨まずに過ごせぬ体が、割れるような苦痛に虐げられていた私は、頭の中に火柱の立つ思いだった。
怨むものの怨みて、ほしいままなるを、いかにせん。
冒頭から、肉の眼で恐ろしい夢を見るような思いだった。〝怨み〟というものの、あまつさえ本気にならないでいた私の心を、誘い、惑わす、すずろ寒き言葉。人の血をしぼり、つぶし、したたるうちに紙面へ流したかと見ちがえる、すさまじい筆圧。
これを語らんに人はなく、自ら救うべき道はありや。ありとも覚えず、なしとは知れど、わずらうもののわずらい、あながちに怨むる心を避けず、深かりけむ。
(中略)
車は馳せ、景は移り、境は転じ、客は改まれど、かわらざる憂鬱、胸中に抱きて、むしろ怪き誘いのごとく、成りなんを、快からずやと疑えるなり。
このあと、怨むものは、天川屋という宿に宿泊し、泣き寝入りをする。
峰たかく、岩深き中にぞ、囲われて、山峡に日を動かし、いよいよ石の玉垣、夜の色と、おもしろかるべきことなりければ、沈むなりけり。
(中略)
かかる晩のとき、亥の上刻なれば、よろずの軒の下、仕舞う声、白壁建ちつづく、土蔵造りにこだまするまま、酒息のむつましき四五人ばかり、怨みじゃこう、いと忍びて、盛んなりけり。すすり泣きすものの心、自らつりこまんと、怨み。怨み。鼻水をうちかみつつ、驚き騒ぎて、のめりながら敷居際へ、はかなき花、はい寄らんと、いとあはれなり。
窓の外から聞こえた男たちの話とは、次の通りである。ちょっと訳してみよう。
「こりゃあ参ったねえ。お前さんの言う、〝私怨ヶ池〟という所へ行けば、誰の怨みでも晴らされるのかねえ?」
「ヘエ。これは確かな事実にございます。実際に怨みを晴らしてもらったという、泉州の男があるそうで、ずいぶん気前のいい話をしておりました」
「なんと、そこに住む化坊主は、俺の怨みさえも晴らせるのだな」
「ヘエ。晴らせるには晴らせますが、そこはその、さすがは仙人、ただ、というわけにはまいりません」
「おおおお、クソ坊主め! この次には、金でもねだろうか」
「イエイエ。お金なんぞは一文もおよびません。私が言うのは、そうですね、この化坊主というのは、高い山にある、幻の池に住んでいて、さらに広い中央にのみ、居ることから、その沖合まで、池の水を泳いで参らねばならないと、まあそういう次第にございます」
「合点合点。いち早く、どれ、きょうの日の出には、手近な衆に小舟を担がせよう」
「ヲヤッ! これはいけません。あの池の底へ竹竿なぞ突こうものなら、化坊主はおろか、五葉の松をおっ立てた、小岩の住処さえ見つからないそうなのでございます」
「なんで」
「ヘエ。つまりこうでございます。いつのことでございましたでしょう、おおかた江戸で白河楽翁が政柄を執っていた、寛政の頃でございましょうか。駿州より或る城持大名が、じゃらくらといってどやくやと、遙ばる私怨ヶ池くんだりまで、大行列を従えまして、まあどこでどう小耳に挟んだものか、底は一枚板の平らかな小舟で、盛んに池の水面を覆いますれば、水草の根を分けるくらいにして、化坊主をひっ捕らえ始めたのでございます。おおかた家老あたりが、生なかに盗み聞きしたアレの術を、すっかり鵜呑にしたのでございましょう。さんざ池の水に家来を放って、昼はひねもす夜はよもすがら、ういじを浚ってくしゃみを吹かすと、しおしおと帰って行ったのでございます」
「ヤレヤレ。とんだ酔狂もあったものだ。小舟がダメともなれば、いっそ、水底の日の透るうちに済まそうかしら」
「イエイエ。池も暗くなくては、同様にございます。化坊主は、皓々と月の晩にのみ、細かい波にその影法師を揺すっているのでございます。
いつの頃でございましたでしょう、あれは元慶の末か、仁和のはじめか、平安朝の摂政藤原基経に仕えている侍の四人が」
「………………」
誰の怨みでも晴らせるという、私怨ヶ池の化坊主。その存在を耳にした怨むものは、血にぬれた自らの怨みをもと、いざ、活路を見い出すのである。
ひきつづき、訳して行こう。
英雄、アタシントクルが、巨大なアメマスを捕らえ、損ない、破茶滅茶に暴れ、山は崩れ、大地は割れ、地形が一変して、巨大なカルデラ湖が生まれた。
この伝説の湖とは、北方の国の東に位置する、巨大なカルデラ湖であるという説が一般的に知られている。湖底からの湧き水によって、透明度が高く、神々しいまでの自然湖だ。
しかし別の伝承者によると、このカルデラ湖は、未開のものだと伝えている。いわゆる諸説ありというやつだ。その伝承者が言うには、この伝説の湖は、日本の地図には存在しないまぼろしの秘湖として、伝えており、なんでも八つの火山のどこかに、突然青く光る湖面を現わすというのだ。たまたまそこへ通りがかった、ナイトハイカーたちは、その神々しいまでの青い水の光に、照らされて、しばらくは動けなくなるという。にわかには信じがたい、嘘みたいな話だが、実はこの私も、伝説の秘湖に会い、青い水の光に顔を照らされた一人であった。
すさまじい静けさである。明るみと言って、ただ落ちた青の一筋が、きらきらするのみで、夜なのであろう。それにこの輝き。湖岸にひざをついて、手の平に水を掬うと、どの玉も水晶である。また、さらさらした水である。青く灼けた銀河の映り具合も、くるくると星を回している。ちょっと美しい。浅瀬に湖水を吸いあげる、万々の花しょうぶも、桃のうす皮のような花びらをふくいくと咲かせている。赤らんだり、黄ばんだり、もみじの下枝から、と低く舞うあざやかなのさえ、物ありそうな。
ガラガラとした、岩場の足音が響く。その外は、虫の音も無い。白樺のこずえから、若葉の育つ音が聞こえて来そうなほどの、すさまじい静けさ。ハードシェルのポケットに、両手をつっこんで、一人ほとりに立っていると、青い水明かりがひんやりと目の底を覆う。コップ一杯の水に音はない。しかし、それが数億杯ともなれば、サファイアを打ったような、高い響きがこだまする。目を閉じて、水の中に手をひたしていると、心の中に青い一直線が浮かび上がる。それが鋭敏な金属か何かのように、キーンと高い音が鳴っている。ほんのわずかでも、気を抜いてしまえば、その青い水平線は、パルス波の波形ように乱れ、ことごとく壊れてしまう。大抵は感情もあって、雑念があって、むざむざ破壊してしまう。塵と人がごったになって生きる、我々にとって、鏡をみがいたように、はっきりと心が研かれるということが、どうも無理らしい。そうであったら、そう思い、生きながらも、あちこちで影人形を使う残念な人たちが、我われを自由にしない。内証がわるい。そりが合わない。身の振りが不安だ。とうてい冷たく澄みきった水の音になぞ、耳は向かない。
こと私の場合に至っては、それが怨みによるものでないとも言い切れない。有髪の尼の念仏に耳を澄ましても、日曜のキリストに十字をきっても、薬餌、呪、加持祈祷、等々、屋根瓦にへばりついた猫の糞とみょうばんを煎じて飲んでも、心の上澄にこそ白けた感謝の念が生まれても、モヤモヤと胸にわだかまる怨みの情を払いきれるものではない。つつしんでいるつもりでも、何かのはずみで、感情は高まる。自分を捨てた者たちへ、自分を追いやった者たちへ、報復の狼煙を焚き始める。それはどこにもいて、ちょっと朱塗の碗から小豆のいい匂いを嗅ぐだけで、一腔の怨毒を方々へ吐き散らす。
このような経験は誰にでもあるかも分からない。誰もがきっと人を怨むかも分からない。愛しい人に左右の暇なく捨てられて、怨むかも分からない。親しい人に媳姉妹をあさられて、怨むかも分からない。人情にそむいて、義理を欠いて、親兄弟とケンカの末に、捨小舟になろうとも、このさき分からないものだ。怨まないまでも、怨めしい思いが心を大きくかき乱すかも分からない。
その時、私たちはあけらかんと澄ましていられるだろうか。おほほと笑ってやかんの白湯を汲取っていられようか。脈打ち血にぬれた心が、さくりと裂けて、声にならぬ悲鳴を上げるのではなかろうか。まや薬を塗った傷口のように、いつまでも膿み、じくじくした傷跡と残ってしまわないか。
いま、一冊の古書がある。
百年まえの硯を研いで、半紙に筆書きにした、民話である。保存の状態はすこぶる悪い。真宗の古刹に見るのとわけが違う。おおかた火鉢の炭がはねた部分もあれば、鼠が失敬した痕もある。この古書が、どの手を渡って、我が家の屋根裏部屋に眠っていたかは、皆目見当もつかない。ずいぶん永いこと、紙表具の軸との間に埋まっていたようで、うっかり書棚を崩した際に、上になって落ちて来た。ひょいとつまんで、目の高さまで上げて見ると、武骨な筆跡は、ああなるほど骨董品のようだった。鑑定という鑑定ではないが、筆の使いがちょっと美しい。が、破れている。なんとも扱いが扱いであったから、霜枯れしたような、油色に染ついている。これでは、博識な文学者が欠硯に腕をふるったにせよ、哀れにほかならない。
夜、虫の音を聞きながら、一人茶の間に座った。そして、黴くさい中身をはぐって、手ごわい擬古文と格闘。古い扇にある能筆が、柳の縮れ葉のように、混んで書かれて、未熟な小生はウンウン唸って、解読に迫られた。古文辞書をめくって、文脈が明らかになりかけると、虫が喰う。虫が喰わない所は、シミがある。から、たいへん骨が折れた。ところが、調べれば調べるほど、古書に記されるものは闇が深い。その闇の部分に、私の興味は削がれる事がなかった。
怨みである。
古書にあるは、深い怨み。人を怨まずに過ごせぬ体が、割れるような苦痛に虐げられていた私は、頭の中に火柱の立つ思いだった。
怨むものの怨みて、ほしいままなるを、いかにせん。
冒頭から、肉の眼で恐ろしい夢を見るような思いだった。〝怨み〟というものの、あまつさえ本気にならないでいた私の心を、誘い、惑わす、すずろ寒き言葉。人の血をしぼり、つぶし、したたるうちに紙面へ流したかと見ちがえる、すさまじい筆圧。
これを語らんに人はなく、自ら救うべき道はありや。ありとも覚えず、なしとは知れど、わずらうもののわずらい、あながちに怨むる心を避けず、深かりけむ。
(中略)
車は馳せ、景は移り、境は転じ、客は改まれど、かわらざる憂鬱、胸中に抱きて、むしろ怪き誘いのごとく、成りなんを、快からずやと疑えるなり。
このあと、怨むものは、天川屋という宿に宿泊し、泣き寝入りをする。
峰たかく、岩深き中にぞ、囲われて、山峡に日を動かし、いよいよ石の玉垣、夜の色と、おもしろかるべきことなりければ、沈むなりけり。
(中略)
かかる晩のとき、亥の上刻なれば、よろずの軒の下、仕舞う声、白壁建ちつづく、土蔵造りにこだまするまま、酒息のむつましき四五人ばかり、怨みじゃこう、いと忍びて、盛んなりけり。すすり泣きすものの心、自らつりこまんと、怨み。怨み。鼻水をうちかみつつ、驚き騒ぎて、のめりながら敷居際へ、はかなき花、はい寄らんと、いとあはれなり。
窓の外から聞こえた男たちの話とは、次の通りである。ちょっと訳してみよう。
「こりゃあ参ったねえ。お前さんの言う、〝私怨ヶ池〟という所へ行けば、誰の怨みでも晴らされるのかねえ?」
「ヘエ。これは確かな事実にございます。実際に怨みを晴らしてもらったという、泉州の男があるそうで、ずいぶん気前のいい話をしておりました」
「なんと、そこに住む化坊主は、俺の怨みさえも晴らせるのだな」
「ヘエ。晴らせるには晴らせますが、そこはその、さすがは仙人、ただ、というわけにはまいりません」
「おおおお、クソ坊主め! この次には、金でもねだろうか」
「イエイエ。お金なんぞは一文もおよびません。私が言うのは、そうですね、この化坊主というのは、高い山にある、幻の池に住んでいて、さらに広い中央にのみ、居ることから、その沖合まで、池の水を泳いで参らねばならないと、まあそういう次第にございます」
「合点合点。いち早く、どれ、きょうの日の出には、手近な衆に小舟を担がせよう」
「ヲヤッ! これはいけません。あの池の底へ竹竿なぞ突こうものなら、化坊主はおろか、五葉の松をおっ立てた、小岩の住処さえ見つからないそうなのでございます」
「なんで」
「ヘエ。つまりこうでございます。いつのことでございましたでしょう、おおかた江戸で白河楽翁が政柄を執っていた、寛政の頃でございましょうか。駿州より或る城持大名が、じゃらくらといってどやくやと、遙ばる私怨ヶ池くんだりまで、大行列を従えまして、まあどこでどう小耳に挟んだものか、底は一枚板の平らかな小舟で、盛んに池の水面を覆いますれば、水草の根を分けるくらいにして、化坊主をひっ捕らえ始めたのでございます。おおかた家老あたりが、生なかに盗み聞きしたアレの術を、すっかり鵜呑にしたのでございましょう。さんざ池の水に家来を放って、昼はひねもす夜はよもすがら、ういじを浚ってくしゃみを吹かすと、しおしおと帰って行ったのでございます」
「ヤレヤレ。とんだ酔狂もあったものだ。小舟がダメともなれば、いっそ、水底の日の透るうちに済まそうかしら」
「イエイエ。池も暗くなくては、同様にございます。化坊主は、皓々と月の晩にのみ、細かい波にその影法師を揺すっているのでございます。
いつの頃でございましたでしょう、あれは元慶の末か、仁和のはじめか、平安朝の摂政藤原基経に仕えている侍の四人が」
「………………」
誰の怨みでも晴らせるという、私怨ヶ池の化坊主。その存在を耳にした怨むものは、血にぬれた自らの怨みをもと、いざ、活路を見い出すのである。
ひきつづき、訳して行こう。
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