ディバイン・デビルズ ~闇と光の契約~

蒼獅

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魂の覚醒、揺れる運命

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深い静寂が辺りを包む。アゼルはラフィーナを腕の中に抱えたまま、冷たい闇の気配を鋭い視線で睨みつけていた。先ほどまでここを満たしていた光は跡形もなく消え去り、刺客たちの影も、ただの幻であったかのように消失していた。しかし、あの瞬間の記憶はアゼルの中に焼き付いて離れない。

「透き通る魂は……存在してはならぬ。」

ルシフェルの声が冷たく響き、未だにアゼルの耳に残っている。あの言葉が何を意味しているのか、そしてラフィーナが地獄の秩序にどれほどの影響を及ぼす存在なのか、すべてが霧の中に隠されているようだった。

「サイラス……今の光景について何を知っている。」

アゼルの声は低く抑えられていたが、その奥には強い疑念と焦りが混じっている。だがサイラスは冷静な表情を崩さず、短く答えた。

「今は安全な場所に移動することが優先だ。ラフィーナの力が目を覚ました以上、次に送られる刺客はさらに手強いだろう。」

その言葉にわずかな違和感を覚えつつも、アゼルはそれ以上追及しなかった。彼女の体は驚くほど軽い。しかし、その小さな体からは、まるで地獄の運命そのものが凝縮されているかのような重みが伝わってきた。

心の奥底で響くのは、疑問と恐怖、そして――守らなければならないという決意だった。

「どんな代償を払おうと、ラフィーナだけは……」

その言葉を胸に刻みながら、アゼルは一歩を踏み出した。

地獄の風が低く唸りを上げる中、アゼルは公爵館へと戻る道を急いでいた。ラフィーナを抱きしめる腕に自然と力が込められる。彼女の体温がわずかに残っていることが、彼の焦燥感をほんの少し和らげた。

後ろから足音が近づき、サイラスがアゼルの隣に並ぶ。彼の表情は険しく、赤い瞳が闇の奥を鋭く見据えている。

「ルシフェルが本気で動き出した以上、これで終わるわけがない。」

サイラスが低い声でつぶやくと、アゼルはわずかに眉をひそめた。

「お前は何を隠している?」

その問いにサイラスは立ち止まった。闇の中でアゼルの視線を真っ向から受け止め、冷たい声で答えた。

「隠しているわけではない。ただ、すべてを語るにはまだ時期が早い。」

「時期が早い?お前の曖昧な言葉がどれだけ秩序を乱しているか分かっているのか。」

アゼルの声にはわずかに怒りが混じる。しかし、サイラスは動じることなくその場を歩き出した。

「ラフィーナが何者であろうと、秩序を守るのが私たちの役目だ。それ以上は、今は考えるべきではない。」

アゼルはサイラスの背中を見送りながら深い息を吐いた。確かに秩序を守ることが自分の使命だと理解している。だが、ラフィーナの存在を危険視するのはルシフェルだけではない。地獄全体が彼女の存在を否定し、排除しようとしているのだ。

「俺だけが彼女を守れる。そうだろう?」

自分自身に問いかけるように、アゼルはラフィーナを見下ろした。彼女の穏やかな寝顔には恐怖の影はなく、それがかえって胸を締め付ける。彼女がどれほど危険な存在であるとしても、この手から離すわけにはいかなかった。


公爵館に戻ると、使用人たちが慌ただしく動き始めた。ラフィーナを安全な部屋に運び込み、医者を呼ぶ手配が進められる。アゼルは彼女のベッドの横に座り、意識を失ったままの彼女を見つめていた。

その時、扉がノックされ、サイラスが中に入ってきた。

「公爵、どうかその責務を忘れないでください。ラフィーナだけを守るのがすべてではありません。」

「それが分かっているなら、なぜお前は彼女に干渉し続ける?」

サイラスの顔に一瞬だけ陰りが差したが、すぐに冷たい仮面を取り戻す。

「彼女の存在が地獄の均衡を崩す可能性があることを、私は知っています。それを見過ごすわけにはいきません。」

「均衡を崩すかどうかは関係ない。彼女を犠牲にすることは絶対に許されない。」

アゼルの声に力がこもる。冷酷な公爵としての仮面の下から、彼の心に潜む激しい決意が垣間見える瞬間だった。


夜が深まり、アゼルはラフィーナの隣に座っていた。彼女がゆっくりと目を開けると、混乱した表情で周囲を見回した。

「ここは……?」

か細い声が静寂を破る。アゼルは椅子に身を預けながら、短く息を吐いた。

「公爵館だ。安全だと言い切れればいいが、そう簡単にはいかない。」

彼の低い声に、ラフィーナは戸惑いながらも視線を向ける。その瞳には、不安と恐怖が揺れていた。その感情が、アゼルの胸に重くのしかかる。

「私は……どうすればいいの?」

ラフィーナの問いに、アゼルは一瞬だけ口を閉ざした。彼女に秘められた力が何を意味するのか、彼にもわからない。ただ、彼女の存在が通常とは異なる特別なものだという感覚だけが、胸の奥で静かに警鐘を鳴らしていた。

「それを知るのはこれからだ。」

アゼルは短く答え、そっと彼女の肩に手を置いた。その手の温かさが、張り詰めたラフィーナの心をわずかに和らげた。

だが、その安堵の裏側で、迫りくる刺客の影が闇に潜み、じっと息を殺している。

その夜、館の外では冷たい風が木々を揺らし、耳障りな音を立てていた。アゼルは窓辺に立ち、闇を鋭く見据える。その視線の先、暗闇の中で微かに揺れる影を捉えた。確かな気配が、静かに近づいている。

「次が来る。」

彼は低くつぶやき、窓を閉めると剣を手に取った。その冷たい刃に触れるたび、使命と決意が胸に込み上げる。地獄の秩序を守る責務と、ラフィーナを守るという信念。その狭間で揺れる心を抑えつけながら、静かに戦いの準備を進めた。

翌朝、館内の空気は重苦しいものに包まれていた。どこかに潜む危機の気配を察した使用人たちは、不安げな表情で足早に動き回っている。書斎では、アゼルが剣を膝に置きながらラフィーナに目を向けていた。彼女は部屋の隅で、膝の上にそっと手を重ねながら座っている。その仕草には、自分の中の不安を押し隠そうとする慎ましさが漂っていた。

アゼルの手元にある剣は、地獄の戦場を潜り抜けた歴史を刻んでいる。その冷たい輝きを見つめながら、彼の瞳には守るべき存在への覚悟が浮かんでいた。

扉が控えめにノックされ、その後、サイラスが静かに部屋へ入ってきた。彼の動作には、目上のアゼルへの敬意が滲んでいる。

「外が騒がしくなっております。ルシフェルが新たな部隊を送り込んだ可能性が高いかと。」

「どれほどの規模だ?」

アゼルの声は冷静だが、その目には鋭い光が宿っている。

「規模の問題ではございません。今回は……たった一体のみのようです。しかし、その一人が、私たちにとって最大の脅威となる可能性がございます。」

「一体だけ、だと?」

アゼルの瞳が一瞬鋭さを増した。その言葉の意味を考える間もなく、突然、窓の外から地を揺るがすような轟音(ごうおん)が響き渡った。それは、巨大な獣が遠吠えしているかのような、不気味で耳をつんざく音だった。まるで大地そのものが悲鳴を上げているようにも聞こえる。

館の壁が微かに震え、どこからともなく冷たい風が吹き込んできた。その風には、不吉な何かが近づいている予感が混じっている。地面もわずかに揺れ、遠くで巨大な存在が動き出す気配が伝わってくる。

「始まったな。」

アゼルは低くつぶやき、その瞳に鋭い光を宿した。


アゼルは立ち上がり、剣を握りしめる。その瞬間、扉の向こうから足音が近づき、ラフィーナが駆け込んできた。彼女の顔には不安が浮かんでいる。

「何が起きているの?」

ラフィーナの問いに、アゼルは迷いなく答えた。

「次の刺客だ。お前はここで待て。」

だがラフィーナは首を横に振り、その場から退こうとしなかった。その瞳にはただ守られるだけでは終わらないという意思が宿っている。

「私が原因なんでしょう?それなら……私にもできることがあるはず。」

「馬鹿を言うな!」

アゼルの声が低く響き、部屋の空気が張り詰める。それでもラフィーナは動じず、強い視線でアゼルを見つめ返した。

アゼルは短く息を吐き、彼女の肩に手を置いた。

「お前を守ることが、今の最優先だ。それ以外のことは考えるな。」

その瞬間、外から鋭い轟音(ごうおん)が響き渡り、館の壁が激しく揺れた。空気が張り詰める中、サイラスが冷静な声で進言(しんげん)する。

「アゼル公爵、時間がありません。正面は私が引き受けます。どうか、彼女を安全な場所へお連れください。」

アゼルは一瞬だけサイラスを睨(にら)みつけたが、すぐにその目を逸(そ)らし、短く頷(うなず)いた。そしてラフィーナの手をしっかりと握り、静かに言葉を告げる。

「行くぞ。」

館内を抜ける裏手の通路を、アゼルとラフィーナは駆け抜ける。背後には闇の気配が迫り、ラフィーナの足がふらついた。アゼルはすぐに立ち止まり、彼女を支える。

「無理をするな。俺が抱えて行く。」

「そんな……私は大丈夫……。」

ラフィーナが言いかけた瞬間、闇の中から鋭い刃のようなものが飛び出してきた。アゼルは反射的に剣を振り、その攻撃を弾き返す。その衝撃でラフィーナが小さく息を呑んだ。

「お前を守りながら、必ずここを抜け出す。心配するな、すべて俺が引き受ける。」

アゼルの言葉には、揺るぎない覚悟と彼女を守り抜こうとする深い愛情が込められていた。ラフィーナはその声を聞き、胸の中に広がる不安がゆっくりと和らいでいくのを感じた。彼の存在は、どんな闇の中でも光をもたらすような安心感を与えてくれる。しかし同時に、彼の力に頼るばかりの自分が歯がゆく思え、胸が締め付けられるようだった。


通路の出口にたどり着いた瞬間、目の前に黒い影が現れた。それは、サイラスが言っていた「1人の刺客」だった。その姿は人間に近いものの、全身から黒い炎が立ち上り、赤い瞳が鋭く光っている。その炎は地面を焼き尽くし、その熱気が空気を歪ませるようだった。その存在感は圧倒的で、館の空気そのものが変わったかのように感じられた。

「ルシフェル様の命令だ。人間の女を引き渡せ。」

刺客の声は深く低い響きで、空気を切り裂くようだった。アゼルは剣を構え、ラフィーナの前に立ち塞がる。

「貴様に彼女を渡すくらいなら、俺はこの命を燃やす。」

刺客は嘲笑(あざわら)うように微笑んだ。その笑みには、戦いを楽しむ余裕が見え隠れしている。

「ならば、燃やしてみせろ。」

その言葉と共に、刺客が一歩踏み出す。次の瞬間、激しい闇の力が爆発的に放たれ、アゼルは剣を握り締めながらその力に立ち向かった。

「ラフィーナ、下がれ!」

アゼルの叫び声が響き渡る中、ラフィーナは自分の無力さを再び痛感していた。それでも、その胸には得体の知れない感覚が芽生え始めている。彼女の手がかすかに震え、その震えが何か未知の兆しを秘めているように思えた。

濃密な闇が迫る中、アゼルは刺客の鋭い刃を受け止めながら、全身に渦巻く魔力を限界まで引き出していた。だが、相手の力は予想を遥かに超えており、一瞬の隙が命取りになる状況だった。背後で守られるラフィーナの存在が、彼にさらなる責任感と覚悟を与える。

「アゼル!」

ラフィーナの震える声が背中に届く。その声がかすかにアゼルの動きを迷わせた一瞬、刺客の黒い刃が彼の肩を掠(かす)め、深い傷を刻む。黒い液体が滲(にじ)み出し、まるで深い闇そのものが流れ出ているかのようだった。

「ここで終わるわけにはいかない……!」

アゼルは痛みを押し殺し、再び剣を振り上げた。その一撃は刺客を退けたが、彼の体力も限界に近づいていることは明らかだった。

その時、遠くから響く足音とともに、サイラスの冷静な声が闇を切り裂いた。

「公爵様、後退してください!」

アゼルが振り向くと、サイラスが通路の出口へ向かって全速力で駆けてくるのが見えた。彼の赤い瞳は鋭く輝き、手には剣が握られている。

「刺客が一体だけだとは思えない。奴はここを狙っていたようです。」

サイラスがアゼルの前に立ちふさがるように剣を構え、刺客の刃を受け止める。アゼルは短く息を吐き、負傷した肩を押さえながらラフィーナの方へ目を向けた。

その時、ラフィーナの胸の奥で、何かが静かに弾けるような感覚が広がった。不安と恐怖に囚われていた心が、一つの確信に変わり始める。彼女の手がかすかに震え、明るい光が彼女の周囲を薄く包み始めた。

サイラスがその光に気づき、低い声で言った。

「ラフィーナ、心を落ち着かせるんだ。その力は……」

言葉を切ると、彼は小さな声で囁(ささや)いた。

「アステリア……どうか、この子を……」

その名前を聞いたアゼルは一瞬だけ眉をひそめたが、負傷と戦闘の緊張が続く中、それ以上深く考える余裕はなかった。

「心を落ち着かせる?」ラフィーナは戸惑いながらも、サイラスの言葉に耳を傾けた。彼の静かな声は、嵐の中の灯台のように感じられた。

光が次第に強まり、ラフィーナを中心に柔らかな輝きが広がっていく。それは刺客を圧倒するほどの威力を持ち始め、アゼルも思わず目を細めた。

「この力は……」

アゼルは息を呑みながら、ラフィーナに目を向けた。その表情には驚きと同時に、守るべき存在が目の前で何か大きな変化を遂げていることへの複雑な感情が宿っていた。

サイラスは刺客を退けつつ、アゼルに短く指示した。

「彼女を連れて安全な場所へ。これ以上ここに留まるのは危険です。」

アゼルはうなずき、ラフィーナの手をしっかりと握った。その手から伝わる温かさが、彼に新たな力を与えるようだった。

ラフィーナの纏(まと)う光が刺客を包み込み、一瞬の静寂が辺りを支配した。その眩(まばゆ)い輝きに刺客は動きを止め、その場から一歩後退する。しかし、その隙を逃さず、サイラスが剣を振りかざして突進した。

「逃がすわけにはいかない……!」

刺客の鋭い刃とサイラスの剣が激しくぶつかり合う。その音は耳をつんざき、闇の中に鋭い火花を散らした。しかし、刺客の反撃により、サイラスは胸元を深く切り裂かれ、膝をついた。

「サイラス!」

ラフィーナの叫び声が響き渡り、その瞬間、彼女の光が一気に激しく燃え上がった。その光は彼女自身の制御を超えて広がり、周囲を飲み込んでいく。

「アゼル様!」
サイラスが顔を上げ、力強く告げた。

「光の防御を!できる限りの力を使ってください!」

アゼルは戸惑いながらもサイラスの言葉に従い、剣を構えながら防御を展開した。しかし、ラフィーナの光はそのまま解き放たれ、敵味方の区別なく辺りを呑み込んでいく。

刺客の身体はチリとなり、完全に消滅した。しかし、その激しい光の衝撃波はアゼルとサイラスにも及び、2人の体を押し倒した。

公爵館の使用人たちは、周囲に満ちていた恐ろしい闇の力が消え去ったのを感じ取り、すぐにアゼルの元へ駆け寄った。だが、彼らが目にしたのは深い傷を負い、地に伏しているサイラスとアゼルだった。

「サイラス、お前の怪我の方が……!」アゼルが低い声で言うと、サイラスは苦しげな呼吸の中で静かに首を振った。

「いいえ、アゼル公爵を治療してください。私は後回しで構いません。」

「だが……!」

「一度決めたことを曲げないのは私の流儀です。」

サイラスは淡々とした声で答え、最後にこう付け加えた。

「ラフィーナは気絶しているだけです。安心してください。」

アゼルはその言葉にわずかに息を吐き、サイラスの不屈の心が単なる配下としての忠誠だけではないことに気づいた。そして、ひとつの疑問が胸に浮かぶ。

「なぜ……お前はあの時、光の防御をすると言った?」

しかし、サイラスが答えることはなかった。彼は静かに視線を外し、治療のために運ばれていった。

その夜、治療を終えたアゼルは、静かな書斎に1人腰を落ち着け、深く考え込んでいた。たった1体の刺客。それが塵となった事実は、単なる始まりに過ぎない。

――ルシフェルは本気だ。
さらなる力を行使し、秩序を乱す存在を消し去るつもりなのだろう。それも、手段を選ぶ余裕すら持たず、迅速に、徹底的に。

アゼルは指先でペンを転がしながら、事態の深刻さを噛み締めた。静寂の中に潜む不安と焦燥感。それは、嵐の前の静けさに似ていた。

一方、アゼル公爵家の客間では、サイラスが静かに立ち上がり、胸元をゆっくりと指でなぞっていた。黒い力を宿した刺客の剣。その刃が彼の胸を貫いた瞬間の感覚は、まだ鮮明に記憶に残っている。

しかし、今ではその傷は完全に癒えていた。本来なら致命傷となるはずの傷も、彼の秘めた力が一瞬で修復していた。そして、その過程で黒い闇の力に触れたことで、彼の中の「別の力」が再び目覚めたことを確信していた。

「愚かなことだ……あの程度の力で私を倒せるとでも思ったのか。」

サイラスの赤い瞳が冷たく輝く。しかし、彼は自分の中に潜む力を使うわけにはいかなかった。それは、愛する者を守るために彼女と交わした約束だった。彼は静かに心に言い聞かせ、冷静さを保った。

その時、地獄の深淵(しんえん)から低く響く声がサイラスの耳を捉えた。

「サイラスよ……ここに来るのだ。」

その声に応じ、サイラスは迷うことなく行動を起こした。

アゼルが深淵の声に気づき、急ぎサイラスの客間に向かった時には、すでに彼の姿は消えていた。サイラスは誰にも告げることなく、1人で深淵へと向かっていたのだ。

その頃、地獄の深淵ではルシフェルがサイラスを前にして立っていた。

「なぜ、秩序を乱す者の力になるのだ。」

ルシフェルの鋭い声が深淵に響く。しかし、サイラスは冷静にその場に佇み、口を開くことはなかった。

「……大公である私が、お前の本来の正体を知らぬとでも思っているのか。」

ルシフェルの言葉には明確な意図と挑発が込められていたが、それ以上に攻撃的な行動を取る気配はなかった。

「サイラス、私はお前を攻撃することはない。それは愚かな悪魔のすることだ。」

深淵(しんえん)の奥底、黒い霧が漂う中でルシフェルは微かに笑みを浮かべ、サイラスに近づいた。

「お前の選択が、この地獄の未来をどう変えるか……見届けさせてもらおう。」

低く響く声に込められた意味深な言葉。しかし、その真意を問うことなく、サイラスは静かに目を閉じ、深淵の冷たさを受け入れるように息をついた。

「……いずれ、すべてが明らかになる。」

サイラスがその場を立ち去ろうとした瞬間、背後からルシフェルの声が再び響いた。

「だが忘れるな、サイラス。お前もまた、秩序を乱す力を持つ存在であることを……」

その言葉を最後に、深淵の暗闇が彼らを飲み込み、音もなく静寂が戻った。

一方、アゼル公爵邸では、不安と焦燥が交錯する中、ラフィーナが眠る部屋に微かな光が差し込んでいた。アゼルが部屋に入ると、彼女の体がゆっくりと動き、やがて瞼(まぶた)が開いた。

「……ラフィーナ?」

アゼルが名を呼ぶと、彼女の銀色の髪がまるで月光を集めたように輝き始める。柔らかな光が彼女の全身を包み込み、その姿はまるで伝説の女神のようだった。

「アゼル様……?」

目を覚ました彼女の声は、以前よりもどこか落ち着き、深みを帯びていた。その澄んだ青い瞳には力強い輝きが宿り、ただの人間らしさを超えた気高さが滲んで(にじんで)いる。

アゼルは思わず言葉を失った。ラフィーナの姿は確かに彼が知る彼女だった。しかし、同時にまったく別の存在を目の当たりにしているような錯覚を覚える。

彼女の銀髪が動くたびに光が弾け、その美しさに目を奪われる。そして、その神々しさと同時に、どこか不穏な気配を感じ取った。

「君は……何が起きた?」

問いかける声は低く抑えられていたが、その中に微かな戸惑いが滲んでいる。ラフィーナは薄く微笑むと、そっと自分の手を見つめた。

「ただ……目を覚ましただけ、アゼル様。」

その言葉に確信めいた意味が含まれていることを悟りながらも、アゼルはそれ以上問い詰めることができなかった。

窓の外、夜空には一筋の流星がきらめき、すぐに消えた。まるで、これからの運命の幕開けを告げるかのように。





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