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触れたら壊れてしまいそうな2人の秘密
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前夜の出来事は、ラフィーナの心に深く刻まれていた。冷たく鋭い視線──地獄の公爵アゼルの配下であるサイラスが、まるで彼女の心の奥底を見透かすようにじっと見つめ、「アゼル公爵に執着されるその魂が、いかに危険な存在か…理解しているのか?」と問いかけたあの瞬間。言葉を失うほどの重圧と、彼の言葉に込められた「触れてはならない」という暗示をはっきりと感じ取っていた。
そんな不安を抱えながらも、ラフィーナはいつもより早く夜の墓地へと足を運んだ。祖母の墓前で祈るふりをしながら、心の中でアゼルを待ち続ける。サイラスの言葉に胸を乱されつつも、あの夜「また会おう」と約束してくれたアゼルを信じたい。その想いは、彼女にとって何よりも強い願いだった。
暗い夜空の下、彼女の不安な心が夜風に揺れる。すると、遠くから足音が響き、闇の中にひとつの影が現れた。
「…待たせたな、ラフィーナ。」
その声に、ラフィーナの胸は一気に喜びで満たされた。アゼルがそこにいる──それだけで彼女の孤独は薄れ、冷たい夜も温かく感じられる。だが彼の表情には、どこか影が差していた。
「アゼル…来てくれて、ありがとう。」
彼女の微笑みにアゼルもわずかに微笑みを返すが、その瞳はどこか深く、沈んでいるように見えた。ラフィーナは何かが気になり、「大丈夫?」と問いかけるが、彼はふと目を伏せ、優しくささやくように答えた。
「君が…ここにいてくれるだけで、俺には十分だ。」
アゼルは言葉を続けようとするも、その口は何度か迷い、やがて何も言わないまま、ただ彼女の髪に触れるようにそっと手を伸ばした。しかしその手は空中で止まり、まるで触れたら壊れてしまうかのようにためらいを感じさせる。
その動作を見つめるラフィーナの心に、彼が抱える何か大きな秘密の重さが伝わってくる。彼の瞳に一瞬、ほんの少しの悲しみが浮かぶ。それは触れてはいけない境界線であり、禁じられた想いの欠片なのだろうか。
「アゼル、あなたも…苦しいの?」
その問いに、アゼルは驚いたように一瞬目を見開き、けれども何かを決意するかのように再び彼女の目を見つめ直した。
「俺の抱える闇を君に見せることはできない。だが…ラフィーナ、君がこの世界にいることが、俺にとってどれほどの意味を持つか、君にはわからないだろう。」
言葉の端々に、彼が伝えたいのに伝えられない想いがにじんでいた。ラフィーナはその想いを、触れてはいけない秘密としてそっと胸にしまい込み、ただ静かにうなずいた。
触れたら壊れてしまうかもしれない、2人の秘密。それでも、彼に触れたいと願う気持ちは止められなかった。
アゼルは、ラフィーナの瞳に宿る微かな光を見つめたまま、一歩彼女に近づいた。夜の静寂に包まれた墓地で、二人だけの世界が広がっているようだった。月明かりが2人を照らし、ラフィーナの白い肌が淡く輝く。
「アゼル…あなたに会うと、今までの孤独が消えてしまう気がするの。」
ラフィーナの小さなささやきに、アゼルの心が再び揺れた。何百年も地獄の公爵として暗闇の中で生きてきた彼にとって、彼女の言葉は新鮮で温かく、心を満たすものであった。
「君が…そう感じてくれるなら、それでいい。」
アゼルの声はいつもより少し優しく、穏やかだった。しかしその直後、彼の背後に微かに闇が揺れ、周囲の空気が一瞬冷たく引き締まるのをラフィーナも感じた。その気配の正体がわからないまま、彼女は不安に駆られてアゼルの手を取りかけるが、アゼルはさっと目をそらし、その場から一歩距離を取った。
「ラフィーナ…君に俺の全てを見せるわけにはいかない。君はこのまま、美しい魂を保って生きていくべきだ。」
アゼルの言葉には、深い葛藤と悲しみがにじんでいた。彼はラフィーナを守りたい、しかしその思いが地獄の掟を超える危険な行為だと分かっている。ふと、前夜のサイラスの言葉が脳裏をよぎる。「白き透き通る魂には触れてはならぬ」との忠告が、彼を再び現実に引き戻していたのだ。
それでもラフィーナはその想いを振り切るように、小さく首を振った。
「アゼル、私にはもう戻る場所なんてないの。あなたがいるから、生きていられる気がするの…あなたと一緒にいたい。」
その言葉がアゼルの心に深く刺さった。地獄で永遠に生きる身の自分が、彼女の命に関わるべきではない。しかし、彼女が自分を必要としているという思いが胸に響き、アゼルはラフィーナの頬にそっと手を伸ばした。触れるか触れないかの距離で、彼の指が彼女の肌の温かさを感じ取る。
だが、その時だった。再び闇が動き、2人の間に冷たい声が響き渡る。
「アゼル公爵…忘れてはならぬ、あなたは悪魔。彼女に触れることすらも禁じられている。」
その声は、再び現れたサイラスだった。鋭い目で2人を見つめ、警告の念を込めてアゼルをにらみつけている。アゼルは一瞬、怒りに満ちた視線をサイラスに向けるが、忠実な配下であるサイラスの忠告の重みも理解していた。
「サイラス…何度言えばわかる?ラフィーナに手を出すことは許さん。」
「手を出す?それはあなた自身が彼女に執着するからこそ危険なのです。公爵、自らの立場をお忘れなきよう。」
ラフィーナは2人の会話に驚き、混乱した。アゼルの配下であるサイラスが、彼に対してこうまで厳しい態度で警告するのはなぜなのか。ラフィーナはふと、彼女がアゼルの存在そのものを危うくする存在なのではないかという不安が胸に広がった。
アゼルはラフィーナを振り返り、静かに言葉を選んだ。
「ラフィーナ、君に会いに来たのは俺の意思だ。そして…君を守るのもまた俺の意思だ。」
その言葉に、ラフィーナは涙を浮かべながら微笑み、かすかにうなずいた。彼がそこにいるだけで、自分が必要とされていると感じられたからだ。
しかしサイラスは、地獄の掟を守らねばならぬ悪魔として、アゼルに最後の忠告をする。
「白き透き通る魂に触れることは、破滅の一歩です。アゼル公爵、あなたが彼女を守りたいと望むなら、その愛を断ち切るしかない。」
サイラスは冷たい表情のまま、姿を消すように闇に溶け込んでいった。彼の言葉が残る中で、アゼルはラフィーナを見つめ、心の中で自問した。
“この思いを、断ち切るべきなのか…?”
ラフィーナは、サイラスが去った後もアゼルの横顔を見つめていた。触れたら壊れてしまうかもしれない、2人の間にある秘密。しかし、ラフィーナはその一瞬の温もりを求めて、彼に近づきたいと強く願っていた。
アゼルはサイラスが残した言葉の余韻にさいなまれながらも、ラフィーナの不安そうな表情を見て、すべてを忘れて彼女を抱きしめたい衝動を抑えられなかった。地獄の掟を知る身として、自分が彼女に近づくことで何を招くのかは理解している。しかし、それでもラフィーナをこの孤独な世界に置き去りにすることができない自分がいた。
「ラフィーナ、君の…その気持ちには応えられないかもしれない。でも、こうして君が笑っているだけで、俺にとってはそれで十分なんだ。」
彼の言葉に、ラフィーナの頬に一筋の涙が流れた。彼女にとってアゼルは唯一無二の存在であり、その温もりは彼女の心を満たすものだった。
「私は…アゼルと一緒にいたい。たとえそれが叶わないとしても、あなたと過ごすこの時間が私のすべてなの。」
アゼルは彼女の想いを受け止めるように深くうなずき、そっと手を伸ばし、彼女の髪に触れる。その手はどこかためらいがちで、彼が自分の立場と葛藤していることが伝わってくる。
しかし、その時──
再び闇の中から、冷たい視線が彼らを射抜いた。それはサイラスではなく、さらに強大な力を持つ地獄の存在だった。周囲の空気が凍りつき、ラフィーナはその圧倒的な威圧感に動けなくなる。
「アゼル公爵、お前が地獄の掟を破ろうとしていることはわかっているぞ。」
低く冷たい声が響き渡り、そこに立っていたのは地獄の大公・ルシフェルだった。アゼルにとってさえも、その存在は絶対的な支配力を持つ恐怖の象徴だった。
「…ルシフェル…」
アゼルは一瞬驚きに目を見開き、すぐに身構えてラフィーナを守る位置に立った。ルシフェルの冷たい視線がラフィーナに向かっていることに気づき、アゼルは必死で彼女をかばおうとする。
「彼女には何の罪もない。俺が責任を負う。だから…彼女には手を出さないでください。」
しかし、ルシフェルは冷たく微笑み、アゼルに向かって静かに首を振ると、重々しい声で告げた。
「お前が抱いた禁忌の感情が、地獄に何をもたらすか…わかっているはずだ。お前のような高位の悪魔が人間に執着するなど…地獄の掟に反する存在だ。」
その言葉にアゼルは唇を噛み、ラフィーナをどう守ればいいのかを必死で模索した。しかしその瞬間、背後からサイラスの冷ややかな声が響いた。
「ルシフェル様、少々お話を。」
驚きのあまりアゼルが振り返ると、そこには影のように立つサイラスがいた。彼はルシフェルの視線を真正面から受け止め、静かに頭を下げていた。
「サイラス…何をする気だ?」
アゼルの問いに答えることなく、サイラスはルシフェルに向き直り、低くささやくように言葉を続けた。
「アゼル公爵が抱く感情は、私が処理いたします。彼の信念が地獄の秩序を乱さぬよう、彼自身の意志を封じ、地獄のために働く存在へと戻しますので…どうかラフィーナに危害を加えることだけはお控えいただきたい。」
ルシフェルはしばらく無言でサイラスを見つめていたが、やがて冷淡な笑みを浮かべ、わずかにうなずいた。
「いいだろう、サイラス。お前に任せよう。」
ルシフェルが去ると、サイラスはアゼルに振り返り、冷ややかに囁いた。
「アゼル様、私はあなたが地獄の掟を破らぬよう、あくまで補佐に徹するつもりです。ラフィーナが安息の中で生きられる環境を整えるのも、あなたのためなのです。」
アゼルは、目の前で震えるラフィーナの姿を見て、思わずルシフェルと戦うために力を解放しようと決意しかけた。彼女を守りたいという強い思いが胸に込み上げ、すべてを投げ出してでも救いたい気持ちが彼を突き動かす。だが、そこでサイラスの忠告が頭をよぎり、冷静さを取り戻す。力を解放することで、果たしてラフィーナは本当に喜ぶのだろうか──。
サイラスが言った「ラフィーナの環境を整える」という言葉が、アゼルの心に不思議な引っかかりを残していた。その言葉の奥に隠された意図が気になりながらも、その真意にたどり着くことはできない。ただ、サイラスの言葉が示すのは、単に彼女を守るだけではない、もっと深い何かであるように感じられた。
アゼルは、彼女を救いたいという衝動と、サイラスの言葉に潜む謎めいた意図との間で激しく揺れていた。ラフィーナのためにできることは何か、守るということの本当の意味とは何なのか。その問いがアゼルの心を深く掘り下げ、決意の裏側に生まれる一抹の不安が、彼をさらなる葛藤へと誘っていた。
そんなアゼルを見て、サイラスは静かに一歩近づき、低く落ち着いた声で言葉をかけた。
「アゼル公爵、どうかお忘れなきように。力の解放は、今この場では最後の手段です。決して軽々しく行ってはなりません…それはご自身と、彼女にとっても危険な選択となりますから。」
サイラスの言葉に、アゼルは深くうなずき、改めて覚悟を固めたが、彼の心にはまだわずかな不安が残っていた。しかし今は、サイラスの助言を信じて進むほかない。
「アゼル公爵…あなたの選択が、彼女の未来をどう導くかを、いずれ知ることになるでしょう。」
サイラスの冷たい瞳には、すべてを見通しているような光が宿っており、それはまるでアゼルに、まだ明かされていない運命の伏線を示しているかのようだった。
アゼルがサイラスの言葉に従い、冷静に次の一手を考え始めたその時、サイラスは微かに微笑みを浮かべながら、意味深な一言を口にした。
「アゼル公爵…ご安心ください。私はただ、ラフィーナが生きやすい世界を整えていくだけです。」
サイラスの口調には、まるでその言葉の奥に深い意味が隠されているかのような響きがあった。アゼルは一瞬その言葉の真意を考えようとしたが、今はそれを深く追及する余裕はなかった。ただ、サイラスの笑みの裏に何か大きな謎が潜んでいることだけは、確かに感じ取っていた。
アゼルは、ラフィーナを守りたいという想いを抱えながらも、冷静に最善の策を模索していた。地獄の公爵として、そして秩序を守る者として、感情に流されることは許されない。ラフィーナへの愛と責務の間で揺れるその心は、彼だけの静かな葛藤だった。
サイラスが残した「ラフィーナの環境を整える」という言葉の深い意味を胸に留め、アゼルはゆっくりと地獄への道を歩み始める。その背中には、乱してはならない秩序への忠誠と、彼にしか背負えない覚悟が刻まれていた。
ラフィーナの未来に何が待ち受けているのか、そしてサイラスの真意が明かされる日は、まだ遠い先のことであった…。
そんな不安を抱えながらも、ラフィーナはいつもより早く夜の墓地へと足を運んだ。祖母の墓前で祈るふりをしながら、心の中でアゼルを待ち続ける。サイラスの言葉に胸を乱されつつも、あの夜「また会おう」と約束してくれたアゼルを信じたい。その想いは、彼女にとって何よりも強い願いだった。
暗い夜空の下、彼女の不安な心が夜風に揺れる。すると、遠くから足音が響き、闇の中にひとつの影が現れた。
「…待たせたな、ラフィーナ。」
その声に、ラフィーナの胸は一気に喜びで満たされた。アゼルがそこにいる──それだけで彼女の孤独は薄れ、冷たい夜も温かく感じられる。だが彼の表情には、どこか影が差していた。
「アゼル…来てくれて、ありがとう。」
彼女の微笑みにアゼルもわずかに微笑みを返すが、その瞳はどこか深く、沈んでいるように見えた。ラフィーナは何かが気になり、「大丈夫?」と問いかけるが、彼はふと目を伏せ、優しくささやくように答えた。
「君が…ここにいてくれるだけで、俺には十分だ。」
アゼルは言葉を続けようとするも、その口は何度か迷い、やがて何も言わないまま、ただ彼女の髪に触れるようにそっと手を伸ばした。しかしその手は空中で止まり、まるで触れたら壊れてしまうかのようにためらいを感じさせる。
その動作を見つめるラフィーナの心に、彼が抱える何か大きな秘密の重さが伝わってくる。彼の瞳に一瞬、ほんの少しの悲しみが浮かぶ。それは触れてはいけない境界線であり、禁じられた想いの欠片なのだろうか。
「アゼル、あなたも…苦しいの?」
その問いに、アゼルは驚いたように一瞬目を見開き、けれども何かを決意するかのように再び彼女の目を見つめ直した。
「俺の抱える闇を君に見せることはできない。だが…ラフィーナ、君がこの世界にいることが、俺にとってどれほどの意味を持つか、君にはわからないだろう。」
言葉の端々に、彼が伝えたいのに伝えられない想いがにじんでいた。ラフィーナはその想いを、触れてはいけない秘密としてそっと胸にしまい込み、ただ静かにうなずいた。
触れたら壊れてしまうかもしれない、2人の秘密。それでも、彼に触れたいと願う気持ちは止められなかった。
アゼルは、ラフィーナの瞳に宿る微かな光を見つめたまま、一歩彼女に近づいた。夜の静寂に包まれた墓地で、二人だけの世界が広がっているようだった。月明かりが2人を照らし、ラフィーナの白い肌が淡く輝く。
「アゼル…あなたに会うと、今までの孤独が消えてしまう気がするの。」
ラフィーナの小さなささやきに、アゼルの心が再び揺れた。何百年も地獄の公爵として暗闇の中で生きてきた彼にとって、彼女の言葉は新鮮で温かく、心を満たすものであった。
「君が…そう感じてくれるなら、それでいい。」
アゼルの声はいつもより少し優しく、穏やかだった。しかしその直後、彼の背後に微かに闇が揺れ、周囲の空気が一瞬冷たく引き締まるのをラフィーナも感じた。その気配の正体がわからないまま、彼女は不安に駆られてアゼルの手を取りかけるが、アゼルはさっと目をそらし、その場から一歩距離を取った。
「ラフィーナ…君に俺の全てを見せるわけにはいかない。君はこのまま、美しい魂を保って生きていくべきだ。」
アゼルの言葉には、深い葛藤と悲しみがにじんでいた。彼はラフィーナを守りたい、しかしその思いが地獄の掟を超える危険な行為だと分かっている。ふと、前夜のサイラスの言葉が脳裏をよぎる。「白き透き通る魂には触れてはならぬ」との忠告が、彼を再び現実に引き戻していたのだ。
それでもラフィーナはその想いを振り切るように、小さく首を振った。
「アゼル、私にはもう戻る場所なんてないの。あなたがいるから、生きていられる気がするの…あなたと一緒にいたい。」
その言葉がアゼルの心に深く刺さった。地獄で永遠に生きる身の自分が、彼女の命に関わるべきではない。しかし、彼女が自分を必要としているという思いが胸に響き、アゼルはラフィーナの頬にそっと手を伸ばした。触れるか触れないかの距離で、彼の指が彼女の肌の温かさを感じ取る。
だが、その時だった。再び闇が動き、2人の間に冷たい声が響き渡る。
「アゼル公爵…忘れてはならぬ、あなたは悪魔。彼女に触れることすらも禁じられている。」
その声は、再び現れたサイラスだった。鋭い目で2人を見つめ、警告の念を込めてアゼルをにらみつけている。アゼルは一瞬、怒りに満ちた視線をサイラスに向けるが、忠実な配下であるサイラスの忠告の重みも理解していた。
「サイラス…何度言えばわかる?ラフィーナに手を出すことは許さん。」
「手を出す?それはあなた自身が彼女に執着するからこそ危険なのです。公爵、自らの立場をお忘れなきよう。」
ラフィーナは2人の会話に驚き、混乱した。アゼルの配下であるサイラスが、彼に対してこうまで厳しい態度で警告するのはなぜなのか。ラフィーナはふと、彼女がアゼルの存在そのものを危うくする存在なのではないかという不安が胸に広がった。
アゼルはラフィーナを振り返り、静かに言葉を選んだ。
「ラフィーナ、君に会いに来たのは俺の意思だ。そして…君を守るのもまた俺の意思だ。」
その言葉に、ラフィーナは涙を浮かべながら微笑み、かすかにうなずいた。彼がそこにいるだけで、自分が必要とされていると感じられたからだ。
しかしサイラスは、地獄の掟を守らねばならぬ悪魔として、アゼルに最後の忠告をする。
「白き透き通る魂に触れることは、破滅の一歩です。アゼル公爵、あなたが彼女を守りたいと望むなら、その愛を断ち切るしかない。」
サイラスは冷たい表情のまま、姿を消すように闇に溶け込んでいった。彼の言葉が残る中で、アゼルはラフィーナを見つめ、心の中で自問した。
“この思いを、断ち切るべきなのか…?”
ラフィーナは、サイラスが去った後もアゼルの横顔を見つめていた。触れたら壊れてしまうかもしれない、2人の間にある秘密。しかし、ラフィーナはその一瞬の温もりを求めて、彼に近づきたいと強く願っていた。
アゼルはサイラスが残した言葉の余韻にさいなまれながらも、ラフィーナの不安そうな表情を見て、すべてを忘れて彼女を抱きしめたい衝動を抑えられなかった。地獄の掟を知る身として、自分が彼女に近づくことで何を招くのかは理解している。しかし、それでもラフィーナをこの孤独な世界に置き去りにすることができない自分がいた。
「ラフィーナ、君の…その気持ちには応えられないかもしれない。でも、こうして君が笑っているだけで、俺にとってはそれで十分なんだ。」
彼の言葉に、ラフィーナの頬に一筋の涙が流れた。彼女にとってアゼルは唯一無二の存在であり、その温もりは彼女の心を満たすものだった。
「私は…アゼルと一緒にいたい。たとえそれが叶わないとしても、あなたと過ごすこの時間が私のすべてなの。」
アゼルは彼女の想いを受け止めるように深くうなずき、そっと手を伸ばし、彼女の髪に触れる。その手はどこかためらいがちで、彼が自分の立場と葛藤していることが伝わってくる。
しかし、その時──
再び闇の中から、冷たい視線が彼らを射抜いた。それはサイラスではなく、さらに強大な力を持つ地獄の存在だった。周囲の空気が凍りつき、ラフィーナはその圧倒的な威圧感に動けなくなる。
「アゼル公爵、お前が地獄の掟を破ろうとしていることはわかっているぞ。」
低く冷たい声が響き渡り、そこに立っていたのは地獄の大公・ルシフェルだった。アゼルにとってさえも、その存在は絶対的な支配力を持つ恐怖の象徴だった。
「…ルシフェル…」
アゼルは一瞬驚きに目を見開き、すぐに身構えてラフィーナを守る位置に立った。ルシフェルの冷たい視線がラフィーナに向かっていることに気づき、アゼルは必死で彼女をかばおうとする。
「彼女には何の罪もない。俺が責任を負う。だから…彼女には手を出さないでください。」
しかし、ルシフェルは冷たく微笑み、アゼルに向かって静かに首を振ると、重々しい声で告げた。
「お前が抱いた禁忌の感情が、地獄に何をもたらすか…わかっているはずだ。お前のような高位の悪魔が人間に執着するなど…地獄の掟に反する存在だ。」
その言葉にアゼルは唇を噛み、ラフィーナをどう守ればいいのかを必死で模索した。しかしその瞬間、背後からサイラスの冷ややかな声が響いた。
「ルシフェル様、少々お話を。」
驚きのあまりアゼルが振り返ると、そこには影のように立つサイラスがいた。彼はルシフェルの視線を真正面から受け止め、静かに頭を下げていた。
「サイラス…何をする気だ?」
アゼルの問いに答えることなく、サイラスはルシフェルに向き直り、低くささやくように言葉を続けた。
「アゼル公爵が抱く感情は、私が処理いたします。彼の信念が地獄の秩序を乱さぬよう、彼自身の意志を封じ、地獄のために働く存在へと戻しますので…どうかラフィーナに危害を加えることだけはお控えいただきたい。」
ルシフェルはしばらく無言でサイラスを見つめていたが、やがて冷淡な笑みを浮かべ、わずかにうなずいた。
「いいだろう、サイラス。お前に任せよう。」
ルシフェルが去ると、サイラスはアゼルに振り返り、冷ややかに囁いた。
「アゼル様、私はあなたが地獄の掟を破らぬよう、あくまで補佐に徹するつもりです。ラフィーナが安息の中で生きられる環境を整えるのも、あなたのためなのです。」
アゼルは、目の前で震えるラフィーナの姿を見て、思わずルシフェルと戦うために力を解放しようと決意しかけた。彼女を守りたいという強い思いが胸に込み上げ、すべてを投げ出してでも救いたい気持ちが彼を突き動かす。だが、そこでサイラスの忠告が頭をよぎり、冷静さを取り戻す。力を解放することで、果たしてラフィーナは本当に喜ぶのだろうか──。
サイラスが言った「ラフィーナの環境を整える」という言葉が、アゼルの心に不思議な引っかかりを残していた。その言葉の奥に隠された意図が気になりながらも、その真意にたどり着くことはできない。ただ、サイラスの言葉が示すのは、単に彼女を守るだけではない、もっと深い何かであるように感じられた。
アゼルは、彼女を救いたいという衝動と、サイラスの言葉に潜む謎めいた意図との間で激しく揺れていた。ラフィーナのためにできることは何か、守るということの本当の意味とは何なのか。その問いがアゼルの心を深く掘り下げ、決意の裏側に生まれる一抹の不安が、彼をさらなる葛藤へと誘っていた。
そんなアゼルを見て、サイラスは静かに一歩近づき、低く落ち着いた声で言葉をかけた。
「アゼル公爵、どうかお忘れなきように。力の解放は、今この場では最後の手段です。決して軽々しく行ってはなりません…それはご自身と、彼女にとっても危険な選択となりますから。」
サイラスの言葉に、アゼルは深くうなずき、改めて覚悟を固めたが、彼の心にはまだわずかな不安が残っていた。しかし今は、サイラスの助言を信じて進むほかない。
「アゼル公爵…あなたの選択が、彼女の未来をどう導くかを、いずれ知ることになるでしょう。」
サイラスの冷たい瞳には、すべてを見通しているような光が宿っており、それはまるでアゼルに、まだ明かされていない運命の伏線を示しているかのようだった。
アゼルがサイラスの言葉に従い、冷静に次の一手を考え始めたその時、サイラスは微かに微笑みを浮かべながら、意味深な一言を口にした。
「アゼル公爵…ご安心ください。私はただ、ラフィーナが生きやすい世界を整えていくだけです。」
サイラスの口調には、まるでその言葉の奥に深い意味が隠されているかのような響きがあった。アゼルは一瞬その言葉の真意を考えようとしたが、今はそれを深く追及する余裕はなかった。ただ、サイラスの笑みの裏に何か大きな謎が潜んでいることだけは、確かに感じ取っていた。
アゼルは、ラフィーナを守りたいという想いを抱えながらも、冷静に最善の策を模索していた。地獄の公爵として、そして秩序を守る者として、感情に流されることは許されない。ラフィーナへの愛と責務の間で揺れるその心は、彼だけの静かな葛藤だった。
サイラスが残した「ラフィーナの環境を整える」という言葉の深い意味を胸に留め、アゼルはゆっくりと地獄への道を歩み始める。その背中には、乱してはならない秩序への忠誠と、彼にしか背負えない覚悟が刻まれていた。
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