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冷たい真実と温かな嘘
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晴れ渡る空が教室の窓から見える。
普段なら心を落ち着けてくれる景色が、今日はなんだか遠い存在に感じられる。サクラは机に手を置き、指先で無意識になぞりながら、ぼんやりと窓の外を見つめていた。
(放課後、生徒指導室で…。お母さんとリュウ先生と…。)
その言葉が頭をよぎるたび、胸がぎゅっと締め付けられる。母親が怒りに任せて話す姿が浮かび、思い出したくない記憶が繰り返しよみがえる。
その言葉は心に突き刺さる。何度も脳裏で繰り返されるたびに、全身が冷たくなる。放課後が来るのが怖い。それでも時間は止まらない。
ふと顔を上げると、ノゾミがこちらを見ていた。視線がぶつかると、口元に冷たい笑みが浮かぶ。
まるで「ざまあみろ」と言っているかのような表情だ。
(ノゾミ…。やっぱり、この子なんだ。)
ノゾミは何かを取り巻きにささやく。直後に響く取り巻きたちの笑い声。それがサクラの耳には、自分をバカにするような笑いをしているようにしか聞こえない。
胸の奥がぎゅっと痛む。でも、何も言い返せない。ノゾミの視線を避け、再び窓の外を見つめた。
(逃げたい。でも…逃げられない。)
教室の扉が開く音がして、リュウ先生が入ってきた。朝、あの家で見たラフな姿とは違い、いつものスーツ姿に戻った彼の姿に、サクラは少しだけ安心した。
(先生…戻ったんだ。あの姿、私だけの秘密…。)
リュウ先生がふとサクラを見て、軽くメガネを押し上げる。次に、人差し指を唇に当てて「シーっ」とする仕草。その仕草が、サクラの心に小さな灯をともした。
(先生…。秘密って、こういうことなんだ。)
サクラはほんの少し笑みを浮かべた。恐怖と不安に押しつぶされそうな中でも、リュウ先生の存在が唯一の支えだった。
昼休みになり、教室のざわつきが一層増す。誰もがそれぞれの友人と楽しげに談笑し、教室は明るい雰囲気に包まれている。その中で、サクラは机にうつ伏せになっていた。
ふと、自分の机のそばに影が差す。顔を上げると、ノゾミが立っていた。取り巻きたちは少し離れた場所で楽しそうに話している。
「サクラ、大丈夫?最近、元気ないみたいだけど。」
ノゾミの声は優しそうだったが、その目には冷たさがにじんでいた。サクラは戸惑いながら小さくうなずいた。
「家、大変なんでしょ?お母さん、すごく怒ってたんだって?」
ノゾミの言葉に、サクラの心が冷たく凍りつく。どうして知っているのか。どうしてわざわざそれを口にするのか。その意図が見えないまま、ノゾミの視線に飲み込まれる。
「無理しないでね、サクラ。応援してるから。」
表面だけの優しさの裏に隠れたバカにする気持ち。それが、サクラの心をさらに追い詰めた。
(やっぱり…ノゾミなんだ。)
胸の奥が重たくなる。それでも、サクラはノゾミの視線から目をそらすことができなかった。
放課後が訪れる。教室から出る生徒たちの笑い声が遠く聞こえる中、サクラは机に手を置いたまま動けずにいた。
(生徒指導室…。お母さんと先生…。)
足を動かそうとしても、体が重くて立ち上がれない。そのとき、リュウ先生が教室の扉を開けた。
「サクラ、大丈夫か?」
優しい声に、サクラはハッとして顔を上げる。先生はいつもと同じ穏やかな表情で彼女を見つめていた。
「行こう。俺がついてるから。」
リュウ先生の言葉に引き寄せられるように、サクラはゆっくりと立ち上がった。足取りは重かったが、先生の背中についていくことで、なんとか歩を進めることができた。
生徒指導室の扉を開けると、母親がすでに中で待っていた。険しい表情でソファに座り、イラっとした様子でスマホをいじっている。
「やっと来たのね!待たせないでよ!」
母親の怒鳴り声に、サクラはさらに肩をすくめた。
生徒指導室の中、母親は勢いよくリュウ先生をにらみつけると声を荒げた。
「学校もあんたも、全部無責任じゃない!」
「この学校、どう責任取るつもりなの?おかげで私たちの生活はめちゃくちゃよ!お父さんが左遷されて、私もパートをクビになって…。誰のせいだと思ってるの?」
「他の子はちゃんとしてるのに、なんであんたはこうなの?」
サクラは母親の声が耳に刺さるようで、視線を下げて黙り込んだ。その怒りは学校だけでなく、サクラ自身にも向けられていることを感じていた。
「それに、担任の先生がホスト上がりだなんて、信じられないわ!そんな人がいるから、こんな問題が起きるのよ!」
母親は激しい口調でリュウ先生を非難する。その言葉が矛盾していることに気づいていない様子に、リュウ先生は静かに眉を潜めた。
「お母さん、それは関係ない…。」
サクラが小さな声で反論しようとしたが、母親は無視して言葉を重ねる。
「関係あるに決まってるでしょ!どうして、こんな無責任な学校に通わせたのかしら!」
リュウ先生は母親をまっすぐに見つめ、冷静に言葉を放った。
「すべて学校が悪いとお考えですか?それともサクラさんが悪いのでしょうか?」
その言葉に、母親は一瞬たじろいだが、すぐに表情を険しくして言い返した。
「サクラが悪いのよ!この子がSNSに嘘を投稿して、余計なことばっかりするから…。何度言っても直らないんだから!」
「あなたが余計なことばっかりするから、みんなが迷惑するのよ!」
「嘘…ですか?」
リュウ先生が問い返すと、母親はイラっとした様子で続けた。
「そうよ!この子、SNSで見栄張って嘘を投稿するのが好きなの!そんなことばっかりして、他人に迷惑をかけるのよ!」
サクラはその言葉にハッとした。SNSでの自分の行動が、母親の非難に利用されるとは思わなかった。
怒りを募らせた母親は、ついに口にしてはいけない言葉を言い放った。
「こんな子、ほんと…迷惑だわ。私だって一生懸命やってきた」
「毎日、ご飯を作ってあげてるじゃない」
その瞬間、サクラの心は凍りついた。周りの音が遠くに聞こえる気がして、視界がぼやける。母親の冷たい言葉が、胸の奥に深く突き刺さり、抜けることなく彼女を締め付けた。
涙が一滴、また一滴と床に落ちていく音が、部屋の中に響く。
何を言っても、この人には届かない――そう思うと、自分の無力さが胸に突き刺さる。
小さい頃から自分を育ててくれたのは祖母だった。母親はいつも自分に無関心で、優しい言葉をかけられた記憶はほとんどない。子育てが嫌いなのか、それとも私が嫌いなのか。どちらにしても、私は母にとって迷惑な存在なのだと感じる。
沈黙の中、リュウ先生の低い声が響いた。そこには確かな怒りが込められていた。
「サクラさんを生むべきではなかった、と本気で思っているのですか?」
母親は一瞬間を置いてから、冷たく言い放った。
「ええ。本当にそう思っているわ。」
その言葉に部屋の空気が凍りついた。リュウ先生は短く息をつき、母親の目をしっかりと見て言った。
「わかりました。それならば、サクラさんはもう2度と帰りません。彼女の荷物を引き取りに伺いますので、まとめておいてください。」
母親は一瞬目を見開き、何かを言おうとしたが、リュウ先生の落ち着いた態度に気圧され、口を閉ざした。
「もういいわ。こんな話、うんざりよ。」
そう言い捨てると、母親は椅子から立ち上がり、苛立ちを隠せない様子でサクラに冷たい視線を向けた。
「本日はお忙しい中、足を運んでいただきありがとうございました。」
リュウ先生が丁寧に一礼すると、母親はそのまま生徒指導室を出て行った。
部屋には静寂が訪れた。サクラは下を向いたまま動けず、ハンカチににじむ涙の重みが心の重さそのもののように感じられた。
リュウ先生は椅子を引き、サクラの前に腰を下ろす。彼女の肩にそっと手を置き、優しく声をかけた。
「サクラ、大丈夫だ。これからは俺たちが支える。おばあちゃんの家から、明日からも学校に通えばいい。」
サクラは涙に濡れた目で先生を見上げ、かすかにうなずいた。
その夜、おばあちゃんの家に戻ったサクラは、久しぶりに心が落ち着く時間を過ごしていた。おばあちゃんが作った温かい夕食を囲む中、リュウ先生の何気ない会話が家の中に優しい空気を運んでくれる。
「サクラ、スマホのことなんだけど、明日新しいのを用意しようか。」
リュウ先生の突然の提案に、サクラは驚いた。
「新しいスマホ…?」
「今のスマホは、あまりいい思い出が詰まってなさそうだしな。これから新しい生活を始めるなら、新しい道具が必要だろ?」
優しい言葉とともに差し出されたリュウ先生の手が、不思議とサクラの心に小さな灯をともす。横で微笑むおばあちゃんも、それを静かに見守っていた。
「リュウって、昔からそうなのよね。さりげなく人の支えになれる人。」
おばあちゃんの言葉に、サクラはふとリュウ先生を見た。その横顔には、いつもと変わらない落ち着きがあったが、どこか特別な温もりがあるように感じた。
(こんな人がそばにいてくれるなんて…。)
サクラは心の中でそっとつぶやきながら、新しいスマホにどんな未来が待っているのだろうと考えた。これまでの辛い記憶を少しでも塗り替える手助けになってほしい、そんな願いを込めて。
その夜、布団に横たわったサクラの脳裏には、ノゾミの冷たい視線と、母親の放った厳しい言葉がちらついていた。しかし、不思議とその記憶は新しい希望の光に薄れていくように感じられた。
枕元に置かれたスマホにふと目を向ける。その画面に残るSNSの通知や未読メッセージが、どこか不吉な影を落としているようにも見えた。
(でも、これはもう終わりだ。明日から、すべてを変える。)
そう思い目を閉じるサクラだったが、心の奥底にまだ微かな不安が残っていた。
翌朝、リュウ先生と新しいスマホを買いに出かける予定だったサクラ。玄関先で待っていると、おばあちゃんがリュウ先生に小声で何か話しかけているのが耳に入った。
「サクラちゃんを頼んだわよ。あの子には、あなたのような人が必要だから。」
「あの子には、ちゃんと幸せになってほしいですから。」
「わかってるよ」リュウ先生は短く返事した。
その言葉に、サクラの心が少しざわついた。リュウ先生とおばあちゃんの関係性がどこか特別なものに変わっていく予感を感じたからだ。
(私の周りで、何かが変わり始めている…。)
玄関のドアを開けたとき、リュウ先生がサクラの方を見てにっこり笑った。その笑顔に、少しだけ胸が温かくなる。
しかし、その日の午後。サクラの古いスマホが、突然通知音を立てて震えた。画面をのぞき込むと、SNSの投稿が再び話題になっている様子が表示されていた。
(また…ノゾミ?)
画面に映るノゾミの名前と、不穏なコメントの数々。サクラは嫌な胸騒ぎを覚えた。
その裏で、ノゾミの家族に関する噂が徐々に広まり始めていることに、サクラはまだ気づいていなかった――次に待ち受ける、大きな波を暗示するかのように。
普段なら心を落ち着けてくれる景色が、今日はなんだか遠い存在に感じられる。サクラは机に手を置き、指先で無意識になぞりながら、ぼんやりと窓の外を見つめていた。
(放課後、生徒指導室で…。お母さんとリュウ先生と…。)
その言葉が頭をよぎるたび、胸がぎゅっと締め付けられる。母親が怒りに任せて話す姿が浮かび、思い出したくない記憶が繰り返しよみがえる。
その言葉は心に突き刺さる。何度も脳裏で繰り返されるたびに、全身が冷たくなる。放課後が来るのが怖い。それでも時間は止まらない。
ふと顔を上げると、ノゾミがこちらを見ていた。視線がぶつかると、口元に冷たい笑みが浮かぶ。
まるで「ざまあみろ」と言っているかのような表情だ。
(ノゾミ…。やっぱり、この子なんだ。)
ノゾミは何かを取り巻きにささやく。直後に響く取り巻きたちの笑い声。それがサクラの耳には、自分をバカにするような笑いをしているようにしか聞こえない。
胸の奥がぎゅっと痛む。でも、何も言い返せない。ノゾミの視線を避け、再び窓の外を見つめた。
(逃げたい。でも…逃げられない。)
教室の扉が開く音がして、リュウ先生が入ってきた。朝、あの家で見たラフな姿とは違い、いつものスーツ姿に戻った彼の姿に、サクラは少しだけ安心した。
(先生…戻ったんだ。あの姿、私だけの秘密…。)
リュウ先生がふとサクラを見て、軽くメガネを押し上げる。次に、人差し指を唇に当てて「シーっ」とする仕草。その仕草が、サクラの心に小さな灯をともした。
(先生…。秘密って、こういうことなんだ。)
サクラはほんの少し笑みを浮かべた。恐怖と不安に押しつぶされそうな中でも、リュウ先生の存在が唯一の支えだった。
昼休みになり、教室のざわつきが一層増す。誰もがそれぞれの友人と楽しげに談笑し、教室は明るい雰囲気に包まれている。その中で、サクラは机にうつ伏せになっていた。
ふと、自分の机のそばに影が差す。顔を上げると、ノゾミが立っていた。取り巻きたちは少し離れた場所で楽しそうに話している。
「サクラ、大丈夫?最近、元気ないみたいだけど。」
ノゾミの声は優しそうだったが、その目には冷たさがにじんでいた。サクラは戸惑いながら小さくうなずいた。
「家、大変なんでしょ?お母さん、すごく怒ってたんだって?」
ノゾミの言葉に、サクラの心が冷たく凍りつく。どうして知っているのか。どうしてわざわざそれを口にするのか。その意図が見えないまま、ノゾミの視線に飲み込まれる。
「無理しないでね、サクラ。応援してるから。」
表面だけの優しさの裏に隠れたバカにする気持ち。それが、サクラの心をさらに追い詰めた。
(やっぱり…ノゾミなんだ。)
胸の奥が重たくなる。それでも、サクラはノゾミの視線から目をそらすことができなかった。
放課後が訪れる。教室から出る生徒たちの笑い声が遠く聞こえる中、サクラは机に手を置いたまま動けずにいた。
(生徒指導室…。お母さんと先生…。)
足を動かそうとしても、体が重くて立ち上がれない。そのとき、リュウ先生が教室の扉を開けた。
「サクラ、大丈夫か?」
優しい声に、サクラはハッとして顔を上げる。先生はいつもと同じ穏やかな表情で彼女を見つめていた。
「行こう。俺がついてるから。」
リュウ先生の言葉に引き寄せられるように、サクラはゆっくりと立ち上がった。足取りは重かったが、先生の背中についていくことで、なんとか歩を進めることができた。
生徒指導室の扉を開けると、母親がすでに中で待っていた。険しい表情でソファに座り、イラっとした様子でスマホをいじっている。
「やっと来たのね!待たせないでよ!」
母親の怒鳴り声に、サクラはさらに肩をすくめた。
生徒指導室の中、母親は勢いよくリュウ先生をにらみつけると声を荒げた。
「学校もあんたも、全部無責任じゃない!」
「この学校、どう責任取るつもりなの?おかげで私たちの生活はめちゃくちゃよ!お父さんが左遷されて、私もパートをクビになって…。誰のせいだと思ってるの?」
「他の子はちゃんとしてるのに、なんであんたはこうなの?」
サクラは母親の声が耳に刺さるようで、視線を下げて黙り込んだ。その怒りは学校だけでなく、サクラ自身にも向けられていることを感じていた。
「それに、担任の先生がホスト上がりだなんて、信じられないわ!そんな人がいるから、こんな問題が起きるのよ!」
母親は激しい口調でリュウ先生を非難する。その言葉が矛盾していることに気づいていない様子に、リュウ先生は静かに眉を潜めた。
「お母さん、それは関係ない…。」
サクラが小さな声で反論しようとしたが、母親は無視して言葉を重ねる。
「関係あるに決まってるでしょ!どうして、こんな無責任な学校に通わせたのかしら!」
リュウ先生は母親をまっすぐに見つめ、冷静に言葉を放った。
「すべて学校が悪いとお考えですか?それともサクラさんが悪いのでしょうか?」
その言葉に、母親は一瞬たじろいだが、すぐに表情を険しくして言い返した。
「サクラが悪いのよ!この子がSNSに嘘を投稿して、余計なことばっかりするから…。何度言っても直らないんだから!」
「あなたが余計なことばっかりするから、みんなが迷惑するのよ!」
「嘘…ですか?」
リュウ先生が問い返すと、母親はイラっとした様子で続けた。
「そうよ!この子、SNSで見栄張って嘘を投稿するのが好きなの!そんなことばっかりして、他人に迷惑をかけるのよ!」
サクラはその言葉にハッとした。SNSでの自分の行動が、母親の非難に利用されるとは思わなかった。
怒りを募らせた母親は、ついに口にしてはいけない言葉を言い放った。
「こんな子、ほんと…迷惑だわ。私だって一生懸命やってきた」
「毎日、ご飯を作ってあげてるじゃない」
その瞬間、サクラの心は凍りついた。周りの音が遠くに聞こえる気がして、視界がぼやける。母親の冷たい言葉が、胸の奥に深く突き刺さり、抜けることなく彼女を締め付けた。
涙が一滴、また一滴と床に落ちていく音が、部屋の中に響く。
何を言っても、この人には届かない――そう思うと、自分の無力さが胸に突き刺さる。
小さい頃から自分を育ててくれたのは祖母だった。母親はいつも自分に無関心で、優しい言葉をかけられた記憶はほとんどない。子育てが嫌いなのか、それとも私が嫌いなのか。どちらにしても、私は母にとって迷惑な存在なのだと感じる。
沈黙の中、リュウ先生の低い声が響いた。そこには確かな怒りが込められていた。
「サクラさんを生むべきではなかった、と本気で思っているのですか?」
母親は一瞬間を置いてから、冷たく言い放った。
「ええ。本当にそう思っているわ。」
その言葉に部屋の空気が凍りついた。リュウ先生は短く息をつき、母親の目をしっかりと見て言った。
「わかりました。それならば、サクラさんはもう2度と帰りません。彼女の荷物を引き取りに伺いますので、まとめておいてください。」
母親は一瞬目を見開き、何かを言おうとしたが、リュウ先生の落ち着いた態度に気圧され、口を閉ざした。
「もういいわ。こんな話、うんざりよ。」
そう言い捨てると、母親は椅子から立ち上がり、苛立ちを隠せない様子でサクラに冷たい視線を向けた。
「本日はお忙しい中、足を運んでいただきありがとうございました。」
リュウ先生が丁寧に一礼すると、母親はそのまま生徒指導室を出て行った。
部屋には静寂が訪れた。サクラは下を向いたまま動けず、ハンカチににじむ涙の重みが心の重さそのもののように感じられた。
リュウ先生は椅子を引き、サクラの前に腰を下ろす。彼女の肩にそっと手を置き、優しく声をかけた。
「サクラ、大丈夫だ。これからは俺たちが支える。おばあちゃんの家から、明日からも学校に通えばいい。」
サクラは涙に濡れた目で先生を見上げ、かすかにうなずいた。
その夜、おばあちゃんの家に戻ったサクラは、久しぶりに心が落ち着く時間を過ごしていた。おばあちゃんが作った温かい夕食を囲む中、リュウ先生の何気ない会話が家の中に優しい空気を運んでくれる。
「サクラ、スマホのことなんだけど、明日新しいのを用意しようか。」
リュウ先生の突然の提案に、サクラは驚いた。
「新しいスマホ…?」
「今のスマホは、あまりいい思い出が詰まってなさそうだしな。これから新しい生活を始めるなら、新しい道具が必要だろ?」
優しい言葉とともに差し出されたリュウ先生の手が、不思議とサクラの心に小さな灯をともす。横で微笑むおばあちゃんも、それを静かに見守っていた。
「リュウって、昔からそうなのよね。さりげなく人の支えになれる人。」
おばあちゃんの言葉に、サクラはふとリュウ先生を見た。その横顔には、いつもと変わらない落ち着きがあったが、どこか特別な温もりがあるように感じた。
(こんな人がそばにいてくれるなんて…。)
サクラは心の中でそっとつぶやきながら、新しいスマホにどんな未来が待っているのだろうと考えた。これまでの辛い記憶を少しでも塗り替える手助けになってほしい、そんな願いを込めて。
その夜、布団に横たわったサクラの脳裏には、ノゾミの冷たい視線と、母親の放った厳しい言葉がちらついていた。しかし、不思議とその記憶は新しい希望の光に薄れていくように感じられた。
枕元に置かれたスマホにふと目を向ける。その画面に残るSNSの通知や未読メッセージが、どこか不吉な影を落としているようにも見えた。
(でも、これはもう終わりだ。明日から、すべてを変える。)
そう思い目を閉じるサクラだったが、心の奥底にまだ微かな不安が残っていた。
翌朝、リュウ先生と新しいスマホを買いに出かける予定だったサクラ。玄関先で待っていると、おばあちゃんがリュウ先生に小声で何か話しかけているのが耳に入った。
「サクラちゃんを頼んだわよ。あの子には、あなたのような人が必要だから。」
「あの子には、ちゃんと幸せになってほしいですから。」
「わかってるよ」リュウ先生は短く返事した。
その言葉に、サクラの心が少しざわついた。リュウ先生とおばあちゃんの関係性がどこか特別なものに変わっていく予感を感じたからだ。
(私の周りで、何かが変わり始めている…。)
玄関のドアを開けたとき、リュウ先生がサクラの方を見てにっこり笑った。その笑顔に、少しだけ胸が温かくなる。
しかし、その日の午後。サクラの古いスマホが、突然通知音を立てて震えた。画面をのぞき込むと、SNSの投稿が再び話題になっている様子が表示されていた。
(また…ノゾミ?)
画面に映るノゾミの名前と、不穏なコメントの数々。サクラは嫌な胸騒ぎを覚えた。
その裏で、ノゾミの家族に関する噂が徐々に広まり始めていることに、サクラはまだ気づいていなかった――次に待ち受ける、大きな波を暗示するかのように。
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