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第一章 ~伝説の魔剣~
第18話 龍の目覚め
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「レイヴン、ねぇレイヴンってば」
フェリスを尾行し、二人が辿り着いたのはフェリスの家と思わしき屋敷であった。大きさだけは貴族級。しかし…数年手入れされていないかのようにボロボロになった家の壁に、少しだけツタが這い上がっている。屋敷の周りは、かなりひらけた庭となっていて、さらに貴族の家によく見られる茂みが、その庭を大きく取り囲んでいる。外見だけをみて総括するなら、「没落貴族かな?」である。
シルバは周知の通り貴族であるが故に、レイヴンはルージュ家の男共意外には知られてはいないが、元王族であるが故に、貴族の家というものが大体どのようなものなのか分かっている。
だからこそ感じてしまう。この家では過去に何かがあったのだと。
しかし、二人ともそれを口に出すことはしない。
そんな屋敷を囲む茂みに身を隠し、シルバはレイヴンに二人にしか聞こえない程度のひそひそ声で尋ねた。
「ここが…本当にあのフェリスの家なの……?」
信じたくない。シルバの偽ることのない本心だ。その一心でレイヴンに尋ねた。
しかし、レイヴンは答えない。先程までの爛々と輝いていた目は、既に真正面だけを見つめていた。
疑問。貴族が何もなく没落するはずがない。加えて「領土争いや派閥争いなんて最近は聞かねえなぁ……まあ平和が一番だからな!!がははは!!」と何かの拍子にガレスが言っていたため、それから考えるに他の貴族に潰された、なんてことは絶対にない。フェリスがいつも着ているような服は庶民に着ることはできない。であれば……廃れたのはここ数年だと推測がつく。では、何故―
「……レイヴン?」
シルバの声と共に思考は途絶えた。
「あぁ、ごめん。多分ここがフェリス君の家だよ。…いや、間違いないと思う。他人の家ならノックくらいして入るだろうから」
シルバはそれに対して何も応えられない。
人生の中で認めた、数少ない人がまさか没落していただなんて信じたくないからだ。いや、既に信じてしまっている自分がいる。じゃないとこんな感情は…同情なんて感情は湧いてこないはずだから。
「…シルバちゃん、考えていることはなんとなく分かる。けれど今は抑えて。こうなってること自体が僕の感じてる違和感の正体なら、シルバちゃんやガレットが言ってた通り僕たちにはなにも出来ない。唯一出来るのは見守ってあげることだけだ」
一瞬の沈黙。
「…えぇ、そうね」
そして、言葉少なくそう答えた。まるで、それ以上考えることを拒否するかのように。
しかし、ああは言ったもののレイヴンは分かっていた。
そうではない。もしそうなら自分が違和感など抱くはずもないからだ。出会った頃と変わっているから…だから気づくことが出来たのだと。故に―何か面倒なことにフェリスは巻き込まれている。そう確信した。
そして、レイヴンが何かを決心した顔つきになり、茂みを出て行こうとしたその時―
「今日こそは勝つ!!!!」
「「!?」」
いつもからは想像もつかないほどの闘争心を全身に滾らせたフェリスが屋敷のドアを勢いよく開け、叫んだ。
「さぁて、どうかな??」
「「!?」」
それに対して挑発するように不敵な笑みを浮かべ応えたのは、フェリスの後に続いてドアから出てきたクレアだ。
二人ともびっくり仰天。レイヴンに至っては先程までかっこよく決まっていた顔が台無しである。口をあんぐりと大きく開け、顎が今にも地面につきそうだ。そして驚きのあまり石化。奇妙なモニュメントの完成である。
まさかあのクレア先生が、冷静でかっこよくてどこか無機質で事務的な先生があんな表情をするなんて。
びっくりしている理由はそれだけではない。「あんた放課の仕事はどうしたぁ!?」「ってかなんでフェリスくんとそんなに仲いいの!?」とツッコみたいことは山積みだ。
そうこうしている間に戦闘が始まっていた。驚きと驚きそして驚きに脳を支配され、石化が更に進む。それは、繰り広げられている戦闘レベルの高さ故だ。いや、もはや高いものなんてものではない。移動速度、駆け引き、一瞬にして繰り出される技。圧巻など、そんな表現では生温い。
5合、6合と金属のぶつかり合う硬い音が響き渡る。その様子から十数秒おいてようやく石化から解放されたレイヴンは「ん?僕今までどうやってフェリス君に勝ってたんだっけ?」と遠くを見ながら現実逃避するよう呟いた。
それほどまでにフェリスとクレアの戦闘は凄まじかったのだ。それは、目で追うことが出来ない程に移動し、牽制をくり返すフェリスの動きが物語っていた。
事実、フェリスの成長は師匠であるクレアですら目を見張るものだった。だが、その成長の早さも頷ける。なにせ二人はここ数日、文字通り死合いを行っているのだから。
「天を仰ぎ、生を支え、今全ての命を掬う―【絶界】」
フェリスの執拗なまでの牽制に嫌気が差したのか、クレアが自身を包むように土属性の結界を展開。防御一徹の状態から、【変質】をチラつかせ一気に攻勢にでた。
しかし、フェリスは怯みを見せない。更に速度をあげ、時々数発の電撃を放つことで牽制。
クレアはその雷撃には目もくれず、自分の獲物である両手剣『アゲイラ』を空間を切り裂くが如く水平に構えた。直後、バチバチッ!という音と共に雷撃が結界に相殺され霧散。それを合図とするようにクレアがフェリスのいるであろう方向にアゲイラを振り抜いた。
「【剛鉄閃】」
振り抜かれた『堕聖命』はフェリスを捉えることなく、虚空を切り裂いた。
刹那、時空が歪んだ。いや、正確に言えば空間がぱっくりと口を開けたのだ。
闇概念上級魔剣技。クレアのオリジナル魔剣技の一つである【剛鉄閃】は過度の深い闇で空間を切り裂くことにより、一時的に空間に裂け目を生じさせる恐ろしい魔剣技である。
巻き込まれれば、例え世界一硬い鉱石でもひとたまりも無いその寸劇にフェリスは息を呑む。しかし、フェリスは知っている。【剛鉄閃】の真の恐ろしさはここからであることを。
シュピッ!
カマイタチ。族にそう呼ばれる現象は、大気の瞬間的な移動によって引き起こされるものである。今まさにフェリスの四肢を引き裂かんと襲いゆく無数の見えない刃は、空間が消し飛ぶと共に消失した大気を補おうと、流れ込んできた空気によって生成されたものだ。
凄まじい勢いで迫り来る複数の見えない刃。予測しようもない軌道を予測し、フェリスは大きく回り込む。しかし、カマイタチは風が刃物となるほどに加速された、文字通り超高速の業物である。
「あぐっ!!」
フェリスは腕に生じた痛みに、思わず苦悶の表情を浮かべる。フェリスがいくら成長したとは言え、全てを完全に避けきるなんて事は出来ない。
「あれって……」
「血……だよね」
そう、血だ。普段であれば絶対に見ることはない。レイヴン達と同世代のこの中には血が何色なのかも知らない子がいるほどだ。そんな子供達が血を見れば、普通はどうなるか。正解はシルバが如実に表している。
「ちょっと、シルバちゃん。……シルバちゃん??」
レイヴンが顔をシルバの方へ向けると、そこには顔を真っ青にしたシルバが恐怖におののいた顔で呆然としていた。シルバの持つ銀色の髪とあまり遜色のない顔色に、レイヴンも呆然としてしまった。
今まで、シルバがこんなに弱気な表情を見せたことはなかったからだ。
当然、怯える子ウサギのように体をガクガクと震わせるシルバからの返答はない。
一方、そんなことを知る由もないフェリスは、未だに激しい戦闘を続けている。切り傷は切り傷は開き、服は煤け、体中が泥まみれだ。
しかし、自分の体のことに配慮することもなく、果敢に攻めている。それが功を奏したのか、クレアの頬に一筋の紅い閃光が走った。
「くっ! いい剣を振るようになったじゃないかぁ!!」
初めてまともに食らった一撃。今までは一撃も当てられることすらなかった。一度負けを認めた時であれ、フェリスが上級魔剣技を発動させただけで、ダメージは負っていなかったから。
弟子の成長と共に感じる屈辱。自分が育ててきたものの、いざ自分に届かんとしてくるフェリスに感傷と苛立ちを覚える。
結果、ほんの少し冷静さを失った一撃を放つことになった
今のフェリスはそれを見逃さない。
「はぁぁぁあああっっっ!!!」
一切無駄のない体捌きだ。右手に持っている愛剣―レイピア『迅雷』に左手を添え、勢いよく、何の躊躇いもなく突きだした。
ドシュッ!
放たれた一撃の突きは、見事クレアの脇腹を捉えた。深い傷、なんてものではない。それはもう一種の穴だ。それほどに苛烈な攻撃だったのだ。
「よく、……やったじゃない…か……」
当然のように止めどなく流れ出る大量の血液。地面を真っ赤に染め、血溜まりが出来る。そのせいか、力が入らないクレアはフェリスに抱かれるようにして、支えられながら立っているのがやっとのようだ。
それをみたフェリスはレイピアをそっと抜いた。
「はい。師匠の…おかげです」
「おかげ……か。ふふっ」
血をダラダラと流すクレアを支えるフェリス。その血でフェリスまでも真っ赤に染まっていく。
ガタンッ!
「ちょっ! またやったのかい!? 治療するこちらの身にもなってくれよ!」
そう言って没落屋敷から勢いよく飛び出してきたのは、夕刻なのにも関わらず寝癖をピンピンにはねさせたフェリスの父―フィリートだった。
フィリートはそう言うと、「なんだいこの血の量は!?」と言葉を続かせ、杖のようなものを胸の前に取り出し、両手でそれの両端を支え、呪文を唱え始めた。
途端、淡く、黄色い魔力光がクレアを包んだ。するとクレアの苦痛に染まった表情が和らいだ。
みるみるうちに穴が塞がっていく様子を見て、フェリスは「こんな大きな傷もちゃんと塞がるんだ…」と零す。塞がらないことを予想してこうも大きな傷を開けたということなのだろうか……。フェリス、恐ろしい子。
クレアの傷が完全に塞がったことを確認すると、フィリート深い深い溜め息を吐きながら杖らしきものを下ろした。普段は温厚なフィリートの目に明らかな怒りが灯っている。瞳に迸る赤い炎のようなものが見えるので間違いはないだろう。
その目が貫くのは当然そこに抱き合っている二名。ゆらりと揺れるその炎を見た二人は察した。その心はすなわち……「「グッバイ人生。我が人生に一片の悔い無し」」
「あれほど言ったよね?? こんな危険なことはやらないでって。 昨日言ったよね? 忘れちゃった??」
「えっと…その……フィリートさん、これはあの…違くて…」
「そうだよ父上、これは僕が言い出したことだかr」
「言い訳はしない!!」
「はい。」
「もし僕が気づかなかったらどうするつもりだったんだい!?」
「「………」」
「あれだけ理想状態でやってねっていったのに! なんで定常状態でなんか……」
「それについては本当に申し訳ないと思っています……もうこんなことはしませんので…」
「昨日もそう言ったよね??」
「「……」」
問答無用。有無を言わさずに責め立て続けるフィリートはいつものフィリートからは想像できない。
しゅんとなる二人。怒られる覚悟の上で戦ったのだが、やはり普段怒られない人に怒られると心にくるものがある。それの大部分を占めるのは裏切ってしまったという自責だ。フィリートの口調がまだ、いつものままなので見る人から見ればたいしたことないのだろうが、普段から一緒に住んでいる二人にはとても重い言葉だ。
しかし、フィリートは甘かった。
「はぁ。次はないからね」
「「ごめんなさい……」」
激甘であった。それはもう蜂蜜もその甘さに驚嘆するあまり絶句するほど。フィリートは満足げに二人に笑顔を向け、二人もそれにつられて笑顔になった。
フィリートのこういうところが、人から尊敬されるポイントであり、そして弱点なのだろう。他人に対してとことん優しいのだ。
「じゃあご飯にでもしようか。今日は僕の作った特製オムライスだよ」
しかし、フィリートの思う優しさといものは時に悲壮な光景を生み出す。遠くを見つめながら「ありがとうございます」と震えた声で捻りだした感謝の念を伝えるクレアと、もうなにも言えずに有り金を全部擦られたような顔をしているレイヴンを見れば、その悲惨な光景というものがどんなものなのか想像できるだろう。
詳しくは言わないが、その後のクレアはこう語った。
「鼻を抜けるお酢のような謎の酸味と、卵と砂糖の甘みの全てを奪い去るような激しい苦みが同時に襲ってきたときは流石に死ぬかと思った」と。
(まさか定常状態で斬り合うなんてねえ……クレアもレイヴンも軍人気質すぎるよ…)
愚行を犯した二人に無意識の鉄拳を下した後、フィリートは自室で物思いに耽っていた。それは、急激に訪れたフェリスの変化のこと。何故あんな無茶な稽古をしたのかということ。そして、敷地内にいた謎の二人組のこと。
(謎の二人組は身長や気配からして恐らく……恐らく子供だろうなぁ。フェリスの友達かな? なんで隠れていたのかは全くわからないけども……まあ、それを含めフェリスの変化が良い方向に進んでくれれば、僕はそれでいいさ)
基本放任、しかしここぞという時はしっかり役割を果たしてきたフィリート。フィリートの妻―今は亡きアリアナがそうしてきたように、自分もそうしようと決めたあの日。アリアナが命を落としたあの日から、ずっと今を待ち続けていた。
(やっと…やっとあの時のフェリスが戻ってきたみたいだよ、アリアナ)
そう、心の中で呟いた彼の目は、愛しき彼女を想う恋に落ちた少年となんら変わらなかった。
フェリスを尾行し、二人が辿り着いたのはフェリスの家と思わしき屋敷であった。大きさだけは貴族級。しかし…数年手入れされていないかのようにボロボロになった家の壁に、少しだけツタが這い上がっている。屋敷の周りは、かなりひらけた庭となっていて、さらに貴族の家によく見られる茂みが、その庭を大きく取り囲んでいる。外見だけをみて総括するなら、「没落貴族かな?」である。
シルバは周知の通り貴族であるが故に、レイヴンはルージュ家の男共意外には知られてはいないが、元王族であるが故に、貴族の家というものが大体どのようなものなのか分かっている。
だからこそ感じてしまう。この家では過去に何かがあったのだと。
しかし、二人ともそれを口に出すことはしない。
そんな屋敷を囲む茂みに身を隠し、シルバはレイヴンに二人にしか聞こえない程度のひそひそ声で尋ねた。
「ここが…本当にあのフェリスの家なの……?」
信じたくない。シルバの偽ることのない本心だ。その一心でレイヴンに尋ねた。
しかし、レイヴンは答えない。先程までの爛々と輝いていた目は、既に真正面だけを見つめていた。
疑問。貴族が何もなく没落するはずがない。加えて「領土争いや派閥争いなんて最近は聞かねえなぁ……まあ平和が一番だからな!!がははは!!」と何かの拍子にガレスが言っていたため、それから考えるに他の貴族に潰された、なんてことは絶対にない。フェリスがいつも着ているような服は庶民に着ることはできない。であれば……廃れたのはここ数年だと推測がつく。では、何故―
「……レイヴン?」
シルバの声と共に思考は途絶えた。
「あぁ、ごめん。多分ここがフェリス君の家だよ。…いや、間違いないと思う。他人の家ならノックくらいして入るだろうから」
シルバはそれに対して何も応えられない。
人生の中で認めた、数少ない人がまさか没落していただなんて信じたくないからだ。いや、既に信じてしまっている自分がいる。じゃないとこんな感情は…同情なんて感情は湧いてこないはずだから。
「…シルバちゃん、考えていることはなんとなく分かる。けれど今は抑えて。こうなってること自体が僕の感じてる違和感の正体なら、シルバちゃんやガレットが言ってた通り僕たちにはなにも出来ない。唯一出来るのは見守ってあげることだけだ」
一瞬の沈黙。
「…えぇ、そうね」
そして、言葉少なくそう答えた。まるで、それ以上考えることを拒否するかのように。
しかし、ああは言ったもののレイヴンは分かっていた。
そうではない。もしそうなら自分が違和感など抱くはずもないからだ。出会った頃と変わっているから…だから気づくことが出来たのだと。故に―何か面倒なことにフェリスは巻き込まれている。そう確信した。
そして、レイヴンが何かを決心した顔つきになり、茂みを出て行こうとしたその時―
「今日こそは勝つ!!!!」
「「!?」」
いつもからは想像もつかないほどの闘争心を全身に滾らせたフェリスが屋敷のドアを勢いよく開け、叫んだ。
「さぁて、どうかな??」
「「!?」」
それに対して挑発するように不敵な笑みを浮かべ応えたのは、フェリスの後に続いてドアから出てきたクレアだ。
二人ともびっくり仰天。レイヴンに至っては先程までかっこよく決まっていた顔が台無しである。口をあんぐりと大きく開け、顎が今にも地面につきそうだ。そして驚きのあまり石化。奇妙なモニュメントの完成である。
まさかあのクレア先生が、冷静でかっこよくてどこか無機質で事務的な先生があんな表情をするなんて。
びっくりしている理由はそれだけではない。「あんた放課の仕事はどうしたぁ!?」「ってかなんでフェリスくんとそんなに仲いいの!?」とツッコみたいことは山積みだ。
そうこうしている間に戦闘が始まっていた。驚きと驚きそして驚きに脳を支配され、石化が更に進む。それは、繰り広げられている戦闘レベルの高さ故だ。いや、もはや高いものなんてものではない。移動速度、駆け引き、一瞬にして繰り出される技。圧巻など、そんな表現では生温い。
5合、6合と金属のぶつかり合う硬い音が響き渡る。その様子から十数秒おいてようやく石化から解放されたレイヴンは「ん?僕今までどうやってフェリス君に勝ってたんだっけ?」と遠くを見ながら現実逃避するよう呟いた。
それほどまでにフェリスとクレアの戦闘は凄まじかったのだ。それは、目で追うことが出来ない程に移動し、牽制をくり返すフェリスの動きが物語っていた。
事実、フェリスの成長は師匠であるクレアですら目を見張るものだった。だが、その成長の早さも頷ける。なにせ二人はここ数日、文字通り死合いを行っているのだから。
「天を仰ぎ、生を支え、今全ての命を掬う―【絶界】」
フェリスの執拗なまでの牽制に嫌気が差したのか、クレアが自身を包むように土属性の結界を展開。防御一徹の状態から、【変質】をチラつかせ一気に攻勢にでた。
しかし、フェリスは怯みを見せない。更に速度をあげ、時々数発の電撃を放つことで牽制。
クレアはその雷撃には目もくれず、自分の獲物である両手剣『アゲイラ』を空間を切り裂くが如く水平に構えた。直後、バチバチッ!という音と共に雷撃が結界に相殺され霧散。それを合図とするようにクレアがフェリスのいるであろう方向にアゲイラを振り抜いた。
「【剛鉄閃】」
振り抜かれた『堕聖命』はフェリスを捉えることなく、虚空を切り裂いた。
刹那、時空が歪んだ。いや、正確に言えば空間がぱっくりと口を開けたのだ。
闇概念上級魔剣技。クレアのオリジナル魔剣技の一つである【剛鉄閃】は過度の深い闇で空間を切り裂くことにより、一時的に空間に裂け目を生じさせる恐ろしい魔剣技である。
巻き込まれれば、例え世界一硬い鉱石でもひとたまりも無いその寸劇にフェリスは息を呑む。しかし、フェリスは知っている。【剛鉄閃】の真の恐ろしさはここからであることを。
シュピッ!
カマイタチ。族にそう呼ばれる現象は、大気の瞬間的な移動によって引き起こされるものである。今まさにフェリスの四肢を引き裂かんと襲いゆく無数の見えない刃は、空間が消し飛ぶと共に消失した大気を補おうと、流れ込んできた空気によって生成されたものだ。
凄まじい勢いで迫り来る複数の見えない刃。予測しようもない軌道を予測し、フェリスは大きく回り込む。しかし、カマイタチは風が刃物となるほどに加速された、文字通り超高速の業物である。
「あぐっ!!」
フェリスは腕に生じた痛みに、思わず苦悶の表情を浮かべる。フェリスがいくら成長したとは言え、全てを完全に避けきるなんて事は出来ない。
「あれって……」
「血……だよね」
そう、血だ。普段であれば絶対に見ることはない。レイヴン達と同世代のこの中には血が何色なのかも知らない子がいるほどだ。そんな子供達が血を見れば、普通はどうなるか。正解はシルバが如実に表している。
「ちょっと、シルバちゃん。……シルバちゃん??」
レイヴンが顔をシルバの方へ向けると、そこには顔を真っ青にしたシルバが恐怖におののいた顔で呆然としていた。シルバの持つ銀色の髪とあまり遜色のない顔色に、レイヴンも呆然としてしまった。
今まで、シルバがこんなに弱気な表情を見せたことはなかったからだ。
当然、怯える子ウサギのように体をガクガクと震わせるシルバからの返答はない。
一方、そんなことを知る由もないフェリスは、未だに激しい戦闘を続けている。切り傷は切り傷は開き、服は煤け、体中が泥まみれだ。
しかし、自分の体のことに配慮することもなく、果敢に攻めている。それが功を奏したのか、クレアの頬に一筋の紅い閃光が走った。
「くっ! いい剣を振るようになったじゃないかぁ!!」
初めてまともに食らった一撃。今までは一撃も当てられることすらなかった。一度負けを認めた時であれ、フェリスが上級魔剣技を発動させただけで、ダメージは負っていなかったから。
弟子の成長と共に感じる屈辱。自分が育ててきたものの、いざ自分に届かんとしてくるフェリスに感傷と苛立ちを覚える。
結果、ほんの少し冷静さを失った一撃を放つことになった
今のフェリスはそれを見逃さない。
「はぁぁぁあああっっっ!!!」
一切無駄のない体捌きだ。右手に持っている愛剣―レイピア『迅雷』に左手を添え、勢いよく、何の躊躇いもなく突きだした。
ドシュッ!
放たれた一撃の突きは、見事クレアの脇腹を捉えた。深い傷、なんてものではない。それはもう一種の穴だ。それほどに苛烈な攻撃だったのだ。
「よく、……やったじゃない…か……」
当然のように止めどなく流れ出る大量の血液。地面を真っ赤に染め、血溜まりが出来る。そのせいか、力が入らないクレアはフェリスに抱かれるようにして、支えられながら立っているのがやっとのようだ。
それをみたフェリスはレイピアをそっと抜いた。
「はい。師匠の…おかげです」
「おかげ……か。ふふっ」
血をダラダラと流すクレアを支えるフェリス。その血でフェリスまでも真っ赤に染まっていく。
ガタンッ!
「ちょっ! またやったのかい!? 治療するこちらの身にもなってくれよ!」
そう言って没落屋敷から勢いよく飛び出してきたのは、夕刻なのにも関わらず寝癖をピンピンにはねさせたフェリスの父―フィリートだった。
フィリートはそう言うと、「なんだいこの血の量は!?」と言葉を続かせ、杖のようなものを胸の前に取り出し、両手でそれの両端を支え、呪文を唱え始めた。
途端、淡く、黄色い魔力光がクレアを包んだ。するとクレアの苦痛に染まった表情が和らいだ。
みるみるうちに穴が塞がっていく様子を見て、フェリスは「こんな大きな傷もちゃんと塞がるんだ…」と零す。塞がらないことを予想してこうも大きな傷を開けたということなのだろうか……。フェリス、恐ろしい子。
クレアの傷が完全に塞がったことを確認すると、フィリート深い深い溜め息を吐きながら杖らしきものを下ろした。普段は温厚なフィリートの目に明らかな怒りが灯っている。瞳に迸る赤い炎のようなものが見えるので間違いはないだろう。
その目が貫くのは当然そこに抱き合っている二名。ゆらりと揺れるその炎を見た二人は察した。その心はすなわち……「「グッバイ人生。我が人生に一片の悔い無し」」
「あれほど言ったよね?? こんな危険なことはやらないでって。 昨日言ったよね? 忘れちゃった??」
「えっと…その……フィリートさん、これはあの…違くて…」
「そうだよ父上、これは僕が言い出したことだかr」
「言い訳はしない!!」
「はい。」
「もし僕が気づかなかったらどうするつもりだったんだい!?」
「「………」」
「あれだけ理想状態でやってねっていったのに! なんで定常状態でなんか……」
「それについては本当に申し訳ないと思っています……もうこんなことはしませんので…」
「昨日もそう言ったよね??」
「「……」」
問答無用。有無を言わさずに責め立て続けるフィリートはいつものフィリートからは想像できない。
しゅんとなる二人。怒られる覚悟の上で戦ったのだが、やはり普段怒られない人に怒られると心にくるものがある。それの大部分を占めるのは裏切ってしまったという自責だ。フィリートの口調がまだ、いつものままなので見る人から見ればたいしたことないのだろうが、普段から一緒に住んでいる二人にはとても重い言葉だ。
しかし、フィリートは甘かった。
「はぁ。次はないからね」
「「ごめんなさい……」」
激甘であった。それはもう蜂蜜もその甘さに驚嘆するあまり絶句するほど。フィリートは満足げに二人に笑顔を向け、二人もそれにつられて笑顔になった。
フィリートのこういうところが、人から尊敬されるポイントであり、そして弱点なのだろう。他人に対してとことん優しいのだ。
「じゃあご飯にでもしようか。今日は僕の作った特製オムライスだよ」
しかし、フィリートの思う優しさといものは時に悲壮な光景を生み出す。遠くを見つめながら「ありがとうございます」と震えた声で捻りだした感謝の念を伝えるクレアと、もうなにも言えずに有り金を全部擦られたような顔をしているレイヴンを見れば、その悲惨な光景というものがどんなものなのか想像できるだろう。
詳しくは言わないが、その後のクレアはこう語った。
「鼻を抜けるお酢のような謎の酸味と、卵と砂糖の甘みの全てを奪い去るような激しい苦みが同時に襲ってきたときは流石に死ぬかと思った」と。
(まさか定常状態で斬り合うなんてねえ……クレアもレイヴンも軍人気質すぎるよ…)
愚行を犯した二人に無意識の鉄拳を下した後、フィリートは自室で物思いに耽っていた。それは、急激に訪れたフェリスの変化のこと。何故あんな無茶な稽古をしたのかということ。そして、敷地内にいた謎の二人組のこと。
(謎の二人組は身長や気配からして恐らく……恐らく子供だろうなぁ。フェリスの友達かな? なんで隠れていたのかは全くわからないけども……まあ、それを含めフェリスの変化が良い方向に進んでくれれば、僕はそれでいいさ)
基本放任、しかしここぞという時はしっかり役割を果たしてきたフィリート。フィリートの妻―今は亡きアリアナがそうしてきたように、自分もそうしようと決めたあの日。アリアナが命を落としたあの日から、ずっと今を待ち続けていた。
(やっと…やっとあの時のフェリスが戻ってきたみたいだよ、アリアナ)
そう、心の中で呟いた彼の目は、愛しき彼女を想う恋に落ちた少年となんら変わらなかった。
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