死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

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第2部

#62 背信

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「レイセン君、アイネはどう……?」
「はい、大事には至らなかったようです。しかしこの様子ですと、まだ旅は……」
「そっか……そうだよね。じゃあ、しばらくはここで、アイネの様子を見よう」
 いつ旅を再開できるかは未定だ。少なくとも、アイネが目を覚ますまではこの教会に滞在せざるを得ないだろう。
 僕とレイセン君は交代々々でアイネの身体を拭いてやったり、包帯を付け替えたりした。これには、いつの間にか帰ってきたピクトたちも手伝ってもらった。
 指輪ごと悪魔に食い潰された右腕は、今も存在しない。なんとなくやってはいけない事のような気がしたのだが、かつてエレナに渡した若草色のエンゲイジリングが手元にあったので、アイネの左手に着けたことがある。それから治癒魔法を試してみたのだが、治癒魔法という存在そのものが消えたみたいに何も起こらなかった。
 どうしようもなく時間が余ると、外に散歩へ出かけ、ある意味では穏やかな日々を噛み締めていった。

 それから三日後の夜、僕は一念発起して、従者である青年を背中から抱き締めた。
「…………」
「……どうか、されましたか?」
 急に恥ずかしくなってくる。頭の中に思い浮かべていた、この後言うべき台詞が全て飛んだ。
「……あの、さ」
 全身が脈打つ振動で、僕は緊張しているのだとわかる。この鼓動が、彼に聞こえてしまってはいないだろうか。もしかしたら届いているかもしれない。
 言わんとする単語が、点滅しながら脳裏で蘇る。しかしレイセン君の誘うような香りが鼻に届くと、掻き消されて声にすることが遮られてしまうようだ。それでも、最終的には時間の経過が僕の味方をした。
「……僕も、君のことを抱いてみたいんだ」
 顔と青年を掴んでいる腕が、瞬間で熱を発した。
 一方のレイセン君は、僅かに僕の方を振り返って唇を震わせる。
「ご主人様、拒むつもりはありませんが……入浴後ではいけませんか。やはり汚れていては、その……」
 青年の情欲的な視線と交差するや否や、僕は腕により一層の力を込め、菓子を強請る子どものような目で見つめ返した。
「いや……だ、駄目……! いまが、今がいい……」
 レイセン君を困らせたいというわけではなかった。この機会を逃せば、僕は駄目になってしまうと看做したのだ。
 未だかつて見たことのない濡れた目をして、恥じらいに染めた頬を晒した青年の顔が目蓋の裏に焼き付いて離れない。
「わかり、ました。貴方がそう仰るのであれば、直ぐに準備をいたします」

 こうして僕たちは部屋に留まった。僕はレイセン君が後ろで衣服を脱いでいるのがわかったので、その後のことを考えて気恥ずかしくなった僕は、なるべく振り向かないようにしつつ壁に掛かった不気味な絵画を見て考え事をするフリをしていた。
 後悔しているのだろうか、だが正直に言えたこと自体は誇りに思ってる自分がいた。
 今から謝ればなかったことにしてくれないかなあ、などと考えているうちにレイセン君は着々と衣服を脱いでいき、鞄から前にも見た親指の長さほどの小瓶を取り出した。
 僕はただやりたいことを伝えるだけで、それ以外の準備やらあれこれは彼に任せきりでいる。このままでは良くないということは分かっていても、起こすべき行動に対する回答は一つも持ち合わせていなかった。
 本当に──目の前の青年を一人置き去りにしたまま僕だけが夢を見るなどという、理想であり現実を知らん顔で享受するのか。そのつもりでいた僕は顔を上げた。本気でそのような怠惰を考えているのなら、はじめから言わなければ良かったのだ。
「ご主人様、お待たせいたしました」
 レイセン君の声掛けで、考え事ばかりが順風満帆に頭の中を駆け巡っていた僕は、妄想のフィルタがリセットされたように現実の視野を取り戻した。
 普段羽織っている外套を脱いだばかりの僕に対し、青年は既に一糸もまとわぬ姿をしている。ベッドの端に腰掛け、長い脚を閉じて斜めに流す容姿は形像の美そのものだった。
 両手で小瓶を握りしめたレイセン君の側まで歩み寄って、彼の肩に手を置いた。僕を見上げて目を細める青年に、我慢できず口付けをした。
 唇と唇を啄むように何度も重ね合わせる。次第に顔のあたりが熱くなってきて、僕の耳は湯気が出そうなほど熱くなった。
 レイセン君は口づけをしながら、僕のズボンを自然な素振りで脱がせた。
「ご主人様もどうぞ、こちらに」
 掌で案内されると、僕はベッドに寝そべり仰向けになった。
 レイセン君が僕の両脚を掻き分けて、固くなった陽物の根本に手の内側を這わせ上下に動かした。そして僕の鈴口を舌で撫でた。
「……っあ、それ……」
 僕はレイセン君の前髪を掻き分けたり、頬に手を添えたりしながら、声にならない声で彼の動作に答えた。レイセン君は時折その鋭い目で僕を見上げたが、口を動かすのはやめなかった。舌の動きに合わせて僕が呼吸するのを楽しんでいるようだ。
 体感的に長く感じたフェラチオは僕を射精寸前まで追い詰めたが、一旦はそれで終わった。レイセン君は一度も唇を離さずに水中から顔を出して静かに息をするみたいに呼吸した。まるで僕の良いタイミングを見計らったかのように口でするのをやめたのだ。
 そして彼は騎乗して僕の身体の両側に膝をつく。
「……フフ、前は私が男性役でしたけれど、今回は私を抱いてくださるんですね、ご主人様」
「その、つ、もり……そうだけど、ちょっと待ってくれないかな」
 早々に挿入しようとするレイセン君を一度止める。前にレイセン君とした時は、ここまで到達するのにもっと時間を要したはずだ、ということを思い出したからだ。
「……どうかされました? お手洗いですか?」
 銀髪の青年は、なぜ止めるのかといった表情をした。
 僕は以前と違うことをなんとか言葉にしようと努めた。今思うと、アヌスを解すという行為は工程の必須事項で、緊張の糸を緩めながらリラックスさせる意味があったようだ。きっとこれは相手が誰であろうと関係ない。大切な相手ならば、より丁寧に接したいと思うのは当然のことではないだろうか。
 僕は、レイセン君が痛い顔をするのは見たくないから、僕に準備の仕方を教えてくれないかと言った。
「いえ、いいんです。私……痛みには慣れていますので」
「でもっ……ああ」
 レイセン君は自らの臀に両手をあてがうと、天井を向いた僕のペニスに押し当てた。一秒ごとに指の爪半分ほどを飲み込んで、僕のペニスはあっという間に青年の根本まで隠れた。
「……は……っ」
「大丈夫? 痛くない?」
「痛くは、ありませんよ……ただ……」
 それから僕とレイセン君は抱き合ってキスをした。生殖器が肉癖を余すところなくしゃぶり尽くしている感覚が僕の意識を鷲掴みにして離さない。そのまま暫くは腰を動かさなかった。腰を動かさなくても、圧力だけで射精しそうになっていたからだ。
 最後に食後のデザートのような感覚で、青年のあそこに射精した。僕が出そうになったとき「抜こうか?」と聞いたらレイセン君は首を横に振った。

 慣らしもせずに無理矢理押し込んだらどうなるのかはだいたい想像がついていた。僕はレイセン君が座ったところのシーツに赤い斑点ができていたので心配になった。
「やっぱり、痛かったんじゃない……? 血が出てる」
「いいえ、全く痛くないんですよ。でも……ごめんなさい……これは、この涙は違うんです……」
 裸の青年は瞬きをして、目に溜めた涙を溢れさせた。酷く強姦された後のような辛い表情だった。
 僕は何も言わずにレイセン君を抱き締めた。そして青年は無言で泣き続けた。僕の着ていた服は涙で湿ったが、後で脱げばよいだけの話だ。
 レイセン君がひとしきり泣いて落ち着きを取り戻した後で、僕は「今日はもう寝よう」と声をかけた。二人で同じベッドに潜ると、僕はレイセン君の頭を抱き寄せて、暗がりのせいで濡れた銀色の髪を撫でながらおやすみと言った。

 ***

 それから二回目の月がのぼり、アイネの看病をしてから六度目の朝が来た。太陽が森の影に沈む夕方、アイネは目を覚ました。自らの右腕を見てショックを受けている。五人のピクトたちは、単眼の男が目を覚ますまでの間、一度たりとも部屋を出ることはなかった。
「いやはや、御二方にはご迷惑をおかけしてしまいましたねえ。……おやおや、貴方たちもお揃いで」
 アイネは数日間の意識不明状態をなかったことのように、のんびりとした口調で言った。
「そのピクト、置いてきちゃったと思って焦ってたんだけど……」
「気づいたら帰ってきたでしょう? この子たちはどんなに遠くへ行っても、アイネさんの魔力を感じて戻ってくることができるんです」
「魔力って……眠っている間もわかるものなのかなあ」
「たとえ昏睡状態だったとしても、微小な魔力は発しているらしいですよお。アイネさんはそのあたり興味ありませんけど」
 そして神父は早めの夕食を摂るとみるみる元気を取り戻した。僕とレイセン君にいつ旅を再開しても構わない、むしろ今日からでもと欠伸をしながらシャワールームへ歩いていった。
 レイセン君が大事をとってもう三日だけ様子を見ようと言うので、僕もそれに賛成した。

 ***

 八日目の朝、僕は息苦しさで目を開けた。直立した姿勢で俯いた姿勢であることに気づき、寝る前に僕が何をしていたのか思い出そうとした。
 昨夜、僕はレイセン君に就寝の挨拶を告げ、そして部屋に戻ると僕の帰りを待っていた二匹の蛇が足元にすり寄ってきたので、手を差し出して腕に登らせた。ベッドに横たわり、蛇が枕元で丸くなったのを見た後で目蓋を閉じた。記憶の限り、覚えているのはここまでだ。
「う……」
「おや、起きましたか。アクアさん」
 体を動かそうと試みるも、磔のような何かに両手足を固定されていて、全身に張り付く十字の型から逃れられない。
 あるものを見るやいなや、僕の視界は殆ど強制的にクリアになった。すぐ近くには単眼の神父が。神父の斜め後ろには僕と同じように──クロノスという悪魔にしたように──全身で十字架を作りながら、力なく首を前に垂らしている青年がいた。
「レイセン君?!」
 束縛された手足では、青年に近づくことさえ許されない。青年は僕の声には答えず、深い深いところに意識を落としているようだった。アイネは目蓋を引き攣らせながら笑みを浮かべている。僕は矢継ぎ早に言った。
「あ、アイネ……これはなんのつもり──」
 僕は額に銃口を突き付けられた。
「さあさあ、答えなさい。死にたくなければ質問にイエスと答えなさい。──彼を手放しますか?」
「…………」
「まだお分かりでない様子? とても簡単なこと。……レイセン、彼に銃を突きつけたのでは意味がない。命の価値が段違いなのですよ、貴方たちと行動を共にしていて気づかないとでも? だから交渉には貴方の高い、たかあい命を賭けなくてはなりません」
「何を……言って」
 射線が変わり、僕の左耳、首、左肩、左腕の神経が金切り声を上げた。火薬が燃焼する衝撃音が、弾丸の発射と時を同じくして部屋中に響き渡った。
「──早く答えなさい!! 貴方の脳味噌をぶち抜いてしまいますよ!!」
 アイネが感情を剥き出しにしてがなる。今度は銃口の円が額に押し当てられ、鼻の奥が滲みる火薬のにおいがした。僕はアイネが本気であることを悟り、僕には時間が限りなくゼロに近いとわかった。
 なんと答えたのか、はっきりとは覚えていない。ただ、喉仏から絞り出した滓みたいな保身であったのは間違いない。
 僕は気を失ったように目の前が真っ白になり、次に思慮深くなった頃には、アイネもレイセン君もいなかった。
 紫の単眼が振り向きざまに僕を見て嘲笑い、磔にして立たせていた鎧姿の青年を担いで部屋を出ていく場景が、時間の経過と共に思い起こされる。
 僕を押さえ込んでいたのは鎖であった。大きく暴れたら外れそうだと思った僕は、可能な限り横に揺れたり、飛び跳ねる動きをして鎖が緩む感覚を手に入れた。鎖を足で踏みつけ体重をかけてやると、一気に腕や首の拘束も外れた。
 このようにして力尽くで鎖を解く時間など、あの瞬間にはあっただろうか。否、ない。
 僕は自分を正当化してこれ以上責め立てないようにと盾で守りながら、青年をみすみす手放してしまった責任逃れという罪を持つ槍で僕自身の心臓を突き刺した。

 ***

 それから僕は三日間、地上の迷子と成り果てた。当然それが義務だと言わんばかりに、青年を探し続けた。
 昼過ぎ、僕は空腹であることに気がついた。それほどまでに、彼のこと以外は考えられなかった。自分が憔悴しきっていることさえも忘れていた。
 風が木の葉を舞い上げる。一緒に土のにおいも運んでくる。僕の脚が休みたがって先に倒れはじめたので、葉の一つもつけないケヤキの木に凭れ掛かった。
 そして僕は、これまでの間ずっとレイセンという青年が側にいたのだ、ということを再認識させられた。
 彼は、はじめから、文字通り僕と樹海の森で最初に出会ったときから今まで、僕の隣にいたのだ。確かに彼は僕の隣で微笑んで、悲しんで、苦痛に顔を歪ませて、また頬を緩めたのだ。
 しかしレイセン君と離れた時間が長くなればなるほど、僕の記憶からは彼が薄れて行くような気がした。それは僕にとって死ぬことよりも恐ろしく思えた。
 恐怖で思わず身震いし、僕は自分自身を抱き寄せた。同じ時を過ごしたのに、いざ目の前からぱたりと消えてなくなると、その当たり前を失った悲しみに慟哭したくなる気持ちで心がいっぱいになった。

 ──景色が浮かんでくる。
 はじめは、水を含んだ絵の具を染み込ませた筆を振った後、そこからこぼれ落ちた雫の集まりだった。絵は徐々に輪郭をはっきりとさせ、一つの動く絵画が映し出された。
 僕はこれを疲弊からの幻と捉えていた。けれど見慣れた青年の後ろ姿が映し出された途端に、夢ではないような気がして釘付けになっていた。
 後ろ姿だけでも十分に美しいと思わせてくれる青年は、無心でシャワーを浴びている。顔を上げ、自らの身長より少し高い位置から斜めに降り注ぐ温かな雨にあたり、両手で濡れた銀髪をかきあげた。青年の首と腕には輪っか状のものがついている。彼は背後の気配に気づく様子などなく、温いシャワーを浴びていた。
 そして僕の見ている映像は、上から見下す視点に変わる。正方形のシャワールームは一人用の大きさしかない。中に人がいることは一目瞭然であるにもかかわらず、見えていなかった正方形の外から、青年の背後にあるカーテンが開かれた。
 青年は気がついて後ろを振り向いた。僕もカーテンの向こうにいる人物を目で追う。
 黒い祭服の男──アイネだ。彼は我が物顔で青年の方へと歩く。
 中途な角度で止まった青年は、単眼の男によって壁際に追い詰められる、シャワーは止めどなく流れ、男は祭服が水浸しになるのを気にしていない。青年は逃れようとしたが首や両腕の線が鈍く光りだすと硬直した、まるで男の都合の良いようにされているみたいだ。男はおもむろに青年の身体を撫でた、いやらしい手付き。青年が体を強張らせる、どうやら青年は脚も自由に動かせないようだ。男が余裕の表情で一度青年から距離を置くとズボンを脱いだ。それから何かを呟いている青年の背に覆いかぶさる。青年は今にも壊れてしまいそうな表情をしていた。何が起きているのかはだいたいわかる、男が青年を犯しているのだ、そして僕はそれを見ている傍観者だ。それ以上でもそれ以下でもない。

 ──殺したい。殺さなければ。
 映像は途切れた。僕が現実に戻るため、気を確かに持ったせいだろう。
 あれは夢のようであったが、事実だろう。僕の勘がそう告げていた。あの夢が、僕に「男を殺せ」と言ったのだ。
 今の僕は、奴がどのようにしてどこへ行ったのか、奴が今どこに潜んでいるのか、その建物が木で作られた簡素な小屋で、小屋の周りには雑草さえ生えておらず、乾いた土地で一面の青い空が見渡せる場所だということもわかる。
 例え僕が目にした光景を忘れたとしても、憎しみが全てを思い出させてくれるだろう。
 僕の歯茎が神経をじんわりと震わせた、そこでやっと歯を食いしばっていることに気がついた。
 餓えも倦怠も、全て憎悪にやられて忘却の彼方へ消し去られたので、僕は立ち上がってわかりきった彼らの行き先を追った。
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