死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

文字の大きさ
上 下
58 / 74
第2部

#53 哀しい邂逅/痛み/星空

しおりを挟む
 この世はつまらない。
 儂は、退屈が嫌いだ。
 あまりにも退屈すぎて、ハルファス、ヴァッサゴ、エリゴス、アイム、グラシャラボラス、セーレ──同胞たちを殺した。
 この手で殺した。一人殺しては飽き、また一人殺していった。
 しかも相手は弱い奴か同等か、少し強いかくらいのものを選んでいた。この世は弱肉強食とでも言いたげな、儂の性が悪いのは自覚している。
 これは儂にかけられた、呪いのようなものだ。
 だが──華はいい。花も人も、美しければそれだけで価値がある。
 だから、まあ、当然のことながら、その華が人のものならば奪いたくなってしまうのだ。殺してでも。
 これは儂にかけられた、呪いのようなものだから。

 *

「フェニックス。久しぶりに顔を見せたと思ったら……俺の事は嫌いなんじゃなかったのか」
 此奴の名前は興味がないから忘れた。罪がどうたらこうたら、という名だったかもしれない。
「……やっぱり嫌じゃ。お主のその喋り方かのう。耳に入るたびに虫酸が走るんじゃ」
「それは、俺じゃあどうしようもないな」
 ああ、その態度。儂はあまり好きではない。
 大方、儂の言いたいことがわかっているのだろう。だが、わかっていても、相手の口から聞くまでは黙っているが此奴なのだ。
「──単刀直入に言うとな。儂と戦え、もちろん本気で」
 刹那、奴は驚いたような顔をした。しかし之は演技である。相手にそうだと伝えるための見え透いた嘘のようなものだ。
「……急に何を言い出すのかと思えば。なら俺は敢えてこう言おう。『冗談もほどほどにしろよ、仲間同士で殺り合っている暇なんてない』」
──そう言うと思っていた。否、そうでなくてはおかしいのだ。
 ならば儂は、此奴──の奥に潜む化物──が戦わなければならない理由を作るだけ。
 簡単だ。華を天秤に乗せてやればいい。
 動くかどうかは此奴次第だが、やるだけの価値はあるだろう。
「ほぉう……なら、お主が棄権したということで、勝者の儂があの男を貰うぞ。それでよいというのなら──」
「それは駄目」
 思わず腹を抱えて床に転がりたくなった。
 ある一部の男というものは、自らのモノに対する執着と独占欲が計り知れぬ。だからこそ面白いのだ。
 こうやって、話に出せばすぐに乗ってくるから。
「じゃあ戦えよォ? 戦わずして食うべからず。ああそうだ、本気で、殺し合う気で頼むぞ。なんなら儂を殺せ」
「ふぅん……それは分かったけど。戦いたいのは俺じゃないだろう」
「もちろんじゃ、そうじゃとも。言わせるな」
「俺も不死鳥相手にどこまで戦えるか、試してみたかったんだ。女王が姿を現すのを、許してくれるかな。わからないけど、適当なところで呼んでみるから……がっかりさせないでよ」
──言わせてくれる。此奴、今最初から本気は出さないと言ったか?
「儂もなあ、お主のその顔に火ん玉ぶち込みたくて仕方ないのじゃ」
 この野郎、儂にも限界はあるが、今ので吹っ切れた。最初から本気で殺りに行く。
 儂は結末が見えているにもかかわらず、それを覆そうとする。悪い結果なら、なおさら。
「じゃあ、始めようか」
「そうさな、上へ行くか」
 儂は人差し指を立てた右手を、肩の高さまで掲げた。ここは最上階。更に上へと意識を投じて、二人同時に場所を移る。
 夜風が冷たい。月光に照らされた奴の顔がやけに綺麗に映った。
 足場は狭く、一本の線に沿うように歩き始める寸前の姿勢になる。
「一応兄弟だから、最期の言葉くらい聞いてもいいけど」
 奴は剣を抜いた。よく研がれた切っ先の輝きが反射する。
「お主こそ、愛しいべいびいに別れを告げずとも良いのか、え?」
「その必要はないさ、負けないもん」
 時々幼子口調になるのが癪に障る。
 儂は両の手に炎を盛らせた。
「そうか、ならば別れだ、ギルティ──!!」
「ああ、かかってこい──フェニックス!!」

 /

 オレは曇った唸り声を必死に上げていた。
 椅子に縛り付けられているみたいで、どんなに暴れても外れそうにない。
 目隠しをされているせいで、オレが今どこにいるのかもわからない。
「──っう、ううーーーー!!」
 口にも何かを詰め込まれている。その上から布を被せられていて吐き出せず、声量に限界を感じた。
 頭がじわりと毒に侵されるような感覚。体中が警鐘を鳴らしていて、それがとてつもなく恐ろしいんだ。
「……!!」
 背後、壁を隔てた向こうで、足音が聞こえた。
 誰かが階段を登ってくる。一体何をされるんだ、部屋に入ってくるのか、オレはどうなってしまうんだ。
「…………」
 静かになった。今のは幻聴だったのだろうか。
──否、気のせいであるはずがない。この耳ではっきりと聞いたのに、聞き間違いなんて。
『どうかしましたか? カノンさん』
「──ッ!?!?」
 終わった。これはオレにとっての死神。
 死神が耳元で、すぐ隣で嗤っている。
 オレはここで死ぬんだ。
『どうでしたか、あちらで見た景色は』
「……う──」
 今一度、腕を引いたり足を動かそうとした。椅子の足と肘置きに固定されていて、やはりどうしても逃げられそうにない。微妙に椅子が揺れただけだった。
 オレはまた叫んだ。嫌だ、死にたくない。
『ああ、そうでしたね。ごめんなさい、今外してさしあげます』
 すぐ脇に立っている男が、口元を覆っていた織布を解いた。そして、オレの口に入れた布切れを吐き出させた。
 それから、オレの右手を拘束する紐かベルトのようなものを外すと、手首を掴まれる。
「──っあ、触るんじゃねえ!」
 一度強く振りほどいた手は、結局また、今度は前よりももっと、強い力で握られた。
折角自由になった腕は、差し出すように体の前へと引かれる。
『貴方は裏切り者。その証だって……彼らのほうにつけば、勝てるとでも思いましたか』
「それは……!」
 伸ばした手が震える。テーブルのような板の上に乗せられたと思うと、厚みのある革が手首を押さえつけた。
 冷たい感触が背筋にまで伝わる。
 手首から肘、そしてその真ん中を、同じようにベルトで固定された。オレがそこまでわかった理由は、留め具のぶつかる音が三度聞こえたからだ。
『裏切り者には、罰を下さなければいけません』
 続けて、指の一本いっぽんを、丁寧に、標本のように板へ括り付ける。
 目隠しを外された。異質で理解不能な状況に、反応するのが遅れる。
「なんだよ、これ────あ」
 広がるキャンバスのようなテーブル、中央に聳えるのは、絵みたいに静止した左手。手の甲には、たった今死神によって突き立てられたナイフが見える。
 男は、ナイフの柄を力強く握って、刺した口から溢れる赤い絵の具を、目を凝らして見ていた。
 オレは、叫んだ。すると男がこっちを見て、ナイフを持つ手と反対の人差し指を立てて、唇に当てた。
『フフ、駄目じゃないですか。いくらここが灯台の最上階とはいえ、大声を出したら皆さんに聞こえてしまいます』
「やめ、ろって!! いてえ、いてえよぉ……」
『そうですか。でもこの程度で罪を払拭できるとでも? いいえ、それは間違いです』
 刺したナイフを引き抜きながら、死神は微笑む。
 貫通した穴のふちが蠢いて、そこから血が溢れている。赤黒く濡れたナイフの先端は、まだオレの手に向けられていた。
「わかっ、わかった……って、頼む……やめ」
『まずはこれを壊してしまいましょうか』
 そう言うやいなや、男は掲げた腕を一気に振り下ろした。その軌跡は、早すぎるあまり目で追うことができない。
「あ、ああ、あああああ?! っう……ぐう……っ!!」
 指輪をつけた、中指が、骨ごと切断される。関節が、あらぬ方向に曲がってばらばらに転がっていた。
『うーん、小さくて狙いが外れてしまいました』、
「ひ……ひぃ……あ、ああ、うそだろ」
 痛い、熱い、いたい、わからない。
 体中から血の気が引いて、青白くなって、冷たくなっていくのがわかる。この手を見ただけで吐き気がしてきた。
 変な汗も出て、いつ気絶してもおかしくはないだろう。
 どの道、この状況から脱することなんて──。
『なるべく痛いのが長引かないように、頑張りますね』
 子どもみたいな無邪気な顔で笑っていやがる。駄目だ、こいつには何を言っても通じない。こいつは人間じゃない、悪魔だ。
「あ、あっ、ぐ……。ぐえ……」
 ナイフが一回、二回、五回、七回、皮膚を突き抜けていく。
──早く、指輪、壊れてくれよ。
 言いたいことも言葉にならず、オレは口から涎を零したことにも気が付けない。
『ふぅ……見てください、ちゃんと壊せましたよ。よく耐えましたね』
「はっ…………はぁ…………」
 なんだこれ、もう手じゃないな、手みたいな何かでもない。
 破片のようなものが弾け飛んでいったから、多分壊れたんだろう。
 なんだかよくわからない指輪をつけたせいで、こんなことに。こんなことなら、オレだけでも断っておくべきだった。
 今更後悔したところで──。
 全身の力が抜けていった。
『大丈夫です、手を失った程度で、簡単には死にませんから』
 懺悔さえさせてもらえないのか。
 いや、諦めよう。死ぬことに変わりはないのだから。
「……もう、えんそう、できな…………」
 利き手が動かなくなった。死人のように冷たくなっている気がする。
『はい、ですが、貴方はよく耐えました。制裁が下ったのに、生きているんですよ』
「ほんと……に……?」
『ええ、ですから……』
 男は天使のような、女神のような笑みで、オレの唇にキスをした。
 ゆっくりと、一分一秒でも長く、呼吸をするように。



『ずっと演奏を聞かせてください、あちらの世界で……。多分、僕は聞くことができないでしょうけれど』

 /

 シャワーを浴びた後、宿の中が蒸し暑くて、あたしは外に出た。
「んーー……。冷たくて、気持ちいい……」
 夜風はお風呂上がりの火照った体に、心地の良い風を送る。
 崖から落ちないようにと立てられた柵の手すりに、両手を置いてみる。氷のように冷たい感触がして、それを味わうとすぐに手を離した。腕を乗せる気にはなれなかった。
──折角だから、海の近くまで行ってみようかな。そう思った矢先だった。
「なんだろう、あれ……。すごく、綺麗……」
 彗星が、空から降ってきた。
 隕石があたしに向かって落ちてきたのかと思った。
 この世界が終わるような、赤くて美しい流れ星。
「え────」
 その星と目が合った。
 星は、崖の下の砂浜に向かって一本の線を描きながら、滑らかに落ちていった。
「不死鳥様……!!」
 階段を駆け下りる。
 砂浜に足を取られながら、輝きを失った炎の落下した場所へ走った。
 近づくと、焦げた臭いがした。失速しつつも、足は前へ前へと進む。
「不死鳥、さま……」
「ああ、おぬしか」
「どうして、どうしてこんな姿に……?」
 あたしが戸惑っていると、もうすぐ死んでしまいそうなその人は、こちらに手を伸ばした。
「これを……」
「え……?」
 あたしは、痛々しい体の前で膝をついた。
 痛くないように優しく包んだ手の中には、短剣が握られていた。
「こ、せ……。わしを、ころせ」
「なんで、どうして」
 嫌だ。あたしは人を殺したくない。首を強く横に振った。
「いたみが、ながく、つづくのは……つらいから。らくに、してくれないか……」
「……!!」
 違う。この人は、苦しいんだ。
 不死鳥様は、あたしに最期を託したんだ。今のあたしにできることは、彼の願いを叶えてあげること。
 きっと、きっと大丈夫。だってこの人は──。
「どうせ、そのうち、よみがえる……から」
 あたしは、短剣を両手で握った。ちゃんと握らなければと思えば思うほど、手が震えて言うことを聞かない。
 呼吸が、うまくできない。わかって、本当はこんなことを望んでいたのではないと。
「う、うう、ああ……」
 彼の首の上に、切っ先が来るよう掲げる。
 駄目、振り下ろせない──。
 あたしは殺してしまうんだ、でもこれは仕方がないことなの。許して、ごめんなさい。
「エレ、ナ……」
 揺らぐあたしの両手を、その人は穏やかに包み込んだ。そして、あたしに囁いた。
「はやく」
「う、うああ……うう────!!」
 その人は微笑んでいた。

 *

 なんだか、とても疲れた。
 朝起きたら、さっきまでの出来事は全部夢で、何もかもがなかったことにならないかな。
 カノン君は、多分もう寝ちゃったよね。今あたしが行ったら、起こしてしまうかもしれない。自分の部屋に行こう。
 眠らなきゃ。ベッドに横たわって。
 毛布にくるまって、寝よう。目蓋を閉じて。
 ああ、疲れたな──。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

真・身体検査

RIKUTO
BL
とある男子高校生の身体検査。 特別に選出されたS君は保健室でどんな検査を受けるのだろうか?

おっさん家政夫は自警団独身寮で溺愛される

月歌(ツキウタ)
BL
妻に浮気された上、離婚宣告されたおっさんの話。ショックか何かで、異世界に転移してた。異世界の自警団で、家政夫を始めたおっさんが、色々溺愛される話。 ☆表紙絵 AIピカソとAIイラストメーカーで作成しました。

男子学園でエロい運動会!

ミクリ21 (新)
BL
エロい運動会の話。

性的イジメ

ポコたん
BL
この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。 作品説明:いじめの性的部分を取り上げて現代風にアレンジして作成。 全二話 毎週日曜日正午にUPされます。

監禁小屋でイかされ続ける話

てけてとん
BL
友人に騙されて盗みの手助けをした気弱な主人公が、怖い人たちに捕まってイかされ続けます

男色医師

虎 正規
BL
ゲイの医者、黒河の毒牙から逃れられるか?

騎士団長が民衆に見世物として公開プレイされてしまった

ミクリ21 (新)
BL
騎士団長が公開プレイされる話。

受け付けの全裸お兄さんが店主に客の前で公開プレイされる大人の玩具専門店

ミクリ21 (新)
BL
大人の玩具専門店【ラブシモン】を営む執事服の店主レイザーと、受け付けの全裸お兄さんシモンが毎日公開プレイしている話。

処理中です...