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第2部
#48 悪魔からの招待状
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僕がアトロシティの宿に帰ると、レイセン君は既に起きて、朝食の支度を始めていた。
「ただいま……。起きてたんだね、おはよう」
「おかえりなさいませ。そしておはようございます。朝から外出ですか」
台所に立っていた青年は、こちらを振り返って僅かに驚いた表情をしていた。僕はドアを閉める。
「寝れなかったから、ちょっと……ね。ちゃんと武器は持っていったよ?」
僕は右手の弓と、左手の矢筒を同時に差し出した。するとレイセン君は呆れたようにため息をついた。
「最近は貴方も早く起きるようになって、手間が省けたと思えば……。危険なので一人で外に出るのはおやめください」
──悪魔に遭遇したらどうするおつもりですか。
口先だけで謝った後に言おうとしていたことを、先に言われてしまった。とても、否、かなりまずい。
怒られることも念頭に置いて、僕は重い口を開いた。
「えーと、そのー。悪魔に会いました」
「…………」
レイセン君の視線がより鋭くなって僕に刺さる。僕は咄嗟に弁明しようと言葉を続けた。
「あ、えーっと、会ったのはフェニ君だよ! ほら、君も前に会ったあの人」
「……敵であることに変わりはありませんが」
二本目のナイフが突き刺さったような気がした。
「そうだけど……。フェニ君に会った時、もう一人血まみれで斃れているのを見つけたんだ。その人に話しかけてた、フェニ君」
「もう一人というのは、悪魔なのですか?」
「うん。フェニ君がそう言ってたし、その人前に神殿で、僕を殺しかけた人だった」
転移術を使う直前に聞いた、あの声が忘れられない。
必死に押し殺して、それでも謝ろうと震える声──。顔は見られなかったけれど、声音からは十分なほどの後悔が伝わってきたからだ。
「……それで、奴は貴方になんと言ったのです」
「あ! そういえば、悪魔を倒すくらいの脅威が現れた……って言ってた。この街から出たほうがいいって」
「なるほど。そして、傍らには悪魔の死体……。罠とも限りませんが、一刻も早くこの場を去ることには賛成です……」
すると、階段から足音が聞こえてくる。焦るように忙しない足音は、僕たちのいるキッチンへと向かってきた。
「……あれ? ああ、いた! 二人とも、もう起きてたのね……。部屋を探してもいないからびっくりしちゃった」
エレナだ。金色の髪の束が、何本かあらぬ方向にはねたまま、慌てた様子で現れた。
「どうしましたか? そんなに慌てて」
「聞いて! 悪魔から招待状が届いたの」
この空間には三人もいるというのに、深閑とした雰囲気が漂う。
「悪魔から……?」
「見てよ、これ」
エレナの手には、色とりどりの子どもが描いた絵が描かれた見開きの小冊子が握られていた。
テーブルの上に広げると、僕とレイセン君は招待状を読むために集まる。
〝迷子のフィリアちゃんを預かっています。インセインパークへお越しください。楽しいゲームもありますよ! ──ブレイズより〟
文章の最後には、簡略化された子羊のイラストが描かれていた。万年筆で適当に描いたにしては、特徴を捉えた絵だった。
羊の上に二、三滴のチョコレートにも見える赤い液体が落ちている。乾いた血の色だ。
「目を覚ましたら、あたしたちの部屋の机に置いてあったの……」
「この血、フィリアの──とか言わないよね」
各々が意見を告げる中、レイセン君が腕を組んで思考を巡らせる。
「向こうからこちらに宣戦布告だなんて。……ブレイズという悪魔が、インセインパークにいるのですね」
「行こう。悪魔の好きにはさせたくない。ここからどれくらいかかる?」
「地図は役に立たないので、記憶に頼らせてもらいます。この街を出て、森を抜けた先にインセインパークがあります。一日かからない距離だったはずです」
「その子が心配だわ。あたしはすぐにカノン君を起こしてくる!」
エレナはカノンを起こすために、再び急ぎ足で階段を駆け上がっていった。
「──あ。そうだ、エレナとカノンにもエンゲイジリング、渡しておいたほうがいいよね」
「ええ、判断は貴方に委ねますが。悪魔と戦うことになるわけですし……」
「そうだね、渡そうか」
そして僕は、久々にエンゲイジリングの入った箱を取り出した。
「ふあ~……。もう出んの? 早くね?」
「カノン君が遅いだけ! ほら、髪結ぶからそこに座って!」
眠り目のカノンが欠伸をしながら、エレナに背中を押されて起きてくる。髪を結んでいない彼は、ぱっと見ただけだと女性にしか見えない。
二人が持ち場についたところで、僕は指輪の話をした。すると彼らは、二つ返事とまではいかないけれども受け入れてくれた。
最初にエレナが若草色の指輪を、次にカノンがオレンジ色の指輪を指に嵌めた。
残るエンゲイジリングは──ひとつだけ。
「それじゃあ、よろしくね」
僕たちは朝食を手短に済ませると、旧市街アトロシティから逃げるように、インセインパークに急ぐべく宿を発った。
***
「この道で本当に合ってるのかよー。もう結構歩いたんじゃねえか?」
「あなたはもう少し緊張感を持ちなさい、カノン君! 魔獣に襲われたらどうするつもり!?」
獣道らしい道がなく、木々が無作為に生えた森林の中を歩く。まだ昼でもないというのに、森の中から覗く空は黒雲がたちこめていた。
恐怖心からかエレナとカノンは口数が多い。
「シッ……。物音が聞こえます」
「ううっ……怖いこと言わないでよ、レイセン……」
レイセン君が唇に人差し指をあてがう。耳を澄ますと、遠いところで草木の揺れる音が響いてきた。
「本当だ……どこから聞こえるんだ、この音……」
物音立てずに歩くのは難しい。枯れ葉だらけの地面を歩いていると、四人という人数では音の隠しようがない。
「うわっ、なんだこのツタ!! 気持、ち、わりぃ!」
後ろを振り返ると、カノンの足首に木の幹のような色をした枝が、まるで自我を持つかのように巻き付いていた。
カノンの叫び声を皮切りに、枯れ葉に埋もれた蔦が一本、また一本と怒涛の勢いで湧き上がってくる。
「逃げましょう、できるだけ分散して、はぐれないように!」
レイセン君の作戦に、エレナと僕が駆け出す。カノンの脚に絡まる蔦を、レイセン君の鉈剣が両断する。
「おいおい、何がどうなってんだよここ!?」
「話は後ほど、今はとにかく全力で走ってください」
僕は背中の矢筒から、矢を一本取り出した。蔦の妨害を断つためだ。
蔦が襲いかかってくるのを間一髪避けながら、木々の隙間をくぐり抜ける。
「きゃああ!! 助けて!!」
「──エレナ!?」
声のする方向へと走る。
一本の木に隠れた、金色の髪が見える。どうやらエレナは幹にしがみついて、必死に持ちこたえているようだった。
更に近づくと、エレナの体中に蔦が巻き付いていて、ある方向に強く引っ張っているのがわかる。
「うう……いやっ……」
「エレナ、今どかすから──」
「……っ、も、だめ……」
駆け寄る最中に準備した矢を放つ直前に、木の幹を掴んでいた最後の指が離れた。
蔦が足に絡み、後ろに引っ張ってエレナを転ばせたのだ。意思があるとしか思えない行動に慄く。
悲鳴を森全体に響かせて、彼女は森の奥へと姿を消した。
「おい、あいつはどうなった!?」
レイセン君が武器らしいものを持たないカノンを守りながら、周囲の蔦を一掃して合流する。
「向こう! あと一歩遅くて、間に合わなかった……」
「急ぎましょう」
無数に飛び出しては捉えようと襲ってくる蔦を、薙ぎ倒しながら走る。
僕たちはエレナが連れ去られた後を追うと、開けた場所に出た。
雲間から覗く太陽が、開けた空間の中央に聳える巨大な生き物を照らしている。
「は……意味わかんねえな。このスケール」
カノンが呆れるほどの大きさに辟易したように笑う。
高さは人の大きさにして五人分くらいだろうか。花の蕾のような形をした怪物がずっしりと構えていた。
蕾の下から、細かな毛細血管のように伸びた蔦が、地面に張り巡らされていた。足元に湧いていた蔦の本体は、おそらくこの魔獣のものだろう。
正面には──人の歯の形をした口。退紅色の口内に、白い歯が並んでいる様は異色を放っていた。
「エレナは……いた、あそこ!」
木の天辺と同じ高さで逆さに吊るされたエレナは、こちらに気づく様子がない。脱力し、気絶しているようだった。
重力に従って、スカートが傘のように捲れ、下着が露わになっている。この化物は意思も心も持ち合わせていないようだ。
「バカかあいつ! ってかこのままだと食われちまうぞ」
「矢で蔦を狙っても……ううん、だめだ。あの高さから落ちたら、ひとたまりもないよ」
「ん……ううっ……」
体中に巻き付いた蔦がエレナを締め付ける。うめき声を上げるエレナは、苦痛に顔を引きつらせていた。
「じゃあどうするんだよ!? おい、レイセンお前、魔女の儀式したんだろ? なんとかしろよ」
「ええ、そのつもりです」
「え……!?」
僕とカノンは、少し後ろで佇んでいたはずの青年を振り返った。
──銀髪の青年は、何かを唱え始めた。
凛々しく立ちながら、手前の土に剣を突き刺し、柄を両手で握りしめる。
すると、青年の足元から突風が巻き起こる。風は青白く輝き、幾つもの線を描いては消えた。首につけていた銅のペンタクルが、湧き上がる風に舞い上がる。
風は更に力を増す。そして、彼の衣装はつま先から首元まで、形状も色も変化していった。
「はぁ…………」
もともと暗い色が中心だったレイセン君の衣服は、白を基調とした気品溢れるものへと変わった。肩や胸元の留め具には赤、青、白、黄、紫の宝石が飾られている。
見れば鉈剣も、青年の変化に伴って白銀のような色をしていた。
「……綺麗」
思わずそんな言葉が口をついて出るほど、美麗な容姿をしていた。美しい、まるでガラスでできた人形の飾り物のよう。
銀色の柔らかな髪の揺らぎが治まる。
「──『魔女化』。私はそのように呼んでいます。これにて得られた力は、魔術……」
「これが魔女…………」
詠唱が終わり、青年は魔女の姿に変わったのだという。
「うまく使えるかどうかはわかりませんが、やってみます──」
魔獣には視覚、嗅覚に代わるものが一切ないことがわかる。その隙を狙い、レイセン君は五本の指先を蕾の本体に向けた。
「うおぉ……なんかすげーことになってる」
「…………」
青年の差し出された手の先には、光の粒が集中線となって集まっていく。光はある一定の量が集まると丸みを帯びていき、遂にそれは波の模様を形作った。
水の流れが生まれたかとおもえば、今度は指の先に近い場所から凍てついてゆく──。
「Μπλε επίθεση "Ηλίανθος" ────青の攻撃《向日葵》」
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。突然、僕が見ていた世界が凍りついたからだ。
辺り一面に空色の花が咲いた。時を止めるように、たちまち蠢く蔦たちを凍らせて。
花は──なんという名前であるかまでは思い出せない、曖昧な形状をしている。抽象的に描いた背景が、遠目で見たらなんとなくそれに見えるという程度のものだ。
「おお……。これで周りの邪魔なやつが動かなくなったな」
「でも、エレナのところまで届いてないよ。どうしよう」
氷の花園は、高低差はあるものの、蕾全体、そしてエレナが吊るされた高さまで届く花はなかった。
蕾の魔獣は、口をぽかんと開けたまま何もしようとはしない。ただ一本の蔦が上下に揺れているのが、見上げている僕たちにありありとわかった。
蔦は先端で枝分かれし、細くなった枝がエレナの衣服の内側に侵入し始めた。
動きと同時に、エレナを口に運び出したのだ。しかし、高さはまだまだある。僕はエレナを捉えている蔦を撃ち落とすタイミングを見計らった。
「──ッ! おい、さっさとしろよ、食われちまう」
「……どうなっても知らないよ」
僕は矢を三本、即座に番えた。
──弓を引き、今度こそ放とうとした途端、エレナが目を覚ました。
「んあっ、なに、これ!? ちょ、ちょっとどういうこと──!?!?」
「おいエレナ、目ぇ覚ましたんなら暴れんじゃねえ! 落ちるぞ!!」
「へ……あ、うんわかった……。って、あたし逆さま!? ……み、見たでしょーー!!」
今更という感じが否めないが、エレナはスカートを上に引っ張り上げる。僕たちは全員が首を振った。
「エレナ、した、下!」
「え──ひゃああああ!! どうしよう、あ、あたし……食べられちゃうの!?」
捕らわれた女性の声が、蕾の魔獣の捕食を促してしまったようだ。
エレナは魔獣の口のちょうど真上に移動される。開け放たれた大口が食べるために下りてくるのも時間の問題だ。
魔獣との距離が近くなり、追い詰められたと誰もが思った。
そして、エレナが叫ぶ。真下の敵を睨みつけ、掌を翳した。
「こんなところで死にたくないのよ!! Κόκκινο επίθεση "Wolf"────赤の攻撃《狼》」
エレナが詠唱をすると、直下に向かって起こる爆発。
形作ったものが何であるかまでは判断できずに、炎は蕾の口内で燃え盛った。
声らしきものをまるで発しない魔獣は、消火することができずに火花を散らした。枯れた花のような色をしたまま萎んでいき、最後には焦げ付いた塵が残った。
触手のような枝は、命を落としてエレナを開放する。この時既に地面と近かった彼女は、足から着地して転がった。
「ったく、ほら立て。オレの出番なかったじゃねーか」
「いてて……ありがとう。でも悪魔と戦う時は頑張ってもらうからね」
カノンが腰に手を当てると、もう一方の手で斃れたエレナの腕を引っ張り上げる。
蕾の魔獣がいた周辺の凍てついた花は、火の魔術によって溶けてしまっていた。けれど、離れた所に咲いた花々は程よく溶けかけて、艶のある宝石のような輝きを放っていた。
かつて一度も相手にしたことのない巨大な魔獣を倒し、僕たちは呼吸を整える。
「えへへ、黙っててゴメンね。言うタイミングを逃しちゃって……。実は、あたしも魔女なの」
「やっぱり?」
「オレは知ってたけどな」
エレナは舌を出して、誤魔化そうとしていた。更に、話題転換しようと声を上げる。
「あの氷の花って、レイセンの魔術?」
「はい。やはり最初から二属性を操るのは、難しいですね」
レイセン君は氷の波動を出した右手を、結んだり開いたりしていた。
「うっそー。そんな器用なことを成し遂げちゃうなんて……。初めてにしては上出来よ。あたしなんて、下手したら村を一つ全焼させてたんだから」
エレナは昔を懐かしむように、涙目で語った。
「ただ単に氷を発生させたんじゃねーの?」
「違うよ。カノン君、氷が勝手にできることないでしょう? レイセンが契約した悪魔の使う魔術は水属性、だから本当だったら水を発生させるだけ」
「発生させた水に、熱を奪うという手順を加えて氷となる。というだけの話です」
「へぇー、理屈が分かればって感じだな」
しかし僕は、そんな話よりもあるものを見て赤面していた。なぜならば──。
「アクア、なんで照れてんの」
「え……い、いや……その、レイセン君の服が……」
「私の鎧がどうかしましたか、ご主人様」
僕は両手で顔面を覆った。戦闘中はよく見ていなかったが、落ち着いた後でこうしてまじまじと見ると、衣装が過激に変化していたことを思い知ったのだ。
よりにもよって局部は布一枚隔てた向こう側──。腰布は真正面を隠さず、腰の両端から後ろにかけて棚引いている。更に言えば、布が少し短くなったような気がする。
このように扇情的な青年の姿を目の当たりにして、もし腰回りの布や紐が切れてしまったら──と考えてしまうのは、仕方のないことではないだろうか。
「……男の体見たって何も面白くねえだろ」
「まー、失礼ね。あたしは綺麗ですごくいいと思うけど~?」
「クク、どうしてこの形になったかは知りませんが、ご主人様の望みを反映させたという可能性も……」
「え、ええーっ!? 違う違う!」
レイセン君が不敵な笑みを浮かべて、僕に近寄ってくる。僕は距離を置こうと、両手を突き出した。
「しかし、これでは困りますね。おそらく、魔女化する度にこの格好になるんですから、慣れていただかなければ」
そう言うと、青年は目を閉じた。僕の目には刺激が強すぎた武装が解除され、元の姿に戻る。蒼い光の粒子が、風に乗って蛍のように舞った。
「悪魔と戦う時に初めて気づいたー、とかじゃなくてよかったな」
「余計だよ……。でも言えてる……」
「次はみんなが本気を出さなくちゃね。あ……もしかしてあそこに見える城みたいなのって……」
エレナが指さす森の向こう側に、霧がかった城が見えた。
「インセインパークですね。あともう少し歩けば着くでしょう」
一戦を終えた僕たちは、氷の花畑を越え、目的地を見失わないように森を歩き続けた。
「ただいま……。起きてたんだね、おはよう」
「おかえりなさいませ。そしておはようございます。朝から外出ですか」
台所に立っていた青年は、こちらを振り返って僅かに驚いた表情をしていた。僕はドアを閉める。
「寝れなかったから、ちょっと……ね。ちゃんと武器は持っていったよ?」
僕は右手の弓と、左手の矢筒を同時に差し出した。するとレイセン君は呆れたようにため息をついた。
「最近は貴方も早く起きるようになって、手間が省けたと思えば……。危険なので一人で外に出るのはおやめください」
──悪魔に遭遇したらどうするおつもりですか。
口先だけで謝った後に言おうとしていたことを、先に言われてしまった。とても、否、かなりまずい。
怒られることも念頭に置いて、僕は重い口を開いた。
「えーと、そのー。悪魔に会いました」
「…………」
レイセン君の視線がより鋭くなって僕に刺さる。僕は咄嗟に弁明しようと言葉を続けた。
「あ、えーっと、会ったのはフェニ君だよ! ほら、君も前に会ったあの人」
「……敵であることに変わりはありませんが」
二本目のナイフが突き刺さったような気がした。
「そうだけど……。フェニ君に会った時、もう一人血まみれで斃れているのを見つけたんだ。その人に話しかけてた、フェニ君」
「もう一人というのは、悪魔なのですか?」
「うん。フェニ君がそう言ってたし、その人前に神殿で、僕を殺しかけた人だった」
転移術を使う直前に聞いた、あの声が忘れられない。
必死に押し殺して、それでも謝ろうと震える声──。顔は見られなかったけれど、声音からは十分なほどの後悔が伝わってきたからだ。
「……それで、奴は貴方になんと言ったのです」
「あ! そういえば、悪魔を倒すくらいの脅威が現れた……って言ってた。この街から出たほうがいいって」
「なるほど。そして、傍らには悪魔の死体……。罠とも限りませんが、一刻も早くこの場を去ることには賛成です……」
すると、階段から足音が聞こえてくる。焦るように忙しない足音は、僕たちのいるキッチンへと向かってきた。
「……あれ? ああ、いた! 二人とも、もう起きてたのね……。部屋を探してもいないからびっくりしちゃった」
エレナだ。金色の髪の束が、何本かあらぬ方向にはねたまま、慌てた様子で現れた。
「どうしましたか? そんなに慌てて」
「聞いて! 悪魔から招待状が届いたの」
この空間には三人もいるというのに、深閑とした雰囲気が漂う。
「悪魔から……?」
「見てよ、これ」
エレナの手には、色とりどりの子どもが描いた絵が描かれた見開きの小冊子が握られていた。
テーブルの上に広げると、僕とレイセン君は招待状を読むために集まる。
〝迷子のフィリアちゃんを預かっています。インセインパークへお越しください。楽しいゲームもありますよ! ──ブレイズより〟
文章の最後には、簡略化された子羊のイラストが描かれていた。万年筆で適当に描いたにしては、特徴を捉えた絵だった。
羊の上に二、三滴のチョコレートにも見える赤い液体が落ちている。乾いた血の色だ。
「目を覚ましたら、あたしたちの部屋の机に置いてあったの……」
「この血、フィリアの──とか言わないよね」
各々が意見を告げる中、レイセン君が腕を組んで思考を巡らせる。
「向こうからこちらに宣戦布告だなんて。……ブレイズという悪魔が、インセインパークにいるのですね」
「行こう。悪魔の好きにはさせたくない。ここからどれくらいかかる?」
「地図は役に立たないので、記憶に頼らせてもらいます。この街を出て、森を抜けた先にインセインパークがあります。一日かからない距離だったはずです」
「その子が心配だわ。あたしはすぐにカノン君を起こしてくる!」
エレナはカノンを起こすために、再び急ぎ足で階段を駆け上がっていった。
「──あ。そうだ、エレナとカノンにもエンゲイジリング、渡しておいたほうがいいよね」
「ええ、判断は貴方に委ねますが。悪魔と戦うことになるわけですし……」
「そうだね、渡そうか」
そして僕は、久々にエンゲイジリングの入った箱を取り出した。
「ふあ~……。もう出んの? 早くね?」
「カノン君が遅いだけ! ほら、髪結ぶからそこに座って!」
眠り目のカノンが欠伸をしながら、エレナに背中を押されて起きてくる。髪を結んでいない彼は、ぱっと見ただけだと女性にしか見えない。
二人が持ち場についたところで、僕は指輪の話をした。すると彼らは、二つ返事とまではいかないけれども受け入れてくれた。
最初にエレナが若草色の指輪を、次にカノンがオレンジ色の指輪を指に嵌めた。
残るエンゲイジリングは──ひとつだけ。
「それじゃあ、よろしくね」
僕たちは朝食を手短に済ませると、旧市街アトロシティから逃げるように、インセインパークに急ぐべく宿を発った。
***
「この道で本当に合ってるのかよー。もう結構歩いたんじゃねえか?」
「あなたはもう少し緊張感を持ちなさい、カノン君! 魔獣に襲われたらどうするつもり!?」
獣道らしい道がなく、木々が無作為に生えた森林の中を歩く。まだ昼でもないというのに、森の中から覗く空は黒雲がたちこめていた。
恐怖心からかエレナとカノンは口数が多い。
「シッ……。物音が聞こえます」
「ううっ……怖いこと言わないでよ、レイセン……」
レイセン君が唇に人差し指をあてがう。耳を澄ますと、遠いところで草木の揺れる音が響いてきた。
「本当だ……どこから聞こえるんだ、この音……」
物音立てずに歩くのは難しい。枯れ葉だらけの地面を歩いていると、四人という人数では音の隠しようがない。
「うわっ、なんだこのツタ!! 気持、ち、わりぃ!」
後ろを振り返ると、カノンの足首に木の幹のような色をした枝が、まるで自我を持つかのように巻き付いていた。
カノンの叫び声を皮切りに、枯れ葉に埋もれた蔦が一本、また一本と怒涛の勢いで湧き上がってくる。
「逃げましょう、できるだけ分散して、はぐれないように!」
レイセン君の作戦に、エレナと僕が駆け出す。カノンの脚に絡まる蔦を、レイセン君の鉈剣が両断する。
「おいおい、何がどうなってんだよここ!?」
「話は後ほど、今はとにかく全力で走ってください」
僕は背中の矢筒から、矢を一本取り出した。蔦の妨害を断つためだ。
蔦が襲いかかってくるのを間一髪避けながら、木々の隙間をくぐり抜ける。
「きゃああ!! 助けて!!」
「──エレナ!?」
声のする方向へと走る。
一本の木に隠れた、金色の髪が見える。どうやらエレナは幹にしがみついて、必死に持ちこたえているようだった。
更に近づくと、エレナの体中に蔦が巻き付いていて、ある方向に強く引っ張っているのがわかる。
「うう……いやっ……」
「エレナ、今どかすから──」
「……っ、も、だめ……」
駆け寄る最中に準備した矢を放つ直前に、木の幹を掴んでいた最後の指が離れた。
蔦が足に絡み、後ろに引っ張ってエレナを転ばせたのだ。意思があるとしか思えない行動に慄く。
悲鳴を森全体に響かせて、彼女は森の奥へと姿を消した。
「おい、あいつはどうなった!?」
レイセン君が武器らしいものを持たないカノンを守りながら、周囲の蔦を一掃して合流する。
「向こう! あと一歩遅くて、間に合わなかった……」
「急ぎましょう」
無数に飛び出しては捉えようと襲ってくる蔦を、薙ぎ倒しながら走る。
僕たちはエレナが連れ去られた後を追うと、開けた場所に出た。
雲間から覗く太陽が、開けた空間の中央に聳える巨大な生き物を照らしている。
「は……意味わかんねえな。このスケール」
カノンが呆れるほどの大きさに辟易したように笑う。
高さは人の大きさにして五人分くらいだろうか。花の蕾のような形をした怪物がずっしりと構えていた。
蕾の下から、細かな毛細血管のように伸びた蔦が、地面に張り巡らされていた。足元に湧いていた蔦の本体は、おそらくこの魔獣のものだろう。
正面には──人の歯の形をした口。退紅色の口内に、白い歯が並んでいる様は異色を放っていた。
「エレナは……いた、あそこ!」
木の天辺と同じ高さで逆さに吊るされたエレナは、こちらに気づく様子がない。脱力し、気絶しているようだった。
重力に従って、スカートが傘のように捲れ、下着が露わになっている。この化物は意思も心も持ち合わせていないようだ。
「バカかあいつ! ってかこのままだと食われちまうぞ」
「矢で蔦を狙っても……ううん、だめだ。あの高さから落ちたら、ひとたまりもないよ」
「ん……ううっ……」
体中に巻き付いた蔦がエレナを締め付ける。うめき声を上げるエレナは、苦痛に顔を引きつらせていた。
「じゃあどうするんだよ!? おい、レイセンお前、魔女の儀式したんだろ? なんとかしろよ」
「ええ、そのつもりです」
「え……!?」
僕とカノンは、少し後ろで佇んでいたはずの青年を振り返った。
──銀髪の青年は、何かを唱え始めた。
凛々しく立ちながら、手前の土に剣を突き刺し、柄を両手で握りしめる。
すると、青年の足元から突風が巻き起こる。風は青白く輝き、幾つもの線を描いては消えた。首につけていた銅のペンタクルが、湧き上がる風に舞い上がる。
風は更に力を増す。そして、彼の衣装はつま先から首元まで、形状も色も変化していった。
「はぁ…………」
もともと暗い色が中心だったレイセン君の衣服は、白を基調とした気品溢れるものへと変わった。肩や胸元の留め具には赤、青、白、黄、紫の宝石が飾られている。
見れば鉈剣も、青年の変化に伴って白銀のような色をしていた。
「……綺麗」
思わずそんな言葉が口をついて出るほど、美麗な容姿をしていた。美しい、まるでガラスでできた人形の飾り物のよう。
銀色の柔らかな髪の揺らぎが治まる。
「──『魔女化』。私はそのように呼んでいます。これにて得られた力は、魔術……」
「これが魔女…………」
詠唱が終わり、青年は魔女の姿に変わったのだという。
「うまく使えるかどうかはわかりませんが、やってみます──」
魔獣には視覚、嗅覚に代わるものが一切ないことがわかる。その隙を狙い、レイセン君は五本の指先を蕾の本体に向けた。
「うおぉ……なんかすげーことになってる」
「…………」
青年の差し出された手の先には、光の粒が集中線となって集まっていく。光はある一定の量が集まると丸みを帯びていき、遂にそれは波の模様を形作った。
水の流れが生まれたかとおもえば、今度は指の先に近い場所から凍てついてゆく──。
「Μπλε επίθεση "Ηλίανθος" ────青の攻撃《向日葵》」
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。突然、僕が見ていた世界が凍りついたからだ。
辺り一面に空色の花が咲いた。時を止めるように、たちまち蠢く蔦たちを凍らせて。
花は──なんという名前であるかまでは思い出せない、曖昧な形状をしている。抽象的に描いた背景が、遠目で見たらなんとなくそれに見えるという程度のものだ。
「おお……。これで周りの邪魔なやつが動かなくなったな」
「でも、エレナのところまで届いてないよ。どうしよう」
氷の花園は、高低差はあるものの、蕾全体、そしてエレナが吊るされた高さまで届く花はなかった。
蕾の魔獣は、口をぽかんと開けたまま何もしようとはしない。ただ一本の蔦が上下に揺れているのが、見上げている僕たちにありありとわかった。
蔦は先端で枝分かれし、細くなった枝がエレナの衣服の内側に侵入し始めた。
動きと同時に、エレナを口に運び出したのだ。しかし、高さはまだまだある。僕はエレナを捉えている蔦を撃ち落とすタイミングを見計らった。
「──ッ! おい、さっさとしろよ、食われちまう」
「……どうなっても知らないよ」
僕は矢を三本、即座に番えた。
──弓を引き、今度こそ放とうとした途端、エレナが目を覚ました。
「んあっ、なに、これ!? ちょ、ちょっとどういうこと──!?!?」
「おいエレナ、目ぇ覚ましたんなら暴れんじゃねえ! 落ちるぞ!!」
「へ……あ、うんわかった……。って、あたし逆さま!? ……み、見たでしょーー!!」
今更という感じが否めないが、エレナはスカートを上に引っ張り上げる。僕たちは全員が首を振った。
「エレナ、した、下!」
「え──ひゃああああ!! どうしよう、あ、あたし……食べられちゃうの!?」
捕らわれた女性の声が、蕾の魔獣の捕食を促してしまったようだ。
エレナは魔獣の口のちょうど真上に移動される。開け放たれた大口が食べるために下りてくるのも時間の問題だ。
魔獣との距離が近くなり、追い詰められたと誰もが思った。
そして、エレナが叫ぶ。真下の敵を睨みつけ、掌を翳した。
「こんなところで死にたくないのよ!! Κόκκινο επίθεση "Wolf"────赤の攻撃《狼》」
エレナが詠唱をすると、直下に向かって起こる爆発。
形作ったものが何であるかまでは判断できずに、炎は蕾の口内で燃え盛った。
声らしきものをまるで発しない魔獣は、消火することができずに火花を散らした。枯れた花のような色をしたまま萎んでいき、最後には焦げ付いた塵が残った。
触手のような枝は、命を落としてエレナを開放する。この時既に地面と近かった彼女は、足から着地して転がった。
「ったく、ほら立て。オレの出番なかったじゃねーか」
「いてて……ありがとう。でも悪魔と戦う時は頑張ってもらうからね」
カノンが腰に手を当てると、もう一方の手で斃れたエレナの腕を引っ張り上げる。
蕾の魔獣がいた周辺の凍てついた花は、火の魔術によって溶けてしまっていた。けれど、離れた所に咲いた花々は程よく溶けかけて、艶のある宝石のような輝きを放っていた。
かつて一度も相手にしたことのない巨大な魔獣を倒し、僕たちは呼吸を整える。
「えへへ、黙っててゴメンね。言うタイミングを逃しちゃって……。実は、あたしも魔女なの」
「やっぱり?」
「オレは知ってたけどな」
エレナは舌を出して、誤魔化そうとしていた。更に、話題転換しようと声を上げる。
「あの氷の花って、レイセンの魔術?」
「はい。やはり最初から二属性を操るのは、難しいですね」
レイセン君は氷の波動を出した右手を、結んだり開いたりしていた。
「うっそー。そんな器用なことを成し遂げちゃうなんて……。初めてにしては上出来よ。あたしなんて、下手したら村を一つ全焼させてたんだから」
エレナは昔を懐かしむように、涙目で語った。
「ただ単に氷を発生させたんじゃねーの?」
「違うよ。カノン君、氷が勝手にできることないでしょう? レイセンが契約した悪魔の使う魔術は水属性、だから本当だったら水を発生させるだけ」
「発生させた水に、熱を奪うという手順を加えて氷となる。というだけの話です」
「へぇー、理屈が分かればって感じだな」
しかし僕は、そんな話よりもあるものを見て赤面していた。なぜならば──。
「アクア、なんで照れてんの」
「え……い、いや……その、レイセン君の服が……」
「私の鎧がどうかしましたか、ご主人様」
僕は両手で顔面を覆った。戦闘中はよく見ていなかったが、落ち着いた後でこうしてまじまじと見ると、衣装が過激に変化していたことを思い知ったのだ。
よりにもよって局部は布一枚隔てた向こう側──。腰布は真正面を隠さず、腰の両端から後ろにかけて棚引いている。更に言えば、布が少し短くなったような気がする。
このように扇情的な青年の姿を目の当たりにして、もし腰回りの布や紐が切れてしまったら──と考えてしまうのは、仕方のないことではないだろうか。
「……男の体見たって何も面白くねえだろ」
「まー、失礼ね。あたしは綺麗ですごくいいと思うけど~?」
「クク、どうしてこの形になったかは知りませんが、ご主人様の望みを反映させたという可能性も……」
「え、ええーっ!? 違う違う!」
レイセン君が不敵な笑みを浮かべて、僕に近寄ってくる。僕は距離を置こうと、両手を突き出した。
「しかし、これでは困りますね。おそらく、魔女化する度にこの格好になるんですから、慣れていただかなければ」
そう言うと、青年は目を閉じた。僕の目には刺激が強すぎた武装が解除され、元の姿に戻る。蒼い光の粒子が、風に乗って蛍のように舞った。
「悪魔と戦う時に初めて気づいたー、とかじゃなくてよかったな」
「余計だよ……。でも言えてる……」
「次はみんなが本気を出さなくちゃね。あ……もしかしてあそこに見える城みたいなのって……」
エレナが指さす森の向こう側に、霧がかった城が見えた。
「インセインパークですね。あともう少し歩けば着くでしょう」
一戦を終えた僕たちは、氷の花畑を越え、目的地を見失わないように森を歩き続けた。
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