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第2部
#41 宝探しをしよう
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「……ーい、おー……。……い、ねえったら! 聞こえてる?」
僕は上半身をほぼ九十度に曲げた姿勢で、壁にもたれかかりうなだれていた。
冷たいタイルが指に触れ、小刻みに震えている。聞き覚えのある声が、顔の近くで鳴り響いているのを聞いていた。
「おーい!! 起きてよーー!! おーきーてー」
「う……うるさい……聞こえてるって……」
地鳴りのように脳内まで届く甲高い声に、目をきつく絞りながら返事をする。
「ちょっと、うるさいって何さ!! 折角見つけたから駆け寄ったのに~」
両肩を掴まれ、頭の中心が三百六十度あらゆる方向に振り回される。目が覚めるどころか、気分が悪くなってきたような気がする。
「わかった……わかったから、もう、揺らさなくていい……」
肩に乗っていた比較的小さな手が、瞬時に離れた。僕は、その隙にと目蓋を起こす。
顔面に当たるか当たらないかという距離で、黒を基調としたゴシックなスカートが揺れていた。近すぎて、驚きのあまりに僕は叫んだ。
「わ、なにこれ?!」
「なにこれとは何だ……ん? ああ、近すぎた! これは失礼、あらよっと」
初対面にしては距離が近すぎる、少年のような少女のような、どちらとも聞き取れるような声質をしていた。
僕の鼻を逆撫でするフリルのドレスが、半歩ほど後ろに遠ざかる。
「えっと……だ、だれ?」
「あたし? ふっふん、聞いて驚きなさい。あたしはここで夢と希望を探し求めてる……その名も魔法少女グリエ! グリエちゃんって呼んでね」
グリエと名乗る、これまた少女か少年か判別に悩む、成長期の体格をした魔法少女だ。
ブラウン色の髪が振り子のように揺れ、満月のような金色の瞳と目があう。
「グリエ……。僕は、アクア」
そして、僕は一縷の望みをかけて名乗る。本当はこの魔法少女に別の姿があって、グリエという名も仮のものだ──という、曖昧で根拠のない希望だった。
思い出せない──。
ただ、グリエとどこかで会っている気がする。グリエは僕のことを知っている、見たことがあるはずだ。
記憶という名の川が、途中でせき止められているようなもどかしさが胸中を襲っている。
「へぇー。アクア、か。いい名前だね! よろしく~」
「……うん、こちらこそ」
グリエは、何一つ覚えてはいないという素振り。僕の壮大な思い違いであったか否かはさておき、グリエとは初対面だ──という体で進んだ方がよさそうなのは確かだ。
「んーしっかしー……キミのような人がここに来るのって珍しいかも。海賊でもなさそうだしー?」
辺りを見渡すと、グレーの壁に四方を囲われている。グリエは、そんな灰色の世界に咲いた一輪の薔薇のようだった。
僕は不毛の地に咲いた花に行く末を尋ねるように、この場所について聞いてみることにした。
「ここは……?」
「よくぞ聞いてくれた!! ここは死んだ者だけが辿り着ける、夢と希望の島──の迷宮、その名も宝島ドロップ!!」
「宝島……ドロップ。ちょっと待てよ、今死んだ者だけが……とか言った?」
「うん、言った。でも大丈夫! まだ完全に死んだわけじゃないよ。証拠に自分の体、触ってみ」
言われるがまま掌を広げたり、腕を触ってみたりする。
体温があるということを、生きていると結びつけてよいのかは不確かだ。けれど、確かに僕の体は熱を持っていた。
「だいじょうぶ……なのかなぁ。君にこんなことを言うのも、あれなんだけど。僕はここで死ぬわけにはいかないんだ」
「ま、みんなそうだよね~。でも暗い顔しないで、戻る方法ならあるよ」
「それ、どうすればいいの?」
グリエは歯をむき出しにして、細目で笑った。たっぷりのフリルをあしらったドレスに、少しの赤い装飾が映えている。
「この迷宮はね、ここに来た人が探し求めていたものが見つかるの! それは、物品だったり、場所だったりで、人それぞれなんだけど……」
とにかく探し求めていたものを見つけたら、手を伸ばせばいい──とのことだ。
と、なれば。残る問題は一つ。
「それ、生きて元に戻ったのか、死んでしまったのかわからないよね?」
「あたしだって、その人がどうなったかはわからないよー。でも、確かに、探していたものに手を伸ばした人は、この迷宮からいなくなった。あたしが知っているのは、それだけ」
魔法少女は、大きな赤いリボンが結ばれたとんがり帽子を被り直した。
僕は思いの外のんびりとしている、穏やかな少女に問いかける。
「グリエは、いつからここにいるの?」
「あたしは……あれ、いつからここにいるんだっけー? 新しくここに来たのがキミで、数年振りだから……」
「数年、ぶり……!?」
「えへへ、そう言われるとすごい人みたいに聞こえちゃうよね。けど、ただココでずっと一人で遊んでただけ──だから」
そう呟く彼女の瞳が、僅かに陰りを見せていた。迷宮の奥深くから、雫が滴る音が聞こえる。
「グリエが……探してたものは……?」
「あー、あたし? あたしが探してるのはね、この迷宮のお宝全部さ!!」
なんとなく、話を誤魔化されたような気がして僕は首を傾げる。するとグリエは口を開けたまま、僕を見て硬直した。
「そうそう!! この宝島ドロップの迷宮にはね、金銀財宝が眠っているの! あたしはそれを、全部自分のモノにするのだー!!」
魔法少女は仁王立ちをすると、両腕を腰に当てて決まったという顔をした。
「──あ、武器」
いざ迷宮の入口へ──というところで、僕は己の相棒とも言えるべき弓がないことに気づく。
「あたしが最初に見かけたときから、何も持ってなかったよ? ま、探していれば木の枝くらい見つかるって。現地調達~」
「木の枝……かあ。グリエの持ってるその杖は?」
僕は、魔法少女が大事に握り決めていた杖を指差して言った。
「あぁ、これ。飾りだよ、飾り」
握りしめた拳から覗く、子どものおもちゃのような可愛らしい杖の装飾が煌めいた。
これが飾りだというのが、にわかには信じ難い。杖の先端、中央にはハート型の宝石が惜しげもなく主張している。
「飾りねぇ」
「不安な顔しなさんな。あたしにはさっき拾ったナイフが……あっ」
グリエの両目が極端に丸くなった。そして青ざめた顔で僕を見る。
「そうだ……入口に戻ってくると、なぜか拾った武器が消えちゃうんだったーー!! また探さないと……」
僕はため息をついた。しかし、呆れというよりも、グリエという人物に絶望の中でも面白さを導き出し、僕は頬を緩ませていた。
僕とグリエは地図もなしに、拾い上げた木の枝を手に歩き続けていた。
こういう時、自分たちがどこから来たのか、白い紙に記してくれるような──銀髪の青年がいてくれたらと、ふと思う。
「ああーー!! 宝箱ミーッケ!!」
「急に大きな声出さないでよ、びっくりしたぁ……」
突如、魔法少女グリエが目を光らせた。
確かに目の前には、豪華という単語を体現したような箱が──二つ置かれている。一つは十字路の曲がり角に、もう片方は十字路を真っ直ぐに突き進んだ廊下の脇にあった。
「あたしはこっちを見てみる! アクアはそっちね!」
「……はいはい」
急ぎ足で手前の十字路に駆けていったグリエを通り越し、錆びて色褪せた暗い赤茶色の箱の前で立ち止まって腰を下ろした。
金が剥がれてしまった草木の装飾に、ガーネット色の革を被った、まさに宝箱という見た目をしている。
開き口の真ん中には鍵を差し込む穴がある。しかし、鍵もなければ施錠されている様子もない。
僕は運良く鍵がかかっていないことを祈りながら、アンティークな箱の蓋を持った。
「……お、開いた。けど……なーんにもなー……ん?」
ちょうど僕の体がすっぽりと入りきりそうな宝箱の中を、身を乗り出して覗く。
塗りつぶしたような黒の中に、ぽつりと蛍光色のコーラルが落ちていた。
「なんだろ、これ……届くかな……」
右手を伸ばし、指の腹ほどの大きさの光を掴もうと試みる。
掴んだかと思えば、空振りを繰り返していた──刹那。壁に押し付けていた蓋が、磁石の異なる極が引き合うように降りてきた。
「……いたっ!? ちょっ、なにこれ!? 開かない……!!」
知らず識らずのうちに、腰から上を箱の中に突っ込んでいた僕は、宝箱の口を閉じる際の突っかかりとなってしまい、見事に挟まった状態だ。
蓋を開けようにも、上から強く押さえつけられているような力が働いていて、逆手の僕の腕力ではとても開きそうにない。
「ひっ……今度は何!?」
箱の外側で、虫のようなものが蠢いている音が聞こえた。周囲から集まってきたというよりも、箱の下から湧き出ているような流れだ。
音は僕の足元に集中し始め、遂に粘り気のある生暖かい物体に両足首を掴まれた。
宙に浮いた棒に上半身を前倒しした体勢の僕は、見えない所で体に接触される恐怖を目の当たりにしている。
「ぐ、このっ……なんで開かないの……?」
下向きに引っ張られて足の動きを制御されている。更に幾つもの蔦が脚全体に絡まってきて、絶体絶命というに相応しい状況が出来上がっていた。
「い、痛い痛い、引っ張らないで……えっ、ま、待ってそこは……!」
身動きが取れなくなったのをいい事に、粘性のある蔦があちらこちらへと僕の脚を引っ張る。少しずつ確実に、僕の脚は浮いていった。
際限を知らない触手のようなものは、ズボンの中へと擦り込んでくる。僕の嫌な予感が的中した。
──傍からどう見られようと知ったことではない。我慢の限界を迎えた僕は、思い切り叫んだ。
「グリエーーーー!! グリエええええ!!!!」
「うおぉう!? なななんだこれえええっ!! 待ってて、今助けるからねアクアーー!!」
僕の悲鳴に気づいたグリエが、驚愕した様子で駆けつける。
「とにか、く! 抜いて! いいから、早く!!」
「ぎゃーーっ!! ど、どど、どうしたらいいのこれー!?」
慌てふためく魔法少女の叫び声が聞こえる。けれど僕も助けを求めるのに必死だった。
そして、少女は意を決し咆哮を上げ、僕の腰にしがみついた。
「気持ち悪い!! なにこれすっごいぬめぬめしてる!! いい加減、アクアを放せえええい!!!!」
「そのまま、引っ張り続けて!!」
グリエと触手の戦いが始まった。僕は中々抜けない株自体になったような気持ちになりつつも、これ以上箱の中に入り込んでたまるかと箱の端っこを掴む。
「こんのぉ……放しやがれ化け物!!」
怒りを込めたグリエの足蹴りが、宝箱の蓋に命中した。
箱が振動と共に力を失った一瞬で、グリエの引っ張る力が勝り、僕は挟まれていた口の中からようやく出ることができた。
後ろに引っ張られた勢いのまま、僕と魔法少女はぬめりに足を取られて転がった。
「あぁ……はぁ……ありがと、グリエ……」
「いろいろ無事でよかった、急いでここを離れよ! まだそのぬるぬるが動いてる!」
粘つく液体が体にこびり付いたまま、グリエに手を引かれ悪魔のような箱から逃げる。四、五回ほど曲がり角をくねり、宝箱から十分な距離を置いた場所で立ち止まると、息を整えた。
「さっきのは……?」
「パンドラの箱って知ってる? 開けると災いが降ってくる箱、たまに紛れ込んでるんだよ」
「ああいうのばかりなら、もう箱を開けたくないなあ……」
パンドラの箱から逃れて数時間──。
僕の武器は木の枝から銅の斧、銅の斧から銀の槍へと向上していった。
迷宮で何度も同じ道を歩き回ったり、突如壁や床から現れた触手の罠に二人同時にかかったりと災難しかなかった。
しかしそんな大冒険も、もうそろそろ終わりを迎えようとしていた。
「え……なんで、君がここに……?」
「あ、アクア……それ、多分キミが探し求めてたものだよ。あたしの勘がそう言ってる」
僕たちは迷宮の一角に辿り着いた。グリエがゴールだと告げた部屋の中央には、僕がよく知る人物が立っていた。
「レイセン君……」
「…………」
レイセン君は、何も言わない。ただ真っ直ぐに僕を見ていた。
「あの人、アクアの知り合い? けど、人か。人が出てきたってことは……」
「レイセン、くん。なに……?」
いつもの鎧を着た青年が、ゆっくりと右腕を上げ、顔の前で一旦動きを止める。それから握り拳を半回転させて親指が天井を向くと、その手を人差し指から順に開いていった。
「ハートの形だ」
グリエの呟きの通り、レイセン君の掌の上には、血のように紅い宝石が乗っていた。
「心…………臓…………」
僕は息を呑んだ。──確かに、宝石の象る形から連想させれば、僕の探していたものになる。僕の胸部は貫かれたように痛み出した。
「…………」
青年の掌で、静かに脈打ちながら輝く宝石を見ているうちに、僕の呼吸が乱れていく。
レイセン君は僕に差し出した右手を胸に当てた。
眩い光を放ちながら、宝石が彼の中に溶け込んでいく──。
「っ……ダメだ、レイセン君!! それは────」
僕は、探し求めていたものに手を伸ばした。グリエが僕の名を呼ぶ声が、徐々に遠ざかっていく。
光が強さを増し、僕の視界は白一色に染まった。
***
「────あ」
上下に揺れる目線がぴたりと止まる。
夜、明かりもつけずに暗い部屋で、僕は何をしていたのだろう。斜め後ろのテーブルランプだけが、この状況を僕に教えようと照らしていた。
──ああ、壁が真っ赤だ。血が飛び散ったように真っ赤だ。なんでこんなに汚れているんだろう。
鉄臭い。体も、この部屋も。壁がこんなに血だらけなら、きっと床も酷いことになっているんだろうな。
僕は下を向いた。僕の着ている服は、元からこの色だったよ、と言わんばかりにくすんだ赤をしていた。そして、僕は鮮血の流れる包丁を握っていた。
「…………死んでる」
──死体だ。僕はまだ温かい死体に跨がっていた。心臓を抉られている。これでは死んでしまうだろう。
絹のように細い銀の髪が、少し血で濡れてしまっていた。青い目が僕を見ているような、そうでもないような気がする。
「…………を……?」
──殺した。
「……殺した……」
──君が。
「…………僕が?」
僕は上半身をほぼ九十度に曲げた姿勢で、壁にもたれかかりうなだれていた。
冷たいタイルが指に触れ、小刻みに震えている。聞き覚えのある声が、顔の近くで鳴り響いているのを聞いていた。
「おーい!! 起きてよーー!! おーきーてー」
「う……うるさい……聞こえてるって……」
地鳴りのように脳内まで届く甲高い声に、目をきつく絞りながら返事をする。
「ちょっと、うるさいって何さ!! 折角見つけたから駆け寄ったのに~」
両肩を掴まれ、頭の中心が三百六十度あらゆる方向に振り回される。目が覚めるどころか、気分が悪くなってきたような気がする。
「わかった……わかったから、もう、揺らさなくていい……」
肩に乗っていた比較的小さな手が、瞬時に離れた。僕は、その隙にと目蓋を起こす。
顔面に当たるか当たらないかという距離で、黒を基調としたゴシックなスカートが揺れていた。近すぎて、驚きのあまりに僕は叫んだ。
「わ、なにこれ?!」
「なにこれとは何だ……ん? ああ、近すぎた! これは失礼、あらよっと」
初対面にしては距離が近すぎる、少年のような少女のような、どちらとも聞き取れるような声質をしていた。
僕の鼻を逆撫でするフリルのドレスが、半歩ほど後ろに遠ざかる。
「えっと……だ、だれ?」
「あたし? ふっふん、聞いて驚きなさい。あたしはここで夢と希望を探し求めてる……その名も魔法少女グリエ! グリエちゃんって呼んでね」
グリエと名乗る、これまた少女か少年か判別に悩む、成長期の体格をした魔法少女だ。
ブラウン色の髪が振り子のように揺れ、満月のような金色の瞳と目があう。
「グリエ……。僕は、アクア」
そして、僕は一縷の望みをかけて名乗る。本当はこの魔法少女に別の姿があって、グリエという名も仮のものだ──という、曖昧で根拠のない希望だった。
思い出せない──。
ただ、グリエとどこかで会っている気がする。グリエは僕のことを知っている、見たことがあるはずだ。
記憶という名の川が、途中でせき止められているようなもどかしさが胸中を襲っている。
「へぇー。アクア、か。いい名前だね! よろしく~」
「……うん、こちらこそ」
グリエは、何一つ覚えてはいないという素振り。僕の壮大な思い違いであったか否かはさておき、グリエとは初対面だ──という体で進んだ方がよさそうなのは確かだ。
「んーしっかしー……キミのような人がここに来るのって珍しいかも。海賊でもなさそうだしー?」
辺りを見渡すと、グレーの壁に四方を囲われている。グリエは、そんな灰色の世界に咲いた一輪の薔薇のようだった。
僕は不毛の地に咲いた花に行く末を尋ねるように、この場所について聞いてみることにした。
「ここは……?」
「よくぞ聞いてくれた!! ここは死んだ者だけが辿り着ける、夢と希望の島──の迷宮、その名も宝島ドロップ!!」
「宝島……ドロップ。ちょっと待てよ、今死んだ者だけが……とか言った?」
「うん、言った。でも大丈夫! まだ完全に死んだわけじゃないよ。証拠に自分の体、触ってみ」
言われるがまま掌を広げたり、腕を触ってみたりする。
体温があるということを、生きていると結びつけてよいのかは不確かだ。けれど、確かに僕の体は熱を持っていた。
「だいじょうぶ……なのかなぁ。君にこんなことを言うのも、あれなんだけど。僕はここで死ぬわけにはいかないんだ」
「ま、みんなそうだよね~。でも暗い顔しないで、戻る方法ならあるよ」
「それ、どうすればいいの?」
グリエは歯をむき出しにして、細目で笑った。たっぷりのフリルをあしらったドレスに、少しの赤い装飾が映えている。
「この迷宮はね、ここに来た人が探し求めていたものが見つかるの! それは、物品だったり、場所だったりで、人それぞれなんだけど……」
とにかく探し求めていたものを見つけたら、手を伸ばせばいい──とのことだ。
と、なれば。残る問題は一つ。
「それ、生きて元に戻ったのか、死んでしまったのかわからないよね?」
「あたしだって、その人がどうなったかはわからないよー。でも、確かに、探していたものに手を伸ばした人は、この迷宮からいなくなった。あたしが知っているのは、それだけ」
魔法少女は、大きな赤いリボンが結ばれたとんがり帽子を被り直した。
僕は思いの外のんびりとしている、穏やかな少女に問いかける。
「グリエは、いつからここにいるの?」
「あたしは……あれ、いつからここにいるんだっけー? 新しくここに来たのがキミで、数年振りだから……」
「数年、ぶり……!?」
「えへへ、そう言われるとすごい人みたいに聞こえちゃうよね。けど、ただココでずっと一人で遊んでただけ──だから」
そう呟く彼女の瞳が、僅かに陰りを見せていた。迷宮の奥深くから、雫が滴る音が聞こえる。
「グリエが……探してたものは……?」
「あー、あたし? あたしが探してるのはね、この迷宮のお宝全部さ!!」
なんとなく、話を誤魔化されたような気がして僕は首を傾げる。するとグリエは口を開けたまま、僕を見て硬直した。
「そうそう!! この宝島ドロップの迷宮にはね、金銀財宝が眠っているの! あたしはそれを、全部自分のモノにするのだー!!」
魔法少女は仁王立ちをすると、両腕を腰に当てて決まったという顔をした。
「──あ、武器」
いざ迷宮の入口へ──というところで、僕は己の相棒とも言えるべき弓がないことに気づく。
「あたしが最初に見かけたときから、何も持ってなかったよ? ま、探していれば木の枝くらい見つかるって。現地調達~」
「木の枝……かあ。グリエの持ってるその杖は?」
僕は、魔法少女が大事に握り決めていた杖を指差して言った。
「あぁ、これ。飾りだよ、飾り」
握りしめた拳から覗く、子どものおもちゃのような可愛らしい杖の装飾が煌めいた。
これが飾りだというのが、にわかには信じ難い。杖の先端、中央にはハート型の宝石が惜しげもなく主張している。
「飾りねぇ」
「不安な顔しなさんな。あたしにはさっき拾ったナイフが……あっ」
グリエの両目が極端に丸くなった。そして青ざめた顔で僕を見る。
「そうだ……入口に戻ってくると、なぜか拾った武器が消えちゃうんだったーー!! また探さないと……」
僕はため息をついた。しかし、呆れというよりも、グリエという人物に絶望の中でも面白さを導き出し、僕は頬を緩ませていた。
僕とグリエは地図もなしに、拾い上げた木の枝を手に歩き続けていた。
こういう時、自分たちがどこから来たのか、白い紙に記してくれるような──銀髪の青年がいてくれたらと、ふと思う。
「ああーー!! 宝箱ミーッケ!!」
「急に大きな声出さないでよ、びっくりしたぁ……」
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「あたしはこっちを見てみる! アクアはそっちね!」
「……はいはい」
急ぎ足で手前の十字路に駆けていったグリエを通り越し、錆びて色褪せた暗い赤茶色の箱の前で立ち止まって腰を下ろした。
金が剥がれてしまった草木の装飾に、ガーネット色の革を被った、まさに宝箱という見た目をしている。
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僕は運良く鍵がかかっていないことを祈りながら、アンティークな箱の蓋を持った。
「……お、開いた。けど……なーんにもなー……ん?」
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掴んだかと思えば、空振りを繰り返していた──刹那。壁に押し付けていた蓋が、磁石の異なる極が引き合うように降りてきた。
「……いたっ!? ちょっ、なにこれ!? 開かない……!!」
知らず識らずのうちに、腰から上を箱の中に突っ込んでいた僕は、宝箱の口を閉じる際の突っかかりとなってしまい、見事に挟まった状態だ。
蓋を開けようにも、上から強く押さえつけられているような力が働いていて、逆手の僕の腕力ではとても開きそうにない。
「ひっ……今度は何!?」
箱の外側で、虫のようなものが蠢いている音が聞こえた。周囲から集まってきたというよりも、箱の下から湧き出ているような流れだ。
音は僕の足元に集中し始め、遂に粘り気のある生暖かい物体に両足首を掴まれた。
宙に浮いた棒に上半身を前倒しした体勢の僕は、見えない所で体に接触される恐怖を目の当たりにしている。
「ぐ、このっ……なんで開かないの……?」
下向きに引っ張られて足の動きを制御されている。更に幾つもの蔦が脚全体に絡まってきて、絶体絶命というに相応しい状況が出来上がっていた。
「い、痛い痛い、引っ張らないで……えっ、ま、待ってそこは……!」
身動きが取れなくなったのをいい事に、粘性のある蔦があちらこちらへと僕の脚を引っ張る。少しずつ確実に、僕の脚は浮いていった。
際限を知らない触手のようなものは、ズボンの中へと擦り込んでくる。僕の嫌な予感が的中した。
──傍からどう見られようと知ったことではない。我慢の限界を迎えた僕は、思い切り叫んだ。
「グリエーーーー!! グリエええええ!!!!」
「うおぉう!? なななんだこれえええっ!! 待ってて、今助けるからねアクアーー!!」
僕の悲鳴に気づいたグリエが、驚愕した様子で駆けつける。
「とにか、く! 抜いて! いいから、早く!!」
「ぎゃーーっ!! ど、どど、どうしたらいいのこれー!?」
慌てふためく魔法少女の叫び声が聞こえる。けれど僕も助けを求めるのに必死だった。
そして、少女は意を決し咆哮を上げ、僕の腰にしがみついた。
「気持ち悪い!! なにこれすっごいぬめぬめしてる!! いい加減、アクアを放せえええい!!!!」
「そのまま、引っ張り続けて!!」
グリエと触手の戦いが始まった。僕は中々抜けない株自体になったような気持ちになりつつも、これ以上箱の中に入り込んでたまるかと箱の端っこを掴む。
「こんのぉ……放しやがれ化け物!!」
怒りを込めたグリエの足蹴りが、宝箱の蓋に命中した。
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後ろに引っ張られた勢いのまま、僕と魔法少女はぬめりに足を取られて転がった。
「あぁ……はぁ……ありがと、グリエ……」
「いろいろ無事でよかった、急いでここを離れよ! まだそのぬるぬるが動いてる!」
粘つく液体が体にこびり付いたまま、グリエに手を引かれ悪魔のような箱から逃げる。四、五回ほど曲がり角をくねり、宝箱から十分な距離を置いた場所で立ち止まると、息を整えた。
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「パンドラの箱って知ってる? 開けると災いが降ってくる箱、たまに紛れ込んでるんだよ」
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「え……なんで、君がここに……?」
「あ、アクア……それ、多分キミが探し求めてたものだよ。あたしの勘がそう言ってる」
僕たちは迷宮の一角に辿り着いた。グリエがゴールだと告げた部屋の中央には、僕がよく知る人物が立っていた。
「レイセン君……」
「…………」
レイセン君は、何も言わない。ただ真っ直ぐに僕を見ていた。
「あの人、アクアの知り合い? けど、人か。人が出てきたってことは……」
「レイセン、くん。なに……?」
いつもの鎧を着た青年が、ゆっくりと右腕を上げ、顔の前で一旦動きを止める。それから握り拳を半回転させて親指が天井を向くと、その手を人差し指から順に開いていった。
「ハートの形だ」
グリエの呟きの通り、レイセン君の掌の上には、血のように紅い宝石が乗っていた。
「心…………臓…………」
僕は息を呑んだ。──確かに、宝石の象る形から連想させれば、僕の探していたものになる。僕の胸部は貫かれたように痛み出した。
「…………」
青年の掌で、静かに脈打ちながら輝く宝石を見ているうちに、僕の呼吸が乱れていく。
レイセン君は僕に差し出した右手を胸に当てた。
眩い光を放ちながら、宝石が彼の中に溶け込んでいく──。
「っ……ダメだ、レイセン君!! それは────」
僕は、探し求めていたものに手を伸ばした。グリエが僕の名を呼ぶ声が、徐々に遠ざかっていく。
光が強さを増し、僕の視界は白一色に染まった。
***
「────あ」
上下に揺れる目線がぴたりと止まる。
夜、明かりもつけずに暗い部屋で、僕は何をしていたのだろう。斜め後ろのテーブルランプだけが、この状況を僕に教えようと照らしていた。
──ああ、壁が真っ赤だ。血が飛び散ったように真っ赤だ。なんでこんなに汚れているんだろう。
鉄臭い。体も、この部屋も。壁がこんなに血だらけなら、きっと床も酷いことになっているんだろうな。
僕は下を向いた。僕の着ている服は、元からこの色だったよ、と言わんばかりにくすんだ赤をしていた。そして、僕は鮮血の流れる包丁を握っていた。
「…………死んでる」
──死体だ。僕はまだ温かい死体に跨がっていた。心臓を抉られている。これでは死んでしまうだろう。
絹のように細い銀の髪が、少し血で濡れてしまっていた。青い目が僕を見ているような、そうでもないような気がする。
「…………を……?」
──殺した。
「……殺した……」
──君が。
「…………僕が?」
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