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第2部
#39 絶望を抱いて
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「うぅ……ぐっ」
身体の麻痺と奮闘し、十分ほどが経過した。
回復の兆しはまるで見えない。立って歩けるようになるには、もう二、三十分くらい掛かりそうだった。
「……く、っ……」
「レイセ、く。なに、して……?」
九十度に曲がった僕の視界で、レイセン君は腰のベルトに刺さった注射器を右手で握りしめた。笛の音の影響で震えた腕を掲げ、自身の反対の腕に突き刺した。
注射器の中に入っている液体が全て体に流れ込んだのを横目に確認すると、レイセン君は手を開いたり結んだりしながら半身を起こす。
「ご主人様、このままじっとしていてください。今、治療します」
僕はぎこちなく頷いた。
レイセン君は目を細めると、自らに打ったものと同じ色の注射器を取り出した。
僕の二の腕を左手に乗せて支えると、自分にそうしたように突き刺さすことはせず、斜めに傾けて丁寧に針を埋めていった。
空になった注射器が、徐ろに引き抜かれる。
次第に痺れは薄れていき、僕は難なく身体を起こすことができた。
「他に怪我などはされていませんか?」
「うん、大丈夫だよ。それよりノアも……」
同時に、敵の攻撃を受けて倒れたノアに目を向ける。
「はい、今すぐに──」
麻痺を回復させる薬を持ち合わせていなかった僕は、ノアの治癒を促す。僕の頼みを聞き入れたレイセン君が、ノアに近づいていった。
「ゥ、ぐ……アア────ッ!!」
「レイセン君、危ない!!」
咄嗟にレイセン君を後に引っ張った。ノアがスタンガンを掲げ、レイセン君に襲いかかった。彼は既のところで避けることができた。
「死ね……死ねよぉぉおおおお!!!!」
しかし、ノアの行動に対し怒り心頭に発した僕は、暴れるノアの上にのしかかり、胸ぐらを掴んで言った。
「何回やれば気が済むんだよ、ノア!! 今度は僕が、君を殺すぞ……!!」
「お前のせいだ、お前のせいで、フィリアは連れ去られたんだ!! アイツが連れて行かれればソレでよかったのにッ!! 死ね、みんな死ねええええ!!!!」
僕に対する激昂を目の当たりにした衝撃を受け、体は硬直した。
それはいつも遠目から見ていた、普段は穏やかで、けれど敵を前にすると猟奇的な目つきへと変わる少年だ。
少年の赤い両眼が、僕を射殺さんと睨んでいる。
「……君、本当にノア? 誰だ、きみは……」
問い質すや否や、啜り泣く声が聞こえた。
「僕が悪いんだ。僕のせいだ、僕が弱いから。大切な人の一人も、守れないんだ……」
ノアの左目が、本来の青を取り戻していく。僕は、顔がくしゃくしゃになりながらも、歯を食いしばる少年の頬から零れ落ちる涙を眺めた。
「もういいでしょう」
「う、うん……」
僕の右肩に、レイセン君の手が乗せられる。
ノアの豹変が解けたから、これ以上警戒する必要はないだろう。という意味合いのもういいでしょうを、僕は承諾した。
嗚咽を漏らすノアの傍らで、レイセン君が膝をつき注射器を掴んだ。
「どうして……僕は…………」
「…………」
うわの空で何かを語ろうとしているノアの言葉を、僕もレイセン君もただ何も言わずに聞いていた。
僕の口から出てくるどんな言い訳も、ノアを慰めるには至らないと思う。
「これで全部です」
「ありがとうございます。ホント、駄目だなぁ。僕は……」
ノアの目蓋が山の形を二つ作り、その端から最後の一粒が流れ落ちていった。
「……どこか泊まれそうな場所を探そう。休みがてら、フィリアをどう取り返すか、考えよう」
「アクア、僕に気を遣ってるの? 僕のことなんて構わなくてもいいよ。どうせ、フィリアは助けられない」
その通り、そうだとも。ノアの言っていることは概ね図星だ。
──ただ、その言い方が気に入らなかっただけ。
「……は? それ、本気で言ってるの」
またしても、ノアに言い掛かりをつけようとしている僕を止めたのは、僕の煮立った感情を鎮めるためだけに口を開いたレイセン君だった。
青年は首を横に振ると、僕にだけ聞こえる音の大きさで囁いた。
「ご主人様。ここは、私が」
レイセン君がおもむろに歩き出す。そしてノアの正面に立つと、目線を合わせるように座り込んだ。
「……さっきフィリアを連れて行ったのは、悪魔だよ。僕たちが全力で戦って、勝てると思う? ……僕は、無理だよ、どんなに策を練っても殺されてお仕舞い。でも……こうなったのは、僕のせい。どうしよう、今度こそフィリアを失ってしまうかもしれない……。フィリアが、死んじゃったらぼく、どうしよう……!!」
感情の波が抑えきれず涙腺が崩壊したように、ノアの目から涙の川が流れた。
すると、レイセン君はノアを抱き寄せ、水色の髪を包み込むように優しく撫でた。それから、ノアの耳元に、今にも消えそうな声で言った。
「……申し訳ありませんでした」
「っ……??」
目を見開いて、ノアが驚いた。それだけではなく、レイセン君の謝罪に戸惑い、困惑しているようにも見えた。
「彼らは最初、私を連れて行くつもりだった。けれど最終的にはフィリアが……。最悪な結果を招いてしまいました。あなたの言う通り、全てを私のせいにしてください」
最後の一言は、全ての責任を受け入れ、他人の傷を庇うようなものだった。
青年の覚悟に比べたら、僕はなんて浅ましいんだろう。吐き出した文言の重さすら量れない、哀れな言の葉とは違う。
「そんな、謝らないでよ……。貴方に謝られたら、僕は、どこに、この気持ちをぶつければいいのかわからない……!!」
ノアはレイセン君の体をきつく抱きしめた。声を押し殺すように泣いていた少年の声音が、徐々に叫びへと変わる。
「フィリア、ごめん……諦めようとした、君を見捨てようとした……僕は本当にどうしようもない奴だ、ごめんなさい……!!」
少年の懺悔とも言える慟哭が、街に響いた。
「私はあらゆる手段を尽くすつもりです。まだ他に手は残されています。どうか、希望を捨てないでください」
少年はゆっくりと二度、頷いた。
僕はこんな状況で、抱き合う二人を前にして、あらぬことを考えていた。それは、文字に置き換えることを躊躇うようなさもしい感情。
嗚呼、僕はなかなかどうして愚かなんだろう。
今すぐに消し去りたい自身の感情と、ノアの叫喚が入り混じり、僕は耳を塞ぎたくなった。
***
僕たちは街中を探り、ある一つの宿に辿り着いた。場所を選ばなければどこでも入れただろうが、部屋数が心配だった。外観は住居と同じような色と形をしていたため、宿らしき部屋に目星をつけるのも容易ではない。
中へ入ると、レイセン君が足の覚束ないノアを支えながら、すぐそばにある年季の入ったソファへ誘導した。
未だ少年の目は虚ろに漂い、赤く腫れた目元が、ひどく泣きじゃくったことを証明している。
「ノア、あなたはここにいてください。……今は落ち着いて、温かいお飲み物を用意します」
少年は静かに頷くと、目蓋を閉じた。
ノアを宥めると、レイセン君は立ち上がり、キッチンへと向かった。僕はキッチンの向かいにあるカウンターの椅子を引いた。
「……これからどうしよう」
僕がため息混じりに呟くと、蛇口から出る水を薬缶に詰めながら、青年が答える。
「聖典を見つけ出すため、ご主人様と私の二人で神殿へと向かいます」
「……君、意外と冷静だね。フィリアはどうするの?」
「どこに連れ去られたのか、検討もつかないままに動くのは如何なものかと。それに、ここから神殿へはそう遠くありません。数時間も滞在していれば見つかるでしょう」
レイセン君がルビー色の火付石の刻印をなぞり、台所に空いた丸い穴に石を落とす。
程良い火加減になると、円に薬缶を置いて蓋をする。
「そっか、なら早く済ませたほうがいいね。ところで、さっき言っていた他の手って何の事?」
「……今話すと長くなるので、後にしていただけますでしょうか」
「……そう」
「その方法を用いたとしても、悪魔に勝てるとは断言できません。しかし生存率はあげられるでしょう……いえ、そうですね、妨害や時間稼ぎの手段として──」
「待って、君はそれで何をするつもりなの? 自分が犠牲になろうなんて、思ってないよね」
今は戦闘時ではない、ましてや敵の襲撃を受けたわけでもない。けれど、レイセン君は僕のために命を投げ出すと、そう言っているように、僕には聞こえた。
「犠牲……言い方を変えればそうなるのでしょうね。ですが私はそうは思いません。それが一周回って貴方のお力になるのでしたら、何を迷う必要がありますか」
「いつもそう言うけど、君は自分のために、とか思わないの?」
「ええ。そういった意味では、私に自我などありませんよ。貴方のためになることが、私に反映されれば、それで良いんです」
「……反映されなくても?」
「当然です。……どうぞ、アップルティーです。砂糖を多めにしておきました。貴方も飲むでしょう?」
「ん……ありがと。……飲んだら、すぐ行く」
「畏まりました。では、ノアにもお出ししてきます」
レイセン君は、答えに困るといまいち理解できそうで理解できないような、難しい単語で話すように思える。
──僕の頭の回転が、彼に追いついていないだけかもな。
何を思ったのか、僕は飴色のアップルティーをぐいと飲み干すために勢いをつけた。
「あっ……つ!! はぁ……こんなんで大丈夫かなぁ……」
僕は口をとがらせて、カップの中の熱湯を冷まそうと息を吹きかける。
『どうぞ、聞いていらしたかもしれませんが、アップルティーです。お熱いですのでお気をつけて』
『ああ……どうも……。すみません、こんなものまで用意していただいて……いただきます』
『お砂糖とミルクはここにおいておきますから、どうぞお好きなように』
少し離れた場所から聞こえる会話に耳を澄ましながら、僕は心を落ち着かせるために紅茶を啜った。
「じゃあ、行ってくるよ。すぐに戻ってくるから」
「……うん」
弓と矢筒を背負い、ノアに一声かける。ドアノブを捻り、扉を半分開けたところでレイセン君がノアに言い聞かせた。
「……ノア、私たちが帰ってくるまでは、必ずここにいてください。……約束、していただけますか」
「…………うん」
ノアの空返事に、顔を歪めながらも口元を緩ませたレイセン君は、僕の方を振り返る。
「では、行きましょうか」
「…………」
僕は首を縦に振り、レイセン君よりも先に宿を出た。扉が閉まるとき、俯いたノアの顔がどんな感情を現しているのか、定かでなかった。
***
「へぇー……こんなに近くにあったんだ」
「噴水の向こう側だったので、気づきにくかったでしょう。建物自体が半分以上、住居の立ち並びで隠れてしまっていますし」
ペールオレンジの砂でできたような家屋ばかりの街に、白一色の巨大な建物──神殿が聳え立っている。
神殿の真白な岩肌に空の乾いたオレンジ色が重なり、他の居宅と比較して真新しいようにも、古めかしいようにも見える。
「すごい静かだね……さっきの魔獣みたいなのは、いなさそうだけど」
「そうですね。神聖なる領域には、魔獣といえども近寄れないということなのでしょうか」
入口の幅広い階段を上る。
中へ進むと、明かり一つ灯らない大広間に、何を模して作られたのか不明瞭なほどに崩れた石像が、物静かに佇んでいる。
白のような灰色のような創造物たちは、意図的に両手両足をもがれたような物や、脳味噌が半分崩れ落ちたような物まであった。
石像たちは全て中心を向いていて、丁度中心に立っていた僕は、なんだか彼らに見られているような気がして気味が悪くなり、その場を後にした。
「じゃあ、二手に分かれて探そう」
「はい。私はあちらを」
一つひとつの小部屋を確認して回る。本棚があれば、そこに聖典がないか、背表紙に書かれた文字を読みながら探す。
扉の脇にいる石像の横を通る際は、突然動き出さないかと肝を冷やした。
──しかし、どの部屋を探しても見当たらない。
「うーん…………あれ、さっきまであんな部屋……あったっけ?」
神殿の入口と対照的な位置に、石扉があった。僕はその扉の前に立つと、両手で力一杯に開けた。
その部屋は薄暗く、しかし外から差し込む夕日に照らされたステンドグラスが、部屋の奥で輝きを放っている。
「……あれは!」
六角形の部屋の窓から差し込む光の中心に、台座が置かれていた。台座の四隅を、ロウソクの明かりが囲っている。
部屋の端からでは、台座の中央に何があるのかまでは見えなかった。僕は部屋の中心へと歩いていく。
「これが……きっとヴェーダだ。間違いない」
錆びた色の台に置かれた分厚い聖典は、開かれた状態で放置されていた。
僕はレイセン君を呼ぼうとした。だが、目に飛び込んできた文字が脳裏に焼き付いて、僕はそのページから目を離すことができなくなっていた。
「え……? なに……これ、一体…………」
─────────────────────────────────────
✗. Δ.✗✗9✗ Ο πολιτισμός μας εξαφανίστηκε με την ανθρωπότητα. ──西暦紀元、✗✗9✗年 我らの文明は人類とともに死に絶えた。
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身体の麻痺と奮闘し、十分ほどが経過した。
回復の兆しはまるで見えない。立って歩けるようになるには、もう二、三十分くらい掛かりそうだった。
「……く、っ……」
「レイセ、く。なに、して……?」
九十度に曲がった僕の視界で、レイセン君は腰のベルトに刺さった注射器を右手で握りしめた。笛の音の影響で震えた腕を掲げ、自身の反対の腕に突き刺した。
注射器の中に入っている液体が全て体に流れ込んだのを横目に確認すると、レイセン君は手を開いたり結んだりしながら半身を起こす。
「ご主人様、このままじっとしていてください。今、治療します」
僕はぎこちなく頷いた。
レイセン君は目を細めると、自らに打ったものと同じ色の注射器を取り出した。
僕の二の腕を左手に乗せて支えると、自分にそうしたように突き刺さすことはせず、斜めに傾けて丁寧に針を埋めていった。
空になった注射器が、徐ろに引き抜かれる。
次第に痺れは薄れていき、僕は難なく身体を起こすことができた。
「他に怪我などはされていませんか?」
「うん、大丈夫だよ。それよりノアも……」
同時に、敵の攻撃を受けて倒れたノアに目を向ける。
「はい、今すぐに──」
麻痺を回復させる薬を持ち合わせていなかった僕は、ノアの治癒を促す。僕の頼みを聞き入れたレイセン君が、ノアに近づいていった。
「ゥ、ぐ……アア────ッ!!」
「レイセン君、危ない!!」
咄嗟にレイセン君を後に引っ張った。ノアがスタンガンを掲げ、レイセン君に襲いかかった。彼は既のところで避けることができた。
「死ね……死ねよぉぉおおおお!!!!」
しかし、ノアの行動に対し怒り心頭に発した僕は、暴れるノアの上にのしかかり、胸ぐらを掴んで言った。
「何回やれば気が済むんだよ、ノア!! 今度は僕が、君を殺すぞ……!!」
「お前のせいだ、お前のせいで、フィリアは連れ去られたんだ!! アイツが連れて行かれればソレでよかったのにッ!! 死ね、みんな死ねええええ!!!!」
僕に対する激昂を目の当たりにした衝撃を受け、体は硬直した。
それはいつも遠目から見ていた、普段は穏やかで、けれど敵を前にすると猟奇的な目つきへと変わる少年だ。
少年の赤い両眼が、僕を射殺さんと睨んでいる。
「……君、本当にノア? 誰だ、きみは……」
問い質すや否や、啜り泣く声が聞こえた。
「僕が悪いんだ。僕のせいだ、僕が弱いから。大切な人の一人も、守れないんだ……」
ノアの左目が、本来の青を取り戻していく。僕は、顔がくしゃくしゃになりながらも、歯を食いしばる少年の頬から零れ落ちる涙を眺めた。
「もういいでしょう」
「う、うん……」
僕の右肩に、レイセン君の手が乗せられる。
ノアの豹変が解けたから、これ以上警戒する必要はないだろう。という意味合いのもういいでしょうを、僕は承諾した。
嗚咽を漏らすノアの傍らで、レイセン君が膝をつき注射器を掴んだ。
「どうして……僕は…………」
「…………」
うわの空で何かを語ろうとしているノアの言葉を、僕もレイセン君もただ何も言わずに聞いていた。
僕の口から出てくるどんな言い訳も、ノアを慰めるには至らないと思う。
「これで全部です」
「ありがとうございます。ホント、駄目だなぁ。僕は……」
ノアの目蓋が山の形を二つ作り、その端から最後の一粒が流れ落ちていった。
「……どこか泊まれそうな場所を探そう。休みがてら、フィリアをどう取り返すか、考えよう」
「アクア、僕に気を遣ってるの? 僕のことなんて構わなくてもいいよ。どうせ、フィリアは助けられない」
その通り、そうだとも。ノアの言っていることは概ね図星だ。
──ただ、その言い方が気に入らなかっただけ。
「……は? それ、本気で言ってるの」
またしても、ノアに言い掛かりをつけようとしている僕を止めたのは、僕の煮立った感情を鎮めるためだけに口を開いたレイセン君だった。
青年は首を横に振ると、僕にだけ聞こえる音の大きさで囁いた。
「ご主人様。ここは、私が」
レイセン君がおもむろに歩き出す。そしてノアの正面に立つと、目線を合わせるように座り込んだ。
「……さっきフィリアを連れて行ったのは、悪魔だよ。僕たちが全力で戦って、勝てると思う? ……僕は、無理だよ、どんなに策を練っても殺されてお仕舞い。でも……こうなったのは、僕のせい。どうしよう、今度こそフィリアを失ってしまうかもしれない……。フィリアが、死んじゃったらぼく、どうしよう……!!」
感情の波が抑えきれず涙腺が崩壊したように、ノアの目から涙の川が流れた。
すると、レイセン君はノアを抱き寄せ、水色の髪を包み込むように優しく撫でた。それから、ノアの耳元に、今にも消えそうな声で言った。
「……申し訳ありませんでした」
「っ……??」
目を見開いて、ノアが驚いた。それだけではなく、レイセン君の謝罪に戸惑い、困惑しているようにも見えた。
「彼らは最初、私を連れて行くつもりだった。けれど最終的にはフィリアが……。最悪な結果を招いてしまいました。あなたの言う通り、全てを私のせいにしてください」
最後の一言は、全ての責任を受け入れ、他人の傷を庇うようなものだった。
青年の覚悟に比べたら、僕はなんて浅ましいんだろう。吐き出した文言の重さすら量れない、哀れな言の葉とは違う。
「そんな、謝らないでよ……。貴方に謝られたら、僕は、どこに、この気持ちをぶつければいいのかわからない……!!」
ノアはレイセン君の体をきつく抱きしめた。声を押し殺すように泣いていた少年の声音が、徐々に叫びへと変わる。
「フィリア、ごめん……諦めようとした、君を見捨てようとした……僕は本当にどうしようもない奴だ、ごめんなさい……!!」
少年の懺悔とも言える慟哭が、街に響いた。
「私はあらゆる手段を尽くすつもりです。まだ他に手は残されています。どうか、希望を捨てないでください」
少年はゆっくりと二度、頷いた。
僕はこんな状況で、抱き合う二人を前にして、あらぬことを考えていた。それは、文字に置き換えることを躊躇うようなさもしい感情。
嗚呼、僕はなかなかどうして愚かなんだろう。
今すぐに消し去りたい自身の感情と、ノアの叫喚が入り混じり、僕は耳を塞ぎたくなった。
***
僕たちは街中を探り、ある一つの宿に辿り着いた。場所を選ばなければどこでも入れただろうが、部屋数が心配だった。外観は住居と同じような色と形をしていたため、宿らしき部屋に目星をつけるのも容易ではない。
中へ入ると、レイセン君が足の覚束ないノアを支えながら、すぐそばにある年季の入ったソファへ誘導した。
未だ少年の目は虚ろに漂い、赤く腫れた目元が、ひどく泣きじゃくったことを証明している。
「ノア、あなたはここにいてください。……今は落ち着いて、温かいお飲み物を用意します」
少年は静かに頷くと、目蓋を閉じた。
ノアを宥めると、レイセン君は立ち上がり、キッチンへと向かった。僕はキッチンの向かいにあるカウンターの椅子を引いた。
「……これからどうしよう」
僕がため息混じりに呟くと、蛇口から出る水を薬缶に詰めながら、青年が答える。
「聖典を見つけ出すため、ご主人様と私の二人で神殿へと向かいます」
「……君、意外と冷静だね。フィリアはどうするの?」
「どこに連れ去られたのか、検討もつかないままに動くのは如何なものかと。それに、ここから神殿へはそう遠くありません。数時間も滞在していれば見つかるでしょう」
レイセン君がルビー色の火付石の刻印をなぞり、台所に空いた丸い穴に石を落とす。
程良い火加減になると、円に薬缶を置いて蓋をする。
「そっか、なら早く済ませたほうがいいね。ところで、さっき言っていた他の手って何の事?」
「……今話すと長くなるので、後にしていただけますでしょうか」
「……そう」
「その方法を用いたとしても、悪魔に勝てるとは断言できません。しかし生存率はあげられるでしょう……いえ、そうですね、妨害や時間稼ぎの手段として──」
「待って、君はそれで何をするつもりなの? 自分が犠牲になろうなんて、思ってないよね」
今は戦闘時ではない、ましてや敵の襲撃を受けたわけでもない。けれど、レイセン君は僕のために命を投げ出すと、そう言っているように、僕には聞こえた。
「犠牲……言い方を変えればそうなるのでしょうね。ですが私はそうは思いません。それが一周回って貴方のお力になるのでしたら、何を迷う必要がありますか」
「いつもそう言うけど、君は自分のために、とか思わないの?」
「ええ。そういった意味では、私に自我などありませんよ。貴方のためになることが、私に反映されれば、それで良いんです」
「……反映されなくても?」
「当然です。……どうぞ、アップルティーです。砂糖を多めにしておきました。貴方も飲むでしょう?」
「ん……ありがと。……飲んだら、すぐ行く」
「畏まりました。では、ノアにもお出ししてきます」
レイセン君は、答えに困るといまいち理解できそうで理解できないような、難しい単語で話すように思える。
──僕の頭の回転が、彼に追いついていないだけかもな。
何を思ったのか、僕は飴色のアップルティーをぐいと飲み干すために勢いをつけた。
「あっ……つ!! はぁ……こんなんで大丈夫かなぁ……」
僕は口をとがらせて、カップの中の熱湯を冷まそうと息を吹きかける。
『どうぞ、聞いていらしたかもしれませんが、アップルティーです。お熱いですのでお気をつけて』
『ああ……どうも……。すみません、こんなものまで用意していただいて……いただきます』
『お砂糖とミルクはここにおいておきますから、どうぞお好きなように』
少し離れた場所から聞こえる会話に耳を澄ましながら、僕は心を落ち着かせるために紅茶を啜った。
「じゃあ、行ってくるよ。すぐに戻ってくるから」
「……うん」
弓と矢筒を背負い、ノアに一声かける。ドアノブを捻り、扉を半分開けたところでレイセン君がノアに言い聞かせた。
「……ノア、私たちが帰ってくるまでは、必ずここにいてください。……約束、していただけますか」
「…………うん」
ノアの空返事に、顔を歪めながらも口元を緩ませたレイセン君は、僕の方を振り返る。
「では、行きましょうか」
「…………」
僕は首を縦に振り、レイセン君よりも先に宿を出た。扉が閉まるとき、俯いたノアの顔がどんな感情を現しているのか、定かでなかった。
***
「へぇー……こんなに近くにあったんだ」
「噴水の向こう側だったので、気づきにくかったでしょう。建物自体が半分以上、住居の立ち並びで隠れてしまっていますし」
ペールオレンジの砂でできたような家屋ばかりの街に、白一色の巨大な建物──神殿が聳え立っている。
神殿の真白な岩肌に空の乾いたオレンジ色が重なり、他の居宅と比較して真新しいようにも、古めかしいようにも見える。
「すごい静かだね……さっきの魔獣みたいなのは、いなさそうだけど」
「そうですね。神聖なる領域には、魔獣といえども近寄れないということなのでしょうか」
入口の幅広い階段を上る。
中へ進むと、明かり一つ灯らない大広間に、何を模して作られたのか不明瞭なほどに崩れた石像が、物静かに佇んでいる。
白のような灰色のような創造物たちは、意図的に両手両足をもがれたような物や、脳味噌が半分崩れ落ちたような物まであった。
石像たちは全て中心を向いていて、丁度中心に立っていた僕は、なんだか彼らに見られているような気がして気味が悪くなり、その場を後にした。
「じゃあ、二手に分かれて探そう」
「はい。私はあちらを」
一つひとつの小部屋を確認して回る。本棚があれば、そこに聖典がないか、背表紙に書かれた文字を読みながら探す。
扉の脇にいる石像の横を通る際は、突然動き出さないかと肝を冷やした。
──しかし、どの部屋を探しても見当たらない。
「うーん…………あれ、さっきまであんな部屋……あったっけ?」
神殿の入口と対照的な位置に、石扉があった。僕はその扉の前に立つと、両手で力一杯に開けた。
その部屋は薄暗く、しかし外から差し込む夕日に照らされたステンドグラスが、部屋の奥で輝きを放っている。
「……あれは!」
六角形の部屋の窓から差し込む光の中心に、台座が置かれていた。台座の四隅を、ロウソクの明かりが囲っている。
部屋の端からでは、台座の中央に何があるのかまでは見えなかった。僕は部屋の中心へと歩いていく。
「これが……きっとヴェーダだ。間違いない」
錆びた色の台に置かれた分厚い聖典は、開かれた状態で放置されていた。
僕はレイセン君を呼ぼうとした。だが、目に飛び込んできた文字が脳裏に焼き付いて、僕はそのページから目を離すことができなくなっていた。
「え……? なに……これ、一体…………」
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✗. Δ.✗✗9✗ Ο πολιτισμός μας εξαφανίστηκε με την ανθρωπότητα. ──西暦紀元、✗✗9✗年 我らの文明は人類とともに死に絶えた。
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