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第1部
#29 ネメシスの庭園 後編
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『さて、脱線のしすぎでわけがわからなくなってきた。本題に入るぞ」
フェニ君は頬杖をついて語りだす。視線の先はノアを捉えていたようだ。
「そうじゃな……お前、ノア……で合っているか?」
「えっ、あの、はい。合ってますけど……というか、まだ僕は自己紹介すらしていないのに、どうして……」
『まぁ儂、千里眼だから。見えちゃった』
フェニ君の語尾に流星が飛び跳ねているのが見えた。
「はあ……見えちゃった、ですか」
『ほれ、まずはこれを主に授けよう』
フェニ君が指を鳴らすと、ノアの目の前に二つの小瓶が煙を纏って現れた。
「わあ……あの、これは一体……?」
『ノア、お前は『賢者の石』についてどこまで知っておる?』
「あ、はい。えっと……賢者の石を手に入れた者は、神になることができる。不老不死、万能薬、至高の知恵、天使との交流、空を飛ぶ……なんだってできる。『神になる』っていうのとは少し違うけれど、それでも、その存在はまさしく神に等しいはず」
『ふむ、それから?』
「え、っと……そうだ! 賢者の石はどうやって作るのか、材料は何か。勿論、方法は錬金術。で、問題なのはその材料……。僕も幾つか本を読み漁ったけど、どれも統一していた。それは……『硫黄と水銀』」
ノアはそこまで早々に言い終えてしまうと、目蓋を閉じて溜め息を吐いた。
「けれど、『硫黄と水銀を混ぜた程度』で、賢者の石なんて作れるような代物じゃない。だって、賢者の石は──」
僕は「賢者の石なんて作れるような代物じゃない」というノアの言葉に、妙な違和感を感じた。根拠も何もありやしないが、不思議と「この世界なら作れるのではないか」と想像してしまうのだ。
僕は一先ず、話の続きを聞くために思考を閉ざした。
『あ、そこまでで良いぞ。なーんじゃ、ちゃんと基礎は備わっているようじゃな』
「ど、どうも……」
ノアは照れくさそうに、頬を赤く染めた。
『それから、それから?』
フェニ君はのめり込むよう身を乗り出し、にやにやと目を細める。
「えーっと……あと言ってない事と言えば……ああ、思い出した。賢者の石がどんなものも黄金に変えたり、不老不死にさせる能力を持つことから、完全性を表す『不死鳥』を象徴しているとも言われている……とか……」
『では、そんな主に聞こう。賢者の石の色は?』
「色? ……いろですか?」
『そうじゃ、賢者の石の色じゃよ。まぁ憶測で構わん、聞いてみとうなっただけじゃ』
突発的なフェニ君の問に、戸惑いを隠せないノア。ここで間違えたら恥ずかしい、よりも更に上の言い難いものを感じる。
「…………あ」
『あ?』
「あお、青だと……思います」
「…………」
フェニ君が深呼吸をしたかと思うと──怒鳴った。
『馬鹿者がっ!! 何故そこまで知っておきながら、賢者の石の色が当てられぬのじゃーー!?』
「ええ!? な、なんかごめんなさい!!」
あまりの勢いに後退するノアと、張った糸が千切れたようにだらしなく椅子に座り直すフェニ君。
『賢者の石は、その完全性から不死鳥のようだと、お主そういったじゃろう?』
「はい……」
『じゃあその不死鳥をイメージする色は何じゃ!?』
「……!! あか……赤です!!」
『そーゆーことじゃ、わかったか? このた~わ~けっ』
「はぁ……勉強不足でした」
ノアが肩を落とし萎縮する。フェニ君は然程怒っていないようで、柔らかな表情に戻っている。
『そこで、じゃ。ノア、賢者の石は作れないと、主はそうも言ったな』
「はい、だって……」
『──じゃあ、それ、作ってみよう!』
「は……は、い……?」
あまりの唐突さに、フェニ君以外の四人はみな意味不明だと思ったに違いない。
僕が不思議に思ったことは明確だけれど、寧ろこの展開が見えてしまっていたことに驚いていた。
『ノア、目の前の瓶を見てみよ。それは端的に言ってしまえば硫黄と水銀じゃ』
「いやいや……嘘でしょ? 言うのも恥ずかしいけど、僕は一度賢者の石を作ろうとした試しがある。硫黄と水銀でね。どうなったかは……まぁ聞かないでほしいんだけど」
『主が言いたいこともわかるが、それは硫黄と水銀であって硫黄と水銀ではない』
顔を顰めるノア。
そして、僕は大抵──どのような話題であっても、この辺りで考えることを放棄する体勢に入るのであった。
「つまりこれは、賢者の石を作ることができる硫黄と水銀ってこと……?」
『ふん、察しが良いな。そういうことだ……だがしかし!』
「しかし……?」
『その瓶の中身だけでは作れぬ。必要なものはあと一つあるのじゃ』
「あと一つ……それは……?」
そこまで噛み砕いて説明されたのを聞くと、僕も気になってくる。散々焦らしておいて、という気持ちは少なからず湧いたことだろう。
『秘密じゃ!』
「ええ……」
『だから、探せ。儂は知っているが、意地悪だから教えない。今すぐに教えてもその真実に戸惑うだろう。きっとな』
フェニ君は今まで聞いたことのない言葉を連ねて微笑った。
「何か、ヒントみたいなものは貰えないんですか? その……あまりに抽象的で見当どころの話じゃないというか……」
『あるぞ。主らがこれから向かう所にな』
「え!? それって……」
僕でもなく、ノアでも、フィリアでもない。おそらくそれを知っているのは──。
「──魔法学校ユーサネイジア、でしょうか」
今迄、静かに目を閉じながら話を聞いていたレイセン君が返答した。
「そこに……賢者の石を作るヒントが……うっ……ぐ」
「ノア……! 大丈夫ですか」
魔法学校ユーサネイジア。その言葉に連鎖反応を起こしたノアの顔が、瞬時に青ざめていくのがわかる。
「だ、大丈夫……心配には及ばない。何かを思い出したような、気が……したんだけど。おかしいな、言葉にできるほど確かな記憶はもう……」
レイセン君はある人を睨んだ。だけれどその人は両手を肩辺りまで掲げて、首を横に振った。
『いや、どちらかと言えば、引き金を引いたのはお主じゃろ』
至って平坦に、慌てて席を立つでもなく、フェニ君は話を続けた。
『これじゃあ、儂が悪いみたいじゃないか。ふん、もう其奴に用はない。先刻からそこで落ち着きなくしているのを連れて、儂の作った庭でも回ってくるが良い』
「フィリアの事ですの!? べ、別に、フィリアはお花畑が綺麗だから見に行きたいな、なんて思ってませんわよ!!」
フィリアの照れ隠しを目の当たりにしたノアは、唇を綻ばせ、暖かな色を取り戻しつつあった。
「うん……それじゃあフィリア、行こうか、お花畑」
「……!! ま、まあ、ノアが行きたいと仰るのなら仕方ありませんわね!」
「フィリアだよ。君が見たいんでしょ? 僕は君の望む所に連れて行ってあげられたら、それで本望だから」
「…………。ふ、ふーんですわ!! いつもより素直じゃありませんの!? さ、早く行きますわよ!! だって、フィリアが見たいんですからね、執事が付き添うのは当然ですわ!」
「その通り! あ……今頃さっき言ったことが恥ずかしくなってきたよ。じゃあ、僕たちは席を外すね」
頃合いを見計らって戻ってくる。と言い残して、花園の先へと消えていった。
二人、手を繋いで──。
微笑ましい彼らの姿を眺めていると、ふいに横から声が差してきた。
『さて……次は、お主らの番、じゃな』
「君、その笑い方どうにかならないの?」
『ん? ああ、そんな変顔してたかのう、儂。いつも本能のままに生きてるもんでな』
僕はどうも、この悪魔の笑顔が耐えられない。まるで、僕が死に目に遭う度にそばで笑いかけていた、死神を見ているようだから。
「それで……悪魔の癖、お節介にも私たちに御用とは。一体何を言い出すのやら」
『呵々、面白い冗談を言うなあ。今すぐここで殺してやりたいが、それじゃつまらん。だからお前はせめて苦しんで死ね』
苦虫を噛み潰したように歯を軋ませながら、レイセン君の顎を手で持ち上げる。
「お気遣い、どうも」
『ふん……好かぬ奴じゃ。でな、アクア。お前に特別用があったのじゃ、儂は』
「え……僕、に??」
『そうじゃよ。てか、主に用がない訳ないだろ。……にしても、お主ぃ。良い名前貰ったなあ?』
「?!」
僕はフェニ君の言う事が理解できなかった。──いや、理解したくなかった。
『本来ならば、名称など、あってはならぬ。断言しよう。お主は──人ではない』
──ああ、やっぱり。
残念がるわけでも、驚嘆するわけでもない。ただ、そう思った。
「そんな気がした。……なんとなく」
『想像以上にリアクション薄いな。しかし、之いずれ知る真実なれば、如何なる時も知り得る鍵となろう』
つまり何が言いたいかというと、真実を受け止める器が一杯になる前に、水を汲んでおけ。ということらしい。
『主のその反応は、心の余裕ではない。何も知らないが故の、心の隙間じゃ。儂はそこに付け入ったとでも思えば良い』
フェニ君の言うことは最もだ。けれどそれを棚に上げてでも、先に言っておくべきことがある。
「『何も知らない』って言われるの、嫌いなんだ。僕は好きでこうなったんじゃない」
『……そうかもしれないなぁ。じゃがな、そろそろ自覚した方が身の為だ。──主が犯した、数多の罪を』
僕が犯した──罪?
『主が一生を賭けても……否、死んで償ったとしても償いきれぬ、あれは。それ程の大罪を背負う奴とは、到底思えんがな』
「じゃあ、僕が人じゃないって言うのなら、証拠は?」
『証拠? まだ分からぬのか』
「教えて。君の言う通り、何も知らないんだから、教えてよ」
『ほう……それで良いのじゃな?』
「今ならまだ、知りたい、知ってもいいと思えるから」
『そう、か……では正直に告げる。主が人でないと証明するものは二つ。一つ目は、この世界の有様。そしてもう一つは──心臓がない。主には、人としてあるべき物が欠けている。嘘だと思うなら、胸に手を当てて見ろ。脈打つ鼓動は聞こえるかな?』
「…………」
僕は疑いの念を持ったまま、好奇心から、自分の胸に手を当てた。
……。
…………ない。聞こえもしなければ、脈も打たない。
『もう済んだかの? それと、もう一つ言っておく事がある。何故悪魔に狙われているのか、よーーく考えることじゃ』
フェニ君は椅子を少し後ろに引くと、宙返りをして背凭れに足の爪先を乗せた。
『さあ、行け。儂の話はもう終わりじゃ。……ああ、ノアとフィリアをここに連れ戻そう。種明かしを事前にすると、ノアの言っていた頃合いまで時間を先送りするだけじゃ』
高々と左腕を上げて、指を鳴らした。茜色のローブが揺蕩する。
少女と少年の、笑い声が近づいてきた。
「……ふふっ」
「……っあはは。あ、アクアたち。もう話は終わったの?」
まるで笑壺に入ったように頬が緩くなったノアが、僕の方を向く。
「うん、終わったよ」
「ほーら言ったじゃありませんの!! フィリアの思ったタイミング通りでしたわ!」
「いや、先に言ったのは僕だ!」
「ノアのくせに、大人げないですわよ!!」
実際の所は、フェニ君が時間を操ったから……。などと言うべきではない。触らぬ神に祟り無し。寧ろ、この暖かな笑顔を見ないことの方が、勿体無いと思う。
不安や怒りが、静かに溶けていくのを感じる。
『そうじゃ!! 帰りは冬の方角から出ると良いぞ。魔法学校ユーサネイジアの前に出るように仕掛けておいたからの』
「ありがとう、フェニ君」
僕がお礼を言うと、フェニ君は人差し指と小指を立てながらウィンクした。彼の心の余裕はどこから来るのだろうか。
「じゃあ、行こうか」
僕たちはフェニ君を背に、白い地面が覗く華花のアーチへ向かう。フィリアが徒競走を初め、ノアは負けじとフィリアを追いかけた。レイセン君もアーチへと歩を進め、僕はその背中を付いていった。
『なあ、アクア。少し良いか』
僕の腕を掴んだのは、フェニ君だった。
「え……?」
唇に人差し指をあてがい、僕に静かにするよう促した。その目は深く被った帽子に隠れて見えない。
『最後に、一つ。レイセンの正体を暴け。彼奴は怪しい──儂の千里眼を以ってしても、何一つ読めんかったわ。彼奴は儂が語る間口を開かなかった。もし不利になるようなことを言えば、口出ししてきてもおかしくないと思ったのじゃがな……』
「……フェニ君、きみは」
思考回路よりも先に、口が動いた。
「本当に敵? それとも味方?」
『それは、どうじゃろうな。儂にも分からない。儂は──気分屋だから』
さあ行け。
フェニ君の言う通り、僕は何も言わずにネメシスの庭園を去った。
『さぁて……鬼が出るか蛇が出るか。久々に面白いものが見られそうじゃ。はて、どうしたものか──』
フェニ君は頬杖をついて語りだす。視線の先はノアを捉えていたようだ。
「そうじゃな……お前、ノア……で合っているか?」
「えっ、あの、はい。合ってますけど……というか、まだ僕は自己紹介すらしていないのに、どうして……」
『まぁ儂、千里眼だから。見えちゃった』
フェニ君の語尾に流星が飛び跳ねているのが見えた。
「はあ……見えちゃった、ですか」
『ほれ、まずはこれを主に授けよう』
フェニ君が指を鳴らすと、ノアの目の前に二つの小瓶が煙を纏って現れた。
「わあ……あの、これは一体……?」
『ノア、お前は『賢者の石』についてどこまで知っておる?』
「あ、はい。えっと……賢者の石を手に入れた者は、神になることができる。不老不死、万能薬、至高の知恵、天使との交流、空を飛ぶ……なんだってできる。『神になる』っていうのとは少し違うけれど、それでも、その存在はまさしく神に等しいはず」
『ふむ、それから?』
「え、っと……そうだ! 賢者の石はどうやって作るのか、材料は何か。勿論、方法は錬金術。で、問題なのはその材料……。僕も幾つか本を読み漁ったけど、どれも統一していた。それは……『硫黄と水銀』」
ノアはそこまで早々に言い終えてしまうと、目蓋を閉じて溜め息を吐いた。
「けれど、『硫黄と水銀を混ぜた程度』で、賢者の石なんて作れるような代物じゃない。だって、賢者の石は──」
僕は「賢者の石なんて作れるような代物じゃない」というノアの言葉に、妙な違和感を感じた。根拠も何もありやしないが、不思議と「この世界なら作れるのではないか」と想像してしまうのだ。
僕は一先ず、話の続きを聞くために思考を閉ざした。
『あ、そこまでで良いぞ。なーんじゃ、ちゃんと基礎は備わっているようじゃな』
「ど、どうも……」
ノアは照れくさそうに、頬を赤く染めた。
『それから、それから?』
フェニ君はのめり込むよう身を乗り出し、にやにやと目を細める。
「えーっと……あと言ってない事と言えば……ああ、思い出した。賢者の石がどんなものも黄金に変えたり、不老不死にさせる能力を持つことから、完全性を表す『不死鳥』を象徴しているとも言われている……とか……」
『では、そんな主に聞こう。賢者の石の色は?』
「色? ……いろですか?」
『そうじゃ、賢者の石の色じゃよ。まぁ憶測で構わん、聞いてみとうなっただけじゃ』
突発的なフェニ君の問に、戸惑いを隠せないノア。ここで間違えたら恥ずかしい、よりも更に上の言い難いものを感じる。
「…………あ」
『あ?』
「あお、青だと……思います」
「…………」
フェニ君が深呼吸をしたかと思うと──怒鳴った。
『馬鹿者がっ!! 何故そこまで知っておきながら、賢者の石の色が当てられぬのじゃーー!?』
「ええ!? な、なんかごめんなさい!!」
あまりの勢いに後退するノアと、張った糸が千切れたようにだらしなく椅子に座り直すフェニ君。
『賢者の石は、その完全性から不死鳥のようだと、お主そういったじゃろう?』
「はい……」
『じゃあその不死鳥をイメージする色は何じゃ!?』
「……!! あか……赤です!!」
『そーゆーことじゃ、わかったか? このた~わ~けっ』
「はぁ……勉強不足でした」
ノアが肩を落とし萎縮する。フェニ君は然程怒っていないようで、柔らかな表情に戻っている。
『そこで、じゃ。ノア、賢者の石は作れないと、主はそうも言ったな』
「はい、だって……」
『──じゃあ、それ、作ってみよう!』
「は……は、い……?」
あまりの唐突さに、フェニ君以外の四人はみな意味不明だと思ったに違いない。
僕が不思議に思ったことは明確だけれど、寧ろこの展開が見えてしまっていたことに驚いていた。
『ノア、目の前の瓶を見てみよ。それは端的に言ってしまえば硫黄と水銀じゃ』
「いやいや……嘘でしょ? 言うのも恥ずかしいけど、僕は一度賢者の石を作ろうとした試しがある。硫黄と水銀でね。どうなったかは……まぁ聞かないでほしいんだけど」
『主が言いたいこともわかるが、それは硫黄と水銀であって硫黄と水銀ではない』
顔を顰めるノア。
そして、僕は大抵──どのような話題であっても、この辺りで考えることを放棄する体勢に入るのであった。
「つまりこれは、賢者の石を作ることができる硫黄と水銀ってこと……?」
『ふん、察しが良いな。そういうことだ……だがしかし!』
「しかし……?」
『その瓶の中身だけでは作れぬ。必要なものはあと一つあるのじゃ』
「あと一つ……それは……?」
そこまで噛み砕いて説明されたのを聞くと、僕も気になってくる。散々焦らしておいて、という気持ちは少なからず湧いたことだろう。
『秘密じゃ!』
「ええ……」
『だから、探せ。儂は知っているが、意地悪だから教えない。今すぐに教えてもその真実に戸惑うだろう。きっとな』
フェニ君は今まで聞いたことのない言葉を連ねて微笑った。
「何か、ヒントみたいなものは貰えないんですか? その……あまりに抽象的で見当どころの話じゃないというか……」
『あるぞ。主らがこれから向かう所にな』
「え!? それって……」
僕でもなく、ノアでも、フィリアでもない。おそらくそれを知っているのは──。
「──魔法学校ユーサネイジア、でしょうか」
今迄、静かに目を閉じながら話を聞いていたレイセン君が返答した。
「そこに……賢者の石を作るヒントが……うっ……ぐ」
「ノア……! 大丈夫ですか」
魔法学校ユーサネイジア。その言葉に連鎖反応を起こしたノアの顔が、瞬時に青ざめていくのがわかる。
「だ、大丈夫……心配には及ばない。何かを思い出したような、気が……したんだけど。おかしいな、言葉にできるほど確かな記憶はもう……」
レイセン君はある人を睨んだ。だけれどその人は両手を肩辺りまで掲げて、首を横に振った。
『いや、どちらかと言えば、引き金を引いたのはお主じゃろ』
至って平坦に、慌てて席を立つでもなく、フェニ君は話を続けた。
『これじゃあ、儂が悪いみたいじゃないか。ふん、もう其奴に用はない。先刻からそこで落ち着きなくしているのを連れて、儂の作った庭でも回ってくるが良い』
「フィリアの事ですの!? べ、別に、フィリアはお花畑が綺麗だから見に行きたいな、なんて思ってませんわよ!!」
フィリアの照れ隠しを目の当たりにしたノアは、唇を綻ばせ、暖かな色を取り戻しつつあった。
「うん……それじゃあフィリア、行こうか、お花畑」
「……!! ま、まあ、ノアが行きたいと仰るのなら仕方ありませんわね!」
「フィリアだよ。君が見たいんでしょ? 僕は君の望む所に連れて行ってあげられたら、それで本望だから」
「…………。ふ、ふーんですわ!! いつもより素直じゃありませんの!? さ、早く行きますわよ!! だって、フィリアが見たいんですからね、執事が付き添うのは当然ですわ!」
「その通り! あ……今頃さっき言ったことが恥ずかしくなってきたよ。じゃあ、僕たちは席を外すね」
頃合いを見計らって戻ってくる。と言い残して、花園の先へと消えていった。
二人、手を繋いで──。
微笑ましい彼らの姿を眺めていると、ふいに横から声が差してきた。
『さて……次は、お主らの番、じゃな』
「君、その笑い方どうにかならないの?」
『ん? ああ、そんな変顔してたかのう、儂。いつも本能のままに生きてるもんでな』
僕はどうも、この悪魔の笑顔が耐えられない。まるで、僕が死に目に遭う度にそばで笑いかけていた、死神を見ているようだから。
「それで……悪魔の癖、お節介にも私たちに御用とは。一体何を言い出すのやら」
『呵々、面白い冗談を言うなあ。今すぐここで殺してやりたいが、それじゃつまらん。だからお前はせめて苦しんで死ね』
苦虫を噛み潰したように歯を軋ませながら、レイセン君の顎を手で持ち上げる。
「お気遣い、どうも」
『ふん……好かぬ奴じゃ。でな、アクア。お前に特別用があったのじゃ、儂は』
「え……僕、に??」
『そうじゃよ。てか、主に用がない訳ないだろ。……にしても、お主ぃ。良い名前貰ったなあ?』
「?!」
僕はフェニ君の言う事が理解できなかった。──いや、理解したくなかった。
『本来ならば、名称など、あってはならぬ。断言しよう。お主は──人ではない』
──ああ、やっぱり。
残念がるわけでも、驚嘆するわけでもない。ただ、そう思った。
「そんな気がした。……なんとなく」
『想像以上にリアクション薄いな。しかし、之いずれ知る真実なれば、如何なる時も知り得る鍵となろう』
つまり何が言いたいかというと、真実を受け止める器が一杯になる前に、水を汲んでおけ。ということらしい。
『主のその反応は、心の余裕ではない。何も知らないが故の、心の隙間じゃ。儂はそこに付け入ったとでも思えば良い』
フェニ君の言うことは最もだ。けれどそれを棚に上げてでも、先に言っておくべきことがある。
「『何も知らない』って言われるの、嫌いなんだ。僕は好きでこうなったんじゃない」
『……そうかもしれないなぁ。じゃがな、そろそろ自覚した方が身の為だ。──主が犯した、数多の罪を』
僕が犯した──罪?
『主が一生を賭けても……否、死んで償ったとしても償いきれぬ、あれは。それ程の大罪を背負う奴とは、到底思えんがな』
「じゃあ、僕が人じゃないって言うのなら、証拠は?」
『証拠? まだ分からぬのか』
「教えて。君の言う通り、何も知らないんだから、教えてよ」
『ほう……それで良いのじゃな?』
「今ならまだ、知りたい、知ってもいいと思えるから」
『そう、か……では正直に告げる。主が人でないと証明するものは二つ。一つ目は、この世界の有様。そしてもう一つは──心臓がない。主には、人としてあるべき物が欠けている。嘘だと思うなら、胸に手を当てて見ろ。脈打つ鼓動は聞こえるかな?』
「…………」
僕は疑いの念を持ったまま、好奇心から、自分の胸に手を当てた。
……。
…………ない。聞こえもしなければ、脈も打たない。
『もう済んだかの? それと、もう一つ言っておく事がある。何故悪魔に狙われているのか、よーーく考えることじゃ』
フェニ君は椅子を少し後ろに引くと、宙返りをして背凭れに足の爪先を乗せた。
『さあ、行け。儂の話はもう終わりじゃ。……ああ、ノアとフィリアをここに連れ戻そう。種明かしを事前にすると、ノアの言っていた頃合いまで時間を先送りするだけじゃ』
高々と左腕を上げて、指を鳴らした。茜色のローブが揺蕩する。
少女と少年の、笑い声が近づいてきた。
「……ふふっ」
「……っあはは。あ、アクアたち。もう話は終わったの?」
まるで笑壺に入ったように頬が緩くなったノアが、僕の方を向く。
「うん、終わったよ」
「ほーら言ったじゃありませんの!! フィリアの思ったタイミング通りでしたわ!」
「いや、先に言ったのは僕だ!」
「ノアのくせに、大人げないですわよ!!」
実際の所は、フェニ君が時間を操ったから……。などと言うべきではない。触らぬ神に祟り無し。寧ろ、この暖かな笑顔を見ないことの方が、勿体無いと思う。
不安や怒りが、静かに溶けていくのを感じる。
『そうじゃ!! 帰りは冬の方角から出ると良いぞ。魔法学校ユーサネイジアの前に出るように仕掛けておいたからの』
「ありがとう、フェニ君」
僕がお礼を言うと、フェニ君は人差し指と小指を立てながらウィンクした。彼の心の余裕はどこから来るのだろうか。
「じゃあ、行こうか」
僕たちはフェニ君を背に、白い地面が覗く華花のアーチへ向かう。フィリアが徒競走を初め、ノアは負けじとフィリアを追いかけた。レイセン君もアーチへと歩を進め、僕はその背中を付いていった。
『なあ、アクア。少し良いか』
僕の腕を掴んだのは、フェニ君だった。
「え……?」
唇に人差し指をあてがい、僕に静かにするよう促した。その目は深く被った帽子に隠れて見えない。
『最後に、一つ。レイセンの正体を暴け。彼奴は怪しい──儂の千里眼を以ってしても、何一つ読めんかったわ。彼奴は儂が語る間口を開かなかった。もし不利になるようなことを言えば、口出ししてきてもおかしくないと思ったのじゃがな……』
「……フェニ君、きみは」
思考回路よりも先に、口が動いた。
「本当に敵? それとも味方?」
『それは、どうじゃろうな。儂にも分からない。儂は──気分屋だから』
さあ行け。
フェニ君の言う通り、僕は何も言わずにネメシスの庭園を去った。
『さぁて……鬼が出るか蛇が出るか。久々に面白いものが見られそうじゃ。はて、どうしたものか──』
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