死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

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第1部

#22 夢見の少女 前編

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「ねえ魔法使いさん、兵隊さん。ちょっといいかな」
 ベンティスカが足を止めた。僕とレイセン君も立ち止まり、彼女を振り返る。
「どうかなさいましたか」
「大したことじゃないんだけど、二人に聞きたいことがあるの」
「──と、言うと?」
「舞踏会のとき、黒猫さんを見なかった?」
「…………」
 僕達はベンティスカの問に答えぬまま黙り込んでしまった。
 僕もレイセン君も、グレイを見なかったのだ。もし見ていたのなら、朝の時点──いや、もっと早くに話題が上がっていたに違いない。
「……いや、グレイは見てないよ?」
「私も同じです」
「……そうなんだね。わかった」
 ベンティスカは俯いた。僕とレイセン君は顔を見合わせた後、その問いの理由を尋ねる。
「わたし……会ったの」
「それは本当にグレイだったのですか? 言いたくはありませんが、グレイは……」
「うん、黒猫さんは死んだはず。なのに……」
「生きてた?」
「厳密にはちょっと違うの。黒猫さんは……何ていうのかな。ゆうれい……みたいな」
「霊……体……」
「でも、わたしが知っている黒猫さんじゃなくて……。服が違った……。女の子みたいなドレスを着て……」
 僕は首を傾げた。グレイが化けて、ベンティスカの前に現れた。だが外見は僕がよく知っているグレイとは少し違ったようで、衣装に違和感を覚えたという。どういう状況なのか見当もつかない。
「……黒猫さんに会えたのもつかの間、黒猫さんはあの人に撃たれてどこかに消えてしまったの……」
「あの、執事服の青年ですね。扉の外へ出るのを見ていました……まさかそのような事態だったとは」
「そう……なの……」
「わかりました。グレイと出会ってその後は……何を?」
 寂しげに足元を眺めていたベンティスカが、レイセンの言葉に反応して顔を上げた。
「ああ、そうだ。黒猫さんから話を聞いたの! 何で忘れてたんだろう……」
「話って……どんな?」
「黒猫さんが、死んだときの話だよ」
 ベンティスカはそこで静止した。何かを見ている。しかし僕からは死角の位置にあるようで、その何かを見つけることはなかった。
「え……何?」
「女の子だよ! そこにいるの! ねえ、そこは危ないからこっちにおいで!」
 声を大にすれば聞こえる距離にいるのだろう。女の子がいる方角から返ってくるものは一切なかった。
「わたし、ちょっと呼んでくる! すぐ戻ってくるから!」
「待って! 一人は危ないよ……」
 僕の行く手をレイセン君が遮る。何故だと問い詰めるも、首を横に振られて言い返す言葉もなかった。
「すぐに戻ると、言っていたでしょう。それに、グレイのことですが……」
「あ、あぁ……僕も見たわけじゃないから何も。それに……死んだ人って見えるの?」
「場合によっては。それより、グレイが変装してまでベンティスカに会わなくてはいけない理由を……」
「ただ、会いたいからってわけじゃないみたいだね」
「グレイ自身の死について……」
「さっき、ベンティスカは『グレイが撃たれていなくなった』って言ってたよね……」
「グレイは招待状をもらっていません。それは主催者側から見れば侵入者です。……おそらく、グレイはその執事が現れたことでベンティスカの危険を感じ、姿を消さざるを得なかった……と考えれば、納得がいきます」
 名探偵のごとく完璧な推察を述べるレイセン君。僕は言わずもがな納得していた。
 僕が納得の声をあげようとしたその瞬間、空気が重くのしかかってくるのを感じた。それは僕の周りだけではなく、辺り一面がその空気に押しつぶされているような──瘴気だ。
「レイセン君、これ……まずいんじゃ!?」
「きゃああ……!!」
 遠くからベンティスカの悲鳴が流れ来る。僕は走らずにはいられなかった。これ以上、仲間を失いたくはない。
 どんなに走れどベンティスカの姿も、女の子の姿も見えない。不規則に並ぶ木々を避けるのは容易ではなかった。気づくと僕の呼吸は上がり、鼓動が高鳴る。限界を悟った僕は木の幹に手をついて呼吸を整えた。
 もう一度足を踏み出し、顔を上げる。目の前には建物があった。黒ずんだ白煉瓦の積み重なる建築物。あまりにも急な異変に、僕は息を止めた。
「ここは……」
「監獄メイ……。ここでは昔、『悪魔』と呼ばれた人々が収容され、終わらぬ拷問を受け続けたと言われています」

 ***

「うっ……うう……」
 わたしはどうなっているのだろう?
 真っ先に現れた疑問の答えを知るために、わたしは目を開いた。目隠しをされているのがすぐにわかる。
 感覚で、自分が棒立ちになっていると気づいた。少し、体勢が苦しい。首や腕、つま先にも違和感を感じる。
 早くここから逃げ出したいと、足を踏み出したはずだった。
──痛い。
「おやおや~? そんな『靴』でどこに行こうってんだい? お嬢さん」
 男の子みたいな話し方、でも声は女の子。さっきわたしが追いかけていた子だろうか。
 身体は元の位置のまま動かない。その反動と共に、首が締め付けられる。上から吊るされた感覚に、息苦しさを覚えた。両腕は後ろに回され、縛られている。縄を解こうにも、針金のような尖ったものが手首に突き刺さって痛い。
「え……なに……」
 わたしの身体が引き戻されたのは、この靴の所為。バレリイナのように、つま先立ちで固定されている。その窮屈は膝下まで続いていた。まともに足を動かすことができない。
「どうかな? あたいが選んだ拘束靴……。一歩も動けやしないだろ?」
「ここはどこ……はやく、解いて……」
「さぁ? あんたのお仲間次第って所だねぇ」
「ちょっと、え、何してるの!?」
 布が引き千切られる音。ドレスが、破られていく。
「あんたはねぇ、今ものすごく高ぁい所で吊るされている。足場も狭いから、動かない方がいい。……死にたくなきゃね」
「うぅ……やめてぇ……」
 淡々とわたしの状況を説明している女性は、ゆっくりとシャツのボタンを外していく。丁度胸のあたりまで開いた所で、襟から両扉のように左右に大きく暴かれた。
「あぁ……うん。いいねぇ、人質っぽくてさぁ。下手に動くと死ぬぜ。まぁ大人しくしてな……っていうか」
「ひゃあ!?」
「あんた上から見たときもそうだったけど……大きいねぇ」
 女性らしい声の人が、わたしの胸を鷲掴みにした。今の自分の姿を想像して、顔が熱くなる。
「ひっ……うぅ……だめ、だ、めぇ……」
「ふふっ、悪者ってこんな気持ちなんだぁ……ねぇ、ここ彼氏に触ってもらった事ないの?」
「ふぅ……な、ないっ……んっ……」
 女性の細い指が優しく乳房を掴むと、今度は気まぐれに乳頭を突いてくる。目隠しをされたわたしは、心地よい刺激に声を漏らした。
「ふぅん……おあずけされちゃったまま死んだんだぁ~」
 胸を持ち上げられたかと思うと中央に寄せられたり、乳腺の小さな突起を吸われたりした。わたしはその度に情けのない声をあげた。
「やっ、あんっ……な、なんでそれを……」
「『兄弟』が教えてくれたのさ。……ま、あんたもそのうち連れて行ってやるよ」
「はぁ……ん、い、いや……嫌あっ……」
 不意に襲う指の感触に、意識を失うまいと息継ぎをする。羞恥、不安、恐怖。ありとあらゆる負の感情を詰め込んだ鍋を、頭からかぶっているような心境だった。
 やっぱり、死ぬのは怖い。
 わたしは今、この悪魔のような女性の掌で踊らされている。そして抵抗もできず、されるがままの人形に成り果てた。

 ***

「監獄って、こう……犯罪をした人が入る場所じゃないの?」
「悪魔というだけで収容されていた時代もありました。それも、私たちと同じ人が」
「ひ、人!?」
「産まれた時に奇形だった、成長し後天性の病が目に見える形で現れた。いたずら好きで周りに迷惑ばかりかけていた……とにかく理由があれば放り込めたのです」
「なんだか滅茶苦茶だよ、それ」
「丁度その頃にも、悪魔が出現していたと。……貴方、歴史もからきしなんですね」
「うっ……そんなことより、早くベンティスカを助けに行こう」
「ええそうですね。こんな話をしている場合ではありませんでした」
 レイセン君は鉄でできた扉の前に立つ。まるで壁に描いた絵のように、頑丈な扉だ。
 僕とレイセン君は顔を見合わせ、錆びついた扉をこじ開けた。
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