死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

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第1部

#10 屋根の上で

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 満月が綺麗な夜。こんな日に、よりによってアクアと喧嘩しちまうなんて。
「…………」
 屋根の瓦がひんやりと気持ちいい。そこに寝そべって、大きな丸い水晶球を独り占めだ。ひひ。今日の俺はツイてる。

 ──うるさい!! グレイなんか死んじゃえ!!

 嘘だろ。俺、本当に──。
「あ、いた。黒猫さん」
 タイミングばっちりでベンティスカさんが来た。本当に俺はツイてると思う。ただひとつを除いては、という条件付きだが。ベンティスカさんは屋根の切り抜かれた窓から顔を乗り出している。
「ベンティスカさん……あはは、こんな夜に大声張り上げて、ご近所迷惑だよな。悪い」
「それは気にしてないよ。隣に行ってもいい?」
「もちろん!」
 手を握って親指を立てる。折角、麗しのレディが来てくれたというのに、もっと歓迎してやれよ、俺。
 だけど、そんな気にもなれない程に、あいつの言葉が深く心臓に突き刺さって抜けない。
「なんで、俺の場所が分かったの?」
「え? だって、猫って夜になると、屋根の上でにゃあー、にゃあー、って鳴くものでしょ?」
「間違っちゃあ、いないね、たぶん」
「……ねえ、どうしてアクアと喧嘩なんかしちゃったの、黒猫さん?」
「んー、男にはイロイロあるんだよ。感情線の波とかな」
「ふーん。大変なんだね」
「……うんにゃ、あれは俺が悪い。ちゃんとあいつの話、聞いてやれなかった」
「そう、ならちゃんと謝らないと、だよ」
「それはわかってるさ。……多分」
 つい、ベンティスカから体を逸らしてしまう。
 自分がただ格好つけているだけだとわかってはいる。が、現実を突き付けられると、途端に体が動かなくなる。なんて最低な男だろうか。
 そんなことお構いなしに、ベンティスカさんは俺の顔を覗き込んでくる。細い糸のような髪がふわりと舞い降りた。
「じゃあ、わたしを魔法使いさんだと思って、練習しようよ」
「何を?」
「謝る練習!」
「あのさ、ベンティスカさんじゃダメでしょ」
「何で?」
 俺がこんなにも彼女に圧倒される日が来るとは思わなかった。気持ちは嬉しいけど、正直逃げたい。気恥ずかしさ満載だ。
「……この度は、大変申し訳ありませんでした!」
「うん、いいよお」
 アクアの真似なら似てないぞ、というツッコミは置いておいて。にっこりと微笑む彼女につられて、俺も同じように笑った。ずっとこうしていたいと思った。

「あ!! ああ!!」
「わっ!? 急にどうしたの?」
 俺はポケットを漁りに漁った。プロポーズのことを思い出したのだ。
「……おっ、あったぞ。と、突然、ですが……べ、ベンティスカさんに、言いたいことと、それから、渡したいものがあって、ですね……」
「あはは、急に改まっちゃって、変なの」
 どうしてこのタイミングで、と疑問に思うことはない。
 寧ろ、今しかない!!
「もし、俺がもっと強くなって、大きくなったら……その……。結婚して下さい!!」
 我ながら大胆な告白で一世一代の賭けに出たな、と思った。
 断られたっていい。告白しないで後悔するよりも、告白して後悔するのが俺流だ。
 彼女の顔が見られない程、俺の顔は赤一色で、心臓の鼓動が激しく高鳴っている。
 彼女の為に選んだ黄色い指輪を差し出す手だって、ガタガタ震えて今にも落としてしまいそうだ。
「わたしで良ければ、いつまでも待ってるよ」
 彼女が、ベンティスカさんが、俺の手を暖かく包み込む。
「……ほんと?」
「うん! もちろんだよ!! わたしも黒猫さん、だあいすき!」
 そして、二人で笑う。
 なんて幸せなんだろう。
「じゃあ……これ、俺がベンティスカさんに付けてもいい?」
「もう、ベンティスカでいいよ」
 眩い望月、夜空の星星に見守られて、俺はベンティスカの左手、そして薬指に、その指輪を潜らせた。
 今度は逆に、俺が左手の中指に着けていた指輪を、薬指へ移す。それは彼女が施してくれた。
「ねえ、今日はもう部屋に戻ろうよ。風邪引いちゃいそう」
「ううん。もう少し、もう少しだけ、このままでいよう」
「わかった」
「ありがとう、ベンティスカ」
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