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02:サバイバル01
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―――――――――――――――――――
◆ゴーレム
―――――――――――――――――――
翌朝。
大学の食堂2階にある、情報処理技術クラブの部室で俺(日奈森ヨミ)は目が覚めた。
昨日マホウショウジョと戦った後、ここに2人と1匹(?)で泊まったのだ。
ここは崩れた校舎から少し離れている。そのため、昨日の攻撃による激しい揺れの影響は受けておらず、被害はなかった。倒壊する危険は無いだろう。
辺りは静けさを取り戻しており、雨は止んでいた。時計を見る。時刻は午前9時を過ぎたところだ。
テーブルの上に置いていたメガネをかける。
マナを全て使いきってほとんど動けなくなった俺だが、一晩眠ったことで回復していた。
少女は手術後からずっと眠ったままだった。ソファと椅子で作った急造のベッドで、まだ寝息を立てている。安らかな、満ち足りた寝顔に見えた。
闇妖精のペチカが俺の頭の上に乗ったまま眠っていた。 立ち上がると、頭の上からずり落ちてソファの上にポトリと落ちた。「キュ」っという瀕死の小動物に似た声が聞こえたが、怪我はなさそうだ。
「んにゃ……」
ペチカは上体を起こし、寝ぼけ眼をこすった。銀髪ツインテールがボサボサになっている。妖精というやつはいつも服を着ていないが、寒くはないのだろうか。
「起きたか、ペチカ」
テーブルの上にある、常備してある菓子をつまみながら声をかける。
「お前も食うか?」
「……はっ!!?」
俺の問に答えず、ペチカは思い出したように窓まで飛んでいった。外を見て、へなへなと木の葉の如く舞い落ちる。窓の外は見渡す限り廃墟となっていた。
「わあん、夢じゃなかった!! これからどうすればいいんだよう!! もうおしまいだー!!」
「泣きたいのはこっちも一緒だよ」
「でもでも、ウワアアアン!!!!」
ひとしきり泣きじゃくった後、ペチカはよろよろとテーブルの上に乗り、お菓子にかじりついた。どうやら空腹には勝てなかったらしい。意外と肝は座っているのかもしれない。
改めて窓の外に目をやる。昨日までとはまるで別世界だ。
「……ほんと、なんなんだよ、この状況」
不思議と、絶望するほどの悲しみはなかった。あまりにも現実離れしすぎていて実感を持つことが出来ないのだ。あったのはただ戸惑いと、まとまらない思考だけ。
もちろん、犠牲になった人たちは気の毒に思うし、これからどうなるのか不安もある。マホウショウジョには二度と会いたくない。実家にいる家族のことも気になる。
「どうすんだよこれから……」
ふと、少女の寝顔が目に入った。儚げでたよりなく、放っておくと今にも消えてしまいそうに感じられた。
頭を振って、両手で自分の頬を2、3回はたく。
「どうすんだ、じゃないよな」
テーブルに手をついて立ち上がる。
「今は生き残るんだ。何が何でも!!」
**********
ペチカが騒いだせいだろうか。ぐっすり眠っていた例の少女がムクリと半身を起こした。ゴーレム化手術の後そのまま寝かせていたので、彼女は素っ裸のままだった。
「え!!? ちょ、君、ハダカ、ハダカ!!」
慌てる俺をよそに彼女に照れる様子はなく、あろうことか逆にこちらに飛びついてきた。
「わん!!」
「わん!!?」
犬のように俺の顔を舐めまわす。息が荒い。
「ちょ、ま……」
「手術は大体うまくいったみたいだね」
「どこがだ!!? おい、なんとかしろ!!」
ペチカが魔導書をペラペラとめくった。
「うーん。どうやらゴーレムの制御スペルにミスがあったみたいだよ。基本設定が犬用になってる」
「な、何故そんな……。いいから早く……。り、理性が……」
尚もペロペロは続いた。細い手足が絡みついて逃れられない。こんなハダカの美少女女子中学生に襲われて、いつまでも理性を保っていられようか。
「何とかしろって言われても、ウチには無理だよ。ゴーレムは術者の命令しか聞かないんだからさ」
「そ、それを早く言え!!」
ゴーレム化するということは、製作者に隷属するという事らしい。つまり俺は、この女子中学生に何でも命令する事が出来るようになったのだ。
なかなか心踊る設定だが、もちろん、無闇にそんなことをするつもりは無い。ゴーレム化は、彼女を助けるためのやむを得ない処置であり、命令云々は俺も知らなかった事なのだ。
……ただ、俺は今後、自制心を試される事になるだろう。
マテ、の命令で少女は動きを止めた。ベッドの上で大人しくお座りのポーズをとっている。
「た、たすかった……」
言葉とは裏腹に、俺は内心ですごくガッカリしていた。もっとペロペロされたかった。もっと彼女とくっついていたかった……。
まあ、それでも、表面的にだけでも冷静に振る舞った自分を褒めてやりたい。
名残惜しいが、いつまでも彼女をこのままにはしておけない。部室の中を探しまわって、俺は予備のジャージと靴を発見した。残念ながら下着は無かった。犬状態の少女は自分で服を着られないので、なるべく見ないようにして服を着せ靴を履かせてやった。
その後、ペチカと協力してゴーレム制御スペルを修正する。次こそは問題ないはずだ。再び呪文を読み上げる。
……程なく、少女は人間に戻った。
―――――――――――――――――――
◆変化
―――――――――――――――――――
少女の2つに束ねた黒髪が揺れて、朝の光を反射した。形の良い目をパチクリさせて、部屋の中を見回している。
「……ここは?」
「よかった。もう大丈夫だ。ここは俺の大学の部室だよ」
「……あなた、だれ?」
「え……」
彼女は真顔で俺に問いかけた。真っ直ぐ見つめる黒瑪瑙の瞳は、とても冗談を言っている風には見えなかった。
「俺のこと、覚えてないのか?」
「……ごめんなさい」
「……そんな」
「ああ、これは元の記憶が消えちゃってるね」
「何だと!? ひょっとして犬化のせいか!!?」
「違うと思う。あんな事があった後だから……」
俺はがっくりと膝をついた。いや、それは贅沢というものだ。彼女の命を繋ぎ止める事が出来ただけでも奇跡のようなものなのだ。
それは分かっている。わかってはいるのだが……。昨日の彼女の告白が無しになってしまったのは、痛恨の極みだ。俺みたいなモテない人間にとっては、一生に一度のチャンスだったかもしれないのに。
「俺の名前は日奈森ヨミ。自分の名前、覚えてる?」
「名前……。ダメ。……思い出せない」
彼女は俯いてしまった。その姿に俺の心はじわりと傷んだ。
俺は自分を恥じた。記憶をなくして一番辛いのは彼女のはずなのに、自分の事しか考えていなかった……。
「そうだ、……これ」
彼女に、中学校の制服から出てきた財布と携帯端末を手渡す。財布を開けると、中には顔写真入りで中学校の生徒証明書が入っていた。ラミネート加工されたカード状のものだ。
証明書を見つめて、彼女がつぶやいた。
「傘戸 真夕……中1」
「まあ、記憶はそのうち戻ると思うから。安心していいよ」
ペチカが言って、マユが不思議そうにそちらを見た。
「ウチはペチカ。よろしくね、マユ」
「うん。よろしく……って、な、なにコレ、よ、妖精!!?」
「マユちゃん、ペチカが見えるのか?」
「ああ、多分ゴーレム化の影響だよ」
「ゴーレム? 何のこと!?」
「いや、あの、それはその……」
「……ん?」
マユが下を向いた。自分の服装に違和感を感じたらしい。記憶が無いので昨日の服装までは覚えていないはずだが、胸元から中を覗いて下着をつけていないことに気付いた。顔が真っ赤に染まる。
「あ、あなたまさか、私を誘拐してハ、ハダカに……!!?」
「ち、違う、は、話を聞……」
「変態!! 異常性欲者!! ペドフィリア!! パラフィリア!!」
マユはその辺の物を手当たり次第投げつけた。これは、本来なら可愛らしい女の子の可愛らしいシーンとなるはずだった。けれど実際は、凄惨な殺人未遂の現場となってしまった。
彼女の手から放たれた本やシャープペンといった品物は、みな音速を超えた弾丸となって俺を襲ったのだ。幸運にも、彼女はノーコンで死者は出ずに済んだが、部室の壁は穴だらけとなった。
「……なにコレ!!?」
マユは、自らの行為に愕然とした。いや、一番驚いたのは俺だけど。
「あー」
俺は天を仰いだ。こうなっては隠しようがない。
マユが、キッとこちらを睨んだ。
「コレはどういう事!? 教えなさい!!!!」
「知らないほうがいいと思うけど……」
「教えなさい!!!!」
美少女女子中学生にスゴまれて、ちょっとドキドキした。
「わかったよ。実は……ええと、その……」
「マユは一度死んだんだよ!!」
なんとかオブラートに包んで説明しようとした俺の努力は、何も考えてないペチカの言葉で水泡に帰した。
「……し、……しんだ!!?」
「そう。だから仕方なく、ゴーレム化の改造手術をしたんだ!!」
「ゴーレム化!? か、カイゾウ!!?」
マユが頭を抱えて座り込んだ。ショックが半分と、ペチカの言葉が理解できないのがもう半分、という表情だ。そのまま3分ほど、彼女は動かなくなった。
自分が死んでゴーレムに改造されたなど、信じられなくて当然だ。だが、それは残念ながら事実だった。直前の出来事を見れば、信じないわけにはいかないだろう。
やがて立ち上がった彼女は、何度か物を投げたり壁を殴ったりして「事実」を確認した。その後また座り込む。
「ええと、その……。事故で君はひどい怪我で……。俺は君をどうしても死なせたくなかった。だから、俺が手術をしたんだ。……勝手なことをして、ごめん」
「……あなたが?」
「ああ」
「……あなた、何者なの?」
もう隠しても意味は無いだろう。俺は腹をくくった。
「俺は、魔法使い見習いさ」
**********
昨日からの出来事を俺は彼女に説明した。
何者かによる破壊行為。自衛隊の出動。街が壊滅した事。マユがそれに巻き込まれた事。
マホウショウジョの事は説明しにくかったのでとりあえず「敵」とだけ言っておいた。
窓の外に視線をやって、彼女はしばらく言葉を失った。
「……そう、なんだ」
街が壊滅したことについてショックを受けたようだったが、彼女は泣いたりしなかった。
「学校は?」
「うちの大学は半壊ってところだけど、隣の君の中学は跡形もないよ」
その時の彼女の表情に、俺は背筋が凍る思いをした。彼女は笑っていたのだ。
「ど、どうした? 何か思い出したのか?」
「……いえ。私にもわかりません。でも、なんだかすごくスッキリした」
なんだかよくわからないが、彼女のなくした記憶に関係するのは確かだ。学校で何か嫌なことでもあったのかも知れない。
「……わかりました。あなたが私を助けてくれたって事ね。それには感謝します。服のことも仕方ないです。それで――」
マユは顔を真っ赤にして、俺を睨みつけながら言った。
「――それで、見たんですか? 私のハダカ?」
「ごめん!! で、でもなるべく見ないようにしたぞ!?」
本当はガッツリ見てしまっていた。いまでも記憶に鮮明にHD画質で焼き付いている。けれど、それは言うべきではないと思った。
「…………」
しばらくマユは俺を睨んでいたが、一つため息をついて頭を軽く振った。
「別にいいじゃん。女どうし――むぐ」
余計なことをしゃべろうとしたペチカの口を、慌てて指で押さえる。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない!!」
訝しげな視線を向けるマユに背を向けて、俺はペチカに耳打ちした。
「ペチカ。『その事』は黙っててくれ」
「なんで?」
ぱっと見、服装・髪型・メガネのせいで男みたいに見えるが、俺は女だった。そのことを知っているのはここではペチカだけだ。
「……だって、記憶が戻る前にそれを知ったら、マユちゃんは、俺を女としか見れなくなる。そうなると記憶が戻ったとしても、もうスキになってくれないかも知れない」
「でも、いつかばれるよ?」
「わかってる。折を見て、俺が自分で話すよ」
「……わかった。言わないよ。……そんな事より」
ペチカが真剣な顔で俺に向き合った。
「ウチ、おなかヘッタ!!」
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◆今後の方針
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俺達3人は1階にある食堂に向かった。この建物内に人の姿はなかった。
厨房に入って冷蔵庫を開ける。電気はすでに止まっており復旧は見込めそうもなかった。緊急事態だ。勝手に食材を拝借させてもらう事にする。どうせほっといても腐るだけだ。
生タマゴとゴハン、冷凍食品を幾つかテーブルに並べる。マユはサンドイッチを。ペチカはおむすびを見つけて持ってきた。
「さて、これからどうするか、だが……」
TKG(卵かけごはん)をかき混ぜながら、誰にともなく問いかける。
俺と目が合うと、マユは警戒心丸出しで顔をそむけた。記憶を無くしたとはいえ、昨日の告白との温度差は一体何なのか。
「……まずやるべき事は情報収集かな」
ペチカが答えた。
携帯端末をチェックする。昨日と同じで、通話もテレビもネットも全て反応がなかった。
「ああそうだ、ちょっと待ってて」
俺は2階の部室に戻って、ラジオを取ってきた。
自然解凍された冷凍コロッケをかじりつつ、チューナーをグリグリと回してみる。ほとんどノイズばかりだったが、一つだけ生きている放送局があった。
『……繰り返します。現在、関東地方を中心に、大規模なテロ事件が発生しています。』
「(テロ? まあ、マホウショウジョが攻めてきたなんて言えないか)」
『住民の皆様は、すみやかに避難を……』
ラジオの情報をまとめると、状況は次の通りだ。
突如現れた「テロ集団」が、関東地方を制圧した。陸上自衛隊がこれに対応したが、苦戦を強いられているそうだ。
戦線は拡大中で、諸外国との連絡も途切れ気味らしい。おそらく、世界同時多発的に「テロ」が発生しているのだろう。関東から遠く離れたこの辺り(西日本)にまで影響が出ている事から判断して、それだけ規模が大きな事態ということだ。
警察や消防も手一杯で、救助は望むべくもない。生き残るためには、自力でなんとかするしかない。
未確認情報ではあるが、すでに万を超える犠牲者が出た可能性があるとの事だ。今後、もっと増えるかもしれない。
「思ったよりもやばそうだな、これは……」
背筋を冷たいものが流れ落ちていく。皆、しばらく無言だった。
「……一体何が起こってるの? 『テロ集団』って何!?」
思いつめた表情でマユが口を開いた。
「てろ集団じゃないよ。マホウショウジョが攻めて来たんだよ!!」
ペチカが言った。
「マホウショウジョ……? なにそれ」
「さあね。俺にもよくわからない。人間の女の子のような形をした何かだ。そして、魔法を使う」
「……また、魔法」
マユが何か言いたげにこちらを見た時、なにか物音が聞こえた。窓から外をのぞくと、1体のマホウショウジョがうろついていた。唇に指を当て、皆に目配せする。
しばらくすると、そいつは何処かへ行ってしまった。
「いまのがマホウショウジョ?」
「ああ。……いつまでもここにいるのはヤバそうだな」
自衛隊がマホウショウジョなどやっつけてくれるとは思うが、今すぐに、というわけにはいかないだろう。戦いに巻き込まれないためにも、なるべく早くここを出立する必要がある。
「とにかく、どこか人がいるところへ避難するんだ」
「……そう、ですね」
この食堂兼部室棟には山岳部の部室もあった。そこでキャンプセットを調達し、食堂にある食料などを適当にバッグに詰めて、俺達は急ぎ出発した。
―――――――――――――――――――
◆サバイバル
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食堂から出ると、まず目についたのは多くの遺体だった。昨日、マホウショウジョに殺された俺の大学の女子生徒たちがそのまま放置されていた。中には見知った顔が幾つかある。
「…………」
言葉が出ない。埋葬してやりたかったが、2人ではどうしようもない。心のなかで手を合わせるのが精一杯だ。
マユは気分が悪くなったようだが、吐く事はなかった。ゴーレム化の影響だろう。
ペチカは俺の背中に潜り込んでしまった。
校内はまだマシな方だ。
学校から外へ出ると、街は見渡す限り廃墟だった。マホウショウジョの攻撃がそれほど激しかったという事だ。敵はやはり1体だけではないのだろう。それどころか、他にももっとヤバイヤツがいるのかもしれない。ただ、昨日の雨のお陰で火事は消えていた。
今のところ、周囲にマホウショウジョの気配はなかった。
街なかにも多くの遺体が横たわっていた。大人。子供。老人。焼け焦げているもの。原型を失っているもの……。
ただそれでも、この街の人間全てというほどの数では無い。きっと大部分は避難したのだ。
道端に散乱するガラスに注意しながら歩く。
ところどころ瓦礫で道が塞がれていた。マユが無言で進み出て、1m四方のコンクリートの塊を軽々と持ち上げ、そのまま空いたスペースめがけて放り投げる。4m飛んで、その塊は鈍い音とともに地面に落ちた。
「すごい!」
俺の背中から顔を出して、ペチカが言った。
近くだったこともあり、避難所に行く前に俺達はマユの家に立ち寄ってみた。住所は彼女の生徒証明書に書いてあった。家は傾いて一部倒壊しており、中に人はいなかった。避難したと思いたい。
せめてマユの着替えだけでも手に入れたかったが、着替えは倒壊した部分の下敷きになっていた。しかも昨日の雨のせいで泥だらけになっており、使えそうになかった。もうしばらく、マユにはジャージだけで我慢してもらうしかない。
自分の家を、マユは複雑な表情で眺めていた。
「どうかした?」
「……私の家、と言われても実感がなくて。……先を急ぎましょう」
なにか言うべきだと思ったが、記憶をなくした少女に対してなんと言えばいいのか。上手いセリフを思いつけなかった。
玄関に簡単な伝言メモを残して、俺達はその場を後にした。
次いで、俺の一人暮らしのアパートにも寄ってみる。ここは跡形もなくなっていた。
「ああ、俺のゲームコレクションが……。セーブデータが……。PCの秘密画像が……」
まあでも、昨日ここに帰っていたら俺も危なかった。命があるだけマシというものだ。
俺の実家も気になる。この街からはかなり離れているので大丈夫だとは思うが。
1時間ほど歩いて、災害時の避難場所の一つに到着したが、建物は倒壊しており、人々が避難してきた形跡もなかった。ここまで、生きている人間には全く会っていない。皆どこへ行ったのか。
「おそらく敵から遠ざかる方向に逃げたんだろうな」
「だね」
ペチカが俺の背中から出てきて頭の上に這い上がる。慣れてきたのか、開き直ったのか。
さらに俺達は移動を続けた。
のどが渇いたらそこらの自販機を探す。災害時に無料になる自販機もあるが、それには管理者の専用キーが必要だ。管理者も皆逃げたのだろう。そのため非常時モードになっている自販機はほとんどなかった。電源も切れている。
仕方がないのでマユに無理やり自販機の蓋を開けてもらい、ジュースとコーヒーを取り出した。
傾いたベンチに腰掛けてコーヒーを飲み、大きく息を吐き出す。すでに足が棒のようだ。
マユがペットボトルのキャップにジュースを入れてペチカに飲ませていた。
「この世界には面白い食べ物飲み物がいっぱいあるね」
「この世界? ……そういえばあんまり深く考えたことなかったけど、ペチカは別世界から来たのか?」
「そうだよ。言わなかったっけ?」
いろいろあったせいであまり気にしてなかったが、ペチカの存在もよくわからないものだった。だが、妖精が存在している以上、その仲間が暮らす世界があろうことは理の当然だ。
そうなると、おのずと別の興味も湧いてくる。
「……妖精がいるってことは、モンスターとか神や悪魔もいるのか?」
「いるよ。普通に」
「ホントかよ」
「嘘じゃないもん! ウチには神様の友達もいるんだよ! エスニャさまって言って、すごい美人なんだ!」
「……まじか」
コーヒーを飲み干して、空き缶を自販機の横に転がっていたゴミ箱に投げ入れる。
俺はバックの中から非常用の菓子を取り出した。1つをくわえて、もう1つをマユに差し出す。
「ほら、食うか?」
「……ありがとう」
マユが不思議そうに、俺が渡したケロリーメイトを眺めている。
「どうした?」
「ケロリーメイトだ……」
なぜか、マユの頬を一筋の雫が流れ落ちた。
「え!? え!!? なんで泣く!!?」
「……わかんない。でも、なんだか……」
よくわからなかったが、悲しくて泣いているのではなさそうだった。むしろ、どこか嬉しそうだ。
「よっぽどハラペコだったんだね」
「そういうことじゃ無いと思うが……」
ペチカの空気読めなさ加減は相変わらずだ。とはいえ、俺にもどういう事なのか、答えることはできなかった。
【続く】
◆ゴーレム
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翌朝。
大学の食堂2階にある、情報処理技術クラブの部室で俺(日奈森ヨミ)は目が覚めた。
昨日マホウショウジョと戦った後、ここに2人と1匹(?)で泊まったのだ。
ここは崩れた校舎から少し離れている。そのため、昨日の攻撃による激しい揺れの影響は受けておらず、被害はなかった。倒壊する危険は無いだろう。
辺りは静けさを取り戻しており、雨は止んでいた。時計を見る。時刻は午前9時を過ぎたところだ。
テーブルの上に置いていたメガネをかける。
マナを全て使いきってほとんど動けなくなった俺だが、一晩眠ったことで回復していた。
少女は手術後からずっと眠ったままだった。ソファと椅子で作った急造のベッドで、まだ寝息を立てている。安らかな、満ち足りた寝顔に見えた。
闇妖精のペチカが俺の頭の上に乗ったまま眠っていた。 立ち上がると、頭の上からずり落ちてソファの上にポトリと落ちた。「キュ」っという瀕死の小動物に似た声が聞こえたが、怪我はなさそうだ。
「んにゃ……」
ペチカは上体を起こし、寝ぼけ眼をこすった。銀髪ツインテールがボサボサになっている。妖精というやつはいつも服を着ていないが、寒くはないのだろうか。
「起きたか、ペチカ」
テーブルの上にある、常備してある菓子をつまみながら声をかける。
「お前も食うか?」
「……はっ!!?」
俺の問に答えず、ペチカは思い出したように窓まで飛んでいった。外を見て、へなへなと木の葉の如く舞い落ちる。窓の外は見渡す限り廃墟となっていた。
「わあん、夢じゃなかった!! これからどうすればいいんだよう!! もうおしまいだー!!」
「泣きたいのはこっちも一緒だよ」
「でもでも、ウワアアアン!!!!」
ひとしきり泣きじゃくった後、ペチカはよろよろとテーブルの上に乗り、お菓子にかじりついた。どうやら空腹には勝てなかったらしい。意外と肝は座っているのかもしれない。
改めて窓の外に目をやる。昨日までとはまるで別世界だ。
「……ほんと、なんなんだよ、この状況」
不思議と、絶望するほどの悲しみはなかった。あまりにも現実離れしすぎていて実感を持つことが出来ないのだ。あったのはただ戸惑いと、まとまらない思考だけ。
もちろん、犠牲になった人たちは気の毒に思うし、これからどうなるのか不安もある。マホウショウジョには二度と会いたくない。実家にいる家族のことも気になる。
「どうすんだよこれから……」
ふと、少女の寝顔が目に入った。儚げでたよりなく、放っておくと今にも消えてしまいそうに感じられた。
頭を振って、両手で自分の頬を2、3回はたく。
「どうすんだ、じゃないよな」
テーブルに手をついて立ち上がる。
「今は生き残るんだ。何が何でも!!」
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ペチカが騒いだせいだろうか。ぐっすり眠っていた例の少女がムクリと半身を起こした。ゴーレム化手術の後そのまま寝かせていたので、彼女は素っ裸のままだった。
「え!!? ちょ、君、ハダカ、ハダカ!!」
慌てる俺をよそに彼女に照れる様子はなく、あろうことか逆にこちらに飛びついてきた。
「わん!!」
「わん!!?」
犬のように俺の顔を舐めまわす。息が荒い。
「ちょ、ま……」
「手術は大体うまくいったみたいだね」
「どこがだ!!? おい、なんとかしろ!!」
ペチカが魔導書をペラペラとめくった。
「うーん。どうやらゴーレムの制御スペルにミスがあったみたいだよ。基本設定が犬用になってる」
「な、何故そんな……。いいから早く……。り、理性が……」
尚もペロペロは続いた。細い手足が絡みついて逃れられない。こんなハダカの美少女女子中学生に襲われて、いつまでも理性を保っていられようか。
「何とかしろって言われても、ウチには無理だよ。ゴーレムは術者の命令しか聞かないんだからさ」
「そ、それを早く言え!!」
ゴーレム化するということは、製作者に隷属するという事らしい。つまり俺は、この女子中学生に何でも命令する事が出来るようになったのだ。
なかなか心踊る設定だが、もちろん、無闇にそんなことをするつもりは無い。ゴーレム化は、彼女を助けるためのやむを得ない処置であり、命令云々は俺も知らなかった事なのだ。
……ただ、俺は今後、自制心を試される事になるだろう。
マテ、の命令で少女は動きを止めた。ベッドの上で大人しくお座りのポーズをとっている。
「た、たすかった……」
言葉とは裏腹に、俺は内心ですごくガッカリしていた。もっとペロペロされたかった。もっと彼女とくっついていたかった……。
まあ、それでも、表面的にだけでも冷静に振る舞った自分を褒めてやりたい。
名残惜しいが、いつまでも彼女をこのままにはしておけない。部室の中を探しまわって、俺は予備のジャージと靴を発見した。残念ながら下着は無かった。犬状態の少女は自分で服を着られないので、なるべく見ないようにして服を着せ靴を履かせてやった。
その後、ペチカと協力してゴーレム制御スペルを修正する。次こそは問題ないはずだ。再び呪文を読み上げる。
……程なく、少女は人間に戻った。
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◆変化
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少女の2つに束ねた黒髪が揺れて、朝の光を反射した。形の良い目をパチクリさせて、部屋の中を見回している。
「……ここは?」
「よかった。もう大丈夫だ。ここは俺の大学の部室だよ」
「……あなた、だれ?」
「え……」
彼女は真顔で俺に問いかけた。真っ直ぐ見つめる黒瑪瑙の瞳は、とても冗談を言っている風には見えなかった。
「俺のこと、覚えてないのか?」
「……ごめんなさい」
「……そんな」
「ああ、これは元の記憶が消えちゃってるね」
「何だと!? ひょっとして犬化のせいか!!?」
「違うと思う。あんな事があった後だから……」
俺はがっくりと膝をついた。いや、それは贅沢というものだ。彼女の命を繋ぎ止める事が出来ただけでも奇跡のようなものなのだ。
それは分かっている。わかってはいるのだが……。昨日の彼女の告白が無しになってしまったのは、痛恨の極みだ。俺みたいなモテない人間にとっては、一生に一度のチャンスだったかもしれないのに。
「俺の名前は日奈森ヨミ。自分の名前、覚えてる?」
「名前……。ダメ。……思い出せない」
彼女は俯いてしまった。その姿に俺の心はじわりと傷んだ。
俺は自分を恥じた。記憶をなくして一番辛いのは彼女のはずなのに、自分の事しか考えていなかった……。
「そうだ、……これ」
彼女に、中学校の制服から出てきた財布と携帯端末を手渡す。財布を開けると、中には顔写真入りで中学校の生徒証明書が入っていた。ラミネート加工されたカード状のものだ。
証明書を見つめて、彼女がつぶやいた。
「傘戸 真夕……中1」
「まあ、記憶はそのうち戻ると思うから。安心していいよ」
ペチカが言って、マユが不思議そうにそちらを見た。
「ウチはペチカ。よろしくね、マユ」
「うん。よろしく……って、な、なにコレ、よ、妖精!!?」
「マユちゃん、ペチカが見えるのか?」
「ああ、多分ゴーレム化の影響だよ」
「ゴーレム? 何のこと!?」
「いや、あの、それはその……」
「……ん?」
マユが下を向いた。自分の服装に違和感を感じたらしい。記憶が無いので昨日の服装までは覚えていないはずだが、胸元から中を覗いて下着をつけていないことに気付いた。顔が真っ赤に染まる。
「あ、あなたまさか、私を誘拐してハ、ハダカに……!!?」
「ち、違う、は、話を聞……」
「変態!! 異常性欲者!! ペドフィリア!! パラフィリア!!」
マユはその辺の物を手当たり次第投げつけた。これは、本来なら可愛らしい女の子の可愛らしいシーンとなるはずだった。けれど実際は、凄惨な殺人未遂の現場となってしまった。
彼女の手から放たれた本やシャープペンといった品物は、みな音速を超えた弾丸となって俺を襲ったのだ。幸運にも、彼女はノーコンで死者は出ずに済んだが、部室の壁は穴だらけとなった。
「……なにコレ!!?」
マユは、自らの行為に愕然とした。いや、一番驚いたのは俺だけど。
「あー」
俺は天を仰いだ。こうなっては隠しようがない。
マユが、キッとこちらを睨んだ。
「コレはどういう事!? 教えなさい!!!!」
「知らないほうがいいと思うけど……」
「教えなさい!!!!」
美少女女子中学生にスゴまれて、ちょっとドキドキした。
「わかったよ。実は……ええと、その……」
「マユは一度死んだんだよ!!」
なんとかオブラートに包んで説明しようとした俺の努力は、何も考えてないペチカの言葉で水泡に帰した。
「……し、……しんだ!!?」
「そう。だから仕方なく、ゴーレム化の改造手術をしたんだ!!」
「ゴーレム化!? か、カイゾウ!!?」
マユが頭を抱えて座り込んだ。ショックが半分と、ペチカの言葉が理解できないのがもう半分、という表情だ。そのまま3分ほど、彼女は動かなくなった。
自分が死んでゴーレムに改造されたなど、信じられなくて当然だ。だが、それは残念ながら事実だった。直前の出来事を見れば、信じないわけにはいかないだろう。
やがて立ち上がった彼女は、何度か物を投げたり壁を殴ったりして「事実」を確認した。その後また座り込む。
「ええと、その……。事故で君はひどい怪我で……。俺は君をどうしても死なせたくなかった。だから、俺が手術をしたんだ。……勝手なことをして、ごめん」
「……あなたが?」
「ああ」
「……あなた、何者なの?」
もう隠しても意味は無いだろう。俺は腹をくくった。
「俺は、魔法使い見習いさ」
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昨日からの出来事を俺は彼女に説明した。
何者かによる破壊行為。自衛隊の出動。街が壊滅した事。マユがそれに巻き込まれた事。
マホウショウジョの事は説明しにくかったのでとりあえず「敵」とだけ言っておいた。
窓の外に視線をやって、彼女はしばらく言葉を失った。
「……そう、なんだ」
街が壊滅したことについてショックを受けたようだったが、彼女は泣いたりしなかった。
「学校は?」
「うちの大学は半壊ってところだけど、隣の君の中学は跡形もないよ」
その時の彼女の表情に、俺は背筋が凍る思いをした。彼女は笑っていたのだ。
「ど、どうした? 何か思い出したのか?」
「……いえ。私にもわかりません。でも、なんだかすごくスッキリした」
なんだかよくわからないが、彼女のなくした記憶に関係するのは確かだ。学校で何か嫌なことでもあったのかも知れない。
「……わかりました。あなたが私を助けてくれたって事ね。それには感謝します。服のことも仕方ないです。それで――」
マユは顔を真っ赤にして、俺を睨みつけながら言った。
「――それで、見たんですか? 私のハダカ?」
「ごめん!! で、でもなるべく見ないようにしたぞ!?」
本当はガッツリ見てしまっていた。いまでも記憶に鮮明にHD画質で焼き付いている。けれど、それは言うべきではないと思った。
「…………」
しばらくマユは俺を睨んでいたが、一つため息をついて頭を軽く振った。
「別にいいじゃん。女どうし――むぐ」
余計なことをしゃべろうとしたペチカの口を、慌てて指で押さえる。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない!!」
訝しげな視線を向けるマユに背を向けて、俺はペチカに耳打ちした。
「ペチカ。『その事』は黙っててくれ」
「なんで?」
ぱっと見、服装・髪型・メガネのせいで男みたいに見えるが、俺は女だった。そのことを知っているのはここではペチカだけだ。
「……だって、記憶が戻る前にそれを知ったら、マユちゃんは、俺を女としか見れなくなる。そうなると記憶が戻ったとしても、もうスキになってくれないかも知れない」
「でも、いつかばれるよ?」
「わかってる。折を見て、俺が自分で話すよ」
「……わかった。言わないよ。……そんな事より」
ペチカが真剣な顔で俺に向き合った。
「ウチ、おなかヘッタ!!」
―――――――――――――――――――
◆今後の方針
―――――――――――――――――――
俺達3人は1階にある食堂に向かった。この建物内に人の姿はなかった。
厨房に入って冷蔵庫を開ける。電気はすでに止まっており復旧は見込めそうもなかった。緊急事態だ。勝手に食材を拝借させてもらう事にする。どうせほっといても腐るだけだ。
生タマゴとゴハン、冷凍食品を幾つかテーブルに並べる。マユはサンドイッチを。ペチカはおむすびを見つけて持ってきた。
「さて、これからどうするか、だが……」
TKG(卵かけごはん)をかき混ぜながら、誰にともなく問いかける。
俺と目が合うと、マユは警戒心丸出しで顔をそむけた。記憶を無くしたとはいえ、昨日の告白との温度差は一体何なのか。
「……まずやるべき事は情報収集かな」
ペチカが答えた。
携帯端末をチェックする。昨日と同じで、通話もテレビもネットも全て反応がなかった。
「ああそうだ、ちょっと待ってて」
俺は2階の部室に戻って、ラジオを取ってきた。
自然解凍された冷凍コロッケをかじりつつ、チューナーをグリグリと回してみる。ほとんどノイズばかりだったが、一つだけ生きている放送局があった。
『……繰り返します。現在、関東地方を中心に、大規模なテロ事件が発生しています。』
「(テロ? まあ、マホウショウジョが攻めてきたなんて言えないか)」
『住民の皆様は、すみやかに避難を……』
ラジオの情報をまとめると、状況は次の通りだ。
突如現れた「テロ集団」が、関東地方を制圧した。陸上自衛隊がこれに対応したが、苦戦を強いられているそうだ。
戦線は拡大中で、諸外国との連絡も途切れ気味らしい。おそらく、世界同時多発的に「テロ」が発生しているのだろう。関東から遠く離れたこの辺り(西日本)にまで影響が出ている事から判断して、それだけ規模が大きな事態ということだ。
警察や消防も手一杯で、救助は望むべくもない。生き残るためには、自力でなんとかするしかない。
未確認情報ではあるが、すでに万を超える犠牲者が出た可能性があるとの事だ。今後、もっと増えるかもしれない。
「思ったよりもやばそうだな、これは……」
背筋を冷たいものが流れ落ちていく。皆、しばらく無言だった。
「……一体何が起こってるの? 『テロ集団』って何!?」
思いつめた表情でマユが口を開いた。
「てろ集団じゃないよ。マホウショウジョが攻めて来たんだよ!!」
ペチカが言った。
「マホウショウジョ……? なにそれ」
「さあね。俺にもよくわからない。人間の女の子のような形をした何かだ。そして、魔法を使う」
「……また、魔法」
マユが何か言いたげにこちらを見た時、なにか物音が聞こえた。窓から外をのぞくと、1体のマホウショウジョがうろついていた。唇に指を当て、皆に目配せする。
しばらくすると、そいつは何処かへ行ってしまった。
「いまのがマホウショウジョ?」
「ああ。……いつまでもここにいるのはヤバそうだな」
自衛隊がマホウショウジョなどやっつけてくれるとは思うが、今すぐに、というわけにはいかないだろう。戦いに巻き込まれないためにも、なるべく早くここを出立する必要がある。
「とにかく、どこか人がいるところへ避難するんだ」
「……そう、ですね」
この食堂兼部室棟には山岳部の部室もあった。そこでキャンプセットを調達し、食堂にある食料などを適当にバッグに詰めて、俺達は急ぎ出発した。
―――――――――――――――――――
◆サバイバル
―――――――――――――――――――
食堂から出ると、まず目についたのは多くの遺体だった。昨日、マホウショウジョに殺された俺の大学の女子生徒たちがそのまま放置されていた。中には見知った顔が幾つかある。
「…………」
言葉が出ない。埋葬してやりたかったが、2人ではどうしようもない。心のなかで手を合わせるのが精一杯だ。
マユは気分が悪くなったようだが、吐く事はなかった。ゴーレム化の影響だろう。
ペチカは俺の背中に潜り込んでしまった。
校内はまだマシな方だ。
学校から外へ出ると、街は見渡す限り廃墟だった。マホウショウジョの攻撃がそれほど激しかったという事だ。敵はやはり1体だけではないのだろう。それどころか、他にももっとヤバイヤツがいるのかもしれない。ただ、昨日の雨のお陰で火事は消えていた。
今のところ、周囲にマホウショウジョの気配はなかった。
街なかにも多くの遺体が横たわっていた。大人。子供。老人。焼け焦げているもの。原型を失っているもの……。
ただそれでも、この街の人間全てというほどの数では無い。きっと大部分は避難したのだ。
道端に散乱するガラスに注意しながら歩く。
ところどころ瓦礫で道が塞がれていた。マユが無言で進み出て、1m四方のコンクリートの塊を軽々と持ち上げ、そのまま空いたスペースめがけて放り投げる。4m飛んで、その塊は鈍い音とともに地面に落ちた。
「すごい!」
俺の背中から顔を出して、ペチカが言った。
近くだったこともあり、避難所に行く前に俺達はマユの家に立ち寄ってみた。住所は彼女の生徒証明書に書いてあった。家は傾いて一部倒壊しており、中に人はいなかった。避難したと思いたい。
せめてマユの着替えだけでも手に入れたかったが、着替えは倒壊した部分の下敷きになっていた。しかも昨日の雨のせいで泥だらけになっており、使えそうになかった。もうしばらく、マユにはジャージだけで我慢してもらうしかない。
自分の家を、マユは複雑な表情で眺めていた。
「どうかした?」
「……私の家、と言われても実感がなくて。……先を急ぎましょう」
なにか言うべきだと思ったが、記憶をなくした少女に対してなんと言えばいいのか。上手いセリフを思いつけなかった。
玄関に簡単な伝言メモを残して、俺達はその場を後にした。
次いで、俺の一人暮らしのアパートにも寄ってみる。ここは跡形もなくなっていた。
「ああ、俺のゲームコレクションが……。セーブデータが……。PCの秘密画像が……」
まあでも、昨日ここに帰っていたら俺も危なかった。命があるだけマシというものだ。
俺の実家も気になる。この街からはかなり離れているので大丈夫だとは思うが。
1時間ほど歩いて、災害時の避難場所の一つに到着したが、建物は倒壊しており、人々が避難してきた形跡もなかった。ここまで、生きている人間には全く会っていない。皆どこへ行ったのか。
「おそらく敵から遠ざかる方向に逃げたんだろうな」
「だね」
ペチカが俺の背中から出てきて頭の上に這い上がる。慣れてきたのか、開き直ったのか。
さらに俺達は移動を続けた。
のどが渇いたらそこらの自販機を探す。災害時に無料になる自販機もあるが、それには管理者の専用キーが必要だ。管理者も皆逃げたのだろう。そのため非常時モードになっている自販機はほとんどなかった。電源も切れている。
仕方がないのでマユに無理やり自販機の蓋を開けてもらい、ジュースとコーヒーを取り出した。
傾いたベンチに腰掛けてコーヒーを飲み、大きく息を吐き出す。すでに足が棒のようだ。
マユがペットボトルのキャップにジュースを入れてペチカに飲ませていた。
「この世界には面白い食べ物飲み物がいっぱいあるね」
「この世界? ……そういえばあんまり深く考えたことなかったけど、ペチカは別世界から来たのか?」
「そうだよ。言わなかったっけ?」
いろいろあったせいであまり気にしてなかったが、ペチカの存在もよくわからないものだった。だが、妖精が存在している以上、その仲間が暮らす世界があろうことは理の当然だ。
そうなると、おのずと別の興味も湧いてくる。
「……妖精がいるってことは、モンスターとか神や悪魔もいるのか?」
「いるよ。普通に」
「ホントかよ」
「嘘じゃないもん! ウチには神様の友達もいるんだよ! エスニャさまって言って、すごい美人なんだ!」
「……まじか」
コーヒーを飲み干して、空き缶を自販機の横に転がっていたゴミ箱に投げ入れる。
俺はバックの中から非常用の菓子を取り出した。1つをくわえて、もう1つをマユに差し出す。
「ほら、食うか?」
「……ありがとう」
マユが不思議そうに、俺が渡したケロリーメイトを眺めている。
「どうした?」
「ケロリーメイトだ……」
なぜか、マユの頬を一筋の雫が流れ落ちた。
「え!? え!!? なんで泣く!!?」
「……わかんない。でも、なんだか……」
よくわからなかったが、悲しくて泣いているのではなさそうだった。むしろ、どこか嬉しそうだ。
「よっぽどハラペコだったんだね」
「そういうことじゃ無いと思うが……」
ペチカの空気読めなさ加減は相変わらずだ。とはいえ、俺にもどういう事なのか、答えることはできなかった。
【続く】
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