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Ep03 赤黒の月2
Ep03_05 開戦01
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◆元に戻る方法
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地下遺跡のプラント前に、魂だけの存在となった菜乃が漂っていた。肉体から切り離された不安も無くはなかったが、新鮮な体験に頬が緩むのを抑えきれていなかった。
その菜乃の目の前に、突如、大きな扉が浮かび上がった。半透明で薄く発光しており、明らかに実体ではない。おそらく、彼女が霊体になったことで見えるようになったものだろう。それがなにを意味するか、彼女は本能的に理解した。これはおそらく――
「あの世へのトビラ……」
菜乃は迷わず扉をくぐった。好奇心が恐怖を凌駕したのだ。それに、この中に元に戻るためのヒントが隠されているように思えた。
トビラの中は、一面に白い花が咲き乱れる、果ての見えない広い空間だった。中央には広い川が流れていて、そこから先へは進めそうもない。
「……ありがちね」
昔からまことしやかにささやかれる三途の川のイメージそのままだった。
川のほとりに、一軒の小屋があった。峠の茶屋のような外見とは裏腹に、中身は遺跡の装置類と似たようなデザインだった。
無人だが何かのコンソールパネルとキーボードが置いてあった。インターフェースは普通のパソコンと酷似している。
「…………」
三途の川といい、パソコンといい、ここの製作者である「何者か」が、わざわざ現代の地球に合わせてこれを作ったとは考えにくい。おそらく、この空間そのものが菜乃の知識を元に再構築されているのだろう。「ありがち」なのは、菜乃の頭の中にありがちなイメージしかなかったからだ。欧米人がここに来れば、天使が出迎えてくれたかもしれない。
キーボードを触ってみる。何の反応もない。何らかのセキュリティ機能が働いているらしい。菜乃の顔に不敵な笑顔が浮かび上がる。彼女の目の輝きはもはや尋常ではない。うっすらと光を放っているようにさえ見えた。
「なめられたもんね。どんな高度なシステムでも、基本の設計思想はあまり変わらないものよ。つまり、それを回避する方法はいくらでもあるの!!」
――といってもそんな方法は菜乃にしか分からないだろうが。たちまち防壁をクリアすると、菜乃はシステムに侵入してしまった。
「……これは?」
この端末の本来の役目は、単なる入出者管理用のものらしかったが、それとは別に、広域ネットワークに接続する機能が備わっていた。
「広域ネットワーク、『イグドラシル』……?」
ものはためし、とばかりにネット接続のアイコンをクリックする。菜乃の後ろの壁に突然ドアが出現した。この空間が、どこか別の空間に接続されたらしい。地球のインターネットとは根本的に異なるもののようだ。
「……そうか、今いるこの場所もすでにイグドラシルネットワークの一部なのね」
彼女はそのドアをくぐった。これも菜乃に合わせて構築された空間らしく、どこまでも続く青い空に、白い雲、お花畑にはところどころ奇妙なオブジェクトが設置してある。
そこは未知の知識の宝庫だった。それぞれのオブジェクトから、全宇宙の全事象の出来事にアクセスできるようになっていたのだ。
「しんじらんない……」
目を見開く。菜乃の全身に鳥肌が立つ。抑えきれない興奮。ここには宇宙の全てがある。あらゆる科学の探求者にとって、ここはまさに夢の楽園のようなものだった。
菜乃は次々とオブジェクトを調べていった。
【ヨモツヒラサカ】
【ヒラニプラ】
【アクロポリス】
【ファーブラとムンドゥス】
【最も古き文明】
1つのオブジェクトに触れると、データが展開され、閲覧可能となった。
【最も古き文明。宇宙が生まれて一番最初に生まれた文明。約108億年前に誕生~現在に至る……】
食い入るように、続きを読み漁る。
「……なんなの、この記録。死を超越した文明? 霊界の構築? エンシェント=ニール!? ……霊界を作り出した文明があったってこと……!!?」
突如、猛烈な頭痛が菜乃を襲った。
「……あう!! 頭いたい。なんて重いデータなの。これ以上は……読めない」
ぐったりと、その場に座り込む。その時、菜乃の後ろから声がかけられた。
「何者だ?」
振り向くと、イカツイ警備員のような人物が立っている。
「あ、えっと、あの……」
笑ってごまかす。
「不正アクセスだな。ずいぶん久しぶりだが、見過ごすわけにはいかんな」
警備員は菜乃の襟首をつまみ上げると出口に向かって歩き出した。菜乃がじたばたともがく。
「きゃー、イヤーっ! はなしてー!!」
無言で警備員は菜乃を出口の外へ放り投げた。
「いやーーっ!!」
菜乃の叫び声が、遺跡の部屋に響き渡った。
「あ」
彼女は元の身体に戻っていた。カプセルのふたも開いている。
「……た、助かった……?」
―――――――――――――――――――
◆真の力
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夕食の時間をすぎて、秕はへとへとになって宿舎に戻ってきた。ようやく全ての訓練が終わったのだ。
やり遂げた充実感よりも成長した実感よりも、今はただ、ベッドで普通に休めるということが嬉しかった。
となりのアリスの部屋は電気が消えているし、菜乃もどこへ行ったのか部屋にいなかった。夕食をすませ、風呂にはいってベッドに横になる。疲れているはずなのに、一向に眠くならなかった。疲れすぎたためだろうか。
秕はふと、特訓の前にヨシュウに渡されたメモリーカードのことを思い出した。訓練中はこのことをすっかり忘れていた。
「(ねむれないし、読んでみようか)」
メモリーカードを携帯端末に差し込むと、中には文書ファイルが二つ入っていた。ベッドに横になったまま、目を通す。
「『イザナギとイザナミ』『アマテラス親征』……?」
タイトルを口の中でつぶやく。
「(なにこれ、古事記?)」
文書を開いてみると、中身は日本神話が記された古文書だった。最初の項目に現代語訳、次にわけのわからないデータ、最後にヨシュウによると思われる注釈があった。ぱらぱらとページを進めてみる。
「(……!? あれ、何かヘンだな?)」
二つ目のファイルに差し掛かったところで手が止まる。秕は実家の職業柄、家においてあった古事記の写しを少しだけ読んだことがある。だからこそ、このデータの内容に微かな違和感を感じたのだ。
『アマテラス率いる神軍は、七十万のマガツカミを相手に戦端を開いた』
「(なんだこれ!? こんな話、古事記には無いはず……)」
そこには、現存する古事記の写本には記されているはずの無い、神話時代のエピソードが大量に記されていた。すなわち、アマテラス率いる天津神と闇帝が支配する禍津神との戦いの様子である。
「(ありえないよ。こんなこと)」
こんなことがあるとすれば、それは古代歴史オタクの妄想が生み出したトンデモ本ぐらいだ。
「(でも、そういえば……。じいちゃんが言ってたな。たしか『秀真伝』っていう古文書にもこんな話が書いてあるって)」
秀真伝は偽書だという説があるが、それを言うなら古事記にも偽書説はある。そもそも神話に真実を求めるのもどうかと思うが。
秕はここで思い出した。地下遺跡で発見されたストレージの解析を、菜乃が軍に頼んでいた事を。このファイルは、その解析結果なのだ。
「なぜ、こんな物が、あの遺跡に……!!?」
秕は混乱した。古文書よりも正確に記された物語。そんなものが存在するはずはない。しかも、訳の分からない遺跡の中などに……。あるとすればイタズラに違いない。
だが。
ヨシュウが書いたと思われる巻末の注釈を見てみる。
「信じられないことに、この文書の成立年代は十万年を軽くさかのぼる。調査チームの報告によると、この文書が収められていたストレージは、地球のものでは無い。データの読み出しはかろうじて出来たが、材質も、内部構造も、全く不明との事だった」
イタズラにしては手が混んでいる。菜乃の話だと、あの遺跡は本物である可能性が高い。であれば、このファイルの内容もイタズラだとは考えにくい。
「…………」
秕はベッドの上で体を起こし、携帯端末の画面を食い入るように見つめた。
このファイルの文書がもしも本物であるのなら、歴史が覆る事となる。
「混乱を避けるために、以後この文書を『フルコトブミ』と呼ぶことにする。フルコトブミとは、『古事記』を古代の日本風に訓読みした呼び方のことで、その当時の呼び方に、より即した形である。また、この文書は全体のごく一部の断片であり、このほかにも同様の文書が存在するものと思われる。」
「(ってまあ、フルコトブミがホンモノだとして……の話だけど。でも、一体どうしてこれを僕に?)」
疑問に思った秕はふとあるページに目を留めた。
「(……スサノオの戦い?)」
そこには、過去の戦いでスサノオの上げたおびただしい戦果が記されていた。現代語訳がオーバーな表現をしているのかどうなのか、当時のスサノオの力は、今のスサノオの比ではないようだ。特に敵の被害状況は尋常ではなかった。
「(そうか、これが、スサノオの真の力)」
メモリーカードを受け取ったとき、ヨシュウが言っていたセリフを思い出す。
――スサノオの真の力を引き出せるかどうかにかかっていますからね――
「(こんな力があれば、クロウに勝つために役に立つかもしれない)」
興味を引かれた秕は、食い入るようにデータを読み下す。だが数分後、彼の顔には落胆の色が表れた。
「(肝心なことは何も書いてないじゃないか)」
書いてあったのは詳細な戦闘記録以上のものではなかた。スサノオの力について何一つ具体的に触れられてはいなかったのだ。フルコトブミは歴史書であって、戦闘術指南書ではない。無理からぬことであったが。
「(まあいいか。真の力ってのが、確かに存在するらしい。それがわかったんだから)」
秕は携帯端末を閉じ、やがて眠りに落ちた。
**********
その安らかな時間も、訓練による疲労も、日々の苦悩さえも、普通に享受できることが、秕は当たり前だと思っていた。これらが失われる可能性があることなど、一瞬たりと考えもしなかった。
その日、地球の外縁を攻撃していた敵の先遣隊が、ついに、その矛先を地球へと向けた。
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◆禁じられた血
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艦船形態のマガツカミを総じてウキフネという。そのウキフネが十数体。闇の中で身を潜めていた。ウキフネ「イワクス」を旗艦とする、レタルヒュレウ配下の別動部隊である。
彼らは自らの目的を果たすため、息を殺し、じっと機会をうかがっていた。
「そろそろ、先遣隊が目的地に到着するはずだ」
長身の若い男が言った。ただし、地球の若さの概念がそのまま彼に適用されるとは限らなかった。彼の体は薄く発光し、向こう側が透けて見えているのだ。
彼の名はカグツチという。マガツ神族、魔民六族の筆頭で、レタルヒュレウの命によりこの部隊の一切を取り仕切っている。
「ねえ、カグツチ。私もそろそろ遊びたいのですが」
花のように美しい、少女の形をしたマガツカミが言った。カグツチと同じ六族の1人、ハルナだ。彼女はカグツチとは違い、いくらか人間に近いように思われる。それは、多少なりとも感情を残しているからだ。それゆえ、この2人のマガツカミの間では意見が食い違うことが多かった。
「ダメだ」
ハルナの要求をカグツチが一蹴する。
「では、あのクロウという人間をわたくしに下さらない?」
「あれにはまだやってもらわねばならない事がある」
「そんな事いわずに。ちょっとだけ」
「同じことを二度言わせるな」
カグツチの威圧にハルナは一瞬たじろいだ。だが、それでも引き下がらず、駄々をこね始める。
「んーヤダヤダヤダ!! もう退屈で死にそう!! あの人間と遊ばせてくださいー!!」
「……つまみだせ」
カグツチは、無表情に従卒に命令した。しばらく、従卒とハルナがもめる声が聞こえていたが、やがて諦めたのか大人しくなった。
「ああもう……。はやく人間を殺したかったのに」
最後に、恨みがましく言ってハルナは出て行った。その時のハルナの美しい微笑を見て、従卒たちは震え上がった。
カグツチはハルナの言動を完全に無視した。
「こちらも急がねばならん。クロトーは?」
かたわらの従卒に問う。
「は。問題ございません。ご指示があり次第、いつでも出せます」
「ふん」
カグツチは冷たく笑った。
「禁断の血を、我らがレタルヒュレウ様のために」
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◆状況の整理
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南ゲートの半地下にある宇宙船ドックに、秕と菜乃は来ていた。上官であるヨシュウに呼び出されたのだ。
先の特訓で極限まで疲労していた秕だが、その後3日ほど休暇をもらっていた。今は完全回復しており調子も良かった。また、厳しい特訓をやり遂げたことが自信となって、精神的にも充実しているようだった。
ちなみに、アリスはまだ訓練中だったので、ここには来ていない。
このドックには、現在数十隻の艦艇が停泊していた。
「ほあー。すっごーい。おっきいーー!!」
大きく口をあけて菜乃が見上げる先には、枢機軍火星機動艦隊旗艦「ルゥケイロル」が横たわっていた。全長約480m、排水量約12.1万tの巨体は圧巻そのものだ。乗員はこの大きさにしては少なめの約280人となっていた。
この船は、枢機軍の主力、ルクナバート級の宇宙イージス艦で、まるで剣のような鋭角的なデザインをしている。銃器を思わせる米軍のサウサリート級戦艦と比べて多少小さいが、索敵能力、対艦戦闘能力、主力火器の攻撃力、ともに遅れは取らない。
「これが私の船『ルゥケイロル』です。有事の際には、秕君にも乗ってもらうことになります」
「はい」
火星機動艦隊司令、ソン・ヨシュウ少将が2人を案内していた。まるで社会見学の引率の先生のようだ。
「あ、菜乃さんももちろん乗っていただいて結構ですよ」
「ホントですか!!?」
子供らしく菜乃が無邪気に喜ぶ。
「現在、大規模近代化改修工事の最中ですので、完成したら、ですが」
「『対霊子兵装』を搭載するんですね」
抜け目なく、菜乃が言う。
「ええ。さすが菜乃さん。察しがいい。このドックでは、火星艦隊に所属する全艦艇の改修工事がフル稼働で行われています。大まかな工事はとりあえず終わったようですが、実戦で使用するにはもう少し調整が必要なようですね」
「枢機軍もただボーッとしてただけじゃなかったんだ。でも、間に合うの?」
「敵がいつ来るか分からないのでなんともいえませんが、厳しい状況であることに変わりはないでしょう。今のところ、対霊子兵装の装備が完全に終了しているのは、現在月軌道を哨戒中の金星艦隊だけですし」
「もうそんなにたくさん?」
枢機軍艦隊の基本編成は300隻で一個艦隊となっている。宇宙に進出し始めてまだ間もない人類にとって、この数は多いのか少ないのか、意見の別れるところだった。
「一年近くかけて、やっと火金の二個艦隊ですからね。たくさんとはいえません。ほかの場所でも改修工事は進んでるのですが、まだ時間がかかりそうです。近々始まるであろう敵の大攻勢までに果たして間に合うかどうか……。それに――」
普段からユルユルのヨシュウの顔が幾分引き締まった。
「――それに、今のところ対霊子兵装に過大な期待はキンモツです。敵の兵器に比べたら、銃と弓矢のような差があるのです」
「そんな」
「でも、何もないよりはマシですけどね」
都合よく、新兵器の登場によって戦局が一気に好転するなどと期待しないほうがよい。だが、それでもクシヒルは厳しい現実の中で精一杯マガツカミに対する準備をしてきたのだ。
「そんなので大丈夫なの? 地球を守りきれるの?」
少し不安になって、菜乃が聞く。
「もちろん」
再び能天気な笑顔がヨシュウの顔に浮かんだ。
「我々にはスサノオがありますからね」
「結局それか。お兄ちゃん、大丈夫?」
「……うーん、どうだろ」
この二週間、秕は今までになくみっちりと修行をこなしてきた。オガミヤとしての修行も、PMパイロットとしての特訓も。
もっとも、本気の杉藤とPM模擬戦をしても、一本も取れないという状況に変わりはないが、少なくとも「やれるだけのことはやった」という充実感が彼にはあった。
「とにかく、全力でやるしかないよ」
2人はルゥケイロル艦内に案内された。内部では、迫っているであろう出撃に備えて、兵達が忙しく働いていた。ヨシュウに連れられて、ブリッジや格納庫等を見て回る。
道中、現在の地球の情勢について、軽く説明を受けた。
「現在、木星、土星、海王星、天王星のコロニーは完全に廃墟になっています。各惑星系の被害状況から推察された情報によると、現在、太陽系には2つ以上5つ以下の敵集団が侵入しているらしいですね」
「でも、敵の行動もよく分からないよね。本気になれば、地球なんかあっという間にやられちゃいそうなのに。なにをもたもたしてるんだろう」
「スサノオのようなのが他にいないか警戒しているんじゃないかな?」
妹の物騒な指摘に兄が憶測で答えた。それをヨシュウが訂正する。
「そうかもしれませんが、オーソドックスに太陽系の外側から順番に攻略してるだけとも思えます。ジワジワと外堀を埋めていって、最後に地球を……!!」
「ありうるね」
ヨシュウは少し考え込んだ。そうだとしても、うまく説明できない点もある。
「(それにしても、現在地球に接近しつつある敵集団と地上に現れた単独の敵。なにか統一性が無いような……。陽動? あるいは、何か別の目的を持っているのでしょうか……?)」
彼は全知全能ではないので、敵の思惑を知ることは出来なかった。
案内と説明は終わり、今日のところは解散、秕は宿舎で待機となった。ルゥケイロルの搭乗口で、ヨシュウが2人を見送った。
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◆遭難者
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ヨシュウと別れた秕と菜乃が宿舎に向かって歩いていると、偶然クラスメイトの折神連河に出くわした。中学生とは思えない侮りがたい眼光をたたえた少年だ。秕とはそれほど仲がよいというわけではなかったが、困っている時に助けてもらったこともあり、悪い印象はない。
「やあ、秕」
「あ、折神くん。遠足チームはもう帰ったんじゃ?」
「ああ。私だけちょっと用があってな。そんな事より、宿舎に帰るのならあっちが近道だ」
折神は南の方角を指さした。
「そうなんだ。ありがと」
「では」
それだけ言うと、折神は行ってしまった。
折神の示した方向へ向かって秕達は歩いた。方角的に確かに近道らしかったが、この辺りは宇宙船ドックの資材置き場になっていて、ゴチャゴチャしており道に迷いそうだ。コンテナが大量に積み上げられて迷路のようになっている。
迷路をぐるぐる歩いていると、ドックの隅のほうに、ダンボールで作られた小さな空間があった。それは明らかに、人が寝泊りするために作られたものだった。
「(……なんだこれ? 月にもホームレスの人たちがいるのかな?)」
ダンボールハウスとはいえ、結構綺麗に片付けられている。ちらりと中が見えたが、鍋や食器なども揃っているようだ。入口の脇には花が生けてある。
秕が近くを通り過ぎようとした瞬間だった。そのダンボールハウスの主が飛び出してきた。
「しーな君!!!!」
「!!!?」
半泣きで何事か叫びながら、何者かが秕にすがりついてきた。その鬼気迫る様子に最初面食らったが、その声には聞き覚えがあった。よく顔を確かめてみると、それは薄汚れてはいるが、幼なじみでクラスメイトの倫子だった。
「り、りんこちゃん? なにやってるのさ? まるで二週間、この月をさまよったようなカッコして……」
「う、うう。うわーーん。よかったー。やっと知ってる人にあえたー。はううううう」
「……ま、まさか、ホントに二週間さまよって……?」
「……うん」
秕は絶句した。一体彼女に何があったというのか。
いや、聞かなくても秕には分かった。シャトルに乗り遅れて、その後、クロウを頼ろうとして探しているうちに迷子にでもなったのだろう、と。
「と、とにかく、お風呂に入って、服を着替えて……。それから地球に帰れるように、僕がヨシュウさんにたのんでみるから」
菜乃が冷静に首を振った。
「――あ、いや、ヨシュウさんは危険だな。誰か他の人に頼もう」
「ぐすっ、ひっく。あ、ありがとう……」
泣きながらお礼を言って、倫子はその場にへたり込んでしまった。安心して気がぬけたせいだろうか。
「りんこちゃん!?」
さしのべられた秕の腕にすがり付き、彼女はかすれた声で何かうったえていた。秕が耳を近づけてみる。
「お、おなかへった……」
「…………」
宿舎へ向かうよりはルゥケイロルの方が近い。秕は倫子をルゥケイロルに連れて行き、ヨシュウに見つからないように彼の副官を頼る。副官は倫子を医務室に案内してくれた。
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◆開戦
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国連軍統括本部の中央司令室で、オペレータの事務的な報告の声が告げた。
「敵集団捕捉。方位041、346。距離2.7光秒。艦船形態の『ウキフネ』が49」
現在の索敵は、光学機器による観測や、目視による人海戦術に頼っている。望遠鏡を覗いたり、PMや偵察機をあらゆる方位に飛ばし、敵がいないかどうか偵察させるのだ。敵がレーダーに映らないのだからこれしか方法がない。
対霊子兵装とともに霊を探知する霊子レーダーも開発されてはいたが、有効探知範囲が極端に狭く、現状では使い物にならなかった。
「49体か。主力ではなさそうだな」
モーガン=ベルアルビ宇宙艦隊司令長官がつぶやいた。参謀長がそれに応じる。
「ええ。おそらく、土星や海王星を落とした連中……先遣隊の一部でしょうな」
「うむ。一部とはいっても、1体で米一個艦隊を葬った敵が49体だ。相当の脅威であることに間違いはない」
「現在、対霊子兵装の装備が完了しているのは金星艦隊のみです」
「金星艦隊を迎撃にまわせ。火星艦隊は……ヨシュウはどうなっている?」
「どーも」
火星機動艦隊司令ソン=ヨシュウ少将の緊張感のない声が通信スクリーンから流れ出た。
「状況は?」
「我が艦隊の全艦艇改修工事完了まで、あと三日はかかりそうです。ですが、無理をすればとりあえず2/3は出撃可能です」
「よし。直ちに金星艦隊の援護に向かってくれ」
「了解」
ヨシュウが傍らの副官を振り返る。
「出撃準備。リーゼロッテ中尉、秕君を呼び出してくれ」
「は」
ベルアルビは出撃可能な艦のみによる出撃を命じ、ヨシュウは了承した。枢機軍の通常の艦隊編成は、300隻をもって一個艦隊となす。火星艦隊は約200隻で出撃することになったのだ。
「大丈夫なのですか? そんな中途半端な状態で火星艦隊を出させて、むざむざ殺されにいくようなものでは……」
「……ヨシュウなら、なんとかするさ」
長官は落ち着いた表情を作って、言った。
【続く】
◆元に戻る方法
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地下遺跡のプラント前に、魂だけの存在となった菜乃が漂っていた。肉体から切り離された不安も無くはなかったが、新鮮な体験に頬が緩むのを抑えきれていなかった。
その菜乃の目の前に、突如、大きな扉が浮かび上がった。半透明で薄く発光しており、明らかに実体ではない。おそらく、彼女が霊体になったことで見えるようになったものだろう。それがなにを意味するか、彼女は本能的に理解した。これはおそらく――
「あの世へのトビラ……」
菜乃は迷わず扉をくぐった。好奇心が恐怖を凌駕したのだ。それに、この中に元に戻るためのヒントが隠されているように思えた。
トビラの中は、一面に白い花が咲き乱れる、果ての見えない広い空間だった。中央には広い川が流れていて、そこから先へは進めそうもない。
「……ありがちね」
昔からまことしやかにささやかれる三途の川のイメージそのままだった。
川のほとりに、一軒の小屋があった。峠の茶屋のような外見とは裏腹に、中身は遺跡の装置類と似たようなデザインだった。
無人だが何かのコンソールパネルとキーボードが置いてあった。インターフェースは普通のパソコンと酷似している。
「…………」
三途の川といい、パソコンといい、ここの製作者である「何者か」が、わざわざ現代の地球に合わせてこれを作ったとは考えにくい。おそらく、この空間そのものが菜乃の知識を元に再構築されているのだろう。「ありがち」なのは、菜乃の頭の中にありがちなイメージしかなかったからだ。欧米人がここに来れば、天使が出迎えてくれたかもしれない。
キーボードを触ってみる。何の反応もない。何らかのセキュリティ機能が働いているらしい。菜乃の顔に不敵な笑顔が浮かび上がる。彼女の目の輝きはもはや尋常ではない。うっすらと光を放っているようにさえ見えた。
「なめられたもんね。どんな高度なシステムでも、基本の設計思想はあまり変わらないものよ。つまり、それを回避する方法はいくらでもあるの!!」
――といってもそんな方法は菜乃にしか分からないだろうが。たちまち防壁をクリアすると、菜乃はシステムに侵入してしまった。
「……これは?」
この端末の本来の役目は、単なる入出者管理用のものらしかったが、それとは別に、広域ネットワークに接続する機能が備わっていた。
「広域ネットワーク、『イグドラシル』……?」
ものはためし、とばかりにネット接続のアイコンをクリックする。菜乃の後ろの壁に突然ドアが出現した。この空間が、どこか別の空間に接続されたらしい。地球のインターネットとは根本的に異なるもののようだ。
「……そうか、今いるこの場所もすでにイグドラシルネットワークの一部なのね」
彼女はそのドアをくぐった。これも菜乃に合わせて構築された空間らしく、どこまでも続く青い空に、白い雲、お花畑にはところどころ奇妙なオブジェクトが設置してある。
そこは未知の知識の宝庫だった。それぞれのオブジェクトから、全宇宙の全事象の出来事にアクセスできるようになっていたのだ。
「しんじらんない……」
目を見開く。菜乃の全身に鳥肌が立つ。抑えきれない興奮。ここには宇宙の全てがある。あらゆる科学の探求者にとって、ここはまさに夢の楽園のようなものだった。
菜乃は次々とオブジェクトを調べていった。
【ヨモツヒラサカ】
【ヒラニプラ】
【アクロポリス】
【ファーブラとムンドゥス】
【最も古き文明】
1つのオブジェクトに触れると、データが展開され、閲覧可能となった。
【最も古き文明。宇宙が生まれて一番最初に生まれた文明。約108億年前に誕生~現在に至る……】
食い入るように、続きを読み漁る。
「……なんなの、この記録。死を超越した文明? 霊界の構築? エンシェント=ニール!? ……霊界を作り出した文明があったってこと……!!?」
突如、猛烈な頭痛が菜乃を襲った。
「……あう!! 頭いたい。なんて重いデータなの。これ以上は……読めない」
ぐったりと、その場に座り込む。その時、菜乃の後ろから声がかけられた。
「何者だ?」
振り向くと、イカツイ警備員のような人物が立っている。
「あ、えっと、あの……」
笑ってごまかす。
「不正アクセスだな。ずいぶん久しぶりだが、見過ごすわけにはいかんな」
警備員は菜乃の襟首をつまみ上げると出口に向かって歩き出した。菜乃がじたばたともがく。
「きゃー、イヤーっ! はなしてー!!」
無言で警備員は菜乃を出口の外へ放り投げた。
「いやーーっ!!」
菜乃の叫び声が、遺跡の部屋に響き渡った。
「あ」
彼女は元の身体に戻っていた。カプセルのふたも開いている。
「……た、助かった……?」
―――――――――――――――――――
◆真の力
―――――――――――――――――――
夕食の時間をすぎて、秕はへとへとになって宿舎に戻ってきた。ようやく全ての訓練が終わったのだ。
やり遂げた充実感よりも成長した実感よりも、今はただ、ベッドで普通に休めるということが嬉しかった。
となりのアリスの部屋は電気が消えているし、菜乃もどこへ行ったのか部屋にいなかった。夕食をすませ、風呂にはいってベッドに横になる。疲れているはずなのに、一向に眠くならなかった。疲れすぎたためだろうか。
秕はふと、特訓の前にヨシュウに渡されたメモリーカードのことを思い出した。訓練中はこのことをすっかり忘れていた。
「(ねむれないし、読んでみようか)」
メモリーカードを携帯端末に差し込むと、中には文書ファイルが二つ入っていた。ベッドに横になったまま、目を通す。
「『イザナギとイザナミ』『アマテラス親征』……?」
タイトルを口の中でつぶやく。
「(なにこれ、古事記?)」
文書を開いてみると、中身は日本神話が記された古文書だった。最初の項目に現代語訳、次にわけのわからないデータ、最後にヨシュウによると思われる注釈があった。ぱらぱらとページを進めてみる。
「(……!? あれ、何かヘンだな?)」
二つ目のファイルに差し掛かったところで手が止まる。秕は実家の職業柄、家においてあった古事記の写しを少しだけ読んだことがある。だからこそ、このデータの内容に微かな違和感を感じたのだ。
『アマテラス率いる神軍は、七十万のマガツカミを相手に戦端を開いた』
「(なんだこれ!? こんな話、古事記には無いはず……)」
そこには、現存する古事記の写本には記されているはずの無い、神話時代のエピソードが大量に記されていた。すなわち、アマテラス率いる天津神と闇帝が支配する禍津神との戦いの様子である。
「(ありえないよ。こんなこと)」
こんなことがあるとすれば、それは古代歴史オタクの妄想が生み出したトンデモ本ぐらいだ。
「(でも、そういえば……。じいちゃんが言ってたな。たしか『秀真伝』っていう古文書にもこんな話が書いてあるって)」
秀真伝は偽書だという説があるが、それを言うなら古事記にも偽書説はある。そもそも神話に真実を求めるのもどうかと思うが。
秕はここで思い出した。地下遺跡で発見されたストレージの解析を、菜乃が軍に頼んでいた事を。このファイルは、その解析結果なのだ。
「なぜ、こんな物が、あの遺跡に……!!?」
秕は混乱した。古文書よりも正確に記された物語。そんなものが存在するはずはない。しかも、訳の分からない遺跡の中などに……。あるとすればイタズラに違いない。
だが。
ヨシュウが書いたと思われる巻末の注釈を見てみる。
「信じられないことに、この文書の成立年代は十万年を軽くさかのぼる。調査チームの報告によると、この文書が収められていたストレージは、地球のものでは無い。データの読み出しはかろうじて出来たが、材質も、内部構造も、全く不明との事だった」
イタズラにしては手が混んでいる。菜乃の話だと、あの遺跡は本物である可能性が高い。であれば、このファイルの内容もイタズラだとは考えにくい。
「…………」
秕はベッドの上で体を起こし、携帯端末の画面を食い入るように見つめた。
このファイルの文書がもしも本物であるのなら、歴史が覆る事となる。
「混乱を避けるために、以後この文書を『フルコトブミ』と呼ぶことにする。フルコトブミとは、『古事記』を古代の日本風に訓読みした呼び方のことで、その当時の呼び方に、より即した形である。また、この文書は全体のごく一部の断片であり、このほかにも同様の文書が存在するものと思われる。」
「(ってまあ、フルコトブミがホンモノだとして……の話だけど。でも、一体どうしてこれを僕に?)」
疑問に思った秕はふとあるページに目を留めた。
「(……スサノオの戦い?)」
そこには、過去の戦いでスサノオの上げたおびただしい戦果が記されていた。現代語訳がオーバーな表現をしているのかどうなのか、当時のスサノオの力は、今のスサノオの比ではないようだ。特に敵の被害状況は尋常ではなかった。
「(そうか、これが、スサノオの真の力)」
メモリーカードを受け取ったとき、ヨシュウが言っていたセリフを思い出す。
――スサノオの真の力を引き出せるかどうかにかかっていますからね――
「(こんな力があれば、クロウに勝つために役に立つかもしれない)」
興味を引かれた秕は、食い入るようにデータを読み下す。だが数分後、彼の顔には落胆の色が表れた。
「(肝心なことは何も書いてないじゃないか)」
書いてあったのは詳細な戦闘記録以上のものではなかた。スサノオの力について何一つ具体的に触れられてはいなかったのだ。フルコトブミは歴史書であって、戦闘術指南書ではない。無理からぬことであったが。
「(まあいいか。真の力ってのが、確かに存在するらしい。それがわかったんだから)」
秕は携帯端末を閉じ、やがて眠りに落ちた。
**********
その安らかな時間も、訓練による疲労も、日々の苦悩さえも、普通に享受できることが、秕は当たり前だと思っていた。これらが失われる可能性があることなど、一瞬たりと考えもしなかった。
その日、地球の外縁を攻撃していた敵の先遣隊が、ついに、その矛先を地球へと向けた。
―――――――――――――――――――
◆禁じられた血
―――――――――――――――――――
艦船形態のマガツカミを総じてウキフネという。そのウキフネが十数体。闇の中で身を潜めていた。ウキフネ「イワクス」を旗艦とする、レタルヒュレウ配下の別動部隊である。
彼らは自らの目的を果たすため、息を殺し、じっと機会をうかがっていた。
「そろそろ、先遣隊が目的地に到着するはずだ」
長身の若い男が言った。ただし、地球の若さの概念がそのまま彼に適用されるとは限らなかった。彼の体は薄く発光し、向こう側が透けて見えているのだ。
彼の名はカグツチという。マガツ神族、魔民六族の筆頭で、レタルヒュレウの命によりこの部隊の一切を取り仕切っている。
「ねえ、カグツチ。私もそろそろ遊びたいのですが」
花のように美しい、少女の形をしたマガツカミが言った。カグツチと同じ六族の1人、ハルナだ。彼女はカグツチとは違い、いくらか人間に近いように思われる。それは、多少なりとも感情を残しているからだ。それゆえ、この2人のマガツカミの間では意見が食い違うことが多かった。
「ダメだ」
ハルナの要求をカグツチが一蹴する。
「では、あのクロウという人間をわたくしに下さらない?」
「あれにはまだやってもらわねばならない事がある」
「そんな事いわずに。ちょっとだけ」
「同じことを二度言わせるな」
カグツチの威圧にハルナは一瞬たじろいだ。だが、それでも引き下がらず、駄々をこね始める。
「んーヤダヤダヤダ!! もう退屈で死にそう!! あの人間と遊ばせてくださいー!!」
「……つまみだせ」
カグツチは、無表情に従卒に命令した。しばらく、従卒とハルナがもめる声が聞こえていたが、やがて諦めたのか大人しくなった。
「ああもう……。はやく人間を殺したかったのに」
最後に、恨みがましく言ってハルナは出て行った。その時のハルナの美しい微笑を見て、従卒たちは震え上がった。
カグツチはハルナの言動を完全に無視した。
「こちらも急がねばならん。クロトーは?」
かたわらの従卒に問う。
「は。問題ございません。ご指示があり次第、いつでも出せます」
「ふん」
カグツチは冷たく笑った。
「禁断の血を、我らがレタルヒュレウ様のために」
―――――――――――――――――――
◆状況の整理
―――――――――――――――――――
南ゲートの半地下にある宇宙船ドックに、秕と菜乃は来ていた。上官であるヨシュウに呼び出されたのだ。
先の特訓で極限まで疲労していた秕だが、その後3日ほど休暇をもらっていた。今は完全回復しており調子も良かった。また、厳しい特訓をやり遂げたことが自信となって、精神的にも充実しているようだった。
ちなみに、アリスはまだ訓練中だったので、ここには来ていない。
このドックには、現在数十隻の艦艇が停泊していた。
「ほあー。すっごーい。おっきいーー!!」
大きく口をあけて菜乃が見上げる先には、枢機軍火星機動艦隊旗艦「ルゥケイロル」が横たわっていた。全長約480m、排水量約12.1万tの巨体は圧巻そのものだ。乗員はこの大きさにしては少なめの約280人となっていた。
この船は、枢機軍の主力、ルクナバート級の宇宙イージス艦で、まるで剣のような鋭角的なデザインをしている。銃器を思わせる米軍のサウサリート級戦艦と比べて多少小さいが、索敵能力、対艦戦闘能力、主力火器の攻撃力、ともに遅れは取らない。
「これが私の船『ルゥケイロル』です。有事の際には、秕君にも乗ってもらうことになります」
「はい」
火星機動艦隊司令、ソン・ヨシュウ少将が2人を案内していた。まるで社会見学の引率の先生のようだ。
「あ、菜乃さんももちろん乗っていただいて結構ですよ」
「ホントですか!!?」
子供らしく菜乃が無邪気に喜ぶ。
「現在、大規模近代化改修工事の最中ですので、完成したら、ですが」
「『対霊子兵装』を搭載するんですね」
抜け目なく、菜乃が言う。
「ええ。さすが菜乃さん。察しがいい。このドックでは、火星艦隊に所属する全艦艇の改修工事がフル稼働で行われています。大まかな工事はとりあえず終わったようですが、実戦で使用するにはもう少し調整が必要なようですね」
「枢機軍もただボーッとしてただけじゃなかったんだ。でも、間に合うの?」
「敵がいつ来るか分からないのでなんともいえませんが、厳しい状況であることに変わりはないでしょう。今のところ、対霊子兵装の装備が完全に終了しているのは、現在月軌道を哨戒中の金星艦隊だけですし」
「もうそんなにたくさん?」
枢機軍艦隊の基本編成は300隻で一個艦隊となっている。宇宙に進出し始めてまだ間もない人類にとって、この数は多いのか少ないのか、意見の別れるところだった。
「一年近くかけて、やっと火金の二個艦隊ですからね。たくさんとはいえません。ほかの場所でも改修工事は進んでるのですが、まだ時間がかかりそうです。近々始まるであろう敵の大攻勢までに果たして間に合うかどうか……。それに――」
普段からユルユルのヨシュウの顔が幾分引き締まった。
「――それに、今のところ対霊子兵装に過大な期待はキンモツです。敵の兵器に比べたら、銃と弓矢のような差があるのです」
「そんな」
「でも、何もないよりはマシですけどね」
都合よく、新兵器の登場によって戦局が一気に好転するなどと期待しないほうがよい。だが、それでもクシヒルは厳しい現実の中で精一杯マガツカミに対する準備をしてきたのだ。
「そんなので大丈夫なの? 地球を守りきれるの?」
少し不安になって、菜乃が聞く。
「もちろん」
再び能天気な笑顔がヨシュウの顔に浮かんだ。
「我々にはスサノオがありますからね」
「結局それか。お兄ちゃん、大丈夫?」
「……うーん、どうだろ」
この二週間、秕は今までになくみっちりと修行をこなしてきた。オガミヤとしての修行も、PMパイロットとしての特訓も。
もっとも、本気の杉藤とPM模擬戦をしても、一本も取れないという状況に変わりはないが、少なくとも「やれるだけのことはやった」という充実感が彼にはあった。
「とにかく、全力でやるしかないよ」
2人はルゥケイロル艦内に案内された。内部では、迫っているであろう出撃に備えて、兵達が忙しく働いていた。ヨシュウに連れられて、ブリッジや格納庫等を見て回る。
道中、現在の地球の情勢について、軽く説明を受けた。
「現在、木星、土星、海王星、天王星のコロニーは完全に廃墟になっています。各惑星系の被害状況から推察された情報によると、現在、太陽系には2つ以上5つ以下の敵集団が侵入しているらしいですね」
「でも、敵の行動もよく分からないよね。本気になれば、地球なんかあっという間にやられちゃいそうなのに。なにをもたもたしてるんだろう」
「スサノオのようなのが他にいないか警戒しているんじゃないかな?」
妹の物騒な指摘に兄が憶測で答えた。それをヨシュウが訂正する。
「そうかもしれませんが、オーソドックスに太陽系の外側から順番に攻略してるだけとも思えます。ジワジワと外堀を埋めていって、最後に地球を……!!」
「ありうるね」
ヨシュウは少し考え込んだ。そうだとしても、うまく説明できない点もある。
「(それにしても、現在地球に接近しつつある敵集団と地上に現れた単独の敵。なにか統一性が無いような……。陽動? あるいは、何か別の目的を持っているのでしょうか……?)」
彼は全知全能ではないので、敵の思惑を知ることは出来なかった。
案内と説明は終わり、今日のところは解散、秕は宿舎で待機となった。ルゥケイロルの搭乗口で、ヨシュウが2人を見送った。
―――――――――――――――――――
◆遭難者
―――――――――――――――――――
ヨシュウと別れた秕と菜乃が宿舎に向かって歩いていると、偶然クラスメイトの折神連河に出くわした。中学生とは思えない侮りがたい眼光をたたえた少年だ。秕とはそれほど仲がよいというわけではなかったが、困っている時に助けてもらったこともあり、悪い印象はない。
「やあ、秕」
「あ、折神くん。遠足チームはもう帰ったんじゃ?」
「ああ。私だけちょっと用があってな。そんな事より、宿舎に帰るのならあっちが近道だ」
折神は南の方角を指さした。
「そうなんだ。ありがと」
「では」
それだけ言うと、折神は行ってしまった。
折神の示した方向へ向かって秕達は歩いた。方角的に確かに近道らしかったが、この辺りは宇宙船ドックの資材置き場になっていて、ゴチャゴチャしており道に迷いそうだ。コンテナが大量に積み上げられて迷路のようになっている。
迷路をぐるぐる歩いていると、ドックの隅のほうに、ダンボールで作られた小さな空間があった。それは明らかに、人が寝泊りするために作られたものだった。
「(……なんだこれ? 月にもホームレスの人たちがいるのかな?)」
ダンボールハウスとはいえ、結構綺麗に片付けられている。ちらりと中が見えたが、鍋や食器なども揃っているようだ。入口の脇には花が生けてある。
秕が近くを通り過ぎようとした瞬間だった。そのダンボールハウスの主が飛び出してきた。
「しーな君!!!!」
「!!!?」
半泣きで何事か叫びながら、何者かが秕にすがりついてきた。その鬼気迫る様子に最初面食らったが、その声には聞き覚えがあった。よく顔を確かめてみると、それは薄汚れてはいるが、幼なじみでクラスメイトの倫子だった。
「り、りんこちゃん? なにやってるのさ? まるで二週間、この月をさまよったようなカッコして……」
「う、うう。うわーーん。よかったー。やっと知ってる人にあえたー。はううううう」
「……ま、まさか、ホントに二週間さまよって……?」
「……うん」
秕は絶句した。一体彼女に何があったというのか。
いや、聞かなくても秕には分かった。シャトルに乗り遅れて、その後、クロウを頼ろうとして探しているうちに迷子にでもなったのだろう、と。
「と、とにかく、お風呂に入って、服を着替えて……。それから地球に帰れるように、僕がヨシュウさんにたのんでみるから」
菜乃が冷静に首を振った。
「――あ、いや、ヨシュウさんは危険だな。誰か他の人に頼もう」
「ぐすっ、ひっく。あ、ありがとう……」
泣きながらお礼を言って、倫子はその場にへたり込んでしまった。安心して気がぬけたせいだろうか。
「りんこちゃん!?」
さしのべられた秕の腕にすがり付き、彼女はかすれた声で何かうったえていた。秕が耳を近づけてみる。
「お、おなかへった……」
「…………」
宿舎へ向かうよりはルゥケイロルの方が近い。秕は倫子をルゥケイロルに連れて行き、ヨシュウに見つからないように彼の副官を頼る。副官は倫子を医務室に案内してくれた。
―――――――――――――――――――
◆開戦
―――――――――――――――――――
国連軍統括本部の中央司令室で、オペレータの事務的な報告の声が告げた。
「敵集団捕捉。方位041、346。距離2.7光秒。艦船形態の『ウキフネ』が49」
現在の索敵は、光学機器による観測や、目視による人海戦術に頼っている。望遠鏡を覗いたり、PMや偵察機をあらゆる方位に飛ばし、敵がいないかどうか偵察させるのだ。敵がレーダーに映らないのだからこれしか方法がない。
対霊子兵装とともに霊を探知する霊子レーダーも開発されてはいたが、有効探知範囲が極端に狭く、現状では使い物にならなかった。
「49体か。主力ではなさそうだな」
モーガン=ベルアルビ宇宙艦隊司令長官がつぶやいた。参謀長がそれに応じる。
「ええ。おそらく、土星や海王星を落とした連中……先遣隊の一部でしょうな」
「うむ。一部とはいっても、1体で米一個艦隊を葬った敵が49体だ。相当の脅威であることに間違いはない」
「現在、対霊子兵装の装備が完了しているのは金星艦隊のみです」
「金星艦隊を迎撃にまわせ。火星艦隊は……ヨシュウはどうなっている?」
「どーも」
火星機動艦隊司令ソン=ヨシュウ少将の緊張感のない声が通信スクリーンから流れ出た。
「状況は?」
「我が艦隊の全艦艇改修工事完了まで、あと三日はかかりそうです。ですが、無理をすればとりあえず2/3は出撃可能です」
「よし。直ちに金星艦隊の援護に向かってくれ」
「了解」
ヨシュウが傍らの副官を振り返る。
「出撃準備。リーゼロッテ中尉、秕君を呼び出してくれ」
「は」
ベルアルビは出撃可能な艦のみによる出撃を命じ、ヨシュウは了承した。枢機軍の通常の艦隊編成は、300隻をもって一個艦隊となす。火星艦隊は約200隻で出撃することになったのだ。
「大丈夫なのですか? そんな中途半端な状態で火星艦隊を出させて、むざむざ殺されにいくようなものでは……」
「……ヨシュウなら、なんとかするさ」
長官は落ち着いた表情を作って、言った。
【続く】
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