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Ep03 赤黒の月2
Ep03_02 特訓
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◆アリスの訓練
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教官である杉藤大佐の命令で、日宮アリスは月の上空に浮かぶ枢機軍の特殊訓練施設へ来ていた。秕だけでなく、彼女が月に来たのも訓練のためなのだ。
杉藤は秕の特訓中のためここには来ていなかったが、代わりに、杉藤配下の第四艦上機兵部隊、通称四機隊の兵が数人集まっていた。第11小隊のメンバーである。
通信モニタに杉藤の顔が映る。
「というわけで、俺は秕の面倒を見なくちゃならない。ヒノミヤ少尉候補生には、こいつらと一緒にここで訓練をしてもらう」
アリスが目の前の巨大な施設を見上げる。
それは、旧式の小さなコロニーを改造した訓練施設だった。難易度は中級者向けに設定されている。
「大佐。いくらなんでもこの女の子には無理なんじゃ」
第11小隊の一人が、心配そうな声を上げた。小隊長を務めるゲルゼンキルヒェン少佐である。彼らは杉藤の代わりにアリスの訓練に付き合うことになっている。
「そんなに大変な訓練なのか?」
「ああ。(……って、タメグチ?) 俺達だって、逃げ出したくなるような……」
この訓練は、複数のステージからなる特設コロニーを舞台とした実戦形式のもので、PMを使って様々な課題をクリアしていくというものだ。
課題には、実戦の様々な場面を想定したシチュエーションが用意されていた。無重力でのPM近接戦闘、施設の制圧、要塞攻略戦等である。
コロニー内部には敵役の兵士がPMで待機しており、侵入者を排除すべく待ち構えている。武器は全て模擬戦用のダミーとなっていた。
「要は、宇宙でのサバゲーみたいなものだな」
「全て攻略するには、4時間ぐらいかかるぞ」
第11小隊の兵たちが色々とアリスにアドバイスをする。軍隊生活が長いと、潤いに飢えているものだ。もっとも、潤いという意味ではアリスはまだ幼すぎて、彼らも「そういう目」で見ることはなかったが、子犬や子猫を見るような、娘を見るような目で見守っていた。
「実際、この訓練のせいで辞めてったヤツが何人もいるからな」
心配そうにゲルゼンキルヒェン少佐が言う。
「フン。あの程度で辞めるようなやつは、オレの隊にはいらん。どうする、ヒノミヤ少尉候補生?」
「分かりきったことを聞くな」
そう言うとアリスは、施設の入り口に向かって歩き出した。学園では天才だのエリートだのとちやほやされていたが、そんなものが敵であるマガツカミの前では何の意味も無い事を、アリス自身、よく理解していた。
彼女の目の前にはD式PM-T33、深紅の訓練用1番機が佇んでいた。脚部等には宇宙用の推進装置が増設してあった。
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◆遠足の終わり
―――――――――――――――――――
ネクロポリス宇宙港。搭乗ゲート前。
「それじゃ、遠足チームは地球に帰りまーす」
担任の鮎川が疲れ気味の顔で指示を出す。
浦上学園中等部の遠足日程は全て終了した。生徒達はお土産の紙袋を両手に抱え、名残惜しそうにシャトルに乗り込んだ。
「アリスたちはしばらくここに残るみたいだね」
「中学生を借り出すってコトは、事態は相当切迫してるんだな」
尾藤と村山が、月に残るクラスメイトの身を案じて言葉をかわす。一般の生徒には、クロウの事は知らされていなかった。彼らは今も、クロウが訓練を受けていると思っている。
「アリスとクロウは分かるけど、まさか秕もなんて。ちょっと前じゃ想像もつかなかったろうな」
「だな」
生徒たちの集団から、少しだけ離れて不動が座り込んでいた。隣には浮かない表情の古尾が立っている。その2人に、鮎川が話しかけた。
「2人とも、シャキッとしなさい」
不動の背中をハデに叩く。
「……クロウ君の事は、秕くんと軍の人に任せましょう。私達は地球で帰りを待つしかないのよ」
「……わかってるよ」
生徒たち全員がシャトルに乗り込み、後は出発を待つだけとなった。学年主任の教師が、大声を張り上げる。
「全員いるかー? 友達がちゃんと乗ってるか、確認しろー」
「うぃース」
結果、乗り遅れはいないと判断された。だが、教師は忘れていた。こういうとき友達が一人もいない者はしばしば確認されないということを。
―――――――――――――――――――
◆りんこの災難
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ネクロポリス宇宙港。待合室の中を一人の少女がさまよっていた。なぜかは分からないが、彼女はあまり一般的では無い服装をしていた。周りの者が不審げに、チラチラと視線を送っている。
「おかしいなー。くろう君どこいったんだろ」
倫子はあれからずっとクロウを探し続けていた。学校で。町で。そしてここネクロポリスでも。
「地球に帰る前に『あれ』を渡しておかないと、しばらく会えないかも知れないのに……」
先日学校で会った時、クロウの様子がおかしかったのは分かっているが、地下遺跡の出来事や、今クロウが行方不明であることを倫子は知らない。だから自分が地球へ帰る前にどうしても渡しておきたいと考えていたのだ。
「早くしないと帰りのシャトルに乗り遅れちゃう」
ふと倫子が窓の外を見ると、そこは宇宙港の駐機場になっていた。たくさんのシャトルや宇宙船がせわしなく発着している。
「わー。あのシャトル、私たちが乗ってきたのとそっくりー」
一機の観光シャトルがまさに離陸したところだった。町中で、自分の家の車と同種同色の車を発見するとちょとうれしくなる。そんな気分でシャトルを見送った倫子が、重大な事実に気づいたのは、四歩ほど歩いてからだった。そのシャトルはそっくりなのではなくて、倫子が乗るべきシャトルそのものだったのだ。
「いいかー、ウチに帰るまでが遠足だぞー。全員がキチンとそろって無事に帰ってこそ、意味があるんだ」
シャトル内での教師のありがたい訓示は、残念ながら倫子には届かなかった。教師が倫子の不在に気づくのは地上についた後、バスの中でのことだった。すなわち、倫子はまたしてもオイテケボリを食らったのだ。
「うう……。来るときだけじゃなく、帰りまでも。私って一体……」
彼女は宇宙港のすみっこで、泣きながら小さくなって寂しさに耐えていた。
「でも……」
意を決して立ち上がる。
「泣いてる場合じゃないわ。そうだ。くろう君の所へ行けば何とかしてくれるかも」
クラスのみんなにおいていかれたのは悲しかったが、またクロウに会えると思うと気分が晴れる。
先日の学校での出来事はすこし気にはなっていたが、でもそれが「何かの間違い」であることを一番よく分かっているのは彼女自身だった。ともかく迷子の倫子はクロウを捜して歩き出した。
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◆訓練コロニー
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月のはるか上空では、アリスの訓練が始まっていた。特設コロニー内部には様々な仕掛けや武装したPMが待ち構えており、彼女を迎え撃った。アリスはすでにステージ3をクリアしていた。
「次のステージは小惑星帯を想定したものだ。周囲の警戒を怠るなよ」
ステージの始めにガイドの兵が待っていて、注意事項などをアリスに伝えてきた。
一般的な新兵ならば、そろそろギブアップをするものが出る頃だったが、アリスのタイムはここまで約1時間。これは平均を大きく上回るペースだ。
「バカな。普通ならここまで2時間はかかるはずなのに」
アリスの後を追いながら、監督役のゲルゼンキルヒェン少佐が舌を巻く。
軍用兵器としてのPMの特徴のひとつに、大人と子供の差があまり無いということが挙げられる。もちろん個人差はあるが、ゲーム機が軍事シミュレーターと区別がつかなくなったこの時代ならではと言えるかもしれない。
ただ、それらの要素を差し引いても、アリスの能力はずば抜けていた。
「このぶんだと、最短記録、2時間19分を超えるかもしれないな」
「それは誰が?」
「決まってるだろう。最強といわれたエース、ヒノミヤ大佐だよ」
「……父さんが?」
「え? ああ、そうか、君もヒノミヤだったな」
そうこうしているうちに、アリスは第4ステージも軽くクリアしてしまった。
アリスとゲルゼンキルヒェン少佐が最後のステージに辿り着いた。ここはコロニーの最深部で、要塞のような作りになっていた。
「……ん? ゲルキル少佐、今何か光らなかったか?」
「略すな」
アリスが、要塞内部の異常を報告した。少佐がモニタをクローズアップして確認する。要塞の一部で不自然な光が明滅している。
「本当だ。あれは……まさか……」
要塞の一角が爆発によって吹き飛んだ。PMの環境音システムが、モニタの爆発画像に反応して爆発音を合成する。このコロニー内は訓練のため真空になっている。PMには、宇宙空間での状況を把握しやすくするために、本来聞こえないはずの爆音を再現するシステムが搭載されていた。オフにすることも出来る。
さらにいくつもの爆発音が続いた。アリスは最終ステージへ向けて、PMを急がせた。
スタート地点にたどり着く。ステージ毎にいるはずのガイド兵が見当たらない。要塞内部への侵入を妨害するPMもいない。
要塞内に入ると、敵役のPMがあちこちに倒れていた。中には、クズ鉄のように切り刻まれた機体まである。
「な、なんなんだこれは……!!」
少佐が戸惑いながら言ってから、急いでコロニーの管制センターに救援要請を行う。
通路の脇に、ガイドの兵が負傷して倒れていた。アリスがPMを降りて、兵を助け起こす。
「こ……、このステージは、宇宙要塞……内部を……想定……し……」
「わかったからしゃべるな。すぐに救援が来る」
ゲルゼンキルヒェン少佐が負傷兵に駆け寄り、宇宙服の空気漏れ修復と傷の応急処置をして、近くの部屋に退避させた。
アリスと少佐は再びPMに乗り込み、辺りを警戒する。アリスが少佐に問う。
「これも訓練の一環なのか?」
「そんなわけあるか!! い、一体なにが起こってるんだ!!?」
「なにって、敵襲だろう」
「落ち着いている場合か。今の我々の装備は、訓練用のダミーなんだぞ。ここは一旦引いて装備を整えて……」
その時、空気のないこの場所を一陣の暴風が通り抜けた。同時に、叫び声が響いて少佐との通信が途切れる。爆発音がその後に続く。アリス機が振り向くと、ゲルゼンキルヒェン少佐のPMが大破して横たわっていた。暴風と見えたモノは、この辺りで暴れまわった「敵」だと思われる。
PMから少佐が這い出してきた。幸い、たいした怪我はないようだ。
「悠長なことを言っている余裕はない、か」
アリスは状況を判断し、やるべきことを決めた。
「ゲルキル少佐、さっきの負傷者と一緒に隠れていてくれ」
「き、君はどうする気だ!? ――まさか!!?」
アリス機はダミーの武器を捨てて、対霊仕様のショートソードとハンドガンを取り出した。
「……そんなもの、持ってきてたのか」
「あらゆる状況を想定しておかないとな」
他に、呪符もポケットの中に隠してあった。
呪符とは、陰陽道を使えない素人でも呪術を使うことが出来るようになる呪術装備で、PMの対霊仕様改修にともない支給されたものだった。
これらの対霊装備一式があれば、相手がマガツカミであろうと、なんとか対抗出来るはずだった。
「よせ!! 救援を待つんだ!!」
「この先にまだ味方が沢山いるはずだ。しかも、訓練中なので、非武装で。」
「し、しかし、君1人では……」
後ろのほうで少佐が叫んでいたが、構わずにアリスは機体を前進させた。
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◆りんこの冒険
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僅かな情報を便りに、倫子は、クロウを捜してネクロポリスをさまよっていた。南ゲート、国連軍統括本部、採掘プラント。迷子になったり、小型艇で単身月面へ出て遭難しかけたり、様々な苦難の末に目撃情報を得て、ついに倫子は最後の希望、軍用ドックに到着した。
「ふう。こ、今度こそくろう君をみつけてみせるわ!!」
心なしかやつれていた倫子だが、気力を振り絞って自分に言い聞かせる。
「それにしても。宇宙船ドックって、こんなに広いの? なんだかまた迷子になりそうな予感」
再び倫子の心に不安が忍び込んできた。それでも、引き返すわけにも行かず、彼女は歩き出した。……が、それもつかの間。見事に不安が的中し、倫子は迷子になってしまった。
半泣きで座り込む。
「はうう。我ながら呆れてものも言えないわ……」
自身の、あまりにも情け無いありさまに、悲しさを通り越して怒りがこみ上げてくる倫子だった。しかし、自分にケンカを売るわけにも、見捨てるわけにもいかない。
「ああそういえば、前にも似たようなことあったな……」
**********
三年前。
山の中腹にある柚木家の神社の裏庭で秕、アリス、クロウ、倫子の四人組は、いつもの様にカンケリをして遊んでいた。木々の間からヒグラシのなく声が聞こえてくる。
その途中、神社の欄干の下に隠れていた倫子は、ウトウトとしてつい眠ってしまった。
何度呼んでも返事がないので、倫子はもう帰ったのだと判断した他の3人は、彼女を残して家に帰ってしまった。
日が沈み、あたりは薄闇につつまれ始めていた。
目が覚めた倫子はあわてて神社を出た。秕の家の神社は山の中腹に建っている。倫子が家に帰るには、そこから町まで薄暗い山道を通っていかねばならない。その山道で、案の定、倫子は道に迷ってしまった。
帰り道を捜してずいぶん歩きまわった倫子だったが、疲れ果てて大木の根本に腰をおろした。
寂しさが胸をつく。闇への恐怖と心細さで涙があふれてくる。
「うわーん。だれかー、たすけてーっ。しんじゃうーーっっ!!」
ついにたまらなくなって、倫子は大きな声で泣きはじめた。そのせいで、彼女は近づいてくる足音に全く気づかなかった。誰もいないと思って無様に泣き崩れる倫子を、近づいてきた人物が呆然と見つめていた。
「……オラ。なにやってんだりんこ。さっさと帰るぞ」
「ひっっ!!!!」
心臓を口から吐き出すほどに驚いて、倫子は飛び上がった。
「あ……」
見ると、ばつが悪そうにクロウが立っている。心配して捜しに来たのだ。ふだん喧嘩っ早いクロウのことをすこし怖がっていた倫子だが、その評価が間違いであることに気づかされた。暖かい涙が彼女の目にあふれる。気がつくと倫子はクロウに抱きついて泣きじゃくっていた。
「おわっ! ば、ばか、くっつくなっ!!」
「わーん。ごめんなさいーー」
その声を聞きつけて、秕とアリスが合流した。一旦家に帰ったものの、やはり心配になって倫子を捜しに来たのだ。
「りんこ、ごめん。もう帰ったと思って……」
「ごめんよ、りんこちゃん」
アリスと秕が半泣きで謝った。
「ううん。いいの」
アリスはひどく反省しているようだった。
「たく。おめーがカンケリの途中で寝ちまうのがわりーんだろうが」
クロウが悪ぶっていう。しかし倫子はもうクロウのことが怖くなくなっていた。
「うん。そうだね」
うれしそうに倫子は笑った。
**********
あの時と同じ笑顔で、倫子は立ち上がった。
「(……うん。まだ、がんばれる)」
元気を取り戻した倫子は顔を上げて歩き出した。もちろん、クロウを捜すために。
―――――――――――――――――――
◆予期せぬ敵
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訓練用コロニーの中の、要塞を模して作られた区画の通路を、深紅のPMが進んでいた。先程から何度か敵の姿を捉えてはいたが、そのたびに取り逃していた。しかし、そのおかげで1つはっきりしたことがあった。
「(間違いない。あのシルエットはマガツカミだ。遺跡の最下層にいた8体と同じサイズ。あのサイズなら私でも……)」
あの時はスサノオがいた。スサノオから見れば、あの8体のマガツカミ、ウツロははるかに格下だったが、PM1機で果たしてアリスはどこまでやれるのか。もし、クロウのマガツカミ、クロトークラスの強さだったらどうするのか。
アリスの視界の先のT字路を、何者かが高速で横切った。
「(やるしかない!! そう何度も逃がすか!!)」
アリス機が全速力で追跡する。通路を何度も曲がって、敵は開けた場所に出た。格納庫のようだ。アリスは敵を追って、そのまま格納庫に侵入するような事はしなかった。
「罠……か?」
「慎重にな。危ないと思ったら、すぐに後退するんだ」
通信機からゲルゼンキルヒェン少佐が忠告した。
「あ、それと、その機体の訓練モードはこちらから解除しておいた。これで要塞内のリンク1000にアクセス出来るぞ」
「了解」
アリスは、戦術データリンクシステムにアクセスした。これにより要塞内に残っているPMの位置が分かるようになる。それによると、目の前の格納庫のさらに奥に2機のPMの反応があった。
また、格納庫内の監視カメラの情報をチェックすると、そこには、3体のこの世ならざるもの達の姿があった。遺跡の地下に現れたものとは別物らしい。最初に地上に現れたものを少し小型にしたようなマガツカミだ。アリスには知る由もなかったが、それは「オボロ」と呼ばれるタイプだった。
「待ちぶせか」
格納庫の奥にいるPM2機は通信に答えなかった。生命反応はあるので、今はまだ生きてはいるはずだが、今後の保証は無い。機体の状態を示すマーカーは中破、大破をそれぞれ示していた。
アリスは意を決した。
ハンドガンを撃ちつつ、PMアリス機が格納庫内に突入し、左端にいる個体に攻撃を集中させた。弾を撃ち尽くしたがオボロはまだ倒れない。
他の2体がアリス機に向けて動き出す。
「一式炎咒!!」
アリスは、アイテムスロットに呪符をセットして発動トリガーである術名を叫んだ。PMの腕を伝わって炎弾が放たれ、左端の個体を焼いた。オボロが1体、消滅する。
次いで、アリス機めがけて突進してきた2体目のオボロに一式炎咒を3連射する。1体目がハンドガン全弾と呪符1枚で倒せたので、オボロ1体倒すのに呪符3枚が必要だろうと判断したのだ。アリスの計算通り、2体目のオボロも煙のように消滅した。
この間、わずか十数秒。
「す、すごい。 本当に中学生なのか、彼女は? オ、オレより、強いんじゃないか……!?」
負傷兵を運んだ部屋のモニタでアリスの様子を見ながら、ゲルゼンキルヒェン少佐は呻いた。
だがしかし、敵2体を倒したことで生じる、僅かな隙をアリスはつかれた。オボロの口らしき場所から、ツバのような物が吐き出され、アリス機に命中したのだ。アリスの視界が歪み、激しいめまいに襲われる。「ケガレ」がPMの装甲とアリスを蝕む。
オボロが肉薄し、アリス機を殴り飛ばした。めまいと激痛に耐えながら、アリスはPMの姿勢を制御し、のみならず、一式炎咒の三連射で反撃をした。
「よくあの一瞬で反撃を……」
少佐が感心してみせたが、アリスの反撃はオボロには当たらなかった。しかも、悪いことに呪符は今のが最後だった。残るは対霊仕様のショートソードのみ。
アリス機がショートソードを構えるのと、オボロが再度攻撃を繰り出すのとが、ほぼ同時だった。一瞬早く、オボロがPMの腕を切断する。その手にはショートソードが握られていた。アリスは大きく飛び退って、間合いを取った。
「まずい!! ヒノミヤ候補生、逃げるんだ!!」
少佐の切迫した声がスピーカーから聞こえた。
全ての対霊装備を失ったPMに、マガツカミを倒すことは出来ない。慌てふためく少佐の耳に、何か耳慣れない声が聞こえた。
「…………?」
少佐が耳を済ませる。その声は通信用のスピーカーから漏れ聞こえていた。アリスが何か、しきりに呟いているようだった。
「!?」
アリスが恐怖で取り乱して、自分を見失ってしまったのではないか、と少佐は思った。
マガツカミ、オボロがゆっくりと振り向き、アリス機を見据えた。その目には、獲物をなぶる殺人鬼のような闇が見て取れた。
その目を見てしまったゲルゼンキルヒェン少佐は、魂を失うほどの恐怖に胸を鷲掴みされた。
オボロがアリス機めがけて跳躍する。その動きが、アリスにはスローモーションのように感じられた。
「……思いだせ、秕の爺さんに教わった事を」
彼女はここ何日も、オガミヤとしての修行を行っていた。起請文の書き取りや錬丹などの基礎訓練。そして、まだ試したこともない実戦向きの呪術を1つだけ教わっていた。
PMの残っている腕をオボロに向けて構える。オボロの拳が、コクピットのアリス目がけて音速で突き出される。
アリスはカッと目を見開いた。全身全霊を込めて、覚えたての真言「不動一字呪」を唱える。
「ナウマク・サマンダ・バザラダン……カン!!!!」
PMの腕から光が放たれた。得体のしれない「圧力」が、衝撃波となってオボロに叩きつけられる。押しつぶされ、全身を粉々に引きちぎられて、オボロは消し飛んだ。
アリスは目を丸くして、言葉を失った。その威力に一番驚いたのは、彼女本人だった。自分の手を見つめる。
「……私にも、出来た……」
オボロの、断末魔の悲鳴のような音が、辺りにこだましていた。その声が、しばらくアリスの頭の中から離れなかった。
「……なんだ今の」
同じく呆然としていた少佐が我に返った。なんだかよく分からないが、とにかくアリスが敵を倒したのだ。これでひとまず安心だ。そう思った少佐が見つめる通信モニターの中で、アリスががっくりと崩れ落ちた。
「ヒノミヤ候補生!!?」
呪術の使用には、呪力と呼ばれる精神エネルギーを必要とする。その消耗に加え、アリスは先ほどオボロの攻撃によって、「ケガレ」に触れていた。 ケガレとは、魂の汚染、またはそれを引き起こす原因を言う。本来、命に直接関わるほどではないが、マガツカミによるものは桁違いに強力で、もはや呪いと言っても過言ではなかった。
【続く】
◆アリスの訓練
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教官である杉藤大佐の命令で、日宮アリスは月の上空に浮かぶ枢機軍の特殊訓練施設へ来ていた。秕だけでなく、彼女が月に来たのも訓練のためなのだ。
杉藤は秕の特訓中のためここには来ていなかったが、代わりに、杉藤配下の第四艦上機兵部隊、通称四機隊の兵が数人集まっていた。第11小隊のメンバーである。
通信モニタに杉藤の顔が映る。
「というわけで、俺は秕の面倒を見なくちゃならない。ヒノミヤ少尉候補生には、こいつらと一緒にここで訓練をしてもらう」
アリスが目の前の巨大な施設を見上げる。
それは、旧式の小さなコロニーを改造した訓練施設だった。難易度は中級者向けに設定されている。
「大佐。いくらなんでもこの女の子には無理なんじゃ」
第11小隊の一人が、心配そうな声を上げた。小隊長を務めるゲルゼンキルヒェン少佐である。彼らは杉藤の代わりにアリスの訓練に付き合うことになっている。
「そんなに大変な訓練なのか?」
「ああ。(……って、タメグチ?) 俺達だって、逃げ出したくなるような……」
この訓練は、複数のステージからなる特設コロニーを舞台とした実戦形式のもので、PMを使って様々な課題をクリアしていくというものだ。
課題には、実戦の様々な場面を想定したシチュエーションが用意されていた。無重力でのPM近接戦闘、施設の制圧、要塞攻略戦等である。
コロニー内部には敵役の兵士がPMで待機しており、侵入者を排除すべく待ち構えている。武器は全て模擬戦用のダミーとなっていた。
「要は、宇宙でのサバゲーみたいなものだな」
「全て攻略するには、4時間ぐらいかかるぞ」
第11小隊の兵たちが色々とアリスにアドバイスをする。軍隊生活が長いと、潤いに飢えているものだ。もっとも、潤いという意味ではアリスはまだ幼すぎて、彼らも「そういう目」で見ることはなかったが、子犬や子猫を見るような、娘を見るような目で見守っていた。
「実際、この訓練のせいで辞めてったヤツが何人もいるからな」
心配そうにゲルゼンキルヒェン少佐が言う。
「フン。あの程度で辞めるようなやつは、オレの隊にはいらん。どうする、ヒノミヤ少尉候補生?」
「分かりきったことを聞くな」
そう言うとアリスは、施設の入り口に向かって歩き出した。学園では天才だのエリートだのとちやほやされていたが、そんなものが敵であるマガツカミの前では何の意味も無い事を、アリス自身、よく理解していた。
彼女の目の前にはD式PM-T33、深紅の訓練用1番機が佇んでいた。脚部等には宇宙用の推進装置が増設してあった。
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◆遠足の終わり
―――――――――――――――――――
ネクロポリス宇宙港。搭乗ゲート前。
「それじゃ、遠足チームは地球に帰りまーす」
担任の鮎川が疲れ気味の顔で指示を出す。
浦上学園中等部の遠足日程は全て終了した。生徒達はお土産の紙袋を両手に抱え、名残惜しそうにシャトルに乗り込んだ。
「アリスたちはしばらくここに残るみたいだね」
「中学生を借り出すってコトは、事態は相当切迫してるんだな」
尾藤と村山が、月に残るクラスメイトの身を案じて言葉をかわす。一般の生徒には、クロウの事は知らされていなかった。彼らは今も、クロウが訓練を受けていると思っている。
「アリスとクロウは分かるけど、まさか秕もなんて。ちょっと前じゃ想像もつかなかったろうな」
「だな」
生徒たちの集団から、少しだけ離れて不動が座り込んでいた。隣には浮かない表情の古尾が立っている。その2人に、鮎川が話しかけた。
「2人とも、シャキッとしなさい」
不動の背中をハデに叩く。
「……クロウ君の事は、秕くんと軍の人に任せましょう。私達は地球で帰りを待つしかないのよ」
「……わかってるよ」
生徒たち全員がシャトルに乗り込み、後は出発を待つだけとなった。学年主任の教師が、大声を張り上げる。
「全員いるかー? 友達がちゃんと乗ってるか、確認しろー」
「うぃース」
結果、乗り遅れはいないと判断された。だが、教師は忘れていた。こういうとき友達が一人もいない者はしばしば確認されないということを。
―――――――――――――――――――
◆りんこの災難
―――――――――――――――――――
ネクロポリス宇宙港。待合室の中を一人の少女がさまよっていた。なぜかは分からないが、彼女はあまり一般的では無い服装をしていた。周りの者が不審げに、チラチラと視線を送っている。
「おかしいなー。くろう君どこいったんだろ」
倫子はあれからずっとクロウを探し続けていた。学校で。町で。そしてここネクロポリスでも。
「地球に帰る前に『あれ』を渡しておかないと、しばらく会えないかも知れないのに……」
先日学校で会った時、クロウの様子がおかしかったのは分かっているが、地下遺跡の出来事や、今クロウが行方不明であることを倫子は知らない。だから自分が地球へ帰る前にどうしても渡しておきたいと考えていたのだ。
「早くしないと帰りのシャトルに乗り遅れちゃう」
ふと倫子が窓の外を見ると、そこは宇宙港の駐機場になっていた。たくさんのシャトルや宇宙船がせわしなく発着している。
「わー。あのシャトル、私たちが乗ってきたのとそっくりー」
一機の観光シャトルがまさに離陸したところだった。町中で、自分の家の車と同種同色の車を発見するとちょとうれしくなる。そんな気分でシャトルを見送った倫子が、重大な事実に気づいたのは、四歩ほど歩いてからだった。そのシャトルはそっくりなのではなくて、倫子が乗るべきシャトルそのものだったのだ。
「いいかー、ウチに帰るまでが遠足だぞー。全員がキチンとそろって無事に帰ってこそ、意味があるんだ」
シャトル内での教師のありがたい訓示は、残念ながら倫子には届かなかった。教師が倫子の不在に気づくのは地上についた後、バスの中でのことだった。すなわち、倫子はまたしてもオイテケボリを食らったのだ。
「うう……。来るときだけじゃなく、帰りまでも。私って一体……」
彼女は宇宙港のすみっこで、泣きながら小さくなって寂しさに耐えていた。
「でも……」
意を決して立ち上がる。
「泣いてる場合じゃないわ。そうだ。くろう君の所へ行けば何とかしてくれるかも」
クラスのみんなにおいていかれたのは悲しかったが、またクロウに会えると思うと気分が晴れる。
先日の学校での出来事はすこし気にはなっていたが、でもそれが「何かの間違い」であることを一番よく分かっているのは彼女自身だった。ともかく迷子の倫子はクロウを捜して歩き出した。
―――――――――――――――――――
◆訓練コロニー
―――――――――――――――――――
月のはるか上空では、アリスの訓練が始まっていた。特設コロニー内部には様々な仕掛けや武装したPMが待ち構えており、彼女を迎え撃った。アリスはすでにステージ3をクリアしていた。
「次のステージは小惑星帯を想定したものだ。周囲の警戒を怠るなよ」
ステージの始めにガイドの兵が待っていて、注意事項などをアリスに伝えてきた。
一般的な新兵ならば、そろそろギブアップをするものが出る頃だったが、アリスのタイムはここまで約1時間。これは平均を大きく上回るペースだ。
「バカな。普通ならここまで2時間はかかるはずなのに」
アリスの後を追いながら、監督役のゲルゼンキルヒェン少佐が舌を巻く。
軍用兵器としてのPMの特徴のひとつに、大人と子供の差があまり無いということが挙げられる。もちろん個人差はあるが、ゲーム機が軍事シミュレーターと区別がつかなくなったこの時代ならではと言えるかもしれない。
ただ、それらの要素を差し引いても、アリスの能力はずば抜けていた。
「このぶんだと、最短記録、2時間19分を超えるかもしれないな」
「それは誰が?」
「決まってるだろう。最強といわれたエース、ヒノミヤ大佐だよ」
「……父さんが?」
「え? ああ、そうか、君もヒノミヤだったな」
そうこうしているうちに、アリスは第4ステージも軽くクリアしてしまった。
アリスとゲルゼンキルヒェン少佐が最後のステージに辿り着いた。ここはコロニーの最深部で、要塞のような作りになっていた。
「……ん? ゲルキル少佐、今何か光らなかったか?」
「略すな」
アリスが、要塞内部の異常を報告した。少佐がモニタをクローズアップして確認する。要塞の一部で不自然な光が明滅している。
「本当だ。あれは……まさか……」
要塞の一角が爆発によって吹き飛んだ。PMの環境音システムが、モニタの爆発画像に反応して爆発音を合成する。このコロニー内は訓練のため真空になっている。PMには、宇宙空間での状況を把握しやすくするために、本来聞こえないはずの爆音を再現するシステムが搭載されていた。オフにすることも出来る。
さらにいくつもの爆発音が続いた。アリスは最終ステージへ向けて、PMを急がせた。
スタート地点にたどり着く。ステージ毎にいるはずのガイド兵が見当たらない。要塞内部への侵入を妨害するPMもいない。
要塞内に入ると、敵役のPMがあちこちに倒れていた。中には、クズ鉄のように切り刻まれた機体まである。
「な、なんなんだこれは……!!」
少佐が戸惑いながら言ってから、急いでコロニーの管制センターに救援要請を行う。
通路の脇に、ガイドの兵が負傷して倒れていた。アリスがPMを降りて、兵を助け起こす。
「こ……、このステージは、宇宙要塞……内部を……想定……し……」
「わかったからしゃべるな。すぐに救援が来る」
ゲルゼンキルヒェン少佐が負傷兵に駆け寄り、宇宙服の空気漏れ修復と傷の応急処置をして、近くの部屋に退避させた。
アリスと少佐は再びPMに乗り込み、辺りを警戒する。アリスが少佐に問う。
「これも訓練の一環なのか?」
「そんなわけあるか!! い、一体なにが起こってるんだ!!?」
「なにって、敵襲だろう」
「落ち着いている場合か。今の我々の装備は、訓練用のダミーなんだぞ。ここは一旦引いて装備を整えて……」
その時、空気のないこの場所を一陣の暴風が通り抜けた。同時に、叫び声が響いて少佐との通信が途切れる。爆発音がその後に続く。アリス機が振り向くと、ゲルゼンキルヒェン少佐のPMが大破して横たわっていた。暴風と見えたモノは、この辺りで暴れまわった「敵」だと思われる。
PMから少佐が這い出してきた。幸い、たいした怪我はないようだ。
「悠長なことを言っている余裕はない、か」
アリスは状況を判断し、やるべきことを決めた。
「ゲルキル少佐、さっきの負傷者と一緒に隠れていてくれ」
「き、君はどうする気だ!? ――まさか!!?」
アリス機はダミーの武器を捨てて、対霊仕様のショートソードとハンドガンを取り出した。
「……そんなもの、持ってきてたのか」
「あらゆる状況を想定しておかないとな」
他に、呪符もポケットの中に隠してあった。
呪符とは、陰陽道を使えない素人でも呪術を使うことが出来るようになる呪術装備で、PMの対霊仕様改修にともない支給されたものだった。
これらの対霊装備一式があれば、相手がマガツカミであろうと、なんとか対抗出来るはずだった。
「よせ!! 救援を待つんだ!!」
「この先にまだ味方が沢山いるはずだ。しかも、訓練中なので、非武装で。」
「し、しかし、君1人では……」
後ろのほうで少佐が叫んでいたが、構わずにアリスは機体を前進させた。
―――――――――――――――――――
◆りんこの冒険
―――――――――――――――――――
僅かな情報を便りに、倫子は、クロウを捜してネクロポリスをさまよっていた。南ゲート、国連軍統括本部、採掘プラント。迷子になったり、小型艇で単身月面へ出て遭難しかけたり、様々な苦難の末に目撃情報を得て、ついに倫子は最後の希望、軍用ドックに到着した。
「ふう。こ、今度こそくろう君をみつけてみせるわ!!」
心なしかやつれていた倫子だが、気力を振り絞って自分に言い聞かせる。
「それにしても。宇宙船ドックって、こんなに広いの? なんだかまた迷子になりそうな予感」
再び倫子の心に不安が忍び込んできた。それでも、引き返すわけにも行かず、彼女は歩き出した。……が、それもつかの間。見事に不安が的中し、倫子は迷子になってしまった。
半泣きで座り込む。
「はうう。我ながら呆れてものも言えないわ……」
自身の、あまりにも情け無いありさまに、悲しさを通り越して怒りがこみ上げてくる倫子だった。しかし、自分にケンカを売るわけにも、見捨てるわけにもいかない。
「ああそういえば、前にも似たようなことあったな……」
**********
三年前。
山の中腹にある柚木家の神社の裏庭で秕、アリス、クロウ、倫子の四人組は、いつもの様にカンケリをして遊んでいた。木々の間からヒグラシのなく声が聞こえてくる。
その途中、神社の欄干の下に隠れていた倫子は、ウトウトとしてつい眠ってしまった。
何度呼んでも返事がないので、倫子はもう帰ったのだと判断した他の3人は、彼女を残して家に帰ってしまった。
日が沈み、あたりは薄闇につつまれ始めていた。
目が覚めた倫子はあわてて神社を出た。秕の家の神社は山の中腹に建っている。倫子が家に帰るには、そこから町まで薄暗い山道を通っていかねばならない。その山道で、案の定、倫子は道に迷ってしまった。
帰り道を捜してずいぶん歩きまわった倫子だったが、疲れ果てて大木の根本に腰をおろした。
寂しさが胸をつく。闇への恐怖と心細さで涙があふれてくる。
「うわーん。だれかー、たすけてーっ。しんじゃうーーっっ!!」
ついにたまらなくなって、倫子は大きな声で泣きはじめた。そのせいで、彼女は近づいてくる足音に全く気づかなかった。誰もいないと思って無様に泣き崩れる倫子を、近づいてきた人物が呆然と見つめていた。
「……オラ。なにやってんだりんこ。さっさと帰るぞ」
「ひっっ!!!!」
心臓を口から吐き出すほどに驚いて、倫子は飛び上がった。
「あ……」
見ると、ばつが悪そうにクロウが立っている。心配して捜しに来たのだ。ふだん喧嘩っ早いクロウのことをすこし怖がっていた倫子だが、その評価が間違いであることに気づかされた。暖かい涙が彼女の目にあふれる。気がつくと倫子はクロウに抱きついて泣きじゃくっていた。
「おわっ! ば、ばか、くっつくなっ!!」
「わーん。ごめんなさいーー」
その声を聞きつけて、秕とアリスが合流した。一旦家に帰ったものの、やはり心配になって倫子を捜しに来たのだ。
「りんこ、ごめん。もう帰ったと思って……」
「ごめんよ、りんこちゃん」
アリスと秕が半泣きで謝った。
「ううん。いいの」
アリスはひどく反省しているようだった。
「たく。おめーがカンケリの途中で寝ちまうのがわりーんだろうが」
クロウが悪ぶっていう。しかし倫子はもうクロウのことが怖くなくなっていた。
「うん。そうだね」
うれしそうに倫子は笑った。
**********
あの時と同じ笑顔で、倫子は立ち上がった。
「(……うん。まだ、がんばれる)」
元気を取り戻した倫子は顔を上げて歩き出した。もちろん、クロウを捜すために。
―――――――――――――――――――
◆予期せぬ敵
―――――――――――――――――――
訓練用コロニーの中の、要塞を模して作られた区画の通路を、深紅のPMが進んでいた。先程から何度か敵の姿を捉えてはいたが、そのたびに取り逃していた。しかし、そのおかげで1つはっきりしたことがあった。
「(間違いない。あのシルエットはマガツカミだ。遺跡の最下層にいた8体と同じサイズ。あのサイズなら私でも……)」
あの時はスサノオがいた。スサノオから見れば、あの8体のマガツカミ、ウツロははるかに格下だったが、PM1機で果たしてアリスはどこまでやれるのか。もし、クロウのマガツカミ、クロトークラスの強さだったらどうするのか。
アリスの視界の先のT字路を、何者かが高速で横切った。
「(やるしかない!! そう何度も逃がすか!!)」
アリス機が全速力で追跡する。通路を何度も曲がって、敵は開けた場所に出た。格納庫のようだ。アリスは敵を追って、そのまま格納庫に侵入するような事はしなかった。
「罠……か?」
「慎重にな。危ないと思ったら、すぐに後退するんだ」
通信機からゲルゼンキルヒェン少佐が忠告した。
「あ、それと、その機体の訓練モードはこちらから解除しておいた。これで要塞内のリンク1000にアクセス出来るぞ」
「了解」
アリスは、戦術データリンクシステムにアクセスした。これにより要塞内に残っているPMの位置が分かるようになる。それによると、目の前の格納庫のさらに奥に2機のPMの反応があった。
また、格納庫内の監視カメラの情報をチェックすると、そこには、3体のこの世ならざるもの達の姿があった。遺跡の地下に現れたものとは別物らしい。最初に地上に現れたものを少し小型にしたようなマガツカミだ。アリスには知る由もなかったが、それは「オボロ」と呼ばれるタイプだった。
「待ちぶせか」
格納庫の奥にいるPM2機は通信に答えなかった。生命反応はあるので、今はまだ生きてはいるはずだが、今後の保証は無い。機体の状態を示すマーカーは中破、大破をそれぞれ示していた。
アリスは意を決した。
ハンドガンを撃ちつつ、PMアリス機が格納庫内に突入し、左端にいる個体に攻撃を集中させた。弾を撃ち尽くしたがオボロはまだ倒れない。
他の2体がアリス機に向けて動き出す。
「一式炎咒!!」
アリスは、アイテムスロットに呪符をセットして発動トリガーである術名を叫んだ。PMの腕を伝わって炎弾が放たれ、左端の個体を焼いた。オボロが1体、消滅する。
次いで、アリス機めがけて突進してきた2体目のオボロに一式炎咒を3連射する。1体目がハンドガン全弾と呪符1枚で倒せたので、オボロ1体倒すのに呪符3枚が必要だろうと判断したのだ。アリスの計算通り、2体目のオボロも煙のように消滅した。
この間、わずか十数秒。
「す、すごい。 本当に中学生なのか、彼女は? オ、オレより、強いんじゃないか……!?」
負傷兵を運んだ部屋のモニタでアリスの様子を見ながら、ゲルゼンキルヒェン少佐は呻いた。
だがしかし、敵2体を倒したことで生じる、僅かな隙をアリスはつかれた。オボロの口らしき場所から、ツバのような物が吐き出され、アリス機に命中したのだ。アリスの視界が歪み、激しいめまいに襲われる。「ケガレ」がPMの装甲とアリスを蝕む。
オボロが肉薄し、アリス機を殴り飛ばした。めまいと激痛に耐えながら、アリスはPMの姿勢を制御し、のみならず、一式炎咒の三連射で反撃をした。
「よくあの一瞬で反撃を……」
少佐が感心してみせたが、アリスの反撃はオボロには当たらなかった。しかも、悪いことに呪符は今のが最後だった。残るは対霊仕様のショートソードのみ。
アリス機がショートソードを構えるのと、オボロが再度攻撃を繰り出すのとが、ほぼ同時だった。一瞬早く、オボロがPMの腕を切断する。その手にはショートソードが握られていた。アリスは大きく飛び退って、間合いを取った。
「まずい!! ヒノミヤ候補生、逃げるんだ!!」
少佐の切迫した声がスピーカーから聞こえた。
全ての対霊装備を失ったPMに、マガツカミを倒すことは出来ない。慌てふためく少佐の耳に、何か耳慣れない声が聞こえた。
「…………?」
少佐が耳を済ませる。その声は通信用のスピーカーから漏れ聞こえていた。アリスが何か、しきりに呟いているようだった。
「!?」
アリスが恐怖で取り乱して、自分を見失ってしまったのではないか、と少佐は思った。
マガツカミ、オボロがゆっくりと振り向き、アリス機を見据えた。その目には、獲物をなぶる殺人鬼のような闇が見て取れた。
その目を見てしまったゲルゼンキルヒェン少佐は、魂を失うほどの恐怖に胸を鷲掴みされた。
オボロがアリス機めがけて跳躍する。その動きが、アリスにはスローモーションのように感じられた。
「……思いだせ、秕の爺さんに教わった事を」
彼女はここ何日も、オガミヤとしての修行を行っていた。起請文の書き取りや錬丹などの基礎訓練。そして、まだ試したこともない実戦向きの呪術を1つだけ教わっていた。
PMの残っている腕をオボロに向けて構える。オボロの拳が、コクピットのアリス目がけて音速で突き出される。
アリスはカッと目を見開いた。全身全霊を込めて、覚えたての真言「不動一字呪」を唱える。
「ナウマク・サマンダ・バザラダン……カン!!!!」
PMの腕から光が放たれた。得体のしれない「圧力」が、衝撃波となってオボロに叩きつけられる。押しつぶされ、全身を粉々に引きちぎられて、オボロは消し飛んだ。
アリスは目を丸くして、言葉を失った。その威力に一番驚いたのは、彼女本人だった。自分の手を見つめる。
「……私にも、出来た……」
オボロの、断末魔の悲鳴のような音が、辺りにこだましていた。その声が、しばらくアリスの頭の中から離れなかった。
「……なんだ今の」
同じく呆然としていた少佐が我に返った。なんだかよく分からないが、とにかくアリスが敵を倒したのだ。これでひとまず安心だ。そう思った少佐が見つめる通信モニターの中で、アリスががっくりと崩れ落ちた。
「ヒノミヤ候補生!!?」
呪術の使用には、呪力と呼ばれる精神エネルギーを必要とする。その消耗に加え、アリスは先ほどオボロの攻撃によって、「ケガレ」に触れていた。 ケガレとは、魂の汚染、またはそれを引き起こす原因を言う。本来、命に直接関わるほどではないが、マガツカミによるものは桁違いに強力で、もはや呪いと言っても過言ではなかった。
【続く】
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