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Ep03 赤黒の月2
Ep03_01 悪意と弱点
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◆敵の中
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月から程近い宙域に、艦船形態のマガツカミが数体漂っていた。彼らは、太陽系外縁を攻略している先遣隊とは別の集団であり、別の目的があるようだった。
その中心に、ひときわ大きな個体「石楠」があった。この船は、全長約1800mの母艦クラスで、深海の発光生物のような半透明な外装に包まれ、先端は槍のように鋭く尖っている。
内部には神殿のような施設をはじめ、大小様々な空間があり、そこでは人間サイズのマガツカミが忙しく動きまわっていた。
ある部屋で作業をしていた作業員たちが不意に手を止め、地面にはいつくばって平伏した。部屋に一人の男が入ってきたためだ。
姿形こそ人間のそれであったが、男の纏う衣服や雰囲気等は、人間とは――地球人とは――程遠い、全く異なる文明体系のものであった。その体は半透明で薄く発光しており、神秘的で、神々しさすら感じられた。男の身長は180を軽く超えている。まるで高名な彫刻家によるブロンズ像のような非の打ち所のない容姿をしていた。マガツ神族、六族の1人、カグツチと呼ばれる男だった。
「作業を続けろ」
口調は静かで、その声に熱はなく、その瞳には時間さえ凍りつかせるほどの冷たい輝きがあった。
男が告げると彼の部下は萎縮したまま恐る恐る身を起こし、先ほどの作業の続きをはじめた。部下たちは彼を恐れているのだ。とはいえ、別にカグツチが彼らに何かしたというわけではない。彼が発する殺人的なまでの威圧感が部下たちを圧倒しているのだ。
カグツチは、窓から隣の部屋の様子を伺った。その視線の先には、地球人である水凪九郎が横たわっていた。眠っているようだったが、ひどくうなされていた。また、その部屋の奥には、PMクロウ機が格納されていた。
他のマガツカミと同様、イワクスも実体を持たない霊子で構成されている。通常ならば人間のような物質界の住人や道具には触れることも出来ないものだが、イワクスには例外的に特殊な術が施されていた。
つまり、その内部には通常物質と同様の性質を持つ、異なる次元の空間が作られていたのだ。そのおかげでクロウやPMなどがこぼれ落ちることなく、この個体の中にとどまっていられる。
「どうだ?」
うめき声をあげるクロウを、冷ややかに見つめながらカグツチは脇にいる作業員に尋ねた。
「相当疲弊しているようでございます。数日は休息が必要かと」
「修行もせず、無理やり『力』を与えたからな。肉の体とは不便なものだ。まあよい。回復し次第私に知らせろ」
「は」
しばらくカグツチはクロウを眺めていた。そこからは何の感情も、何の思惑も感じ取ることは出来なかった。
「……すべては、レタルヒュレウ様のために」
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◆悪意
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「俺が最強だ。俺が最強だ。俺が最強だ。俺が最強だ。俺が最強だ……」
赤黒い液体に満たされた陰鬱な沼地にクロウは立っていた。
闇に支配されたクロウの意識の中の世界。その中でクロウは、何かに取り憑かれたようにうわごとを繰り返している。
月の地下遺跡で、クロウは秕を――スサノオを倒した。これで、名実ともに最強になれたはずだった。だが、なぜか釈然としない。押さえきれない苛立ちで、彼の声は上ずっている。
「――誰がなんと言おうと、このオレが最強だ!!」
苛立ちを振り払うようにクロウは叫んだ。
その彼をあざ笑う何者かの声が聞こえてくる。
「残念ながらそれは違うな」
声は、きっぱりとそれを否定した。
「なんだと!!? 誰だテメェ、出てこい!!!」
血走った目で、クロウが振り返る。休日の学校で会った黒いローブの男の声ではない。どこかで聞いたことのあるような声だが、それが誰なのか思い出せない。声は続けて言う。
「最強はスサノオだ」
「く……!!」
その声が、鋭いナイフとなって彼の心をえぐる。
「う、うるさいっ!! オレは勝ったんだ。スサノオを倒したんだ……!!」
「マガツカミ、クロトーの力を借りて……な」
「……ッ!!」
「真の最強は……秕だ!!」
言葉の一つ一つがクロウの心に深刻なダメージを与えた。なぜならば、それがクロウにもわかっている真実であるからだ。
「……だ、誰なんだ、出てこい!!」
クロウの声に応じて、1つの人影が目の前に現れた。……声に聞き覚えがあるのも当然だった。そこに浮かんだ影は、クロウ本人の顔だったのだから。
「オレはお前だよ。呪いによって分裂、増幅された『悪意』。今、『ミズナギクロウ』の体を支配しているのはこの俺だ」
それは、まさしく「悪意」だった。クロウの中の普段押さえ込まれていた衝動が、呪いの力で開放され主導権を奪ったのだ。だが、「クロウ」が別人になったわけではない。この「悪意」と名乗った意識体も、クロウの心の別の側面であることに変わりは無いのだから。
「悪意」は、バカにしたように「本来のクロウ」を見下ろした。
「……これは『呪い』なんだよ。『呪癌』という名の、呪い。そしてオレは、強い毒性を持った闇だ。お前を……つまり『良心』をジワジワ蝕んで食い尽くす」
「ふざけんなっ!! そんなことさせるもんかよ!!」
「フン。どうかなァ?」
悪意は手をかざした。それに合わせるように、本来のクロウを取り囲んでいた「気配」がうごめきはじめる。
「ミズナギクロウの心はヤミに満ちている。功名心、独善、ねたみ。そんなものがウジャウジャと渦巻いている。すごく居心地がいいぞ?」
本来のクロウは何も言い返せなかった。秕をねたんだことや、すこしの挫折で自暴自棄になったこと、他にも色々と思い当たることがあったからだ。うつむいたまま、声を詰まらせる。
悪意がおぞましい含み笑いを見せた。勝利を確信した笑いだ。
「後はオレにまかせてテメーは眠っていろ!!」
悪意が手を振ると、本来のクロウめがけて、一斉に「気配」が踊り掛かった。
「なにっ!!?」
気配の正体は、地上で見た無数の「血まみれの手」だった。それが、一万匹のヘビのようにクロウの体に殺到する。
「……もう二度と、目覚める必要のない眠りだがな」
手は際限なくその数を増やし、なだれのように彼を飲み込んでしまった。
「…………!!」
「安心しろ。オレがテメーの願いをかなえてやる」
「悪意」の目が暗い光をたたえる。浸食される心。歪む理性。悪意は、勝ち誇って宣言した。
「どんな手を使ってでも……このオレが最強の座を手に入れてやる!!!」
狂気に満ちた高笑いが部屋に響き渡った。本来のクロウの意識は、再び深い闇の中へ消えていった。
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◆あせり
―――――――――――――――――――
月面都市ネクロポリスにある枢機軍の病院で、柚木秕は治療を受けていた。妹の菜乃が心配そうに付き添っている。
あの後、クロウ達が侵入してきた別経路を発見し、自力で遺跡を脱出した秕たちは、月面上で彼らを探していた杉藤に保護されていた。
「ありがとうございました」
礼を言って、二人は診察室を出る。訓練中の怪我なので治療費はかからない。
「よかったね。たいしたことなくて」
心底ほっとして菜乃が言った。秕の怪我は軽傷で、PMの操作にはまったく支障はないらしい。13番機の補修作業も最優先で行われている。しかし、秕は浮かないようすで、うつむき加減に歩いていた。
「それにしても、クロウさん、いったいどうしてあんなこと……」
「……あれは、多分呪いだよ。クロウは呪いによって、正気を失ってるんだ。しかも、ちょっとやそっとで解けるようなものじゃない。相当強力な呪いだ」
「ふーん」
「ふーんて。軽いなァ、菜乃は」
「だって。呪いならオガミヤの得意分野でしょ? お兄ちゃんならすぐに解くことが出来るんじゃないの?」
「呪術が通用すればね。さっきの戦いで分かったんだけど、あの敵にはなぜか全く術が効かなかったんだ」
「……てことは?」
「力ずくで動きを止めて、クロウを捕まえるしかない。その後で改めて呪いを解くんだ」
「ああ、そうか。それには、クロウさんと戦って勝たなきゃいけないのね。勝てそう?」
秕は疲れた笑顔で妹を見た。
「……僕は、クロウには勝てる気がしないんだ」
消え入りそうな声で言う。
「そうよね。さっきあんなに完璧に負けたばっかりだもんね」
「それだけじゃないんだ……無理なんだ。僕はクロウには勝てない……」
「どうして?」
妹は、いぶかしげに兄を見つめた。
「だって僕は……、ゲームもケンカも、スポーツでもPM操作でも、今まで一度だってクロウに勝ったことないんだから……」
菜乃は軽くため息をついた。
「……サイアクね」
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◆不動と古尾
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診察室の外の待合室を通り過ぎた2人を、意外な人物が待ち受けていた。つい最近まで、秕のことを散々いじめていたクラスメイトの不動栄二と古尾米太だ。相変わらず制服を着崩している。ヤジられるのは日常茶飯事で、物を隠されたり、教科書をゴミ箱に捨てられた事もあった。最近はいじめられなくなったとはいえ、秕はこの2人を未だに恐れていた。
目をそらして二人の横を通り過ぎようとした秕を、長身の不動が呼び止めた。またいじめられる、そう思った秕が、身を固くする。
しかし、不動の行動は、全くの予想外のものであった。彼は秕の目の前で、土下座をしたのだ。
「頼む柚木!! クロウの奴を助けてやってくれ!!」
「え!?」
秕は目を白黒させて戸惑った。今までの不動の言動とは、全く真逆のものだったからだ。
「先生がクロウのことを話しているのを聞いたんだ。あいつが取り憑かれてマガツカミになっちまったって!!」
古尾も、不動に合わせて床に伏せる。
「俺達が今までお前にやったことを考えると、虫のいい頼みだってのはわかってる。でも、俺達じゃどうしようもねえ。奴を助けられるのはスサノオを使えるお前だけだ!!」
「クロウは学園で浮いていた俺たちを差別しなかった。あいつは、口は悪いけど、すごくイイヤツなんだよ!!」
2人は頭を床に擦りつけた。周りの人間の視線が秕達に集まる。
「……そ、そんな事言われても……」
「頼む!!!!」
「……でも」
どうして良いかわからず、秕はうろたえた。先ほど妹に話したとおり、クロウを助けるにはクロウに勝たなければならない。しかしそれは、今の秕には不可能としか思えなかったのだ。
「……でも、でも、そんなの僕には無理だよ!!」
そう言うと秕は、2人の前から走って逃げ出した。
「お兄ちゃん!!」
菜乃が兄を追う。
後には、不動と古尾だけが残された。不動は歯を食いしばって床を殴りつけたが、秕を罵ったりはしなかった。
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◆カグツチ
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クロウは目を開けた。その肉体は、完全に「悪意」にのっとられていた。さきほどまで、本来のクロウの意識が残っていたのは、スサノオとの戦いによって肉体が疲労していたための一時的なものだろう。
「気がついたようだな」
突然声をかけられて、その部屋の扉が開いた。
「誰だっ!!」
クロウが振り返ると、一人の長身の若い男が立っていた。人間で言うと、20代前半といったところか。黒いローブを纏っている。
「恩人の声を忘れたか?」
クロウの背筋に冷たいものが走る。あの時と同じ感覚だ。あの時。休日の学校で、クロウはこの男に会っていた。そこで呪いに取り込まれ、代わりにクロトーの力を得たのだ。
「……恩人? そうか、テメェがオレに力をくれたやつだな」
「そういうことだ。私は『ファーブラ』のカグツチだ」
「ファーブラ?」
耳慣れない言葉に、クロウは眉をひそめた。現在の彼は、カグツチの呪術によってゆがめられた存在である。立場的にはマガツカミだが、知識や能力はクロウのままなので、彼らについて何も知らないのも当然であった。
「ファーブラは我々マガツ神族が属する勢力の名だ。この宇宙はいくつもの種族から成り立っている。マガツ神族……貴様らの言うマガツカミもそのうちのひとつにすぎん」
「……ファーブラ、ね」
改めてクロウはカグツチと名乗った男を観察した。
「(コイツもマガツカミなのか。ぱっと見は人間と変わらねーな)」
その男は確かに人間と同じ外見だった。しかしよく見ると、体が透き通っていて向こう側がうっすらと見えている。
「お前ら、ホントに霊なのか?」
「レイ?」
カグツチがクロウに向き直る。
「地球人の言う霊とはすこし違う。成り立ちは人間の魂とよく似ているが、我々は肉の体をもった『ヒト』が生まれるはるか以前からこの宇宙に存在している」
「まさか、神とでもいう気か?」
「バカな。だが、『ヒトより優れたもの』という意味でならそうかも知れないな」
「それで、お前らはいったい何をしにここまで来たんだ?」
カグツチを観察しつつ、クロウは聞いた。
「やっぱり、地球を滅ぼすつもりか? ……ま、オレには関係ないが」
男が笑ったようにクロウには思えたが、表情はさして変化していない。気のせいだったのかもしれない。
「そんな陳腐な理由ではない。いずれ分かる。――もっとも、滅ぼしてやってもよいがな」
「…………」
それがマガツカミの男の冗談なのか本気なのかクロウには分からなかったが、深く追求はしなかった。それよりももっと気になることがあるのだ。
「そんなことより、オレをもう一度戦わせろ。今度こそスサノオにトドメを刺してやる!!」
カグツチは無感動にクロウを見やった。
「今すぐ、というわけにはいかんな。お前の体は極度の疲労状態にある。それにまだ、甘さが残っているようだ」
彼は、クロウがアリスを前にして取り乱したことを言っているのだ。
「なんだと? オレは完全な『悪』だ。甘さなど残っているはずはない」
「『お前』はそうだろう。だが、お前の心の奥底に封印したはずの、『本来のお前』はまだ完全に消えたわけではない」
「……オレにどうしろと?」
「キサマには今少し時間が必要だ。完全にクロウの体を支配することと、『クロトー』に慣れること。そのために、この艦内でしばらく修行をしてもらう」
クロウは小さく舌打ちをした。
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◆秕の特訓 01
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病院のエントランスまで走ってきて、秕は足を止めた。元々体力が無い上に、戦いの疲労がまだ残っているのだろう。肩で息をしていた。
菜乃が追いついて来る。
秕は辞令を受け取った日の事を思い出していた。
――その程度の腕では使いものにならん――
「長官の言った通りだ」
秕の思考は堰を切ったように、どんどんネガティブなほうへと流れていった。
「もうおしまいだ。今度クロウが来ても誰にも止められない。スサノオが負けちゃったから、地球は滅びるしかないんだ!! みんな、僕もアリスちゃんも死んじゃうんだ!!!」
自暴自棄になって秕が叫ぶ。そんな兄を、菜乃は困り果てて見つめていた。
「(せっかくやる気になりかけてたのに、またもとにもどっちゃった。ううん、前よりも悪くなってるかも)」
事態は、彼女が思った以上に深刻だった。
「もう、おしまいなんだ」
「――だったら、家に帰って宿題でもしてろ」
振り返るとそこには宇宙艦隊司令長官、モーガン=ベルアルビ元帥と、四機隊指揮官、杉藤勇作の姿があった。病院まで秕の様子を見に来たのだ。
「長官、杉藤大佐……」
「やはり、言ったとおりだな。使い物にならん奴だ」
ベルアルビの厳しい顔がそこにあった。その瞳には深い失望が見て取れた。
「辞令は取り消しておく。もう用はない。地球へ帰れ」
それだけ言うと彼は秕に背を向けた。
「そんな、あの、待っ……」
長官は立ち止まらずに行ってしまった。
「杉藤大佐……」
助けを求めるように杉藤を見る。
「教えてください。僕はどうすればいいんですか?」
「そんなことも分からんのか?」
「え?」
「決まってるだろう。特訓あるのみだ。人の十倍特訓をして、不可能を可能にしてみせろ!! さもないと、本当にクビだ」
**********
数日後。南ゲートの外でPM同士の凄まじい模擬戦が行われていた。秕の特訓が始まったのだ。教官は秕の上官でもある杉藤だ。
13番機はすでに修理が終わっている。大半の部品を交換して、ほとんど新品になって工場から戻ってきていた。
「どーしたっ!! オラオラオラァ!!」
「うわあああ!!」
杉藤のF式PMが容赦なく秕のD式PM13番機を痛めつける。
秕はどうにか戦おうとはしていたが、まるで気合が入ってなかった。ちなみに、特訓中はスサノオの使用は禁止である。
「なにやってんだ、クズヤロウ!! 役立たずの能無しめ!! もっと気合を入れやがれ!!!」
**********
南ゲートの直上にあるゲート管制室は、月面都市の内側から外の荒涼とした景色を見渡せるようになっている。そこに、秕たちの特訓の様子を眺める三つの人影があった。
「容赦ないな、杉藤大佐は」
「彼にもわかっているのでしょう。秕くんをなんとかしなければ、我々に未来は無い、ということを。――かなり強引なやり方ですが……」
モーガン=ベルアルビ長官と火星艦隊司令ソン=ヨシュウである。
先日は厳しい事を言ったベルアルビだったが、心配で様子を見に来ているのだ。秕に言ったセリフは本心で事実でもあるのだが、一方で、秕のような子供に重い責任を背負わせねばならないことに、少なからず心を痛めているのだ。
「ふうん。あれがスサノオのマスターね」
それともう一人。抑揚のない、感情のこもらない声がつぶやく。この場に不釣合いな子供が、窓にへばりついて秕の訓練の様子を眺めていた。黒い大きなリボンがついた麦わら帽子をかぶった、白いワンピース姿の少女だ。年の頃は、菜乃と同年代あたりだろう。
「どうだ、ヘルガ。スサノオのパイロットの動きは?」
「私、アイツ嫌い。死ねばいいのに」
「…………」
ぶっきらぼうにヘルガは言った。
ジェネレーションギャップとでも言うのか、長官は彼女と話をするのが苦手だった。
窓の外に目をやる。特訓という名のシゴキが、休むことなく続けられていた。秕は防戦一方のサンドバック状態だ。
「ともかく、彼には是が非でも弱点を克服してもらわなければならないだろうな」
「弱点……?」
ヨシュウが問い返す。神妙な面持ちで、長官はうなずいた。
窓の外で、13番機が大きく弾き飛ばされた。そのままクレーターの外輪山の岩壁に衝突し、動きが止まる。
「スサノオの限界時間、基礎的な技術不足……。全部あげればキリがないが、特に問題となる弱点――」
「それは……?」
コクピットの中で、秕は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
色々な出来事があって、周りからも色々言われて、自分でも分かっているのにどうしようも無くて、心の整理が全く追いつかないのだ。
「もう嫌だ。もう、僕にはムリだよ……」
秕は子供のように泣き言を言った。
「――彼は精神的に弱すぎる」
それは、パイロットに必要な最も基本的な要素であり、それゆえに、最も重大な弱点であると言えた。
しかしそれも、秕の年齢を考えれば致し方の無いことのように思える。
彼の弱さを攻めるのは簡単だ。彼の現状を知って、大人たちは無責任に言う。「情けない」「無能」「失望した」……と。
しかしそれは、想像力の無さが言わしめるセリフである。自分がその年齢の時どうだったか。あれほどの責任を背負った事があるのか。あれほどの死の恐怖と向かい合ったことがあるのか。文句を言う者に限って、そんな事出来はしないのだ。
……ただ、だからといって、秕の弱さを許容できるほど、今の地球の状態は良好だとは言えなかった。敵に対するには、スサノオの、秕の力がどうしても必要なのだから。故に、ベルアルビはあえて厳しく秕に接しているのだ。
「……そうですね」
「アレでは、スサノオの『真の力』を目覚めさせるのは不可能だ」
「ええ」
「真の力を引き出せるかどうか。全ては彼の心しだい、ということだ」
―――――――――――――――――――
◆イワクス
―――――――――――――――――――
しばらくして歩けるようになったクロウは、マガツカミの船イワクスの中をウロウロと動き回った。もちろん、行ける場所は制限されてはいたが。
部屋の外は長い廊下になっていた。改めてみると、不気味な、金属とも生物とも異なる奇妙な質感の素材でこの船は出来ている。まるでセンスのない近代アートのようなデザインだ。
艦内では幾人(?)もの、マガツカミたちが忙しそうに働いていた。その中の数人とクロウは話すことが出来た。
マガツカミにも様々なタイプの者がいるようだ。
「地球人は我々のことをまとめてマガツカミと呼んでいるようだが、それは正しくない。マガツカミというのは我々の種族名であって、兵器の名前ではない」
「艦船形態のものを『浮船』、人型の兵器を『依神』と呼んでいる。地上に派遣したシラヒトやコクミ、キサマの『クロトー』はヨルガミの一種だ。ウキフネやヨルガミもさらに細かく分類されるんだが、まあ今はいいだろう」
「そういやオレたちは、何でもかんでもマガツカミって呼んでたな。ま、どうでもいいけどよ」
ここまで来て、クロウはふと疑問に思うことがあった。
「……ところで、なんで言葉が通じるんだ?」
「フン。これだから下等種族は……。我々は肉体や脳の制限にとらわれることなく、直接精神で意志の疎通を図ることが出来るのだ」
彼らの身体は「霊体」である。人間の魂とほとんど同じ性質を持つといってよい。つまり彼らとの会話は脳を通さない、魂同士の直接的なコミュニケーションということだ。脳を通さない以上、言語は不要となる。
クロウは魂で「聞いた」相手の「意志」を脳で言語に変換するという、通常とは異なるプロセスで理解していた。もちろん、クロウ本人はそれを意識してやっているわけではない。逆もまた同様だ。
ただ、日本語に存在しない単語等は、近い発音のカタカナに置き換わることもあった。
「……なるほどな」
異星の存在であるマガツカミの話し方が妙に地球的なのも、その辺に理由があった。
ここに菜乃がいれば、もっと色々な事に興味を持っただろうが、クロウにはどうでも良い事だった。
そんなクロウの様子を伺うものがいた。
「あなたが、捕まった地球人ですか?」
「なんだテメーは」
クロウの前に1つの人影が水平移動してきた。歩く必要のないマガツカミはまれにこういった動きをする。
「私はハルナ。マガツ神族、六族のひとり」
そう言って、少女の形をしたマガツカミは微笑んだ。まるで咲き乱れる花のように美しい少女で、半裸に近い格好をしていたが全く下品ではなく、むしろ神々しささえ感じられた。肌が文字通り透き通って、ほのかに発光しているからだろうか。
「何の用だ」
「別に。ただ、見学しに来ただけです。なにせ、生物を見るのは数千年ぶりですから」
少女のマガツカミは微笑んだが、クロウは魂が凍えるのを感じた。
【続く】
◆敵の中
―――――――――――――――――――
月から程近い宙域に、艦船形態のマガツカミが数体漂っていた。彼らは、太陽系外縁を攻略している先遣隊とは別の集団であり、別の目的があるようだった。
その中心に、ひときわ大きな個体「石楠」があった。この船は、全長約1800mの母艦クラスで、深海の発光生物のような半透明な外装に包まれ、先端は槍のように鋭く尖っている。
内部には神殿のような施設をはじめ、大小様々な空間があり、そこでは人間サイズのマガツカミが忙しく動きまわっていた。
ある部屋で作業をしていた作業員たちが不意に手を止め、地面にはいつくばって平伏した。部屋に一人の男が入ってきたためだ。
姿形こそ人間のそれであったが、男の纏う衣服や雰囲気等は、人間とは――地球人とは――程遠い、全く異なる文明体系のものであった。その体は半透明で薄く発光しており、神秘的で、神々しさすら感じられた。男の身長は180を軽く超えている。まるで高名な彫刻家によるブロンズ像のような非の打ち所のない容姿をしていた。マガツ神族、六族の1人、カグツチと呼ばれる男だった。
「作業を続けろ」
口調は静かで、その声に熱はなく、その瞳には時間さえ凍りつかせるほどの冷たい輝きがあった。
男が告げると彼の部下は萎縮したまま恐る恐る身を起こし、先ほどの作業の続きをはじめた。部下たちは彼を恐れているのだ。とはいえ、別にカグツチが彼らに何かしたというわけではない。彼が発する殺人的なまでの威圧感が部下たちを圧倒しているのだ。
カグツチは、窓から隣の部屋の様子を伺った。その視線の先には、地球人である水凪九郎が横たわっていた。眠っているようだったが、ひどくうなされていた。また、その部屋の奥には、PMクロウ機が格納されていた。
他のマガツカミと同様、イワクスも実体を持たない霊子で構成されている。通常ならば人間のような物質界の住人や道具には触れることも出来ないものだが、イワクスには例外的に特殊な術が施されていた。
つまり、その内部には通常物質と同様の性質を持つ、異なる次元の空間が作られていたのだ。そのおかげでクロウやPMなどがこぼれ落ちることなく、この個体の中にとどまっていられる。
「どうだ?」
うめき声をあげるクロウを、冷ややかに見つめながらカグツチは脇にいる作業員に尋ねた。
「相当疲弊しているようでございます。数日は休息が必要かと」
「修行もせず、無理やり『力』を与えたからな。肉の体とは不便なものだ。まあよい。回復し次第私に知らせろ」
「は」
しばらくカグツチはクロウを眺めていた。そこからは何の感情も、何の思惑も感じ取ることは出来なかった。
「……すべては、レタルヒュレウ様のために」
―――――――――――――――――――
◆悪意
―――――――――――――――――――
「俺が最強だ。俺が最強だ。俺が最強だ。俺が最強だ。俺が最強だ……」
赤黒い液体に満たされた陰鬱な沼地にクロウは立っていた。
闇に支配されたクロウの意識の中の世界。その中でクロウは、何かに取り憑かれたようにうわごとを繰り返している。
月の地下遺跡で、クロウは秕を――スサノオを倒した。これで、名実ともに最強になれたはずだった。だが、なぜか釈然としない。押さえきれない苛立ちで、彼の声は上ずっている。
「――誰がなんと言おうと、このオレが最強だ!!」
苛立ちを振り払うようにクロウは叫んだ。
その彼をあざ笑う何者かの声が聞こえてくる。
「残念ながらそれは違うな」
声は、きっぱりとそれを否定した。
「なんだと!!? 誰だテメェ、出てこい!!!」
血走った目で、クロウが振り返る。休日の学校で会った黒いローブの男の声ではない。どこかで聞いたことのあるような声だが、それが誰なのか思い出せない。声は続けて言う。
「最強はスサノオだ」
「く……!!」
その声が、鋭いナイフとなって彼の心をえぐる。
「う、うるさいっ!! オレは勝ったんだ。スサノオを倒したんだ……!!」
「マガツカミ、クロトーの力を借りて……な」
「……ッ!!」
「真の最強は……秕だ!!」
言葉の一つ一つがクロウの心に深刻なダメージを与えた。なぜならば、それがクロウにもわかっている真実であるからだ。
「……だ、誰なんだ、出てこい!!」
クロウの声に応じて、1つの人影が目の前に現れた。……声に聞き覚えがあるのも当然だった。そこに浮かんだ影は、クロウ本人の顔だったのだから。
「オレはお前だよ。呪いによって分裂、増幅された『悪意』。今、『ミズナギクロウ』の体を支配しているのはこの俺だ」
それは、まさしく「悪意」だった。クロウの中の普段押さえ込まれていた衝動が、呪いの力で開放され主導権を奪ったのだ。だが、「クロウ」が別人になったわけではない。この「悪意」と名乗った意識体も、クロウの心の別の側面であることに変わりは無いのだから。
「悪意」は、バカにしたように「本来のクロウ」を見下ろした。
「……これは『呪い』なんだよ。『呪癌』という名の、呪い。そしてオレは、強い毒性を持った闇だ。お前を……つまり『良心』をジワジワ蝕んで食い尽くす」
「ふざけんなっ!! そんなことさせるもんかよ!!」
「フン。どうかなァ?」
悪意は手をかざした。それに合わせるように、本来のクロウを取り囲んでいた「気配」がうごめきはじめる。
「ミズナギクロウの心はヤミに満ちている。功名心、独善、ねたみ。そんなものがウジャウジャと渦巻いている。すごく居心地がいいぞ?」
本来のクロウは何も言い返せなかった。秕をねたんだことや、すこしの挫折で自暴自棄になったこと、他にも色々と思い当たることがあったからだ。うつむいたまま、声を詰まらせる。
悪意がおぞましい含み笑いを見せた。勝利を確信した笑いだ。
「後はオレにまかせてテメーは眠っていろ!!」
悪意が手を振ると、本来のクロウめがけて、一斉に「気配」が踊り掛かった。
「なにっ!!?」
気配の正体は、地上で見た無数の「血まみれの手」だった。それが、一万匹のヘビのようにクロウの体に殺到する。
「……もう二度と、目覚める必要のない眠りだがな」
手は際限なくその数を増やし、なだれのように彼を飲み込んでしまった。
「…………!!」
「安心しろ。オレがテメーの願いをかなえてやる」
「悪意」の目が暗い光をたたえる。浸食される心。歪む理性。悪意は、勝ち誇って宣言した。
「どんな手を使ってでも……このオレが最強の座を手に入れてやる!!!」
狂気に満ちた高笑いが部屋に響き渡った。本来のクロウの意識は、再び深い闇の中へ消えていった。
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◆あせり
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月面都市ネクロポリスにある枢機軍の病院で、柚木秕は治療を受けていた。妹の菜乃が心配そうに付き添っている。
あの後、クロウ達が侵入してきた別経路を発見し、自力で遺跡を脱出した秕たちは、月面上で彼らを探していた杉藤に保護されていた。
「ありがとうございました」
礼を言って、二人は診察室を出る。訓練中の怪我なので治療費はかからない。
「よかったね。たいしたことなくて」
心底ほっとして菜乃が言った。秕の怪我は軽傷で、PMの操作にはまったく支障はないらしい。13番機の補修作業も最優先で行われている。しかし、秕は浮かないようすで、うつむき加減に歩いていた。
「それにしても、クロウさん、いったいどうしてあんなこと……」
「……あれは、多分呪いだよ。クロウは呪いによって、正気を失ってるんだ。しかも、ちょっとやそっとで解けるようなものじゃない。相当強力な呪いだ」
「ふーん」
「ふーんて。軽いなァ、菜乃は」
「だって。呪いならオガミヤの得意分野でしょ? お兄ちゃんならすぐに解くことが出来るんじゃないの?」
「呪術が通用すればね。さっきの戦いで分かったんだけど、あの敵にはなぜか全く術が効かなかったんだ」
「……てことは?」
「力ずくで動きを止めて、クロウを捕まえるしかない。その後で改めて呪いを解くんだ」
「ああ、そうか。それには、クロウさんと戦って勝たなきゃいけないのね。勝てそう?」
秕は疲れた笑顔で妹を見た。
「……僕は、クロウには勝てる気がしないんだ」
消え入りそうな声で言う。
「そうよね。さっきあんなに完璧に負けたばっかりだもんね」
「それだけじゃないんだ……無理なんだ。僕はクロウには勝てない……」
「どうして?」
妹は、いぶかしげに兄を見つめた。
「だって僕は……、ゲームもケンカも、スポーツでもPM操作でも、今まで一度だってクロウに勝ったことないんだから……」
菜乃は軽くため息をついた。
「……サイアクね」
―――――――――――――――――――
◆不動と古尾
―――――――――――――――――――
診察室の外の待合室を通り過ぎた2人を、意外な人物が待ち受けていた。つい最近まで、秕のことを散々いじめていたクラスメイトの不動栄二と古尾米太だ。相変わらず制服を着崩している。ヤジられるのは日常茶飯事で、物を隠されたり、教科書をゴミ箱に捨てられた事もあった。最近はいじめられなくなったとはいえ、秕はこの2人を未だに恐れていた。
目をそらして二人の横を通り過ぎようとした秕を、長身の不動が呼び止めた。またいじめられる、そう思った秕が、身を固くする。
しかし、不動の行動は、全くの予想外のものであった。彼は秕の目の前で、土下座をしたのだ。
「頼む柚木!! クロウの奴を助けてやってくれ!!」
「え!?」
秕は目を白黒させて戸惑った。今までの不動の言動とは、全く真逆のものだったからだ。
「先生がクロウのことを話しているのを聞いたんだ。あいつが取り憑かれてマガツカミになっちまったって!!」
古尾も、不動に合わせて床に伏せる。
「俺達が今までお前にやったことを考えると、虫のいい頼みだってのはわかってる。でも、俺達じゃどうしようもねえ。奴を助けられるのはスサノオを使えるお前だけだ!!」
「クロウは学園で浮いていた俺たちを差別しなかった。あいつは、口は悪いけど、すごくイイヤツなんだよ!!」
2人は頭を床に擦りつけた。周りの人間の視線が秕達に集まる。
「……そ、そんな事言われても……」
「頼む!!!!」
「……でも」
どうして良いかわからず、秕はうろたえた。先ほど妹に話したとおり、クロウを助けるにはクロウに勝たなければならない。しかしそれは、今の秕には不可能としか思えなかったのだ。
「……でも、でも、そんなの僕には無理だよ!!」
そう言うと秕は、2人の前から走って逃げ出した。
「お兄ちゃん!!」
菜乃が兄を追う。
後には、不動と古尾だけが残された。不動は歯を食いしばって床を殴りつけたが、秕を罵ったりはしなかった。
―――――――――――――――――――
◆カグツチ
―――――――――――――――――――
クロウは目を開けた。その肉体は、完全に「悪意」にのっとられていた。さきほどまで、本来のクロウの意識が残っていたのは、スサノオとの戦いによって肉体が疲労していたための一時的なものだろう。
「気がついたようだな」
突然声をかけられて、その部屋の扉が開いた。
「誰だっ!!」
クロウが振り返ると、一人の長身の若い男が立っていた。人間で言うと、20代前半といったところか。黒いローブを纏っている。
「恩人の声を忘れたか?」
クロウの背筋に冷たいものが走る。あの時と同じ感覚だ。あの時。休日の学校で、クロウはこの男に会っていた。そこで呪いに取り込まれ、代わりにクロトーの力を得たのだ。
「……恩人? そうか、テメェがオレに力をくれたやつだな」
「そういうことだ。私は『ファーブラ』のカグツチだ」
「ファーブラ?」
耳慣れない言葉に、クロウは眉をひそめた。現在の彼は、カグツチの呪術によってゆがめられた存在である。立場的にはマガツカミだが、知識や能力はクロウのままなので、彼らについて何も知らないのも当然であった。
「ファーブラは我々マガツ神族が属する勢力の名だ。この宇宙はいくつもの種族から成り立っている。マガツ神族……貴様らの言うマガツカミもそのうちのひとつにすぎん」
「……ファーブラ、ね」
改めてクロウはカグツチと名乗った男を観察した。
「(コイツもマガツカミなのか。ぱっと見は人間と変わらねーな)」
その男は確かに人間と同じ外見だった。しかしよく見ると、体が透き通っていて向こう側がうっすらと見えている。
「お前ら、ホントに霊なのか?」
「レイ?」
カグツチがクロウに向き直る。
「地球人の言う霊とはすこし違う。成り立ちは人間の魂とよく似ているが、我々は肉の体をもった『ヒト』が生まれるはるか以前からこの宇宙に存在している」
「まさか、神とでもいう気か?」
「バカな。だが、『ヒトより優れたもの』という意味でならそうかも知れないな」
「それで、お前らはいったい何をしにここまで来たんだ?」
カグツチを観察しつつ、クロウは聞いた。
「やっぱり、地球を滅ぼすつもりか? ……ま、オレには関係ないが」
男が笑ったようにクロウには思えたが、表情はさして変化していない。気のせいだったのかもしれない。
「そんな陳腐な理由ではない。いずれ分かる。――もっとも、滅ぼしてやってもよいがな」
「…………」
それがマガツカミの男の冗談なのか本気なのかクロウには分からなかったが、深く追求はしなかった。それよりももっと気になることがあるのだ。
「そんなことより、オレをもう一度戦わせろ。今度こそスサノオにトドメを刺してやる!!」
カグツチは無感動にクロウを見やった。
「今すぐ、というわけにはいかんな。お前の体は極度の疲労状態にある。それにまだ、甘さが残っているようだ」
彼は、クロウがアリスを前にして取り乱したことを言っているのだ。
「なんだと? オレは完全な『悪』だ。甘さなど残っているはずはない」
「『お前』はそうだろう。だが、お前の心の奥底に封印したはずの、『本来のお前』はまだ完全に消えたわけではない」
「……オレにどうしろと?」
「キサマには今少し時間が必要だ。完全にクロウの体を支配することと、『クロトー』に慣れること。そのために、この艦内でしばらく修行をしてもらう」
クロウは小さく舌打ちをした。
―――――――――――――――――――
◆秕の特訓 01
―――――――――――――――――――
病院のエントランスまで走ってきて、秕は足を止めた。元々体力が無い上に、戦いの疲労がまだ残っているのだろう。肩で息をしていた。
菜乃が追いついて来る。
秕は辞令を受け取った日の事を思い出していた。
――その程度の腕では使いものにならん――
「長官の言った通りだ」
秕の思考は堰を切ったように、どんどんネガティブなほうへと流れていった。
「もうおしまいだ。今度クロウが来ても誰にも止められない。スサノオが負けちゃったから、地球は滅びるしかないんだ!! みんな、僕もアリスちゃんも死んじゃうんだ!!!」
自暴自棄になって秕が叫ぶ。そんな兄を、菜乃は困り果てて見つめていた。
「(せっかくやる気になりかけてたのに、またもとにもどっちゃった。ううん、前よりも悪くなってるかも)」
事態は、彼女が思った以上に深刻だった。
「もう、おしまいなんだ」
「――だったら、家に帰って宿題でもしてろ」
振り返るとそこには宇宙艦隊司令長官、モーガン=ベルアルビ元帥と、四機隊指揮官、杉藤勇作の姿があった。病院まで秕の様子を見に来たのだ。
「長官、杉藤大佐……」
「やはり、言ったとおりだな。使い物にならん奴だ」
ベルアルビの厳しい顔がそこにあった。その瞳には深い失望が見て取れた。
「辞令は取り消しておく。もう用はない。地球へ帰れ」
それだけ言うと彼は秕に背を向けた。
「そんな、あの、待っ……」
長官は立ち止まらずに行ってしまった。
「杉藤大佐……」
助けを求めるように杉藤を見る。
「教えてください。僕はどうすればいいんですか?」
「そんなことも分からんのか?」
「え?」
「決まってるだろう。特訓あるのみだ。人の十倍特訓をして、不可能を可能にしてみせろ!! さもないと、本当にクビだ」
**********
数日後。南ゲートの外でPM同士の凄まじい模擬戦が行われていた。秕の特訓が始まったのだ。教官は秕の上官でもある杉藤だ。
13番機はすでに修理が終わっている。大半の部品を交換して、ほとんど新品になって工場から戻ってきていた。
「どーしたっ!! オラオラオラァ!!」
「うわあああ!!」
杉藤のF式PMが容赦なく秕のD式PM13番機を痛めつける。
秕はどうにか戦おうとはしていたが、まるで気合が入ってなかった。ちなみに、特訓中はスサノオの使用は禁止である。
「なにやってんだ、クズヤロウ!! 役立たずの能無しめ!! もっと気合を入れやがれ!!!」
**********
南ゲートの直上にあるゲート管制室は、月面都市の内側から外の荒涼とした景色を見渡せるようになっている。そこに、秕たちの特訓の様子を眺める三つの人影があった。
「容赦ないな、杉藤大佐は」
「彼にもわかっているのでしょう。秕くんをなんとかしなければ、我々に未来は無い、ということを。――かなり強引なやり方ですが……」
モーガン=ベルアルビ長官と火星艦隊司令ソン=ヨシュウである。
先日は厳しい事を言ったベルアルビだったが、心配で様子を見に来ているのだ。秕に言ったセリフは本心で事実でもあるのだが、一方で、秕のような子供に重い責任を背負わせねばならないことに、少なからず心を痛めているのだ。
「ふうん。あれがスサノオのマスターね」
それともう一人。抑揚のない、感情のこもらない声がつぶやく。この場に不釣合いな子供が、窓にへばりついて秕の訓練の様子を眺めていた。黒い大きなリボンがついた麦わら帽子をかぶった、白いワンピース姿の少女だ。年の頃は、菜乃と同年代あたりだろう。
「どうだ、ヘルガ。スサノオのパイロットの動きは?」
「私、アイツ嫌い。死ねばいいのに」
「…………」
ぶっきらぼうにヘルガは言った。
ジェネレーションギャップとでも言うのか、長官は彼女と話をするのが苦手だった。
窓の外に目をやる。特訓という名のシゴキが、休むことなく続けられていた。秕は防戦一方のサンドバック状態だ。
「ともかく、彼には是が非でも弱点を克服してもらわなければならないだろうな」
「弱点……?」
ヨシュウが問い返す。神妙な面持ちで、長官はうなずいた。
窓の外で、13番機が大きく弾き飛ばされた。そのままクレーターの外輪山の岩壁に衝突し、動きが止まる。
「スサノオの限界時間、基礎的な技術不足……。全部あげればキリがないが、特に問題となる弱点――」
「それは……?」
コクピットの中で、秕は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
色々な出来事があって、周りからも色々言われて、自分でも分かっているのにどうしようも無くて、心の整理が全く追いつかないのだ。
「もう嫌だ。もう、僕にはムリだよ……」
秕は子供のように泣き言を言った。
「――彼は精神的に弱すぎる」
それは、パイロットに必要な最も基本的な要素であり、それゆえに、最も重大な弱点であると言えた。
しかしそれも、秕の年齢を考えれば致し方の無いことのように思える。
彼の弱さを攻めるのは簡単だ。彼の現状を知って、大人たちは無責任に言う。「情けない」「無能」「失望した」……と。
しかしそれは、想像力の無さが言わしめるセリフである。自分がその年齢の時どうだったか。あれほどの責任を背負った事があるのか。あれほどの死の恐怖と向かい合ったことがあるのか。文句を言う者に限って、そんな事出来はしないのだ。
……ただ、だからといって、秕の弱さを許容できるほど、今の地球の状態は良好だとは言えなかった。敵に対するには、スサノオの、秕の力がどうしても必要なのだから。故に、ベルアルビはあえて厳しく秕に接しているのだ。
「……そうですね」
「アレでは、スサノオの『真の力』を目覚めさせるのは不可能だ」
「ええ」
「真の力を引き出せるかどうか。全ては彼の心しだい、ということだ」
―――――――――――――――――――
◆イワクス
―――――――――――――――――――
しばらくして歩けるようになったクロウは、マガツカミの船イワクスの中をウロウロと動き回った。もちろん、行ける場所は制限されてはいたが。
部屋の外は長い廊下になっていた。改めてみると、不気味な、金属とも生物とも異なる奇妙な質感の素材でこの船は出来ている。まるでセンスのない近代アートのようなデザインだ。
艦内では幾人(?)もの、マガツカミたちが忙しそうに働いていた。その中の数人とクロウは話すことが出来た。
マガツカミにも様々なタイプの者がいるようだ。
「地球人は我々のことをまとめてマガツカミと呼んでいるようだが、それは正しくない。マガツカミというのは我々の種族名であって、兵器の名前ではない」
「艦船形態のものを『浮船』、人型の兵器を『依神』と呼んでいる。地上に派遣したシラヒトやコクミ、キサマの『クロトー』はヨルガミの一種だ。ウキフネやヨルガミもさらに細かく分類されるんだが、まあ今はいいだろう」
「そういやオレたちは、何でもかんでもマガツカミって呼んでたな。ま、どうでもいいけどよ」
ここまで来て、クロウはふと疑問に思うことがあった。
「……ところで、なんで言葉が通じるんだ?」
「フン。これだから下等種族は……。我々は肉体や脳の制限にとらわれることなく、直接精神で意志の疎通を図ることが出来るのだ」
彼らの身体は「霊体」である。人間の魂とほとんど同じ性質を持つといってよい。つまり彼らとの会話は脳を通さない、魂同士の直接的なコミュニケーションということだ。脳を通さない以上、言語は不要となる。
クロウは魂で「聞いた」相手の「意志」を脳で言語に変換するという、通常とは異なるプロセスで理解していた。もちろん、クロウ本人はそれを意識してやっているわけではない。逆もまた同様だ。
ただ、日本語に存在しない単語等は、近い発音のカタカナに置き換わることもあった。
「……なるほどな」
異星の存在であるマガツカミの話し方が妙に地球的なのも、その辺に理由があった。
ここに菜乃がいれば、もっと色々な事に興味を持っただろうが、クロウにはどうでも良い事だった。
そんなクロウの様子を伺うものがいた。
「あなたが、捕まった地球人ですか?」
「なんだテメーは」
クロウの前に1つの人影が水平移動してきた。歩く必要のないマガツカミはまれにこういった動きをする。
「私はハルナ。マガツ神族、六族のひとり」
そう言って、少女の形をしたマガツカミは微笑んだ。まるで咲き乱れる花のように美しい少女で、半裸に近い格好をしていたが全く下品ではなく、むしろ神々しささえ感じられた。肌が文字通り透き通って、ほのかに発光しているからだろうか。
「何の用だ」
「別に。ただ、見学しに来ただけです。なにせ、生物を見るのは数千年ぶりですから」
少女のマガツカミは微笑んだが、クロウは魂が凍えるのを感じた。
【続く】
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