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03 中世
中世05 ~ルーヴラ・アクシエ~
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◆遺産
―――――――――――――――――――
【アールヴ歴16年】
ルーヴ達の冒険から遡ること約23万年前。
レイドークの地にアールヴが住み着いてより10数年後。生活が軌道に乗り、余裕が出始めたばかりの頃。彼等は地下に巨大な洞窟を発見し、その一角に小さな宝物庫を作った。赤毛の青年が、腰巻きに挿したナイフを取り出してその中に入る。
「本当にそれでいいの?」
「……ああ」
青年はナイフをじっと見つめた。黒曜石と木の枝から作られた簡素なナイフ。刃の部分に紅い宝玉が埋め込まれている。彼は、そのナイフを小さな飾り台の上に置いた。
――ヒトはいつか死ぬ。この世界だって、いつか滅ぶ――
彼の脳裏に、かつて聞いた言葉が蘇った。
「このナイフの力は簡単に使っていいものじゃない。でも、遠い未来のアールヴが困ったとき、助けになるんじゃないかって思って」
「……そう。そうだね」
歩き出そうとして青年が少しよろけた。左腕が無いためにバランスを崩したのだ。すかさず若い娘が彼を支える。プラチナ色の彼女の髪が揺れて青年の右手をそっと撫でた。
「きっといつか、誰かの役にたつよ!」
彼等に未来が見えていたわけでは無い。だが、漠然と何か感じることがあったのかも知れない。そして――
―――――――――――――――――――
◆賢者
―――――――――――――――――――
【アールヴ暦23万4009年】
【帝国暦1118年】
――現在。
亜竜を一瞬で吹き飛ばしたクロロの攻撃魔法が、不意を突かれたユウナギとクレスレブに襲いかかる。圧倒的な魔力の奔流。直撃こそ免れたものの、死の暴風が2人を草でも刈るようになぎ倒した。
「ラギ! クレスレブ!」
ルーヴが叫ぶ。ラギと呼ばれたユウナギは気を失っている。人狼クレスレブは意識はあったが起き上がれないようだ。彼の変身は解け、元の狼頭人身に戻っている。
「う、うそ……ユウナギくん達が負けるなんて……!!?」
隅にいたウサコが愕然として、蚊の泣くような声を漏らした。
レイドーク地下迷宮、宝物庫を発見したルーヴ達を待っていたのは意外な人物であった。村の酒場で出会ったクロロと名乗る謎の女だ。どういう訳かルーヴ達の後をつけてきた彼女は、突然彼等に襲いかかってきたのだ。
「(ありゃ?)」
その攻撃を仕掛けた当の本人が驚いた顔をした。
「(おかしいのう。弱すぎる……)」
倒れた2人をリリルに任せて、ルーヴがクロロに向き直った。
「何のつもりだ? オレの仲間に手を出すなんて」
鉄剣をクロロの方に突き出して、押し殺した声で静かに言う。
「いやなに。ワシはただ知りたいだけじゃ。……おぬしらの正体を、な」
またしても無詠唱でクロロは魔法を放った。半歩体をずらして攻撃をかわしつつ、ルーヴは一気に間合いを詰めて斬撃を繰り出した。もはや疑いようはない。この女は敵だ。彼の剣に迷いはなかった。しかし、彼が斬った女は水面に映る影のように揺らいで掻き消えた。直後、彼の背後にクロロが現れる。
「!?」
咄嗟に彼は間合いをとった。ここで遠距離攻撃といきたいところだが、実はルーヴは遠距離の攻撃魔法を使えない。
遅ればせながらシアとレイドが加わって、3人でクロロに対峙する。
「ルーヴ、あの人、只者じゃないよ。無詠唱魔法なんて聞いたこともない」
「ああ。それに、さっきの瞬間移動っぽいヤツもな」
底の知れない敵に対してかなりの危機的状況にあるはずなのだが、ルーヴにはどこか余裕があった。大きく息を吸って吐く。鉄剣を上段に構え、不敵に笑う。
「まあどっちにしろ、勝つのはオレ達だけどな」
それが若者特有の根拠の無い自信なのかどうなのか。ただ、彼等はここまでの旅で様々な経験を積んでいる。
「まったく。その自信はどこからくるんだか」
首を軽く振りながらレイドが言う。言いつつ彼も、ルーヴ同様負けるつもりはなさそうだ。
「同胞の黄泉の獣。深甚なる揺ぎの連鎖。冥府の理を以って無慙無愧を撃て!! ――霊鬼召喚!!」
シアが死霊魔法で霊鬼を4体召喚した。
「2人とも、話は後!」
実力は及ばないが、数で圧倒する気なのだろう。ルーヴとレイドが即座に反応した。3人+4体が連携して波状攻撃を加える。しかしそれでも、クロロは平気で話し続けた。
「ヌシらは創世記を知っとるかの? ワシは長年、それに登場する賢者を探し求めてきた」
シアと霊鬼の攻撃が軽々と避けられる。
「その結果、ついに見つけたのじゃ――さっきの2人を、な」
ダウンしているユウナギとクレスレブに、クロロはちらりと目をやった。
「ま、まさか!? あの2人が賢者!?」
寝耳に水とばかりに、ルーヴが目を丸くする。
「……と思ったんじゃが、どうやら違ったようじゃ」
「――んだよ、紛らわしい! もう少しで信じる所だっただろ!」
彼女は舌をペロリと出した。その仕草と年齢に若干の違和感を感じつつも、ルーヴは間断なく攻撃を続けクロロはそれをあしらい続けた。
「と、なると、他に怪しいのはおぬしら3人。賢者は3人のうちのだれか、ということになる。いや、なって欲しいのじゃ」
「はあ? 何をバカな」
逃げまわってばかりいたクロロがここで攻勢に転じた。話は終わったということだ。
「――そんなワケじゃ。さあ、正体を現わせ賢者よ!!」
―――――――――――――――――――
◆クロロの力
―――――――――――――――――――
「わーっ! ユウナギくん、しんじゃいやー」
倒れたユウナギのそばで、ウサコが泣きじゃくっていた。蛇髪族である彼女は頭部に2匹の蛇が生えており、その蛇も涙を流している。リリルがなだめても、クレスレブが声をかけても彼女は泣きやまない。一番困ったのは気絶しているはずのユウナギだった。
〈まったくこいつだけは。……しかたない〉
ユウナギは秘匿回線を使って、ため息混じりにウサコに話しかけた。
〈ウサコ落ち着け。僕は平気だ〉
「はへ?」
クレスレブやリリルはもちろん、その事に気付いていた。ユウナギは不老不死不滅不敗の神なのだ。あれしきの攻撃で死ぬはずも気絶するはずもない。では何故こんな小芝居を打ったのか。
〈初めて会った時から気になってたんだが、あのクロロって人は普通じゃない。だから僕らの力を知られないために、わざとやられたフリをしたんだよ。クレスレブもな〉
〈ふえ?〉
〈……つーか、お前も神使ならそれぐらい分かれよ!〉
空気が抜けたようにうなだれて、ウサコは安堵のため息をついた。
〈も、もう、びっくりさせないでよー〉
緩みきった顔をして、ウサコが抗議した。彼女なりに本気で心配だったのだろう。頭の蛇は怒っている。
〈しかも、さっき賢者を探してるって言ってたし、ひょっとしたら例の"片目の男"と関係があるという可能性もある。だから少し様子を見たいんだ。ウサコは大人しくしててくれ〉
〈う、うけたまり〉
**********
「――正体を現わせ賢者よ!!」
クロロが両腕を広げると、薄い円盤状の魔力の塊が水のように溢れて広がった。涼し気な見た目とは裏腹に、途方もない魔力を内包しているのがよく分かる。ルーヴは全身の皮膚が引きつるような圧迫感を感じていた。
「させない!」
クロロの攻撃より早くシアの攻撃魔法が発動した。ルーヴが注意を引いている間に呪文の詠唱を済ませたのだ。大雷撃槍の雷槌がクロロの"魔力の塊"に叩きつけられる。瞬間、大気を揺るがすような大爆発はどういう訳か起こらず、シアの魔法は霞となって消滅した。
「な!? え? 何今の!? 魔法が消えた!?」
「きゅ、吸収したのか!?」
初めて見る現象に、シアが動揺を隠しきれず後ずさり、レイドが目を見張る。
〈いや、そんなものじゃない、まさか今のは!?〉
思わず起き上がりそうになって、ユウナギは慌ててこらえた。額には冷たい汗が滲んでいる。
「ちょっと違うのぅ」
クロロがご丁寧に解説をはじめた。
「正確には魔法に含まれる"時間"を巻き戻して、魔法を魔力の状態に還元したのじゃ」
「じ、時間!?」
上ずった声でレイドが言う。
クロロは得意げな顔をしてさらに解説を続けた。
「この"魔力の塊"は圧縮され液体化した"時間"、時の水。これには、触れたモノの時間を操作する力があるのじゃ」
〈……やはり時間操作か! まさか、僕達以外で……!〉
これほど早くにアールヴが時間を操作できるようになるとは、ユウナギは思ってもいなかった。想像を超える彼等の魔法の進化に、彼は戦慄にも似た感覚を覚えていた。
「くっ!」
シアの魔法に合わせて攻撃しようとしていたルーヴとレイドは、すっかりタイミングを狂わされてしまった。連携に乱れが生じ、少なからぬ隙が生まれる。その隙を見逃すほど、クロロは寛容ではなかった。
「さあどうした。力を見せよ!!」
時の水をペットのように操りながら、クロロは攻撃態勢に入った。亜竜を倒した時と較べて数倍の量がある。そのせいで動作は遅いが、破壊力がどれだけ膨れ上がるのか想像するのも恐ろしい。
「とくと味わえ! 時間素子加速砲!!」
それは呪文ではなく、技名だった。呪文を唱える必要がないクロロが技名を口にしたのは、長年培われたアールヴの習性かもしれなかった。
「まずっ!」
レイドが防壁魔法を展開しようとしたが、間に合わない。
時の水が蛟のように放たれて牙をむく。ルーヴ、レイド、シアの3人はギリギリで回避したものの、直撃を受けた壁は一瞬で膨張し大爆発を起こした。衝撃によってシアが弾き飛ばされ、柱に激突し背骨が軋んだ。
「シア!?」
ルーヴの視線の先で、床にずり落ちたシアが喀血し横たわる。
「さっきのは巻き戻し。今度は早送りじゃ」
時間加速魔法を受けると、各原子に含まれる"時間素子"が急激に加速され、原子の固有時間は"早送り状態(加速状態)"となる。エンジンの回転数を上げすぎた時のように、もしくは、手を擦って摩擦熱が発生するように、限界を超えて加速された原子は莫大なエネルギーを一気に放出して燃え尽き、大爆発を引き起こす。後には塵しか残らない。
〈なんて魔法だ。まるで天眷。あるいは混沌〉
〈ただのアールヴが独力でこの域に達したというのか?〉
ユウナギとクレスレブが舌を巻く。
〈……にしても、なぜ、そんな事をする?〉
クロロの攻撃の、不自然な点にユウナギは気付いていた。しかし、その意図まではわからない。
攻撃は続き、シアの召喚した霊鬼が次々と討ち取られていく。
「クソっ! レイド!」
「待って、すぐいく――」
シアの元に駆けつけるため立ち上がろうとして、レイドは大きくバランスを崩し盛大に転倒した。
「いつつ……え、あれ?」
見ると、レイドの右膝から下に何もなかった。攻撃を回避したはずが、回避しきれていなかったのだ。ゆっくりと床に血の池が広がる。自覚した途端、彼は気を失ってしまった。
「!!!!」
ルーヴ自身も傷だらけであった。だが、そんな事には全く気付きもしないぐらい、彼の全身に怒りがこみ上げていた。
「なんで……。なんでこんなひどいことを! 悪いヤツには見えなかったのに!!」
これほど怒りに震えるルーヴを、レイドやシアでさえ見たことは無かっただろう。
「フン。小僧が。お前ごときに何がわかる」
最初に会った時とは違う雰囲気をルーヴは感じた。一瞬、彼女のふざけた調子が消え、深い闇に覆われたむき出しの感情が溢れ出す。
「ワシはな、一国を滅ぼした女だぞ!」
「!!?」
それは、とても嘘とは思えない、胃にもたれる重い一言だった。自嘲するような、蔑むような、諦めたような、廃屋に何千年も放置されたような暗くジメジメとした闇が、彼女からじっとりとにじみ出ていた。
「今更1人や2人増えたとて、どうということはないわ!」
2撃3撃と攻撃が繰り返される。直撃を回避してもその後の爆風にさらされてダメージが蓄積し、ルーヴは見る間に体力を失っていった。
〈ユウナギ様! このままでは〉
〈……まて、もう少し〉
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◆聖剣
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防戦一方のルーヴは、宝物庫の奥にあった小さな部屋に追い詰められた。その部屋は厳重に閉ざされていたのだが、老朽化と一連のクロロの攻撃で扉が砕けたのだ。
「この部屋は……?」
小部屋には小さな飾り台と、幾つかの武器が飾ってあった。
「ここはまさか!?」
部屋に入った彼の目つきが突如豹変した。
「……かくれんぼかの? 小僧」
クロロが余裕を見せつけて、ゆっくりと歩いてくる。
亜竜の出現とクロロの襲撃ですっかり忘れていたが、ルーヴの目的は伝説に記された聖剣を見つけ出すことだ。
「間違いない! ここが本当の宝物庫だ! ここに聖剣があるはず!!」
微かに希望を見出したルーヴが室内に素早く目を走らせる。するとすぐに、飾り台の中心に据え付けられた小さな黒曜石のナイフが目に止まった。
彼には知る由もなかったが、それはアールヴの運命を切り開き、歴史を形作った伝説の神器。英雄アル・ユーシアが使った火纏の聖剣そのものだった。
数十万年の時を経て、かつての愛刀と転生した持ち主が巡りあう。運命的な何かを、ユウナギは感じずにはいられなかった。
だが、残念ながらルーヴはその側を素通りしてしまった。
〈ええー!!? ちょ待ーー!!〉
心のなかでユウナギが強烈なツッコッミを入れた。
しかし無理もない。ルーヴに前世の記憶はないし、いくら本物とはいえ、この時代の感覚で見るとそのナイフはただの骨董品なのだ。
小宝物庫には他にも数種類の武器が飾ってあった。ルーヴはすぐ近くにあった別の剣を手に取った。
「これは!?」
若干サビが浮いてはいるが、凝った装飾の施された見事なツルギだ。ルーヴの手がじっとりと汗ばんで震える。伝説は本当だった。聖剣は実在した。そう彼は確信した。
「……これこそ、伝説の聖剣!!」
剣を頭上に高く掲げ、不敵に笑って彼は叫んだ。絶体絶命の状況の中で、ついに希望を掴み取った。――少なくとも彼はそう思った。
「ほう。聖剣じゃと?」
クロロが小部屋の出入り口に立ちふさがった。
〈なんてこった……〉
ユウナギは頭を抱えた。残念ながらその剣は聖剣ではなく、もっと下った時代のもの。アールヴがこの地を去る前、鉄器時代の前に制作された、最古級の鉄剣だった。逸品には違いないものの、所詮はただの剣だ。
「賢者だろうと聖剣だろうと、どっちでもよい。いい加減飽いたわ!!」
さらに増幅された時の水が9体の蛟を形作り、ルーヴを包囲するように大きく広がった。
逃げ場は完全に失われた。それでも、ルーヴは果敢に"聖剣"を振りかざす。
「聖剣よ、火纏の聖剣よ、オレに力を!!」
9体のミズチがゆっくりと迫る。
「…………!?」
だが、"聖剣"には何の変化も見られなかった。
「そんな!? そんな!! そんな!!!?」
暗い絶望の色にルーヴの顔色が染まっていく。それと同時に、クロロの興味は次第に失せていった。
「どうやら、今回も外れだったようじゃの」
「……クッ」
ルーヴは、自分がとんでもないミスをしたことを、ようやく悟った。不確かな情報で仲間を危険な旅に巻き込んだ挙句、根拠の無い自信に従って、遥かに格上の敵に戦いを挑むという愚行まで。言い訳のしようもなく、全てが自ら招いた失態だった。
「茶番はもうシマイじゃ! 死ぬがよいわ!!」
クロロが右手を振り上げた。
――だがしかし。
ルーヴは無理やり笑う形に口元を歪めた。決して絶望していないわけでは無かった。それでも、その絶望を力ずくでねじ伏せ、無理矢理に笑ったのだ。
「認めねぇ!!」
そう。この時点で彼はまだ負けていない。クロロが右手を振り下ろし、彼女の攻撃が彼を引き裂くまでにはまだ時間が残されている。普通の人間なら匙を投げるのだろうが、ルーヴは頑としてそれをしなかった。
「そんな事、オレは絶対に許さねぇ!!」
鬼気迫る笑み。狂気にも似た信念。
「まだ終わってねぇ!! シアも助ける。レイドも連れて帰る。ラギもクレスレブも。ちびっ子もメガネも。全員!!! 誰一人諦めねぇ!!!!」
追い詰めているはずのクロロが一瞬気圧された。振り下ろそうとした手がわずかに止まる。
「(こんな状況で……!? この小僧……!!)」
ユウナギはついに上半身を起こし、大きく目を見開いてルーヴを直接見た。なんという執念。なんという自分勝手。なんという強靭な精神力。アールヴの23万年に及ぶ歴史の中で、これほどの強さを持った男が一体どれだけいただろうか。
〈こいつは、"切り拓く者"だ〉
緊迫した空気の中で、ユウナギは思った。
〈歴史の中、たまに現れる前しか見ていないバカだ。でも、世界を変える力を持っている者!〉
普通こんな人間は一番最初に死ぬものだが、極マレに、まかり間違って英雄になることがある。
〈……確かにルーヴの中にアルはいるみたいだな。しかも、その"強さ"は更に増している〉
転生を繰り返すと、その能力、強さは引き継がれることがある。魂は高められ、より高いレベルへと成長する。目の前のルーヴがまさにそうだった。
絶対的な絶望を前にして、それでも諦めずに食らいついていける者だけが成し遂げられる。前に進むことを許される。その、ルーヴの意志に応えるように、彼の視界の隅で何かが光った。
――諦めるな。命をつなげ。
吸い寄せられるように何かが飛来し、咄嗟に掲げた鉄剣の刀身に突き刺さった。それは、先ほど見過ごした小さなナイフだ。かつての持ち主の魔力の残滓に呼応し、数十万年の眠りから目覚めたのだ。
「!!?」
黒曜石のナイフに埋め込まれた宝玉がまばゆい光を放つ。摂理の改変。極小の混交。天界の法を改竄し外法の元に組み直す。宝玉がナイフとともに鉄剣に融合し、新たな姿へと生まれ変わった。黒く透き通るような刀身が、深く刻まれた淡く発光する文様が、この世の物とは思えない美しさに輝いていた。
「……これが、今度こそ本物の火纏の聖剣!!!!」
新生火纏の聖剣を握り締めると、自然にルーヴの体は動いていた。滑らかに、空気の流れをすり抜ける魚のようにしなやかに、クロロの眼前に滑り出た。
「な!!?」
焦った彼女が慌てて手を振り下ろし、時のミズチをけしかける。
だがそれはわずかに遅かった。その時すでにルーヴは聖剣を振りぬいていたのだ。切り裂かれた空気がソニックブームとなり魔力と混じりあってクロロに襲いかかる。
「これは!!!!!?」
信じられない物を見るように、クロロが呟いた。
細かい理屈など関係ない。どんな魔法であろうと、どんな物質であろうと、そのツルギの前にあるものはただ、切り裂かれるのみ。
ルーヴラ・アクシエは、空間ごと攻撃魔法ごと、クロロを切り裂いた。
「それが本物の聖剣!!」
そう叫んだ彼女の声は、絶望よりむしろ感動に近い色を帯びていた。
―――――――――――――――――――
◆動機
―――――――――――――――――――
けが人の手当はリリルに任せ、歩けるようになった(フリをした)ユウナギとクレスレブ、そして肩で息をしているルーヴが、倒れたクロロを見下ろしていた。聖剣は確実に彼女にダメージを与えていた。それでも彼女はまだ生きている。
ルーヴが彼女に問いかける。
「賢者を見つけてどうするつもりだったんだ?」
速くて浅い呼吸を続けながら、クロロはルーヴを見た。
「……そうさな。ワシは死にたかったんじゃ」
「え?」
「ワシは実験のせいで、自らの国を滅ぼしてしまった。しかも、実験の影響で呪われた不死の身体になってしまったんじゃ」
目をつむると、彼女の脳裏に海に沈んでゆく故国の様子がはっきりと思い出された。
「不死って……どれぐらいだ?」
「もう、かれこれ3万年ぐらいになるかの……」
ルーヴが息を呑み、ユウナギとクレスレブは顔を見合わせた。
「その"聖剣"ならば、ワシにトドメをさせるじゃろう。……ひと思いにやってくれ。罪を償う時が来た」
「…………」
ルーヴは聖剣を構え、クロロの喉元に突きつけた。無表情でしばらく彼女を睨みつけていたが、やがて口を開いた。
「……このあいだ、帝都レプラローフに"さいばんしょ"ってのが出来たらしいんだ。悪人はそこで"さいばん"されるんだと」
そう言って、彼はツルギを鞘に収め、後ろを向く。すでに勝負はついた。彼の関心は傷ついた仲間たちに移っていた。
「フン。甘いやつめ……」
目を閉じて、クロロは何事かつぶやきはじめた。
「汝が肉叢留まれり。時の御蔵、仮現の智慧。盟いて繞り転ず。妙なる調べ、すべからく為すべし。……時の記録・読込」
彼女が呪文を唱え終わると、倒れていたシアとレイドが突然起き上がった。
「シア、レイド!?」
半泣きになってルーヴが2人に抱きついた。どういう訳か2人共、傷が完全に塞がっていた。いや、2人だけでなくルーヴの傷も全て癒えている。皆が狐につままれたような顔をして互いに顔を見合わせた。
「これは一体!?」
今の魔法について、レイドがクロロを問い詰める。
「あー。今のはワシの呪文、"時の記録"じゃ」
「ベーセ……!?」
「任意の時間まで、人の状態を戻すことができる魔法じゃ」
「そ、そんなことが……!!?」
レイドの口が開いたままとなった。
〈要するに、セーブポイントか〉
彼女の説明を要約すれば以下のとおり。
この呪文により、セーブした時点の状態に肉体だけを戻すことが出来る。タイムスリップするわけではなく、今現在の時間にとどまったまま、肉体だけ時間が巻き戻されるのだ。有効範囲は直径42m以内。セーブデータは1つまで。記憶や経験は保持される。
クロロも元に戻っていたが、これが死ねない呪いの原因というわけではない。むしろ呪いの力を応用してこの魔法を作っているとの事だ。
魔法の可能性のなんと豊かなことか。いままで戦っていたことも忘れて、皆素直に驚き、感嘆の声を漏らした。
「すげぇ!」
「べんり!」
「……ただし、亜竜も復活するんじゃがな」
「え」
【続く】
◆遺産
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【アールヴ歴16年】
ルーヴ達の冒険から遡ること約23万年前。
レイドークの地にアールヴが住み着いてより10数年後。生活が軌道に乗り、余裕が出始めたばかりの頃。彼等は地下に巨大な洞窟を発見し、その一角に小さな宝物庫を作った。赤毛の青年が、腰巻きに挿したナイフを取り出してその中に入る。
「本当にそれでいいの?」
「……ああ」
青年はナイフをじっと見つめた。黒曜石と木の枝から作られた簡素なナイフ。刃の部分に紅い宝玉が埋め込まれている。彼は、そのナイフを小さな飾り台の上に置いた。
――ヒトはいつか死ぬ。この世界だって、いつか滅ぶ――
彼の脳裏に、かつて聞いた言葉が蘇った。
「このナイフの力は簡単に使っていいものじゃない。でも、遠い未来のアールヴが困ったとき、助けになるんじゃないかって思って」
「……そう。そうだね」
歩き出そうとして青年が少しよろけた。左腕が無いためにバランスを崩したのだ。すかさず若い娘が彼を支える。プラチナ色の彼女の髪が揺れて青年の右手をそっと撫でた。
「きっといつか、誰かの役にたつよ!」
彼等に未来が見えていたわけでは無い。だが、漠然と何か感じることがあったのかも知れない。そして――
―――――――――――――――――――
◆賢者
―――――――――――――――――――
【アールヴ暦23万4009年】
【帝国暦1118年】
――現在。
亜竜を一瞬で吹き飛ばしたクロロの攻撃魔法が、不意を突かれたユウナギとクレスレブに襲いかかる。圧倒的な魔力の奔流。直撃こそ免れたものの、死の暴風が2人を草でも刈るようになぎ倒した。
「ラギ! クレスレブ!」
ルーヴが叫ぶ。ラギと呼ばれたユウナギは気を失っている。人狼クレスレブは意識はあったが起き上がれないようだ。彼の変身は解け、元の狼頭人身に戻っている。
「う、うそ……ユウナギくん達が負けるなんて……!!?」
隅にいたウサコが愕然として、蚊の泣くような声を漏らした。
レイドーク地下迷宮、宝物庫を発見したルーヴ達を待っていたのは意外な人物であった。村の酒場で出会ったクロロと名乗る謎の女だ。どういう訳かルーヴ達の後をつけてきた彼女は、突然彼等に襲いかかってきたのだ。
「(ありゃ?)」
その攻撃を仕掛けた当の本人が驚いた顔をした。
「(おかしいのう。弱すぎる……)」
倒れた2人をリリルに任せて、ルーヴがクロロに向き直った。
「何のつもりだ? オレの仲間に手を出すなんて」
鉄剣をクロロの方に突き出して、押し殺した声で静かに言う。
「いやなに。ワシはただ知りたいだけじゃ。……おぬしらの正体を、な」
またしても無詠唱でクロロは魔法を放った。半歩体をずらして攻撃をかわしつつ、ルーヴは一気に間合いを詰めて斬撃を繰り出した。もはや疑いようはない。この女は敵だ。彼の剣に迷いはなかった。しかし、彼が斬った女は水面に映る影のように揺らいで掻き消えた。直後、彼の背後にクロロが現れる。
「!?」
咄嗟に彼は間合いをとった。ここで遠距離攻撃といきたいところだが、実はルーヴは遠距離の攻撃魔法を使えない。
遅ればせながらシアとレイドが加わって、3人でクロロに対峙する。
「ルーヴ、あの人、只者じゃないよ。無詠唱魔法なんて聞いたこともない」
「ああ。それに、さっきの瞬間移動っぽいヤツもな」
底の知れない敵に対してかなりの危機的状況にあるはずなのだが、ルーヴにはどこか余裕があった。大きく息を吸って吐く。鉄剣を上段に構え、不敵に笑う。
「まあどっちにしろ、勝つのはオレ達だけどな」
それが若者特有の根拠の無い自信なのかどうなのか。ただ、彼等はここまでの旅で様々な経験を積んでいる。
「まったく。その自信はどこからくるんだか」
首を軽く振りながらレイドが言う。言いつつ彼も、ルーヴ同様負けるつもりはなさそうだ。
「同胞の黄泉の獣。深甚なる揺ぎの連鎖。冥府の理を以って無慙無愧を撃て!! ――霊鬼召喚!!」
シアが死霊魔法で霊鬼を4体召喚した。
「2人とも、話は後!」
実力は及ばないが、数で圧倒する気なのだろう。ルーヴとレイドが即座に反応した。3人+4体が連携して波状攻撃を加える。しかしそれでも、クロロは平気で話し続けた。
「ヌシらは創世記を知っとるかの? ワシは長年、それに登場する賢者を探し求めてきた」
シアと霊鬼の攻撃が軽々と避けられる。
「その結果、ついに見つけたのじゃ――さっきの2人を、な」
ダウンしているユウナギとクレスレブに、クロロはちらりと目をやった。
「ま、まさか!? あの2人が賢者!?」
寝耳に水とばかりに、ルーヴが目を丸くする。
「……と思ったんじゃが、どうやら違ったようじゃ」
「――んだよ、紛らわしい! もう少しで信じる所だっただろ!」
彼女は舌をペロリと出した。その仕草と年齢に若干の違和感を感じつつも、ルーヴは間断なく攻撃を続けクロロはそれをあしらい続けた。
「と、なると、他に怪しいのはおぬしら3人。賢者は3人のうちのだれか、ということになる。いや、なって欲しいのじゃ」
「はあ? 何をバカな」
逃げまわってばかりいたクロロがここで攻勢に転じた。話は終わったということだ。
「――そんなワケじゃ。さあ、正体を現わせ賢者よ!!」
―――――――――――――――――――
◆クロロの力
―――――――――――――――――――
「わーっ! ユウナギくん、しんじゃいやー」
倒れたユウナギのそばで、ウサコが泣きじゃくっていた。蛇髪族である彼女は頭部に2匹の蛇が生えており、その蛇も涙を流している。リリルがなだめても、クレスレブが声をかけても彼女は泣きやまない。一番困ったのは気絶しているはずのユウナギだった。
〈まったくこいつだけは。……しかたない〉
ユウナギは秘匿回線を使って、ため息混じりにウサコに話しかけた。
〈ウサコ落ち着け。僕は平気だ〉
「はへ?」
クレスレブやリリルはもちろん、その事に気付いていた。ユウナギは不老不死不滅不敗の神なのだ。あれしきの攻撃で死ぬはずも気絶するはずもない。では何故こんな小芝居を打ったのか。
〈初めて会った時から気になってたんだが、あのクロロって人は普通じゃない。だから僕らの力を知られないために、わざとやられたフリをしたんだよ。クレスレブもな〉
〈ふえ?〉
〈……つーか、お前も神使ならそれぐらい分かれよ!〉
空気が抜けたようにうなだれて、ウサコは安堵のため息をついた。
〈も、もう、びっくりさせないでよー〉
緩みきった顔をして、ウサコが抗議した。彼女なりに本気で心配だったのだろう。頭の蛇は怒っている。
〈しかも、さっき賢者を探してるって言ってたし、ひょっとしたら例の"片目の男"と関係があるという可能性もある。だから少し様子を見たいんだ。ウサコは大人しくしててくれ〉
〈う、うけたまり〉
**********
「――正体を現わせ賢者よ!!」
クロロが両腕を広げると、薄い円盤状の魔力の塊が水のように溢れて広がった。涼し気な見た目とは裏腹に、途方もない魔力を内包しているのがよく分かる。ルーヴは全身の皮膚が引きつるような圧迫感を感じていた。
「させない!」
クロロの攻撃より早くシアの攻撃魔法が発動した。ルーヴが注意を引いている間に呪文の詠唱を済ませたのだ。大雷撃槍の雷槌がクロロの"魔力の塊"に叩きつけられる。瞬間、大気を揺るがすような大爆発はどういう訳か起こらず、シアの魔法は霞となって消滅した。
「な!? え? 何今の!? 魔法が消えた!?」
「きゅ、吸収したのか!?」
初めて見る現象に、シアが動揺を隠しきれず後ずさり、レイドが目を見張る。
〈いや、そんなものじゃない、まさか今のは!?〉
思わず起き上がりそうになって、ユウナギは慌ててこらえた。額には冷たい汗が滲んでいる。
「ちょっと違うのぅ」
クロロがご丁寧に解説をはじめた。
「正確には魔法に含まれる"時間"を巻き戻して、魔法を魔力の状態に還元したのじゃ」
「じ、時間!?」
上ずった声でレイドが言う。
クロロは得意げな顔をしてさらに解説を続けた。
「この"魔力の塊"は圧縮され液体化した"時間"、時の水。これには、触れたモノの時間を操作する力があるのじゃ」
〈……やはり時間操作か! まさか、僕達以外で……!〉
これほど早くにアールヴが時間を操作できるようになるとは、ユウナギは思ってもいなかった。想像を超える彼等の魔法の進化に、彼は戦慄にも似た感覚を覚えていた。
「くっ!」
シアの魔法に合わせて攻撃しようとしていたルーヴとレイドは、すっかりタイミングを狂わされてしまった。連携に乱れが生じ、少なからぬ隙が生まれる。その隙を見逃すほど、クロロは寛容ではなかった。
「さあどうした。力を見せよ!!」
時の水をペットのように操りながら、クロロは攻撃態勢に入った。亜竜を倒した時と較べて数倍の量がある。そのせいで動作は遅いが、破壊力がどれだけ膨れ上がるのか想像するのも恐ろしい。
「とくと味わえ! 時間素子加速砲!!」
それは呪文ではなく、技名だった。呪文を唱える必要がないクロロが技名を口にしたのは、長年培われたアールヴの習性かもしれなかった。
「まずっ!」
レイドが防壁魔法を展開しようとしたが、間に合わない。
時の水が蛟のように放たれて牙をむく。ルーヴ、レイド、シアの3人はギリギリで回避したものの、直撃を受けた壁は一瞬で膨張し大爆発を起こした。衝撃によってシアが弾き飛ばされ、柱に激突し背骨が軋んだ。
「シア!?」
ルーヴの視線の先で、床にずり落ちたシアが喀血し横たわる。
「さっきのは巻き戻し。今度は早送りじゃ」
時間加速魔法を受けると、各原子に含まれる"時間素子"が急激に加速され、原子の固有時間は"早送り状態(加速状態)"となる。エンジンの回転数を上げすぎた時のように、もしくは、手を擦って摩擦熱が発生するように、限界を超えて加速された原子は莫大なエネルギーを一気に放出して燃え尽き、大爆発を引き起こす。後には塵しか残らない。
〈なんて魔法だ。まるで天眷。あるいは混沌〉
〈ただのアールヴが独力でこの域に達したというのか?〉
ユウナギとクレスレブが舌を巻く。
〈……にしても、なぜ、そんな事をする?〉
クロロの攻撃の、不自然な点にユウナギは気付いていた。しかし、その意図まではわからない。
攻撃は続き、シアの召喚した霊鬼が次々と討ち取られていく。
「クソっ! レイド!」
「待って、すぐいく――」
シアの元に駆けつけるため立ち上がろうとして、レイドは大きくバランスを崩し盛大に転倒した。
「いつつ……え、あれ?」
見ると、レイドの右膝から下に何もなかった。攻撃を回避したはずが、回避しきれていなかったのだ。ゆっくりと床に血の池が広がる。自覚した途端、彼は気を失ってしまった。
「!!!!」
ルーヴ自身も傷だらけであった。だが、そんな事には全く気付きもしないぐらい、彼の全身に怒りがこみ上げていた。
「なんで……。なんでこんなひどいことを! 悪いヤツには見えなかったのに!!」
これほど怒りに震えるルーヴを、レイドやシアでさえ見たことは無かっただろう。
「フン。小僧が。お前ごときに何がわかる」
最初に会った時とは違う雰囲気をルーヴは感じた。一瞬、彼女のふざけた調子が消え、深い闇に覆われたむき出しの感情が溢れ出す。
「ワシはな、一国を滅ぼした女だぞ!」
「!!?」
それは、とても嘘とは思えない、胃にもたれる重い一言だった。自嘲するような、蔑むような、諦めたような、廃屋に何千年も放置されたような暗くジメジメとした闇が、彼女からじっとりとにじみ出ていた。
「今更1人や2人増えたとて、どうということはないわ!」
2撃3撃と攻撃が繰り返される。直撃を回避してもその後の爆風にさらされてダメージが蓄積し、ルーヴは見る間に体力を失っていった。
〈ユウナギ様! このままでは〉
〈……まて、もう少し〉
―――――――――――――――――――
◆聖剣
―――――――――――――――――――
防戦一方のルーヴは、宝物庫の奥にあった小さな部屋に追い詰められた。その部屋は厳重に閉ざされていたのだが、老朽化と一連のクロロの攻撃で扉が砕けたのだ。
「この部屋は……?」
小部屋には小さな飾り台と、幾つかの武器が飾ってあった。
「ここはまさか!?」
部屋に入った彼の目つきが突如豹変した。
「……かくれんぼかの? 小僧」
クロロが余裕を見せつけて、ゆっくりと歩いてくる。
亜竜の出現とクロロの襲撃ですっかり忘れていたが、ルーヴの目的は伝説に記された聖剣を見つけ出すことだ。
「間違いない! ここが本当の宝物庫だ! ここに聖剣があるはず!!」
微かに希望を見出したルーヴが室内に素早く目を走らせる。するとすぐに、飾り台の中心に据え付けられた小さな黒曜石のナイフが目に止まった。
彼には知る由もなかったが、それはアールヴの運命を切り開き、歴史を形作った伝説の神器。英雄アル・ユーシアが使った火纏の聖剣そのものだった。
数十万年の時を経て、かつての愛刀と転生した持ち主が巡りあう。運命的な何かを、ユウナギは感じずにはいられなかった。
だが、残念ながらルーヴはその側を素通りしてしまった。
〈ええー!!? ちょ待ーー!!〉
心のなかでユウナギが強烈なツッコッミを入れた。
しかし無理もない。ルーヴに前世の記憶はないし、いくら本物とはいえ、この時代の感覚で見るとそのナイフはただの骨董品なのだ。
小宝物庫には他にも数種類の武器が飾ってあった。ルーヴはすぐ近くにあった別の剣を手に取った。
「これは!?」
若干サビが浮いてはいるが、凝った装飾の施された見事なツルギだ。ルーヴの手がじっとりと汗ばんで震える。伝説は本当だった。聖剣は実在した。そう彼は確信した。
「……これこそ、伝説の聖剣!!」
剣を頭上に高く掲げ、不敵に笑って彼は叫んだ。絶体絶命の状況の中で、ついに希望を掴み取った。――少なくとも彼はそう思った。
「ほう。聖剣じゃと?」
クロロが小部屋の出入り口に立ちふさがった。
〈なんてこった……〉
ユウナギは頭を抱えた。残念ながらその剣は聖剣ではなく、もっと下った時代のもの。アールヴがこの地を去る前、鉄器時代の前に制作された、最古級の鉄剣だった。逸品には違いないものの、所詮はただの剣だ。
「賢者だろうと聖剣だろうと、どっちでもよい。いい加減飽いたわ!!」
さらに増幅された時の水が9体の蛟を形作り、ルーヴを包囲するように大きく広がった。
逃げ場は完全に失われた。それでも、ルーヴは果敢に"聖剣"を振りかざす。
「聖剣よ、火纏の聖剣よ、オレに力を!!」
9体のミズチがゆっくりと迫る。
「…………!?」
だが、"聖剣"には何の変化も見られなかった。
「そんな!? そんな!! そんな!!!?」
暗い絶望の色にルーヴの顔色が染まっていく。それと同時に、クロロの興味は次第に失せていった。
「どうやら、今回も外れだったようじゃの」
「……クッ」
ルーヴは、自分がとんでもないミスをしたことを、ようやく悟った。不確かな情報で仲間を危険な旅に巻き込んだ挙句、根拠の無い自信に従って、遥かに格上の敵に戦いを挑むという愚行まで。言い訳のしようもなく、全てが自ら招いた失態だった。
「茶番はもうシマイじゃ! 死ぬがよいわ!!」
クロロが右手を振り上げた。
――だがしかし。
ルーヴは無理やり笑う形に口元を歪めた。決して絶望していないわけでは無かった。それでも、その絶望を力ずくでねじ伏せ、無理矢理に笑ったのだ。
「認めねぇ!!」
そう。この時点で彼はまだ負けていない。クロロが右手を振り下ろし、彼女の攻撃が彼を引き裂くまでにはまだ時間が残されている。普通の人間なら匙を投げるのだろうが、ルーヴは頑としてそれをしなかった。
「そんな事、オレは絶対に許さねぇ!!」
鬼気迫る笑み。狂気にも似た信念。
「まだ終わってねぇ!! シアも助ける。レイドも連れて帰る。ラギもクレスレブも。ちびっ子もメガネも。全員!!! 誰一人諦めねぇ!!!!」
追い詰めているはずのクロロが一瞬気圧された。振り下ろそうとした手がわずかに止まる。
「(こんな状況で……!? この小僧……!!)」
ユウナギはついに上半身を起こし、大きく目を見開いてルーヴを直接見た。なんという執念。なんという自分勝手。なんという強靭な精神力。アールヴの23万年に及ぶ歴史の中で、これほどの強さを持った男が一体どれだけいただろうか。
〈こいつは、"切り拓く者"だ〉
緊迫した空気の中で、ユウナギは思った。
〈歴史の中、たまに現れる前しか見ていないバカだ。でも、世界を変える力を持っている者!〉
普通こんな人間は一番最初に死ぬものだが、極マレに、まかり間違って英雄になることがある。
〈……確かにルーヴの中にアルはいるみたいだな。しかも、その"強さ"は更に増している〉
転生を繰り返すと、その能力、強さは引き継がれることがある。魂は高められ、より高いレベルへと成長する。目の前のルーヴがまさにそうだった。
絶対的な絶望を前にして、それでも諦めずに食らいついていける者だけが成し遂げられる。前に進むことを許される。その、ルーヴの意志に応えるように、彼の視界の隅で何かが光った。
――諦めるな。命をつなげ。
吸い寄せられるように何かが飛来し、咄嗟に掲げた鉄剣の刀身に突き刺さった。それは、先ほど見過ごした小さなナイフだ。かつての持ち主の魔力の残滓に呼応し、数十万年の眠りから目覚めたのだ。
「!!?」
黒曜石のナイフに埋め込まれた宝玉がまばゆい光を放つ。摂理の改変。極小の混交。天界の法を改竄し外法の元に組み直す。宝玉がナイフとともに鉄剣に融合し、新たな姿へと生まれ変わった。黒く透き通るような刀身が、深く刻まれた淡く発光する文様が、この世の物とは思えない美しさに輝いていた。
「……これが、今度こそ本物の火纏の聖剣!!!!」
新生火纏の聖剣を握り締めると、自然にルーヴの体は動いていた。滑らかに、空気の流れをすり抜ける魚のようにしなやかに、クロロの眼前に滑り出た。
「な!!?」
焦った彼女が慌てて手を振り下ろし、時のミズチをけしかける。
だがそれはわずかに遅かった。その時すでにルーヴは聖剣を振りぬいていたのだ。切り裂かれた空気がソニックブームとなり魔力と混じりあってクロロに襲いかかる。
「これは!!!!!?」
信じられない物を見るように、クロロが呟いた。
細かい理屈など関係ない。どんな魔法であろうと、どんな物質であろうと、そのツルギの前にあるものはただ、切り裂かれるのみ。
ルーヴラ・アクシエは、空間ごと攻撃魔法ごと、クロロを切り裂いた。
「それが本物の聖剣!!」
そう叫んだ彼女の声は、絶望よりむしろ感動に近い色を帯びていた。
―――――――――――――――――――
◆動機
―――――――――――――――――――
けが人の手当はリリルに任せ、歩けるようになった(フリをした)ユウナギとクレスレブ、そして肩で息をしているルーヴが、倒れたクロロを見下ろしていた。聖剣は確実に彼女にダメージを与えていた。それでも彼女はまだ生きている。
ルーヴが彼女に問いかける。
「賢者を見つけてどうするつもりだったんだ?」
速くて浅い呼吸を続けながら、クロロはルーヴを見た。
「……そうさな。ワシは死にたかったんじゃ」
「え?」
「ワシは実験のせいで、自らの国を滅ぼしてしまった。しかも、実験の影響で呪われた不死の身体になってしまったんじゃ」
目をつむると、彼女の脳裏に海に沈んでゆく故国の様子がはっきりと思い出された。
「不死って……どれぐらいだ?」
「もう、かれこれ3万年ぐらいになるかの……」
ルーヴが息を呑み、ユウナギとクレスレブは顔を見合わせた。
「その"聖剣"ならば、ワシにトドメをさせるじゃろう。……ひと思いにやってくれ。罪を償う時が来た」
「…………」
ルーヴは聖剣を構え、クロロの喉元に突きつけた。無表情でしばらく彼女を睨みつけていたが、やがて口を開いた。
「……このあいだ、帝都レプラローフに"さいばんしょ"ってのが出来たらしいんだ。悪人はそこで"さいばん"されるんだと」
そう言って、彼はツルギを鞘に収め、後ろを向く。すでに勝負はついた。彼の関心は傷ついた仲間たちに移っていた。
「フン。甘いやつめ……」
目を閉じて、クロロは何事かつぶやきはじめた。
「汝が肉叢留まれり。時の御蔵、仮現の智慧。盟いて繞り転ず。妙なる調べ、すべからく為すべし。……時の記録・読込」
彼女が呪文を唱え終わると、倒れていたシアとレイドが突然起き上がった。
「シア、レイド!?」
半泣きになってルーヴが2人に抱きついた。どういう訳か2人共、傷が完全に塞がっていた。いや、2人だけでなくルーヴの傷も全て癒えている。皆が狐につままれたような顔をして互いに顔を見合わせた。
「これは一体!?」
今の魔法について、レイドがクロロを問い詰める。
「あー。今のはワシの呪文、"時の記録"じゃ」
「ベーセ……!?」
「任意の時間まで、人の状態を戻すことができる魔法じゃ」
「そ、そんなことが……!!?」
レイドの口が開いたままとなった。
〈要するに、セーブポイントか〉
彼女の説明を要約すれば以下のとおり。
この呪文により、セーブした時点の状態に肉体だけを戻すことが出来る。タイムスリップするわけではなく、今現在の時間にとどまったまま、肉体だけ時間が巻き戻されるのだ。有効範囲は直径42m以内。セーブデータは1つまで。記憶や経験は保持される。
クロロも元に戻っていたが、これが死ねない呪いの原因というわけではない。むしろ呪いの力を応用してこの魔法を作っているとの事だ。
魔法の可能性のなんと豊かなことか。いままで戦っていたことも忘れて、皆素直に驚き、感嘆の声を漏らした。
「すげぇ!」
「べんり!」
「……ただし、亜竜も復活するんじゃがな」
「え」
【続く】
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